早起きは三文の徳。
言わずと知れた、朝早く起きれば、何かしら僅かばかりの利益があるという意のことわざである。
三文は、現代換算でだいたい¥100ほど。
それだけもらうくらいなら寝てた方がマシ、というのは、親交のある友人の言だったが。
朝の活動を早めに済ませるに越したことはない。時間にゆとりを持つのは大切なことだからだ――
ソードクレインは、常日頃そう考えて動いている。
「……」
尤もその日、彼女が早くに起床したのは偶然であった。前日、いつもよりも早めに就寝したからだろうか。
自然に浮かび上がった意識に引っ張られるまま起き上がると、時刻は朝の六時と少し前。
寮全体の点灯時間が五時であることを考えると、それなりの早さだ。
もぞもぞと布団から出ようとする。
さすがにフェアリィは起きていないだろうな、とベッドに腰かける形になり、彼女のベッドの方を見つめるが。
「……」
「……!」
目が合っていた。
フェアリィルナもまた、上半身を起こした状態で、そこにいた。
「おはようございますっ! お早いですね……!!」
またそこで砲声のような声を上げられたらまずいと思ったクレインだったが、そんな彼女の懸念には及ばず、フェアリィは調整した声量で彼女に言う。
胸を撫で下ろしながら、クレインは応じた。
「まぁ、昨日早めに寝たからね。なんか、目が覚めちゃった」
ベッドから立ち上がり、とりあえず支給されたジャージに着替える。私服もあるにはあるが、寮内でそのような服になろうという勇気は、さすがにまだなかった。
「あれ、お出かけですか?」
「朝の支度よ。水回りは戦場になるって言ってたでしょ」
「あ、そうでした……!!」
それは昨日、フジキセキが、案内がてら教えてくれたことだった。
寮の水回りは共用。朝の時間帯は戦場になるから、覚悟した方がいいと。
今日、こうして早起き出来たのは僥倖だった。さすがに今、既に戦場と化していることは無いだろう。
「ちょっと待ってください……!! 私も行きますっ」
思い至ったフェアリィも、いそいそと準備をする。そうして二人、そろりと部屋から出て、目的地へ向かう。
想像通り、廊下は煌々と電灯が照っている。だが生徒の姿は見られず、多少なりとも聞こえていた物音も、話し声もそこにはなかった。鬱陶しいほどに差し込んでいたはずの太陽光も、そこにはない。
朝の貴重な静謐を感じながら、二人は歩き続け、やがて目的地である水回り――洗面所へと辿り着いた。
時間が時間だ。さすがにそこには誰もいない――
「……!」
そう思っていたからだ。
ソードクレインが、目を丸くしていたのは。
そこには人影があった。ただ一つだけ。
栗毛のお団子ヘアのその人物──ウマ娘は、ちょうど片耳に耳カバーを着けたところだった。
「あ!!」
クレインは、思わず入室を躊躇ったが――
フェアリィはというと、声を上げ、ぱたぱたと中へと踏み入っていた。一方の相手は、びくりと身体を震わせて、こちらに驚愕の目を向けている。
「リッキーさん!! おはようございますっ!!」
「っくりしたぁ……」
コパノリッキーは、昨日ぶり、何なら数時間ぶりに見た姿を、驚きをもって迎える。そしてクレインもまた、フェアリィの背後に続きながらも、驚きを隠せなかった。
まさか。もう知り合いが出来たのか、と。
「お早いですねっ!! 人がいるとは思ってませんでしたっ!!」
「あはは。そりゃこっちの台詞。結構早起きなんだね」
「……」
自分を差し置いて話すフェアリィに、クレインはもやもやとした気持ちになる。そこには、色んな意味で先を越された、という、無邪気で年相応な対抗心があった。
「いえいえ!! たまたま早く起きただけで……あ!! こちら親友のクレインさんです!! 一緒に転入してきましたっ!!」
「……えと。はじめまして」
が、グイっと腕を引っ張られたことで、そんな思いも吹き飛ばされる。クレインは気を取り直し、頭を下げていた。
「ソードクレインです。その……ご迷惑かけてませんか。うちの相方が」
「うん。まぁ、今のところはね」
怖い言い方だな、とクレインは恐々とする。出来ればこのまま、穏便な関係性を築きたいな、と。
「でも意外だな。フェアリィちゃんが元気っ子だから、お友だちもそんな感じなのかなって思ってたけど」
「専ら振り回される側ですよ、私も……」
ちらりとフェアリィの方を見るクレイン。彼女は珍しく効率を考えたのか、一足先に身支度を始めている。
「……お陰で、退屈はしませんけどね」
「ふーん、そっか」
リッキーはそこで言葉を切る。一度、その視線はフェアリィの方へ。その後もう一度、クレインの方へ。
「……ね。きみたち、『どっち』なの?」
「え……どっち?」
「芝か
「あ……砂です」
「はい!! フェアリィも砂ですよ!!」
しっかり聞いてんだな、とクレインは少しばかり驚く。リッキーはその返答に、そっか、と短く反応した。
「じゃ――いつか『やり合う』かもね。砂の世界は狭いし」
「え――」
クレインが目を丸くすると同時――
リッキーは、ずい、と踏み込み、彼女の顔を覗き込むようにしていた。
自然、両者は目と鼻の先にまで近づき――
深紅の双眸に、クレインの困惑の表情が映り込む。
「……」
「……」
――リッキーの表情に、悪意はない。
無垢なまでに澄んだ瞳が、クレインを捉え続けるばかりだ。
だが当のクレインはというと、正しく捕らえられたかのように、その状態から指一本も動かせず――
無意識に、呼吸すらも細くなっていた。
「……
明朗な彼女の声が、妙に黒く、暗く響く。
「きみは……どんな走りをするのかなぁ……」
「……ぁ」
か細い声しか出すことが出来ない。
クレインは、それ以上はろくに反応も出来ず。
静謐な空間に、フェアリィによる微細な物音だけが、しばし響き続けた。
「――、」
くすり、とリッキーは笑っていた。
「なーんてね、
「……へ」
「それより二人とも。これからまだ時間ある?」
一転、明るく言った彼女に、混乱するクレインに代わり――はい、とフェアリィが元気よく答えていた。
ぐりんっ、とその首が勢いよく回る。そんな動きして大丈夫か、とクレインは他人事のように思う。
「一応、特に何かする予定は無いですっ! 登校するまでは!」
「そっかそっか。服装も何の因果か、ジャージだし……ちょうどいいね!」
会話に置いてきぼりにされているクレインが、愉快に映ったのだろう。彼女は再び、闊達に笑った。
「ちょっと、付き合ってくれない?」
しばらく後、三人の姿は、グラウンドのダートコースにあった。
朝日もまだ十分に顔を出していない。薄暗く、冷え切った冬の空気に、等間隔の乾いた足音が溶けていく。
「いやぁー、やっぱり相方がいるといいね~!」
そこに、コパノリッキーの明朗な声が響いた。相反して、しゅんと彼女は肩を落とす。
「タルマエもアキュートさんも付き合い悪くてさ~。いっつも私の貸し切りなんだ~」
「そ、そうなんですね……」
当たり障りのない返事をするしかないクレイン。ただ状況が、そうならざるを得ないほど奇異というわけではない。ただ単に――ダートコースを軽く走っているだけ。
しかし、どうせ早起きしたのだから、と深く考えずに身支度を始めた結果、まさか先輩――尤も、学年上は同学年だが――と走ることになるとは夢にも思っておらず――呆然とした返事は、ただ現実の変化に着いていけていない。それだけの話だった。
「おぉ! タルマエさんにアキュートさん!?」
比すると、フェアリィの反応は、クレインのそれを補って余りあるものだった。きらきらと、その目が分かりやすく輝く。
「かの有名な、『北の英傑』と『砂浴び仙人』ですか!?」
「そうそう! あ、二人とも地元北海道だっけ。タルマエのことは結構知ってるんじゃない?」
「そりゃもう! うちでも英傑って呼ばれて有名なんですから!」
「あははっ。今度タルマエに教えておくね!」
フェアリィの発言は、誇張でも何でもない。ホッコータルマエ、北海道は苫小牧が輩出した、名ウマ娘。
苫小牧から50kmほどしか離れていないモンベツでは、その名を知らない生徒などいない。キャリアは三年目であるものの――かつてモンベツに突如として遠征し、圧巻の走りを見せた『砂の逃亡者』と並び、早くも『双璧』との呼び声高い。
いつか自分も、彼女のようにと。最近では、その雄姿を目標に努力する生徒も増えてきた。――地元の友達は、びっくりするだろうか?
そんなタルマエさんに近しい生徒と会った、なんてなったら……
「あれっ、ってことはもしかして、タルマエさんはまだ現役……!?」
「うん。バリバリ現役だよ。今度のJBCクラシックに出るんだったかな」
「ふおぉぉぉぉっ!! ってことは、校内で会うこともあるってことですね!?」
「会うどころか、同じレース走るかもしれないよー?」
分かりやすく興奮するフェアリィ。しかしそれは、飽くまで可能性の話。自分たちが、彼女と同じレベルにまで至れるかは、まだまだわからない。喜ぶのは、早い。
「俄然やる気出てきましたっ!! フェアリィも、同じ舞台に立てるように頑張りますっ!」
「ははは。その意気だ。……けどまー、ウマ娘はみんなそうだけど、今おっきな大会の直前でピリピリしてるから。こう……心にクること言われても、気にしないでね?」
リッキーは、そこで少し表情に翳りを見せた。こうして忠告するということは、自分がそういう目に遭ったのかもしれない、とクレインは思った。
「クレインちゃんはどう?」
「へ?」
「さっきからずっと黙ってるけど……」
「……いえ」
リッキーの言う通りであった。クレインは最初に返事をしたきり、思索に耽るばかりである。
自分の代わりにフェアリィが話してくれるから、というのもあったが――会話に介入し辛いから、というのもあった。
「集中してました。ごめんなさい」
「そかそか。いや、謝ることないよ。もしかして、楽しくないのかなーって」
「いえ! そんなことは……!」
「あははっ。うんうん。大丈夫だよ。ちゃんと伝わってるから」
リッキーは、邪気一つ感じられない笑顔で応じてくれる。依然として申し訳なさそうな顔をしているクレインのことを案じてか否か、よし、と一声上げると、
「それじゃ、もう一周行っとこー!」
「はーい! 行きましょー!」
「……時間大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫! ちょっと遅刻するくらいじゃ怒られないから!」
「遅刻前提じゃないですか……」
一応自分たち、登校初日なのだが。そんなクレインの小さなため息は、しかし二人に届くことはなかった。
モンベツトレセン学園に、転校生は滅多に来ない。
学園全体の歴史で見ても、片手で足りるくらいの人数だろう。
だから、転校生というのは稀有な存在であり、ひとたび訪れれば、クラス中の注目の的となっていた。
クレインは、これで大きな舞台をいくつかこなしてきた身だ。
試合後のインタビューだって、最近では板についてきた。
あちらにおける転校生のように、いかに注目の的になろうが、今更人前で話すことなど問題にならない、と思っていた。
が、それでも、いざ閉じられた教室への扉を目の当たりにすると、胸はそんなことはない、とばかりに、忙しなく高鳴っていた。
「……」
中からは、くぐもった担任の声が聞こえてくる。それが彼女の情緒をよりかき乱す。いっそここから逃げ出してしまおうか、などという小心な考えすらも浮かんでくる。
そんな中でも――
「……、……!!」
隣のフェアリィルナは、いつも通りそわそわと目を輝かせている。今回ばかりは、彼女のその様子が少し羨ましくなってしまった。そのダイヤモンド性の心臓。少しでも分けてくれないか、と思いつつ――
――頼むからもう少し落ち着いてくれないか、とも同時に思っていた。
「――!」
何にしても――
そのような、永遠に続くかのように思われた時間も、目の前の扉が開かれたことによって終わりを告げる。
顔を出した担任の女性は――クレインが、緊張のし過ぎで憂鬱にすらなりかけているのを見抜いたのだろう。抱擁するように、柔らかく微笑んでいた。
「――さ、どうぞ中に」
促されるまま――
二人は、教室内へと踏み入る。
当然のことだが――教室中の注目は、彼女ら二人に集まる。
じっ――と、好奇心溢れる瞳で、誰もが、二人を見つめている。
クレインの中の、綻びかけた緊張が、再び張りつめ始める。
「それでは、自己紹介を」
「はいっ!! 私――あっ、私からでいいですかクレインさんっ!!」
「……もう言っちゃったんだから勝手にしなさいよ」
が、フェアリィのあまりに前のめりな言動で、再びその糸は緩んでいた。
同時、生徒の方から、何か吹き出したような声が聞こえてくる。気のせいだ、とクレインは自分に言い聞かせた。
「はい!! わかりましたっ!! はじめまして!! モンベツトレセン学園から転校してきましたっ!! フェアリィルナと申しますっ!!」
彼女の自己紹介は、至って普通だった。
「こちらはソードクレインさんと言って、私の同級生です!! よろしくお願いしますねっ!」
「いや……なんで私の紹介までしちゃうのよ。あんたの自己紹介でしょ?」
「はっ!! そうでしたっ!! すみません!!」
しかしそれは、飽くまで触りだけだった。
盛大に脱線した自己紹介に、また別の生徒が吹き出す音が聞こえる。やはり気のせいだと、クレインは自身に言い聞かせる。
「そういうわけで!! フェアリィルナです!! えーっと、よろしくお願いしますっ!! ではクレインさん!!」
「……ソードクレインです。まぁ、この相方は見ての通り五月蝿いですけれど。悪い子じゃないので、邪険にしないでやってください。よろしくお願いします」
「!? どうして私の紹介してるんですかクレインさん!?」
「あんたが私の紹介しちゃうからでしょうが」
「は!! そうでした!!」
フェアリィの自己紹介が、結局ひと言で終わったり。クレインも彼女の紹介をしてしまったり。
困惑するフェアリィに冷静なツッコミが飛んだり――
そのような光景が繰り広げられることを予想していなかった生徒たちは、口々に『グフッ』だの、『ブフッ』だのと反応を見せる。
中には咳払いで誤魔化す生徒もいたが、隠し切れていなかった。
その中でも――とりわけ。
(漫才してるっ……転校初日にっ……漫才してるっ……!!)
サトノダイヤモンドは、口元を覆いながら俯き、肩を震わせており。
(なーんかまたアクの強いのが来たわねぇ……)
スイープトウショウは、頬杖を突きながら呆れ顔を浮かべている。
(うぅ……すごい明るい人だな……)
シュヴァルグランは、自身の帽子を目深に被り直し。
「……」
キタサンブラックは、不思議そうに――特に、フェアリィルナのことを見つめていた。
「それじゃ、フェアリィルナさんはシュヴァルちゃんの隣、ソードクレインさんはキタサンの隣ね。二人とも、わからないことがあったら教えてあげてね」
「は、はいぃっ!!」
「あ、はい」
担任からの言葉で、二人は、それぞれにベクトルの違う頓狂な声を上げていた。
「わぁー!! 可愛らしい帽子ですね!! よろしくお願いしますっ!!」
「ど、どうも……」
ともあれ、フェアリィルナはシュヴァルグランの隣へ。
「よろしくお願いします」
「うん。よろしくね」
ソードクレインは、キタサンブラックの隣へと落ち着いた。
担任からのちょっとした連絡事項を最後に、HRは終わる。
転校生の紹介が入った分、合間の休憩時間は短くなったが――それでも、新顔の周りには、即座に人だかりが出来ていた。
中央校は、入れ替わりが激しい方だ。こうして転校生がやって来ることも、年に数度あることもある。
それでもそこは中等部二年、絶対的にそのイベントを経験する数が少ない分――年相応の好奇心からの、純粋な行動が現れるのは当然と言えた。
「……」
スイープトウショウは、そんな人だかりを遠巻きに見る。
内気なシュヴァルグランがそこに巻き込まれてしまったのは気の毒なほかないな、と同情する一方――
キタサンブラックが、絶妙に巻き込まれない距離からそれを見守っていることに気が付くと、彼女の元へと近づいていた。
「意外ね、」
皮肉ではない。
明るいクラスの委員長、という肩書の似合いそうな彼女が、そんな風に生徒たちを見守っていることが、スイープトウショウには実際に意外に思えたのだ。
「アンタなら、真っ先に話し掛けに行くって思ってたけど」
「あー、うん。そのつもりだったんだけど」
キタサンブラックは、意識の外から話し掛けられたかのように、どこか気まずそうに答えた。
「なんかこう……変な感じがするっていうか。スイープちゃんは思わない?」
「いや、そんなこと言われてもさ……具体的には?」
「……似てる気がするんだよね」
スイープトウショウの問いかけに、キタサンブラックは答えた。
「テイオーさんに」
「まぁ、確かに見た目はちょっと似てるけど」
主に髪色、主に髪型。なるほど遠目に見れば、かのトウカイテイオーと見間違えることもありそうだが。そんな風に不審に思うほど、似ているとも思わなかった。
「そこまで変じゃないと思うけど?」
「そっか。まぁ、そうなのかな。うーん……」
それでもキタサンブラックは納得し切れないようで、腕を組み、唸る。しかしそのような振る舞いをされても、スイープトウショウには共感し切れなかった。
「……なんか、不思議な子だね」
が、その感想に関しては、ベクトルが違うとは言え、一致していた。だから彼女はそれに、そうね、と短く返していた。
そんな不思議な違和感も、昼には吹き飛んでいたようである。
「二人とも!! お昼一緒に行こう!!」
キタサンブラックは、意気揚々とフェアリィとクレインをお昼に誘う。あらかじめ口裏を合わせていたサトノダイヤモンドのほか、気になるからという理由でスイープトウショウ、そして近くの席ということでシュヴァルグランも強制連行され、総勢六人、それなりの大所帯で食堂を訪れた。
フェアリィルナは、こちらに来て何度目かの歓喜の声を上げる。モンベツでも食事はビュッフェ形式ではあったが、こちらでのそれは、質も、量も、そして食堂の広さも、何もかもが段違いだった。一方のクレインはというと、いい加減この類の衝撃にも慣れ始めていた。
目新しさが一切なくなるのは、まだ当分先のこと。それくらいに受け流し始めるのが普通なのである。底抜けに毎回はしゃぎ回れる、フェアリィルナのような人種の方が、実際稀有なのである。
「モンベツって北海道だよね。またすっごいところから来たね!」
各々、思い思いの料理を取って席に落ち着くと、話の口火を切ったのはキタサンブラックだった。フェアリィはそれに相変わらず元気よく答える。
「はい!! ですが電車でひとっ飛びでした!! 寝て起きたら着いてたので、あんまり苦しくなかったです!!」
「え……わざわざ電車で来たの? なんで?」
「……まぁ、色々あって」
スイープトウショウの尤もな疑問に、クレインは端的に答える。さすがに、まだ仲も深まり切っていない同級生に、『相方の面倒見れる気がしなかったから』などとは言えなかった。
「懐かしいなぁ。お父様に一度だけ連れてってもらったっけ。あの時は夏場で……意外と暑くって……」
サトノダイヤモンドは懐かしがり。
「へ~! 北海道の夏って暑いんだ! ずーっと寒いって思ってた!」
キタサンブラックは驚きの声を上げる。
「でも、夏日が数日あるくらいですよ。平均気温は低めなので、過ごしやすい方だと思います」
ソードクレインが補足し。
「アンタ、氷上釣りによく行くんでしょ。北海道とか詳しいんじゃないの?」
「い、いやいや。行くけどさ。そんなとこまでは行かないよさすがに……」
スイープトウショウの無茶振りに、シュヴァルグランが慌てて否定した。
そんな風に、話は膨らんでいく。ひとしきりそうして談笑した末に、話題は各々の目標についてへと変わっていた。
「それで、二人の目標って何なの?」
キタサンブラックは、まるで自慢するかのように爛漫と言う。
「あたしはね、テイオーさんみたいな、すっごいウマ娘になることなんだ!」
「おぉ!! 奇遇ですね!! フェアリィも同じ感じなんです! 実は!!」
「あ、やっぱりそうなんだ!」
「? やっぱりですか?」
キタサンブラックの言葉に続いたフェアリィだったが、そのような反応は意外だったのだろう。不思議そうに小首を傾げていた。
「うぅん。さっき見た時から、なんかテイオーさんに似てるなーって思ってたから。もしかしてテイオーさん目指してるのかも? って。あはは。まさか当たるとは思ってなかったけど」
「そうでしたか!! まぁこの見た目は……生まれつきなので! 特に意識してとかじゃないんですけど!!」
「そうなんだ! なんだかそれなら、運命みたいなもの、感じちゃうね!」
「それはなかなか! 恐れ多いですね~!!」
「……アンタはどうなの? 結構現実的に見えるけど」
「……まぁ、真面目な話をするなら」
スイープトウショウの問いかけに、クレインは、兼ねてより考えていた目標を脳裏に思い浮かべる。その道の者なら、言わずと知れた目標。
「JBCスプリントが、一応の目標になるのかなって」
「あれ、もしかして二人とも、ダート専門なの?」
サトノダイヤモンドの言葉に、クレインは頷きをもって返す。集った四人の同級生は、意外そうな顔をした。
スイープトウショウが口を開く。
「ダートっていうと……今だとタルマエさんと、アキュートさんに、リッキーさんってとこかしら。距離はどうなの?」
「私は短距離で、フェアリィはマイルです。確か……そうよね?」
「はいっ、フェアリィはマイル向きって話にはなってます!!」
「なんかふわっとした言い方だね」
「あー……あははっ。まだまだ手探りなもので……!」
「じゃ、まだデビューしてから日が浅いんだ」
「……いやぁー」
『?』
キタサンブラックの質問に、フェアリィは気まずそうな顔をする。初めての面々にとっては、珍しい反応。だが付き合いの長いクレインには、その反応の起因するところを知っていた。
四人の不思議そうな視線が痛い。
果たして『それ』を簡単に言うべきかどうか、しばし逡巡する。
ここは『中央』、全国選りすぐりの人材の集う場所だ。そんな場所で、『こんなこと』をあっけらかんと言ったりしたら――
――笑われるだろうか? そう思ってしまった。
「実はですね、」
そんなクレインの懸念も知らず。フェアリィは口を開いていた。
「私……もう二年目なんですよね~」
「――え!? そうなの!?」
「……え。ちょっと待ちなさいよ」
声を上げるキタサンの一方、スイープは怪訝そうな目で続く。
「その言い方だと、『アンタだけ』二年目って聞こえるけど」
「……キャリアだと、私は後輩です」
ここまで来たら、もはや迷う方がムダか。観念したように考え、クレインは答えた。
「私は一年目。フェアリィは二年目です」
『――……』
同級生四人たちは、宣言された事実に、思わず絶句する。
彼女らとて――何も、その事実が珍しいわけではない。
輝かしい舞台の裏に、過酷な実態の広がる中央では、一見同輩に見える二人組が、実はキャリア的には先輩後輩、の関係であったなんてことは、むしろ有り触れていることだからだ。
それでも彼女らが驚愕したのは――二人の、転校の過程にあった。
何せ彼女らは、『普通に』転校したわけではない。
あの『会長』から――スカウトされて転校してきたのだ。
ソードクレインは、既に目標を決めているばかりか、実は中央でトレーニングを着けてくれるトレーナーへの引継ぎも終わっており、今日の放課後に顔合わせをする予定である。
だがフェアリィルナは。
トレーナーやレース云々以前に、適性がどこなのか、という話にすら至れていない。
『会長』からの、直々のスカウトにもよらず、である。
そんな内実は、彼女らにとっては、あまりにも想定外なものだった。
「……えっとさ」
スイープトウショウは、平静を保ちながら訊ねる。
「アンタ、スカウトされてこっちに来たって言ってたわよね。……本当なの?」
「ちょ、ちょっとスイープちゃん……!」
「はいっ、本当です! 確かにこの耳で聞きました!」
その言い方は角が立つのでは――とキタサンブラックは焦るも、フェアリィは変わらぬ調子で答えていた。
「最初は私の早とちりで、危うく怒らせてしまうところでしたが! 聞き間違いでも何でもなかったです!」
実際は割と本気で怒ってたと思うけど、主に副会長が。とクレインは思ったが、黙っておくことにした。
「なんか……にわかには信じがたいわね」
「ま、まぁまぁ。世界は広いし、そういう子の一人や二人、いてもおかしくないんじゃないかなぁ……?」
「んー、だったらあれかな。とんでもなく凄い戦績だから、会長さんが興味を持ったとか?」
サトノダイヤモンドの推測を、しかしフェアリィは、いいえ、と否定していた。
「フェアリィは最弱ですので……実際、驚いてるんですよね。こうしてスカウト受けたってことが……にしし」
「……参考までに聞いていいかしら」
「はい! 142戦6勝(自己申告)ですっ!!」
『――!?!?』
「あ、でも先月の模擬レース含めてないので、143戦6勝ですね正確には!!」
『……』
四人は、顔を見合わせる。
今目の当たりにしている現実の理解に努める。
誰一人として言葉を発さなかったが、その視線を介して、共有された思いは一つだった。
――なんだこいつは?
それは排斥とか、蔑視とかではなく。純粋な疑問からくる感想だった。
四人は、彼女の得体の知れなさに、恐怖すら抱き始めていた。
――レースの結果が振るわない。
それは、ウマ娘のメンタルを侵す、最も単純、そして最も多い毒だ。
当然だ。彼女らの絶対と言っていい舞台は、レース。
その舞台で、満足な結果を得られなければ、誰だって精神的に不安定になる。
にも関わらず。
絶句に値するほどの、凄まじい戦績を積み重ねているにも、関わらず。
フェアリィルナは、まるで当然のことのように、けろっと振舞っている。
それがあまりに不整合で、不釣り合いで――
不可解。言語化するならば、それだった。
「……トレーナーは?」
しばし続いた無言を破ったのは、スイープだった。
「向こうからの引継ぎとかは、終わってるの?」
「あぁー……実はそれも、上手くいかなかったみたいで。ここで改めて見つけるとこからなんですよねぇ……」
「おっけ。じゃあ、アンタはまず選抜レースに出るところから、ってことね」
彼女は早くも場に適応しつつあった。いや、麻痺、というべきなのか。どちらにせよ、冷静に、その事実とかのレースの日程とを照らし合わせていた。
ならばこの時期に来たのは――ある意味運が良かったな、と。
「? どういう意味でしょうか?」
言葉の通りよ、とスイープは言った。
「――選抜レース。今週末だから」