「一昨日は、悪かったわ……」
朝のHRが始まるまでの、僅かばかりの自由時間。フェアリィルナの元に歩み寄ってきたスイープトウショウは、気まずそうに言っていた。
「……」
対するフェアリィは、思考が停止したように、呆然とスイープの表情を見つめると、
「……はい?」
小首を傾げながら、そう答えていた。
ざわざわと、周囲のざわめきが大きくなったように感じる。スイープは、ぎょっとした目で、それに食いつくように反応した。
「は、はい? じゃないわよっ!」
まさか――当人からそんな反応をされるとは、夢にも思っていなかったのである。
「そ、その! 一昨日、アンタにこう……ち、ちょっと、辛く当たっちゃったでしょ! だからその、その。謝罪、を……!」
「あ……あー! そんなこともありましたね!」
「そ、そんなこともありましたねぇ!?」
一応、スイープは謝罪に来た方である。怒るのはお門違いだが、そんな素っ頓狂な反応に、顔を真っ赤にせざるを得なかった。
「あ、アンタねぇ! アタシが、それでどれだけ悩んだと思って……!!」
「あー、ほらほら。スイープちゃん。抑えて抑えて」
それ以上は墓穴を掘るだけだよ――と、割り込むのはキタサンブラック。一昨日と同じく、困ったような笑顔を浮かべていたものの。当時と比べると、いくらか明るくなっていた。
「ね、悪い子じゃないでしょ?」
「はい! スイープさんはとても優しいですね! 私は気にしてませんので、お構いなく!」
「あぁそう。そりゃよかったわよ……」
再度言及しておくと、今はまだ朝のHR前。始業すらしていない時間帯である。だというのに、スイープは既に辟易としていた。
「――でも! アンタを認めたわけじゃないから!」
が、それすらも瞬時に取り払うと、びしっとフェアリィを指差す。
「あんな風に、トレーナーも着かなかったのにへらへらしてる奴なんて、アタシは認めないわよ!」
「ち、ちょっとスイープちゃん! そういうこと、あんまり大声で言ったら……!」
「ご心配なく! あの後、契約の内定をもらいましたので!」
「ふん! どうだかね!」
キタサンの制止にも関わらず、スイープは大きくは態度を改めることなく、腕を組んでいた。
「最下位の出走者なのよ。それに着くトレーナーなんて……」
いるわけがない――と。
フェアリィの発した事実を、受け入れそうになった。
「……」
「……」
二人は。
しばしの沈黙。
「――ちょっと待って」
「はい?」
「今……内定って言った?」
「はい! 言いました!」
「……」
「……」
そうして再び。
しばしの沈黙――
キタサンとスイープは。
示し合わせたように、顔を見合わせ。
『――えぇぇぇぇッ!?』
クラス中、どころかクラスをも突き抜けんばかりの絶叫を上げ、フェアリィに詰め寄っていた。
当然、クラスメイトの注目は、彼女らへと集中する。が、普段は気にするはずのその好奇の目線も、今や気にしている余裕もない。
「ま――マジで!? マジで内定したの!?」
「はい! あの後すぐ、人ごみを掻き分けてやって来まして! 契約してくれないかーと言われましたので! フェアリィはすぐに承諾しました! でも事務手続きとかあるので、今日改めてお話をする予定ですっ!」
「あっ、有り得ないっ……!! そんな話、今まで聞いたことないわよ!?」
「お名前は『高橋』っていうらしいです!」
「いや、名前は聞いてないから!」
スイープの動揺も尤もである。
トレーナーの実績は、ウマ娘の実績。ウマ娘の実績も、またトレーナーの実績。一蓮托生、躓いてしまえば、双方の将来にとって不利になってしまう。
なればこそ双方とも、将来を任せられる優秀な『相棒』を、慎重に選定するわけである。
つまり――本来、
無論、日本に競レースが根付いて長い。そのような例がないわけではないが――
「でもでも、早くにトレーナーが着くに越したことはないよ。凄いことだよ、フェアリィちゃん! おめでとう!」
「あはは……ありがとうございます。なんだかちょっと、むず痒いですね……」
「物好きもいたものね……」
真っ直ぐに祝福するキタサンとは裏腹に、スイープは納得いかなげだ。それもそのはず。
スイープトウショウは、実はまだ
これでスイープは、自分の走りに一定の自信を持っている。この間のレースは、同じマイラーの目線から見ても、自分の方がいい走りをしていると自負していた。
――にも関わらず、この結果。もやもやとしてしまうのは、当然のことだった。
「――まっ、精々頑張りなさい!」
そんなもやもやを吹き飛ばすように、ふんす、とスイープは腕を組んでいた。
「アタシと同じ舞台に立てるなんて、簡単に思わないことよ!」
「はいっ! ありがとうございます! 精一杯頑張らせていただきますっ!」
「その意気だよ! スイープちゃんは今、『上で待ってるから頑張ってね、応援してる!』って言ったんだからね!」
「うわ、ちょっと待って。この取り合わせ面倒臭いわ」
ちなみに再度言及しておくと、フェアリィは二年目である。本来ならば、大きな態度をするべきはフェアリィの方だが。三人にとっては、そんなことは些事であるようだった。
「――本当にそうかな」
「うわぁ!?」
ともあれそうして、我が事のように喜ぶキタサンブラックは――背後からの突然の声に飛び引いていた。
その反応に、鮮やかな鹿毛が優雅に揺れる。
「あ、ごめんねキタちゃん。驚かせちゃった?」
「だ、ダイヤちゃん……いるならいるって言ってくれないと!」
「ごめんね。シュヴァルちゃんが近付けないからって……」
「……、」
悪戯っぽく笑うサトノダイヤモンドの背後には、目深に帽子をかぶるシュヴァルグラン。そこでキタサンブラックは思い出した。あぁ――
そういえば、フェアリィの隣は彼女だった。
「どういうことよ?」
シュヴァルグランが申し訳なさそうに席に着く中、スイープは問う。
「本当にそうかなって。何が『そう』って?」
「だってさ。考えてもみて?」
ダイヤは、それに真剣な声色で答える。
「フェアリィちゃんは最下位。これは覆しようがない事実だよ。そして、そんな子と契約したりしない……それもまた事実」
「ま、まぁ。辛い話だけど、それはそうだよね」
「そうでしょ。いやね。私も、フェアリィちゃんが契約出来たことはいいことだと思う。でもね。私はこう……どうしても、『裏』を感じちゃうっていうか」
「……うん。正直僕も、少し、勘繰っちゃった……」
シュヴァルもまた、彼女に同意らしかった。彼女らの間に、靄のような、不穏な空気が漂い始める。
「……そのトレーナーさん」
その空気を肌で感じながらも、ダイヤは依然、神妙な声で言った。
「一体全体……何考えてるんだろ」
トレーナーにもウマ娘にも、ムダに出来る時間はない。
無事に契約を結んだとなれば、なおのこと。
緩急は大事だが、無為に過ごす時間が無いに越したことはない。
『彼女』もまた指導に当たるべきだ――念願の担当が決まったのだから。『兄』の不信感も、『父』への憧憬も、それを晴らすには、まずはそこから始まる。
だが今、その姿のある場所は、学園のグラウンドどころか、外ですらない。
……トレセン学園生徒会、その豪奢な一室にあった。
「……」
時刻は放課後。本来なら、担当と改めて顔を合わせるべき時間。
それが叶わなかったのは、目の前にいる『彼女』が、突然に介入してきたからだ。
「どうした、」
テーブルを挟んで向かい側。
ソファに鎮座する、『暴君』。
「紅茶は嫌いか?」
オルフェーヴルは、本来ならば目上、教諭、そして大人であるはずの『彼女』を前にしておきながら、相変わらず傲慢な態度で言っていた。
「……」
対して、『彼女』――フェアリィの仮の担当、高橋は、どこか不服そうに視線を落としてばかりいる。
問いかけにろくに答えないまま、思うのはつい数時間前の出来事だ。
『――あのー、すみませーん……』
昼休み――彼女のトレーナー室を、ウインバリハシオンが突然に訪ねてきたかと思えば。
『えっとですね……うちの会長さんが、トレーナーさんに用事があるとかで……』
――放課後、生徒会室に来てほしい、とのことです。
普通は逆だ。トレーナーや教諭が生徒を呼び出すことはあっても、生徒がトレーナーを呼び出すことはそうない。
というか、生徒が直接伺いに来るのが普通というものである。
しかしそんな常識なぞ、オルフェーヴルにしては特別視するべきものではない。兎角、誰よりも自分が法である、と言わんばかりだし――実際そう思っていそうである。
「……何ですか。お話って」
何にしても――
このまま待っていても、気まずい時間が流れるばかりだ。高橋は紅茶に手を着けないまま、目線を上げて、オルフェーヴルに問うた。
凛然とした瞳は、一寸も揺らいでいない。
「……」
オルフェーヴルは、しばしの無言。
無表情であるために、何を考えているかも汲み取り辛い。
張りつめた空気に、高橋は息苦しさすら感じ始める。
「……シオンが言うには、」
果たして、オルフェーヴルは口を開いていた。
「余は主題だけを話し過ぎらしい」
随分前、ウインバリアシオンが、自身に言ったことを思い返しながら。
「『重要な話をする時こそ、事前に世間話をして、空気を和らげるもんっす!』……とのことだ。だから、余なりに気を遣ってやったつもりだったのだがな」
どうやら貴様には。
そのような気遣いは無用らしい。
「……ならばよろしい」
貴様の要求通り。
本題から入ろうではないか。
「フェアリィルナと契約したいそうだな」
高橋は答えない。答えるまでもないし――答える余裕もなかった。ただそれには構わず、オルフェーヴルは続ける。
「何故だ?」
「何故……って。トレーナーがウマ娘と契約するのは、自然じゃないですか」
「然り。我らは貴様ら無くしては存在出来ず、貴様らもまた、我ら無くしては存在出来ん」
その割に不遜な態度だな、と高橋は心の中で毒づいていた。
「だが――あれが『普通』ではないことは、貴様も承知しているはずだ」
普通ではない。
それは、フェアリィルナが特別な才覚を持っている、という意味ではない。
特異な才能を持っている、という意味でもない。
その言葉の意味するところは――ひとえに。
「そうだ、」
『あれ』は。
余が直接スカウトしたものだ。
「貴様であればわかるであろう。それが何を意味するのか」
契約を結ぶということは、ウマ娘の名を背負うことだ。
相応に責任が生じ、相互に運命を託すことになる。
ただその関係性は、『普通に』入学してきた生徒のみに限られる。
それがもし、何者かの手によって引き入れられた、となれば、特別な関係性へと、自然変化する。
例えば――『推薦入学』ともなれば。
その生徒は、元の学校の品位をも背負うことになる。
ならば、フェアリィルナはオルフェーヴルが直接スカウトした、ということは。……つまり。
「――『あれ』と契約することは、余の『期待』をも背負うも同義だ」
もちろん――
オルフェーヴルとて、それ自体が不満ということではない。
彼女は常に不遜な態度を崩さないが、理由なく他人を見下すことはないし――自分に果敢に立ち向かう『勇者』に対しては、敬意を払うことすらある。
現状の彼女の不満――
それは目の前にいる、高橋の『実力』にあった。
「誤解を恐れず言うならば」
――貴様は。
それに値するとは思えない。
オルフェーヴルは、全くの恐れなくそう口にしていた。
高橋が、トレーナーとして勤務を始めたこの一年近く、担当を持てていないことは、オルフェーヴルにもすぐに調べ上げられた。……厳密には、ウインバリアシオンが調べ上げたのだが。
足繁く選抜レースに通い詰めたにも関わらず。あの手この手で生徒と接触を図ったにも関わらず。
それは珍しい光景ではない。多くの先人たちが歩んできた、有り触れた苦悩と苦難の道だ。言うなれば、彼女はごくごく普通のトレーナー。
であるからこそ。
『王』の期待をも背負うには、あまりに力不足だ。
「……であれば、裏を邪推するのは、ごく自然の流れであろ?」
オルフェーヴルの推測。あるいは確信。
その、無謀とも言える試みの裏に感じる――何某かの意図。
「――貴様、」
――何を考えている?
オルフェーヴルの言葉は、光り輝く剣のようであった。
「……」
彼女は生徒会長だ。
言うまでもなく、生徒から期待と信頼を一任された存在。
学園生徒一同のトップ――しかしかといって、それは判事でなければ、刑事でもない。
そのような個人間の契約に関して、律儀に答える謂れなどない。
「……、」
それでも、オルフェーヴルの発言が、あまりに傲慢に映ったためか。
あるいは、図星を指されたがためか。
高橋は、その問いかけに対し――
「――っ、」
自虐的な笑みを以て、答えていた。
「別に、」
別に。
良くないですか?
「……何?」
「だ、だって、私たち個人間の話ですよ、これは!」
それまで黙っていた彼女は、堰を切ったように訴え始める。
「あなたがどれだけ凄いのかは知ってますけどね、そこにまで口出される筋合いないですよ! それに、観てたでしょう、あなたも! あのレース!」
選抜レース、フェアリィルナの、中央移籍後初めての山場。
彼女の知り合いたる者の誰もが目撃した――その、散々な結果。
「あれだけやらかしたんです。このままじゃ担当なんてつきませんよ。結局そうなったら、困るのはあなたじゃないですか! あれだって、どーせ公式レースで勝てるなんて考えてないですよ、だったら――」
だったら。
「私の経歴の箔になる分、感謝するべきじゃないですか!?」
「……貴様」
その恥を知らない物言いに、さしものオルフェーヴルも不快感を覚える。眉を顰め、眼光は鋭くなる。ただそれを一心に受けても、高橋はたじろがなかった。
「自身の今後のためなら……それがどのような実力であれ、どう扱ってもいいと宣うか。気は確かか?」
「はっ、それこそあなたに言われる筋合いないです! 今言った通りですよ、どーせ私が契約しようがしなかろうが、恥をかくのは一緒なんですから!」
それより。
それよりも、何よりも。
「――それに! 私は職員で、貴女は生徒、年齢だって私のが上です!」
とどめのひと言、とばかりに、彼女は言った。
「出過ぎたことしたら――理事長に言いつけますよ!?」
「……」
果たしてオルフェーヴルは、目を見開く。
腕と足を組んだまま、微動だにしない。
それが高橋の目には、確かな手応えに感じたのだろう。
勝利と受け取って。承諾と解釈して。
もはやこれまで、と、その場から立ち去る心の準備をした。
「――、」
刹那。
オルフェーヴルは、顔を緩く俯かせ――
「――ふっ、」
それに対し。
「っははははははっ!」
――笑っていた。
一転して、いかにも愉快そうに――笑っていた。
彼女は寡黙な方だ。
多くを語らず、結論や本筋だけを伝えがち。
それがコミュニケーションの弊害になったりもするが――本人としてはいざ知らず。
一般的な会話にも、普通のやり取りにも。
特段の反応は見せず。ただ聞くままに聞かされるまま。
故に、彼女を知る誰かがそこに居合わせていれば、驚きに呆然としていただろう。
――それくらいに、珍しいことであった。
オルフェーヴルが――そんなにも、声高に笑うことは。
「……」
その、あまりに場にそぐわない反応に、高橋も硬直する。
浮かし掛けた腰を、思わずそのまま止める。
――何がおかしいんだ?
呆気に取られて、当然の疑問が胸の内に浮かび上がる。
「まさか……まさかなぁ!」
そんな彼女に、オルフェーヴルは笑いを満足に収めないままに言う。
「そのような胡乱な妄言を、恥ずかしげもなく繰り返すばかりか、剰え開き直り、
言葉の並びだけ見れば怒り心頭、ただ実際の彼女の声色は、いかにも愉しげなそれだった。オルフェーヴルは――その発露とも言わんばかりに、緩んだ瞳を高橋へと向ける。
「……ふっ、」
そして――
オルフェーヴルは、再度鼻を鳴らすと。
「いいであろう」
一転、表情を引き締め、高橋に告げていた。
「貴様のその契約……認めてやる」
「……!」
担当は、思わずいよいよ腰を完全に浮かばせて、見開いた双眸でオルフェーヴルを見つめる。
元より、彼女はそのつもりだが――先ほどまでの態度から、急にそのようなことを言い出すのだ。
嵐に振り回されるように、彼女の胸中はすぐには整理がつかない。散らばった感情や考えを拾い集めるのがやっとだ。一体。
一体、何が起きてるんだ?
「――但し」
困惑する彼女が、次に言葉を紡ぐのを待たないまま。
オルフェーヴルの言葉は、釘を刺すように響く。
「条件がある」
考えは変わりながらも、変わらない態度で。いつも通りに傲岸に――話を続けていた。……
……
そんな、二人の会話を。
「……」
ウインバリアシオンは、生徒会室の扉の前にて、くぐもった声として聞いていた。
軽く握った拳の甲をそこに向けたまま、動くことが出来ない。
会話の内容までもは聞き取れずとも、そこから滲み出てくる雰囲気だけで、易々ノックしてはならないことだけは汲み取れた。
今日はさしたる用事もなく、ひとまず顔を出しに来た彼女ではあったが――
まさかその生徒会室が、このようなことになっているとは露知らず。
(――っべー……)
ただ困惑に、立ち尽くすしか出来なかった。
(入るタイミング逃したぁ……)
ずどーん……と気持ちが沈むシオン。しかし、何もここしか訪れられる場所がないわけではない。
それに、伝わる熱量からして、会話もきっともうすぐ終わることだろう。
どこかぶらぶらして時間潰しますか――そう考え至ると、浅く息を吐き、足を廊下の奥の方へ向けた――
「――あら」
瞬間。
聞き慣れた声が、彼女の耳に飛び込んできていた。
「これはこれは。ご機嫌麗しゅう」
「……」
シオンは、緩めに眉を顰める。声の主が、それに気付いたかどうかは定かではない。
「こんなところで何をしておりますの?」
ジェンティルドンナは――
シオンに一歩一歩近づきながら、語り掛ける。
「もしかして、『会長様』は取り込み中ですか? 困りましたわね。今日こそはお話をしようと思っておりましたのに」
そして、5、6人分ほどの距離を開け、対峙する。
「……どれくらいで終わるのか。『副会長様』は、知っていらして?」
「……」
一見すれば、さしたる特徴のない会話。
警戒とも不快とも無縁のはずだ。
それでもウインバリアシオンは、いかにも不機嫌そうに――
「……、」
答えず、彼女の脇を通り、立ち去ろうとした。
バンッ
――が。
叶わなかった。
ジェンティルドンナが、壁に手を着け――否。手を『打ち付け』。その進路を妨害したためである。
次いで彼女が、そのまま肘を折り、壁に身を寄せたことで。
意図せず双方は、目と鼻の先で向かい合う形となる。
「……無視することないではありませんか」
ジェンティルドンナは、変わらぬ調子で言った。
「かわいい『後輩』が、訊いておりますのよ?」
「……」
彼女としては加減したつもりだったのだろう。
それでも手の着いた箇所には、浅めの罅割れが生じてしまっている。
また先生に怒られるぞ――と思いながらも、その原因が多少なり自分にあることを、シオンは自覚していた。
「別に、」
だから、仕方なくそれに応じる。
「何か話してるだけっすよ。相手もわかりませんけど」
「……『だけ』」
「そんなに気になるなら、部屋の前で待ってればいいんじゃないっすか。もうすぐ終わりそうな雰囲気はしてますから」
「……」
「……なんすか」
ジェンティルドンナは、それにしばしの無言を返す。棘のある声色で言うシオンに、彼女はいえ、と前置きして、
「前から気になっていたのですけれど」
言った。
「私、貴女に何かしまして?」
「……」
「訊ねているだけですのに、そのような態度を取られるのは、心外ですわ」
「……」
彼女の訴えは尤もだったが、シオンはそれを即座には肯定しない。依然として眉を顰めるばかりだ――内心にはぽつりと言葉が浮かび上がる。
先に突っかかってきたのはそっちだろう――と。
ジェンティルドンナ。『鬼婦人』。
ウインバリアシオンより一年後輩ながら、あのオルフェーヴルすらも破った、名実ともに確かな『傑物』。
その尋常ではない膂力から繰り出される疾走――並びに文字通りの『攻撃』に、敢え無く散った者は数知れない。
……尤も、『攻撃』といっても、彼女にとっては単なる『揶揄い』であり、実際に手にかけたわけでは決してないが。
そんな彼女は、『強さ』というものに強く執着する。
その証明のためなら、直向きな努力も、目上への反抗も躊躇しないほどにだ。
当然、その照準は『生徒会』という席にも定まっていた――今でこそ、役員としての席に収まっている彼女だが。
副会長に相応しいのは自分だ、という自負が少なからずあった。
――だが実際、そうではなかった。その事実に、不可解と不満を募らせていたのだろう。
足元を掬われないよう、くれぐれもお気をつけあそばせ? ――かつて掛けられたその言葉を、シオンは未だに忘れてはいない。
「……自分の胸に聞いたらどうっすか」
だから――
彼女は、噛み付くように言う。
「自己分析くらい……お手の物っすよね」
「……」
「……」
しばらく見つめ合う両者。否――睨み合う、と表現すべきか。ジェンティルは引かない。シオンも引かない。ぴりぴりと張りつめた空気が広がり、ただ時間が経過するばかりだ。
しかしそれも、程なく無意味と判断したのだろう。
「……、わかりましたわ」
先に動いたのは、嘆くように息を吐いたジェンティルだった。
彼女は、壁から身を離す。
「そう仰るのであれば、『嫌われ者』はさっさと退散しますわね」
「……」
「……ですが、努々立場に胡坐をかきませんよう」
そうして――シオンとすれ違いざま。
「……私を差し置いて、副会長に指名されたこと。今でも納得していませんからね」
「……」
置き土産のように告げられた言葉を最後に。
彼女の足音が背後に遠ざかる。
シオンは少し、その場に立ち尽くしていたが。
その足音が十歩を刻む程度に離れた時。
「――だったら」
振り返りながら、言っていた。
「実力で……奪い取ったらどうっすか」
「…………」
ジェンティルドンナは、それに立ち止まり。
ゆっくりと振り返る。
果たしてどんな顔をしてるか――シオンは恐々としたものの。
そこに浮かんでいたのは、彼女の思うような、でたらめに威圧的なものではなかった。
軽く目を見開いた。
ジェンティルドンナとしては、珍しい表情――
「――、」
まさかそのようなことを言われるとは思わなかった。
そう言わんばかりの彼女は、それにしばしの無言を返すと。
「――あははははっ」
上品な所作で、笑っていた。
「なるほど……なるほどなるほど」
笑いが止むと、浮かぶのは妖しい光。
獲物を見つけた肉食獣のような、鋭い眼光がシオンを捉える。
「会長様があなたを気に入っている理由……少し、分かった気がしますわ」
心底に楽しそうに。
この上なく可笑しそうに。
「……首を洗って、お待ちくださいませ?」
言った彼女は、優雅にカーテシーをすると。
彼女の前から、立ち去っていた。
……生徒会室をも、通り過ぎて。
「……」
いや、結局待たないんかい――と、心の中でツッコミながら。
シオンは、一仕事終えたように息を吐く。
彼女も彼女で、嵐に見舞われたように、乱れた心を整えるために。
他に誰もいなくなった廊下を、歩き出した。