デイリー告白 作:ぱらのいあ扇風機
排水溝に春が流れている。
桜というのは春の象徴で、優美で可憐な花だ。けれど雨は、そんな春を流して終わらせてしまう。
桜雨。桜流しの雨。春の雨。言い方はなんでもいいが、それらが桜を散らして排水溝まで流してしまうのは、少しもの悲しいものがあった。
夏に降る雨はジメっとしていて不快だ。
秋に降る雨は特筆する悪い点はないが、やっぱり好ましくはない。
冬に降る雨はシンプルに寒い。冷たい。だから嫌だ。
結局雨というものは大なり小なり不愉快なものだが、それでも大抵の場合は肉体的なものだ。冬場は洗濯物が乾きづらいとか、そういうことも色々あるだろうが、それも物理的なことに過ぎない。
だけど春は、春の雨は、桜を散らす。
花というものは、生活に直接的な影響を及ぼすことがない。だから無くなっても直接的に困ることがない。だけどだからこそ、精神的な部分に最も関わる大切なものでもある。
だから、それを台無しにしてしまう春の雨が、一番嫌いだった。
雨、雨、雨。
雨が傘を叩いている。
雨音にはリラクゼーション効果があるらしい。
それに耳を傾けながら、彼は、雨で流れる桜の花を見つめる。
色々思うところはあったが、深呼吸をしつつ眺めていると、徐々に心が落ち着いていくことを感じられた。
とはいえ、雨以外にも、少なからず苛立つ理由というのはあって。
彼は軽く、眉間に皺を寄せていた。
「……
淡々と呟きながら、彼は時刻を確認する。
雨の降る中、排水溝を眺めていたのは、何も彼が酔狂な人間だからというわけではない。
単純に待ち合わせをしていて、暇を持て余していたからだった。
(まぁまだ遅刻になるわけじゃないしな……。でもあと10分来なかったらボコそう)
物騒なことを心に決めつつ、彼はまた暇つぶしがてら、雨音に耳を傾ける。
雨は忌避する点も多いが、雨音だけは嫌いじゃなかった。
決して好きではないが、嫌いじゃない。
徐々に湿り気を帯びていく制服と、積もる苛立ち。
そしてそれを洗い流す、鎮めの雨。
悪感情と好感情によって作られた、天秤のつり合い。
そうしたものに浸っていると、いつの間にか、そばに一人の女の子がやってきていた。
「……あの!」
同じ学校の制服。濃紺のブレザー。
そんな認識を持ちつつ、左右をゆっくり見渡す。
どうやら、この場には2人しかいないようで、彼は怪訝な顔をする。
「? ……俺?」
「えっと、おはようございます!」
「おはよう」
話しかけてきた少女は、目を見張るような綺麗な顔立ちをしていた。
綺麗な栗色のロングストレートがまた印象的で、髪染めをしているのかと思えた。けれど色素の薄い瞳の色や、形のいい眉の色からして、おそらく地毛なのだろう。
また、少女の頭には、桜のヘアピン。
栗色の髪は桜の幹のような色合いにも似ていて、そして桜のヘアピンは桜色をしている。
まるで桜みたいな子だな、と。
暗雲の下でも映える華やかな雰囲気に、目を瞬く。そしてワンテンポ遅れてから、桜少女の胸元のネクタイが赤い色をしていることに気が付いた。
赤いネクタイは、新1年生の色。
「今年入学か? 学校ならあっちだけど」
もう入学式は終えているはずだし、試験のときにでも来たことはあるはずだ。けれど慣れないうちは、迷ってしまうこともあるだろう。
きっと少女は、同じ学校の生徒相手にそれを聞きたかったのではないか、と。
彼はそう予想した。
「ありがとうございます。えっと……その……」
「いいよ別に。最初はどうしたって道に慣れないよな」
「えへへ……。でもどうしてわかったんですか? 私が1年って」
「ネクタイが赤かったから。今年は1年が赤で、2年が黄色で、3年が青」
ほら、と彼は自分の胸元を指差す。
そこには首元までしっかりと締まっている、青のネクタイがあった。
「3年生……」
「そうなる」
「そうですか……」
桜少女は何故か落ち込んだ。
「同級生だったらちょっと良かったなと思って……」
「それで話しかけてきたのか……?」
「あ、でも先輩だろうなとは思ってたんです! かっこいいし、背高いし……!」
「……なるほど?」
彼は身長170後半。まぁ比較的高いほうではあるし、目測150ちょっとの少女と並ぶとそれなりの身長差ではあった。
それはともかく、かっこいいという台詞や、何故だかキラキラしてる目が、どうにもむず痒い。
桜少女は未だに、「先輩かぁ……」と彼に興味津々だった。
「…………」
「…………」
リアクションに困りつつ沈黙していたが、桜少女の熱い視線は冷めることがない。
「……ところで新入生」
「はい?」
「新入生なら朝の交流タイムは大事だと思うんだが、どう思う?」
「! 友達づくり……ですか?」
「そうだ」
ハッとした表情になった少女は、神妙な顔で頷く。
そして、そんな表情の豊かさに、彼はひっそりと感心する。無愛想である自覚を持つ彼には真似できないものがそこにはあって、素直に凄いと思えた。
「私、
「……いや」
この子は俺と友達になりたいのか?! と彼は内心の動揺を隠し切れない。
そんな彼をじっと見て、優衣は小首を傾げている。
「……
彼は早々に諦めて、しぼるように名前を言う。
優衣は、ぱぁぁ、と顔を喜色に染めて、「アマミヤ先輩……!」と呟いている。
「素敵なお名前ですね! どんな字なんですか?」
「ここまで名前に興味を示されたのは生まれて初めてだな」
きゃっきゃ、とはしゃぐ優衣を見下ろしながら、彼は少し引いていた。
「どうでもよくないか、名前なんて」
「そんなことないですよ! だって名前を知らないと、名前が呼べません!」
名前を知らないと名前が呼べない。
当たり前のことで、当たり前だからこそ大切なこと。
グッと拳を握りながら力説する後輩に気圧されながら、確かに、と彼は頷く。
「……まぁ大事なことではあるよな」
「はい!」
どうにも会話の内容がむずがゆくて、彼はガシガシと頭を掻く。
そんな彼を見て、優衣は「ふふっ」と楽しげに笑う。
理解できない感情の動きに、彼はずっと困惑しっぱなしだった。
幾ばくかした後、少し迷って、彼は空を指差す。
「とりあえず、そろそろ行ったらどうだ新入生。雨も降ってる」
「迷惑でした?」
「そうは言ってないだろ……」
「んー……」
優衣は、周の顔を覗きこむようにして見上げる。
目が合って、彼は負けじと目力を入れて、睨むように見返す。
あまり人相が良いとは言えない彼が睨めば、大抵の相手は少し引くのだが、目の前の美少女はまるで気にしていない。
「ここで私が行っちゃったら、たぶん先輩、すぐ私のことなんて忘れちゃうんだろうなって思うんですけど、あってますか?」
「なんだその質問。覚えててほしいのか……?」
「はい!」
「はいじゃないが」
不可解極まりない質問の意図が、やはり彼には解らない。だから眉間の皺はより深くなって、より一層睨むような形になってしまう。
けれどそれにも怯むことなく、優衣は、朗らかな笑みを浮かべる。
「先輩に覚えててほしいって思うのそんなに変ですか? 先輩はさっき、友達づくりは大事って言ってましたけど、別に友達って同じ年だけじゃなくてもいいんじゃないかなって」
「……俺と友達になりたいの?」
「いえ!」
「よし、解散」
「わー! 待ってください待ってください!」
違います、と横に手を振って、彼女は否定を表現する。
「先輩先輩! 言葉のあやです! 言葉のあや! 気を悪くしたならごめんなさい! ほら! 例えば部活の先輩後輩ってどれだけ仲良くてもやっぱり多少上下関係みたいなのあるじゃないですか! 付き合い長かったら友達だと思いますけど、会って数日で友達って言うことはないじゃないですか! そういうことが言いたかっただけで……!」
「へえ」
「すごく興味なさそう!」
優衣は身振り手振りを大きくして、必死だった。雨が降ってるというのに、そういうことをするものだから、少し傘の外に体が出てしまっていた。
周は自分の傘を動かして、優衣の肩が雨に濡れないようにする。
「別になんでもいいけど、制服真新しいんだから汚すなよ」
「!」
え、もしかしてこの人さっきからさっさと行けって言ってたのそれが理由?!
と言わんばかりの表情を、優衣は浮かべる。
そしてそういう感情の機微を彼も察して、別にそういうのじゃない、と眉を顰める。
「…………まじでそろそろ行けよ新入生」
「え、じゃあ先輩が私のことを『新入生』とかじゃなくて名前で呼んでくれたら行きます」
「ふてぶてしいなコイツ」
「昔好き勝手に生きたほうが得って教わりました!」
「めんどくせぇ教育受けてんな。他人事なら同意だが」
確かに自分勝手に生きたほうが自分は楽だし、そもそも相手がそれを嫌がるかどうかが未知数な時なら有効な気はする。
そういう理屈は彼にも頷ける部分があって、否定しづらい。
「名前なんだっけ。もう一回教えてくれ」
「呼んでくれるんだ……」
「いつまでもダル絡みされるのもめんどくさいからな」
「じゃあLINE交換しませんか?」
「なんで?」
「LINEに私の名前載ってるので!」
「えぇ……」
ふてぶてしさの加速が留まるところを知らないな、と周は顔を覆う。
しかし一度納得した理屈を今更拒否するのも、それはそれで面倒だった。
「QRコード出すから適当に読み込んでくれ」
「! ありがとうございます! 言ってみるものですね!」
「そんなに嬉しいか?」
「はい!」
話しながらLINEを交換する。
交換直後に、可愛いペンギンのキャラクターが『よろしくね〜』と言っているスタンプが送られてきた。
それを既読スルーして、彼は軽く息を吐く。
「これでいいか」
「名前呼んでください名前」
「あぁ」
そういえばそういう主旨だった、と頷く。
LINEの名前のところには、ひらがなフルネームで『さくまゆい』と載っていた。
「サクマ」
「ありがとうございます!」
「これでいいのチョロいな」
「チョロくはないですけど、最後にもう一ついいですか?」
「……まぁいいぞ。なんでも来い」
毒を食らわば皿まで。
もうここまできたら何でも一緒だ、と彼は身構える。
そして優衣は、桜を散らす雨の中、綺麗な笑みを浮かべて、最後のお願いを口にする。
「好きです! 付き合ってください!」
「なんでだよ! 無理だ!」
まるで、春満開。
雨で翳らない笑顔の告白を、彼は全力で拒否した。