暗黒期の残骸 作:花のお皿
……まだ、息が残ってる。
天から落ちる雷撃のように、セルシャは足を地に落とした。飛翔からの落下は、脚に大きな負担を抱えさせたが特に問題は無い。
この脚は、人間の足であってもLv6にまで昇華した器の持ち主である青年の足。そう簡単に壊れる程柔ではない。……柔ではないが、それでも余裕が無いのは事実。先の一手で殺害にまで至らなかったのは痛手だった。
「……本当に、しぶといな」
声には疲労が現れ、実際に体力は底をついているとは言わないまでも、連戦は不可能な程にはセルシャとて追い詰められていた。
【ヘル・フィネガス】というフィンの狂化魔法。正直に言うなら、その手を切られた瞬間にセルシャが追い詰められることは決定していた。
それほどに、フィンの狂化はステイタスへの高い補正がかかる。今のフィンが使えば、数字にしてLv7相当の力を手に入れる事になるのだろう。
ステイタスの数値で上回ったとて、そう容易く攻略できる程セルシャ・ストリクスという男は甘くない。理性を失ったフィン相手であれば、セルシャの“技”がより効果を発揮する、という考え方もある。それ故にこの切り札を安易に使うわけにはいかなかった、という思考もフィンの中にはあったはずだ。それでも使わざるを得ないほど彼を追い詰めたのは、正しくセルシャの功績と言えるだろう。
だが、同時にセルシャもまた追い込まれた。それこそ、彼が隠し持っていた奥の手を“こんな所”で使用する羽目になってしまうくらいに。
悪態を吐きたい、弱音を吐きたい――賞賛をしたい。
流石はフィン・ディムナだと。よくぞ俺を此処まで追い詰めたと、そんな上から目線での称賛を、したくなってしまった。
あれだけ批判と罵言を吐いておきながら、どういう風の吹き回しだと、我ながら思う。
(何だ、衰えてると思ってたが――存外、捨てたもんじゃない)
良い死闘だった。
まるで戦闘狂のように、此度の戦闘を心に刻む。今後、一生忘れない為に。
今日ここで死ぬ旧き英雄に、最大限の敬意を表するように。
「――っ」
足を一歩、踏み出す。
瞬間、頭が割れそうになった。
痛い。ただ歩く事すら苦痛が全身を走り、脳が揺れる感覚がする。気持ち悪い、吐き気がする。
足を前に出したことを、即座に後悔する程の倦怠感と強大な力の代償。これでは、動く事すらままならない。
――けれど、セルシャ・ストリクスは止まらない。
如何なる挫折も淘汰して、彼は前に進むと決めている。フィンを倒し、ガレスを斬った。
もう後戻りはできないし、するつもりもない。否、そもそも進んできた道の逆行は、彼の後ろに続く元弱者なる気高い仲間が塞いでいる。
それを『面倒』だとは、彼はもう思わなかった。
誇らしく思う。
弱く醜く、されどそのままで強くなった皆の事を。『面倒』臭がりで意地っ張りで、前に進むことしか能のない自分を
そうだ、だから止まれない。止まってはいけない。
この手は未来を切り拓き、その道をこの脚が歩み、この背が進むべき道を示す。
セルシャ・ストリクスという男の全身が、時代のその先を創り出す。故に、彼は進み続ける。
自分なんかが、あの誇り高き弱者達の王で在って良いのかと、日々疑問に思うけれど。
大きな不安と後悔に圧し潰されて、常に逃げたくなるような日々だけれど。
それでも――、
「……着いた」
気づけば、セルシャの足は地に寝転がるフィンの真横まで迫っていた。
当人であるフィンは、眼を瞑り、死んだように眠っている。原因は、つい先程までセルシャが彼に対して行った猛攻。全身から血を垂れ流し続けている彼は、後数時間も経てば死に至る。
つまり、彼の死を望むだけであるのなら、このまま放っておけば良いというだけの事だ。
だが、そんなことが出来る訳がない。
自分の元師であり、かつて目指していた背中だった。今でも、超えたなんて大それたことは考えていないし、今だって彼を尊敬している。
フィン・ディムナという男は一体、何十年戦ってきたのだろう。
例え、自らの野望の為に多くの犠牲を出して、人間性を捨てた合理性を重視して、あらゆる手段を尽くして敵を屠る機械的な人物だったとしても、彼は一族の未来の為に走り続けた。
そうだ、彼は止まらなかったのだ。誰に批判され、誰に恨まれ、憎まれても、それでも前を向いて進み続けた。それが最善だと信じて、自分なりに英雄を追い求めてきた。
――そんな彼を、称えずにいられるものか。
「……
意識を失い、聴力の無いフィンの寝顔に呼びかける。
もう二度と、彼に向けて吐く事は無いだろう呼び名で。
「俺はずっと、貴方の背中を追いかけてここまで来たんだぜ? それを貴方が嬉しいと思うかは、分からないけれど――俺は、嬉しかったよ」
団長が、明確にセルシャを敵だと認識してくれた事。
手段を尽くし、卑怯な手を使ってでもセルシャを討ち取りに来ていた事。
そして何より――最後の最後で、合理性も何もかもを捨てて、勝利をもぎ取りに来ていた事。
それら全てが、セルシャの成長の証だったから。
彼に、強くなったと褒められているようだったから。
「貴方の方が俺よりずっと正しいし、現実的で、凄い人なんだけれど、多分俺の方がちょっとだけ、弱い人間だったから、皆助けてくれたんだな」
ずっと不思議だった。何故こうも自分が押し上げられるのか。
確かに、周囲と比べたなら武力はセルシャが大きく勝るのだろう。だが、逆に言えばそれだけだ。
人間としての魅力も、英雄としての覇気も自分にはない。だから、自分が此処まで慕われているのは、闇派閥に居る皆が恩義を忘れぬ義理堅い人達だからだと、そう思っていた。
だが、今回で思った。今回、本当の意味で強者と呼ばれる人物と向かい合って、思い至ったのだ。
強者が弱者を救うように、弱者もまた弱者を救いたがるものなのだと。
自分より弱い者を救って、優越感に浸りたいから。あるいは、せめてもの良心を果たして、その善行によって底辺に至らないようにしているから。
そんな偽善でも、真なる善でも構わない。皆が皆、
だから、
「俺はきっと、今のままで良いんだと思う。大人になったら、貴方みたいなカッコイイ人に成れるのかと思っていたけど、多分今のままで良いんだ」
だから、
「馬鹿みたいに理想を夢見て、怪我するような馬鹿で良いんだと思う」
だから、
「そんな俺に、皆着いてきてくれたんだから」
――だから、
「だから、これからも理想を目指して頑張ってみるよ」
だから、此処でお別れだ。
「そこまでだ」
凛とした声が木霊する。
振り返ると、視線の先には自身よりも明るく鮮烈な色をした青髪の女性が背後に軍勢を連れて佇んでいた。
誰と見間違う訳もない。都市の守護者、憲兵たる彼女の存在を他の何と間違うというのか。
「……シャクティ」
呆然と、視界に映る女性の名を口にする。彼女の背に控えている軍勢は件の【ガネーシャ・ファミリア】である。
このタイミングで訪れてくるとは、厄介な事この上ない。
一体どうしてこの場所が把握できたのか。その事については最早語るべくもないだろう。
先程のセルシャの大技。あの余波が彼女等の元まで届いていた。ただそれだけの事だ。
警戒しているのか、彼女等は近づいてくる気配を見せない。とはいえ、一歩でもこの場から動いたのなら、この身には彼女等からの総攻撃が喰らわされるのだろう。
通常時ならば兎も角、現在のセルシャでは彼女等を相手にするには手に余る。
つまり、戦闘の続行は不可能となった。
「そう、か。此処で、終わりか」
止めはさせなかった。なのに、落胆の色が声音から出ていない。
只々、疲労だけが強く乗っかっている声色だった。
嗚呼――、
「此処で安心しちゃあ、いけないんだけどなぁ」
殺せなくなって良かった、なんて。
間違っても口にしてはいけないのだ。
「……何だ? 彼奴、何か様子が可笑しいな。姉者、チャンスなのではないか?」
「馬鹿者、彼奴を前に油断するな。今我々の目の前に居るのは階層主と同等の化物だと思え」
横で大真面目に警戒している彼女等を見て、どういう訳か笑い声を上げてしまった。
普段のような、息を吐くような小さな笑い声じゃない。場違いなくらいに大きな声だ。
「――何を、嗤っている?」
「いや、何――」
合間に一度息を整えてから、言った。
「何だかんだで、今回も楽しい冒険だったなと」
それは、見る者にあどけなさすら感じさせる笑みだった。
あの『鉄人』が笑った、とどよめく【ガネーシャ・ファミリア】を他所に、セルシャは言葉を紡ぐ。反英雄としてではなく、ただ一人のセルシャ・ストリクスとして。
「今日の所は見逃してくれないか? 少し疲れたんだ」
「戯け。此処で貴様を逃がせば、それこそ憲兵の名に恥じる。貴様の悪行もここまでだ」
だが、その言葉をシャクティは一蹴した。
都市の憲兵たる彼女が反英雄の言葉など聞き届けるはずもない。聞く前から分かっていた事だから、予想通りの結果に苦笑が零れてしまう。
人間らしい振る舞いを見せるセルシャに度々驚愕を隠せていない【ガネーシャ・ファミリア】だったが、唯一シャクティ・ヴァルマだけは真っ直ぐに彼の全容を視界に納め、彼を真正面から捉えようとしていた。
それは、彼女が5年前に残した彼への情がそうさせるのか。
しかし、
「――そうか」
青年の、ただ一人の男としての面は鳴りを潜め、セルシャは再び反英雄としての鎧を心に纏う。
雰囲気が、身に纏う覇気が一変し、瞬く間にその圧倒的存在感を顕現させた。
空気が張り詰め、【ガネーシャ・ファミリア】に降りかかる
一気に臨戦態勢に入る軍勢を前に、反英雄は小さく息を溢した。
「群として、お前たち程統制された者達もそう居ないだろう。腕を上げたな」
「……小僧が、上から目線で言ってくれる」
その【ガネーシャ・ファミリア】の目を掻い潜り、幾多の悪行を成してきたのは何処のどいつだ、と心の中で悪態を吐く。
シャクティの眼には今やセルシャの姿しか映っていない。他の闇派閥の誰かが介入してきたとしても、その相手は今連れてきている団員に全て任せるつもりでいた。
あのセルシャ・ストリクスを前に戦闘を成り立たせることが出来るのは、【ガネーシャ・ファミリア】の中では自分しかいないと思っていたからだ。
故に、
「……後は頼むぞ、ディックス」
そのセルシャの言葉に、一瞬反応が遅れてしまった。
「【迷い込め、果てなき
詠唱が耳に入る。
ふと頭上を見上げると、そこには何時からいたのか、崩壊したカジノの瓦礫の上でゴーグルを手に握る男が、その眼を赤く光らせながらこちらを見つめていた。
「【フォベートール・ダイダロス】」
そこに、狂乱が広がる。