泥に塗れた私たちへ   作:Ray May

42 / 44
何かをやり遂げた世界で

 命に別状はない、とのことだった。

 

「いやー、びっくりしましたよー。握手しよう、って思って、ちょっと一歩踏み込んだら、急にビキッってきたもんですから」

 

 最寄りの病院、その病室――

 ベッドにて、上半身を起こした状態のフェアリィは、丸椅子に座る高橋に、明るく笑いながら話す。

 

「痛いって聞いてたので、嫌だなー、怖いなー、って思ってたんですけど。想像以上でしたね。死ぬんじゃないかって思っちゃいましたよ、普通に。面目ないなぁ」

 

 反面、高橋は俯き、揃えた両膝の上に、寮の拳を握り締めている。

 一見ではわからないその表情は、その実これ以上ないほどに、暗い。

 

「くーちゃんも驚かせちゃって、申し訳ないですね! あとで謝りにいかないと……これ以上心配かけるわけにもいかないですから。あははー」

「……」

「……」

 

 一連の話を終えて、訪れる静寂。

 高橋はそれに耐え兼ね、顔を上げる。

 自分は今、どんな表情をしているのだろうか。

 確かめるまでもなかった――フェアリィが、困った笑みを浮かべたからだ。

 

「……なんて顔してんですか」

「――っ、だって……!」

 

 高橋が意気消沈するのも、無理はなかった。

 そう、フェアリィの命に別状はない。

 だが――選手生命となると、話は違ってくる。

 

 剥離骨折。

 ゆっくり休養することで治りはするが――現キャリアを考えると、完治した後の戦線復帰はかなり困難。

 本人の将来のためにも――

 ――引退するのが賢明だと、やんわりと伝えられた。

 

 医者の言い分はわかる。

 ウマ娘とは言え、彼女の将来は、レースだけに背負わせるには役不足だ。

 多くの可能性があるし、多くの希望がある。

 無理をさせて、歩行すら困難になったらどうする? それで、どれだけの希望が潰えると思う?

 身を引くことが得策だ――でも。

 

 でも、それでも――

 

「こんなのって……無いよっ……!!」

 

 理解はすれど。

 納得とは――別だった。

 

「あなたはまだっ……これからなのにっ……!!」

 

 せっかく、勝てたのに。

 せっかく、重賞バになれたのに。

 まだまだ、これから、挑戦したいレース、叶えたい夢。

 たくさん、たくさん、あったのに――……

 

「どうしてだよ……」

 

 どうして。

 どうして運命は、こうも、残酷なのか。

 

「どうしてだよっ……」

「……」

 

 ――あぁ、ダメだ。

 想いがこみ上げ、止まらなくなる。

 高橋は再び俯き、握った拳に涙を滴らせる。

 彼女の目からは、もはやフェアリィの顔は確認出来なかったが――

 

「……トレーナーさん」

 

 彼女の肩に手を添えると、これまでにないほどの優しい声色で、話しかけた。

 

「顔……上げてください」

 

 高橋は、ゆっくり顔を上げる。

 既に赤く染まり始めている瞳を見て、フェアリィは、母のような柔らかな笑みを浮かべた。

 

「……その。誤解を恐れず言いますけど。私……私は」

 

 これで、良かったんだって。

 そう、思ってるんです。

 

「へ……?」

「あ、えっと! これで良かったとかじゃなくて……私も! 私も悔しいです! こんな終わり方、したくなかったです。でも、でも……」

 

 自分の中で。

 越えられなかったものを越えられたと――思っているんです。

 

「……昨日のことなんですけど」

 

 彼女は話す。

 昨日――見たものを。

 

「私……夢を見たんです」

 

 それは――不思議な夢だった。

 

「その夢の中で……私は、四足歩行の変な動物になってて、

 こっちの世界みたいに、色んなレースを走ってたんです。

 

 いくつも、いくつもレースを走って……

 それでも、全然勝てなくて。惜しいところまでいくことはあっても、全然、1着になれなくて……

 

 結局、燻ったまま、怪我しちゃって……引退するんです。

 

 悲しかったけど、悔しかったけど……でも私の中には、ある程度の充実感はあって……

 それで私……気が付いたんです。

 

 あぁ、きっとこれが、

 私の、『別世界の記憶』なんだなって。

 

 トレーナーさんも知ってますよね。ウマ娘は、走ることが宿命。別世界の魂を受け継いで生まれてくる、不思議ないきもの。

 だから私も、この一戦……惨敗して終わっちゃうのかもな、なんて、ちょっと考えてたんです」

 

 でも、そうはならなかった。

 そうは、ならなかったのだ。

 

「私は勝てた。1着になれた。自分の脚が、とうにイカれてたのに――それに気が付かないくらい、夢中になれたんです」

「……」

 

 高橋は、涙を止められそうにない。

 ただ、フェアリィの瞼からもまた、感情が粒となって零れ落ち始めていた。

 彼女の願い、彼女の祈り。その全ての結晶。

 

「……トレーナーさん」

 

 彼女は、言う。

 

「私……何もかもが、ずっと、ずっと、嫌いだったんです」

 

 私のことを、ちゃんと見てくれない周りも。

 勝手に期待して、勝手に失望する家族も。

 それでも全然、助けてくれない、この世界も。

 

 みんな、

 みんな、

 嫌いだった。

 

「でも……それより、何より」

 

 本心なんて、知りっこないのに。

 勝手に決めつけて、勝手に幻滅して、勝手に、周りを嫌いになってる。

 

 自分が一番、嫌いだった。

 

「でも……でも、ね」

 

 でもね。

 

「トレーナーさんが、みんなが、

 親身に接して、支えてくれたから、

 私は、ここまで、来ることが出来ました。

 

 私、最初、本当に、不安で、いっぱいだった。

 上手く出来ないかもしれない、って思ったし、そのために、色々、無茶苦茶な振る舞いもしました。

 自分の勝手さのために、周りにたくさん、迷惑を掛けました。

 

 でも……私は、救ってもらえた。

 色んな人に、助けてもらえた。

 今日、こうして、最高峰のレースで、優勝させてもらえて……

 ……一番嫌いだった、自分のことさえ、受け入れることが、出来た。

 

 こんなに……こんなに嬉しいこと、他にない」

 

 だから。

 だからね。

 

「……だから、私、

 この場所に来られて、

 本当に、良かったって……

 そう……思うんです」

 

 それを通じて受け取った感情に――

 高橋は、ふと、かつてのことを思い出していた。

 

『――いいか、よく聞け『まゆ』』

 

「……ありがとうございます。トレーナーさん」

 

 フェアリィは言う。

 

『トレーナーってのはな、ウマ娘を『幸せ』にするのが務めだ』

 

「私……私、は……」

 

 震える声を、

嗚咽を、抑えないまま――

 

『――『あんな顔はな』、

 させちゃいけねぇんだ――』

 

――言った。

 

 

 

 

 

「――私は、

 とっても、

 幸せです……!」

 

 

 

 

 

「……」

 

 ……感情が溢れ出る。

 辛うじて抑えていたものが、何もかも、迸る。

 

 止まらない。

 涙が、止まらない。

 

 あぁ、そうだ。

 結果ばかりを追っていた。未来ばかりを見つめていた。

 手にした、確かに実感のあるものばかりを求めていた――でも。

 

 そればかりじゃなかった。

 手にしたもの、成し遂げたこと。それだけじゃなかった。

 自分は……あたしは……きっと、その、望み通りに。

 

 ……お父さん。

 観てる? 今も、どこかで。

 あたし、あたしね。ここまで、滅茶苦茶して来たけど。失敗もしたけど。間違いも、犯した、けど……

 

 

 

 ようやく。

 一人の子を。

 幸せに、出来たよ。

 

 

 

「っ……」

 

 混沌とした感情に押されて、再三、彼女は顔を俯かせる。

 

「……、もぉ~……」

 

 そんな彼女の肩を擦りながら、フェアリィもまた、言う。

 

「泣かないで、くださいよぉ……」

 

 自身もまた、その姿から、もらい泣きをしながら。……

 

 ……

 

 ……一方の、病室の外。

 

「……行くか」

 

 滲んできた涙を指で拭ったソードクレインに、庄野が声を掛ける。

 彼女の、はい、という同意を合図に、二人はそこから歩き始めた。

 

「本当にいいのか? 会わなくて」

 

 庄野の問いかけに、クレインは再度、はい、と答える。元々、こうして会いに来たのは、彼女の容態の確認――精神的な負担を軽くしてあげるためだった。が、見るにその心配は杞憂だった。

 自分たちの存在は邪魔になりそうだし――何より。

 

「あの子もトレーナーさんも、あぁいうところを見られるのは、好きじゃなさそうですから」

 

 自分だってそうだ。変に介入して、微妙な空気にするくらいなら――落ち着くまで、二人にしておいた方がいい。そう思う。

 

「そうか。……」

「……何か?」

 

 ただ、庄野は尚も、何かを言いたげだった。小首を傾げたクレインに、彼はいや、とひと言前置きして、

 

「単に、嬉しいだけだよ」

 

 恥ずかしそうに笑いながら、答えた。

 

「これで親父さんも報われるな……ってな」

「……あの人の父親って……」

 

 クレインは、ふと浮かんできた疑問を投げかける。

 

「どんな人だったんですか? 私、よく知らないんですけど」

「いや? 俺もよく知らねーよ。会ったことねーし」

 

 会ったことないのかよ、とクレインはずっこけそうになる。庄野は特段と、声色を変えることなく続ける。

 

「けど……ウマ娘の幸福を、第一に考える人だったって聞く。厳しいこともあったし、優しいこともあった。数多いるトレーナーの一人だったとしても――少なくとも、高橋にとっての、偉大な先人だったわけだな」

 

 大した奴だ。

 

「大した奴だよ。あいつは」

「……それを言うなら」

 

 称賛に、クレインは付け加える。その言葉には、おおむね同意だけれど。

 

「あいつ『ら』、でしょう?」

 

 クレインは続ける。

 

「……本当に一時は、どうなるかと思ってました。昔みたいな関係に戻れないかも、って思ったし、このまま退学しちゃうのかも、とも思いました」

 

 だがそうならなかった。

 自分との戦いに、彼女は見事に打ち勝った。

 そして――自分たちの、望む未来を掴み取った。

 

「……大丈夫ですよ、もう」

 

 ――自分も変わった。

 これまでの出来事を通して、自分の意志、想い、歪だった部分――それら全てを、見つめ直すことが出来た。

 これから先、私たちの命は続く。想像だにしない苦難や苦悩が、いくつも立ちはだかることだろう。……けれど。

 

「私たちは、もう……大丈夫です」

 

 ……私たちが。

 暗闇の路頭に迷うことは……

 きっともう、無いだろう。

 そう思う。

 

「……そうかい」

 

 その考えは、庄野もまた同じだった。

 最初に会った時とは、大きく成長した両者。

 どんな困難も、きっと乗り越えられるだろう、と感じる。

 

「――あ!」

 

 同意の先――

 病院のロビーに到達した時。

 快活な声と共に、彼女らの元へ駆け寄ってくる影が一つ。

 

「くーちゃーんっ!」

「え――ヴィブロスさん?」

 

 クレインは、驚きをもってその名を呼ぶが、人影はそれだけではない。

 

「ちょっとヴィブロス、病院で騒いだらダメだって……!」

 

 その背後を、慌てて追走してくるシュヴァルグラン。

 

「そうよ。あんまり騒ぐと、締め出されるわよ?」

 

 優雅に歩くヴィルシーナに。

 

「ったく。だから留守番させた方がいいって言ったのに」

 

 隣にはスイープトウショウ。

 

「あはは。まぁ気持ちはわからないでもないけどね~」

「いやいや。マナーはちゃんと守らないと……」

「そうだねぇ。叩き出されちゃあ、元も子もないからねぇ」

「……」

 

 更には、コパノリッキーに、ホッコータルマエに、ワンダーアキュート、西浦までも。

 総勢8人、相当な大所帯を前にして、クレインは困惑を隠せなかった。

 

「え、えと……皆さん、どうしてここに……」

 

 口調に迷ったクレインは、ひとまず敬語にて対応する。真っ先に応じたのは、ヴィルシーナだった。

 

「お見舞いのためですわ。あれだけの騒ぎだったんですもの。『友人』として、容態を確認するのは当然ではなくて?」

「あ、あぁ~……そりゃもう……」

 

 しかし大丈夫なのだろうか、とクレインは考える。あの雰囲気、あの状況。あんまり大勢で訪問したら、色々と台無しになるのでは……

 

「難しいこと考えてんじゃねーよ」

 

 そんな彼女を、庄野は軽く小突いた。

 

「行ってこいよ」

「え、でも……」

「お前、そういう頑固なとこは変わってないよな。いいから行ってこい。話もひと段落してるだろうしな。俺は――」

 

 ちらと、彼女らの表情を確認して。

 

「……この辺で待っとく。終わったら連絡してくれ」

「……」

 

 クレインは、その一言で全てを察する。

 正論で留めようとする自分の本能を、無言で説き伏せた。

 

「……じゃあ」

「やったー! じゃ、受付してくるねっ!」

「だ、だからそんな騒いだらダメだって……!」

「おう。頑張れよー」

 

 そうして、再度騒ぎ始める集団を見つめながら、庄野は続けて言う。

 

「……やっぱり、多少うるさくても、鬱陶しくても、友人は持つべきだよな。あんたもそう思うだろ?」

「……」

「……はは。問うべくもねーか」

 

 隣に立つ西浦は無言だが、庄野はわかり切ったように自答する。無事受付を終え、廊下の方へと歩いていく少女たち。

 

「……、」

 

 自分たちからすれば、まだまだ年端も行かない『ガキ』だが。

 その向かう先は――きっと。

 

「……美しい友情、だな」

 

 

 

 

きっと。

光に、満ち溢れている。

 

 

 

 

 

Uma-musume

泥に塗れた私たちへ

run into the mudness

 

結章

 

-fin-

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。