暗黒期の残骸   作:花のお皿

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カジノ襲撃事件⑦

 剣を抜き、構える。

 

 その動作に迷いはない。

 構えるだけなら、相手を傷つける事にはならないから。攻撃の意志は伝えても、実行には移っていないから。

 相手の命を奪う段階に未だ至っていないのだから、そこに躊躇いは無い。

 

 だが、それが構えから迫撃の直前に至った際には、恐らく手加減が出来なくなるだろう。

 

――剣とは、殺しに適した道具。

 

 相手を切り、斬り、削ぐ。

 その過程で敵対者の命は潰えるし、戦闘時間は大幅に短縮される。

 

 当然だ。

 相手の打倒に際し、素手よりも剣の方が余程適しているのは周知の事実。

 故に、剣を抜いたからには、戦闘は相手の命を削ぐまで終われない。

 

 終われないが故に、セルシャ・ストリクスはこの時まで剣を抜く事を躊躇った。

 

――フィンとガレス。

 

 セルシャを“冒険者”に育て上げた他ならぬ先達。その背中を、少年だった頃の彼はどれだけ目にしてきた事か。

 目標にしてきた背中は、いつの間にか目前にまで迫っていた。彼等が後退したのではない、自らが前進してきたのだと、彼を傍目から見た者は皆そう評し、その域にまで至った少年だった青年を、心より称えるだろう。

 

 だが彼は、ただの一度として自身が前進できているのだとは思っていない。

 

 尊敬すべき先達の前に、悠然と立つ。

 背中を見上げていた頃から、もう随分と経った。彼ら二人からすれば5年という月日は余りにも早いものかもしれないけれど、彼はその5年間に大いなる経験を重ね、偉業を達し、遂にこの場所までやってきた。

 

 精神も覚悟も、あの頃から変わっているとは思えない。

 此処に居る資格が、己にあるのかも分からない。

 

 故に、セルシャ・ストリクスは立つ。その答えを見つける為に。だからこそ、

 

「ここからは、もう容赦はしない。お前達もそのつもりで来い」

 

 元家族に対する甘えは、此処で捨てるべきだと悟った。

 

 ◇

 

 セルシャ・ストリクスは強い。

 それは、オラリオの最強の座は誰のものか、と他愛無い雑談の最中に【猛者】に続いて彼の名が挙がるほどに、強い。

 

 それがどのような意味を持つのか、フィンとガレスには良く分かる。

 このオラリオにおいて、セルシャに対抗し得るのは両者ではなく、その他の冒険者ですらなく、【猛者】ただ一人しか存在しないという事。

 故に、この戦いは無謀だ。セルシャにとって、という意味ではなく、二人にとって。

 

 けれど、逃げる訳にはいかない。此処で撤退すれば、セルシャは間違いなく金庫へと向かうだろう。そして、リヴェリアを殺す――セルシャの“甘え”を考慮すれば彼がリヴェリアを殺害できるとは思えないが、彼ではなくその他の闇派閥の者がやるだろう。

 であれば、二人が此処で出来る事はひたすらに反英雄の攻撃を凌ぎ続ける事しかない。

 

「ガレス、まだ動けるかい?」

「腰が痛い、腕が痺れる、脚はもう使い物にならん――言いたい文句は山ほどあるが、心配はいらん。動いてみせよう」

 

 横目で確認すれば、長年付き添ってきたドワーフは強張る表情筋を全力で動かし、渾身の笑みを浮かべていた。

 そこに対し、何ら思慮することなく、フィンは“ガレスは動ける”と判断する。

 

 無茶が出来るというのなら、その無茶はしてもらう。それが相棒同然の同期であれば猶更、フィンにはもう策を選ぶ余裕はない。

 故に、目一杯支えてもらおう。

 

――当のフィン本人の方が、既に限界を迎えているのだから。

 

 掌を見る。

 親指の震えはもう止まっている。危機が既に訪れているのだから、当然だ。だが、まだ過ぎていない。過ぎるまで――否、過ぎても尚、危険を知らせる親指の震えは、その痛みは終わらないだろう。

 

 セルシャ・ストリクスがこのオラリオから去るまでは、永遠に彼はフィンの障害で在り続ける。

 それが、直感で理解できた。

 

 ならば、此処で殺す。絶対に。

 

 覚悟はしていた。彼が裏切ったと聞いた時から、とっくに。

 否、そんな最近の話ではない。フィンが覚悟を決めた瞬間、それは彼が一族の再興を願い、その野望を抱いた少年の頃から。きっと、そんな無垢な時代の話だ。

 

 長槍を握る。

 紐で縛っておかなくては、途中で手放してしまいそうになる程握力が落ちている。それでも、必死に握り締める。

 

 敵を見る。

 自らと同じように、時代を変える野望を抱き、此処にやってきた敵を、かつての後継を睨みつける。

 

 何時だったか。彼と『夢』を語り合ったことがあった。“野望”ではなく、原初に抱いた『夢』と言う名の幻を、魔が差したのか彼に語ったことがある。

 

 女神フィアナの逸話を、そこに憧れた幼い自分を、何故か彼に語っていた。思えば、きっとその時から彼に英雄の影を見ていたのだと思う。

 彼は、フィンの夢を嗤わなかった。むしろ、何故それを“野望”としてしまったのか。そこに悲しみすら抱いているようだった。

 

 理想は現実ではない。フィンが真の意味でフィアナに成り代わることはできない。

 

――それを、他ならないフィン自身が理解してしまっているから。

 

 理解してしまったら、そんな無謀は犯せない。だから、理想を追い求めるのは止めたのだ。

 フィンはもう、失敗する訳にはいかない。例えどれだけ罵倒されようと、小人族再興の為に、かつてフィアナ騎士団が築いた誇りを取り戻す為に、進み続けるしかない。

 その為の犠牲を、彼はもう多く出し過ぎた。止まるには、手遅れだったのだ。

 

 そんな自分に、かつての眼前の青年は、何と言ったのだったか。

 

『だったら、俺が――――』

 

 ◇

 

 動きが変わった。

 

 誰の、などと問い質す必要もない。白装束を纏い、白色の外衣を宙に靡かせながら、反英雄は舞のように剣戟を踊る。

 

 その動きは、正に戦闘の目的が打倒から殺害へと変わったかのような、そんな変遷が垣間見える変化だった。

 

 正確無比を超え、流麗にさえ映る剣捌き。 

 だが、その剣には向かい合っているだけで肌を突き刺すかのような透明な殺気が乗っている。

 

 セルシャの剣が頬を横切る。

 紙一重、正に最小限の動きで彼の剣戟を躱した筈が、その殺気故に首を切り裂かれたと脳が現実を誤認する。

 それほどに密度のある殺気が、空間を満たしていた。

 

 その剣技は最早、オラリオ随一の剣士とされる【剣姫】すらをも超え、人間の超常を目指せる域にまで達している。

 

「――やはり、遅い」

「ッ……! そういうお主は、随分と疾くなったものだっ! すばしっこくて嫌になるわい!」

 

 殺気に気圧されるように後退したフィンと入れ替わるように、背負っていた大斧を手にしたガレスが前に出る。

 

 小さな巨人は、己が手にした必殺の大斧を容赦なく振り上げ、落とす。当たれば、正に必殺。絶死の効果を相手に付与するであろう、紛れもない通常攻撃(・・・・)

 されど、かの反英雄もまた容易く巨人が振り下ろした斧を、容易いように躱している。ただ地を蹴り、僅か数センチその場から立ち位置をズラすだけで、攻撃を避ける。それは、彼が完璧に小巨人の重撃を見切っている証左だった。まるで、それが通常であるかのように。

 

 連撃に効果が無いと察し、一度仕切り直すべくガレスは後退を考える。だが、それと同時に残像が見える程の速度で目前の青年は剣を振るい、屈強なドワーフの肉体に五度の剣撃を喰らわせた。

 見えない五撃。極限まで極められた剣速は、必中の概念を実現していた。

 

 苦痛に表情を歪ませ、唸るガレスに畳みかけるように、再び振るわれる疾風の斬撃。大斧を盾のようにして構えるも、その上からでも響く剣の衝撃と加えられている膂力の凄まじさに、老兵の表情が強張った。

 

 その上から、反英雄の声が被せられた。

 

「防御力の高い相手に対する対処の仕方は、お前から教わったのだったな――ガレス」

 

 青年の脳裏を過るのは、かつて少年だった頃の自分と目の前のドワーフが訓練場で向かい合っていた光景。

 遠き日常の最中、孤独だった自分に対して眼前の老兵が言った言葉。不器用に少年を訓練に誘う事でしか、彼の孤独を癒す方法を思いつけなかったドワーフの、温かさを感じた言葉だった。

 

――己の力よりも相手の硬さが勝った時には、冒険者がすることは決まっとる。

 

「お前は、俺の培ってきた“技と駆け引き”で殺す。最上の敬意で以てな」

 

 闇派閥の頭領としての日々。

 否、闇派閥に入団した頃から、眼前の老兵に教え込まれた技術が、心構えがセルシャの根底として存在している。彼からの教えが無ければ、きっと青年はもっと以前に死んでいたに違いなかった。

 

 故に、感謝しよう。こんな自分に、どうしようもなく『面倒』臭がりだった自分に、真正面から向き合おうとしてくれた先達に。

 

「今日まで、ありがとう。ガレス」

 

 そうして、老兵の首元にまで迫った青年の切っ先は、

 

「――申し訳ないけど、その感謝は受け取らないでおこうかな」

 

 合理的な勇者によって防がれた。

 血飛沫と共に現れ、三度青年の肉体を長槍にて穿つ。その槍撃を、これまでと違わずに反英雄は全て弾き落とした。

 

「……無粋だな」

「そうでもないさ。元々、これは君と僕の宣誓で始まった戦いだ――先に殺されるべきは、ガレスではなく僕だろう」

 

 勇者の眼は、強靭な覚悟を反英雄に感じさせた。

 反英雄の威容は、彼の辿ってきた道の峭刻たる有様を感じさせた。

 

 視線が交わる。覚悟がぶつかり合う。

 

――同時、両者によって疾走が開始された。

 

「――ッ!」

 

 疾い。

 目で追いきれない剣撃は無視し、致命傷となるであろう攻撃のみを徹底的に弾き落とす。それでも、肉体に走る苦痛は無視できない。

 

 だが、それは既に受け入れた。痛みのお陰か、かき消えそうになる意識は未だ保たれている。普段よりもクリアに脳内が整理されている気さえしている。

 

 当然だ。今、フィンの前には他事に思考を割けない程の天敵が居る。

 彼を前にして、それ以外の事を考える余裕は、フィンには無い。

 

「……いいだろう。先ずは、お前に礼を告げよう――俺が与える死で以て」

 

 剣速が上がる。決定的な一撃は、来なかった。

 まるで元団長の考えなど簡単に察知できると言わんばかりに、青年の動きは終わりを告げる一撃を敵の肉体に刻むものではなく、その肉体を終わりへと誘う連撃の嵐へと変化した。

 

――良い、それで正解だ。

 

 相手が防御に回った時は、隙が出来るまでひたすらに攻めろ。

 不自然に思える動きが敵に見られたのなら、隙を与えるな。連撃にて敵を封殺しろ。

 猪口才な策にて自らが追い込まれた時には――覚悟をして立ち向かえ。

 

 全て、フィンが、ガレスが、リヴェリアが、【ロキ・ファミリア】が、セルシャ・ストリクスという青年に与えた戦う為の知識であり――彼が死なないようにする為の、知恵だった。

 

 青年が重ねた経験によって、知恵は糧となり、彼の生存能力を底上げしている。その事実が、何故か少し嬉しかった。

 自分が教えたものを、まだ青年が持っていた事を知って、嬉しかったのだ。

 

 フィンは、目前の青年を殺すと決めた。

 何故か、などと問われることはない。野望を追い求める者として、英雄を志す者として、当然のことをしようとしたまでだ。

 だから、彼は誰にも責められる謂れは無い。誰も、彼を責めようなどとは考えない。もしも仮に、彼を責めるような者が居るとするのなら、それは彼自身だった。

 

――また、犠牲を出すのか。

 

 かつて夢を語り合った少年を、己が野望の為に殺すのか。その先の未来でも、今と同じ澄まし顔のまま、美麗な綺麗事を並べて英雄として振舞い続けるのか。

 

――何を今更。

 

 ずっと、そうしてきたのだろう。こうして、魂が自らに訴えかけてくる意志を、理性で無視してきたのだろう。

 野望を実現するために、小人族の未来の為に、全てを利用すると遠い過去に決意したのだ。そこから道を逆行することは、もう許されない。

 

 故に、フィンは青年を殺さなくてはならない。青年に敵として、立ち向かわなければならない。

 例え、まだ青年がフィンの事を家族として認識していたとしても。そんな家族に、家族としての立ち位置で立ち向かってきていたとしても。

 

 彼が、フィンに対して感謝と別れを告げようとしていても、無視しなくてはならない。他ならない()として。

 

 だから、もう消えろ。消えてくれ。

 過去は誰も救えない。今の現実に、過去の事象なんて関係ない。眼前の青年が元家族だったとしても、そんな過去(もの)は決して――、

 

 瞬間、青年と目が合った。

 炎を灯し、鋼鉄の覚悟を示す、あの日と変わらぬ少年の目と。

 

『だったら、俺がフィンの代わりに理想を目指す英雄に成ろう』

 

「――あ、」

 

 唐突に、突然に、脳にぶち撒けられた記憶がフィンの肉体を支配し、固化させ、

 

――フィンの首に、青年の剣が届いた。

 

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