泥に塗れた私たちへ   作:Ray May

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全ての想いの集う場所

 11月下旬。

 しつこい残暑がようやく和らぎ、急速に冬へと移り変わっていく時期。

 控室に詰めたフェアリィルナは、ふと自分の手を見つめていた。

 

 マイルチャンピオンシップ当日――

 とうとう迎えたこの日、自分にとっての、最大の大一番を前にして――緊張感は、正直なところあまりない。

 やる気は十分、身体の調子も申し分ない。不安になることなどひとつもないはずだ。なのに、それなのに――

 

「……」

「……大丈夫?」

 

 立ち尽くすフェアリィに、高橋が心配そうに声をかける。

 目を向けて、フェアリィははい、と返事をした。

 

「全然大丈夫です。気持ちは落ち着いてるし、身体の状態もいい……はずなんですけど」

「……何か不安なの?」

「そうじゃなくって……」

 

 一度外した視線を戻す。

 目の前に持ってきた掌は、いつものように止まっていなかった。

 何故だか、小刻みに震えていた。

 

「……むしろ気持ちとしては、楽しみなくらいなんですよ。なのに、さっきからこんな調子で……」

 

 ――なんなんでしょうね?

 困ったように問いかける彼女に、高橋は考える。

 見るからに健康体なのに、身体が震える現象――それに覚えはないと、一度は思考を打ち切りかけるが。

 

 そういえば、と、かつて同期のトレーナーから聞いた話を思い出す。大一番の直前になって、身体が震え出すというあの現象、あの状態――

 前向きな闘争心が、抑え切れなくなるくらい大きくなった時、震えとして現出してくるもの。

 あぁ、そうだ――思い出した。

 

「……武者震い、ってやつじゃない?」

「……」

 

 答えを聞いて、彼女は自分の両手を再度見つめ直した。震えは先ほどより小さくなっているが、完全には止まっていない。

 経験のない状態に、一時は不安を感じたものの、それは一転して、親近感に近いものへと変わっていた。

 あぁ――そうか。ここに来て、怖がってるわけじゃないんだ。

 楽しみだって、叫んでるだけなんだな、と。

 

「……、」

 

 ぎゅっと、手を握り締める。

 大丈夫、慌てることはない。焦ることもない。

 もうすぐ始まる。待ちに待った舞台が来る。

 望んだ世界が――すぐそこまで、来ている。

 

「心配は要らなそうだね」

 

 そんな彼女の様子を見てか、高橋は安心したように言った。

 フェアリィも、強く頷く。

 うん、大丈夫。

 もう何も、心配は要らないと。

 

「……あっという間だったね、今まで」

 

 こうして、控室で相方と話すのも、もう何度目か。

 思い返すと、本当に色々あったなと感じる。

 

 騒がしい彼女という存在を見初めて。

 散々な初戦。

 奇跡の次戦を終えて、三戦目、四戦目。

 ……そして、起死回生の一戦。

 

 もちろん、ここが最終目標じゃない。

 自分たちのキャリアは、ここを越えてからも、まだ続いていく。

 でも、少なくとも高橋にとっては、明らかにここが、ひとつの大きな区切りとなる。

 

「熱気も雰囲気も、全然違うと思うけど、いつも通りにやればいいからね!」

 

 そう、きっとやれる。

 この子なら――きっと、やってくれる。

 

「お客さんのみんなに――目にモノ見せてやろう!」

「……、」

 

 以前の彼女なら、明るく笑いとばすか、おちゃらけるか――あるいは、先にその台詞を言っているか。

 でも今や、そこには、そのどれとも違う表情が浮かんでいる。

 相方の言葉を、何よりも真っ直ぐに信じている顔。

 

「――はい!」

 

 力いっぱいに返事をし、お互い、いよいよ勝負の準備を終えた。

 程なく、入場の時間が訪れ――

 控室を離れるタイミングとなる。

 

「よし、ぶちかましてやろう!」

「はい! ぶちかましてきますっ!」

 

 扉の前にて、そうして改めて、意志を確かめ合った二人。フェアリィは、高橋に見送られて、ターフの方へと歩いていく。

 

 徐々に近づいてくる歓声。

 溢れ出す光。

 それらを、一心に身体に受け止めて――

 

「――フェアリィさん!」

 

 ――刹那だった。

 響き渡る、彼女を呼び止める声。

 優しく、聞き取りやすい、中性的なその声を、フェアリィはよく覚えていた。

 

「……あ」

 

 振り返った先――

 彼女は、声を漏らす。

 そして目に入る、あの特徴的な帽子。

 

「……シュヴァルちゃん」

 

 シュヴァルグランだった。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「よ、良かった……間に合った……」

 

 シュヴァルは、軽く切れた息を整えながら、フェアリィの元へ歩み寄っていた。

 

「他のみんなの買い物に付き合ってたら、こんな時間になっちゃって」

「他のみんな……?」

「姉さんと、ヴィブロスと、スイープさん」

「あぁ……みんな来てくれてるんだ」

 

 知り合ってから今まで、長らく友人でいてくれているクラスメートたちと、その家族。

 京都という、ただ行くだけでも相当な苦労のいる場所にまで、こうして来てくれるとは。ありがたい話だな、と思うと同時に――

 それだけの期待を背負ってるんだな、と忘れていた緊張が、少しぶり返す。

 

「わ――私も、精一杯、やらないとね……!」

「あ……ご、ごめん! 変に緊張させちゃって……!」

 

 わたわたと手を振るシュヴァルだったが、フェアリィのその緊張も、すぐに落ち着く。ひとまず、来るだけでなく、直々に挨拶にまで出向いてくれたのだ。その行動に報いなくてはいけない。

 

「……ありがとね。わざわざ来てくれて」

「う、うん! 今日は、今日だけは……絶対に話そう、って思ってたから。僕も……」

「そうなの……?」

「うん……」

 

 怪訝そうなフェアリィに、シュヴァルは、いつものように帽子の鍔を摘まんだ。

 

「……覚えてる? 僕が、あなたに、その……最初のレースの後に、言ったこと」

「最初……っていうと」

「総武ステークス……」

「……応援してる、だっけ」

「う、うん! そう!」

 

 シュヴァルの耳が、ぺたりと垂れる。思い出させておきながら、自分で恥ずかしくなっているのだろうか。

 

「……本当に、凄いと思ったんだ」

 

 彼女は続ける。

 

「あの時僕は……あなたから勇気をもらった。あなたのように、いつでも前向きに、直向きに頑張ってれば、きっと結果は出るんだって、信じることが出来た。僕を支える……大事な勇気の、ひとつになったんだ」

「……」

 

 振り返ってみれば、あれらの振る舞いは、自身が必死に作り出した虚像。

 フェアリィは驚いた――にも関わらず、それでさえ、誰かに力を与えていた事実に。

 

「……だから、心配になったんだ」

 

 だからこそ、シュヴァルは不安になったのだ。

 他でもない、フェアリィが引き籠ってしまった時。

 

「もう、あれで終わりなんじゃないかって。もう、このまま、いなくなっちゃうんじゃないかって。中央は……そういうことが、よくあるから。なおさら……

 だから、どうにか出来ないかって。僕なりに、色々考えてたんだ。結局、どうにも出来なかったけど……それでもあなたは、挫けずに、腐らずに、ここまで来られた」

 

 ……だから。

 

「だから、その……なんというか……」

 

 しばしもじもじと恥ずかしがる素振りを見せたシュヴァルだったが、やがて意を決すると、言った。

 

「今度は、その勇気を、僕が返す番だって、思って……!」

 

 大丈夫。

 きっと、大丈夫。

 

「大丈夫だよ、フェアリィさん!」

 

 あなたなら――大丈夫。

 

「あなたならやれるなんて、無責任なこと言えないけど――」

 

 だってあなたは――

 

 ここまで、

 こうして、

 来られたのだから。

 

「運命は――越えられるから……!!」

「……」

 

 ……だから。

『あなたなら――やれる』、と。

 

「……、」

 

 込み上げてきたものが、フェアリィの瞼をノックする。

 それをやや俯き、引っ込めた上で、彼女は顔を上げた。

 お互いに――迷いのない、弱さなど感じられない、澄んだ瞳。

 

「……シュヴァルさん」

 

 フェアリィは、言う。

 

「……ゲン担ぎ、してくれない?」

「え――へ? げ、ゲン担ぎ?」

「うん。私が、こういう大一番の前に、やってたことなんだけど」

「え、えと……?」

 

 困惑するシュヴァルに、それもそうか、と苦笑いしながらも、フェアリィはそれを中断しない。

 

「大丈夫、ノリでやってくれればいいから! さ、行くよ!」

「え、あ、ちょ……!」

 

 説明する間もなかった。

 失敗したら失敗したで、それまでだ! そんな心意気で、フェアリィはいつも通り――手を、掌を下にした状態で掲げる。

 いつもよりゆっくり目に、下ろしたその手に――シュヴァルは見事、反応した。

 

 二人の手が、上から下に、下から上に重なる。

 

 ――初めて知り合った時のことが、思い出された。

 

 間もなく、反対方向に手が重なる。

 

 ――聖蹄祭のことが、思い出された。

 

 そして最後に、お互いに手を掲げ――

 

 ――これまでにあった、様々な出来事が――思い出された。

 

 ハイタッチ。

 

「……」

「……」

 

 初めてにも関わらず、恙なく成功したゲン担ぎ。

 二人は、互いに微笑み合う。

 シュヴァルは、ぐっと、両の手を握った。

 

「……頑張ってね」

 

 そして、改めて言った。

 

「応援してる!」

「――うん!」

 

 フェアリィは、それに、力強く返事をし――

 身を翻し、ターフへと走っていく。

 シュヴァルは、その背中が、光の中に消えていくのを見届けると。

 自身もまた、そちらに背を向け、客席へと足を急がせた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 さて――それより少し後。

 

「まぁそういうわけだから、あんまり気を張らなくてもいいよ!」

 

 控室前の廊下に手、快活な声が響く。

 

「とうに占いを置き去りにするくらい強くなったんだから! 自分を信じて走ればいいよ!」

「うんそうね。ありがたいんだけど、もう少し声抑えてもらってもいい?」

 

 動きに合わせ、豊かに揺れる鹿毛。

 コパノリッキーのアドバイス(?)に、ソードクレインは久々の呆れ顔をしていた。

 アドバイスをくれるのはありがたいのだが――ここで大声で口にすることは、相手に塩を送ることになり兼ねないぞ、と。

 

「いやぁー、あははは。ごめんごめん。とうとう念願の舞台だって思うと、私もテンション上がっちゃってね~」

「まぁ……気持ちはわかるけどね」

 

 なんだかんだここまで、リッキーとも様々な時間を共有してきた。フェアリィの次に親友だと言って、過言ではないほどだ。

 思い返してみれば、出会いの印象は恐ろしげだったが――

 それも、滲み出た闘争心の為したことと思うと、今ではかわいく思える。

 

「感謝してるわよ、リッキーにも」

 

 想起して、クレインがまず抱く感情は、それだった。

 

「あなたがあの日、私と戦ってくれてなかったら……たぶん、ここまで来れてなかっただろうし」

「ん……そうかな? 私なんかいなくても、『くーちゃん』は突っ走ってたと思うけど」

「でも、あそこまで剥き出しの闘争心ぶつけてきたのなんて、後にも先にもあなただけだったわよ。……あとその呼び方やめてって何度も」

 

 けらけらと笑うリッキー。反省の色のない反応に、やはりフェアリィにあの呼び方を許可したのは早計だったか、と軽く後悔する。

 彼女から呼ばれることには構わないのだが――まさかそれが、他の人にまで伝搬するとは思ってもみなかった。

 

「今回のレースは、総武ステークスの時とはワケが違うよね」

 

 そんなクレインを傍らに、リッキーは言う。

 

「フェアリィちゃんが出走してはいるけど、その注目は見事にばらけてるっていうか」

「そうね。人気も全体的にばらけてるって聞いたわ」

「過去のマイルチャンピオンシップでも、あんまり例がないことらしいよ。お陰様で、誰が勝ってもおかしくない状態なんだとか」

「……年明け早々に、『あんなもん』見せられたら、そりゃね」

 

 レースの予想など誰にも出来ない事など、始めから承知の上。

 それに輪をかけて、今回のレースは過酷だということだ。

 だからこそ、誰であろうとも、台風の目となり得る。

『あの子』だけに、おいしい思いをさせてたまるか、と。

 

「やってやるわよ、絶対に」

 

 クレインは、握り拳を作って言った。

 

「私だって、準備してきたんだもの。ムダにしてたまるもんですか」

「短距離走者がマイルチャンピオンシップ優勝なんて、本当に珍事だからね~。情熱大陸出たら呼んでいいよ! 私のこと!」

「いや何年先の予約してんのよ……」

 

 またも軽く笑うリッキーに、クレインはかつてのフェアリィの面影を重ねる。それとももしかして意識してやってんだろうか、などと邪推した先で、その笑顔は、どこか重みのある意味深なものに変わった。

 

「……悔しいな。私も、もっと同じ舞台に立ちたかった」

 

 彼女は言う。

 

「でも、その人には、その人のやり方がある。私は私の道の、もっと先を目指すことにするよ」

 

 無理だと思われる挑戦も。

 無謀だと言われる夢も。

 全部――叶えて見せる、と。

 

「……だから、そっちは任せたよ、クレインちゃん」

 

 リッキーは、握り拳を掲げる。

 

「あなたなら、きっと出来る」

 

 本当に未来が見えているかのように、輝かしい光を目に宿して。

 

「――ぶちかましてやって!」

「……」

 

 それを受けたクレインもまた。自信にあふれた笑みを浮かべた。

 

「――えぇ!」

 

 それから、拳を掲げる。

 二人の握り拳の表面が、軽くかち合う。

 

 フェアリィがそうであったように――彼女もまた、そうして、応援する者の力を受け取った。

 

「それじゃ、行ってくるわ!」

「うん! 行ってらっしゃい!」

 

 そしてまた――同じように。

 溌溂とした声に、背を押されながら。ターフへと、駆け足で向かった。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「あぁ~、もぉ~! なんだかこっちが緊張して来たよ~!」

 

 トレセン学園、生徒会室。

 執務机にて言うのは、キタサンブラックだ。

 

「今からでも現地行こうかな? 急げばきっと間に合うよね!?」

「ふふっ、ダメだよキタちゃん。まだ先生から引き受けた書類仕事が残ってるんだから」

 

 彼女の嘆きに、傍に控えるサトノダイヤモンド(副会長)が答える。言葉通り、机上の書類は山となって積み重なっていた。放置して外出するなぞ、とてもではないが許されないであろう。

しかもそれらは、本来ならば無いはずのものであると来た。

 

「うぅ……安請け合いしなきゃかも……」

「まぁまぁ。それがあなたのいいところなんだからさ」

 

 同席しているサトノクラウンもそう言うが、それって体よく使い走らされてるだけなのでは……と邪推してしまうキタサンであった。

 

「でも実際、どうなるだろうね。今回のレース」

 

 ダイヤが言う。

 

「フェアリィちゃんに勝って欲しい気持ちはあるけど……そこはGⅠ。強豪も古豪も多い」

「私の分析だと、ゼロパーセントではないと思うけどね。それでも難しい戦いになりそうな感じ」

「ど、どうなんだろ。あたしの印象だと、割とあっさり勝っちゃうのかな、とか思ったりで……」

 

 三人の意見はバラバラ。それだけ可能性に溢れていることの証左だ。一方で、各々が口にはせずとも、叶えたい気持ちが共通していることは、何となく察していた。

 

「……着けちゃおっか、テレビ」

「そうだね。……このままだと、お仕事にも影響しそうだしね」

「だ、大丈夫! 飽くまでお仕事! お仕事のために観るんだから……!」

 

 そういうわけで、満場一致で、彼女らはテレビの電源を入れる。

 ……先代生徒会の、涙ぐましい努力により設置された、そのテレビの電源。

 幸いなことに、出走までは、もう少し時間があるようだった。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 他方――

 遠く離れた北海道の地、モンベツトレセン学園でも、食堂に集った生徒たちが、その時が来るのを待ち続けていた。

 

「あぁもぉ、なんで応援するのって、いっつもこんなに緊張すんだろうな……!!」

 

 決して大きいとは言えない、壁に掛けられたモニターの目の前。最前列に当たる席で、そわそわと落ち着きがないのはカモンシングだ。

 その忙しなさは、先のキタサンブラックに匹敵するほどであろう。

 放っておけば、そのままどこかへと走り出してしまいそうな様子だったが、こちらでも、そんな彼女を宥める存在はいる。

 

「走ってきていいか!? あたし、ちょっとひとっ走りしてきていいか!?」

「そんなことしてたら、レース終わっちまうぞ……」

 

 呆れながら、彼女を落ち着かせるロミオライト。

 

「いいのではないですか? スマホを使って同時中継しましょう」

 

 悪戯に煽ろうとするリバーマーヴェルに。

 

「うふふ~、そんなのも、ある意味乙だね~」

 

 ほんわかと笑うエクセレンスロー。

 長く苦楽を共にしてきた、フェアリィたちの親友たち。その注目の程は、現地から遠く離れていようとも、それほど変わらないほどのものとなっている。

 フェアリィでもクレインでも、どちらでもいい。いい結果を残せますように。願わくは、勝利を掴みますように――嫉妬も羨望も、蔑みも嘲りもない。ただ純粋に、ただ一心に、二人の健闘を祈っている。

 

「……フェアリィさんも、無事に仕上げられたみたいですね。身体の動きが、前ほど硬くありません」

 

 リバーは、画面に映されたフェアリィルナを見て、冷静に分析する。

 ここ最近――つまりは、転向後しばらくのそれは、彼女にとっての未知の戦場であるということもあり、傍目からも良く分かるほどに、ガチガチに緊張しているものだった。

 それが今や、ここが元から主戦場である、と言わんばかりの迷いのなさ。成長と変化に、リバーは親心のような誇らしさを感じる。

 

「油断すんなよ、勝負は最後までどうなるかわからねぇ」

 

 そんな浮つきかけた心を、ライトが更なる冷静さで押し留める。

 

「これが最後じゃねぇとはいえ、やたらに期待すると、敵わなかった時に痛い目見るぞ」

「ライトさんは心配性ですね」

「オレはただ、あらゆる可能性を考えてるだけだ」

「こういうお祭りくらい、何も考えずに楽しめばいいのに~」

 

 続けざまエクセに言われ、ライトは少し居心地悪そうにする。相変わらずのほほんと笑うエクセは、改めてモニターへと視線を向けた。

 

「ここまで来たら、やることをやるだけだよ」

 

 画面上に映る友人。

 ターフ上にて、周囲を見回しているフェアリィルナを見届けながら、言った。

 

「精一杯、応援しよう」

 

 そして、その一方――

 モンベツトレセン学園理事長も、レースの模様を、モニターにて確認していた。

 

「理事長――あぁ、」

 

 ノックと、それに対する控えめな返事。応じて入室した強面の男、理事長の側近である彼は、何事か彼女に報せることがあったようだが、モニターを見つめる姿を認めて、全てを悟ったようである。

 理事長は、それに浅めに頷いた。

 

「とうとう始まりますね……」

 

 彼女は、フェアリィたちに纏わるこれまでの時間を思い返す。我が校屈指の凸凹コンビ、これまでに起きた事件、出来事は多いが、素行が悪かったわけではない。

 むしろ、守るべき規範という観点で言えば、その範疇によく収まっていた方と言える。

 だからこそ理事長は、彼女らが、中央の生徒会にスカウトされて以降、気が気でなかったのである。

 自分の選択は――実際、浅はかに過ぎたものだったのではないか、と。

 

「……あの子たちの転校は、我が校の存在を広めるための大きな機会でしたし、実際、それで助かった点は、少なからずあります」

 

 だがその使命は。だがその期待は。

 うら若き少女が背負うには、あまりに重かったのではないか、と。

 

「時折考えてしまうのです」

 

 それを快諾したのが、何よりの現実であるとはいえ。

 

「もしかしたら、もっと別の可能性があったのではないか……と」

「……理事長」

 

 最適な答えに窮し、側近の彼は言葉に詰まる。

 無論、それが詮無きことだと、理事長もよくわかっていた――慰めてもらいたいわけではない。

 無かったことにしたいわけでもない。

 ただ――口にして、整理したかった。それだけだった。

 

「……だからこそ私は、決して目を逸らしませんよ」

 

 彼女は、誓いを立てるように言った。

 

「それが、今の私が果たすべき――『使命』なのですから」

 

 どんな苦しい結末があろうとも。

 どんな、悲しい最期があろうとも。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「……始まるっすね~」

 

 現地、京都競レース場すぐ傍の広場にて、ウインバリアシオンは、後頭部で手を組みながら言い、近くのベンチへと振り返る。

 そこには、これまで幾度となく見た荘厳な容貌、雄々しい長髪と凛々しい顔つきがある。

 

「本当にいいんすか? 中に入らなくて」

 

 遠くに聞こえる歓声を耳にしながら、シオンは問いかける。対して彼女――オルフェーヴルは、構わぬ、と薄く閉じていた瞼をゆっくり開いていた。

 

「此度のレース、主役は『彼奴ら』だ。無用に余が中に居ようものならば、不要な騒ぎを呼ぶことになろう。……余もそれは本意ではない」

「まぁ……そうっすね」

 

 同意しつつ、シオンはちらと少し離れた位置を見る。そこでは、名も知らぬ一般人が、爛々と煌めく目にて、こちらを見ているのがわかる。

 

「……賢明な判断と存じますわ。私も、そういった喧騒は、あまり好みませんの」

 

 同調するのは、そこに居合わせているもう一人。凛然と佇むジェンティルドンナだ。

 

「それに。ご本人を信じるのであれば、わざわざ間近で観る必要もございませんわ。……わかったら用意していただけます? そのためのスマホでしょう?」

「いや……まぁ、元よりそのつもりっすけど。あたし、あなた達の小間使いじゃないんすけどね……」

「とんでもない。そんな称号など、もったいなくて与えられませんわ」

「あたし普段どんだけ下に見られてんすか……!?」

「……」

 

 喧騒がどうの、と言いながら、やいのやいのと騒ぐ二人を傍らに、オルフェーヴルは宙を見上げる。空へと吸い込まれていく歓声の行く末を見つめるその瞳は、既にレースの結末を知っているかのようだった。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ――時間が迫る。

 

「――あ、シュヴァちー!」

 

 観客席にて、待ちわびた人影を見たヴィブロスは、手を振りながらそれに呼びかける。

 シュヴァルグランは、困ったように笑いながら、彼女らの元に辿り着いていた。

 

「もー、どこ行ってたの? もう始まっちゃうよ?」

「ごめん、ちょっと野暮用」

 

 返事もほどほどに、同行者たち――ヴィルシーナ、ヴィブロス、そしてスイープと合流し、彼女もまた、ターフに目を向ける。

 

 ――時間は迫る。

 

「――あ、リッキー」

 

 ホッコータルマエもまた、見当たらない友人の到来を見て、声を上げていた。

 

「どこ行ってたの? もうすぐ始まるよ?」

「ごめんごめん。ちょっと野暮用」

 

 彼女もまた、同じように返事をして。タルマエの他、ワンダーアキュート、そして西浦と合流し、レースの開始に備える。

 

 選手たちは――既に、入場を終えていた。後はスターティングゲートへ向かうだけだ。

 

「……」

 

 フェアリィルナにとって、経験のないほどの舞台だ。

 他の重賞の『添え物』として、こういった大勢の観客を目にすることはあったが、今回のそれは事情が違う。

 誰もがこのレースを。今回の大一番を。見るために、この場所へと集っている。

 

 ファンの想い。出走者の想い。それ以外の――ここに繋がる、全ての者たちの願い、祈り。その全てが――この場所へと集っている。

 ここへと、集結している。

 

「――フェアリィ」

 

 声の海に浸る彼女に、声を掛ける影が一つ。

 見慣れた艶のある黒髪が躍り、フェアリィは不敵に笑った。

 

 ソードクレイン。

 唯一無二の親友と、数メートルほどの距離を置いて相対する。

 止まぬ歓声の中、二人の間に、二人にしかわからない静寂が漂った。

 幾つもの思い出が、記憶が、走馬灯のように駆け抜ける。

 

「……、」

 

 ……遠慮はいらない。

 躊躇もいらない。

 心配も――ない。だから、そこで行おうと思うのは、いつものゲン担ぎではない。

 お互いに、お互いの健闘を祈りながらも――

 確信を持つのは、別の場所。

 

「……くーちゃん」

 

 フェアリィもまた、名を呼ぶ。

 自分の、自分たちの抱く思いが、大きく違っていないことを、それによって確認して。

 

「――」

 

 息を吸い。

 言った。

 

 

 

『――私が勝つ』

 

 

 

 一致した言葉。

 それを合図としたように、周囲の音が復帰する。

 それ以上は、もう何も要らない。

 

 二人、視線を切って。

 ゲートへと向かう。

 幾度も聞いたファンファーレに、背を押されながら。

 

 ――ゲートインを終える。

 フェアリィルナは……思い出していた。つい『昨日』、あったことを。

 それでもなお、自分の意志に揺らぎがないことを確認して、用意する。

 

 声が途切れ、静寂が訪れる。

 誰もが行く末を見守る、緊張の一瞬――

 

『スタートしました!』

 

 ゲートが開く。

 そして少女たちは――一斉に、前へと飛び出していた。

 

 

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