暗黒期の残骸 作:花のお皿
迷宮都市『オラリオ』
そこは、英雄の都。あらゆる英雄譚の始まりの地であり、同時に終わりの地でもある。英雄を志す冒険者が集い、下界の悲願である“隻眼の黒竜”の討伐を果たさんと、今も誰かがダンジョンへと足を踏み入れる。
だが、全員が全員、英雄を目指すような清廉潔白な人物かといえば、当然の如くそうではない。金に溺れ、酒に溺れ、欲に溺れて堕落する者も当たり前のように存在する。故にこそ、ファミリア間の溝の深さ、サポーターの待遇の悪化、ダンジョン内での
オラリオの運営機関である『ギルド』は、これらの問題点を解決しようと解決策を模索しているのだが、如何せん大した効果は望めていない。二大派閥である【フレイヤ・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】が手を取り合えていないのが良い例であった。
――しかし、最大の問題点は別にあった。
英雄の都にあるまじき汚点。その最大の象徴たる『悪』が、オラリオには居る。
黒歴史とも言える『暗黒期』。オラリオ滅亡の危機をもたらした彼等彼女等は、“絶対悪”であった二人の反英雄の敗北により表舞台から姿を消していた。
その組織の名は『
だが、もしも。彼等にも英雄が居たのなら。
何故、彼等彼女等が悪へと堕ちたのか。何を望み、何に絶望し、何が彼等を狂わせたのか。その全てを理解し、その上で君達は間違っていないと、そう答えてくれる存在が居たのなら。
彼等は今も『悪』たる誇りを失ってはいなかったかもしれない。
そして、
「――この俺が、証明しよう。お前達の『愛』が間違っていない事も、この世界が間違っている事も、その全てを! この俺が、証明してみせる」
そんな、この世界の
◇
何故だろうか、と。
そう考えたことは数知れず、現在の仲間たちに自らの弱さを見栄と意地で覆い隠してきた男は、未だに来た道を逆走しようと藻掻いている。もう戻れぬ道を、人生における過去という名の過ちを、ひたすらに悔いている。
後悔とは、何故起こるのか。
やらないで後悔するよりも、やって後悔する方がいいと、世の中では囁かれているが、男からすればそれは間違いなく愚見であった。
やってしまった結果が、今の男の状態なのだから、それは最早この言葉が間違いであることの証明になってしまっている。だがしかし、余程の失敗続きでなければ、この言葉も正解には近いのだと――そもそも正解不正解を探すことが不毛だとも思えるが――そう考えることにした。でなければやっていけないからだ。
「……はぁ、やってられんな」
ため息をつき、座っている椅子の背もたれに体重をかけ、手に持っている新聞紙に目を通す。見出しには、大々的にある男の名前が記されていた。
その名前は『セルシャ・ストリクス』
かつて、
噂は所詮噂、などとという言葉はこの男には通用しない。
この男が
人員の質、資金、そして何よりも、連携。それら全てが底上げされたのだ。ただ一人の男の手によって。
そして、薄々勘づいている人も居るだろうが、現在進行形で自室に引きこもり、何とも憂鬱な気分で新聞紙を読んでいるこの男こそ、件のセルシャ・ストリクスである。
「一体いつまで続くんだ、この非日常は……」
虚ろな瞳で天井を仰ぐセルシャ。この動作は、闇派閥に入団してから続く彼の癖である。習慣と言い換えてもいい。
数年間続いている非日常は最早日常と化しているのではないかと傍から見て思われるかもしれないが、彼からすればこれは誠ならぬ非日常であった。そう、彼の前世も含むならば。
セルシャ・ストリクス。
物心ついた時には、既に両親は居らず。気が付けば、ただ一人、孤独に森の中を彷徨っていた。おそらく、自分は捨て子だったのだろうと、時が経ってから彼は考えた。そして、今彼が生存できている理由は、何故か近くを通りがかった謎の好々爺に拾われたことが原因だった。
正直に言って、彼は自分を拾ってくれた好々爺のことは、感謝しているし、信頼もしている。
だが、断じて尊敬だけはできていなかった。否、しようとも思えなかった。
なぜなら、かの好々爺はまごうことなきセクハラ親父でしかなかったからだ。
セルシャを拾って、自身の住んでいる村に彼の衣食住を、好々爺は全て用意した。衣服は、おそらく好々爺のお下がりで、ともすれば住まいも好々爺と同じ家。その家も決して大きいわけではなく、むしろ一般的な家よりも小さなサイズではあったが、しかし、その好々爺と共に過ごす日常は、当時のセルシャからすれば満足――否、それ以上の幸福の日々だっただろう。
確かに、大人としては決して尊敬のできないダメ親父ではあったが、しかし男としては正直敬意を払いたくなる御仁だった。どんな女性が相手だろうと、一切躊躇わずに接触を図ろうとするその姿勢、男として見習うべきだろう。
言動ではなく、その精神性だけに限定されるのは間違いないけれど。
ただ、先程好々爺と同様の住居に暮らしていたと説明したが、少し補足が必要だ。何も、その家で暮らしていた人物は、好々爺とセルシャだけではなかった。もう一人、紅一点とも言っていい、男達の希望の星。それが、かの一家には存在していたのだ。
その女性の名は、ベル・クラネル。
セルシャにとって妹と呼べる存在であり、好々爺にとって孫娘と呼べる存在だった。
尤も、好々爺の方はその孫娘にすら稀にセクハラ行為を試みようとしていた為、セルシャの手によって裏で制裁が下されていた側面もあるのだが、それはベルの知るところではない。故に、そのセクハラ行為は何とか未遂に留められていた。
(あの好々爺、俺の居ない間にベルに何かしてないだろうな……。いや、してるか。そしてとっくにゴミ虫認定されているってところだろう)
あの日々に戻りたい。今、セルシャが抱く最大の願望はそれだった。
だが、それは叶わないだろう。それは、彼自身強く自覚していた。
そして、その原因が、たった今大きな物音を立てて彼の自室に迫ってきていた。
(この足音、アイツだな)
「――よう! もう起きてるかぁ? セルシャよぉ」
「……起きている。起きているから、そう大きな声を上げるな、
ドタドタと、品のない大股を開く歩き方でセルシャの部屋へとやってきたのは、闇派閥の誇る参謀、ヴァレッタ・グレーデである。
セルシャ曰く、猟奇的且つ狂気的殺人鬼であり、その上で卓越した策略家でもあるという、何とも扱いづらい要素を持ち合わせている人物。率直に言って、関わりたくない。
(それでも関わってしまっていることが問題なんだが、今更過ぎるな)
「それで、何用だ。一応言っておくが、まだ【ロキ・ファミリア】と事を構える時ではない。お前の執念を表に出すのは、まだ早いぞ」
「誰もんなこと言ってねえだろ、単に暇だから来ただけだ」
――来るんじゃねえよ、クソ
などと、そんな口を利けたらどれだけ良いか。
元来、心の奥底で眠っている矮小な己の真の姿を、生まれ持った表情筋の無さと、その大仰な物言いで覆い隠してきたセルシャ。
彼にとって、世に居る全ての人間が脅威となり得る。彼の弱さが露見される可能性は万人に適応され、またその危険性が最も高い人物こそ、正に彼の目の前に居るヴァレッタという女性だった。
(何故だ、何故俺はこうもこの女に気に入られているんだ……!?)
そう、事の始まりはセルシャにも分からない、ほんの小さなきっかけだった。
セルシャが闇派閥へと入団したことで、闇派閥は急速にその勢力を増していった。だが、その結果に実質的な貢献者が誰かと問われたなら、100人が100人、ヴァレッタの名を上げるだろう。
参謀というだけあって、彼女の策謀の成功率はかなりの数値を誇る。もちろん、その策を達成する人員の質、それらもセルシャの訓練によって底上げされており、その要素もまた作戦の成功に貢献しているのは確かだが、やはり両方を天秤にかけた時、ヴァレッタの策の完成度の高さに天秤が傾くことは、闇派閥の誰もが承知しているところである。
そして、問題となるのはセルシャの行っている訓練にこそあった。
その訓練こそは、セルシャがヴァレッタの策に同意を示している事の証明だと、ヴァレッタに捉えられてしまったのだ。そうして彼女はセルシャの行動に機嫌を良くし、セルシャもこれまた幸いと危険人物である彼女に、より長く上機嫌で居てもらう為、彼女から話しかけられた時には必ず褒め言葉を混ぜ、更には友好的な姿勢を示した。
その結果が、現在のヴァレッタの姿なのだが、そんなことはセルシャの知ったるところではなかった。
彼からすれば、単にブラックリストに登録している人物への対処法としての会話法を繰り返し行っていただけなので、気に入られよう等という画策はまるで存在しなかったことが原因だろう。人は、自分が思考の内に入れていない予想外の現象には困惑するものなのだ。一度客観的に物事を見て、冷静に判断できる人物であれば話は別だっただろうが、心の弱いセルシャにそんな冷静沈着な対応を見せろと言う方が無理難題。結局、同様の関係性のまま、今日までやってきてしまった。
(いや本当は訓練なんてしたくなかったんだが。何故か向上心の高い奴等がめっちゃ居て、それで仕方なしに教えてたらいつの間にか習慣になってしまっただけなんだが)
と、またもや憂鬱な気分に心を沈めるセルシャに気づかず、ヴァレッタは話し続ける。
「しっかし、やっぱ最近になってギルドの奴等もようやく焦ってきたみたいだぜ。その新聞も、私らのことがほぼ8割を占めてたからなぁ」
「ほぅ、確かに。だが、こうも懸賞金まで出されては、俺達の活動の幅も狭まってしまうな。顔も割れているし」
ヴァレッタの言葉に従い、新聞紙の見出しに目を向けるセルシャ。
先程は大きな見出ししか目に入らなかったが、全体を視野に入れると細かな記事にまで彼の名前が書き込まれているのが目に入る。それはつまり、オラリオに住むほぼ全ての人々が、このセルシャ・ストリクス率いる闇派閥に注意を向けているという事実の証明である。
しかし、それが当然の話だということは自明の理であった。
闇派閥、つまりは犯罪組織の急速な成長。そこに警戒態勢を取らずして、都市の秩序維持はままならない。オラリオの統治機関として、ギルド側が多くのファミリアや神々にさえも闇派閥への殲滅要請を出していることも、必然の事として予想できるものである。
そう、彼はキチンと予想していた。そしてその上で猛烈に憂鬱な心境を持て余してしまっているのだ。
皆は思うだろう、面倒臭い、と。
「何だよ、不安になってんのか? あのセルシャ・ストリクスともあろう御方がそんな状態じゃあ、アイツ等に失望されちまうぜ?」
「別に懸念があるわけではない。ただ、オラリオ全体との抗争に陥った場合の対抗策も考えておかねばと思っただけだ」
椅子に座ったまま足を組み直したセルシャの背後に回り、ヴァレッタは彼を背後から抱きしめるようにして腕を回し、彼の肩に首を乗せて、新聞紙をのぞき込んでいた。彼女の名前が載っている記事を指差して、ゲラゲラと笑い声をあげる。
(……おい、距離感はどうした距離感は。このあすなろ抱きには何の意味が――というか近づくな触れるな怖いんだよ馬鹿)
恐怖。
セルシャ・ストリクスの胸内の9割を占めてきた感情。それがとうとう10割、100%に達しようとしていた。
彼にとっての恐怖の象徴、ヴァレッタによる接触は彼に安心感を与えるどころか恐怖と絶望を齎していた。
思えば、振り返ると彼は闇派閥へと入ってから碌に安心できていない。
出会う人々は精神が逝ってしまっている人物か生来からの異常者。そして邪神のみ。このようなメンバーとしか繋がりが保てない環境に居る中で安心できる居場所を見つけるなど、不可能にも近い幻想である。
以前、そんな幻想を夢見て偽名と仮の人物像を用いて、一般人として行動し友人のような人物を作ろうと意気込んだこともあったが、しかし結果は惨敗。セルシャが近づいた人物は尽くが敵対勢力のメンバーであり、また正体が露見した瞬間、裏切り者と判断され並々ならぬ敵意まで抱かれてしまう始末。
(もうやだ、こんな世界)
と、彼が闇派閥の大多数が抱く思想に染まりかけてしまうのも、また必然であるだろう。
尤も、理由が他の面子に比べて弱すぎるのが欠点だが。
「――? どうした、気になる記事でもあったか」
何故か、先程までずっと喋り続けていたヴァレッタの声が突然止み、記事を差していた指の動きも止まっている。
何か興味を引く内容があったのかと、彼女の指が止まった箇所に目を向け――そして即行で後悔した。
『フィン・ディムナ氏、闇派閥討伐戦線の隊長として立候補か!?』
「……へぇ、やってくれんじゃねえか。あのクソ
(おいマジかよやってくれたなあのクソったれ
全く同じことを考えている両者は、全く同じ相手に向けて、さらに憎悪を募らせる。募った憎悪は、更なる『悪』の台頭を導くだろう。
上がるボルテージは止められない。第二の抗争の訪れを、オラリオ中の誰もが感じ取っていた。
――さぁ、悲劇を始めよう。