泥に塗れた私たちへ   作:Ray May

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砂を走れ我ら、ですっ!

 午後になって。

 モンベツレース場には、選ばれた11人のウマ娘が集まっていた。

 

 彼女らは、教官である強面の男性から、これから開催されるレースの説明を受けている。模擬にしろ公式にしろ、少なからずレースを経験しているはずの、選りすぐりのウマ娘たち。だが彼女らの挙動は、いつもよりも強張っているように見えた。

 その理由は、ガラス張りのスタンドより、普通ならそこにいないはずの存在が自分たちを見守っているからに他ならない。

 

 オルフェーヴル。

 今や国内外にその名を轟かせている、中央指折りの有名人。

 それに加えて、モンベツトレセン学園理事長の姿までもがあるともなれば、緊張するのは当然の話であった。

 そう──

 一部の、稀有な人材を除いては。

 

「……へー」

 

 ウインバリアシオンは、レース場のウマ娘たちがスターティングゲートに向かう様子を見守りながら、感心の声を上げる。

 

「思ってたより落ち着いてますね」

 

 オルフェーヴルは答えないが、それが誰のことを示しているかは分かっていた。艶のある黒髪に、桜を模した髪飾り。

 

「一人だけ抜きん出てるなーとは思ってたっすけど。期待出来そうっすね」

「……」

「どうやってあの落ち着きを保ってるんすかねぇ。羨ましいっすよ。タイミングあったら聞いてみましょうかね~」

「……」

「……えと。聞いてます?」

「レース前の様子なぞ、参考にならん」

 

 段々と気まずくなってきたシオンに、オルフェーヴルは答えた。

 

「結果だ。結果が伴わなくては、全て意味をなさぬ」

「まぁ……そうっすけどね」

 

 出走前には調子が良さそうだったのに、いざ出走するといまいちだった。そんな話はいくらでもある。ソードクレインへの期待は、双方同じくらいのものであるが、そこに潜む懸念もまた同質だった。

 

 ──『その期待に、応えられるのか?』。

 

「――おーい、『暴君』様ぁー!!」

 

 その時。くぐもった声が、彼女らの耳を控えめに叩いていた。

 いや――乱暴に叩こうとして失敗した、の方が正確か。

 

「ここでーす!! フェアリィは!! ここにいますよーっ!!」

「……あれは」

「フェアリィルナっすね……」

 

 視線の先――コース上で、フェアリィルナはぶんぶんと元気よく手を振っている。前述したが、彼女らの目の前には、内と外とを隔てる厚いガラスが張ってある。そうでなくとも、お互いに50mほどの距離があるはずだ。

 くぐもっているとはいえ、なぜ声が聞こえるのか。シオンには不思議でならなかった。

 

 そんな彼女の様子を、理事長もしっかりと目撃してしまっていた。呆れ、あるいは怒りを噛み潰すように、顔を手で覆う彼女の傍ら、シオンはそれに小さく手を振り返す。

 次の瞬間、フェアリィは、教官にボードで頭を思い切り叩かれていた。

 

「あははっ。いやー、ホントになんか、こう、型破りな子っすね」

「ガラス越しでも声が聞こえるとはな……」

「それだけとんでもない音量で喋ってたってことっすね。ほら、周りの子たちも、一人残らず耳捻じってますよ」

 

 シオンの言う通り、出走者たちは、誰もがその特徴的な耳を捻っていた。しかしその足取りは、明らかに先ほどよりも軽い。ガラス越しでも伝わっていた張りつめた空気は、彼女のために、すっかり弛緩したようである。

 

「……あとは、走りがどうなのか、っすね」

 

 シオンは、自分に言い聞かせるように言う。オルフェーヴルは、相変わらず毅然と沈黙を返した。

 

 一方、スターティングゲート付近──

 ソードクレインの、じとっと湿った目が、フェアリィルナの方へと向けられていた。

 

「あんたさぁ……TPOって言葉知らないの?」

「はい! 存じております!! 時と場合を考えなくてはなりませんねっ!! 何事も!!」

「さっきの自分の行動についてはどう?」

「!?」

「いや !? じゃなくて」

 

 コイツにその概念を期待する方が間違っているか、とクレインは息を吐く。しかしまぁ、周囲に悪くない変化を与えてはいるし、別にいいか、と結論する。

 

「……じゃ、いつも通りにね」

「はい!! いつも通りに!!」

 

 そしてお互い、向かい合って。

 クレインは、上から下へ。フェアリィは下から上へ。お互いの掌を打ち付ける。

 次いで逆方向に掌を打ち付け――

 最後に、ハイタッチ。

 

「にししっ」

「……」

 

 フェアリィルナは、太陽のような笑顔を浮かべ。

 ソードクレインは、月のような微笑を浮かべる。

 

 やがて二人は、周囲の流れに従い、スターティングゲートに収まった。

 全ての準備が整い、一瞬の静寂――

 

「――ッ」

 

 重厚な音と共に。

 ゲートは開き。レースは始まった。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ダートの1200m。

 モンベツレース場2コーナーポケットからスタートし、バックストレッチから3、4コーナーを経由し、ホームストレッチを走る。

 それが今回の模擬レースのコースだ。

 高低差はほとんどなく、コーナーのカーブも緩やかなため、差しや追込みも利きやすい。

 生憎と双方とも、ダートに関しては門外漢なため、断言は出来ないが――地力と発想、どちらも生きやすいコースだ、というのが、二人の一致した印象だった。

 

 分類としては、短距離。

 ウマ娘の走力をもってすれば、ものの一分ほどで決着が着く、まさに一瞬の勝負。

 実際、このモンベツレース場1200mのレコードタイムは僅か1分11秒であり。

 何を隠そう、そのレコード保持者が、

 

 ――ソードクレインだったね。

 

 知識を反芻しつつ、シオンはレースから目を離さない。それはオルフェーヴルも同様だ――無駄話も世間話も、しようと思う暇すらもない。

 何せ、時間は1分――ほんの少しの気の緩みが、変化を取りこぼす要因となる。二人とも硬直したように、その経過を見つめ続ける。

 ……その様子に理事長は、自然、気圧されていた。

 

 ソードクレインは、スタート直後より先頭に出る。

 彼女の得意戦術は『逃げ』――出遅れも無しで、順当な立ち上がりだ。

 全体のペースは速め。誰もが積極的に競り合い、少しでもいい結果を、と努力しているのがわかる。

 ただその中にあって、やはり、ソードクレインの存在感は大きかった。

 周囲に囚われることなく、己が道を走り続ける。

 他の出走者とは、隔絶した空気を纏っている。

 普通ではない――競争者としての本能が、オルフェーヴルに強く訴えかけている。

 

「……」

 

 一方で。

 彼女らにあれだけ揚々と呼びかけていたもう一人──フェアリィルナはというと、ソードクレインとは打って変わって、後方の最後尾を走っている。

 レースは既に4コーナーを過ぎ、最終直線。先頭は依然ソードクレインで、順当に一着といったところだが、フェアリィルナは、そのシーンになっても後方から抜け出せていない。

 ただ、特別落ちぶれているように見えるわけでもない。可もなく不可もなくといったところで、良いところも、悪いところも見つからない。どこにでもいる――『普通』のウマ娘。

 栄光の足元に横たわる、数多の『一般人』のうちの一人。

 ……人となりは面白いが、中央でやっていくには厳しいか――と。オルフェーヴルは、彼女のことは見限ろうとした。

 

 ――その時だった。

 

「――?」

 

 何かが、見えた。

 

「……?」

 

 彼女は思わず目を擦り。

 再度、フェアリィルナの姿を見た。

 見間違い――などではない。

 

「??」

「オルフェさん?」

「……いや」

 

 心配そうに呼びかけるシオンに応じつつ、オルフェーヴルは注視をやめない。

 なんだこれは?と彼女は、奇妙な感覚に、どこへともなく疑問を投げかけていた。

 

 フェアリィルナ。

 そう、その走りに、特別なものは感じない。

 どこにでもいるウマ娘。だからこそ、特別視することはないはずだというのに。

 それなのに――

 

 なぜか。彼女の目は、そこに見ていた。

 

 

 

 ――『ターフの演出家』の姿を。

 

 ――あるいは、『皇帝』の姿を。

 

 ――あるいは、『帝王』の姿を。

 

 ――あるいは、あるいは――遥か昔の、『誰か』の姿を。

 

 

 

 それらが──

 ぶれて、重なっていた。

 

 

 

「――1分12秒5」

「――!」

 

 ウインバリアシオンからの再びの声で、彼女は現実に引き戻されていた。

 

「レコードには届かなかったっすけど、十分好タイムっすね」

「……そうだな」

「……?」

 

 平静を装い、応じるものの。心の浮つきは隠し切れていない。シオンは不思議そうに、彼女の顔を覗き込む。

 

「大丈夫っすか?」

「……よい。大したことでは無い」

「もしかして……居眠りっすかっ?」

「おい。不敬であるぞ」

「あはは。……すんません」

 

 シオンとしては、割と本気で心配したつもりだし、出来ることならそのケアもしたい気持ちもあった。しかし自分では力不足か――と、その場は引き下がることにする。

 

「……理事長」

「! はい!」

 

 ともあれ、とオルフェーヴルは、他でもないモンベツトレセン学園理事長を呼んだ。弾かれたように顔を上げた彼女と目を合わせ、オルフェーヴルは続ける。

 

「此度のレース、見事であった。だが未熟な部分はまだまだ多い。……今後も研鑽に励め」

「は、はい! 光栄です!」

「それと」

 

 ちらとオルフェーヴルの視線が振られる。ガラス板の向こう側。コースでは、レースを終えたウマ娘たちが、思い思いに時を過ごしている。

 最中で、フェアリィルナが、出走前と同様に手を振っている。

 

「……会議室を用意せよ」

 

 それを見届けながら、彼女は言った。

 

「そしてそこへ――今から挙げる『二人』を、召喚せよ」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 その日の夕刻。

 フェアリィルナとソードクレインは、学園の小会議室前までやってきていた。

 

「……」

「……」

 

 ソードクレインは落ち着いており。

 フェアリィルナは落ち着いていない。

 そわそわと、今にもどこかへ飛び出してしまいそうな雰囲気である。

 

「……ねぇ」

「はいっ!!」

 

 クレインが話しかけると、彼女はいつもの超音量で返事をする。それは静謐な廊下に、木霊のように何度も反響した。

 

「……本当に呼ばれたの?」

「はい!! 確かに呼ばれましたっ!! 先生がしどろもどろだったのが、今でも印象に残っていますっ!!」

 

 気持ちはわかる、としながらも、クレインは、別に彼女を蔑視したいわけではない。ただただ驚いたのだ――まさか、自分だけでなく、彼女までもが『呼び出された』とは。

 

 時は今より数時間前。個人的にではあるものの、教諭からそういう話があった。

 放課後すぐ、小会議室に来るように――と。

 呼び出した主は、あの『暴君』。どういった用件なのか、など確認するまでもない。

 

 緊張を胸に小会議室へ向かおうとすると、『奇遇ですね! 私も呼ばれたんです!』とフェアリィのひと言。ぽかん、と衝撃の事実を噛み砕く猶予もなく、辿り着いて今現在、という感じだ。

 

 ……何故彼女が呼ばれたのだろうか。繰り返すが、クレインは決して、フェアリィを貶めたいわけではないが。

 先頭集団に入れてすらいなかったはずなのに、一体何があったのか――疑問に思わずにはいられなかった。

 

「一体何のご用事なのでしょうか……!! クレインさんへのお話の最中、お茶くみをしてほしいとか、そんな感じでしょうか……!!」

 

 んなわけないだろ、とクレインは心の中でツッコむ。もしそうだとしたら、性格悪すぎだ、とも。

 

「ご希望なら、クレインさんにもお茶くみしますからね! 遠慮なくお申し付けください!!」

「それはどうも。……まぁ入りましょうか。待たせる意味も無いし」

「はい!! そうですね!!」

 

 とはいえ、これだけ大声を出しているのだ。向こうも来たことを察知しているだろうな――と、クレインは、目の前の扉をノックする。

 すると中から、入れ、とあの威厳ある声が返ってきた。

 固唾を呑み、失礼します、と入室する。

 

「……」

 

 小会議室――

 いつもなら、教師陣がちょっとした会議をしているか、休憩をしているか、さもなくば説教部屋として利用しているその部屋は、クレインにもよく見慣れているものであるが。

 

 その時ばかりは、異界のように感じられた。

 

 四角を象るように配置された長机。その向かい側に、一人のウマ娘が座っている。

 

 ――『金色の暴君』、オルフェーヴル。

 

 その傍らには――もう一人。

 

 ――『深紅の名脇役』、ウインバリアシオン。

 

 現中央校生徒会長、並びに副会長の視線を受け。ソードクレインは、硬直していた。

 

「っ――」

 

 びり、と、痺れるような感覚。周囲の空間そのものが、自分を掌握したかのような錯覚。蛇に睨まれた蛙――という表現も生ぬるい。もはやそれは、龍と対峙した蠅に近い。

 

 呼吸も。

 指一本動かすことすらも。

 満足に出来ない――

 

「――ぁ」

 

 ――次元の違い、格の違い。

 それを肌で感じたソードクレインは。

 そのまま卒倒「ふおぉぉぉぉっ!!」

 

「『暴君』様ぁぁぁっ!!」

「……」

 

 ……することを。

 隣のフェアリィルナが、許さなかった。

 

 会議室中に、彼女の咆哮の如き絶叫が響き渡る。それにウインバリアシオンは身体を震わせ、オルフェーヴルは目を閉じ、若干ながら耳を捻じっていた。

 そんな彼女らの様子にも関わらず、フェアリィは続ける。

 

「まさかまたここでお会い出来るとは思っていませんでしたっ!! 早速お茶をお淹れいたしましょうっ!! あっ!! でもここ給湯室ありませんでしたっ!! クレインさん、ちょっとお茶点てにいっていいですか!?」

「落ち着いて」

 

 ……マシンガンのように言葉を並べ立て始める彼女を、クレインは肩に手を置くことで宥める。今や、つい先ほどまでの硬直など吹き飛んでいた。

 

「私たちが何をしにここに来たか、よく思い出してね」

「はいっ! お茶汲みに参りましたっ!」

「違うでしょうが。それはあんたの推測でしょうが。いい?

 ①私たちはただここに呼ばれてきた。

 ②用件はまだ。

 ③つまりお茶点ては早とちり。

 ここまでオーケイ?」

「オーケイです! じゃ、点てに行ってきますね!」

「オーケイ、何一つわかってないわね? もっかい説明するわね?」

「――あははっ」

 

 もうすっかりいつもの調子を取り戻した二人に、軽快に笑うのはシオンだ。クレインがはっと目を向けると、無邪気なまでに顔を綻ばせている彼女の姿がある。

 

「息ぴったりっすね、お二人とも」

「あ……えと。ごめんなさい」

「んーん。お陰でこっちも緊張が解れたっす。いやぁー……実は6期生徒会発足以来、初めての視察で」

 

 クレインは、その事実に目を丸くする。二人の佇まいからは、そんな様子は全く汲み取れなかったからだ。てっきり――もう、結構な場数を踏んでいるものと。

 

「扱いづらい子だったらどうしよっか……って思ってたところだったんすよ。ね、オルフェさん!」

「余を巻き込むな」

 

 オルフェーヴルは、依然として目を閉じている。居心地が悪い……というわけではなさそうだが、この時間が早く過ぎ去らないか、と無言で待っているようにも見えた。

 そこまで観察して、クレインは思い至る――あれ。

 なんだか、思っていたより、いい人たちそう……?

 

「ささ、立ち話もなんですから、座ってください!」

「あ……はい」

「はいっ! 失礼しますっ!!」

 

 促されて、二人はオルフェーヴルの真正面に座る。そこまで来てようやく、オルフェーヴルは閉じていた双眸を開いた。

 揺らがぬ瞳が、彼女らを真っ直ぐに捉える。

 

「それじゃ、まず自己紹介からっすね」

 

 話の音頭を取ったのは、ウインバリアシオンだった。

 

「トレセン学園中央校、第6期生徒会副会長、ウインバリアシオンっす。そしてこちらが……」

「……」

「えと、こちらが……?」

「……、会長のオルフェーヴルだ」

 

 詰め寄る、というより、懇願するように見つめるシオンに耐え切れなくなったか、オルフェーヴルは渋々と自己紹介をする。先にシオンは、クレインとフェアリィのことを息ぴったり、と評したが。

 人のこと言えないと思いますよ――そんなことを思いつつ、クレインも頭を下げた。

 

「……モンベツトレセン学園、中等部二年の、ソードクレインです」

「はい! 同じく! フェアリィルナです!! よろしくお願いしますっ!」

「あはっ。元気があってよろしい。よろしくっす」

 

 二人の自己紹介を受けて、それで、とシオンは話を区切った。

 

「二人とも、結構仲がいいんすか?」

「えっと……まぁ、仲は、いいですね」

「はい! 仲良くやらせてもらってます!」

「そっか。いや、変な意味はないっすよ。レース前にハイタッチしてたもんすから。仲がいいのかなーって思ってただけで」

 

 ばっちり見られているな、とクレインは少し恥ずかしくなる。それを見抜いたように、シオンは柔和に笑った。

 

「面白い関係性の二人だなって思ったんす。底抜けに明るいフェアリィさんと、クールで冷静なクレインさん。まるで太陽と月、熱湯と冷水、あとは……光と、闇? あっ、これは失礼っすかね……」

「……コインの表と裏」

 

 世間話を静観していたオルフェーヴルが、そこで反応していた。

 

「貴様らの関係性は、それに似ている。一心同体、一蓮托生……切っても切り離せぬ共同体。余にはそう映った」

「……そ」

 

 クレインは、その評に畏まりながらも答える。

 

「そう、ですかね……?」

「……、もう良いであろう、シオン。本題に入るぞ」

「あ――はい。そっすね。その通りっす」

 

 痺れを切らしたように、オルフェーヴルは言う。もう十分に空気が弛緩したのを感じたのだろう。シオンはそれに反論せず、一歩下がっていた。

 

「……さて。余がここに貴様らを召喚した時点で、何となく推測はついているであろうが……」

 

 オルフェーヴルは言った――それでも、『礼節』は守られねばならん。

 

「――貴様ら」

 

 ――中央に。

 興味はないか?

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 トレセン学園中央校。

 東京都は府中市に所在する、言わずと知れた名門校。

 全国各地、引いては世界各国から多様なウマ娘が集結し、各々の描く夢や理想のために、日夜切磋琢磨している。

 その桁違いの規模と整えられた環境、煌びやかなイメージから、憧れを抱き、進学を望むウマ娘は多いものの。

 

 ――一人のウマ娘が栄冠を掴む一方で。

 その足元に、累々と死屍の横たわる戦場でもある。

 

 トゥインクルシリーズ――

 中央校の生徒になるということは、そんな、日本競レース界最大の戦場に参戦する、ということと同義。

 

 ――どきり、とクレインは、自身の心臓が跳ね上がったのを感じた。

 

 中央に興味はないか。その言葉が、つまりは何を意味するものなのかに思い至らないほど、クレインも浅慮ではない。

 スカウト――これまで、想像するに留まっていたはずの単語が、急速に目の前に近付いた感覚。

 

「……」

 

 ――ただ。

 目の前にまで近付いたはずのそれを、手に取ろう、と考えた瞬間。ある一つのモノに後ろ髪を引かれる。

 そのままに視線は動き、果て、どこまでも透き通った、純朴な瞳を捉えていた。

 

「――ん?」

 

 フェアリィルナが、声と共に小首を傾げる。

 今の自分は、どんな顔をしているだろう。そんなことを思いながら、クレインはいや、と口にしかけたが、

 

「どうした、」

 

 場は、それすらも許しはしなかった。

 

「質問に答えよ。興味はあるのか。ないのか」

「……」

 

 ぴしゃりと言ったオルフェーヴルに、しかし、クレインは依然として言葉に詰まる。

 

 ――もちろん、それに応えること自体は簡単だった。

 自分の肚なんて、とうに決まっている――ある。興味があるに、決まっている。夢にまで見た中央の舞台。不安はあっても、憧れには代えられない。そこへの切符が目の前に差し出されているのであれば、それを取るのは、ウマ娘として当然のこと。

 それでもクレインは、その行動に素直に移れない。簡単な問いかけなのに、すぐに出てこない。全ては――隣の彼女のために。フェアリィルナのために。本当にそれでいいのか? 自分の中の冷静な部分が、悪魔、もしくは天使のように囁きかけていた。

 

 ――置いていっていいのか。

 彼女を、連れて行かなくていいのか。と。

 

「……」

 

 ――降り注ぐ雨、薄暗い校舎裏、佇む一人の少女――

 

 喉を締められているのではないかと思った。黙っていても、答えを代弁してくれる者などいない。何か言わなくては。何か返さなくては――そんな思いが先行するばかりで、行動には移せず、ただ、ただ、時間だけが過ぎていく。

 

 猶予があればいいのに。もう少し時間があればいいのに。縋るように考えるが、そんな風に迷う者に、資格も権利もないのだろう――そんなことさえも考えてしまう。

 だって、だって、仕方がないじゃないか。しょうがないじゃないか。私はこの子を。この子は、私無しじゃ――

 

「……っ、」

 

 明らかに様子のおかしいソードクレインを――

 オルフェーヴルは、怪訝そうに。ウインバリアシオンは、不安そうに。

 それぞれ見守っていた。――その中で。

 

「――クレインさん、」

 

 フェアリィルナは、いつになく穏やかな声色で言っていた。

 

「大丈夫ですよ、フェアリィのことは気にしないでください」

「……」

 

 つまるところ――

 彼女は、クレインの懸念を見抜いていた。

 

「一心同体。確かにそうかもしれませんけど、クレインさんの夢には代えられませんよ」

「……でも」

「というわけで!」

 

 がたん、とフェアリィは立ち上がる。表情は満面の笑み、続く体勢は敬礼、だった。

 

「うちのクレインさんを、どうぞよろしくお願いします! いい子ですので! 大事にしてやってください!」

「い……いや、フェアリィ。別に私、あんたの家族じゃあ……」

「そういうわけですので! 私はお茶を点てに行ってきます! お三方、積もる話もあるでしょうし!」

「点てるのまだ諦めてなかったの……」

 

 動揺している時ほど、どうでもいい部分が気になるものである。クレインはその事実に、軽く驚愕していた。

 

「んー、と」

 

 そこで、困ったように頬を掻くのは、ウインバリアシオンだ。

 

「とりあえず、座ってほしいっすかねぇ。まだお話は終わってないので」

 

 彼女は、今にも走り出しそうなフェアリィルナに言う。

 

「いえいえ! これ以上は、フェアリィはお邪魔ですので!」

 

 フェアリィはそれを元気よく拒み。

 

「いやいや。んとね。お邪魔とかじゃなくて……うーん。どう言ったらいいんすかねぇ」

「いえいえいえ! フェアリィがここに居ても、何の意味もないですから!」

「……困ったなぁ。こっちも時間を割いてるんすけど……」

「はい! 存じております! そのために私は今すぐ――」

 

 

 

 

 

「座れって」

 

 

 

 

 

「――……」

 

その低音は、獰猛な獣の唸り声に似ていた。

 クレインの身体を、入室した直後の感覚が襲う。

 さしものフェアリィも、それには口を噤んでいた。

 

 優しげだったシオンの瞳が、鋭いものになる。

 その裏には、怒気の炎の揺らめきを感じる。

 クレインの、膝の上に握った手の中に、嫌な感触の汗が滲んだ。

 

 ――あぁ。

 確かにこの人たちは、いい人たちだと思う。でも。

 

 ――いい()()の、

 人たちじゃ、ない――

 

「――下がれ、シオン」

 

 オルフェーヴルの言葉で、空気はやや緩さを取り戻す。

 ハッと気を取り直したシオンは、わたわたと手を振っていた。

 

「す――すみません! あたし、出過ぎたことを……!」

「よい。余が言葉足らずであった」

 

 オルフェーヴルは、片手を机に突き、その場に立ち上がる。優雅な所作に、流れるような長髪が雄々しく踊る。

 

「……そうだ。余は今日、貴様らをスカウトしに来た」

 

 そして――

 硬直している二人に、改めて、告げていた。

 

 ――そう。

 

「貴様らどちらか、ではない」

 

 貴様ら、

 二人ともを、だ――と。

 

「……」

「……」

 

 フェアリィとクレインは、顔を見合わせる。

 

「……」

「……」

 

それから一度、同時にオルフェーヴルへと視線を向け直し。

 

「……」

「……」

 

 更にもう一度。

 お互いに、顔を見合わせた。

 

「………………」

「………………」

 

 そうして、何を言われたか。何を告げられたのかを、ようやく理解し――

 

『――え』

 

 目を見開きながら。

 

『えぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!???』

 

 学園中に響き渡らんばかりの絶叫を、上げていた。

 

 

 

 

 

 

Uma-musume

泥に塗れた私たちへ

run into the mudness

 

起章

 

-move on-

 

 

 

 

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