銀世界の記憶は、いつまで経っても色褪せることがない 作:ぱらのいあ扇風機
[ 第1-06話 : 3650字 ]
「飯、一緒に食べない?」
「……ではお言葉に甘えて、ご一緒させていただきます」
六花の返答に、彼はよし来た! と笑みを浮かべつつ、いそいそと鞄からランチバッグを取り出す。ランチバッグからさらに、アルミホイルに包まれたボールを2個取り出す。つまりお手製のおにぎりだった。
「アンタ……叢雲さんは普段何食べてるんだ? 朝はあんまりとは言ってたけど……」
「あまり固形物は摂りませんね。砂糖をたっぷり入れた珈琲を飲んだりしています」
「あー、甘いもん好きなんだ?」
「好き……というより、
「ああ……」
淡々とした言葉に、薄々感じていた『やべぇこいつやっぱり変な女だ』という思いが強まる。
19年生きてきて、珈琲に入れた砂糖でカロリー摂取をしている、という人種は見たことがなかった。砂糖を入れる理由が甘味ではなくカロリー。
食事に興味がない。味にこだわりがない。それが彼にとっては不可思議で、衝撃が大きい。
「そもそも我が家には食べ物の備蓄がほとんどありませんし、朝食と言っても……」
指先を唇に添え、六花は明後日の方向を見つめる。
「そうですね、波瑠の手持ちの非常食くらいしかないんじゃないでしょうか」
「非常食?」
「カップラーメンなどです」
「あの人そういうの食べるんだ……」
「よく深夜に食べてますよ」
波瑠に今抱いている印象は、『優しいお姉さん』だった。ころころと笑うし、花が好きそうで、
そんな人が、深夜にひとりカップラーメンを啜る。イメージとの乖離が激しく、青嵐は驚きに目を丸くする。
「思ったより庶民的なんだな……」
「そんなものですよ」
「そんなもんか」
「同じ人間です」
「それもそうか」
確かにお金持ちだとか、庶民だとかいう区分けは先入観以外の何物でもないのかもしれない。
彼は2階の惨状を思い返しながら、神妙な面持ちで頷いた。
「でもじゃあ、あのデカい冷蔵庫何が入ってん……ですか?」
「飲み物が大半ですね」
「……開けても?」
「どうぞ」
彼は立ち上がって、冷蔵庫を開けに行く。
中身を見て、青嵐は「うお……」とうめき声をあげる。スペースの使い方が馬鹿というか、変というか、これまた彼の常識からは遠いものだった。
多くを占めているのは、六花の言葉通り飲み物が大半であった。水、それからお茶。お茶についてはこだわりがあるのか、グラデーション豊かで、様々な種類がこれでもかと冷蔵庫の中に詰め込まれている。
「なんかすげー色んなお茶入ってるな……」
「波瑠の趣味ですね。色々こだわりがあるみたいで」
「へー……」
ぱたん、と冷蔵庫を閉めて、青嵐は六花のほうを振り返る。じっと、真っ直ぐな視線は揺らぐことなく彼に注がれていた。
それを見つめ返し、一つの疑問を投げる。
「ところで叢雲さんの好きなもんは入ってないの?」
「……好きなもの……」
「なんかさっきからメイドさんの好みしか聞いてない気がしたからさ。もしかして特にないとか言ったりする?」
波瑠の非常食。
波瑠の趣味満開の飲み物。
じゃあ家主である六花の好きなものは何なのか、というごく当然の連想のつもりだったのだが。
「…………食には特にこだわりがないので」
「だからそんな細いのか」
「月ノ瀬さんだって大して変わらないでしょう?」
「さすがに侵害すぎる。俺は食べるのは好きだぞ」
「なのに一日一食なんですね」
「仕方ないだろ、金がなかったんだよ」
「……あは。今日からはお腹いっぱい食べさせてあげますね」
「クソ! ……ありがとうございます……」
ぐぬぬ、と歯噛みしつつ感謝をする他なかった。食事は生きていく上で必要なものである。
だからこそ『興味がない』『朝食べる習慣がない』というのは少し考えものだな、と。胃が受け付けないといった事情があるならまだしも、そうでないなら、と。
そんな風に青嵐は思うのであった。
「まあでも、食べるもんないなら半分こするか。ちょうど2個あるし」
「私は別に──」
「いいだろ。さすがに一人でもそもそ食うのは良心がだな……。もう就業時間迎えてるんだよな?」
「そうですね」
「なおさら良心が痛んで仕方ないんだよな……。てわけで、駄目か?」
「……わかりました」
「よしきた」
そこまで流れで会話して、ふと我にかえる。
「嫌だったら全然言ってくれたらいいん……ですけど。手握りなんすよね。しかもただの塩むすび」
「……それが何か?」
「ああうん気にしないならいい……です」
お嬢様だとか庶民だとか関係なく、他人が握ったおにぎりは無理という人種は一定数いるだろう。
それを憂慮しての発言であったが、どうやらそういったことには無頓着らしい。
「じゃあ、これ」
「……ずいぶん大きいですね」
「そうか? 女の子からしたらそうかもな」
彼は手元のおにぎりを見て、首をかしげる。
サイズは彼の握り拳よりひと回り大きい。市販の三角おにぎりと比べれば、確かに重量感がある。
「…………」
六花は両手でアルミホイルに包まれたおにぎりを持って、ぼんやりとした様子で見つめている。
何を考えているのかは彼にはよくわからない。
「なあ、パンと米どっちが好き……ですか?」
「それもまた特にこだわりがない、という回答にはなるんですけど。……なんでですか?」
「別に。なんとなく好みとかあんのかなーって、思っただけ……です」
「食べる機会が多いのはお米ですかね」
「へえ!」
「波瑠がお米のほうが好きなので」
「あー、なるほど」
つまり結局本人の嗜好ではない、ということなのだろうか。
好き嫌いがないというのは美徳でもあるが。好きも嫌いも等しくないのであれば、それは少し寂しいことである気がした。
「ところで私からも一ついいですか?」
「はい」
「敬語はなくていいですよ」
「へ?」
「あまり得意ではないですよね? それに、敬語はもともと不要だと伝えていたと思いますが」
「あー」
そう、それは確かに言われていた。
初めて会ったときはため口で。雇用関係が決まったときに、「敬語はなくていい」と。
ただ彼の中できちんとした姿勢で挑みたいという気持ちがあって、その気持ちと事前に言われていた内容が喧嘩してしまっていた状況だった。
「一応仕事だしなと思ってたんだけど、逆に変だったか」
「別にそういうわけではないんですが。……だめですか?」
「いや」
青嵐に青嵐の理屈があって、敬語とため口が入り混じってしまったように。
きっと六花には六花なりの理屈があるのだろう。これまでの言葉から、敬語は使わないでほしい、と考えていることをなんとなく察した。
「……じゃあため口で話すことにする」
「そうしてください。そのほうが私も嬉しいです」
「そっか」
「はい」
穏やかな空気。張り詰めていた緊張の糸が一つ、解けたような感触。
それがどうにも気恥ずかしくなって、青嵐は慌てたように、目を逸らした。
六花の瞳は、今も変わらず真っ直ぐ彼を見つめている。
「と、とりあえず食うか」
「はい。いただきます」
「……いただきます」
ぺりぺり、とアルミホイルを剥がして、彼は豪快にかぶりつく。
冷めているし、そもそも具はないし、片手で強引に握ったということもあって、正直あまりおいしくはない。
自分で口にすると、改めて『これを食べさせたのはまずかったか?!』という思いが湧いてきて、冷や汗を流す。
「……人の手料理を口にしたのは久しぶりです」
けれど、存外六花の声色はやわらかくて。表情はさほど変わっていないけれど、なんだか言外に喜びを発しているようで。
彼もまた、少し嬉しくなった。
「こんなもんでよければいつでも作ってやるよ」
「それはそれは」
「でもあれだな。やっぱ冷たいな」
「電子レンジでも使いますか? もしくは、インスタントのお味噌汁ならありますけど」
「え、いいじゃん。お湯沸かそう」
彼は半分くらい残ったおにぎりをおいて、お湯を沸かすためにまた席を立った。
「にしても、金持ちもインスタントとか使うんだな」
「便利ですからね。私もインスタント珈琲はよく飲みます」
「それはカフェイン目的とかなのか?」
「そうですね」
キッチンでごそごそと動きながら、「味噌汁ってどこ?」「そこの棚です」と簡単な会話をする。
「なんか、ちょっとだけアンタのことわかった気がするわ。わかった気になってるだけかもしれないけどさ」
「……あは。あまり良い理解をされてなさそうですね」
目的のためなら、手段にあまり興味がない。
基本的なところはそれで、でもたぶんそれだけじゃない。人間というのは、そこまで分かりやすいものじゃない。
でもきっと、ほんの一部は理解できたのだろう、と。
薄い笑みを浮かべる少女を見て、彼はそう思うのだった。
「とりあえず効率厨なんだな、と思った」
「確かにそうですね。もしかしたら私は効率重視な人間かもしれません」
そう思ったのだった、が。
「というわけで、後でホラー映画でも見ましょうか」
「なんで?」
やっぱり出会ったばかりの相手のことなんて何もわからないな、と青嵐はすぐに考えを改めるのであった。
[ 第1-07話 : 5046字(追記したら長くなったので投稿するなら2分割する) ]
やや薄暗いプライベートシアター。大きなモニターと、その正面に大きなソファのある部屋。
簡素な朝食の後、彼らはそこに移動をしていた。
そしてソファの上で、六花は悠々とした様子で彼に語りかける。
「知っていますか、月ノ瀬さん。ホラー映画の怖さは数値化できるんですよ」
「数値化? 何、スコヴィル値みたいなもん?」
「辛み成分を測定しているスコヴィル値ほど明確なものではないですが。とある数字が大きければ、より怖いものだ──、と。そのようにして、ホラー映画の怖さに序列をつけることはできるんですよね」
「とある数字?」
少女はピンと指を立てて、そのまま青嵐の胸部を、とすりと指差す。
そこは心臓。命の水を動かすポンプ。
興奮状態では早く、平静状態では緩やかな動きをする臓器。
「心拍数です」
恐怖を感じると、人は鼓動を早くする。ならばそれを測定すれば、人がどれだけの恐怖を感じているのかの目安にはなるのだと。
「あーはいはい。なるほどな、びっくりしたりすると心臓跳ねるもんな」
「そういうことです」
「……つまりホラー映画を見ようみたいな話?」
「理解が早いですね。そうです」
「……え、なんで?」
「ホラーがどうしてもダメだったりします?」
「いやそうじゃなくて……」
青嵐は目頭を揉み込むようにして、皺をほぐす。
ホラーの類が得意か不得意かと問われると、正直あまり得意ではない。
だが、これが“私の言うことを聞いて”の一環であるならそこに対して否はない。
けれど、ただ純粋に困惑があった。話の脈絡がなさすぎる。
「ホラー映画好きなのか?」
「特には」
「だよな。じゃあ何? 人の怖がる姿を見たいとかそういう?」
「……あは。確かに毛布をかぶって泣きじゃくりながら震える月ノ瀬さんはぜひ見てみたいですね」
「おいおい……。まさか本当にそんな理由じゃないだろうな」
「大まかに言うとそんな理由ですね。ただもう少し言葉を選ぶと、ニュアンスは変わるかもしれませんが」
「というと?」
青嵐が尋ねると、六花はひょいと距離を詰めて覗き込んできた。さらりとした髪が広がって、花のような香りが鼻をくすぐる。
なんだなんだとたじろぐ彼の様子に何を思ったのか、ふ、と少女は唇を緩める。
「吊り橋に乗ってみたいんですよ、私」
そうして紡がれた言葉は、青嵐にとって理解できない内容で。
だから思わず眉を顰める。
「何、どういう意味? 本当は物理的な恐怖スポットに行きたいけど行けないから映画でお茶濁そうとかそういう?」
「……あは。言い得て妙ですね。実際そういうところはあります。恐怖という原始的な感情は、人の本質が現れるものですからね」
「あー……はいはい。そういえば人間観察とかそういうのが趣味だったっけ」
「そうですね。そんなとこです」
二人の会話はあまり噛み合っていなかったが、青嵐はとりあえず納得し頷いていた。
元々、青嵐は六花のことを『変なこと言う奴』『言ってることがよくわからん』というような認識をしている。
実際その通りで、六花は真意を分かりやすく相手に伝える気がない。
吊り橋効果。それに伴う心情の変化の観察こそが六花が
じっくり読み解く気概をもって会話に臨んでいるわけでもなければ、察せなくても無理はないだろう。
本質。本音。本心。
そういうものは、霞のように未だ不透明だった。
「まぁ確かに今の足だと遠出はしんどいよな」
「そう。そうなんですよ。完治したら物理的なほうもチャレンジしたいですね」
「……なんかおもむろに木登りはじめたときも思ったけど、意外とアクティブだよな」
「知りたいことは突き止めたくなる性質なもので」
「そんな気するわ」
「しますか?」
「なんとなく」
「そうですか」
会話をしつつ、六花は手元の端末を操作している。
すでに視聴する映画は決めているのか、操作は澱みない。
「何見るのかって決めてたのか」
「ああ、はい。ちょっと話逸れてましたね。今から見るのは“視聴中の平均心拍数が最も上昇した作品を『怖いホラー映画』とした”──、という判定基準で見たときの、一番怖いホラー映画です」
「あぁ、なるほどランキングとかがあんのね。絶対怖い奴じゃん」
「どうでしょうね」
「お嬢って怖がったりすんの?」
「さあどうでしょう」
「絶対平気じゃん……」
ふふ、と微笑を浮かべる少女の横で、青嵐は覚悟を決めたように表情を固くする。
同性の友達の前でならともかく、やはり年下の女の子の前で情けない悲鳴をあげるわけにはいかなかった。
「じゃあ、再生しますね」
そして、上映がはじまった。
陰湿な空気感。やや仄暗い画面。恐怖を煽る音、演出。
でもそれはどこか、普段過ごす日常にもあるような質感でもある。物理的な痛みを連想するスプラッタはまた別だが、ホラーというものは空想の世界を軸にしている。この世の、言葉にならない部分。想像こそが恐怖を加速させる。
夜道に転がるビニール袋に意味なく怯えたり。壁の染みに勝手に意味を見出してみたり。科学的根拠のない心霊現象を信じてみたり。
作り物の映像に恐怖を感じるためには、少なからず“信じる才能”が必要だ。
だから、
「……──ッ!?」
無言の悲鳴をあげて、肩を震わせて。
時にはビクリと震えて。
明らかに怯えている
無言の絶叫、というべきか。表情自体はそう変わらないものに見える。
けれど、ぎゅっと手のひらを握る所作などから、やっぱり何度見ても怖がっていることに疑いはない。
自分のご主人様の新しい一面を見て、彼はホラー映像へびっくりする以上の衝撃を受けていたのだった。
また、彼はこうも思っていた。
──自分より怖がってる奴がいたら怖くないって本当だな、と。
そんな風にして、約2時間の恐怖映像の視聴が行われるのだった。
「……ふう。ようやく終わりましたね……」
「お嬢めっちゃホラー苦手じゃん」
「得意とは最初から言ってないです」
「そうだけど……『作り物だから怖くない』って言うタイプだとばかり」
「私はホラー映画を見ているとき、常に画面から幽霊が飛び出してきて呪い殺される可能性を考えています」
「なんだそれめっちゃおもろいな……」
「笑い事ではありませんが」
ふぅ、と六花は小さく息を吐いて、自分の胸に手を当てる。
視聴直後の今は、未だに脈がやや早い。
恐怖故の高揚に身も心も浸して、少女はまどろむように、意識をふわつかせていた。
「……逆に月ノ瀬さんは、幽霊とか信じてないタイプですか?」
「え、どうだろうな。どっちかって言うと信じてるほうだとは思うけど」
「その心は?」
「うーん……」
こてりと首を傾げる六花を横目に、腕を組んで考える。
なんとなく抱いてる感情は説明できなくもないが、明確な言語に起こせとなると難しいことはたくさんある。
何故怖いと思うのか。何故怖いものを信じているのか。その理由。
「……そのほうが面白いなと思うから……?」
「というと?」
「例えばなんだろうな。人魂とかあるじゃん? あれはプラズマで説明がつくとかそういう話あるけど、いや実際プラズマだっだとしても面白いけど、それで話が完結しちゃうじゃんか」
「はい」
「俺はどっちかって言うと、どっちの話を信じるか自分の感覚で決めたいタイプなんだよな。だから幽霊とかもいないとは思ってない。……わかる? このニュアンス」
「いいえ、はい。私は月ノ瀬さんじゃないので、正確に理解できてるかの自信はないですが」
目を伏せる。考える。
自分の理屈と、他人の想い。それについて六花は思考する。
「でもきっと、私が思うところと月ノ瀬さんが思うところは近しいのではないかとは思います」
「おー。いや、このへんあんま理解されないっちゃされないからな。嬉しいよ」
「“夢見がち”と言われたらあまり否定できませんからね」
「……夢見がちか。えー……あー、でもそうなんのか」
「私は波瑠に言われたことがあります」
「面白すぎる」
どちらかと言えばクールな六花がふわふわな波瑠に言っていそうなものだが、実態は逆であるらしい。
「映画界で“言葉にならないもの”を探すと、ホラー作品に偏るんですよ。先ほど月ノ瀬さんも仰っていましたが、映画である時点で作り物なんです。なのに恐ろしいのは、表現されているものがカタチないものだからではないかと──、いえスプラッタホラーなどはまた別なのですが」
「めっちゃ語るじゃん」
「という持論を波瑠に話したことがあるのですが、そうしたら夢見がちだと言われまして」
「幽霊信じてるから?」
「それもありますが、月ノ瀬さんも先ほどの理屈だと、超能力や奇跡の類を信じているのでは?」
「あー」
「そういったことをひっくるめて夢見がちという話ですね」
「わかんなくもない話だな」
この世にあるかもしれない幻想を、この世にあるかもしれないと本気で信じている時点で夢を見ている。
角張った現実をゆるくほどく、曖昧な幻想。
青嵐と六花には、境界線を曖昧にするものを好む性質があるのだと、そういう話。
「なにはともあれお嬢も俺もホラー映画が好きって話だな」
「……いえ、好きではありませんが」
「いや絶対好きじゃん」
「……?」
無表情なまま、六花はこてりと首を傾げる。
「好きと嫌いという感情は、天秤の上に成り立つものだと思います。好きと嫌いは相反する感情に思えて、実は共存できる関係にありますよね。
例えば……スイカなどはわかりやすいかもしれません。スイカの味が好きでも、種を取るのが煩わしいと思う人は多いのではないでしょうか。
そこで種を取るのが本当に嫌な人は、スイカが好きという気持ちよりも、嫌いな気持ちが強いことになりますよね。逆も然りで、種を取るくらいどうってことないと言う方は、きっと好きな気持ちのほうが好きだということになります。
今回の場合に話を戻すと、私はホラー映画があまり得意ではありません。私は少し感覚が鈍いほうではありますが、やはり痛覚などにはごく当たり前の忌避感がありますし、防衛本能もあります。それをあえて刺激するホラーというジャンルを忌避するのは当然と言えるでしょう。
ただ今回の場合は、個人的な検証のために、心拍数を上げる必要がありました。だから選択をしたというだけで、嫌悪の情を好意が上回ったわけではありません」
こほん、と六花は一つ咳払いを挟む。
「というわけで、私はホラー映画が好きなわけではありません。おわかりいただけましたか?」
「正直に言うと話の半分くらいは耳から通り抜けていった!」
「……そうですか」
「ていうかまあ、嫌いなら嫌いでいいけどさ」
じー、と青嵐は六花の顔を見つめて、考え込む。
先ほどの言動を含めた、彼女が普段思っていることについて。彼なりの感覚を乗せて、何気なく話す。
「それだけ持論があって、嫌いな部分がはっきりしてて。その上で選択肢にあげられるってのは、結構好きだろって気がするけどな」
「……」
「別にそんなことないけどって言いたそうな顔をしている」
「……そうですか?」
ピクリとも動かない頬を、六花がぺたぺたと触っている。
その仕草にはどことなく子供っぽい愛嬌があって、彼は苦笑してしまった。
「してるしてる。ガキみてぇ」
「大人っぽいと言われることのほうが多いんですけどね」
「それも否定しないけどな」
確かに髪型や服装のセンスはシンプルゆえに大人っぽく、その落ち着いた表情も成熟さを感じさせる。
けれど、自分の好きなものや苦手なものの話になると、少し熱が入る。それは童心の片鱗以外の何物でもないだろう、と彼はくつくつと笑う。
「能面かと思ってたけど、うちのお嬢様にも可愛げがあるんだなってなったわ」
「……あは。貶されているような気がしますが見逃してあげましょう」
「助かる」
一呼吸を置いて、六花はさてと、と端末を操作する。
「というわけで次は怖いホラー第二位を見ましょうか」
「あれだけ怖がってて?!」
「まだ検証が足りてないので。……あれ、もしかして月ノ瀬さんはもう限界ですか? それならやめてもいいですけど……」
「お? 喧嘩売られた?」
彼は彼で、別にホラーが滅法得意なわけではない。
しかしこのような煽られ方をして、引き下がれるわけもなく、得意げな顔で答える。
「お嬢の限界まで付き合うぞ」
「じゃあとりあえず今日は怖いランキング3位までは確定として、その後は時間との応相談。他のめぼしい作品は後日ということで──」
「……スー……」
そしてホラー漬けの日々が約束され、青嵐の表情はあっという間に暗くなるのであった。
[ 第1-08話 : 3051字 ]
「つ、疲れた……別の意味で疲れた……」
怖がるという行為は、意外と体力を使うらしい。
間にお昼休憩はあったものの、2時間近いホラー映画(ちゃんと怖い)を3本も見ると満身創痍である。
「はい。お疲れ様でした」
「さっきまで死ぬほどびびってたのにこれまたケロリとした顔してるな」
「……あは。ポーカーフェイスには自信があります」
六花はそう言いながら、自分の胸に手を当てる。ぎゅっと。心臓の鼓動を確かめて、目を細める。
「やっぱりホラーはいいですね。自然と心拍数が上がってて。怖くて、理不尽で」
「夢見がちなとこ出てるな」
「出ちゃいましたね。──ところで月ノ瀬さん的にはどうでしたか? なんだかんだ楽しんでいたように見えましたが」
「面白かったよ。なんか普通にストーリー面白くなかったか?」
「それは重畳」
ストーリーの後味は最悪に近いものではあったものの、それはホラーだから仕方ないとして、やはり今日見た作品は総じてクオリティが高くよくできていた印象だった。
彼自身は特別ホラージャンルを好んでいるわけではないが、とりあえずお嬢が満足そうにしているのでそれでいいかな、というところである。
「今日見た中だと好きだったのは──」
見ながらもぽつぽつ感想は口にしていたものの、見ている最中のそれは半分くらいは悲鳴や絶叫に近いものだった。怖い、すごいなどの驚嘆は感情表現としては優秀な反面、やはり具体的な言語化とはまた違う。
何が好きだった。何が怖かった。何を感じたか。
自分の感覚を掘り起こすような言葉起こし。
それは少し、認識のすり合わせにも似ている。
伝え方。汲み取り方。興味のある事象。そういった人となりを表す輪郭が、言葉の端々にあらわれる。
他人とは違う自分の認識。その人だけの世界。その人だけの言語。
同じ事柄を話す際の言葉と認識の違いをなぞるように、2人は少しの間、映画の感想を話し合った。
「──と、もうこんな時間ですね」
「ん、ああほんとだ」
時計を見ると、18時ごろ。
そろそろ家庭によっては夕飯時であるし、労働という体で訪れている以上いつまでも居座るには気が引けるところであった。
「ではとりあえず、本日の業務は終了ということで」
「了解しましたお嬢様。……って言っても、今日映画しか見てないけどな……」
「言いたいことはわかりますが、私にとっては月ノ瀬さんが隣にいるだけで助かるので」
「それだけ聞くと口説き文句として上等なんだけどな……。人間観察ってことをあんましたことないんだけど、面白いのか?」
「興味深いという意味で面白いです。笑う方の面白さではなく、図鑑を眺める方の面白さですね」
「はいはい。わかるわかる」
彼は彼で、この家に来てから小さな衝撃を受け続けている。
それは確かに興味深くて、面白い。
叢雲六花という掴みどころのない少女は、とても面白い。
「……うーん」
「気に障りますか?」
「いやそうじゃないけど」
彼は首を捻った後に、少女から少し距離をとって、キリリとした顔で向き直る。
よし行くぞ、と青嵐は息を吸い込む。
「ポウ!!」
片足で立ち、奇声を上げて、威嚇するように片手も振り上げる。
「…………」
「…………」
「よし解散!」
「なんですか、今の」
「いや人間観察が趣味とか言われると予想を外した行動をしたくならないか?」
「……あは。確かに予想外ではありましたね」
「いっそ殺してくれ」
くすくす、という笑い声に彼は顔を覆う。
「かわいかったですよ」
「その感想はトドメなんだよな」
「褒めたんですけどね」
「男に可愛いは褒め言葉ではないからな!」
「……あは」
「オーケーなるほど。確信犯だな」
「月ノ瀬さんが可愛いと呼ばれて喜ばないタイプであることはなんとなく」
「人間観察が進んでるなあ……」
おちゃらけた会話をして空気が和んだ後、青嵐は帰り支度をし始めた。
なんだかんだと玄関まで六花と波瑠が見送りに来てくれて、なんとなくむず痒さがある。
彼は頭をぽりぽりと掻きながら、礼をする。
「じゃあ今日もお疲れ様でした」
彼がそう言うと、六花は淡々と会釈を、波瑠は可愛らしく小さく手を振っていた。
「お疲れ様です、ではまた」
「お疲れさま〜。また明日──、てそういえば月ノ瀬さんって帰りってどうしてるの? 電車? バス?」
「ああ、歩いてます」
青嵐の住居から叢雲家まで、だいたい徒歩で1時間強。
途中途中小走りを挟んで1時間を切るかどうかというところだった。
それを告げると、波瑠が分かりやすく「えぇ〜!」と驚きの声を上げる。
その横の六花はというと、変わらずぽけーっと能面のような表情だ。
「徒歩?! ここから月ノ瀬さんの家ってそこそこ遠くない?!」
「……節約ですか? 月ノ瀬さん、あまりお金のかかる交通手段好きじゃなさそうですもんね」
「純粋にバスは酔いやすくて苦手っていうのもあるけど、それもある」
「福利厚生の一環で交通費くらいは普通に支給できますが」
「電車は駅が結局微妙だし。バスはあんま好きじゃないから大丈夫。別にお嬢と違って足傷めてるわけじゃないし」
話はありがたかったが、青嵐は首を振って断る。
すると、波瑠がピンと指を立てて、笑顔で口を開く。
「じゃあわたしが車で送るよ。車ならすぐだし、それでよくない? ね、六花ちゃん」
「今日のところはそれでも別にいいですけど……。明日以降のことを思うと何かしら改善したいところですよね。朝迎えに行けますか? 波瑠起きないですよね」
「……」
六花の淡々とした指摘に、波瑠は笑顔のままピシリと固まる。
今朝起きてこなかったのは知っているが、どうやら朝によほど弱いらしい。
「気を遣ってくれるのは嬉しいけど、別に歩くの嫌いなわけじゃないし、むしろ散歩好きなほうだし本当に困ってない──っていうか、バス乗りたくないのは完全にわがままだし」
これは実際その通りで、1時間程度歩くことは特別苦ではなかった。
「……ならわがままに私のわがまま一個乗せていいですか?」
「六花ちゃん?!」
「いいじゃないですか。わがままが共存すれば世界平和ですよ」
えぇ……と引いている波瑠の様子に、彼は笑いをこぼす。
お嬢様はなんだかんだとやっぱり他人を振り回す性質を持っている。
「別にいいけど、どんなわがままなんだ、それ」
「怪我に悪影響が出なくなってからでいい……という前置きの上でなんですけど。来るときだけでいいので、走って来てくれません?」
「想像の斜め上のわがままきたな」
「六花ちゃんらしいといえばらしいけど……普通になんでってなるんだけど、なんでなの?」
青嵐と波瑠は2人して首を傾げる。
「人間観察の延長線ですかね」
人間観察の延長という文言は、その人にまつわるあらゆる要求に対する万能な理由付けであった。
青嵐はまたそれか、と思いつつも了承を返す。
「オッケーオッケー。さすがに治るの遅くなるとそれはそれで迷惑かけそうだし、数日はたぶんできないけど、それはいいよな?」
「はい」
「ええ……月ノ瀬さんはそれでいいんだ……」
「そんな走るとかに抵抗ないんで、本当に別に気にしてないっすね」
「世界平和が成立しましたね」
世界平和と言うには語弊があるが、実際お互いの要求が共存した瞬間ではあった。
「じゃあとりあえず帰るんで。改めてお疲れ様でした」
改めて会釈をすると、六花は「そうだ」と思い出したように言葉を投げかける。
「帰ってる最中は絶対振り向いちゃダメですよ。ホラー映画を見た後は幽霊が寄りつきやすくなってますからね」
「最後に怖いこと言うのやめない?!」
最後に一悶着あり、結局帰りは波瑠の車で送ってもらうことになった。
[ 第1-09話 : 3095字 ]
◆
風が目を覚ます勢いで吹き付ける、一月の下旬。肌を刺すような痛みに震えつつ、青嵐はそれを振り切るように走る。
彼が叢雲家で雇われてから、早いもので10日が経った。
おかげさまで怪我もある程度治り、軽く走る程度の振動は問題なくなり指先を行使することもできる。
そしてそれは同時期に負傷していた六花も同様で、立って歩くことは問題なくなっているようだった。
「──おはようございます。いい天気ですね」
「……ふー。俺はそこそこあったまってるけど、そっち寒くない?」
六花が立てるようになってからは、彼女が正門前で待っているのが常だった。彼は息を弾ませながら、ふー、と呼吸を整える。
改まって六花と向かい合う。少女の服装はここ最近で少し見慣れはじめている、制服姿だった。
上品なクリーム色のブレザーと白のシャツ、胸の中央には鮮烈な赤色のリボン。スカートは白地に黒のチェックスカート。黒のタイツで脚を包んでいるのはいつも通りだが、両手で鞄を持って、礼儀正しく直立している姿には何とも言えない眩しさがある。
「私は冬生まれなので、寒さには強いんです。ですから、さほど」
「関係ある?」
「ありますよ。履歴書に書いてありましたけど、月ノ瀬さんは夏生まれですよね。……ね?」
「ね、じゃないが」
毎日会って、毎日話す。
新しい環境とはいえ、それを繰り返していればなんとなく距離感というものが掴めてくるものがある。
生活リズム。個性。やって良いこと、悪いこと。
六花は早起きで、わがままお嬢様かと思いきや他人にペースを合わせる気質で、でも寒空の下で待ち構えるという我の強さもある。
「毎度思うけど、よく飽きないよな」
「わざわざ走って来てもらってるのは私のお願いですし。私が迎えるのが筋かなと」
「まあそうしたいならもう止めはしないけども」
骨折というものは1週間やそこらで完治するようなものではない。
当たり前だがその状態で自転車、あるいは車やバイクに乗れるわけはない。残るは電車かバス、徒歩というところだが、青嵐の交通手段は協議の末に徒歩(軽走)ということになっている。
「では、私はこのまま学校に行きますので。このあとよろしくお願いしますね」
「おー、了解。佐久間さんは?」
「さあ、寝てるんじゃないですか?」
「うーんいつも通り」
ところで六花と青嵐の関係は雇い主と従業員になるわけだが、当たり前の話、ずっと一緒にいるわけではない。
叢雲六花は投資家であり、大人2人を雇いあげ暮らすことができる程度のことは優にこなす成功をおさめている。
けれどそれと同時に、少女はただの女子高生である。怪我の直後は休んでいたようだが、本来平日は学校だ。
「じゃ、行くか。バス停まで送るよ」
「はい」
学校まではだいたいバス経由で20分弱という近場ということだが、時間の余裕はあんまりない。青嵐がちらりと時計に目を落とすと、現在時刻は7時48分だった。
本来何時に出ているのかは知らないが、自分が寝坊したりすると、連動して六花も遅刻になるのだろうなと思うとややスリリングである。
青嵐は未だ上気した呼気を落ち着けるように、そっと安堵の息を吐く。
「では今度こそ。行ってきます」
「行ってらっさい」
背中を向ける六花を見送って、青嵐は「よし」と気持ちを切り替える。
呼吸をするごとに冷たい空気が肺を通して、体の熱を冷ましていく。再び叢雲の家に着くころには、また体は冷えていた。
「お邪魔しまーす……」
もらった合鍵で恐る恐る家の中に入る。
先ほどの話ではメイドの波瑠はまだ寝ているらしいし、そもそも彼女の私室は一階の中でも比較的玄関に近い。
よほどうるさくしなければ問題ないのもわかるし、そもそも起こしたところで問題がない時間ではあるのだが、やはり気が引けるというものだ。
「さて、と」
何をするかな、とリビングまでやってきた青嵐は改めて思考することになる。
はっきり言って、できることは限られている。
もっとはっきり言えば、暇と言っても語弊がない。
「仕事がないわけじゃない、けど」
それでもあまり、この家にいてやっていることが仕事だとはなかなか思えない。
掃除はあまり根を詰めてやっていると「怪我人なんだから」と休憩を促されるし、映画や本を勧められて見たり読んだりしているのは論外だし、雑用の手伝いをすることもあるが別に青嵐がいなくても困らないしむしろ邪魔をしているとさえ感じる。
──何か返さないと。
でも、できることなんて思いつかない、というのが本音で。
自分が何かを成せる。相手の為に何かをできるというのは傲慢なのではという想いがある。
月ノ瀬青嵐は平凡な人間だから。
頭がいいわけでもなく、体力が人一倍強いわけでもなく、人と異なる個性があるわけでもなく、飛び抜けたセンスがあるわけでもない。加えて、堅実な夢や目標があるわけでもない。
だからこそ、不足していると感じる。
貰っているものに対して、返せるものがない。
でもそれは何もしない理由にはならない、と青嵐は悩み、唸るのであった。
「…………あ」
そうして、ふと思い出すのは一つの台詞。
つい先ほどの、六花の何気ない言葉。
『私は冬生まれなので──』
もう過ぎてしまっているかもしれないが、もしまだなら、その日何かお礼をしてもいいかもしれない、と彼は思った。
そして、昼過ぎ。
レトルトと出前にすべての食事を支配された叢雲家らしく、出前のパスタを波瑠とつついているときのこと。
誕生日っていつなのか、と聞いてみた。
「六花ちゃんの誕生日? 2月4日だよ」
「来週だ!」
「そうそう。そのうち伝えなきゃとは思ってたんだけど、月ノ瀬さんのほうから聞かれるとは思わなかったな」
「何ほしいとか何もらったら嬉しいとか、そういうのなんかわかります?」
尋ねると、クラシカルなメイドは「んー……」と小首をかしげる。甘い栗色の長髪が揺れる様に、なんとなく目が吸い寄せられる。
「とりあえず、なんだろうね。ちょっと言い方難しいけど、お金で買えるものは要らないと思うよ?」
「あー……ですかね」
「でも何もらっても喜んでくれると思うよ! 月ノ瀬さんが考えて選ぶことが大事じゃないかな」
ふわりと微笑む波瑠に、言いたいことはわかるがそうじゃない、と彼は呻く。
初めから高価なものを贈ったり、利便性の観点で魅力的なものを贈ることがミスチョイスなのはわかっている。
何せ相手は自分よりお金持ちであるし、そもそも今自分に給料をくれている相手だ。金銭的な話は何かと微妙で、難しい。
「その判断材料をもうちょい……!」
「えー」
「例えば佐久間さんは可愛いものとか花とかそういうのが好きそうだなあと思ってるんで……パッとは出てこないですけど、極論カッコいい系のジャンルはちょっとアレかなみたいなことを思うんですけど」
「うんうん」
「お嬢はなんか……何を選んでも似たようなリアクションしか想像できないというか……」
「うんうん。言いたいことはわかるよ、六花ちゃんちょっと難しいよね〜」
でもね、と。
「それはわかるんだけど、そこも含めて月ノ瀬さんが考えることが大事だとは思うな。月並みな台詞だけどね? 月ノ瀬だけに!」
「暖房の設定あげません? なんか効きがよくないな……」
「こらこら」
ははっ、と笑って。
ふふっ、と笑って。
「とりあえずまたなんか考えることにします。すいません、相談乗ってもらって」
「いいよいいよ。わたしも月ノ瀬さんが六花ちゃんのこと考えてくれて嬉しかったし……──って、あ」
そこで、波瑠はぽんと手のひらを打つ。
何かを思い出したような。名案を思いついたような。
メイドさんは、眩しい笑顔で一つの提案を投げかけてくる。
「当日、2人でデートしてきたら?」
[ 第1-10話 : 3495字 ]
◆
人が混み合う繁華街。多種多様なお店が並ぶここは、下調べをせずとも大抵のものが揃っているため、「とりあえず何かプレゼントを選ぶか」という感覚で訪れるなら最適解の一つだ。
飲食店も豊富であるし、映画館などのアミューズメントもある。別にデートというわけではないが、何をするにしても困ることはないだろう。
「あー、さむ」
軽く身震いして、青嵐は噴水の縁石に腰掛ける。
駅前の広場にあるそれは、待ち合わせスポットとしてよく使われるもので、彼以外にも待ち合わせに使用している人が散見される。
青嵐はぼけーっとした様子で空を眺める。
快晴。いい天気だった。
だからどうというわけではないが、とりあえず空の色と雲の動きを見ていた。
──もっとシャキッと動かないとな。
頭ではそう思いつつ、しかし肝心な体は動かない。ただ空を眺めることに終始するばかりである。
本日は2月4日。叢雲六花の誕生日。何故かはわからないが、青嵐は今日という日に六花とお出かけをすることになっている。
今はその待ち合わせをしているところだった。
けれど、一際気が抜けているのにも理由があって。
「いくらなんでも早く来すぎたか……」
時計を眺めつつ、彼はひとりごちる。
待ち合わせ時刻は14時。そして現在時刻は12時過ぎである。およそ2時間前の到着ゆえに、彼は暇を持て余していた。
もともとは、ちょっとした下見だった。
久しく来ていないのもあって土地勘がなくなっており、地下街も含めるとどこに何があるのかよくわからなかったのだ。であるからこのような時間に来たわけであるが、自身が思うほど記憶というのは薄れないものだった。
特に問題ないな、と。
そして彼は暇を持て余していた。
細かいところを色々見ても構わないが、きっと彼女は──と。
そこで意識が引き上げられる。
目の焦点を、空から正面に。いつの間にかいた目の前の少女に。
夜空より美しい黒の長髪を靡かせた、琥珀月の瞳の少女に。
「あら、そこのお兄さん! 良かったら私とお茶でもどうですか?」
他所行きの笑みを貼り付けたその人は、紛うことなき彼の待ち人で。
色々突っ込みたいことが多く、青嵐は絶句してしまう。
「あの、聞こえてます?」
ずい、と距離を詰めて、少女は問いかける。
今日の六花は、オフホワイトのコートにニット。そしてロングスカートといった出立ちであった。耳にはピアスも煌めいていて、唇にはルージュが引かれている。
大人びた印象が強く、とてもではないが年下の女の子とは思えない雰囲気がそこにはあって、彼はほんの少し言葉を無くす。
「……いやすまん。聞こえてるけど。何? 来んの早くない?」
「月ノ瀬さんに言われたくないんですけど、いま何時だと思ってるんですか」
「12時だが」
「約束の時間は?」
「14時だが?」
「何故そんなに自信満々なのかはわかりかねますが……私が早く来た理由の回答としては、『月ノ瀬さんなら早く来てる気がしたから』というのと『いないならいないで人を待つのはデートの醍醐味だと思ったから』ですね」
「おお……どこから突っ込めばいいかわからん……」
可憐な笑みを浮かべる六花は、ふわりと彼の横に腰掛けた。
彼我の距離は、拳ひとつ程度しか空いていない。その距離感にむず痒さを感じてしまい、振り払うように口を開く。
「とりあえず別にデートではないだろ……」
「……あは。辞書引いたことあります? “日時や場所を定めて異性と会う”だけで実はデートの定義は満たされます」
「ばちばちの論理的な反論」
「もちろん同性同士でもデートは成立すると思いますし、結局本人同士の問題なんですが、そもそも今日はデートするって話だったじゃないですか」
「あれは外野がうるさかっただけだろ」
きっと六花は、お金を費やしただけのプレゼントは喜ばない。
だからそこに必要なのは思いやりであるとか、どうしてそれを選んだのか、というエピソードである。
その観点では、一緒に街をぶらつきながらのウィンドウショッピングというのは理にかなっている。
だから普通に「良かったらどうか」と提案してみただけなのだが。
本人たちよりも誰よりも「明日はいよいよデートだね!」などとうるさかったのは何を隠そう佐久間波瑠その人である。
「そんなに嫌ですか? デート」
「嫌っていうか……いやお嬢が気にしてないならいいんだけど」
普通こういうのを嫌がるのは女子高生という青春まっさかりな六花のほうではないか、と彼は首をひねる。
けれど同時に、確かにそういうことを気にするタイプではないか、と小さく頷いた。
実際名目がどうであれ、今日やることが何か変わるわけでもない。
「じゃあ行くか、デート」
「はい」
「と言いたいところなんだけど」
「はい」
隣に座る六花のつむじを見下ろしながら、彼は尋ねる。
14時集合なら本来必要なかったはずの、前工程について。
「飯どうする? 食べてないだろ」
「逆に食べてるんですか?」
「食べてない」
「……あは。それなら何か軽く食事でもしましょうか」
「“それなら”じゃないんだよなあ……」
はぁ、と軽いため息を吐いて、じとりと六花を見つめる。
どうやら営業スマイルタイムは既に終わっているようで、初手の快活さはとっくに失われていた。
六花はいつも通りの涼しげな表情で、素知らぬ顔をしている。
「とりあえず俺と一緒にいるときくらいは食べてもらうからな」
「それはもちろん。私だって、誰かと一緒にいる時間は大切にしますよ」
「……佐久間さんが可哀想になってきたな」
「一応、私が家で食べないのはインスタントやUberだからですからね。あまり好きではないんです」
「なら佐久間さんに作ってもらえばいいのに」
「……波瑠は料理というものと致命的に相性が悪いので……。お茶を淹れるのは得意なんですけどね……」
「おい待てインスタントまみれな理由って時短とかだと思ってたけどそれが理由か?!」
「はい」
「おぉ……」
新たな事実に空を仰ぐ。
雰囲気パーフェクトメイドな佐久間波瑠のイメージが、また一つ崩れた瞬間である。
「まあいいや……。なに、お茶って言ってたっけ? 喫茶店でも行くか?」
「あれはナンパの際、『お茶しない?』という台詞が定番かなと思って発しただけなので深い意味はありません」
「俺ナンパされてたのか?」
「やっぱり待ち合わせのときは『ごめん! 待った?』のくだりや『ヘイそこの君、お茶しない?』のくだりが必要だとは思いませんか?」
「めちゃくちゃ真面目な顔で素っ頓狂なこと言うじゃん。何? 漫画か何かで学習した?」
「私の少女漫画コレクションを今度紹介します」
「本当に漫画で履修してた……」
真剣な顔でぶい、とピースする姿が、普段の大人びた所作とも相まって笑いを誘う。
本当に会話するたびに新しい顔が見える面白いやつだ、と彼は破顔する。
「月ノ瀬さんには昔ナンパされた思い出があったのでそれを意識してみたのですが、見事に無視されて私は悲しかったです」
そして六花の言葉で、すぐさま彼は真顔になった。
「あのときのあれはナンパじゃない。言い訳いいか?」
「どうぞ」
「あのときは雪が降ってたんだよ」
「はい」
「俺は雪が好きなんだよ」
「……」
「雪月花って言うじゃん? なんかとりあえず綺麗なもの三拍子みたいなセット」
「はあ」
「お嬢の瞳ってちょっと茶色っぽいというか琥珀色っぽいというか、色素薄いじゃん? 黄色っぽいときの月っぽいっちゃそうだろ?」
「……見方によってはそうかもですね」
「雪と月が揃ってたら綺麗なんだよ」
「…………何の言い訳にもなっていなさそうですが、新手の口説き文句ですか?」
言い訳としてまともに成立していない彼の論説を耳にして、珍しく六花は目を泳がせる。
戸惑いと、ほのかな羞恥。
それを隠すように、こほん、と一つ咳払いをする。
「……私の名前知ってます?」
「六花」
「そうですね。六花というのは文字通り花のことですが、ここにはもう一つ意味が含まれています」
「へー」
「“六花”というのは雪の異称のことです。知ってました?」
「……え、まじで言ってる?」
「試しに検索でもしてみたらどうですか。マイナーな解釈ではなく、かなりメジャーな意味合いです」
促されるまま、青嵐はスマートフォンで『六花』と検索をする。
なるほど確かに、雪のことを指すらしい。六角形の雪の結晶。氷の花。
そこまで確認して、彼は空を仰ぐ。はて、つい先ほど自分は何と言っただろう。
「……あは。ここまで情熱的に口説かれたのははじめてかもしれませんね」
「待て待て、待ってくれ」
「待ちません。……楽しいデートになりそうですね?」
六花は小さく微笑み、青嵐は頬を引き攣らせて。
こうして、2時間前倒しデートははじまったのだった。