暗黒期の残骸 作:花のお皿
実に、実に危うい境界線の上で、反復横跳びでもしている気分だった。
そもそも、何故俺達の計画が先回りされていたのかが分からない。否、計画がバレていた、というよりは単にフィン達の次の調査の矛先が、偶然俺達の襲撃場所と重なっただけなのだとは思うが、それはそれで俺達の運の無さに辟易としてしまう。
というか、今回の事件のせいで賭博場が永久閉鎖とかになったらどうしようか。
まず間違いなくロイマンがキレるだろう。
ギルド長がキレたところで他派閥が動き始めるとは思えないが、しかし既にフィンという旗頭が存在しているのだ。討伐隊の集まりが迅速になる可能性は高い。
流石に【フレイヤ・ファミリア】は来ないと思うが、それでも予定以上に計画していた『抗争』の時期が早まりそうで厄介だ。
――と、セルシャ・ストリクスは内心で嘆息していた。
今回の作戦――否、作戦とも言えない彼の独断専行なのだが、それはそれで順調に物事は進んでいた。
先駆けて【ロキ・ファミリア】と対峙する彼に連動し、他の闇派閥構成員も強奪任務の達成に向けて動き出していた。部隊として別れていたヴァレッタやヴィトー、ディックスも問題ないだろう。
全員がセルシャよりも余程頭脳派の人物だ、物事の帳尻を合わせるぐらいの事はしてくれる。そうなれば、後の問題はセルシャのみだ。
そう、セルシャのみだった。
(これ俺とフィンの一対一ですよね。だってさっき俺とフィンで口論したんだから、そりゃ闘争だって俺とフィンの二人だけでするべきでしょ)
至極真っ当だと彼なりに思った意見を、しかし現在の張り詰めた空気に圧倒されてセルシャは口にできなかった。
そうこうしている内にフィンは部屋の隅で固まっていたラウル達に何らかの指示を出している。
セルシャが賭博場へと入ってきた扉と反対に位置する出入口。そこから続く廊下をラウル達は駆けて行った。
おそらく、金庫へと向かったのだろう。
既にこの『エルドラド・リゾート』という賭博場は調べ尽くされているのだろうが、しかしセルシャが此処に来た今、闇派閥の狙いが賭博場にあるのは間違いない。
その最たる目的として考えられる金品、それが納めてある金庫、その守りを固めるためにラウル達は向かったのだ。
今、セルシャが連れてきている構成員は全員がLv3かそれ以上の猛者達だ。
故に、例え相手が【ロキ・ファミリア】の“二軍”であっても、そう簡単に打倒されることは無い。むしろ士気の面では【ロキ・ファミリア】を圧倒している部分がある為、場合によっては返り討ちにできるだろう。
少なくとも、セルシャはそう考えていた。
そしてきっと、フィンもそれくらいの推測はやってのけている。
ならば、彼はその可能性を排除してラウル達を金庫に向かわせたという事だ。
必要性に駆られれば何でもやる。それがフィン・ディムナという人物だと、セルシャはよく知っている。
――だから相手に回したくなかったんだ。
フィン・ディムナという人工英雄。
彼が歩む覇道において、セルシャ・ストリクスと闇派閥は、障害に成り得ると判断された。フィン・ディムナという人間が英雄となる為の過程において、邪魔になると認識された。
だから今、セルシャは排除されようとしている。
フィンが突如として闇派閥の討伐隊の頭領となった目的は、こんなところだろう。
――何とも傍迷惑な話だ。
と、他人事のようにセルシャは思う。
確かに小人族の再興というフィンの野望は気高いと思う。
それこそ、彼の背を見て冒険者というものを学んだセルシャからすれば、フィンこそが冒険者として最優の逸材だとすら認識していた。
けれど、英雄としての認識ならば話は変わる。
英雄に必要なのは、未知に挑む『勇気』だけではない。英雄に必要なのは『覚悟』だ。全てを背負うという『覚悟』が英雄には必要なのだ。
アルゴノゥトが、現実の絶望を前にして尚笑ったように。
アルバートが、決して敵わぬ龍を前にして尚立ち向かったように。
自身の背後にあるものを守り切るという『覚悟』
決して退かないという『覚悟』
あるいは、誰かの涙を笑顔に変えてやるという『覚悟』
それは決意とは少し違う。
決意とは、決定された意志。一度決めたことは最後までやり通すことを、その意志を、人は決意と呼ぶ。
だが、大事なのはそれではない。道は曲がったっていいのだ。
最も大切なのは、ゴールを変えない事。最初に目指した原点を不変のものとする事だ。
フィン・ディムナは、彼が冒険者として生きる中で何かを切り捨て、犠牲と引き換えに名声と栄誉を得て今日まで過ごしてきた。
犠牲を許容し、しかしそれを無駄にはしないと、そう決意して生きていた。
――クソ喰らえだな。
犠牲を許容? それは誰が許容するというのだ。
まさか、犠牲になった側ではなく、犠牲を前提に生きるフィンに犠牲を許容するかどうかの権利があるとでも言うのか? だとすれば、それは間違っている。間違っているし、腐っている。
犠牲になった者の悲鳴を、嘆きを一度でも耳にしたことがあるのなら、決して犠牲を前提に策を立てることはしない。必要だからという理由で、誰かを死地に向かわせることなどしない。
例え、1を見捨てることで100を救う事が出来たとしても――それでも、1を見捨てたりはしない。出来ない。
たった一人を救えない者が、英雄になど成れる訳もないのだから。
「――――」
頭の中が冷えていく。視界が鮮明に映り始める。
前方には、かつて憧れた背中の持ち主が三名、並んで立っていた。
【
【
【
【ロキ・ファミリア】の最古参、三首領と呼ばれる冒険者の中でも最上位に君臨する強者達。
だが、その実力はおそらくセルシャの知っている頃のものと大差が無い。
安定と停滞を選んだ彼等に、実力の向上が起こるなんて、そんな都合のいい奇跡は無い。もしもそんな奇跡があるのなら――天すら、人類を選り好みするのかと益々現実に絶望してやるところだ。
――さて、では。
「セルシャ・ストリクス。推して参る」
神から貰い受けた二つ名は名乗らない。そんなものは、当の昔に捨てているから。
◇
最初の特攻はガレスによって行われた。
恐るべき防御性能と、何よりも都市の中でも【猛者】に続く程の腕力を誇る武人。
そんな彼が、手加減も油断もない極めて真剣な表情で、全力でその拳を振るっていた。
だが、当たらない。
命中すれば深層の怪物であろうと一撃で粉砕できる威力のガレスの拳は、しかしその性能を発揮できていなかった。
まるで水を殴っているかのように、その手応えは酷く柔かった。
流水のような受け流し。
極限まで鍛えられた技巧が、その原因だった。
セルシャ・ストリクスという男にガレスの猪突猛進とも取れる突撃は、何の意味も成していなかった。
その小さな巨体の攻撃は、その拳は、発射の起点である腕にセルシャが手を添えるだけで悉く軌道を変える。
セルシャの顔面を狙って放った拳は、そのまま彼の頬を掠るに留まり、体格差を利用してセルシャの目線よりも遥か下より放たれた頭突きは、予想されていたかのように彼が身体を僅かに傾けるだけで躱される。
動きが読まれている。
ガレスの攻撃は、その連撃は、セルシャにとって既知のものだった。
考えてみれば当然だ。
セルシャは少なくとも暗黒期の頃まではガレスと同じ【ロキ・ファミリア】の所属だった。
そうであれば、ガレスの戦術や戦い方の癖を見抜いていたとしても不思議ではない。
尤も、あの頃の、未だ10代であった頃のセルシャにそのような常を超えた観察眼が備わっていたことは驚愕に値するが、しかし彼の才能を考えれば納得できる事実だ。
問題は、ガレスと相反するようにセルシャの動きはガレスの知っているものとはまるで違う事だった。
過去と現在、その両方を見比べたとしても、セルシャの動きは明らかに異なっていた。
正確無比に、そして合理性に溢れていたセルシャの戦い方は、その精度と練度をさらに底上げされ、その上で我流の拳法の型に当てはめられているようだった。
拳の打ち方一つにも大きな差があった。
ただ狙った場所に拳を叩きこむだけではない、拳を捩じるように、あるいは衝撃を相手の肉体の奥にまで響かせるように、打ち込む。
それはセルシャがあの頃の機械染みた動きを武技へと昇華させた証――あの頃よりも、セルシャ・ストリクスという人間が成長した証だった。
――今更、儂にお主を称える資格など有りはしない、か。
血に濡れたまま、都市中の彼方此方で剣を振るい、拳を撃ち、そしてあらゆる者を救ってきた。
それが、セルシャ・ストリクスという男の生き様であり、それは彼が【ロキ・ファミリア】であった頃から何も変わっていない。立場を変え、強さを得て、それでも彼は生き方を変えはしなかった。
何時だって、彼は弱者の為に地を駆けていた。
だが、その生き方はきっと間違っている。
もっと器用な生き方がある。もっと確実に誰かを助けられる方法はある。だが、彼はそれをしない。
どれだけ運命に弄ばれ、未来を阻む障害に遭遇したとしても、真っ直ぐに前を向き続ける。
間違っている事なんて、承知の上なんだろう。それでも尚、彼は理想を目指すと決めたのだ。
――嗚呼、本当に。
「大きくなったのぉ……」
ガレスの拳とセルシャの拳が衝突し――遂に、ガレスの方が押し負けた。
「――ガレス!?」
フィンからすれば、信じられない事だったろう。
如何にセルシャが成長していたとはいえ、情報通りであればセルシャ・ストリクスのステイタスはLv6。
つまり、自分達と同じなのだ。程度の差はあれ、真正面からの戦闘で圧倒されることは無いだろうと考えていた。
だが、結果として【ロキ・ファミリア】でも随一の攻撃性能を誇るガレスが防戦一方に回っている。
――想定外だ。
フィンとガレスであれば、勝利こそすれ、時間稼ぎ程度であれば容易く成せると考えていた。
今思うと愚かな程に甘い考えだ。元々人間離れしていた技量に、アイズを超える程の才能の持ち主。それが成長すればどの程度まで強くなるのか、フィンの想定に収まると考えるのは都合の良すぎる考えだ。
だが、まだ諦めるには早い。
未知との遭遇には慣れている。対処法も、その場その場で考えるのはダンジョンに潜る冒険者として必要な技術と言っていい。
まだ勝ち筋はある。
ラウル達が金庫にまで辿り着き、他の闇派閥を打倒できればフィン達の勝利だ。
――出来るのか?
フィン・ディムナは、ここで敗北する訳にはいかない。
セルシャ・ストリクスという【ロキ・ファミリア】の裏切り者に、
だが、それ以上に自らの英雄としての道に不必要な存在を、その上で大きな障害となったこの存在を前にして、敗北という二文字を喫する訳にはいかないのだ。
正道を外れ、王道を外れ、しかし外道を歩み英雄へと至ろうとしている男を、人工英雄は認められない。
(まさか、ここまで追い詰められるとは。これが今のセルシャか)
――強くなっている。
フィンの予想を超えて、遥かに。
もしかすると、あの【猛者】にすら匹敵する可能性すらある戦闘能力。
それに、フィンの知る限りセルシャにはもう一段階上がある――つまり、未だ使用していない魔法がある筈だ。
そうなると、素のステイタスのみでガレスをここまで圧倒する者が、更に戦闘能力を上昇させ、最悪の場合にはフィンやリヴェリアを含めた三首領がこの戦いで全滅する可能性すらある、ということだ。
フィンの頬に冷や汗が伝う。
こうなれば、フィンが例え奥の手を切ったとしても大した意味は無い。
というより、
それに、その魔法を使ったとしても、先にも言った通り、恐らくセルシャ・ストリクスには通じない。
今の状態であればこそ、もしも彼が切り札を切れば、その時はさしものフィンとてどうなるか分からない。
だが、現状セルシャにその切り札を使用する様子は無い。
理由は分からないが、セルシャには切り札を使用できない訳があるようだ。
フィンのように、ある程度のリスクがあるのか――しかし、フィンが既知としているものとセルシャの持つ魔法が変わっていないのであれば、その魔法は単なる付加魔法の筈だ。
犠牲となるリスクなど無い、強いて言えば
(セルシャ自身の甘さ……)
セルシャ・ストリクスは【ロキ・ファミリア】に止めを刺さない。
それは、フィンが彼と幾度も戦ってきた中で当の昔から知っていた事実だ。
明らかに相手の息の根を断てる場面で、セルシャは何度も【ロキ・ファミリア】を見逃してきた。否、それだけではない。【ロキ・ファミリア】だけでなく、基本的にセルシャは敵対関係にある者であっても相手が邪悪に満ちた者でない限りは見逃している傾向にある。
他の闇派閥の者もそうだ。ここ数年の、暗黒期を経た後の闇派閥は、正道を生きる者に害を為すような事はしていない。むしろ、裏社会の悪しき者を裁く、執行者の如き動きすら見せている。
だからだろうか、彼等彼女等の都市の市民からの評判は、決して悪いものでは無い。セルシャが一部の人間から英雄視されている事からも、その評判の良さが窺えるだろう。
世論は、最早闇派閥を『悪』とはしていない。というより、彼等彼女等の存在を新たな正義の形として認めている節すらある。
かの【アストレア・ファミリア】の全滅がギルドより発表されてからというもの、その勢いは増している。
だが、彼等彼女等を次代の『正義』と呼ぶには、闇派閥は少々過激すぎる――それに、何より皮肉にも程がある。個人の見解によるとはいえ、闇派閥が、現代の『悪』として名を馳せている者達が『正義』の使者の如き活躍を見せているというのなら、それに敵対してきたフィン達【ロキ・ファミリア】やギルドは、さながら『悪』とでも言われているようじゃないか。
――させない。
そんなことはあってはならない。これまで築き上げた功績を、その名声を無かった事にはさせない。
フィン・ディムナは、セルシャ・ストリクスを『正義』とは認めない。
認めたが最後、フィンのやってきたことが全て無駄になってしまうから。これまでの冒険者としての歳月、積み上げた名声、その全てを無駄にする事はフィンには許されていないから。
背後から手を伸ばしてくる犠牲が、これまで不必要だと切り捨て、あるいは見捨ててきた全てが、フィンに諦観を許していないから。
「……フィン、私の事は良い。ガレスの援護に回ってやってくれ」
鈴のように美麗な声が、フィンの背中をふいに叩いた。
振り返るまでもなくリヴェリアの声だと分かる、そんな美声。それが、フィンのその小さな背を緩く押してやるように、静かに放たれた。
「今この場で、私の魔法は些か大規模過ぎるだろう。役立たずに何時までも構うな――お前が、彼奴を止めてやってくれ」
その言葉は、可能な限りの激励に見えて、しかし紛れもなく弱音だった。
高慢で、強がりな
フィンの後ろに控えていたリヴェリアの顔は、今までに見たことがない程に頼りなく、弱弱しかった。その顔が、どうにも信じられずにフィンは確かに動揺した。
知っていた。
リヴェリアが、アイズと同等の『愛』を彼に抱いていることくらい。
その『愛』の形は、もしかしたらアイズへと向けられているものとは少し質の違うものかもしれないけれど、しかし家族としての『愛』をリヴェリアはセルシャに抱いている。
おそらく【ロキ・ファミリア】の中でも唯一と言ってもいいくらいの、とびきり大きな『愛』を。
だが、それでも彼女ならばその感情を制御できると信じていた。
ファミリアでも最年長として、常に団員の悩みや不安を支え、解消し、導いてきた彼女なら、その圧倒的『理性』で以て感情に蓋を出来ると、そう信じていた。そうやって、期待を押し付けていた。
しかし、違う。
そんな事が出来る程、リヴェリア・リヨス・アールヴは強くない。
仮に、セルシャと完全に違う道を歩むことを受け入れたとしても、その彼自身を自らの手で殺せるような冷酷な行為は、彼女には不可能だ。おそらく、彼に向けて魔法を放つことすらも。
……本当であれば、自分で向き合いたいのだろう。
セルシャと正面から向き合い、ぶつかり合った上で、彼と話したい筈だ。
だが、リヴェリアの感情に彼女の肉体が付いてこない。否、感情が、肉体の動きを制御している。
けれど、おそらく肉体が正常に動いていたとしてもリヴェリアがセルシャと対話する状況を作ることは難しいだろう。そう断言できるほどに、今のセルシャは
腰に備えている真剣も抜かず、両者共に素手であるとはいえ真っ向からガレスを圧倒する技と力。
そして、恐らくガレスとリヴェリアも気づいているだろうが、セルシャの敏捷は例の“黒猫”並みだ。速度で言えば【ロキ・ファミリア】最速のベートをも上回る。
もしもフィン達が単独で彼と相対していた場合、確実に倒されていた。その予感が、直感が、脳裏をよぎる。
(これが集団戦で良かった)
心の底から、フィンはそのように安堵した。
予想外に食い下がられたとはいえ、現場に先回りしている以上アドバンテージは未だ【ロキ・ファミリア】にある。依然として、闇派閥側の状況はよろしくは無いはずだ。
であれば、やりようは幾らでもある。
――態々、セルシャに正面から挑む必要もない。
「ここからはセルシャ打倒を改め、時間稼ぎに転じる――リヴェリア、君はラウル達の方へ向かってくれ。きっと、こちらよりもあっちの方が死地に近い」