泥に塗れた私たちへ   作:Ray May

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無能と無能、ですっ!

 憂鬱であった。

 その日彼女は、たまらなく憂鬱であった。

 

『だぁーから、何遍言ったらわかるんだお前はぁ!!』

「へーへー、どーもすみませんでしたぁー」

 

 携帯電話の電話口からは、食い殺さんばかりの男の怒号が轟く。

 対して、それを受けている女性の方はというと、心底不愉快そうに顔を顰めながら、見るからに面倒臭そうな声色で応じる。

 それが、火に油を注ぐ結果となってしまったのだろう。男の声は更に苛烈な熱を帯びていた。

 

『あぁ!? オメー生活費工面してやってる兄になんだその態度はぁ!!』

「うっさいなもう! わかってますぅー!! わかってます自分に才能がないってことぐらいー!! こちとらその範囲で頑張ってるだろうが褒めろよ!!」

 

 白熱する口論は、トレセン学園、トレーナー寮の一室にて。

 声量は、防音室でなければ丸聞こえであろうほどのものだったが、女性の頭の中からは、近所迷惑という概念がすっかり家出してしまっていた。

 

『だから俺は反対したんだよ!』

 

 だがそんな彼女の状態など意に介さず、電話の向こうの男性は続ける。

 

『お袋の言うことだから仕方なく従ったけどな、こっちにだって生活があんだよ! お前の夢のために掛けられる金も無限じゃねぇんだぞ!? わかってんのか!』

「……」

『そもそも借りた金はゴォーッって約束だったのに、お前去年からゴォーッ今まで許してやってきたけど今日こそはゴオォォォーッ――ドライヤー吹きかけんじゃねぇ!! 耳ぶっ壊す気かぁ!!』

 

 通話口にドライヤーの温風を吹き当てる。

 そのような所業は、ついでに自身の携帯電話への負担に繋がる。女性は男の言葉に従い、ドライヤーの電源を切ると、ため息交じりに言った。

 

「……来月。来月まで待って」

『オメーそう言ってもう半年だぞ』

「今日! これから選抜レースがあるから! そこで絶対――」

『絶対担当見つけるから、だろ? もう何十回聞いたかなぁ』

「……」

 

 女性は押し黙る。男は彼女に、畳み掛けるように言う。

 

『お前ももう20過ぎてんだぞ。いい加減夢見る少女は卒業すべきじゃねーか?』

 

 それらは彼女にとって、胸を刺し貫く針の雨だった。

 

『30にもなりゃ、転職も難しくなるんだ。もっと冷静に、今後のことを考えるべきだろ?』

 

 耳に胼胝が出来るくらいに、聞かされてきた言葉だった。

 

『父さんだって本当は――』

 

 その先を、拝聴したいなどとは思わなかった。

 通話を切り、携帯電話を放り投げる。

 床に着地したそれは痛々しい音を立てるも、彼女がその事実に真剣な意識を向けようとは思わなかった。

 

 ……トレーナーの門戸は狭い。

 何年も、何度も資格試験に挑戦し続け、ようやく合格した頃にはもう三十路、などという話もザラだ。

 大学卒業と同時に資格試験に合格できた彼女は、相応に能力があるということである。

 だが資格試験への合格など、狭い門戸の割にスタートラインでしかない。

 

 そこから生活していくには、さらなる努力を積まなくてはならない。

 トレーナーの持つ能力と担当の着きやすさは、必ずしも相関しないのである。

 ようやく資格を取得したのに、ろくに担当を持てないまま、トレーナー人生を終えてしまうという話も、また多い。

 

 ――父は、腕利きのトレーナーであった。

 

 国中を震撼させるほどではなかったが、それでも担当したウマ娘のほとんどが重賞入賞を経験し、笑顔で彼の元から巣立っていった。

 そんな父の下で生まれ育った自分なのだから、足元くらいには及べるはず。そういう風に考えたこともあった。

 ……今ではそのような楽観は、見る影もなく無くなってしまっている。もはや彼女は、どうして自分がトレーナーなどという職業を志したのかも、わからなくなりかけていた。

 

 だが世界は甘くはないし、時間も待ってはくれない。ふと目を向けた壁掛け時計は、無情に彼女に時を告げている――行かなくては。そそくさと準備を整え、トレーナー寮から出る。

 高い賃料を半分ほど『兄』に工面してもらってまで入寮しているのは、彼女の情熱の表れでもある。しかしそれは今や、火種にもならない炭と化して、彼女の胸の奥底に沈殿している。

 噎せ返るほどの息苦しさは、果たして気のせいだろうか。

 

 グラウンドの観客席は、既に多くの人で犇めいている。

 休日ということもあり、そこにはちらほらウマ娘の姿もあった。

 中には、テレビ画面越しに何度か観た顔ぶれもあり、炭化した情熱が黒い靄となり、胸中を漂い始める。

 それを振り払うように、彼女は視線を振った。

 

 辞めよう。自分から憂鬱な気分になるのは。

 

 ただでさえ陰鬱な気持ちだというのに、それを更に濃くする理由はない。ベンチに腰掛け、目の前でこれから繰り広げられるであろうレースに集中することにした。

 最初に執り行われるレースは――ダートレース、であった。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ウマ娘が、レースをはじめとする実力披露の場を通さずに専属契約を結ぶ例は稀だ。

 事前に周到な根回しを済ませるか、その名が既に轟いているか、そうでなければとんでもない幸運に恵まれるかしなければならない。

 大抵はこうして選抜レースに出走し、トレーナーに実力のほどを見定めてもらうものなのである。

 それでいて、選抜レースは年に四度しか実施されない。

 そのどれもにおいても、トレーナーと巡り合うことの出来なかったウマ娘は、また次の年の選抜レースを待たなければならなくなる。

 

 故に、誰もが真剣に臨む。

 故に、誰もが手を抜かずに挑む。

 故に、誰もが、緊張した面持ちで、そこに集う――

 

「――ふおぉぉぉっ、いよいよです、いよいよですよ皆さんっ!」

 

 そう。

 そんな風に浮かれられる生徒など――ごくごく一部に限った話だ。

 

「初めての中央でのレース……!! 皆さん闘志と活気に満ち溢れていますよっ! 一体どんな走りをするんでしょうかねっ!!」

「うん。わかったから。わかったから落ち着きなさい」

 

 その一部に該当する彼女――

 フェアリィルナは、観客席の目の前にて。柵に手を掛けた状態で、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。

 観客として訪れているソードクレインは、それをいつも通りに宥めていた。

 事情を知らない観客たちが、一様に奇異の目を向けているのが気配で分かる。それは極めて正常な反応と言えた。

 

「……はぁ。まるで大型犬ね」

 

 そして居合わせた『クラスメイト』たちもまた、呆れ返った反応をしていた。

 

「一体どんな生活したら、そんなに肝が据わるのよ」

 

 と、スイープトウショウ。

 

「ま、まぁ。緊張しすぎるよりはいいと思うけどね……」

 

 と、キタサンブラック。

 

「緊張しなさ過ぎも問題じゃないかな……」

 

 と、サトノダイヤモンド。

 

「が、頑張ってねっ」

 

 と、シュヴァルグラン。

 

 無論、こうして『友達』になれた間柄。彼女の健闘を祈りはするが。そのあまりに軽薄な振る舞いに、そこに『不安』のエッセンスが混じってしまうのは当然だった。

 が、いくら彼女らが不安であったところで、時は来る。やがてレースを担当する教官が、出走者たちに集合を掛けた。

 弾かれたように振り向いたフェアリィは、彼女らに振り向き直すと、いつも通りに敬礼をしていた。

 

「では皆さまっ! 行ってまいりますっ!」

 

 見送られながら、フェアリィは教官の元へと走っていく。その足取りは軽かったが、集った五人の心配は、濃くなる一方だった。

 

 ……時を同じくして、オルフェーヴルもそこを訪れていた。

 観客席は既に満席に近く、だいぶ後に訪れることになった自分は、土手から見下ろすしかない。

 しかし彼女は、元より前の方で観覧するつもりはなかった。焦らず、出走の時が来るのを待つ。

 

「――でも、珍しいっすね」

 

 そんな彼女に、隣に立つ別のウマ娘が話しかけていた。人目を引く、赤色に近い鹿毛。

 

「オルフェさんが、下級生に興味を持つなんて」

「……奴をスカウトしたのは余だ」

 

 ウインバリアシオンの問いかけに、オルフェーヴルは、相変わらず尊大な声で答えた。

 

「無様な負け方をされれば、余も恥をかくことになる」

「……だから、せめてもの応援に、ってことっすよね。ははは。やっぱオルフェさんは優しいっすね~」

「……」

 

 ぎろり、と視線をシオンに向けるオルフェーヴル。しまった――と彼女が思った時には、もう遅い。

 むにん、とその頬が、オルフェーヴルの両手によって引っ掴まれていた。

 

「……どうした。今のように生意気な口を叩いてみよ。こんなにも良く伸びる口なのだ。それくらい訳ないであろ?」

「ひゅ――ひゅいまへんっ、ひゅいまへんはなひれふらはい~!!」

 

 シオンの舌っ足らずな懇願を、オルフェーヴルは渋々呑んでやる。シオンは両頬を擦りつつ、改めてグラウンドに目を向けた。

 

「……いい相棒が、見つかるといいっすけどね」

 

 彼女の言葉に、オルフェーヴルはもはや答えない。希望的観測を口にすることは、彼女の嫌うところであった。

 

 同刻――また別の場所では。

 

「――よかったー! 間に合ったみたい!」

 

 コパノリッキーの、溌溂とした声が上がっていた。

 

「久々に時計見て血の気が引いたよ~!」

「もう、だから起きれなくなるよってあれだけ言ったのに」

 

 呆れ声はその傍。白色が基調の帽子に、黒に近い鹿毛の三つ編み。

 

「ホントありがとね、モーニングコールしてくれて! タルマエと友だちで良かったよ!!」

「こんなことで実感持って欲しくないけど……」

 

 手を合わされるも、ホッコータルマエの気持ちは微妙だった。嬉しくはあるが――もっと別のシーンで、それを実感してほしいところだった。

 

「――ほっほ、寝る子は育つからねぇ。リッキーちゃんは、きっとそれはいいウマ娘になるよぉ~」

 

 そんな彼女に、のんびりと言う人影がもうひとつ。

 

「もう~、アキュートさんもまだまだ若いでしょ! そんなガチのおばあちゃんみたいに~」

「いやいや~。あたしはもう歳だよぉ~、リッキーちゃんの若さには、敵わんよ~」

「現役最長勢がよく言いますよ……」

 

 あなただってまだまだバリバリに走っているだろう、とタルマエは思わず考える。ワンダーアキュートは、亜麻色のクセっ毛を微細に揺らしながら、穏やかに笑うに留まっていた。

 

「……それで、リッキーの言ってた子ってどれ?」

 

 ともあれ、とタルマエはリッキーに訊ねる。彼女はあれだよ、と指差して答えた。

 

「あの、鹿毛のポニーテールの子。メンバーの中でずーっとそわそわしてる」

「フェアリィルナちゃん……だよね。確かになんか、そそっかしいね」

「ほほっ、元気があるのはいいことだよぉ」

 

 しかし、元気があれば勝てるわけでもない。闘志ややる気が溢れすぎるのは、その選手の『掛かり』に繋がりかねない。

 ひとたび掛かってしまえば、望んでいない『疾走』――を超えた、『爆走』にまで繋がってしまう恐れがある。相応のスタミナがあればいいが――

 と、タルマエの脳裏には、かつて『爆逃げ娘』とまで呼ばれた、青色の髪が浮かんでいた。

 

「リッキーちゃんが気になる、って言うくらいだからねぇ。きっとすっごい走りを見せてくれるんだろうねぇ」

「あはは。お話した感じだと、悪い子じゃなさそうだったけどね」

「……ま、それももうすぐわかるよ」

 

 話す二人に、タルマエは言った。

 

「そろそろ、始まるみたいだよ」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 実際、その通りだった。

 レースは、タルマエが指差した後、数秒足らずで、始まっていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 選抜レースは、トレーナーと契約していないウマ娘の出走するレース。

 公式のレースと比較すると、その内容が未熟になるのは必然である。

 かといって、熱量までもが負けているわけではない。

 何せ年に四度しかないチャンス、誰もが死に物狂いになるのも、また必然だ。

 実力は及ばなくとも――及ばないなりに、誰もが全力を尽くす。

 

 今回のレースのレベルは――どちらかといえば普通のものだ。

 突出した選手がいるわけではない。

 進行も安定していて、危険もない。

 多くのウマ娘が、先頭争いを繰り広げる中――

 後団は、着いて行くのがやっとの風情。

 

 そして、フェアリィルナは――

 その後団の、更に後方。

 言ってしまえば――最後尾を走っていた。

 

 単純に地力が無いようにも見えるし。

 前方をブロックされていて、前に出られないようにも見える。

 苦しそうにも見えるし。手を抜いているようにも見える。

 いかようにも解釈出来そうな彼女のその走りは、一言で片づけるなら――

 

『普通』、だった。

 

 詰めかけた観客はエールを送り、トレーナーは食い入るように見つめている。

 オルフェーヴルの眉は厳しく顰められており、ウインバリアシオンも心苦しそうに眉を寄せている。

 

「……まずいっすね」

 

 シオンのその言葉に、オルフェーヴルは答えない。

 この選抜レースはマイル。時間にすれば、2分足らずで終わってしまう。正しく刹那の距離(ジャンル)だ。

 故に、一度後れを取ってしまえば、それを取り返すのは難しくなる。

 

「……まずいね」

 

 タルマエが復唱するように言ったのは、単なる偶然でしかなかった。

 リッキーは「うん」、とも「うぅん」、とも取れる、曖昧な返事をする。

 アキュートは無言のまま、柔らかな瞳で、その行く末を見守る。

 

 そして――フェアリィの五人の同級生たちも、また。

 難しそうな顔で、そのレースを見つめていた。

 

 レースは、程なく終盤戦――

 先頭争いは更に激化し、後団もこれまで以上に必死になる。

 一歩でも先へ、半歩でも前へ――フェアリィルナは、まるでその熱に押されてしまったように。

 とうとう、後団からすらも、引き離される形になってしまった。

 そこから、都合のいい奇跡が起きるはずもなく。

 

 結局フェアリィは、順位をろくに上げることも出来ないまま。

 そのレースを終えてしまった。

 

 レースの終了が周囲に告げられ、コースと客席との往来が自由になる。

 生徒たちは、主に出走者に労いの声を掛け。

 トレーナーたちは、目をつけた出走者へコンタクトを取り始める。

 選抜レース終了後の、お決まりの流れだ。しかしトレーナーが声を掛けるのは、当然だが、彼らに将来を有望視された、限られた出走者だけ。

 そうでない出走者――とりわけ後団の出走者たちは、最後まで希望を捨てずに居残るか、さっさと退散してしまうかを迫られることになる。

 ――フェアリィに関しても、それは例外ではなく。

 

 集団から少し離れた位置で、

 ぽつんと立ち尽くすばかりだった。

 

「……」

 

 彼女も彼女で、バツの悪さを感じているのか。

 客席に背を向けているために、ソードクレインからの角度では、表情は窺い知れない。

 ただ、いつもの我武者羅な元気さなど、かけらも感じられないその後ろ姿が、妙に痛々しく感じられてしまって――

 

「――っ、」

 

 クレインは、息を吸っていた。

 

「フェアリィ!」

 

 名を呼ぶと、フェアリィはそちらへと振り返る。

 その目は赤く腫れあがっている――ということもなく、いつもと変わらぬ様子に見える。

 何を考えていたのか、何を思っていたのか。わからないが、もうそんな姿からは、一秒でも早く目を逸らしたかった。

 

「こっち!」

 

 手招きするクレインに導かれるまま、フェアリィは客席の目の前まで移動してくる。

 そこに来て初めて、彼女は困ったように表情を緩めていた。

 

「――いやはや。惨敗ですね~……これでも頑張ったんですけど」

 

 後頭部を掻きながら言う彼女に、クレインは何を言えばいいのか、一瞬わからなくなる。それでも、無言は彼女の首を絞めるだけだ――そう思って、とにかく、思ったままに、思ったことを口にする。

 

「……大丈夫。まだ1回目だから」

 

 大丈夫。一体何を根拠に。

 自分の中の冷静な部分が、冷えたナイフのように語り掛けていた。

 

「それにほら、調整の時間もろくになかったし! また練習すれば、きっといい結果が出るわ! そしたらきっと……!」

「――もしかして」

 

 それを堰き止めるように、フェアリィは言った。

 

「慰めてくれてます?」

「――っ」

 

 本心を見抜かれ。

 クレインは、思わず言葉を切ってしまう。

 沈黙のしじまに、周囲の喧騒が取り付き。

 居合わせた6人は、縛られたように黙り込んでしまう。

 

「――はははっ」

 

 しかし、フェアリィはというと。

 その末に、軽快に笑っていた。

 

「大丈夫ですよ、フェアリィは落ち込んでませんから!」

 

 そして、胸を軽く叩き、言うのである。

 

「それもこれも、全部予想していたことです! 何にも悔しくなんかありません! ……なんてったってフェアリィは、」

 

 フェアリィは、

 最弱ですから――

 

「――にししっ」

「……」

 

 眩しいまでの笑顔が、今日ばかりは痛々しく映る。

 同時に、彼女を慰めきれない自分に、不甲斐なくなる。

 クレインは、その2つの後ろめたさに板挟みになり、暗い気持ちになり、俯き――

 ――それでも、と。せめて気の利いた言葉をかけてあげよう、と再び顔を上げた。

 

 

 

「――なんでそんなへらへらしてんの?」

 

 

 

 そこに。

 鋭い声が、割り込んできていた。

 

「え?」

「え? じゃないわよ」

 

 フェアリィが目を向けた先――スイープトウショウは、いかにも不快そうに、眉を顰めている。

 その傍、キタサンブラックが、困惑の目を彼女に向けている。

 

「あんた、負けたのよ? それも最下位で! 泣くのが当たり前、悔しがるのが当たり前! なのに最弱だから? 悔しくない? 何言ってんの? 真剣に走った子に、悪いとか思わないわけ!?」

「ちょ、ちょっとスイープちゃん……!」

 

 キタサンは、一時は様子見に徹していた。触れたら火傷する、と言わんばかりに。しかしスイープの怒りの炎は、そんな彼女の気持ちもいざ知らず、たちまちに燃え上がり始めた。

 キタサンはそれを見て、彼女の肩に触れる形で、慌てて無理矢理に介入を試みる。

 

「っ!」

 

 しかしスイープは、それすらも乱暴に跳ね除けると、改めてフェアリィと目を合わせ。

 

「……あんた観てると、イライラする」

 

 吐き捨てるようにそう言っていた。

 

 スイープは踵を返し、勇み足でその場から立ち去る。それをしばし見送ったキタサンは、フェアリィたちの方に向き直り、精一杯の笑顔を浮かべた。

 フェアリィの浮かべたものとは、また別種の――痛々しく、眩しい笑顔。

 

「い、いや。違うんだよ? スイープちゃんはその、ちょっと気が立ってただけで! 別にあなたを嫌ったわけじゃ……!」

 

 が、そんな取り繕いも、すぐに無意味だと悟ったのだろう。気まずそうに笑顔を曇らせると、片頬を指で掻いて、

 

「――ごめん。あたしも行くね」

 

 ともかく、スイープのメンタルケアも重要だと考え、そそくさと場を後にする。それにサトノダイヤモンドが続き、浅めに一礼したシュヴァルグランも続いた。

 

 喧騒の中に。

 二人だけが、取り残されることになる。

 

「……」

「……」

 

 クレインの胸中には、ぐるぐると気持ちの悪い感覚が巡っていた。放っておけば、叫んでしまいたくなるほどの。

 もっと何か出来たのでは。もっと、どうにか出来たのでは。そんな、どうしようもないもしもが、自分を試すかのようだ。

 思えば、感覚が麻痺していたのかもしれない。あまりに自分は、彼女と過ごした時間が長すぎた――そのせいもあって、発言の内容が、何も知らない第三者にどんな風に捉えられるのか。深く吟味出来ていなかった。

 

 ――誰もが、真剣に鎬を削る中央。

 そこであんな発言をすれば――反感を買うのは、当然だった。

 

「……ふぇ、」

 

 思考の海から脱して、クレインは口を開く。

 

「フェアリィ、」

 

 辛うじて、フェアリィの名を呼ぶと。

 彼女は、いつになく朴訥とした目をクレインへと向けて。

 

「……、」

 

 今にも消えてしまいそうな、儚げな微笑みを浮かべた。

 

 

 

「――あのっ!!」

 

 

 

 ――刹那だった。

 二人に、何者かが呼びかけていたのは。

 

 同時に振り返る。そこには、いかにも人混みを掻き分けてきました……と言わんばかりに、両膝に手を突いて、息を整えている女性がいる。

 

 長い黒髪。

 黒縁眼鏡。

 灰色のスーツ。

 

 どこからどう見ても――普通の人間。かっちりとした服装を着て、この場に居得る人のことを、二人はよく知っていた。

 

「……、フェ、フェアリィルナさん、ですよね」

 

 息を整え終えた彼女は、顔を上げて、フェアリィの方を見る。

 思わず、クレインと顔を見合わせるフェアリィ。気を取り直して、とばかりに、にかっと笑った。

 

「そうですけど!」

「その。まだ、トレーナーさんと契約とか、してないですよね」

「……お恥ずかしいながら。最下位でしたので……お声は掛からずで……」

「――?」

 

 ――ちょっと待て、とクレインは思った。

 なぜいきなり、契約の話を持ち出す。

 それ以上に、今この場は、スカウトをするための時間。トレーナーが取る行動は限られてくる。

 見るからにトレーナー、学園関係者、それがこうして目の前に来て、契約の話を持ち出す、ということは……それはつまり――

 

 と。

 クレインの胸は、人知れず高鳴っていた。

 

「……あの、それでしたら、その……」

 

 女性は、どこか恥ずかしそうながら。

 そんなクレインの期待に応えるように、フェアリィに、言い放っていた。

 

 

 

「――私と、

 契約してくれませんか!?」

 

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