銀世界の記憶は、いつまで経っても色褪せることがない   作:ぱらのいあ扇風機

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第一話 : 風と雪と彼らの出逢い

 

 銀世界の記憶は、いつまで経っても色褪せることがない。

 子供の頃から雪が好きだった。特に、初めて見た雪景色のことはよく覚えている。寒い冬の朝、ストーブにあたっていた自分に、

青嵐(せいらん)おいで。きれいだよ』

 と母が言い、窓の外を見たときのこと。

 そのときの感動。世界を塗り替える白雪のヴェール。

 

 あまり雪が降らない地域というのもあって、雪を見るたびにその思い出が蘇る。

 雪に童心がくすぐられる、というのも子供っぽいかと思うときはあるが、しかして感じるものは感じるのだから仕方がない。

 そして一般論として、雪を見てはしゃぐことは珍しくない。

 だから別に変なことではない、のだが。

 

「さすがにアレははしゃぎすぎだろ……」

 

 青嵐は、目の前の光景を眺めてひとりごちた。

 広々とした公園。

 中には大きなポプラの木が(そび)え立っており、その周辺がやけに騒がしい。

 

 

「本当に落ちるから、揺らすのをやめて! 君が思ってるよりは揺れてるからー! 人がこの高さから落ちて無事で済むと思ってる?! 無事にすまない可能性があるってことはやめたほうがいいってことなんだけど?! ちょっと聞いてる?! あっ本当に怖い」

 

 

 木の上には、悲鳴をあげる少女が一人。ずいぶん高くまで登ったようで、とてもじゃないが飛び降りようとは思えないほど。

 そしてその木の根本には、小学生くらいの子供が一人。無言で木を蹴ったり揺らしたりしているようだった。

 少女の言う通り、さすがに洒落にならない、と青嵐は声をかけながら駆け寄る。

 

「おい、マジで危ないからやめとけ! 洒落になんねーぞ!」

「ゲッ」

 

 顰めっ面をした青嵐が軽く腕を振り回して威嚇すると、悪戯小僧は脱兎のごとく逃げ出した。

 ったく、と嘆息をつきながら彼は頭上を見上げる。

 そこには枝にしがみつくひとりの少女がいて、その顔は安堵に包まれている。

 

「おーい、アンタ大丈夫かー?」

「だ、大丈夫ですー! たった今大丈夫になりました〜! ありがとうございます〜!」

「降りられるかー? ……てか、ずいぶん高いとこまで行ったな……」

「降りられますけどせっかくなんでテッペンまで行きたいんで行ってきます!」

「お、おう」

 

 青嵐は、よじよじ、と木登りを再開した少女に目を丸くする。

 どういう状況なのかこれっぽっちも理解していなかったが、どうやら少女は自分の意思で木登りをしているらしかった。

 

 それを眺めて、少し考えた。

 

 なんだか楽しそうだな、と。いやいや年甲斐もない……などと。

 けれどやっぱり心は正直なようで、浮かんでくるのは『羨ましいな』という気持ちばかりで。木登りなんていつからやってないだろう、と。やったらやったで楽しいんじゃないかな、と。

 そんな風に思って、周囲を見渡す。

 つい先ほどまでいた少年もいなくなっているようだった。もうおそいじかんであるし、彼に追い払われて、そのまま帰ったのだろうか。

 つまり、木を揺らされるだとかタックルされるだとかは考えなくても良いということで。

 

「うおっ……懐かしい……」

 

 適当な太い枝を掴んで、よじのぼる。

 その動作が、木の香りが、質感が、何もかもが懐かしい。

 ささやかな感動を抱きながら上を目指す。

 

 風。

 

 身を切るような寒さに手がかじかみ、痛みすら感じる。

 けれど楽しくて、頬が緩んだ。

 ある程度の高さまで来たところで、頭上から声が降ってくる。

 

「…………やっぱり木登りとかダメな感じですかー?」

 

 見上げると苦笑をした少女が、テッペン近くでバランスを取っている。

 

「いや、楽しそうだったから」

 

 青嵐は端的にそう答えて、自分も居座りのいい場所を探す。テッペン付近はパーソナルスペースの関係もあって、なんとなく気が引けた。だから中頃の、ちょうどよさそうなところに居座ることにした。

 心臓の鼓動が少し早くなっていて、体が少し温まってくる。

 景色もきれいだった。

 

 白く霞んだ、遠い風景。

 

 白雪と、曇天と。それらが世界に霞のヴェールを落としている。

 いつも通りの街なのに、どこか掴みどころのないような。どこか遠くにあるような。にぶくて、寒くて、淋しくて。

 だけどきれいな、特別な風景。

 先ほどと見ているものは変わらなくても、少し視点を上げただけで、格別だった。

 

 

「──……」

 

 

 ふと、風にまぎれて、声が聞こえた気がした。

 見上げると無表情な少女と目があって、彼は首をかしげる。

 

「アンタ、なんか言ったか?」

「いえ〜、なんでもないですっ! お兄さんは木登り好きな感じですか?」

 

 話しかけると、少女はにぱっと微笑み、明るい声を返してきた。

 

「好き嫌いとか考えたことなかったけど、まあ好きだな。思った以上に景色も特別感があっていいなって思った。アンタは? なんかめちゃくちゃアグレッシブだよな」

「あはは。女の子なのにって感じですよね〜」

「別にいいと思うが」

「……んー、私、高いところからの風景が好きで。だから、それで、素敵な木があるなあって思って」

「それで子どもに悪戯されてたと」

「いや〜、そのときは誰もいなかったんですけどね〜」

 

 周りに誰もいなかったからと言って、別に木に登っていいわけではないが、そこに関しては彼もすでに同罪なので黙認することにした。

 

 

「──風が好きなんですよ。高いところで吹く風は、特別だから」

 

 

 ぽつりと、つぶやくような言葉が降ってきて、彼は少しドキリとした。

 

「まあ気持ちいいもんな。て言っても、ちょっとこの時期だと寒すぎるけど」

「あはは。そうですね〜」

 

 でも。

 

「まあ、寒くても好きっていうのはわかるなあ……」

 

 冷たくても、痛くても。

 雪も、風も。

 好きなものは好きだから。

 

「俺も雪好きなんだけど、寒いのは苦手なんだよな。でも苦手でも好きってあるよな、綺麗だし。ちょっとズレてるかとしれないけど、そういう感じだよな?」

「……あは、全然わかんないですけどたぶんそんな感じです」

「わかんないかー」

「お兄さん変な人ですね」

「まじでアンタには言われたくねえな?!」

 

 少女は客観的に見て、一風変わったひとだった。

 まずこの寒い冬なのに、コートを着ていない。着ているのは黒のオーバープルパーカー。ある程度の防寒にはなるだろうが、この寒空には少し物足りないだろうと彼は思う。

 そこまでは、別に普通の範疇だが。

 木登りをして、上を目指して、「風が好きだ」などと言う。それはなんだか、彼が今まで生きてきた中では会ったことのない言動で、印象的だった。

 

「まあいいじゃないですか。たぶんもう会わないんだし、好きなようにさせてくださいよ」

「別にいいけども!」

 

 少女の言葉は、少しの冷淡さを含んでいた。

 ほろりと溶けて消える程度の、ひと粒の雪のような冷たさ。

 それは変に優しくされるよりよほど心地よくて、逆に好感が持てた。

 

「まじて変なやつだな……」

 

 ぼそりと、聞こえない声量でつぶやく。

 少女は彼への興味を失ったのか、また風景を眺めていた。

 微動だにせず、明るかった笑顔もなりをひそめて、どこか遠くを見つめている。

 

 風景。風の景観。風の光。

 

 髪が風でたなびく。雪が風で流れる。

 それらを通して、風を観る。

 霞んだ街並みを、雪を、風を。肌で感じる。

 

「…………さぶ」

 

 風が吹いて、手がかじかむ。

 さすがにいつまでもこうしてはいられない、と青嵐はとりあえず下に降りることを決めた。

 邪魔をしたな、という気持ちが少しもあったし。公共の場で木登りをしているという罪悪感もあったし。それに、充分満足もしていた。

 

「俺降りるから、ちょっと揺れるかも。気をつけといてくれー」

「はい、お気をつけて〜」

 

 少女は、笑顔で小さく手を振る。

 それを見て、よし、と彼は身構える。

 こういうものは存外、登るより降りるほうが難しいのが常。

 この高さから落ちたら、打ちどころによっては大怪我の可能性もある。

 

「……よっ。………………ほっ」

 

 ひやっとしながら、青嵐はなんとか、無事に地面に足をついた。

 ほんの少しの間だったのになんだか久しぶりな気がした。

 

 そしてまた見上げると、少女と目が合う。

 どうやら無事に降りられるか見てくれていたようだった。

 実際少女がどう思っていたかはわからないが、彼はそう感じて、ぺこりと一礼する。

 

「……帰るか」

 

 名残惜しい気もしたが、これ以上はナンパな雰囲気もするし、「もう会うことはない」というような言葉ももらっている。

 これ以上は野暮というものだろう、と。

 そう思って踵を返そうとして。

 

 

 瞬間。一際強い風が吹いた。

 横殴りの雪。揺れる看板。押される体。

 

 

 そして彼は、少女が、足を滑らせたのを見た。

 うっそだろ、という声も飲み込んで、反射的に動く。

 バキバキ、という枝の折れる音。ドン! という衝撃。

 

「〜〜〜〜っ!」

 

 間一髪で、彼は少女を受け止めることに成功した。

 けれどひと1人の落下衝撃というものは相当なもので、2人まとめて地面に倒れ込むこととなった。

 

「……いっ、てぇ〜〜」

 

 彼は背中から倒れて、正面、腕の中には少女。

 受け身の姿勢など取れるわけもなく、その痛みは相当なものだった。

 

「ご、ごめんなさいっ! 大丈夫ですか?!」

 

 何故か、花の香りがした。

 曇り空なのに、月が見えた。

 

「あー、大丈夫。てか、アンタこそ大丈夫か?」

「私は……はい、そんな大したことないと思います」

 

 至近距離で抱き合う形になっていて、時間差で、花の香りは少女からするのだと気づく。香水か何かだろうか。

 そして、瞳。

 遠目からはわからなかったが、きれいな琥珀色の瞳をしていて、彼には月のようにも思えて。

 

 

「……きれいだ」

「……あは。この状況でナンパですか?」

 

 

 雪の降る、冬の日。

 彼のもとには、ひとりの少女が降ってきた。

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