泥に塗れた私たちへ   作:Ray May

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黄金の風、ですっ!

 

 

 

 有マ記念大会!!

 

 

 

 日本競レースの黎明期、時のURA事務総長が、「日本ダービーに匹敵する大レースを!!」という信念の下に設立した大会である!!

 当時としては異例の、ファン投票による『優先出走権』が初めて導入された大会でもあり、その功績は、後に続く多くのレースに多大な影響を及ぼした!!

 今では年末の風物詩として、競レースをよく知らない人々にさえ認知されている、日本競レースの歴史を語るに欠かせない盛大な催しである!!

 

 

 そんな素晴らしい大会の貴賓席!!

 招待された者しか立ち入りを許されない、正真正銘の特等席に――!!

 

 

 ――フェアリィルナと高橋はいた。

 

「……」

 

 背の高い観客席の最上部、外部と隔絶された空間では、前方のガラス越しにターフ全体を見渡せるようになっている。*1

 設置された二つ一組のいくつかの座席には、上品なスーツ姿の人々が着席して歓談に興じており、名家で催される立食会宛らだ。

 

 高橋はこれで『ちゃんとした』服装に身を包んできたつもりだった。が、彼らの装いと比較すると、むしろよりみすぼらしく感じられてしまう。

 自分の立ち入るべきではない領域であるということを、むざむざと見せつけられている気分だ。

 

「――ふおぉぉぉっ……な、なんだか緊張しますねっ、いつもと全然雰囲気が違って……!」

 

 隣の少女――フェアリィルナも、さすがに緊張しているらしい。相変わらず浮かれてはいるが、これまでよりかは落ち着いているように見えた。

 

「……」

 

 ……なんで。

 なんで、こんなことに――高橋の疑問の答えは、あの、オルフェーヴルとの問答の日にあった。

 

『――ひと月待て』

 

 条件がある、と語った彼女は、少しの沈黙の末に、そう告げていた。

 

『貴様も知っているであろう。年末の有マ記念――余はそこを最後の舞台に定めている。……そこに貴様を招待してやる』

『え……?』

『余の姿を、精々その目に焼き付けよ。……その上で、改めて思案せよ』

 

 本当に、『あれ』と契約するかどうか。……

 

 オルフェーヴル。あの『皇帝』にも並び立つとされる、稀代の名ウマ娘。

 立ち居振る舞い、思考回路、その全てが『唯我独尊』を地で行くようなものでありながらも、その実細かな気配りが出来、事務作業までもそつなくこなせる万能型でもある。

『ツンデレの超すごいやつ』――などと冗談めかして言われることもしばしばだ。

 

 高橋もその思考を理解し切れたことはなかったし、理解しようという気すらなかった。それくらい、隔たりのある存在だった。一体彼女は、ここで何を、どうして伝えようというのか。

 彼女には、疑問でならなかった。

 

「――あっ! トレーナーさんトレーナーさんっ!!」

 

 高橋の肩を、フェアリィはバシバシと叩く。無論だが、フェアリィは例の『条件』のことを知らない。はしゃいでしまうのは仕方のないことかもしれないが、自身の心持とはあまりに正反対なその反応に、高橋は愉快通り越して不愉快になりそうになってしまった。

 

「ほらっ、ほらっ! 皆さん出てきましたよっ!!」

 

 それを必死に圧し留めながら、向けた視線の先。

 ターフ上に、今回の出走ウマ娘たちが、姿を現し始めていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 どれだけの間、その背中を追い続けただろう。

 いや、最初は追おうだなんて思っていなかったんだ。

 クラシック級のきさらぎ賞。悔しさに泣いたあたしの一方で、彼女は何かを掴んだみたいに、手を開いたり閉じたりしていたっけ。

 

 次にまみえたのは、日本ダービー。

 各地の若き才能が集う中、彼女はひときわ異彩を放っていて。

 一時は先行したはずなのに、その――もう、常軌を逸しているとしか表現出来ない走りで意表をつかれ、敢え無く2着。

 

 そして、神戸新聞杯――三度顔を合わせた時。

 ――あぁ、きっとあたしは。

 この人に立ち向かうことを運命づけられているのだと思った。

 

 菊花賞。

 宝塚記念。

 大きな舞台には、必ずと言っていいほど、彼女の姿があった。

 それに追い付こう、追い抜こうと、毎回試行錯誤するのに。

 彼女は、そんなものなど無意味とばかりに、跡形もなく打ち崩していく。

 

 勝ちたい。

 勝ちたい。

 勝ちたい――

 何度、そう願ったことだろう。

 

「……」

 

 ……ここが願いの果て。夢の終着点。

『暴君』、オルフェーヴルとやり合える――正真正銘、最後の舞台。

 耳をすませば、詰めかけた観客たちが、口々に色々と話しているのがよくわかる。

 時間の経過、季節の巡り。出走者の内訳、試合後の予定――

 

 ――オルフェーヴルなら、やってくれる。 

 

「……ちくしょう」

 

 結局誰も、彼女以外の誰かが勝つことなんて想像もしてないってことだ。

 あたしの名前もちょくちょく出ているみたいだけれど、それも申し訳程度に言及されるくらい。

 どうせ敵わないんだろう、とでも言いたげな諦観が滲んでいる。

 

 一人一人から滲むそれは取るに足らないものだ。

 ただ、数十、数百と積み重なれば、確かな圧となって双肩に圧し掛かってくる。

 まだレースは始まっていないのに。勝負はこれからなのに。

 苛立ちと陰鬱に、気が滅入ってしまいそうになる……

 

「副会長さまー!」

「……?」

 

 そんなあたしの意識を引き上げるみたいに、聞き覚えのある声が聞こえた気がした。

 蜘蛛の糸みたいな、少し注意を怠れば消えてしまいそうなそれを、慎重に辿って出所を探る。

 最初は気のせいだと思ったけれど。声の主は……確かに『そこ』にいた。

 

 貴賓席から――

 フェアリィちゃんが、元気よく手を振っていた。

 

 まるでその様子は、あの『視察』の時のよう。隣に座る例の……仮の担当さんが、如何にも不快そうに身体を逆側に傾けているのが、なんだかおかしくて笑ってしまった。……

 

 ……うん。

 うん。そうだよね。

 先輩として、副会長として。始まる前から、勝負を放棄するなんてやっちゃいけない。

 

「……っ」

 

 ぱん、と自分の両頬を強めに叩く。そうだ……『雑音』なんて気にするな。みんながオルフェさんの勝利を願っていることなんて……知ったことか。

 あたしは、あたしのやりたいようにやるだけ。迷うな。躊躇うな。今日こそ勝てる。勝てる勝てる勝てる……!

 

「――っしっ!」

 

 根拠がなくても。確証がなくても。自分に言い聞かせると、自然と気持ちが震え立った。一度は萎んだ闘志が、しっかりと再燃したのを感じながら、俯かせかけた顔を上げ直した――

 

 

 

 ――その時だった。

 

 

 

「――!!」

 

 びり――と、肌が痺れるような感覚。

 その場に集ったウマ娘の全ての注意が、一斉に地下バ道の入り口へと向けられる。

 闇を切り裂くように、その姿が浮かび上がっていた。

 会場が、ひときわ大きな歓声に震える。

 

 ――『金色の暴君』。

 オルフェーヴルが、ターフに入場していた。

 

『……』

 

 普通――

 それだけの歓声があれば、多少なり応えるもの。

 かつて『皇帝』は優雅に手を振り、

『帝王』は元気よく拳を振り上げ、

『覇王』は満足げに両手を広げていたという。――さしたる反応を示さなかったのは、『シャドーロールの怪物』くらい。

 

 今ここにいる『暴君』もまた、それら声援に何ら反応を示していない。

 会場を埋め尽くさんばかりの声の海を――泳ぐのではなく。声の方が、彼女が通るに従い、道を作っているように感じられる。

 人間は呼吸をする時に、酸素に対していちいち感謝するだろうか? それと同じだ――

 

 声援を受けることなど、彼女にとっては当然のことなんだ。

 浮かれることも、応じることもない。

 

 ……ホントにこの人は。

 どこまで行っても、この人だ。

 

 超然とした佇まいと空気に、誰もが瞬時に呑み込まれるけれど。

 

「……、」

 

 ……でもあたしは。

 一人、彼女の元へと歩み寄った。

 怖気付いてなんていられない。あたしは貴女に……

 言わなきゃいけないことがあるんだ。

 

「……」

「……」

 

 数歩の距離を置いて対峙するけれど、オルフェさんは何も言わない。

 いつも通りの高圧的な目で、あたしを射抜くばかり。

 ただ――あたしだって、引かない。対峙するのは、もうこれで6回目。今更になって、引くもんか……

 

「……オルフェさん」

 

 瞳から目を逸らさずに、言う。

 

「今日がラストランだそうっすね」

 

 彼女は何も言わない。黙って――あたしの言葉を聞いてくれている。

 

「でもあたしは、最後までやられっぱなしで終わる気はないっす」

 

 宛ら庶民の意を聞く賢帝、余裕綽々にも見えるその様子に――

 あたしは、拳を握り締めて、言った。

 

「……その玉座。

 今日こそ、もらい受けますよ」

 

「……」

 

 刹那――彼女の目が、ほんの少し、見開かれたような気がした。

 しばしの無言の時間――

 

「――ふっ、」

 

 やがて彼女は。

 

「――っははははははっ!!」

 

 笑っていた。

 表情を崩し、口元を軽く手で覆いながら、笑っていた。

 

「……面白い。シオン。やはり貴様は面白い」

 

 その笑いが引かないうちに、彼女は続ける。

 

「我が来訪に、万夫がこれほどまでに憂懼する中で、なおも果敢に余に相対する、その無謀さ……勇猛さ……やはり、余の直感は間違っていなかったようだ」

「……」

 

 ……そうっすか。

 それは、何よりっすよ。

 

「――であれば」

 

 言い切ると、眼差しが神妙になる。

 愉快そうな色が、瞳から消え失せる。

 周囲の空気が、再び引き締まる。

 

「その言葉……真にしてみせよ」

 

 そして、傲然と告げると。彼女は、あたしの傍を通り抜けていった。

 豪奢な後ろ姿をしばらく見届けて……あたしも、そこから歩き出す。

 

 ……応とも。

 追うとも。

 その背中に――

 

 今日こそ。

 追い付いてやる――……!!

 

 決意を新たに、スターティングゲートへ。

 辺りに響くファンファーレは、宛ら王を送り出す軍歌。

 誰もが、どこか畏まった動きで収まっていく。

 

 閉ざされたゲートの中で、もう一度、拳を強く握り、青々と広がる芝生を見て、姿勢を整えた。

 訪れる静寂――

 

『――!』

 

 轟音が響き。

 レースは、幕を開けた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 究極的な話をしてしまえば――

 あらゆる勝負ごとにおいて、常に、即座に、確実に、勝利の条件を満たせるなら、戦術などは必要ない。

 球技であれば、球をゴールに叩き込める技量があれば。

 格闘技であれば、一撃でノックアウト出来る力があれば。

 競レースにおいては――全てを置き去りにする速さと、それを維持出来る体力があれば。

 どんなに卓越した戦術も、たちまち無意味となる。

 

 

『速度飽和時代』(スピードバブル)*2というものがある。

 20世紀末期の、競レースの様相を指す用語だ。

『異次元の逃亡者』とまで呼ばれた、正しく次元の違う『逃げ』を披露したウマ娘が出現したことで、一時は鳴りを潜めたはずの『速度重視』指向が復活。

 トレーナー、観客共々、過度なまでに速度を求め続け、最後には光さえ置き去りにするんじゃないか、などと言われたこともあった。

 

 だが――ウマ娘は生物であり、神仏の類ではない。

 行き過ぎた速度は、身体に深刻な負担を齎し――

 ――やがては、痛ましい悲劇を生むに至った。

 

 以降、取り分け21世紀に突入してからは、速さよりも『戦術』を重視する傾向が強くなった。

 人々はその傾向を歓迎する一方で、不満に思う層も少なからずあり――

 ――『詰まらなくなった』。そう評する者もあった。

 後に登場する『近代競レースの結晶』とまで呼ばれたウマ娘の出現が、またその認識を覆すことになるわけだが――それに関しては割愛。

 

 ……オルフェーヴルは、そのあまりに『王様然』とした振る舞いを除けば、才色兼備の優等生である。

 運動はもちろん、学問も、娯楽も、何をやらせてもそつなくこなす、稀代の才覚の持ち主だ。

 こと競レースにおける知識量ともなれば、並のウマ娘を大きく圧倒して余りある。

 

 だから、レースの立ち上がり――

 彼女が後方に着いたことを、調子のせい、などと判断する出走者はいなかった。

 

「……」

 

 ウインバリアシオンもまた、序盤は後方。

 すぐ背後に、『彼女』の気配を感じられる位置取り。

 先行している状態ではあるが、それは浮かれる理由になどなるはずがない。

 

 オルフェーヴルも、よく認識している。

 現代の競レースが、ただ速ければいい、というだけのものではないことを知っている。

『速さ』(センス)など基礎、そこに積み重なる『戦術』(ロジック)がモノを言う時代だということを、よく認識している。

 もし万に一つ、億に一つ、兆に一つ――調子が悪いのであれば、それは単に運が良かったというだけのこと。

 油断するな。気を抜くな――シオンは、そう自身に言い聞かせながら、レースを進める。

 

 1コーナー、2コーナーを抜け、最初のホームストレッチ。

 位置取りは最内、少しラチに近過ぎる気がするけど、悪くない。

 ただそれも最初だけ、ゴール板を一度通り過ぎる頃には、周囲に出走者が固まる形となった。

 ……これだと、抜け出すのに苦労しそうだ。

 

 全体の動きも統率が取れている。

 誰もが、誰もの動きを伺っているみたいな――どこか緊張感のある空気。

 ――もしくは。

 誰もが、後方に控える『王』の存在から。

 必死に逃げているようにすら映る雰囲気――

 

 どう抜け出すか、どう繰り出すか。

 考えているうちに、レースはバックストレッチへ。

 依然として前方は複数の選手で遮られている。偶然か、それとも自分をちょっとでも意識しているのか。

 

 ――はは。いや、あり得ないか。自虐的に、シオンは口端を緩めていた。

 

 啖呵を切ったけど。宣戦布告したけど。この中じゃ自分は……言ってしまえば『下』の方。

 健闘はすれど、1着になり切れない『脇役』。

 その全ての所為は――あの『暴君』にある、と言っても過言じゃない。

 

 貴女さえいなければ。

 そんなことを思うことさえあった。

 

 オルフェさん――実際貴女も、もしかしたら、あたしのことを『下』に見てるのかもしれない。

 取るに足らない奴隷――もしくは石ころくらいにしか思ってないのかもしれない。

 でもだからこそ――だからこそ、貴女を引きずりおろせるのは、あたししかいないって思ってるんだ。

 

 奴隷は失うものがない。

 どんな圧にだって屈しない。

 だから、どんな偉大な王様にだって、刃を向けられるんだ。

 やれるのは――自分だけなんだ。

 

 その責任は重い。でも、分不相応とも思わない。実際これまで、自分以上に彼女に近付いた者がいただろうか。

 誰もが恐れ、逆らえない。自分だ。自分だけが、あと一歩――とまではいかずとも、二歩、三歩のところにまで迫れているのだ。

 他の奴なんかじゃ――絶対に出来ない!

 

「――っ、」

 

 神とか運命とか、そんなくだらないものの奴隷になる気なんてない。

 でも、心の底から湧き上がる、燃え上がる炎のような感情は自分のものだ。

 ……やるよ。やってやるよ。

 すぐにそこまで行ってやるから――

 

 首を洗って待ってろよ、

 クソ『暴君』――!!

 

 ――そうしてレースは、バックストレッチの終端へ。

 誰もが、勝負の終盤を意識し始める。

 それまで抑えていたものを解き放つように速度を上げ始め。

 前に出るための行動に移り始めた――

 

 

 

「――よい」

 

 

 

 ――のちに出走者が語ったところによると。

 その時、確かに聞こえたという。

 

「――興は終わりだ」

 

 あの『暴君』の。

 裁決を下すかのような声が――……

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

『金色の暴君』。

『怒れる金獅子』。

『黄金の風』。

 

 オルフェーヴルを表現する異名には、常にそういった煌びやかな単語が着いて回る。

 彼女の走りを見たものは、誰もが一様にこう語るのだ――黄金の道筋が見えた、と。

 それは勝利への片道切符。王のみが通ることを許される覇道。

 彼女は、このラストランにおいても。それを示してみせた。

 

「――!」

 

 ウインバリアシオンのすぐ傍を、あの豪奢な影が通り過ぎる。

 ――来た。彼女は直感した。

 オルフェーヴルの見出した筋道は外側。すっかり一塊となった集団の横を、凄まじい速度で走り抜けていく。それを邪魔する者も、それに追随する者もいない。まるでその道が、侵してはならない聖域であるかのようだ。

 誰も満足に介入出来ず、彼女の猛進を見送るばかり。

 

「――、」

 

 荒々しくも芸術的なごぼう抜きに、シオンも一時は呆気にとられる。

 しかし――呆然としている暇などない。勝負は着きかけているのだ。そう――着き()()()いる。

 まだ、まだ着いていない。そして幸運なことに、他の選手もその動きに着いていけていないのだ。動くなら今――

 勝つには。先行するには。追いつくには。抜き去るには――

 行くしかない。

 

「――ッ、」

 

 ――あたしも、

 行くしかない――!!

 

「ッ――!!」

 

 行く。

 だから、シオンも行く。

 オルフェーヴルの示した黄金の道をなぞるように、その背後を追走していく。

 コーナー終端、その距離は目と鼻の先にまで一時は迫るも――

 

 無情に加速する彼女の姿は、みるみるうちに遠ざかっていき。

 ホームストレッチに入るころには、既に1、2バ身ほどの距離が着いていた。

 

「……、……」

 

 本能が語っていた。

 あぁ――もうダメだ、と。

 

 最後の直線コース、小細工の利かない、純粋な速度勝負。

 ここに来て、これだけの距離を詰めるだなんて不可能だ。

 

 だって、あたしと彼女は違うから。

 何もかもに、差があり過ぎるから。

 

 娯楽も、勉学も、立ち居振る舞いも。……レースも。

 何もかも、彼女の方が、格上だから――

 

『――シオン、』

 

 数ヶ月前の映像が過ぎる。

 半年ほど前の記憶が思い出される。

 

『我が生徒会――側近は貴様だ』

『え?』

『これは王の勅命である。拒否権はない』

『へ?』

 

 トレーナー室に押し掛けてきたと思えば、直接、『副会長』に指名してきた彼女。

 それからというもの、腰巾着みたいに着いて回っては、時にオブザーバーをしたり、時に身の回りの世話をしたり――

 

 ……時に。

 憧れてもいたっけ。

 

 ねぇ、オルフェさん。

 あたしはね、貴女さえいなければ、と思ったことがあったよ。

 ……でもね。

 

 

 

 貴女がいてくれたから――

 とも、思ってるんすよ――

 

 

 

「――っ、」

 

 貴女が何を考えてるかなんてわからない。

 でも、あたしを側近に置いたってことは、()()()()()()でしょう。

 ほんの少しでも。ほんの、塵芥程度であったとしても。

 

 ――あたしに、

 期待してくれてるってことでしょう――!?

 

「――、」

 

 ならあたしがすべきは。

 自分が果たすべきは。諦めじゃない。

 

 最後まで。終わりの間際まで。今際の際まで――

 

 貴女に立ち向かうことだ――!!

 

「――ああぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 ウインバリアシオンは咆哮し。

 最後の力を振り絞り、遠ざかる背中に追い縋る。

 

『おっとしかしここでウインバリアシオン来た! ウインバリアシオンが来た! ウインバリアシオン魂の追走! 先頭をひた走るオルフェーヴルに追い縋る――!!』

「――!」

 

 そのような展開は予想外だったのだろう。オルフェーヴルは、肩越しにその姿を認める。その目は、珍しく驚愕に見開かれていた。

 覇道を猛然と行く、黄金の風に――

 赤色の刃が、勇猛に行く――

 

『届くか! ウインバリアシオン届くか! 残り5バ身、3バ身――……』

「――っ、」

 

 ――届け。

 

「ぉ、」

 

 ――届け。

 

「おぉぉぉぉ――」

 

 ――届け――!!

 

「おおおぉぉぉぉぉぁぁぁああああッ!!」

 

 力の限り。魂の限り。ウインバリアシオンは追走を続けた。

 その距離は、最後、2バ身ほどにまで縮まっていた――あと数メートルあれば、その結果は変わっていたかもしれない。

 

 ……ただ、勝負は無情。現実は非情。

 とうとう、その泥塗れの手は――黄金の風を捉え切れなかった。

 

『――しかし決めたぁー!! オルフェーヴル、渾身の追走を退け、見事に有終の美を飾りましたっ!!』

 

 ……戦いは。

 終わりを告げていた。

 

『これぞ王の最後の凱旋――! 目に焼き付けよ! これが! オルフェーヴルだぁー!!』

 

 会場が、再びの歓声に満たされる。

 それは、彼女を出迎える祝砲の轟き宛らだった。*3

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「――っ」

 

 思わず、ターフに尻もちをついた。

 乱れた呼吸を整えながら、ターフビジョンを見上げる。

 もしかしたら――なんて思いが、一割――いや一分――いや一厘くらい――あったけど。そんな思いが、叶っているはずもない。

 

 ……あたしの番号、4番は……疑いようのない、2着。

 変わるはずのない――二番手。

 突き付けられた――『敗北』の現実。

 

「……」

 

 ……魂を費やした。

 全力を投じた。

 全霊を――叩きつけた。

 

 それでも駄目だった。届かなかった。無駄……だった。あたしは。

 結局、最後まで……

 

 貴女に。

 勝てなかったんだ……

 

「……、……」

 

 目頭が熱くなる。

 届いたかもしれない、という思いが、それに拍車をかける。

 込み上げてきたモノが、溢れ出そうになるのを、必死に抑える――中。

 

「……?」

 

 影が落ち。

 顔を見上げた。

 そこには、眩い太陽を背負い。

 こちらを見下ろしている姿がる。

 

 ……オルフェさんが。

 あたしに、手を差し伸べていた。

 

「……」

 

 あたしは、一瞬は躊躇うも。

 その手を取る。

 引き上げられるまま、立ち上がり。

 彼女と、改めて相対する。

 

 その表情は、いつも通り毅然としているけれど。

 どこか――驚いているようにも見える。

 

「……シオン、」

 

 彼女は言った。

 

「――見事であった」

 

 いつもと変わらない調子で……言った。

 

「貴様の刃。

 確かに余に――届いていたぞ」

 

「……」

 

 ――ただ。

 あと一歩――()()()()()()

 

「……、……」

 

 それは彼女にとっての、最大限の賛辞だったのかもしれない。

 でも同時に、努力や才能の不足を、この上なく突き付けられたような気もして。

 

 嬉しい、と。

 悔しい。

 両方が綯交ぜの、奇妙な感覚のまま……

 

「……、……っ……」

 

 ただ、俯いて。

 立ち尽くしていた。

 

 ただ、目元に手を当てて。

 泣くしか、出来なかった。……

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「――ふわぁぁぁっ、すっごい、すっごいレースでしたね、トレーナーさん!」

 

 レースの開始直前のように、フェアリィルナは、高橋の肩をバシバシと叩く。

 

「会長さんも凄かったですけど、副会長さんも凄かったですよ!! 私、思わず泣いちゃいそうになりましたっ……!!」

「……」

「あれ? トレーナーさん? 聞いてます? トレーナーさん、トレーナーさんトレーナーさんトレーナーさんっ!!」

 

 うるせーな、と思いながら、高橋はなおも返事をしない。彼女の注目は、フェアリィルナよりもターフにあった――まぁ確かに、レースは凄まじいものだった。

 

 王の名に恥じない結果――見事なラストラン。その事実に疑いようはない。

 ただ――そこからメッセージ性を汲み取ろうとすると、また話は違ってくる。

 レースを観た上で、契約を改めて考える。

 それはいいが――結局、観せた意味は何だったのか。

 

 ――オルフェーヴルが、ウイニングサークルへ向かう。

 

 彼女の強さを『目に焼き付けた』ところで、感想は『強い』以外の何物でもない。

 

 ――しかし、不意にその場に立ち止まる。

 

 そこから生まれる、それ以上の意味はない。

 

 ――ゆっくりと、顔が動いた。

 

 一体、彼女は何を考えて――

 

 

 

 ――鋭い瞳が。

 彼女を刺し貫いていた。

 

 

 

「――ッ!!」

 

 その行動は一瞬で、彼女はすぐさま振り向き直し、再びウイニングサークルへ歩を進める。

 石像のように硬直する高橋を見てだろう。フェアリィルナは、小首を傾げると言った。

 

「……? どしたんです? トレーナーさん」

「……フェアリィちゃん」

 

 無邪気な問いかけに、彼女は答えた。

 

「あの……契約の話だけど」

「へ? あ、はい! そうですね! そういえば、これ終わったら本契約しようって――」

「――ごめん」

 

 飛び上がらんばかりの彼女の言葉を、高橋はやや乱暴に遮ると、何かに怯える小動物のように言った。

 

「少し……考えさせて」

 

*1
実際の中山競馬場にはありません。

*2
出典: その『紙きれ』で、救えますか? 帝都造営様

*3
実際には、8バ身差の大勝でした。

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