暗黒期の残骸   作:花のお皿

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カジノ襲撃事件⑨

 狂気に身体が侵される。

 

 視界が赤く染まり、敵を蹂躙する事しか考えられなくなる。思考が制限され、言語すらあやふやになってしまう。

 肉体の奥から湧き出る力に、全てを任せたくなってしまう。

 

 だが、

 

「――遅い」

 

 雷鳴が、その場に轟いていた。

 閃光が哭いていた。

 

 稲妻の如き速度で壁と壁を飛び回り、捉えられぬ疾さで斬撃が飛んでくる。

 力に身を任せて拳を振るえば、当たり前のように空を切り、いつの間にか斬撃をその身に受けている。

 

 防御すらままならず、最早戦闘が成立していない。

 今この場で行われているのは、フィンとセルシャの決闘ではなく――、

 

「死ね、フィン・ディムナ。旧世代の英雄よ」

 

 その声を最後に、フィンの意識は途切れている。

 

 ◇

 

「間一髪だったな」

 

 金庫へと続く隠し通路。そして、血で彩られたその戦場に、凛とした声が響く。

 

 声の主である妖精――リヴェリアは、ツカツカと通路を歩き、自らが魔法を放った先へと足を進める。

 眼前には氷塊となった白装束の集団と、魔法の攻撃対象から外され、見事に氷になることを避けた【ロキ・ファミリア】団員の姿があった。とはいえ、魔法に命中していないだけで無事だとは言えない有様だが、誰も命は落としていないことを確認し、リヴェリアは安堵の息を吐く。

 

「……凄い」

 

 一方で、唯一意識のあったアナキティはリヴェリアの放った魔法と、そのリヴェリア自身に対しての畏怖が思わず漏れ出ていた。

 

 先程まで自分達を追い詰めていた闇派閥がこうも容易く倒されてしまう、そのリヴェリアの魔法の威力もそうだが、一番はそんな高威力な魔法を放っておきながら、【ロキ・ファミリア】の団員のみを見事に攻撃対象から外すそのコントロール精度の高さへの驚嘆が大きかった。

 一体どれほどの才と努力を重ねれば、これほどの腕前にまで上がれるのか。

 

「……あの、リヴェリアは団長達とセルシャの相手をする筈だったでしょう? あっちは大丈夫なの?」

「ああ、心配いらん。確かに、見た限りでは勝率が高いという訳でも無い様だったが、あの二人ならば何とかするだろう」

 

――フィンとガレスが組んで尚、劣勢にまで追い込むのか。

 

 リヴェリアの言葉に、安心よりも先に驚愕が訪れた。

 無論、アナキティとてセルシャを見くびっているわけではないし、むしろあの若さで、それこそ自分とたった一年しか変わらない歳であるというのに都市中から危険視される程の組織を纏め上げた彼には畏怖こそすれ、侮るなどあり得ない。

 

 だが、それでも驚いてしまう。

 あの日、5年前に別れた少年が、共に先達であるフィンやリヴェリアの背を追いかけていた同期が、いつの間にか追いかけていた背中と同じようにアナキティの先に立っているのだ。

 

 嫉妬なんてしない。羨望なんてない。

 アナキティはもう諦めた。諦めたのだから、セルシャがどれだけの偉業を成し遂げてそこまで駆けあがっていったかだって理解できるし、受け入れる。

 彼が都市最強まであと一歩のところまで上り詰めていることも、彼が誰よりも英雄らしく在ることも、受け入れよう。

 

 けれど、

 

「――私達じゃ、本当にダメだったの……?」

 

 ただそれだけが、アナキティの心の中にしこりとして残り続けていた。

 

 だが、それも一瞬。今やアナキティにとって過去の人となったセルシャに対しそこまでの思考を割く訳もなく、彼女はリヴェリアと共に倒れ伏す仲間達にある程度の応急処置を施すことに専念した。

 リヴェリアからは自分の身を顧みろ、お前も休んでいろだのと苦言を呈されたが、それも無視して処置を続けた。リヴェリアの回復魔法によってほぼ全快にまで至っている状態の仲間達の肉体にアナキティの処置など最早必要ないと知りながら。

 

――思考から逃げている。

 

 リヴェリアは、アナキティのその無謀とも無駄とも取れる行動からそう推測した。

 何があったのか、どんなやり取りが先の戦闘において敵との間にあったのかは知らないが、余程心身に効く言葉でも吐かれたのか。

 理由はともかくとして、今はリヴェリアもアナキティの不安定な状態に対しては口を開くことは無かった。

 

 そんな事をしても、今この場でアナキティを立ち直らせることは不可能だと考えたからだ。

 

(フィンか……もしくはセルシャだったら――)

 

 そこまで考えて、リヴェリアは首を横に振る。

 

 もしもセルシャが今の【ロキ・ファミリア】に居たなら、間違いなく若手幹部のリーダー格としてファミリアに貢献してくれていただろう。

 現在の【ロキ・ファミリア】は司令塔であるフィンが居なければ、最早組織自体が成り立たなくなるだろう。だが、セルシャが居たなら彼が代理として柱となってくれていたかもしれない。

 例え司令塔や参謀のような役割はせずとも、精神的支柱としてファミリアを支えてくれたはずだ。

 

 そんなもの、ただの幻想に過ぎないが。

 

「……此処に居ると気分が滅入る。早く脱出したいものだな」

 

 カジノから一度外に出て、怪我人の避難を終えてからフィン達の援助に回る。

 現状、リヴェリアが取れる行動はこれくらいしかない――否、これすら出来ない。ラウル達を此処へ置いたまま、下手に援軍に戻ったところで後から駆け付けた闇派閥にラウル達を人質に捕られては本末転倒だ。

 アナキティも、リヴェリアが治療したとはいえ、万全の状態とは言い難い。此処を任せるには不十分だろう。

 

 故に、もしもこの場からの脱出を図るのなら、意識を失っているラウル達を背負って移動する必要がある。

 そして、リヴェリアとアナキティの二人だけではそれはとてもじゃないが不可能だ。少なくとも、一人ずつ背負って移動させる手間がかかるし、時間もかかる。

 

 つまるところ、他ならないリヴェリアも今や援軍を待たざるを得ない状態に陥っているという訳だ。

 

(だが、この隠し通路からでは外は覗けん。私の魔法であれば外にまで氷塊が突き出している筈だが、果たして気づいてくれるかどうか……)

 

 どちらにしろ、今できる事はラウル達の保護――という名の待機だ。下手に動けばしっぺ返しを食らうのは、どう考えても【ロキ・ファミリア】なのだから。 

 そこまで考えてから、ふとリヴェリアは自身の魔法の餌食となった氷塊の中に埋まる闇派閥の集団へと視線を向けて、首を傾げた。

 

「……それにしても、これほどの実力者が今まで陰で大人しくしていたのか。今まで一体どこに隠れていたというのだ」

 

 そう、普通であれば【ロキ・ファミリア】の二軍を上回る戦力を誇るような精鋭部隊、これまでに噂くらいは上がって来ていても可笑しくはない。

 というよりも、今日まで【ロキ・ファミリア】とギルドが手を結び、フィンが主導する形で数ある闇派閥との関係が疑われていた組織・貴族を軒並み強制捜査して回ったのだ。むしろ、情報が挙がってこない方がおかしい。そうなれば、意図的に隠されていたと考えるのが妥当だ。

 

 ……妥当だが、そんな余裕が闇派閥にあるのかが疑わしい。

 都市中を敵に回していながら、秘密兵器や奥の手を隠し通すならばともかく、組織の全容すら覆い隠す情報統制を行えるなど、どう考えても不自然ではないか。何をすればそんなことが出来る? 

 

 洗脳? それとも、恐怖による支配か?

 

――そんな事を、セルシャ・ストリクスはするのか?

 

 しない。

 

 闇派閥に与し、『悪』に堕ちた、というよりも『悪』の道を選んだセルシャと言えど、そんな事はしないだろう。如何に生き方が世界と反しているとはいえ、彼の芯はひたすらに英雄に成る事を夢見ている。そうでなければ――そうであるから、“反”ではあるが彼は英雄などと称され、都市中の畏怖を集めているのだろう。

 

 ならば、何故?

 

「アキ、疲れている事を承知で訊くが、お前は此奴等の事を何処かで――」

「見てません。見た事も、ありません――見ようとも、してませんでした」

 

 リヴェリアの視界に入る猫人は、何処か気落ちした様子で表情を曇らせていた。

 

 彼女らしくもない、とリヴェリアは即座に思う。

 常に、アイズやティオネ等の若手幹部も含めて【ロキ・ファミリア】の若衆を引っ張っていく彼女が、ここまで意気消沈している様はこれまでで見た事が無い。無論、仲間の死亡が確認された時などは別だが、それでも逸早く気を取り直してこれ以上の被害が出ないよう立ち回るのが彼女だ。

 

 アナキティ・オータムは強い。

 

 精神的にも、肉体的にも。

 それがリヴェリア・リヨス・アールヴから見た彼女の評価だ。実際、三首領としても彼女の存在はファミリアにとって非常に重要な役割を果たしてくれていると思う。

 

 だからこそ解せない。

 何故彼女は、たかが戦いに負けた程度でここまで参っているのか。

 

 一人の戦士として、勝負に負けることが悔しい事なのは分かるが、それにしたって余りにも、

 

「――サポーター」

 

 ポツリと、隣に居た黒猫から声が漏れた。

 

「……何?」

「元サポーターらしいですよ。私達が今相手にしていた闇派閥の、全員が」

  

 述べられた真実に、リヴェリアは絶句する。そんな彼女の様子に慮ることなく、アナキティは口を閉じる事はしない。陰鬱とした表情を隠そうとせず、それどころか先程以上に顔が曇っている。

 

「ふふっ、笑っちゃいますよね。英雄だの何だのと持て囃されてた【ファミリア】の一員が、ただのサポーター相手に惨敗しちゃうんですから」

 

 

 

「ただのサポーターを、あんなにも絶望させちゃうんですから――」

 

 

 

 轟く雷鳴の音は絶え間なく降り続ける。

 最早稲妻と化したセルシャの動きは、その疾さは第一級冒険者であっても捉え切れるものではなく、それは既に人知を超えた速度にまで達していた。

 

 轟音と共に舞う斬撃を、ガレスは決死の覚悟で食い止め続けていた。

 無謀とも言えるその行動を馬鹿にできる者が居るとするなら、それはガレスと戦い続けているセルシャ以外に存在しない。

 

――だが、そのセルシャとて既に肉体が限界の一歩手前にまで達していた。

 

 人知を超えた力、即ち精霊。

 その力の一端を借り受けて使用しているだけに過ぎない彼の器は、しかし血統による適性もなければ元来の彼自身の能力でも無い為、力と器の順応に時間がかかった。

 

 第一級の大台に乗るまでは、彼は自らのステイタスに刻まれた筈の付加魔法をまともに使用できていなかった。

 魔法を使用した瞬間、肉体が爆散する予兆が何となく感覚として悟ることが出来ていた。それ故に、今日まで彼は生きている。

 逆に言えば、その直感が無かったなら当の昔に彼の命は潰えていただろう。

 

 だが、Lv6となった今、彼は最良にとは言えないまでも、その魔法を付加魔法として成立させることが出来ていた。

 

 軋む身体、速度に追い着けない意識と思考。

 扱いきれない能力をここまで戦闘技術として落とし込めているのは、単純に彼の修練と経験の賜物。

 

 この領域にまで到達するのにどれだけの年月がかかったのかは定かではないが、この魔法こそが彼を【猛者】と同等の強者という立場に押し上げている要因である事に疑いはない。

 

 それは、今まさにこの魔法を身体で味わっているガレスこそが理解できた。

 

(先程とは比べものにならん程に疾いッ! 斬撃の威力も当然のように上がっておる!)

 

 先の決戦では攻撃の手に回ることは遂に敵わなかったが、ガレスはセルシャの攻撃を全て引き受け、受け止めるだけの立ち回りは出来ていた。

 だが、この目にも止まらぬ数瞬の間はセルシャの剣がガレスの大斧に触れた瞬間、巨人の拳でも受けたかのような衝撃がガレスの肉体を走り、地に踏ん張る事すらままならずに吹き飛んでしまう。

 

「ハァッ! ハァッ! フィンッ!! 早く起きんかッ、馬鹿者!」

 

 酷く息を切らして、ガレスは空間(フロア)の中央で地に伏せる自らの団長に大声で呼びかける。

 その間も嘶く雷鳴に連撃を仕掛けられているのだから、呼吸をする間もない。

 

 つい数秒前、フィンは滅多に使用しない奥の手――【ヘル・フィネガス】という高揚魔法によって自らのステイタスをLv7にまで匹敵する値にまで向上させ、ただ一匹の獣として反英雄相手に死闘を演じていた。

 

 結果は、彼自身が道化を演じているかの如く凄惨の一言だった。

 フィンの振るう槍は死闘の開始直後にへし折られ、音速を超える速度で斬撃が彼の肉体を切り刻んだ。

 

 そこからは、最早ガレスには手を出せない領域の闘いだった。

 否――戦いではなく、蹂躙だった。

 

 赤く染まった瞳で、咆哮を響かせるフィンを相手にセルシャは稲妻の轟音で応えた。

 今、フィンに未だ四肢が、命が残っているのはガレスが途中で如何にか割り込めた奇跡の結果であり、セルシャが未だ能力を十全に扱えていない事が幸いだった。

 

 そして、

 

(――ッ! 限界か……っ)

 

 唐突に雷鳴は鳴り止み、ガレスの目の前に直前まで姿の見えなかったセルシャが地面に焦げ目をつけて現れた。

 所謂急ブレーキをかけたからだろう。最高速度を保っていたのにも関わらず、突然に止まろうとすれば地面との摩擦によって火花が発生するのは道理である。彼の足元の部分が焦げるのも当然だ。

 

 問題は、それほどの速度を人体で出せる異常性にある。

 付加魔法を使用したセルシャは間違いなく“オラリオ最速”を超える『疾さ』を持っている。それも、ガレスでさえ対処しきれない程の『疾さ』を。

 

――撤退するしかない。

 

 ガレスの脳裏には、最早勝利を目指す為の思考は存在しなかった。あるのはただ、この場から如何に無事に逃亡できるか、それだけだった。

 冒険者である以上、ガレスもまた『逃亡』の重要性は知っている。生きる為に、勝つ為に、『逃亡』は決して恥ずべき行為ではない事も、無論のこと知っている。

 

 だからこそ、目の前の『逃げなかった』青年に対する羨望を隠せないのは、果たして道理だろうか。

 

精神力(マインド)がもう僅かしかないな。最低限動ける程度には残っているが、ここでガレスとフィンを殺す事は――できる。できるが)

 

 もしも仮に、ここでセルシャがフィンとガレスを殺害した場合、【ロキ・ファミリア】の戦力は大幅に激減し、彼等彼女等は憎悪と憤怒で燃え上がるどころか、大黒柱であるフィンを失った影響で指針を失い、あっという間に瓦解するだろう。

 そうなれば、闇派閥が敵対する組織の、その中核が崩れることになる。ギルド側との情勢も優勢に傾くだろう。

 

 問題は、【ロキ・ファミリア】を失った際、オラリオが荒れている内にそれを隙と見た近隣諸国が都市に攻め込んでくることだ。

 闇派閥という明確な敵がいる以上、ギルドとて戦力をオラリオ防衛の為に集中させることはできず、闇派閥とて同様の理由でオラリオの防衛に焦点を当てることはできない。

 

 【ロキ・ファミリア】を倒すことはできても、その影響に対しての対処が不十分になってしまう。

 

――『面倒』だな、本当に。

 

 生き辛い世の中に対する不満は、この世界に生きる誰もが感じている事。だが、そこに対する納得もやはり誰しも持っている。

 大衆が安全に生きる為に、ある程度の法による縛りが、生き辛さが必要なのだ。故にこそ、そこに対する納得は示さねばならない。

 

 だからこそ、法で守れない平和が、法による平和を享受できない者が現れた時、世界は彼等を守る術がない。

 『面倒』で人を縛ることで平和を作り出す。それが取引として成り立っていた世界は、しかしその取引で、その契約でも守れない平和に対して、何も対処できないと言う。

 

――違うだろう。

 

 体裁を気にしているからだ。恥も外聞も捨てて、我武者羅にやってしまえば彼等はどんな場所に居る人々でも救える筈だ。おそらく、今のセルシャよりもずっと。

 何故やらない。勇猛果敢に、『黒龍』を倒すと誓ったお前達が何故やらない。

 

 大義の前には少数の犠牲など誤差なのか。だというのなら、それは正しく司令官の、司令部の考え方だ。

 犠牲の減少を目指すのではなく、犠牲の最大限の活用方法を模索し、実行する。その末に黒龍が、あの絶望の象徴が崩せるのなら上等だろう。

 

――その犠牲の活用方法が“停滞”か。

 

「……やはり、苛立つな」

 

 故に、セルシャ・ストリクスは立ち上がった。

 お前達がそこで止まるなら、その先を我等が突き進む。世界が見捨てるしかなかった者達が居るのなら、彼等彼女等は己が救済する。

 

 そして、彼等彼女等を見捨てた下らない世界は――我ら闇派閥が『粛清』する。

 

「――迷う必要もない。お前達は此処で殺す! 他国が邪魔してくるならば滅ぼす、神が揶揄してくるのならば、それすらぶち殺してやる」

 

 セルシャ・ストリクスは止まらない。

 死神に愛された背中が、そこに刻まれた紋章が燃え上がる。

 

 稲妻と共に、彼は天井を突き抜け、天高く飛翔する。

 片足を振り上げ、猛る雷を足の頂点に収束させ、勢いよく大賭博場に向けて振り下ろした。

 

 天空より降り落ちる稲妻、その名は、

 

 

「――光龍飛来」

 

 

 技名の呟きは、轟音に混じって消えた。

 その余波は、気高き魔力の振動は、都市オラリオを走り駆ける。

 

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