暗黒期の残骸 作:花のお皿
もう二度と戻らない、遠い遠い過去。かつて少年だったセルシャが捨て、踏み潰した既に失くなった筈の過去。
それでもまだ、過去に縋る者が居る。美しき過去に、もう手に入らない過去に、眩しさを覚えて振り返る者が多くいる。それはきっと、フィン達とて例外ではない。
それは、正に過去の話。未だセルシャが日の元を闊歩していた頃の、孤独な少年が居ただけの日常だった。
【ロキ・ファミリア】の三首領全てに言える事だが、彼等は決してセルシャの孤独を許そうとはしなかった。
時に教え、時に寄り添い、時に導く。
言うは易く行うは難し。親のように、本物の家族のように接してくる彼等に、少年は困惑していた。
所詮、同神に恩恵を賜っただけの繋がりしかないのに。血が繋がっている訳でも、深い絆を結んでいる訳でもないのに、何故こんなにも世話を焼いてくれるのか――ずっと不思議だった。
両親の死に様に苦しめられ、怪物への憎悪に燃える金色の少女の方が、余程理解の及ぶ存在だった。だからこそ、かつての少年はそんな少女を放ってられずに、彼女の隣に自分の席を作り出した。
そう、少年は怖かった。自分には何も無いのに、そんな自分を大切に想ってくれる存在が居る事が、どうしようもなく怖かったのだ。
少年の精神は、この頃にはとっくに成熟していた。今と同じ『面倒』を嫌う捻くれ者の外郭は面白いくらいに完成されていて、だからこそ自分がどんなに『面倒』な存在なのかすらも、理解していた。
無表情に過ごし、無感情に生き、機械的に怪物を殺す。
畏怖されて当然だと感じた。だから、自分が孤立する事もまた、当たり前だと思った。
故に、訳が分からなかった。そんな自分を、独りの世界に籠る自分を泣きそうな顔で叱る母のような妖精の魂胆が、本当に理解できなかった。
賢者である小人族には、多くの戦術と戦闘技術を教わった。
豪胆なドワーフには、飯を喰らう楽しさと冒険への心構えを教え込まれた。
だが、そのどれもが少年が望んだから手に入ったものでは無い。少年の周囲に居た大人が、勝手にやった事だ。
だから、少年は感謝なんてしなかった。自分と同じような扱いを受けている少女も、同じように――というより、彼以上に彼等の事を鬱陶しく思っているようだったから、尚更感謝なんて必要ないのだと思った。
けれど、
――彼等は、少年の愚かな願望を否定しなかった。
夜泣きする少女を救う為に、ただそれだけの為に英雄に成ると決めた少年を、母なる妖精は笑わなかった。少年の背中を押し、少年の決意を嬉しがっていた。
戦いに前向きになる少年に、出来る限りの知識と力を授けんと小人族の英雄と豪傑なるドワーフは彼に多くの教えと技術を施した。
青年の今があるのは、全て三者のお陰だと言える。ならば、今青年がやっていることは、恩を仇で返す行為に他ならない。本来であれば、青年の精神性から言ってそのような行いは断じて起きない筈だったのだが、
「――悪運が強いな」
ほとほと呆れるように、青年は呟いた。
フィン・ディムナは、間一髪のところで死を避けたのだ。それは彼自身の反射神経による行動が起こした回避ではなく、ただ彼が足元の小石に気づかず、後ろに倒れたから起きた偶発的回避。
つまり、彼は運によって命を奪われることを回避したという事。天運に愛されるが如く、彼はセルシャ・ストリクスという危機から免れた。
その運が、もう少しだけ
「――死ね」
「っ、」
思わず、殺意が漏れ出した。
同時に肉体が自動的に稼働し、手に持っていた剣を地に背を預けている小人族の頭に突き立てる。その直前、フィンは今度こそ己がものの反射神経にて回避を実行した。
結果は、言うまでもなく成功。この度の闘いにて、小人族の英雄は二度命の危機を回避した。
恩を仇で返すこと。正に唾棄すべき行為だが、それ以上に――、
「悪いが、もう容赦はしない。大恩に対し無礼を働く以上、せめてもの感謝を告げるつもりだったが、その余裕も最早無いようだ」
――強者に都合の良過ぎる世界が、どうしようもなく胸糞悪い。
「ま、ずい」
総毛が逆立った。
フィンは既に態勢を立て直し、青年と向かい合っている。だが、その青年から発される圧力が、その威容が先程までとは比べ物にならないほど増している。
青年が反英雄と呼ばれる所以。その一端が垣間見え、小人族の肉体が硬直する。
状況は先刻と同じ。異なる点は、ただ一つ。反英雄が世界へと放つ憎悪と威圧が増大した一点のみ。だが、その一点が今一度反英雄の背を押す追い風となり、フィン・ディムナへと迫る。
「何をしておるか、フィン! とっとと下がれ!!」
そこへ割り込むようにガレスがセルシャの攻撃を防ぐ。斧を盾にするのではなく、今度は渾身の力で大斧を振り上げ、青年が手に握る剣を全力で弾き飛ばす。
だが、青年は剣を離さない。彼の驚異的な握力は【ロキ・ファミリア】の最高攻撃力を誇るガレスの攻撃でさえ、武器を手放す事を許さない。
“ダンジョンで武器が壊れる事は避けられない。故に、武器を手放す事はあってはならない。武器は冒険者の相棒であり、手に握る武器こそが時に生死を分ける”
さて、誰が教えたのだったか――、
「忘れないものだ!!」
「……当然だ」
その答えにどれだけの思いが込められているのか、豪快なドワーフには理解できない。そのような機微は、生憎と種族的にも備わっていない。
備わっていないけれど、理解できるものがある。それだけで、彼にとっては十分だった。
「セイッ――!」
裂帛の声が空間に響く。その気合は反英雄の放つ覇気に匹敵するものがあったが、実力はされど及ばず。
万全の状態ならばいざ知らず、今のガレスの状態では反英雄を退かせることは出来やしなかった。
敗北が脳裏を過る。否、それ以前に想像に及ぶのは、自分達の死。この戦闘の先、最も可能性のある末路だった。
ガレス・ランドロックは戦士だ。故に、死を恐れる事は無い。その先に何が待っていたとしても、例え何も待っていない、途方もない虚無が広がっていたとしても、それでもガレスは死の間際になったとしても豪快なドワーフとして在り続けるだろう。
今だってそうだ。最早死が隣り合わせになった戦場でさえ、彼は彼のままでいる。
正気は失わない、怒りに身を任せない――弱さを見せない。
それはとても素晴らしい事で、彼が戦士である事の一つの証明だ。
だが、それはつまり彼が戦士になる過程で弱さを捨てたという事でもある。否、正確には彼は、弱さを“克服”したのだろう。
数多の死地を乗り越え、長い時の中でドワーフの戦士は自らが潜在的に持っていた弱ささえ乗り越えた。それは尊く、人間の可能性を示す限りない偉業だ。皆がそれを目指すべき姿、その一種だとも思う。
しかし、現実にはそんな事を達成できる人間はそう居ない。世界に生きる大半が、弱く醜く、だが時に優しく暖かな想いと希望と絶望と憎悪を抱いて生きている。
単純な在り方などできず、あやふやな思いを背負ったまま、しかし成りたい様に成れない哀れな生物。
成程。超常存在からしたら、猶の事愛おしく見えるのかもしれない。下界へと降り立ち、その可能性を開いてやりたいと考えるのも、もしかしたら自然な行動なのかもしれない。
が、
「俺のこの手は、先の未来を切り拓く手だ。そう簡単にやるものか」
要らない。そんな
自分達が弱い生物なのは承知している。感情を手に取ったが故に希望を遠ざけてしまったことも知っている。だが、犠牲があるのなら、同時に手にしたものもある。何かを失い、それで何も得られず仕舞いなんて事は許さない。
それが理由で、青年は『悪』の道へと堕ちたのだ。
恐らくこれから先ずっと、人類は神々の恩恵に縋りながら、依存して生きていくのだろう。恩恵を与えられることを当然の常識と認識し、自らの力で生きていくことを放棄していくのだろう。
それを青年は納得しないし、する気もない。神々からの脱却は最早敵わないものだと理解もしている。だが、だからこそ護るべきものを選ぶべきだと思った。
ある者は誇りを、ある者は夢を。
そんな風に、人々は神々から授かった強さで、これから先色々なものを護っていくのだ。少なくとも、これより先の未来ではそんな英雄譚が受け継がれているような気がする。
――その“強さ”で、青年は人の弱さを護りたいと思った。
例え醜くとも、誰かを愛そうとする愚かさを。
例え無謀でも、誰が為に脅威に抗う勇気を。
そんな弱さを、オラリオにて見た。市壁の上から見下ろした都市の中で、民衆が日常を過ごす姿を。そして、眼前に立ち塞がる先達の背中にこそ、弱さを見た。
そう、年月を重ね、人生という道を歩く中でようやく青年は気づいた。自らを戦士に育て上げた彼等は元来強者として生まれ育った訳ではなく、弱者の位置にあった者が多くの階段を踏み越えて強者と呼ばれるに相応しい舞台に踏み上がったのだと、知った。
知ったからには、理解してしまう。彼等が闇派閥を侮蔑し、『悪』とするのは我等が弱者のままだからだろう。
弱いまま、醜いままに現実に打ちのめされた挙句、下らない幻想に縋る闇派閥を彼等が好む筈がない。それも、自らの叶わない願望の為に他者を平気で傷つけるような輩の集団だ。嫌悪して然るべきだろう。
だが、もうそんな闇派閥は居ない。セルシャ・ストリクスが全てを変えたのだ。
死神より与えられし幻想ではなく、英雄の背に見た未来を掴み取ろうと足掻き始めた。かつて、英雄の船の宣告に応えた傑物達のように。
その姿が、彼にとってどれほど眩しく映ったか。
「――【魔槍よ」
詠唱が開始される。
もう四の五の言っていられる場合ではない。このままではラウル達が金庫に辿り着くまでの時間稼ぎで二人は死ぬ。間違いなく、今のセルシャならばフィンとガレスを殺害できてしまう。それだけの覚悟が、今の彼にはある。
故に、フィンもまた覚悟を決めた。今後、この戦場にて指揮を振るう事は出来なくなるが、後の事は全て他の誰かに任せよう。
今はただ、目の前の反英雄を超えるだけの“力”が欲しい。
「……来るのか」
詠唱を聞いた瞬間、ギアを2段階程上げてセルシャはガレスの身を切り刻み、ドワーフの身体を向かいの壁まで跳ね飛ばした。
傷だらけの肉体で、まだ無茶をするのか。
自身の事を棚に上げて、青年は元団長の諦めの悪さを
その背中に憧れたんだ。その視線の先に、彼の理想の未来があると信じていたから。
けれど、彼は酷く現実的だった。悪い事ではないのかもしれないが、取捨選択を合理的に行う彼がはたして英雄と言えるのかと、いつしか考えるようになった。
彼の夢を知り、彼の幼い頃を知った身であるからこそ、尚思う。幼かった頃の彼は、聖女フィアナに憧憬を抱いた頃の彼は、今のフィンの姿を見てどう思うのか。
過去は今の原点。そう簡単に潰える灯ではない。捨てた理想は、未だフィンの心に残り続けている。それを無視して彼は【勇者】となり、野望と言う名の酷く現実的な目標を打ち立てた。
そんなフィンを、少年だった頃の彼がどう見るか。
――負けてるじゃないか。
自分達を蔑むクソッタレな世界に抗いたくて、オラリオに来たんじゃないのか。世界に抗う術を学ぶために、神の恩恵を授かったのではないのか。
何が【勇者】だ。そんな取って付けたようなありふれた称号に甘んじるその性根が、どれほどの人を救えるというのか。
そんな事で自分自身が救えるもんか。
――俺だったら、そう思う。
「来い、フィン。全力でお前を叩き潰してやる」
「血を捧げし我が額を穿て】」
詠唱が終わる。紅に染まる小人族の瞳が、青年の瞳を射抜いていた。
同時に、青年もまた拳を己が胸の前に添えるように、心臓の位置に置く。そして、何かに呼びかけるようにその名を告げた。
「【ヘル・フィネガス】」
「――応えろ【
◇
死の風が吹いていた。
「あの方の元御家族ですから、この程度で済ませておきます。所詮、何時でも始末できる小石ですからね、貴方方は」
莫大な資産が納められた金庫へと続く隠し通路。その壁は、今や赤黒い色に染まり、その色彩を不明のものとしていた。
その色がどこから来たのか、何から噴き出た色なのか。それは、通路の壁に横たわる様にして沈む彼等彼女等の姿が物語っていた。
「不思議ですね。貴方方のような人を人とも思わぬ冒険者様でも――血の色は、こんなにも赤い」
朦朧とする意識の最中、唯一地に倒れることなく立っていたアナキティは、ぼんやりとした視界で敵である少女の姿を見た。
そのアナキティの姿は、満身創痍も良い所だった。
腕は既に使い物にならない程にへし折られ、彼女の最大の武器であった脚も筋を切り刻まれ、最早使用不可にまで陥っている。今彼女が地に足をつけ立てているのは、武器であったはずの槍を杖代わりにしているが故だった。
果たしてそれが、立っているという表現に相応しいのかは分からないが。
「不快です。この私達に、世界の犠牲者である私達と同じ部分が貴方達に存在しているというこの現実が、どうしようもなく不快です。こんな時、あの方であればどうするのでしょう? 嗚呼、きっとお優しくも尊く、寛大な処置をなさるのでしょうね。それこそ、貴方方が元家族というだけで、その生命を見逃される程に」
闇派閥の少女は、憤り、苛立ち、不満げに、けれど愛おしく彼女等を救うと豪語した反英雄を語り始めた。
「見境の無い『救済』を掲げ、悪を滅し続ける彼。人々は彼を反英雄と呼び、畏怖し、恐れ――憧れた。分かりますか? この事実が示す事柄が」
頬を紅潮させ、ウットリとした瞳を潤ませて、問う。
選ばれた回答者はこの場にはアナキティしか存在せず、彼女は狼狽しつつも辛うじて答えを導き出した。
「わ、たし達が、悪人を多く取り逃してきた、って言いたいんでしょう……!」
息を荒げ、言葉を詰まらせながら答えるアナキティの姿を嘲笑し、少女はその目を周囲の地に身体を預ける【ロキ・ファミリア】に向けた。
少女にとって、今回敵対した【ロキ・ファミリア】の“二軍”は――弱かった。
これまで闇派閥は【ロキ・ファミリア】と何度となく相対してきた。それは闇派閥の頭領が彼等彼女等の元団員だというのも関係しているが、何よりも【ロキ・ファミリア】がオラリオの英雄候補として台頭している状況がそうしている。
【フレイヤ・ファミリア】は都市の英雄というより、覇を極め武を極めた武人の集まり。強靭な戦士ではあるが、英雄ではない。そのような認識が都市に溢れているからこそ、今回も彼等彼女等は静観を貫いている。
反対に、今【ロキ・ファミリア】に次いで最も多く闇派閥との交戦を経験しているのは都市の憲兵たる【ガネーシャ・ファミリア】だ。
秩序を守る担い手、正に時代を支える彼等が闇派閥に対して敵対するのは当然と言える。
だが、秩序の影には闇がある。その闇にまで秩序の手が届かないのであれば、最早それは平和を保つための秩序ではなく、体裁を保つための統制に成り下がる。
故に、闇派閥は彼等彼女等を停滞し堕落した旧時代の残骸だと断じた。
故に、闇派閥は時代を変えねばと奮い立った。
「平和と秩序、そのぬるま湯に浸かり、堕落を良しとした貴方達に、最早都市の市民は期待していない。それが、オラリオの現状から導き出される答えです」
【ロキ・ファミリア】は素晴らしい派閥だ。ダンジョンへの挑戦を辞めず、日々到達階層の更新への努力を続けている。
だが、逆に言えばそれだけだ。上位陣はともかく、【ロキ・ファミリア】の団員の多くは巨大派閥に入団できたという実績のみに満足し、慢心している。それは迷宮都市に暮らす住民ですら感知できてしまっている。
彼等に対しての信頼はある。その名声と名誉を手に入れていく姿に憧憬だって覚えよう。だが、そんな彼等からは都市の英雄たらんとする気概が感じられないのだ。
ただ怪物を殺せればいい。ただ強くなれればいい。ただこの人達に着いていければそれでいい。
そんな気持ちでダンジョンに挑んでいるのが、彼等彼女等の後ろ姿から分かってしまう。
果たしてフィン・ディムナ以外に、真の意味で他者の為に冒険を志している者が【ロキ・ファミリア】にどれだけ居るというのか。
そのフィンとて、一族の再興と言いつつ、その為ならばどんな犠牲だって許容する現実主義者だ。それで救われた者は多くいて、傷ついた者も多くいる。
傷つけた者を見捨て、切り捨てるそのやり方は、どうしようもなく合理的で吐き気がした。間違いなく彼が英雄となる器を兼ね備えている事実に、怒りよりも先に絶望したのだ。
――そこに、ただ一人『救済』と『粛清』を掲げる反英雄が現れた。
「あの方に――セルシャ様になら、
――最後の一線だって超えられる。
「セルシャ様の為に貴方達を生かすと言いましたが、撤回しましょう。お優しいあの方には出来ないことは、リリ達がやらなければならないのです。その前提を忘れるところでした、あの方を想うが故に」
少女は――リリルカ・アーデは既に鞘に納めていたナイフを、もう一度取り出した。彼女に続き、戦闘を終え待機していた周囲の闇派閥の面々もまた、武器を手に取っていく。
殺気が充満し、死を知らせるかのような風の音は、その音を止めた。
「死んでください、冒険者様。我らが新時代の屍となって、精々あの世で我らを恨めばいい」
統制された軍のように、闇派閥は一斉に各々の武器を振り上げた。その光景は、処刑場で罪人を処す執行官のような様相すら帯びていた。
そうして、その処刑は、
「【ウィン・フィンブルヴェトル】」
極寒の吹雪の中に消えていった。