泥に塗れた私たちへ   作:Ray May

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私の覚悟、私たちの覚悟

 その年の聖蹄祭も、例年通りの賑わいを見せていた。

 

 例外的な一大イベントの催された去年と比較すると、その熱狂ぶりは鳴りを潜めているものの。訪れた客も、出し物を運営する生徒も、誰もが楽しそうに振舞っている。

 多くの人々の犇めく学園内の状況を鑑みれば、大成功と言って間違いない盛況ぶりであろう。

 

 となれば当然、そこに付き纏う問題――

『運営側の疲労』もまた、昨年までと同等、あるいはそれ以上のものになるということであって。

 

「…………」

 

 ――擬音で表現すれば、ぐでー、だろうか。

 休憩室にて机に突っ伏した彼女は、如何にも疲れています、と言わんばかりだ。

 話しかけるのも躊躇われる様子だが、それに困ったように笑いながら声を掛けるのは、サトノクラウンだ。

 

「……お疲れー。大丈夫そう?」

「うん……まぁ、一応は」

 

 のそのそと身体を起こし、クラウンに対応する。特徴的なポニーテールも、この時ばかりは力なく垂れるばかりだ。

 ――フェアリィルナは。

 久方ぶりの疲労感に、学園祭を楽しむ余裕がさてあるのか、と疑問に思ってしまった。

 

「今年は喫茶店だから……去年ほど大変じゃないってタカ括ってたんだけどね……」

「まぁ単純な疲労度で言ったら、間違いなく去年のがヤバかったと思うわよ。ただベクトルが違うだけで」

 

 確かに、とも思う。去年のお化け屋敷は、言ってしまえば、ただ人を驚かせればいいもの。接客スタッフは最低限だったがために、ある意味では気兼ねなく出し物に専念することが出来た。

 が、今年のテーマ――『メイド喫茶』は、あちらとはまた異なるスキルを要求される。

 接客技術だけでなく、演技力、急場への対応力――

 生憎と演技に自信はないが、聞くところによると、そのたどたどしさでさえ、客には好評であるという点は唯一の救いか。

 

「ま、今のうちに十分羽伸ばしといてね」

 

 クラウンは、未だ疲労が抜けきっていないフェアリィに言う。

 

「お役目中に倒れられても……ってあれ、これ去年も言ったっけ?」

「あはは……かもしれないね。でも……」

 

 笑うフェアリィだが、すぐにその表情を気まずそうに変える。小首を傾げたクラウンに、彼女は諦めたように小さく吐息。

 

「……それが許されればいいんだけどね」

「うん?」

 

 どういう意味、とクラウンが思った瞬間だった。

 

「フェアリィーっ!!」

 

 すぱーん、と痛快な音と共に、休憩室の扉が開き、艶やかな黒髪が楽しげに踊る。

 ソードクレインは――

クラウンの言う『お役目』の直後であるはずにも関わらず、疲れなどほとんど感じていなさそうな調子で、そこに現れていた。

 

「あ、クラウン! お疲れ様!」

「お、おつかれー……すごいわね。疲れてないの?」

「いや疲れてるわよ、これでも! でもなんか疲れすぎてむしろヤマを越えたっていうか。なんだか今なら私、なんでも出来るような気がする! わっほほー!」

「それは無理にでも休まないといけないとこだと思うけどなー」

 

 暴力的なまでに溌溂とした彼女に、クラウンは苦笑い。そして同時に思う、相方――彼女の親友の状態。

 

「……でも、きみのお友だちは、そうじゃなさそうだけど」

「ん?」

 

 しばしクラウンと話すクレインだったが、ばっちりフェアリィと目が合う。あ、まずい──と目を逸らそうとしたフェアリィだったが、時すでに遅し。

 

「ちょっとフェアリィ!! どうしたのよ座り込んで!!」

 

 目を見開いた彼女は、ドドドドドッ!! とフェアリィの元に駆け寄る。疲労に重ねられる元気いっぱいな声は、フェアリィが身を若干でも引かせるには、十分な理由だった。

 

「ぐでってる場合じゃないわよ! 休憩時間なんてすぐ終わるんだから! さっさと動き出さないと!」

「えっと……疲れてるんだけど……」

「私ね、いくつか回りたいとこあるのよ! でもどこも人気みたいだから! 効率的に動かなくちゃね……!」

 

 まぁ無視だよね、とフェアリィは嘆息する。今のうちに周囲に『伏線』を張っておこうかなー、とぼんやり考える脳裏には、『119』の数字の並び。

 

 そんなこんなで、訴え虚しく、クレインに引っ張られるまま、フェアリィは立たせられる。で、そのままぐいっと身体を動かされた。

 

「それじゃ、私たち行ってくるわね!」

「あ、あの、くーちゃん! 私走れるから! そんな引っ張らないで!」

「よし、じゃあまずは、リッキーの出店に行きましょ!」

「話聞いてー!!」

「……」

 

 クラウンは、小さく手を振りつつ、その背を見守りつつ――考える。

 いやはやホントに――綺麗に、立場が逆転したよな、と。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 方々で心配されていたところはあった。

 転校からこっち、片方を語るにはもう片方をも欠かせない珍コンビが、明らかに気まずい空気で、ろくに話していないというのだから。

 

 かといって、詳細に踏み込もうというほどでもない。

 何となくそれが禁忌である気がしてしまって、誰もが遠巻きに状況を見守るだけ。

 大丈夫なのだろうか。平気なのだろうか。

 ……もう、元には戻らないのだろうか。

 解きようのない、募るばかりの不安はというと、果たしてある日、突然に消し去られていた。

 

「敬語止めたの?」

「まぁ……色々、あって……」

 

 真っ先に変化に気付き、訊ねてきたキタサンブラックに、フェアリィルナは苦笑いで答えていた。

 そう、フェアリィルナ、底抜けの明るさと、暴力的なまでの前向きさが売りだったはずの少女は――それがまるで張りぼての嘘だったかのように、しおらしい人物に変わっていたのだ。

 何を話そうにも、もじもじと控えめで大人しい。五月蝿いくらいのあの声が、懐かしく感じるほどだ。

 

 しかも――それだけではない。

 

「……なんか、立場が逆になってない……?」

 

 サトノダイヤモンドの指摘――

 二人は程なく、以前のように話すようにはなったが。構図が丸っきり逆転したのである。

 

 これまでは、フェアリィが引っ張り、クレインが振り回されていたのに。

 今や専ら、クレインが振り回し、フェアリィが引っ張り回されるようになっている。

 魂でも乗り移ったか? 本当に同一人物か? 想定外の変化に、周囲が困惑するのも無理のない話だった。

 

 その中に合って――

 

「……ん? 良かった?」

 

 シュヴァルグランだけは、そんな彼女らの様子を、そんな風に評していた。

 ある日の食堂でのやり取りだ――スイープトウショウに訊き返された彼女は、緩く頷きながら答える。

 

「今まで二人は……無理してるように、見えてたから」

「……そう?」

「うん……いや、何となく、だけどね」

 

 それは、内気であったシュヴァルだからこそ、感じ取ることの出来た変化だったのかもしれない。

 凄まじい明るさの底に沈殿していた、ほんの僅かな、仄暗い後ろ暗さ。

 それに縛られているように映っていた、フェアリィの振る舞いは――以前よりか、『内気』ではあっても。

 清々しいもののように、シュヴァルには見えた。

 

「……良かったね」

 

 答えを、見つけられたみたいで。

 シュヴァルの、いつもと変わらない――しかし、明らかに嬉しそうなその感想に、スイープもまた、そうね、といつも通りに返した。

 

 ともあれ、そういった困惑も最初のうちだけ。

 徐々に他のクラスメイトも、変化に慣れ、すっかり溶け込んだ上での、この盛大な『お祭り』。

 

「あ、見てフェアリィ!」

 

 フェアリィの手を引っ張りながら、クレインは容赦なく出店を見て回っていく。

 無邪気に指差した先には、お洒落な立て看板。

 

「執事喫茶だって! 私たちと似たテーマのお店じゃない?」

「同じ発想で出店してるとこがあったんだね。……どこの人たちだろ」

 

 二人が今いるのは上階。言うまでもなく、上級生が利用しているフロアだ。

 自分たちの先輩が運営している、ということは、想像に難くなかったが――

 

「――あ!」

 

 様子を見てみると、程なく現れた意外な人物に、クレインが声を上げていた。

 

「フジ寮長!」

「――あぁ。君たちか」

 

 ネクタイまできっちりと締めた、黒い燕尾服。

 まるで演者のような出で立ちの、フジキセキだった。

 

「ごきげんよう。お祭りは楽しんでるかい?」

「えぇ、そりゃもう! おちおち休んでもいられないくらい! フェアリィもこんなに楽しそうですよ! ほらほら!」

「……どうもです……」

「あははは。『いつも通り』みたいで何よりだよ」

 

 いかにも可笑しそうに笑うフジ。然したる異常のない、有り触れた会話――しかし冷静に考えると、フジがここに立っている事実は、フェアリィには些か奇妙に感じられた。

 

「……えと、どうしてここに?」

 

 そしてその奇妙を、問いかけという形でぶつける。

 そう、フジは、とうに学園を卒業している社会人のはずだ。

 寮長という形で、未だ学園に関わってはいるものの――在校生ではない。

 職員が学園祭の運営に関わってはいけない、という規約はないものの、飽くまで生徒で形作るのが暗黙の了解となっていたはずだが――

 執事喫茶にて、燕尾服まで着て、何も手伝っていません、ということは無いだろう。

 これは一体どういうことなのか? 果たしてフジは、疑問に苦笑いを含みながら答えた。

 

「私も、手伝うつもりはなかったんだけれどね。『それらしい』振る舞いのいろはを知っていそうで、かつ頼んだら引き受けてくれそうなのが、私しかいなかったというものだから……仕方なくね」

「あー……」

 

 フェアリィの脳裏に、フジの現役時代の勝負服が過ぎる。多くの男女が魅了されたという、あの麗人然とした容姿。

 今の生徒や教職員に華が無い、などとは決して言うつもりはないが――なるほど確かに、彼女がいるのといないのとでは、雲泥の差だな、とフェアリィは納得した。

 その上で――彼女を起用するのは、ちょっと『セコい』のでは、とも考えた。

 

「……ふむ」

 

 そんな彼女を、フジは見つめる。突如として投げかけられた、品定めするかのような目線に、フェアリィは自然、姿勢を正した。

 凛然とした瞳が、フェアリィの双眸をはっきりと映し出す。

 

「……な、何か……?」

「あぁ……いや。きみが引き籠っていた時のことを思い出してね。一時はどうなることかと思ったけれど、結果的に、落ち着くところに落ち着いて良かったよ」

 

 フジは、優しく、そして悪戯っぽい声色で答えた。

 

「……いい目になった」

「……」

「フジさーん! ちょっといいですかー!」

「あぁ、今行く!」

 

 店内から呼び出されたフジは、快活な声で答えてから、二人にお辞儀する。

 手早い、しかし気品のある一礼。

 

「それではね、二人とも。良い祭りを」

 

 過不足ない言葉を置き土産に、彼女は店内へと引っ込む。

 しばし顔を見合わせた二人は、どちらともなく笑っていた。

 

「行こ!」

「うん」

 

 そして再び、クレインが先導するかたちで、二人は駆け出す。

 限られた休憩時間の中で、目一杯に楽しむために、忙しなく動き出す。

 その一方――

 

「……んで、結局次はマイルチャンピオンシップか?」

 

 別棟、人通りの多くない上階の窓際にて、窓枠に凭れ掛かりながら、庄野は隣の人物に問いかけた。

 

「まぁ……そんなとこです」

 

 高橋は、一瞬だけ答えに迷うも、隠すことでもないと結論し、肯定する。

 マイルチャンピオンシップ――年の暮れ近くに催行される、マイル距離の王者を決めるGⅠレース。

 この年のキャリアの総仕上げとして、高橋とフェアリィが挑戦することにしたのがそれだった。

 

 そうは言っても、転向以前も以降も、『ただの一度しか』勝てていない彼女が、そう簡単に出走出来るレースではないのもまた事実。

 最初は、飽くまで最終目標であり――今年はダメでも、最終的に出走して、結果を出せればいい、と緩めに考えていたのだが。

 なんと、出走が可能となったのである――その理由は。

 

「まさか……『ファンの数』って方向から出られるとは」

 

 そう。

 出走者を影から支える存在――ファンだった。

 

 フェアリィルナの現在の戦績からすれば、GⅠは愚か、他の重賞レースでさえ、出走は叶わない。

 が、専用アプリにてファンの数を確認したところ、直近のレースの終了時点で、規定を満たしていることが判明したのである。

 

 予想外の事態――

 ならば、と二人で話し合った末、出走しようという結論に至ったわけなのだが。

 

「なんか、ちょっと卑怯みたいですけどね」

「どこがだ? URAが規定してんだから、後ろめたく思うことねーだろ。ファンを金で買ってたらアレだけど」

「さ、さすがにそんなことはしてないですよ」

「だろ。なら胸を張れ。ファンの数だって、立派な努力の証なんだからな」

 

 まぁ、それもそうか、と高橋は完全ではないながら、納得する。

 実際、これまでの重賞レースで、そういった理由での出走者が全くいなかったわけじゃない。応援されるのも、実力のうち――もっと、自信を持っていい。

 これも成果だと、誇りに思っていい。

 

「いやー、でも良かったな。こんなところまで来れてよ」

 

 庄野は、手に持った駄菓子――ココアシガレットの一本を、煙草のように口に咥えながら言う。

 

「正直な話、さくっと辞めるんだろうなって思ってたんだよ。オメーのこと。長いこと燻ってたし、詰まらなそうだったし」

「あはは……そ、そんなこともありましたねー」

「いつでも相談に乗れるように、いい感じの転職先も見つけてたんだけどな」

 

 兄貴かアンタは、というツッコミを、高橋は呑み込む。それも彼なりの優しさだったろうし、実際兄だったら、同じことをしてくれていただろうな、と。

 

「それが今や、パートナーを見つけるばかりか、GⅠにまで挑戦しようってんだからな。はは、『元』・先輩として鼻が高いぜ」

「……挑戦しても、結果が出なきゃ意味ないですけどね」

「おいおい、思ってもねーこと言うんじゃねーよ」

 

 ぴっ、と彼は、ココアシガレットの先端で、高橋を指差した。

 

「お前が一番、『信じてる』くせに」

「……」

 

 それはそうだった。

 元より、『そう』でなくては――そもそも目指すことすら、するはずがなかった。

 

「……まぁ、そのために色々、相方に無茶苦茶やらせてるけどな」

「いやぁーあなたにだけは言われたくない。全力で言われたくない」

 

 無茶苦茶――

 手当たり次第に練習したり、大先輩と併走させたり。

 引き籠りの状態から引きずり出したり、転向させたり。

 普通かと言われたら、それとは程遠いのかな、とは思う。そして同時に、それはお互い様でしょうよ、とも思う。

 

 転向させてるのもそうだし――トレーニングも、一風変わったことをやらせてるとか。

 あなたもあなたで、全く人のことは言えないでしょう、と。

 

「……」

 

 不思議な感覚だ、と高橋は思った。

 実力も、年齢も、離れているはずの自分たち。大学時代も、何かとつるんでは、庄野の下世話さに常日頃呆れていたものだが。

 

「なんだよ?」

「――いえ」

 

 突然黙り込んだ彼女に、怪訝そうに訊ねる庄野に――彼女は若干緩んでいた口元を直しながら、答える。

 

「あたしずっと……庄野さんとあたしって、天と地ほども隔たりがあるなーって思ってたんですよね」

 

 性格という意味でも。

 実力という意味でも。

 

「でも改めて考えてみたら……実際似たようなこと、お互いにしでかしてんだなーって思ったりして」

 

『教育』の方針が。

 いざという時の胆力とか。

 あとは――こういう、ちょっとした優しさとかも、そうかな。

 

「……なんだか、似てますね。あたしたち」

「…………」

「――っと! いけない!」

 

 ふわり、と笑いつつ言った高橋。

 慌てて窓枠から身を乗り出したのは、そこでふと、思い出したことがあったからだ。

 

「この後約束があるんでした! ごめんなさい! あたしはここで!」

「あ? お、おう」

 

 手を振った彼女は、庄野の返事を受け取ることもほどほどに、そそくさとその場から走り出す。慌ただしいその後ろ姿を見送りながら、庄野はしばし呆然として――その末に、側頭部を掻いていた。

 

「……ったく。生意気言いやがって」

 

 そして、誰にともなく言った。

 

「高橋のくせに……」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 夕刻の橙の灯りが、学園全体を照らす。

 今年二度目の学園祭、通算幾度目かの聖蹄祭は終幕を迎え、関係者による撤収作業も、大詰めを迎えていた。

 

 三女神像前――

 人影のまばらなその場所に、フェアリィルナとソードクレインの姿はあった。

 

「いやー、今年もとんでもない忙しさだったわね」

 

 彼女らのクラスの撤収も、ひと段落。

 束の間の休息に、今日何度目かの提案をしていたのは、クレインの方。

 散々振り回されたフェアリィは、今更何をされても構わないという投げやりな寛容さがあり――

 深く目的を聞くこともなく、ここまで二人、やって来ていた。

 

「下のクラスで、クラブみたいなことしてるなんて思わなかったわね。しかもヴィブロスさんがシャンパン*1コールするなんて」

「小籠包とかよくわからないこと言ってたけどね……なんか意外な一面見た感じだったね……」

 

 今年も今年とて、各クラス個性的な企画ばかりだった。親友に振り回され、仕事に追い立てられ、息つく暇もなかったが――充実はしていた。

 また来年も、同じように楽しめるといいと思うが――

 出来れば、もう少し余暇があるといいな、などとも考える。

 

「……それで?」

 

 ともあれ――

 フェアリィは、クレインへと問いかける。

 主語も目的語もない、簡素なものだったが――それだけで伝わるだろう、という彼女の思惑とは裏腹に、クレインはきょとんとした顔。

 いかにも、何を言っているんだ、と言わんばかりのそれである。

 

「いや、あの……なんでここに来たのかなって話なんだけど」

「もー、空気読めないわねーフェアリィは。そこは雰囲気で感じ取ってよ、いい感じに」

「え、これ私が悪いの……?」

 

 とんでもない責任転嫁に、フェアリィは愕然とする。しかしまぁ、言うまでもなくそこは冗談。クレインは返事を受けて、悪戯っぽく笑っていた。

 

「んー……」

 

 そしてクレインは――意味深な唸り声を上げる。

 何かに迷っているような、あるいは言葉を探しているような。邪魔をしたくないがために、フェアリィはそれをしばらく見守って、

 

「……マイルチャンピオンシップなのよね?」

 

 その末、クレインはそう訊ねていた。

 

「最後の目標」

「えと……」

 

 フェアリィは一瞬言い淀んだが、隠すことでもない。

 どうせ調べればすぐにわかるし――親友に、もう隠し事はしたくない、とも思った。

 

「……そう、だよ。あはは。全然勝ててない私が、GⅠなんておこがましいけどね……」

「そう? ファンを増やすことだって、簡単じゃないのよ? 実際、レースでは勝ってるのに、思うようにファンを増やせない、みたいな子もいるみたいだし」

 

 そうなんだ、とフェアリィは意外そうな顔。実力が全てのように思えるレースの世界――それ以外の生き方も、案外許されるのだな、と。

 

「だから、そんな卑屈にならなくていいのよ。もっと自信持ちなさい」

「えと……」

「あんたのそういうとこ、ずっと変わらないわよね」

「……うぅ」

 

 自分の性格が前向きになったことは、フェアリィ自身も自覚を持っている。

 しかしだからといって、考え方をも全てが前向きになるわけではない――心の奥底に凝り固まった『根暗さ』は、今なお、しつこくこびりついて残っている。

 

「ま、それだけ誠実で慎重、とも言えるけどね」

 

 しゅんとするフェアリィをフォローするように、クレインは言い。

 

「それに、だからって辞めようってわけじゃないでしょ?」

「……」

 

 確認に――

 フェアリィは、一瞬だけ間をおいて、頷く。

 そう、彼女自身も、申し訳なさ、のようなものを感じてはいるが――それとこれとは別問題。

 

 周囲から、相応しくないと思われていようとも。

 ここまできて、もはや逃げることは無い――彼女の決心は、固かった。

 

「そっか、」

 

 クレインは返す。

 

「良かった」

「良かった……?」

「それだけ、確認しておきたくてね」

 

 そうして、彼女は見上げる。自分たちの傍――三女神像を。釣られたフェアリィも、同じように視線を上げる。

 今も昔も変わらない、荘厳な佇まい。

 

「……『誓い』を立てようとしたのに、目前で『逃げられた』なんてなったら、女神様も笑っちゃうもの」

「誓い……?」

 

 うん、と振り向いたクレインの目は、それまでとは違う色を灯していた。自然、フェアリィの身体にも力が入る。射抜かれたように――

 

「あんたがGⅠに挑戦する、ってトレーナーから聞いた時から、決めてたの」

 

 胸が不穏な高鳴りを見せる。クレインの声色が、不気味な翳りを宿す。

 双方とも、それを取り払う間も挟まないまま――

 

「――私も」

 

 言った。

 

 

 

「私も、

 同じレースに出ることにした」

 

 

 

「――……」

 

 ――言葉を失った。

 

 マイルチャンピオンシップ。

 マイル距離のGⅠレース――重賞の最高峰ではあるものの、キャリアからすれば、自分たちが挑戦すること自体は、特段に不思議なことではない。

 むしろ、ソードクレインの戦績を考えるなら、挑んで然るべきレースではある。

 

 だがフェアリィは知っている。

 親友であるからこそ、よく知っている。

 彼女の、主たる戦場がどこなのかを。

 

「……え――へ? で、でも……」

 

 たどたどしい言葉遣いで、フェアリィは応じた。

 

「くーちゃんは……短距離じゃ……?」

 

 そう――

 ソードクレインは、モンベツ時代からの、生粋の短距離走者(スプリンター)。

 マイル以上の距離はほとんど走ったことがないし――勝利したのも、デビューしてすぐの一度きりだったはず。

 決して得意とは言えないはずの距離を――それもGⅠという大舞台を選ぶなど、フェアリィには理解し難いことだった。

 

 無論――短距離走者だからと言って、他の距離に適性が無いとは必ずしも言えない。

 だが歴史上、距離を選ばずに、順当な戦績を収めてきた者が少ないことも事実だ。

 

 彼女も、そんなことは百も承知のはずだ、一体――どうして?

 

「な……なんで? GⅠだったら、同じ時期の短距離のレースを選べば……」

 

 クレインは答えない。

 

「確かにマイルは、1、200mくらいしか距離違わないかもしれないけど、それでも随分感覚が違うってトレーナーさんも言ってて……」

 

 クレインは答えない。

 

「……どうして? どうしてわざわざそんな――」

「フェアリィ」

 

 クレインは――答えなかったが。

 動揺のまま、疑問を重ねる彼女の言葉を遮り。

 真っ直ぐに瞳を逸らさぬまま――言った。

 

「……私は、

 

 

 

 あんたと、

 ()ってみたい」

 

 

 

 どくん、と胸が鳴る。

 予想だにしない答えに、フェアリィは言葉を切り、目を見開く。

 ただ、クレインにとっては十全なものだったのか、満足そうに笑っていた。

 

「だってそうでしょう? 一度も戦ったことが無い、なんて言わないけどさ。いつもあんたは後ろの方で燻ってて……競り合いなんて『一度も』なかった」

 

 クレインが先頭を突っ切り、フェアリィが後方に甘んじるのが常だった。

 

「走り切った私が、何でもないように笑うあんたを、それとなくフォローするのが日常だった」

 

 痛々しい笑顔へのせめてもの慰めを、精一杯に捧げるのが普通だったのだ。

 

「……でも今は?」

 

 今はどうだろうか。

 困難を乗り越え、ようやく辿り着いた今ならば、どうだろうか。

 

「ずっと、叶わない夢だと思ってた」

 

 お互いに成長出来た今なら、どうだろうか。

 

「ずっと、無理なんだなって、思ってた」

 

 支え合って、ぶつかり合って、ようやく本心に触れ合えた、今なら――どうだろうか?

 

「今なら……」

 

 今ならきっと。

 かつてより願ったように、戦えるのではないか。

 そう、感じたのだ。

 

「……もちろん私も、このレースの過酷さは知ってるわ」

 

 とはいえ、最高峰のひとつに君臨するレース。

 生半可な実力で、勝てるものではない。

 

「場合によっちゃ、模擬レースの時と、立場が逆転しちゃうのかも」

 

『あの時』のフェアリィのように、耐え難い屈辱を受けてしまうのかも。

 

「……それでも」

 

 でもそれでも。

 それでも――

 

「私は、あんたと戦いたい」

 

 同じ舞台でやり合ってみたい。

 同じ世界で戦ってみたい。

 

「あんたと全力でやりあって、そして、そして……」

 

 ……そして。

 

「……そのふざけた『能力』ごと……食らってやる」

「――……」

 

 フェアリィは、ごくり、と固唾を呑んだ。

 目の前の少女は、もう、ただの親友なんかじゃない。

 強力な敵。強大な好敵手。

 夢に、目標に、その輝きに憑りつかれた、一人の戦士――ウマ娘。

 ……考えてみる。

 

 戦場は、これ以上ない大舞台。

 集った選りすぐりの出走者たち。

 それらに肩を並べる自分。

 

 熱視線を向ける観客。

 湧き上がる歓声。

 ゲートの開く音と共に。

 勝負の火蓋が切って落とされる――

 

 身震いした。

 想像しただけで、ぞくり、とした。

 そんな世界、そんな勝負――ちょっと怖いけど。少し、恐ろしいけれど――

 

 ――最高、じゃないか。

 

「……逃げたりなんてしないわよね?」

 

 そんなフェアリィの気持ちを知ってか知らずか。クレインの言葉は、挑発的だった。

 

「あたしの『挑戦』。……受けてくれるわよね?」

「……」

 

 何も言うまい。

 ここまで来たら、言葉など無意味だ。

 何より、自分の内に、既に答えは出ている。

 

「……、」

 

 深呼吸する。

 胸の高鳴りも、本心の答えも変わらない。

 それを確認して、クレインの瞳を見つめ返した。

 

「……望むとこだよ」

 

 続けた言葉に――クレインは、不敵な笑いを返した。

 

「じゃ――戻ろっか」

「うん」

 

 そこまでを休息の区切りとして、二人は教室へと戻っていく。

 西日の中、佇む三女神像は――そんな二人の背中を、暖かく見守っているように見えた。

 

 

*1
ノンアルです

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