暗黒期の残骸   作:花のお皿

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残骸は面倒臭がり屋

 アイズ・ヴァレンシュタインは自身の親代わりであるリヴェリアと共に街を歩いていた。

 腰に備わっている愛剣(デスペレート)の修理費用、それを払いに行くのだ。その額、なんと4000万ヴァリス。ファミリアの予算がかなり心配になる値段ではあるが、今回制作された剣は世界に数本と無い【不壊属性(デュランダル)】である。今回の修理を済ませるだけでもう壊れる心配はなく、法外な値段を請求される心配もなくなる筈だ。

 道行く人の視線を総取りするアイズは、ふと鼻先をぴくぴくと動かして大通りの外れに駆けていく。背後からリヴェリアの大声が聞こえたが気にはしない。後で謝れば許してくれるだろうと思考し、アイズ好みのイイ匂いのする屋台――じゃが丸くんの屋台に足を運んだ。

 

 しかし、

 

「じゃが丸くん、小豆クリーム味一つお願いします」

 

 聞き覚えのある声がして、首を傾げる。自分以外にもその味の良さが分かる人が居たのかと歓喜するが、それよりもその声を発した人物への関心が勝り自分よりも先にじゃが丸くんを購入した男性に目を向けた。

 紺色――深い蒼色の髪に、固定されたように微動だにしない表情筋。纏っている黒い外套は、彼の輪郭を確かに捉えにくくしているが、しかし顔は隠さなくてもよいのかと、状況に似つかわしくないことをアイズは思った。

 アイズの目と鼻の先に居る彼。5年前に別れ、そして敵となった男。

 

――セルシャ・ストリクスが、そこに居た。

 

「ああ、どうもありが――」

「セルシャ……?」

 

「――と、う」

 

 ギギギっと、壊れたロボットのような歪な動きでセルシャがアイズへ顔を向ける。その表情は信じられないものを見たかのように目が見開かれていて、セルシャのポーカーフェイスを崩したことに少しだけ優越感を感じたアイズであった。

 

 ◇

 

(おい待ていつの間にかフード外れてたんだが。そしてそのタイミングで知り合いに顔見られてしまったんだが)

 

 数秒の沈黙の後、両者は同時に動き出した。

 セルシャは膝を曲げ、地を蹴り、民家の天井へと跳び上がって駆けていく。反射的にアイズも同じように壁を駆け上って追いかけるが、しかし距離が縮まる気配は一向にない。むしろ、時間が経つ程に彼の背が離れていくような感覚さえして、アイズは咄嗟に声を張り上げた。

 

「待って!」

 

 上げた声は、しかし届かず。セルシャはアイズを引き離さんと、益々速度を上げていく。

 加速していく彼の影は、最早常人の目では捉えきれず、アイズの視界ですら残像を追っている気分だった。

 

 一瞬、アイズの脳裏にはとあるオラリオ最速の“黒猫”の姿が過ったが、実際速度の面でいうのなら良い勝負をしているように思う。

 反応も、疾さも、アイズの知っているものより数段質が上がっている。それだけ、彼が多くの修羅場と死地を潜ってきた証なのだろうと、アイズは認識した。

 おそらく既に、彼は彼自身が出せる最高速度に達している。そしてアイズもまた、現在の己が出せる限界まで速度を上げていた。この追跡が終われば、その瞬間に疲労が足に蓄積し、数十分は動けなくなるだろう程に。

 だが、両者の最高速度には数値にして見れば新幹線と軽トラ程の溝がある。その深い溝は、簡単に埋められるものではない。技術では埋められない能力の差、それはつまり、彼のレベルがアイズよりも高い位置にあることを意味している。

 

 故にそれを察した時、アイズはその利点をひっくり返すべく、切り札を切った。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 風を纏い、速力を大幅に向上させる。突風の如く軽やか且つ力強く、風に乗って屋根の上を駆ける。

 だが、それでもセルシャと同速の速度を保つのが限界だった。

 それに、見る限りセルシャの表情には苦悶の色が少しも無く、一切の余裕を崩していなかった。フィンとは違って仮面を被らない性質のセルシャである、恐らく表情の通り全力ではない。

 開いてしまった己とセルシャとの差を実感して、無意識にアイズは眉を顰めた。

 

(とか思ってんだろうなぁ、アイツ。街中で大技出しやがって――これ以上は、騒ぎになるな)

 

 もうなっているけれど、と心の中で思ったことに付け足して、セルシャは進み続ける己の足を止めた。

 

「……はぁ」

「――!」

 

 突然、セルシャが足を止めた。その目的は何なのか、アイズには分からない。

 同じようにアイズも必死に動かしていた足を止め、呆れたようにため息を吐いたセルシャと目を合わせる。目の奥に見えるセルシャの本質は何ら昔と変わっていないように見えて、懐かしさと共に悲しさと淋しさを覚えてしまう。

 覚えている、彼と隣り合わせで戦場を駆けてきた日々を。ただ一人、自分と同じように強さを求めてダンジョンに挑んできた、唯一の人。

 正直に言えば、兄のようにさえ思っていた。そして、アイズが母と慕うリヴェリアもまた、彼のことを息子のように思っていたかもしれない。彼女の関わり方から、何となくアイズはそう思っている。

 

 そして、だからこそ気づいてしまうのだ。

 親しき仲間から憎き敵へと変わってしまった、自分たちの関係性の歪さに。

 そして、その変化の悲しさに、だ

 

「それで、何の用だ。言っておくが、此処で戦う気はないぞ。辺りの人々に被害が及ぶ」

「――っ! なんで、なんでセルシャは……!!」

 

 口を開いたセルシャが吐いた言葉は、しかし彼が闇派閥とは思えない程に一般人に対する思慮を感じさせるものだった。

 アイズは知っている。彼が自身とは違って、話術に長け、人が欲しい言葉をかけてくれる、優しい人物であるということを。だがしかし、自身と同じように一人が好きで、ただ一人オラリオの市壁の上でその街並みを眺めることを好んでいることも。また、その場所をアイズに訓練場所として紹介してくれた時、柄にもなく嬉しそうにお気に入りの景色を教えてくれたことも、アイズは知っている。

 

 彼と別れてから、アイズはよくその場所に足を運ぶようになっていた。

 彼が好んでいた場所。彼が佇んでいた場所。それを、アイズは一切違うことなく覚えていた。

 同じ場所に立ち、同じ景色を眺める。あの日の彼が、一体どういうものを見て、何を感じ取っていたのか。それを感じたくて、アイズはそんな行動を繰り返していた。

 

――会いたかった。

 

 兄と、またそう呼びたかった。しかし、それはもう叶わない。

 ならばせめて、知りたかった。どうして彼が、あのような凶行に走ったのか。その理由を知りたかった。

 

 だからアイズは、

 

「何であの時、私達を裏切ったの……?」

 

 そう聞いた時に、滅多に動かない彼の表情筋が示した、その泣きそうな表情が、アイズには理解できなかったのだ。

 

「……裏切った? 違うな、間違っているぞ、アイズ。俺がお前達を裏切ったのではない――お前達が、俺を裏切ったのだ」

 

 珍しく感情を表に出した顔は既に引っ込み、いつも通りの真顔を晒して、セルシャはアイズの問いに返答した。だが、その答えには質問者に対する考慮などこれっぽちも無い。それは、アイズとて理解できた。

 だが、答えの内容には首を傾げざるを得ない。セルシャの言った“裏切り”のことも、何故彼があんなにも辛そうな表情を浮かべていたのか、その理由も。何も、アイズは知り得ていないからだ。

 

 そんなアイズを見て、セルシャは現実から目を背けるように目を瞑った。その姿が、アイズにはどこか、彼が何かを諦めているように見えた。

 

「もういいだろう。どの道、お前達には理解のできないことだ。今日はここら辺で」

「まだ」

 

 何か言いかけて、立ち去ろうとしたセルシャのことを咄嗟に呼び止める。

 彼の事情も、何もかも全てアイズは知らない。だが、知りたい。理解したい。理解した上で、寄り添いたいのだ。

 かつて、彼とリヴェリアが、自身にそうしてくれたように。

 

「まだ、聞きたいことがある。だから、まだ――」

「いい加減にしろ、アイズ」

 

 だが、セルシャ・ストリクスはそんな我儘を許さない。 

 

「俺は、もうお前の家族(ファミリア)じゃない。お前との問答に付き合う義理は、俺にはない。もしこれ以上、俺の行く手を阻むのなら――俺と戦うしかないぞ、【剣姫】」

 

 そう言い終えた瞬間、アイズは一瞬重力が増したのかと勘違いをした。

 そして、その勘違いの原因が、セルシャから放たれる殺気と見紛う闘気なのだと、すぐに気づく。

 その威圧は、両者の周りにいた人々を巻き込み、近くを通りがかった通行人は漏れなく圧に充てられて地に伏していた。

 

 ダンジョンの階層主――否、それ以上の威圧感と闘気。

 戦えば、まず間違いなく致命傷を負う。あちらが手心を加えてくれる可能性はあるが、しかし彼は先程アイズのことを【剣姫】と呼んだ。それは、彼がアイズのことを既に身内と認識していないという証になる。その証がある以上、彼からの手加減を期待することは諦めた方がいいだろう

 故にこの戦い、メリットどころか、デメリットの方が遥かに大きい。ハイリスクの割にはリターンが少なすぎる。もしもこの場に居たのが、あのフィン・ディムナならば、戦うことはせずに一時撤退を選んだだろう。

 

――しかし、この場に居るのはアイズ・ヴァレンシュタインだ。

 

「やる」

 

 腰に備えていた愛剣を引き抜き、切っ先をセルシャへと向ける。

 

「貴方を倒して、罪を償わせる」

 

 そして願わくば、またいつかの日のように。家族として、共に居れる日常を取り戻したいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(テメエ何やる気出してんだよ! 俺を殺す気かコラァアアアアアアアアアア!!!)

 

 対して、こっちの男はこれである。 

 この男――セルシャは、先程から何とかしてこの場を離れようと、あるいは穏便に事を収めようと全力で思考回路を稼働させ、得意とする話術でアイズとの揉め事を消化しようとしていた。

 そう、何とかしてアイズとの問答を中断し、そしてアイズが問答を躊躇うよう仕向けたのだ。仕向けた、筈だったのだ。だが、それは知っての通り失敗に終わる。

 失敗の要因は正しく、相手がアイズ・ヴァレンシュタインという少女だったことだ。

 もし彼女以外の人間が相手であれば、格上と分かっている相手に挑むような愚行を侵す人間でなければ、彼の作戦は成功していたかもしれない。

 

(元ファミリアとしての温情は無いんですか? 俺はそれなりに仲良かったと思ってたんだけどなぁ! 残念だなぁ!!)

 

 先程“俺は、もうお前の家族(ファミリア)じゃない”などと口走った人間とは思えない台詞である。

 

「……俺は、Lv6の冒険者だ。お前では俺には勝てない」

「うん、知ってる」

「知った上で、俺を相手取ると? そこまで見くびられていたとはな」

「見くびってなんかない」

 

 臨戦態勢に入ったアイズを前に、セルシャは依然として表情を崩さず、棒立ちのままで居る。見ると、彼は剣どころか武器の類を一つも装備していないようだ。

 しかし、それもその筈、元々セルシャはヴァレッタの居る息の詰まる空間から抜け出すべく、こうして闇派閥の唯一の隠れ家とも言える地下から表へと出てきたのだ。要は、散歩中だったのである。

 散歩に武器を持ち出す人物など居ない。特に、休息の重要性を知っている上級冒険者であれば、尚更だろう。例外は、それこそアイズくらいのものだ。剣を振るう事が日常の習慣と化している彼女は、どこへ行くにも剣を携帯している。無論、友人との用事には持ち出しはしないが、それ以外の時間では意識の片隅にいつも剣の空間がある。

 

 セルシャからすれば、これほど理解できない思考回路はない。

 彼は、もう既に戦闘だらけの日々から抜け出したいと考え続けて、数年が過ぎている。長年暮らしてきたオラリオという街、そして幼い頃から夢見ていた“英雄”へと至ること。如何にセルシャといえども捨て難いそれらを全てゴミ箱に投棄しても構わないと。そう決心してしまうぐらいには、彼の精神は参っているのだ。

 そんな中、近寄りたくもない闇派閥の仲間を説得し、どうにかして創り出した癒しの時間(プライベートタイム)。その癒しの時間を邪魔され、さらには戦闘にまで付き合わされたとなっては、最早休息は無意味と化してしまう。むしろ、余計な仕事が増え、心労が増す結果となってしまうだろう。

 だからこそ、

 

「ただ、私がセルシャのことを諦めたくないだけ」

 

 一見すると、告白のようにさえ映るアイズの言葉にさえ、彼は、

 

(ざっけんな諦めろや!!)

 

 と、無様にもぶちぎれてしまうのだ。

 だが、同情することなかれ。大体は彼の自業自得である。

 

(もう許さん。完膚なきまでに叩きのめしてやる)

 

「……手加減せんぞ」

「それは、私も」

 

 その掛け合いを皮切りに、両者の間に沈黙が落ちる。徒手空拳の構えを見せるセルシャに、剣というアドバンテージのあるアイズは、しかし一切の油断と慢心を滅して、向き合った。

 幸いにも、セルシャの発する殺気を、感覚で、もしくは生存本能で感知したのか。まるで人払いをされたかのように、二人の向き合っている通りを行く通行人は現れなかった。

 つまり、アイズが全力を出せる状況が整っているのだ。だからこそ、アイズは一度切った切り札を、再び躊躇うことなく使用した。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 魔法の発動と同時に、剣を前へと突き出す。

 相手の喉元を狙った、一点突破。必殺を狙う一撃。だが、その刺突は、たった二本の指に防がれた。

 

「……そう来ると思ったぞ」

 

 右手の人差し指と、中指。その二つでアイズの愛剣の刃を正確に挟み、白刃取りを成功させた。

 セルシャの成功させた防御技は、他の上級冒険者――おそらく【ロキ・ファミリア】の三強の中にも、同様の技を戦闘中に使用できる技能を持つ者はいないだろう。即ちそれは、セルシャがオラリオの全冒険者の中でも随一の戦闘技術を持っていることの証明。

 レベルや、ステイタスだけではない。彼の本髄は、むしろそれ以外の“技”にこそあるのだろう。

 

(とは言っても、剣術に関してはコイツには負けるけどな)

 

 だが、セルシャもまた知っている。自身の剣技では、アイズ・ヴァレンシュタインと比較しても良くて対等以下の実力しか持ち得ないと。【剣姫】と称される少女を相手取るには、相手の土俵で戦わないことが勝利をもぎ取るための絶対条件だと、セルシャは経験から断言している。

 ちなみに、闇派閥内で出回っている各上級冒険者への対応策の中の一つ、『アイズ・ヴァレンシュタイン』の項目に、セルシャからの助言等が多く盛り込まれているのは言うまでもない。

 

「さて、ではお前に極東の技術を見せてやる」

「――っ? 何をッ!?」

 

 僅かな指の動き。だが、それは回転、そして重心の位置を己の感覚のみで正確に判断し、精密な動作性が要求され、それに完璧に応えて初めて可能となる、極東由来の武術。

 

――合気である。

 

 アイズの視界の中で、天と地がひっくり返る。見ると、セルシャの手元――両指で受け止められた剣の切っ先の部分を起点に、アイズの握る愛剣が軸となって垂直に回転するように力を加えられた結果、アイズの身体が宙返りになっていた。

 作用点や力点など、細かな仕組みや行程をアイズは知らないが、セルシャの行ったことが決して力業でなく、相手の力と自身の位置関係を利用した巧みな武術であることは本能的に理解できた。

 

「――ッ!」

 

 自然と地に向かっていくアイズの肉体。その腹部に、鈍い痛みが走る。

 直線方向に力を乗せられた、何の躊躇いもなく放たれる、セルシャの蹴り。

 予測できた痛みは、歯を食いしばっても耐えきれない、相手を一撃で沈めんとする重い痛み。その衝撃はアイズの背中を貫通し、波紋が広がるように道の石畳から民家にまで衝撃波が広がり、それらを巻き込むようにアイズは吹き飛んだ。

 

 壁を破り、道に転がって、漸く止まる。

 だが、立てない。足腰に力が入らず、それどころか、意識を保つことすらままならない。自然と落ちる瞼を必死で上げたまま、地を這いずってでももう一度セルシャの元へと向かおうとした時、アイズの頭上から聞きなれた声が彼女の耳に辿り着く。

 

「アイズっ! 何があった!」

 

 声の主に動けない身体を上向きにされて、自然と目が合う姿勢になった。

 翡翠を思わせる、深緑の長髪。身を屈ませ、焦燥を露わにしながらも彼女の行動にはいつもと変わらぬ気品があった。高貴で、上品。だが、冒険者としての誇りを持ち合わせる、稀有な王族妖精(ハイエルフ)

 アイズが、母と慕う女性――リヴェリア・リヨス・アールヴが、そこに居た。

 

「リヴェ、リア……!」

「――成程、貴女も居たのか。リヴェリア」

 

 声が被せられた。

 つい5秒前までアイズが向かい合っていた相手。そして、5年前に別れ、それ以降は敵として幾度もリヴェリアが向き合ってきた相手。

 ここまでくれば、最早名乗りを上げる必要もないだろう。

 

「……セルシャっ」

「ああ、久しいな。半年ぶりぐらいか」

 

 まるで、街中で友人に出会ったかのように。片手を上げて、気安く声をかけてくる男の姿に、王族妖精の女魔導士は一瞬混乱せざるを得なかった。彼の態度が、余りにも5年前と変わりなくて。

 彼と敵対していることなど、ただの夢だったのではないかと錯覚した。

 

 だが、

 

「――何をしに来た」

「決まっているだろう。そこの女に、止めを刺しに来た」

 

 その言葉を聞いた瞬間、妖精の目端が吊り上がる。

 何故、アイズとセルシャが此処で出会い、そして戦闘をしていたのか。その理由は定かではない。定かではないが、定かである必要は、たった今無くなった。

 愛娘に手を出された。そして今、その犯人が愛娘を仕留めようと愚かにも後を追ってきた。その事実があれば、妖精であり、母である彼女が反撃に移ることは最早必然であった。

 

「……アイズ、ポーションを置いておく。済まないが、飲ませている時間はない」

「別に待っていても良いぞ? その時間に、俺が帰らせてもらえれば、それでこの件は解決だ」

「戯言を。ここで私がお前を仕留めねば、ファミリアとしての看板に泥を塗るようなものだ」

 

 言葉通り、倒れ伏している愛娘の手元にポーションを握らせ、そっと立ち上がる。

 最低限の魔装。現在王族妖精がしている装備は、闇派閥の頭領を相手取るには余りに分不相応なものだった。だが、母が息子を相手取る程度なら、これで充分。打倒は不可能だが、退ける程度ならやってみせよう。

 母として、そしてファミリアの最高幹部を担う者として。ここであの男から目を逸らしては、その肩書も廃る。

 故に退かない。故に諦めない。図らずも、王族妖精の抱いた決意は、彼女の愛娘と似た色を持っていた。

 即ち、

 

(諦めろよ! 退けよ!!)

 

 彼の願望を大きく妨げる色を持つ決意、である。

 

(クソ、アイズに続いてリヴェリアか……。二連続はキツイ。主に精神が)

 

 闇派閥の頭領という、偉大と言えば偉大な肩書を背負う彼女の息子は、その重圧に耐える器を未だ持ち合わせていない。大器晩成、それが多くの冒険者が歩む道の形だ。初めから器の完成している者など居らず、多くの戦いと死線を超えて、力と器――精神を成熟させていく。

 だが、このセルシャはどれだけの力を手に入れようとも、それに比例して精神力が強固になっていくということは全くなかった。力に見合う肩書、異名。多くの者にとって誇りにもなり得るだろうそれらは、彼にとってはただの重責。枷でしかない。

 今、かつての育ての母と睨み合っている状況でさえ、彼は逃げたいと思っている。否、逃げたいと思うこと、考えること自体は全く持って正常な思考だ。問題は、逃亡を願うその動機がただ“面倒臭い”という、酷く薄っぺらいものに起因することだ。

 

 黒い外套を纏い、王族妖精と向かい合うこの男は、オラリオ中の住民と冒険者から反英雄として見なされている。言い換えれば、彼は闇派閥にとっての英雄だ。劣勢も劣勢だった闇派閥の状況を、衰退に向かって一直線だった彼等彼女等の状況を、たった一人で押し返した。

 善悪を問わなければ、これは凄まじい偉業だと言える。実際、神々の中にも彼の成し遂げた偉業を称える声は存在する。流石に表立って称賛の声を上げる神は居ないが、彼こそが今代の英雄だと評する神は多い。例えば、あの旅を司る神とか。

 

 だが、男は知っている。自らが決して英雄という存在ではないことくらいは、とっくの昔から知っている。というより、前世から培った常識で以て、他者に害意を持つ組織のトップというだけで英雄の資格など剥奪されているだろうと思っている。

 この世界に来て、どうせなら英雄を目指してみるかと、男は思った。夢というよりは、長い人生という時間を費やすに値するものだと感じたから、そうしてみるかと思っただけ。だが、英雄への道は酷く遠く、そして何より“面倒”臭かった。

 

 面倒は嫌いだ。面倒という単語程、人から気力を奪う言葉はない。だが、世の中の大事なこと、重要なこと、必須なことは、大抵が面倒で溢れている。その事実を受け入れ、前に進める者が世の中で大成するのだろう。そのように、世界は作られているのだろう。

 本当に、面倒臭がり屋に冷たい世界だ。だが、面倒を受け入れ、平穏が手に入るのなら、その面倒も悪くない。

 かつてのセルシャは、そう考えていた。それこそ、かつて【ロキ・ファミリア】に所属していた頃は、面倒でも英雄になってやろうと、そう決意していたのだから。それなりに、彼もまた大成する側に居た筈だ。

 

 だが、今彼はその線の向こう側に居る。

 

(笑えるな、ホント。面倒を受け入れた結末がコレ(・・)なんだから、やってられん――マジで、やってられねえよ)

 

「――っ」

 

 戦慄する。肌が、産毛が、心臓が。

 王族妖精は、立ち会っている黒い外套の男から発せられたその殺気に、今間違いなく気圧された。大気が震撼し、妖精の神経が彼の存在を悉く拒絶反応を示している。生命の危機、厄災との邂逅。その兆候――否、確定した未来の事実が、先程から幾度も脳裏を過っている。

 だが、諦める訳にはいかない。此処で退けば、間違いなくアイズは殺される。愛娘を連れて、この男から逃げ延びるような疾さを、王族妖精は持ち合わせていない。撤退は詰みと同意だ。だが、戦闘は死を意味するだろう。

 決意が軋む。ただ向かい合っているだけなのに、不運にも彼女が培ってきた経験と知恵が、その決意を否定していた。

 

「……やはり、苛立つな。この世界は」

「――嗚呼ああアアアアアアアアアア!!! 来るな!!」

「誰が、何の目的で俺をこの世界に連れてきたのか。それは心底どうでもいい。どうでもいいし、面倒臭い。だが――俺の安寧を妨害するお前らは、心底憎らしいぞ」

 

 憎悪の声音。心の奥底から捻り出した、悍ましく惨たらしい、人間全てが持ち合わせる悪意を表現したような、そんな声色。

 この声を出せるのならば、成程。彼が闇派閥の頭領だというのは納得だ。だが、彼が人間であることには納得できない。彼の放つ異様な威圧感とその声色は、神々の放つ神気と酷似した類のものだったから。

 それはつまり、彼が人間を超えた何かへと、片足を踏み入れているということではないか。

 

「……沸々と、燃え上がるんだよ」

「っ! 何を」

「お前も、心の底では思っているんだろう? リヴェリア。20年とちょっとしか生きていない俺が分かってるんだ、アンタが悟ってない筈がない」

 

 一歩、一歩。少しずつ、だが確実に、セルシャは王族妖精との距離を縮めている。しかし、妖精は退かない。否、退けない。

 先程、決意を固めたこともそうだが、それ以外に。彼女はもう、既にセルシャに呑まれている。彼の異様な雰囲気と、カリスマとしか言い表せないその覇気に、だ。けれど、彼女が生きてきた97年という歳月により積み重ねられた良識が、どうにかして彼女の心がセルシャへと傾倒するのを防いでいた。

 

「あの日、アイズは泣いていた」

「――――」

「何故泣いていたのか、どうしてあんなにも何かを憎むような眼で怪物(モンスター)を狩っていたのか。そんなことはどうでも良い。俺はあの日、ただあの涙を止めてやりたいと。アイツの笑顔を見てみたいと、そう思ったんだよ」

 

 いつの日のことを、彼は語っているのだろう。

 そんな疑問は、妖精の頭には浮かばない。忘れるわけもない、セルシャとアイズが初めて出会ったあの日のことだ。

 あの日、セルシャが【ロキ・ファミリア】へと入団してから、およそ数日が経った時。リヴェリアは、彼がアイズと顔を合わせていないと、ふと気づいて自己紹介の場を設けようとした。その旨をセルシャと、当然アイズにも話を通しておいて、そして迎えた当日。アイズは、既にダンジョンに向かったと門番から伝えられた。

 リヴェリア、怒り心頭である。だが、セルシャが特に気にした様子もなく『帰ってから顔合わせできれば良いだろう。それより、早く中層の怪物について教えてくれ』と、アイズとは異なり、知識の重要性を理解している姿勢で向上心を示したので、仕方なくリヴェリアは溜飲を下げた。

 だが、ダンジョンから帰ってすぐ、自室に籠り、疲れからか寝込んでしまったアイズに対してリヴェリアは怒髪冠を衝いた。明日にしよう、とどうしようもないアイズに気を遣っていたセルシャの腕を掴み、アイズの部屋の前へと連れていった。そして、憤怒から出た大胆な行動で以て、リヴェリアはノックも無しにドアを開けた。

 

――ドアの向こう側で、アイズは泣いていた。

 

 隅で丸まって、耐え忍ぶように。そんな可愛らしい泣き方ではなく、深い眠りに着いたまま、その閉じられた瞼から涙を溢れさせていた。悪夢でも見ているのだろう、『お父さん、お母さん……!』と、寝言を漏らし、寝汗をかき、苦悶の表情を浮かべていた。

 一瞬、リヴェリアは固まった。叱ろうと思っていた。だが、愛娘のこのような姿を目にすれば、当然そんな義憤は沈下する。そして、気まずさを感じてセルシャへと視線を移した時、思わず彼女は目を見開いた。

 

『……彼女は、親が居ないのか』

 

 僅か14歳。それが、セルシャが【ロキ・ファミリア】へと入団した時の年齢だった。未だ子供の域を出ない、未熟さを隠せない年頃で、しかし大人への階段を上り始める重要な時期。にも拘わらず、この時の彼はリヴェリアをも圧倒しかねない風格を纏っていた。

 何故かは分からない。だが、この時確かにセルシャの雰囲気は切り替わっていた。その姿は、ここ数日でリヴェリアが一度も目にしたことのない類のもので、そしてそんなリヴェリアの様子に気づかぬまま、彼は続けた。

 

『……どうなんだ』

『ああ、アイズには親が居ない。というより、過去に怪物によって殺されている』

『そうか。だが、身近な誰かを殺されたというのは、よく聞く話だ』

『……そうだな。冒険者には、良くある話だろう。だが、コイツは――』

 

――分かっている。

 

 アイズの心境を軽んじられていると感じたのか、弁解しようとしたリヴェリアへ向けて、静かに。だが有無を言わさぬ声音で、セルシャは告げた。

 

『10年も生きていない少女が、目の前で両親を殺された。その事実がどれほど悲劇的なことなのかは、良く分かる』

『……そうか。済まない』

『何故謝る。むしろ、伝えずらいことを聞いてしまった俺の方こそ、お前に謝罪するべきだろう――済まなかった』

 

 ゆっくりと、セルシャはアイズへと近づいた。その背に続くように、リヴェリアも後を追う。並んで寝具に横になっているアイズの寝顔を眺めて、その頬に流れる涙をリヴェリアが拭っている最中、セルシャはふと呟くように言った。

 

『……どうしたら、コイツは泣かなくなる』

『何?』

『俺が何をすれば、コイツは救われるんだ?』

 

 どうして、そんなことを聞くのか。

 思わず、そう聞いてしまった。だって、彼とアイズは今日が初対面だった筈だ。無論、同じファミリアに所属している以上、すれ違うことくらいはあったかもしれないが、しかし所詮は話したこともない赤の他人。普通であればアイズの境遇に同情こそすれ、決して身を挺して救おうとはしない。少なくとも、リヴェリアはそう思った。

 

『……同じだと思った』

『同じ? お前と、アイズがか?』

『そうだ。俺にも、親は居なかった。だが、近くに居た爺に拾われて、そのまま育てられたんだ……そこまでは、コイツと一緒なんだろう。違うところは、俺は親に捨てられた、ということ』

 

 初耳だった。セルシャという少年が捨て子だったということも、彼が血の繋がっていない誰かに育てられたということも。

 それを知っていれば、リヴェリアはもっと早くに彼とアイズを出会わせていただろう。似た境遇の者が居れば、未だリヴェリアに心を開いていない彼女も、少しはこの場所を大切に思うかもしれない。過去に囚われ、今を復讐に費やしている彼女が、少しは未来を見つめるようになるかもしれない。

 そう願って、セルシャと彼女を会わせていただろう。しかし、とセルシャは続けた。

 

『初めから持っていなかった俺と、失った彼女では、きっと何もかもが違うんだろう。彼女は喪失を経験したから、こうして苦しんでいる。だが、俺は親を得て、兄妹を得て、仲間を得てきた。彼女から見れば、俺はさぞかし恵まれているように見えるだろうな』

 

 セルシャの表情は変わらない。眉を動かさず、瞳を動かさず、口端を動かさない。能面、と言ってもいいだろう。そんな彼は、ファミリア内で不気味がられる存在だった。人生で初めてダンジョンに入り、怪物を目にすれば、常人であれば多少は怯えて、狼狽える。しかし、少年にはそれが無かった。少年は、淡々と手に持っていたナイフを怪物の首元に向けて最短最小の動きで振りかざし、怪物の命を絶った。

 その無駄のない、正確無比な動作。決して初めてのダンジョンで出来ていい動きではない。もしも、少年がもっと感情豊かで、それが表現できていたなら、ここまで不気味に見られることは無かっただろう。だが、少年は無表情で、誰かに喋りかけられない限りは口を開かない。だからこそ、ファミリア内で孤立してしまっていた。ともすれば、アイズとは違い教育係が居ない彼は、アイズ以上に孤独だっただろう。

 

 だが、彼は人を気遣える。人を救おうと、決意できる。

 そして、自分は恵まれているのだと、そう自身に言えるような、そんな少年だ。

 

『……そうだな、お前とアイズは、少し違う。お前はコイツよりも、おそらく強い』

『――? 俺は恩恵を貰って僅か数日の身だ。強さで言えば、流石に彼女の方が上だろう』

『ふっ、そういう意味じゃないさ』

 

 首を傾げる少年が、何だか可愛く見えてきて、自然と妖精は彼の頭に手を伸ばした。その紺色の髪に触れると、意外にもフワフワとした感触が掌から伝わってくる。何故頭を撫でられているのか理解できないのだろう、先程よりも益々疑問符を浮かべる少年に、いつしか妖精はその口に微笑みを浮かべていた。

 

『どうすれば、彼女を救えるのか。という問いだったな?』

『……ああ。随分と話が脱線したが、最初の話はそれだ』

『そうか。であれば――』

 

 

――英雄になってやってくれ。

 

 

『……英雄?』

『ああ。泣いている女の子を救い、怪物を倒し、人々を導くような。そんな英雄に』

『抽象的だな。俺にできるだろうか……』

『できるさ。お前ならば、きっと』

 

 そう。泣いている誰かを見て、それを救うべく行動を起こせるお前ならば、きっとできる。

 そう会話を交わして、そしてリヴェリアの予想通りに妹のようにセルシャの後を着いていくアイズを見て、希望を抱いたのだ。

 彼ならば、アイズを救えるのではないかと。本当に、彼女の英雄になってくれるのではないかと。そう、夢見ていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――俺は英雄になる」

 

 

 そして、あの日と変わらぬ無表情のままに、彼は告げた。

 

「アイズだけじゃない。何かを失い、絶望の淵に沈む人々全てを救い上げて、導けるような。そんな英雄に、俺はなる」

「――っ! ふざけるな! そう決意し、道を進んできた結果が今のお前か!! 悪の頭領として名を馳せて、多くの人々を犠牲にするような、そんな姿か!!」

 

 許せなかった。許容など、出来る筈もなかった。

 あの日、あの時、あの瞬間。妖精の隣で、アイズの英雄になると決意した少年が今、青年となって敵対しているこの状況を、認めることなど断じてできなかった。

 

「一体どれだけの人々がお前達の犠牲となった!? お前達の存在が、このオラリオという都市をどれほど蝕んでいるのか、本当に理解しているのか!」

「……蝕んでいるんじゃない。浄化しているんだよ、俺達は」

 

 90歳を超えた妖精を前に、20歳丁度の若者は諭すように言葉を紡ぐ。

 

「神々が降臨し、千年。築かれた英雄神話は黒竜の顕現によって無に帰した。その結果、始まった『暗黒期』は、けれど立ち上がった“正義”によって砕かれた。誰もが、今度こそ平和な時代が訪れると信じていた。無論、俺だってその内の一人だった――だが、その希望を壊したのも、俺だ」

 

 青年は、自らの掌を見つめ、グッと握り拳を作る。まるで、手の内にある何かを握り潰すように。

 

「何故壊したのか。それは、救われるべき人々が“悪”だと断じられていたからだ。アイズと全く同じ境遇の、喪失を経験し、心を壊した人々が、“悪”として、“悪”によって、断罪されていたからだ」

 

 闇派閥に属する人間には、どんなに性格が絶対的に正反対な人物同士でも、必ず共通点がある。ヴァレッタやセルシャという一部の人間は除外して、絶対的な共通点が、一つだけある。

 それは、愛すべき人を亡くしているということ。そして、その人物とは、来世の転生先で再会できるのだと、心の底から信じ込んでいるということだ。

 転生の条件は、神であるタナトスに従うこと。つまり、神タナトスの甘言によって“悪”へと墜ちた者が、闇派閥の構成員、その大多数を占めているということだ。

 

 タナトスは彼等彼女等に言ったらしい。“死後の進路”を約束する、と。

 契約、宣誓、何と言い換えてもいい。タナトスは、現在の闇派閥全員と契約を交わし、来世を約束した。それは、間違いなく彼等彼女等にとっての救済だっただろう。自らの命を捧げるに値する、そして全てを失った者が未だ生き延びるに値する目的だっただろう。

 だが、そこに喜劇はあるか? 否、そこにあるのは悲劇だけだ。

 なぜなら、命を失えば、記憶は消える。魂は記憶を、過去を、引き継げない。であれば、果たして本当に契約が執行されたとして、本当に彼等彼女等は救われたことになるのか。来世へと転生し、その先で、彼等彼女等は真の意味で笑顔を浮かべられるのか。

 

 何も知らされず、何も知れず。自身が生まれ変わったという実感すらないまま、自覚すらないまま、ただもう一度人生という道を歩むだけなんじゃないのか。

 だというのなら、

 

「――彼等の、どこが“悪”だ!!」

 

 大気が、震える。

 

「何も知らない、何も知らされない彼等が“悪”だというのなら、そんな彼等を裁くお前達は“正義”か!? 違うだろう! 彼等は“悪”でもなければ、罪人でもない。ただ、神々の掌で弄ばれた、言うなれば被害者を超えた――犠牲者だ」

 

 無知は罪だと、人は言う。であれば、教鞭をとる者が居ないこともまた、罪ではないのか。

 確かに、自ら知ろうとしなければ、自らの好奇心を働かせねば、真の意味で経験を積めはしない。強要された勉学程、無駄なものは無いのだから。だが、だからといって無知なる者を利用することは、それは邪悪を表す最たる事象だろう。

 神々は、平気な顔で人の嘘を見抜く。だが、神々の嘘を人々は見抜けない。それは、余りに不公平なのではないか。

 隠し事のできない神の前では、自らの事情も心境も駄々洩れになる。大っぴらになってしまう。それはつまり、本来であれば自分すらも知らない、どこか醜い自分の存在すらも、当然の如く認識されてしまうということ。であれば、人々を陰で操ることなど、神の立場を以てすれば簡単だ。

 故に、世界のどこかで誰かは断じた。下界は、神々の人形劇の舞台でしかないと。下界で起きるどんな事象も、必ず神々の意図が紛れ込んでいる。

 

「お前達は知っていたか? 知っているか? 彼等の苦悩を、後悔を、絶望を! 自らの悲願の為に他者を平気で殺害する彼等は、確かに醜いかもしれない。酷く滑稽で、愚かで、救いようがないかもしれない。だが、そうしたのは誰だ! ――この世界だろう!!」

 

 絶望の淵に追いやられた彼等彼女等の傍に、誰も寄り添ってやらなかった。神タナトス以外の誰も、彼等彼女等の犠牲を、“仕方のないもの”だとして受け入れた。

 神々はありふれた悲劇に興味がない。関心がない。故に、犠牲には目を向けない。

 彼等彼女等を眷族としていた神は、果たして何をしていたのか。嘘が見抜けるのなら、真実を見抜けるということ。であれば、彼等彼女等に、何か生きる道標となる言葉を与えてやれなかったのか。与えてやらなかったから、彼等彼女等は今、狂った愛に犯されて“悪”の道に希望を見たのではないか。 

 

「真の巨悪は、(この)時代だ! 時代が彼等を脅かした! 時代が彼等を隅へと追いやった! だが、誰もそれに気づかない。誰もそれに気づけない。――なら、気づいた俺がやろう。俺が、時代を壊し、巨悪を裁く!」

 

 あの日の少年は青年となって、憎悪と怨念と――より強固になった決意と覚悟を背負って告げた。

 

 

 

「来い、英雄の都(オラリオ)。時代の変わる、その瞬間を見せてやる」

 

 

 

 *

 

 結局その後、事態を聞きつけた【ガネーシャ・ファミリア】がその場に駆けつけて、分が悪いと判断したのか、紺色の青年はその場から消えた。去り際に、彼は振り向いて、

 

『真の悪はこの世界だ。そして、その世界の掟に縛られているお前達は、犠牲者とまでは行かなくとも、被害者ではあるのだろう――気が向いたら、こちら側に来い。皆もきっと、歓迎してくれるだろう』

 

 一抹の願いを零す様に、その勧誘の言葉を残していった。

 ふざけた話だ。敵同士でありながら、否、向こうがリヴェリアやアイズを敵と認識しているのかは分からないが、それでも事実上は敵という関係性でありながら、その上でこちらを自分達の方へと引きずり込もうとしてくるのだから、どれだけ余裕があるのかと愚痴でも吐きたくなる。

 だが、彼の言葉に嘘は無いのだろうと、内心でリヴェリアは強く確信していた。断言できる、彼は本気で、リヴェリアとアイズを味方にしようとしていた。彼女等と戦うことを、避けようとしていた。

 

 それは何故だろう。

 なんて、考えるまでもなく分かることだ。

 

「……リヴェリア」

「まだジッとしておけ。傷が痛んでいるのだろう?」

 

 今、二人は“バベル”の治療施設に居た。流石は第一級冒険者と呼ぶべきか、アイズはセルシャという闇派閥トップの実力者から確かな一撃を、それも相手を一撃で葬り去るだろう手加減無しの一撃を喰らいながら、しかし特に外傷は無かった。

 だが、肉体の芯に響く攻撃を受けたことは事実。念の為、ポーションの処方と2日の入院を余儀なくされた。

 些か大袈裟ではないかと思うものの、自らの兄がそれほど驚異的な存在になっているのだと、改めてアイズは再認識する。

 そして、看病に来た他の【ロキ・ファミリア】のメンバーが本拠地(ホーム)へと帰った後、ギルドからの事情聴取で遅れてきたリヴェリアと、二人きりで話し込んでいた。

 話題は当然、件のセルシャという男である。

 

「私、セルシャとはもう、敵同士なんだと思ってた」

「……ああ。私も、そう思っていたよ」

 

 脳裏に過るのは、世界への憎しみを露わにしたセルシャの姿。

 あの時、リヴェリアの目にはセルシャが泣いているように見えた。まるで、世の理不尽に耐えきれない子供が地団太を踏んで泣き叫んでいるような、そんな風にさえ思えた。

 

「……だが、奴はお前を殺そうとした。それは事実だ。だから、決して感化されるなよ」

 

 しかし、リヴェリアには彼を慰めようという気は起らなかった。

 確かに、彼の言っていることは正論で、ともすれば世界の誰もが思っている事だろう。だが、皆がそれに蓋をしているのだ。蓋をして、耐えて、世の平穏を保っている。その事実が如何に残酷なのかは、リヴェリアとて分かっている。

 だが、そうでなくては駄目なのだ。理不尽のない世界など無い。生と死は表裏一体、突然現れ、突然消える。そのサイクルを、その循環を、感情論で止めることはできない。

 そう、セルシャの言っていることは、所詮子供の考える感情論に過ぎないのだと、90年を生きた妖精は断じた。

 

 断ずるしかなかった。つまり妖精は、母は、愛娘を守る為に、息子を見捨てたのだ。

 

「……うん」

 

 だが、とアイズは思う。

 最初、偶然出会った時、セルシャは真っ先に“逃走”を選んだ。つまり、戦闘を避けたのだ。それは彼の言っていた通り、周囲の人々に迷惑をかけないよう――闇派閥のトップが一般人へ配慮するのもどうかと思うが――場所を移動しようとしていたのもあるのだろうが、しかし彼が静止し、結果的に戦闘と相成ったのはアイズが彼の後を追っていたから、というのが原因の一つだろう。もしもアイズが追跡を断念していたなら、彼はそのまま構うことなく逃げ去っていたに違いない。

 

 そして、アイズがこうして入院する要因となった、セルシャの蹴撃。それの当たった箇所は、繰り返すようだが腹部だった。

 何故腹部だったのだろう。本気でアイズを殺すつもりなら、首を狙うのが最も効率的な筈だ。そして、直線に放つのではなく、回し蹴りを披露するだろう。そうすれば、ほぼ確実に首の骨を折れる。それも、対象が遠くまで吹っ飛ぶ、何て不確定要素も存在しない、完璧な殺害が出来た筈だ。

 少なくとも、アイズがセルシャ当人の立場であればそうしたし、セルシャがその方法を思いつかない筈がないと、アイズは考えていた。

 そのように思考を回していれば、自ずと結論は見えてくる。

 

 セルシャは、アイズを殺そうとは考えていなかった。むしろ、見逃す理由を作ろうとしていたように思える。

 もしそうなら、

 

(もし、そうなら――)

 

――気が向いたら、こちら側に来い。皆もきっと、歓迎してくれるだろう。

 

 彼の言う“こちら側”に往けば、もう一度あの日常が手に入るのではないかと、アイズは思ってしまった。

 自身の英雄になると決心してくれた、どうしようもなく愚かな兄の傍に居られるのではないかと、ほんの少しだけ考えてしまったのだ。

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