泥に塗れた私たちへ   作:Ray May

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暴君の試練、ですっ!

「一昨日は、悪かったわ……」

 

 朝のHRが始まるまでの、僅かばかりの自由時間。フェアリィルナの元に歩み寄ってきたスイープトウショウは、気まずそうに言っていた。

 

「……」

 

 対するフェアリィは、思考が停止したように、呆然とスイープの表情を見つめると、

 

「……はい?」

 

 小首を傾げながら、そう答えていた。

 ざわざわと、周囲のざわめきが大きくなったように感じる。スイープは、ぎょっとした目で、それに食いつくように反応した。

 

「は、はい? じゃないわよっ!」

 

 まさか――当人からそんな反応をされるとは、夢にも思っていなかったのである。

 

「そ、その! 一昨日、アンタにこう……ち、ちょっと、辛く当たっちゃったでしょ! だからその、その。謝罪、を……!」

「あ……あー! そんなこともありましたね!」

「そ、そんなこともありましたねぇ!?」

 

 一応、スイープは謝罪に来た方である。怒るのはお門違いだが、そんな素っ頓狂な反応に、顔を真っ赤にせざるを得なかった。

 

「あ、アンタねぇ! アタシが、それでどれだけ悩んだと思って……!!」

「あー、ほらほら。スイープちゃん。抑えて抑えて」

 

 それ以上は墓穴を掘るだけだよ――と、割り込むのはキタサンブラック。一昨日と同じく、困ったような笑顔を浮かべていたものの。当時と比べると、いくらか明るくなっていた。

 

「ね、悪い子じゃないでしょ?」

「はい! スイープさんはとても優しいですね! 私は気にしてませんので、お構いなく!」

「あぁそう。そりゃよかったわよ……」

 

 再度言及しておくと、今はまだ朝のHR前。始業すらしていない時間帯である。だというのに、スイープは既に辟易としていた。

 

「――でも! アンタを認めたわけじゃないから!」

 

 が、それすらも瞬時に取り払うと、びしっとフェアリィを指差す。

 

「あんな風に、トレーナーも着かなかったのにへらへらしてる奴なんて、アタシは認めないわよ!」

「ち、ちょっとスイープちゃん! そういうこと、あんまり大声で言ったら……!」

「ご心配なく! あの後、契約の内定をもらいましたので!」

「ふん! どうだかね!」

 

 キタサンの制止にも関わらず、スイープは大きくは態度を改めることなく、腕を組んでいた。

 

「最下位の出走者なのよ。それに着くトレーナーなんて……」

 

 いるわけがない――と。

 フェアリィの発した事実を、受け入れそうになった。

 

「……」

「……」

 

 二人は。

 しばしの沈黙。

 

「――ちょっと待って」

「はい?」

「今……内定って言った?」

「はい! 言いました!」

「……」

「……」

 

 そうして再び。

 しばしの沈黙――

 キタサンとスイープは。

 示し合わせたように、顔を見合わせ。

 

『――えぇぇぇぇッ!?』

 

 クラス中、どころかクラスをも突き抜けんばかりの絶叫を上げ、フェアリィに詰め寄っていた。

 当然、クラスメイトの注目は、彼女らへと集中する。が、普段は気にするはずのその好奇の目線も、今や気にしている余裕もない。

 

「ま――マジで!? マジで内定したの!?」

「はい! あの後すぐ、人ごみを掻き分けてやって来まして! 契約してくれないかーと言われましたので! フェアリィはすぐに承諾しました! でも事務手続きとかあるので、今日改めてお話をする予定ですっ!」

「あっ、有り得ないっ……!! そんな話、今まで聞いたことないわよ!?」

「お名前は『高橋』っていうらしいです!」

「いや、名前は聞いてないから!」

 

 スイープの動揺も尤もである。

 トレーナーの実績は、ウマ娘の実績。ウマ娘の実績も、またトレーナーの実績。一蓮托生、躓いてしまえば、双方の将来にとって不利になってしまう。

 なればこそ双方とも、将来を任せられる優秀な『相棒』を、慎重に選定するわけである。

 つまり――本来、さほど速くないウマ娘(最下位組)に、トレーナーが着くわけがないのである。

 無論、日本に競レースが根付いて長い。そのような例がないわけではないが――

 

「でもでも、早くにトレーナーが着くに越したことはないよ。凄いことだよ、フェアリィちゃん! おめでとう!」

「あはは……ありがとうございます。なんだかちょっと、むず痒いですね……」

「物好きもいたものね……」

 

 真っ直ぐに祝福するキタサンとは裏腹に、スイープは納得いかなげだ。それもそのはず。

 

 スイープトウショウは、実はまだ一年目(ジュニア級)。走りは優秀ながら、あまりにつっけんどんな性格が災いしてか、なかなかトレーナーが着かず、やきもきした時期を過ごしていたからである。

 これでスイープは、自分の走りに一定の自信を持っている。この間のレースは、同じマイラーの目線から見ても、自分の方がいい走りをしていると自負していた。

 ――にも関わらず、この結果。もやもやとしてしまうのは、当然のことだった。

 

「――まっ、精々頑張りなさい!」

 

 そんなもやもやを吹き飛ばすように、ふんす、とスイープは腕を組んでいた。

 

「アタシと同じ舞台に立てるなんて、簡単に思わないことよ!」

「はいっ! ありがとうございます! 精一杯頑張らせていただきますっ!」

「その意気だよ! スイープちゃんは今、『上で待ってるから頑張ってね、応援してる!』って言ったんだからね!」

「うわ、ちょっと待って。この取り合わせ面倒臭いわ」

 

 ちなみに再度言及しておくと、フェアリィは二年目である。本来ならば、大きな態度をするべきはフェアリィの方だが。三人にとっては、そんなことは些事であるようだった。

 

「――本当にそうかな」

「うわぁ!?」

 

 ともあれそうして、我が事のように喜ぶキタサンブラックは――背後からの突然の声に飛び引いていた。

 その反応に、鮮やかな鹿毛が優雅に揺れる。

 

「あ、ごめんねキタちゃん。驚かせちゃった?」

「だ、ダイヤちゃん……いるならいるって言ってくれないと!」

「ごめんね。シュヴァルちゃんが近付けないからって……」

「……、」

 

 悪戯っぽく笑うサトノダイヤモンドの背後には、目深に帽子をかぶるシュヴァルグラン。そこでキタサンブラックは思い出した。あぁ――

 そういえば、フェアリィの隣は彼女だった。

 

「どういうことよ?」

 

 シュヴァルグランが申し訳なさそうに席に着く中、スイープは問う。

 

「本当にそうかなって。何が『そう』って?」

「だってさ。考えてもみて?」

 

 ダイヤは、それに真剣な声色で答える。

 

「フェアリィちゃんは最下位。これは覆しようがない事実だよ。そして、そんな子と契約したりしない……それもまた事実」

「ま、まぁ。辛い話だけど、それはそうだよね」

「そうでしょ。いやね。私も、フェアリィちゃんが契約出来たことはいいことだと思う。でもね。私はこう……どうしても、『裏』を感じちゃうっていうか」

「……うん。正直僕も、少し、勘繰っちゃった……」

 

 シュヴァルもまた、彼女に同意らしかった。彼女らの間に、靄のような、不穏な空気が漂い始める。

 

「……そのトレーナーさん」

 

 その空気を肌で感じながらも、ダイヤは依然、神妙な声で言った。

 

「一体全体……何考えてるんだろ」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 トレーナーにもウマ娘にも、ムダに出来る時間はない。

 無事に契約を結んだとなれば、なおのこと。

 緩急は大事だが、無為に過ごす時間が無いに越したことはない。

 

『彼女』もまた指導に当たるべきだ――念願の担当が決まったのだから。『兄』の不信感も、『父』への憧憬も、それを晴らすには、まずはそこから始まる。

 だが今、その姿のある場所は、学園のグラウンドどころか、外ですらない。

 ……トレセン学園生徒会、その豪奢な一室にあった。

 

「……」

 

 時刻は放課後。本来なら、担当と改めて顔を合わせるべき時間。

 それが叶わなかったのは、目の前にいる『彼女』が、突然に介入してきたからだ。

 

「どうした、」

 

 テーブルを挟んで向かい側。

 ソファに鎮座する、『暴君』。

 

「紅茶は嫌いか?」

 

 オルフェーヴルは、本来ならば目上、教諭、そして大人であるはずの『彼女』を前にしておきながら、相変わらず傲慢な態度で言っていた。

 

「……」

 

 対して、『彼女』――フェアリィの仮の担当、高橋は、どこか不服そうに視線を落としてばかりいる。

 問いかけにろくに答えないまま、思うのはつい数時間前の出来事だ。

 

『――あのー、すみませーん……』

 

 昼休み――彼女のトレーナー室を、ウインバリハシオンが突然に訪ねてきたかと思えば。

 

『えっとですね……うちの会長さんが、トレーナーさんに用事があるとかで……』

 

 ――放課後、生徒会室に来てほしい、とのことです。

 

 普通は逆だ。トレーナーや教諭が生徒を呼び出すことはあっても、生徒がトレーナーを呼び出すことはそうない。

 というか、生徒が直接伺いに来るのが普通というものである。

 しかしそんな常識なぞ、オルフェーヴルにしては特別視するべきものではない。兎角、誰よりも自分が法である、と言わんばかりだし――実際そう思っていそうである。

 

「……何ですか。お話って」

 

 何にしても――

 このまま待っていても、気まずい時間が流れるばかりだ。高橋は紅茶に手を着けないまま、目線を上げて、オルフェーヴルに問うた。

 凛然とした瞳は、一寸も揺らいでいない。

 

「……」

 

 オルフェーヴルは、しばしの無言。

 無表情であるために、何を考えているかも汲み取り辛い。

 張りつめた空気に、高橋は息苦しさすら感じ始める。

 

「……シオンが言うには、」

 

 果たして、オルフェーヴルは口を開いていた。

 

「余は主題だけを話し過ぎらしい」

 

 随分前、ウインバリアシオンが、自身に言ったことを思い返しながら。

 

『重要な話をする時こそ、事前に世間話をして、空気を和らげるもんっす!』……とのことだ。だから、余なりに気を遣ってやったつもりだったのだがな」

 

 どうやら貴様には。

 そのような気遣いは無用らしい。

 

「……ならばよろしい」

 

 貴様の要求通り。

 本題から入ろうではないか。

 

「フェアリィルナと契約したいそうだな」

 

 高橋は答えない。答えるまでもないし――答える余裕もなかった。ただそれには構わず、オルフェーヴルは続ける。

 

「何故だ?」

「何故……って。トレーナーがウマ娘と契約するのは、自然じゃないですか」

「然り。我らは貴様ら無くしては存在出来ず、貴様らもまた、我ら無くしては存在出来ん」

 

 その割に不遜な態度だな、と高橋は心の中で毒づいていた。

 

「だが――あれが『普通』ではないことは、貴様も承知しているはずだ」

 

 普通ではない。

 それは、フェアリィルナが特別な才覚を持っている、という意味ではない。

 特異な才能を持っている、という意味でもない。

 その言葉の意味するところは――ひとえに。

 

「そうだ、」

 

『あれ』は。

 余が直接スカウトしたものだ。

 

「貴様であればわかるであろう。それが何を意味するのか」

 

 契約を結ぶということは、ウマ娘の名を背負うことだ。

 相応に責任が生じ、相互に運命を託すことになる。

 ただその関係性は、『普通に』入学してきた生徒のみに限られる。

 

 それがもし、何者かの手によって引き入れられた、となれば、特別な関係性へと、自然変化する。

 例えば――『推薦入学』ともなれば。

 その生徒は、元の学校の品位をも背負うことになる。

 ならば、フェアリィルナはオルフェーヴルが直接スカウトした、ということは。……つまり。

 

「――『あれ』と契約することは、余の『期待』をも背負うも同義だ」

 

 もちろん――

 オルフェーヴルとて、それ自体が不満ということではない。

 彼女は常に不遜な態度を崩さないが、理由なく他人を見下すことはないし――自分に果敢に立ち向かう『勇者』に対しては、敬意を払うことすらある。

 現状の彼女の不満――

 それは目の前にいる、高橋の『実力』にあった。

 

「誤解を恐れず言うならば」

 

 ――貴様は。

 それに値するとは思えない。

 オルフェーヴルは、全くの恐れなくそう口にしていた。

 

 高橋が、トレーナーとして勤務を始めたこの一年近く、担当を持てていないことは、オルフェーヴルにもすぐに調べ上げられた。……厳密には、ウインバリアシオンが調べ上げたのだが。

 

 足繁く選抜レースに通い詰めたにも関わらず。あの手この手で生徒と接触を図ったにも関わらず。

 それは珍しい光景ではない。多くの先人たちが歩んできた、有り触れた苦悩と苦難の道だ。言うなれば、彼女はごくごく普通のトレーナー。

 

 であるからこそ。

『王』の期待をも背負うには、あまりに力不足だ。

 

「……であれば、裏を邪推するのは、ごく自然の流れであろ?」

 

 オルフェーヴルの推測。あるいは確信。

 その、無謀とも言える試みの裏に感じる――何某かの意図。

 

「――貴様、」

 

 ――何を考えている?

 オルフェーヴルの言葉は、光り輝く剣のようであった。

 

「……」

 

 彼女は生徒会長だ。

 言うまでもなく、生徒から期待と信頼を一任された存在。

 学園生徒一同のトップ――しかしかといって、それは判事でなければ、刑事でもない。

 そのような個人間の契約に関して、律儀に答える謂れなどない。

 

「……、」

 

 それでも、オルフェーヴルの発言が、あまりに傲慢に映ったためか。

 あるいは、図星を指されたがためか。

 高橋は、その問いかけに対し――

 

「――っ、」

 

 自虐的な笑みを以て、答えていた。

 

「別に、」

 

 別に。

 良くないですか?

 

「……何?」

「だ、だって、私たち個人間の話ですよ、これは!」

 

 それまで黙っていた彼女は、堰を切ったように訴え始める。

 

「あなたがどれだけ凄いのかは知ってますけどね、そこにまで口出される筋合いないですよ! それに、観てたでしょう、あなたも! あのレース!」

 

 選抜レース、フェアリィルナの、中央移籍後初めての山場。

 彼女の知り合いたる者の誰もが目撃した――その、散々な結果。

 

「あれだけやらかしたんです。このままじゃ担当なんてつきませんよ。結局そうなったら、困るのはあなたじゃないですか! あれだって、どーせ公式レースで勝てるなんて考えてないですよ、だったら――」

 

 だったら。

 

「私の経歴の箔になる分、感謝するべきじゃないですか!?」

「……貴様」

 

 その恥を知らない物言いに、さしものオルフェーヴルも不快感を覚える。眉を顰め、眼光は鋭くなる。ただそれを一心に受けても、高橋はたじろがなかった。

 

「自身の今後のためなら……それがどのような実力であれ、どう扱ってもいいと宣うか。気は確かか?」

「はっ、それこそあなたに言われる筋合いないです! 今言った通りですよ、どーせ私が契約しようがしなかろうが、恥をかくのは一緒なんですから!」

 

 それより。

 それよりも、何よりも。

 

「――それに! 私は職員で、貴女は生徒、年齢だって私のが上です!」

 

 とどめのひと言、とばかりに、彼女は言った。

 

「出過ぎたことしたら――理事長に言いつけますよ!?」

「……」

 

 果たしてオルフェーヴルは、目を見開く。

 腕と足を組んだまま、微動だにしない。

 それが高橋の目には、確かな手応えに感じたのだろう。

 

 勝利と受け取って。承諾と解釈して。

 もはやこれまで、と、その場から立ち去る心の準備をした。

 

「――、」

 

 刹那。

 オルフェーヴルは、顔を緩く俯かせ――

 

「――ふっ、」

 

 それに対し。

 

「っははははははっ!」

 

 ――笑っていた。

 一転して、いかにも愉快そうに――笑っていた。

 

 彼女は寡黙な方だ。

 多くを語らず、結論や本筋だけを伝えがち。

 それがコミュニケーションの弊害になったりもするが――本人としてはいざ知らず。

 

 一般的な会話にも、普通のやり取りにも。

 特段の反応は見せず。ただ聞くままに聞かされるまま。

 故に、彼女を知る誰かがそこに居合わせていれば、驚きに呆然としていただろう。

 

 ――それくらいに、珍しいことであった。

 オルフェーヴルが――そんなにも、声高に笑うことは。

 

「……」

 

 その、あまりに場にそぐわない反応に、高橋も硬直する。

 浮かし掛けた腰を、思わずそのまま止める。

 ――何がおかしいんだ?

 呆気に取られて、当然の疑問が胸の内に浮かび上がる。

 

「まさか……まさかなぁ!」

 

 そんな彼女に、オルフェーヴルは笑いを満足に収めないままに言う。

 

「そのような胡乱な妄言を、恥ずかしげもなく繰り返すばかりか、剰え開き直り、年齢(最後のカード)まで切るとは。よくもまぁ、余を前にして、そこまでの愚行に及べたものよなぁ……!」

 

 言葉の並びだけ見れば怒り心頭、ただ実際の彼女の声色は、いかにも愉しげなそれだった。オルフェーヴルは――その発露とも言わんばかりに、緩んだ瞳を高橋へと向ける。

 

「……ふっ、」

 

 そして――

 オルフェーヴルは、再度鼻を鳴らすと。

 

「いいであろう」

 

 一転、表情を引き締め、高橋に告げていた。

 

「貴様のその契約……認めてやる」

「……!」

 

 担当は、思わずいよいよ腰を完全に浮かばせて、見開いた双眸でオルフェーヴルを見つめる。

 元より、彼女はそのつもりだが――先ほどまでの態度から、急にそのようなことを言い出すのだ。

 嵐に振り回されるように、彼女の胸中はすぐには整理がつかない。散らばった感情や考えを拾い集めるのがやっとだ。一体。

 一体、何が起きてるんだ?

 

「――但し」

 

 困惑する彼女が、次に言葉を紡ぐのを待たないまま。

 オルフェーヴルの言葉は、釘を刺すように響く。

 

「条件がある」

 

 考えは変わりながらも、変わらない態度で。いつも通りに傲岸に――話を続けていた。……

 

 ……

 

 そんな、二人の会話を。

 

「……」

 

 ウインバリアシオンは、生徒会室の扉の前にて、くぐもった声として聞いていた。

 軽く握った拳の甲をそこに向けたまま、動くことが出来ない。

 会話の内容までもは聞き取れずとも、そこから滲み出てくる雰囲気だけで、易々ノックしてはならないことだけは汲み取れた。

 今日はさしたる用事もなく、ひとまず顔を出しに来た彼女ではあったが――

 まさかその生徒会室が、このようなことになっているとは露知らず。

 

(――っべー……)

 

 ただ困惑に、立ち尽くすしか出来なかった。

 

(入るタイミング逃したぁ……)

 

 ずどーん……と気持ちが沈むシオン。しかし、何もここしか訪れられる場所がないわけではない。

 それに、伝わる熱量からして、会話もきっともうすぐ終わることだろう。

 どこかぶらぶらして時間潰しますか――そう考え至ると、浅く息を吐き、足を廊下の奥の方へ向けた――

 

「――あら」

 

 瞬間。

 聞き慣れた声が、彼女の耳に飛び込んできていた。

 

「これはこれは。ご機嫌麗しゅう」

「……」

 

 シオンは、緩めに眉を顰める。声の主が、それに気付いたかどうかは定かではない。

 

「こんなところで何をしておりますの?」

 

 ジェンティルドンナは――

 シオンに一歩一歩近づきながら、語り掛ける。

 

「もしかして、『会長様』は取り込み中ですか? 困りましたわね。今日こそはお話をしようと思っておりましたのに」

 

 そして、5、6人分ほどの距離を開け、対峙する。

 

「……どれくらいで終わるのか。『副会長様』は、知っていらして?」

「……」

 

 一見すれば、さしたる特徴のない会話。

 警戒とも不快とも無縁のはずだ。

 それでもウインバリアシオンは、いかにも不機嫌そうに――

 

「……、」

 

 答えず、彼女の脇を通り、立ち去ろうとした。

 

 

 

 バンッ

 

 

 

 ――が。

 叶わなかった。

 ジェンティルドンナが、壁に手を着け――否。手を『打ち付け』。その進路を妨害したためである。

 次いで彼女が、そのまま肘を折り、壁に身を寄せたことで。

 意図せず双方は、目と鼻の先で向かい合う形となる。

 

「……無視することないではありませんか」

 

 ジェンティルドンナは、変わらぬ調子で言った。

 

「かわいい『後輩』が、訊いておりますのよ?」

「……」

 

 彼女としては加減したつもりだったのだろう。

 それでも手の着いた箇所には、浅めの罅割れが生じてしまっている。

 また先生に怒られるぞ――と思いながらも、その原因が多少なり自分にあることを、シオンは自覚していた。

 

「別に、」

 

 だから、仕方なくそれに応じる。

 

「何か話してるだけっすよ。相手もわかりませんけど」

「……『だけ』」

「そんなに気になるなら、部屋の前で待ってればいいんじゃないっすか。もうすぐ終わりそうな雰囲気はしてますから」

「……」

「……なんすか」

 

 ジェンティルドンナは、それにしばしの無言を返す。棘のある声色で言うシオンに、彼女はいえ、と前置きして、

 

「前から気になっていたのですけれど」

 

 言った。

 

「私、貴女に何かしまして?」

「……」

「訊ねているだけですのに、そのような態度を取られるのは、心外ですわ」

「……」

 

 彼女の訴えは尤もだったが、シオンはそれを即座には肯定しない。依然として眉を顰めるばかりだ――内心にはぽつりと言葉が浮かび上がる。

 先に突っかかってきたのはそっちだろう――と。

 

 ジェンティルドンナ。『鬼婦人』。

 ウインバリアシオンより一年後輩ながら、あのオルフェーヴルすらも破った、名実ともに確かな『傑物』。

 その尋常ではない膂力から繰り出される疾走――並びに文字通りの『攻撃』に、敢え無く散った者は数知れない。

 ……尤も、『攻撃』といっても、彼女にとっては単なる『揶揄い』であり、実際に手にかけたわけでは決してないが。

 

 そんな彼女は、『強さ』というものに強く執着する。

 その証明のためなら、直向きな努力も、目上への反抗も躊躇しないほどにだ。

 当然、その照準は『生徒会』という席にも定まっていた――今でこそ、役員としての席に収まっている彼女だが。

 副会長に相応しいのは自分だ、という自負が少なからずあった。

 

 ――だが実際、そうではなかった。その事実に、不可解と不満を募らせていたのだろう。

 足元を掬われないよう、くれぐれもお気をつけあそばせ? ――かつて掛けられたその言葉を、シオンは未だに忘れてはいない。

 

「……自分の胸に聞いたらどうっすか」

 

 だから――

 彼女は、噛み付くように言う。

 

「自己分析くらい……お手の物っすよね」

「……」

「……」

 

 しばらく見つめ合う両者。否――睨み合う、と表現すべきか。ジェンティルは引かない。シオンも引かない。ぴりぴりと張りつめた空気が広がり、ただ時間が経過するばかりだ。

 しかしそれも、程なく無意味と判断したのだろう。

 

「……、わかりましたわ」

 

 先に動いたのは、嘆くように息を吐いたジェンティルだった。

 彼女は、壁から身を離す。

 

「そう仰るのであれば、『嫌われ者』はさっさと退散しますわね」

「……」

「……ですが、努々立場に胡坐をかきませんよう」

 

 そうして――シオンとすれ違いざま。

 

「……私を差し置いて、副会長に指名されたこと。今でも納得していませんからね」

「……」

 

 置き土産のように告げられた言葉を最後に。

 彼女の足音が背後に遠ざかる。

 シオンは少し、その場に立ち尽くしていたが。

 その足音が十歩を刻む程度に離れた時。

 

「――だったら」

 

 振り返りながら、言っていた。

 

「実力で……奪い取ったらどうっすか」

「…………」

 

 ジェンティルドンナは、それに立ち止まり。

 ゆっくりと振り返る。

 果たしてどんな顔をしてるか――シオンは恐々としたものの。

 そこに浮かんでいたのは、彼女の思うような、でたらめに威圧的なものではなかった。

 

 軽く目を見開いた。

 ジェンティルドンナとしては、珍しい表情――

 

「――、」

 

 まさかそのようなことを言われるとは思わなかった。

 そう言わんばかりの彼女は、それにしばしの無言を返すと。

 

「――あははははっ」

 

 上品な所作で、笑っていた。

 

「なるほど……なるほどなるほど」

 

 笑いが止むと、浮かぶのは妖しい光。

 獲物を見つけた肉食獣のような、鋭い眼光がシオンを捉える。

 

「会長様があなたを気に入っている理由……少し、分かった気がしますわ」

 

 心底に楽しそうに。

 この上なく可笑しそうに。

 

「……首を洗って、お待ちくださいませ?」

 

 言った彼女は、優雅にカーテシーをすると。

 彼女の前から、立ち去っていた。

 ……生徒会室をも、通り過ぎて。

 

「……」

 

 いや、結局待たないんかい――と、心の中でツッコミながら。

 シオンは、一仕事終えたように息を吐く。

 彼女も彼女で、嵐に見舞われたように、乱れた心を整えるために。

 他に誰もいなくなった廊下を、歩き出した。

 

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