暗黒期の残骸 作:花のお皿
「……全く、嫌になるな」
『送還』が収まり、光柱が消えた。しかし、その凄まじいエネルギーの影響で崩れ落ちた
瓦礫から這い出るようにして脱出したセルシャは、服に着いた埃を叩き落としながら鬱屈とした眼で周囲を見回す。
瓦礫の山、血の匂い、千切れた腕、胴の無い生首。
一般人が見れば、即座に吐き気を催していたであろう
「――ドウヤラ、無事ダッタヨウダナ」
「お陰様で、とでも言おうか」
ふわり、と。空中から浮遊でもしていたように降りてきた仮面の使者に、特別な驚嘆も抱かぬままにセルシャは感謝の言葉を口にした。
「何故此処に居るのかを尋ねたいところだが、まずは感謝を。お前が居なければ、あの時俺は終わっていた。ありがとう、
「……フン。我等ニトッテ、オマエガ利用価値ノ高イ人間デアッタガ故ダ。余リ見クビルナ」
見くびった覚えはないが……、と戸惑い気味に言い淀むセルシャに、仮面の使者――エインは背を向ける。
「感謝ナド必要ナイ。為スベキコトヲシタダケダ」
「為すべきこと、か。それは、エニュオがお前に俺を助けるよう命じた、という事か?」
ほぼ確信を得ながら、セルシャは訊いた。
エインは、正に使者。エニュオの命令通りに動き、言う通りに生きる。それは、5年の間闇派閥の頭領としてエインと接してきたセルシャが把握しているエインの全て。
その在り方は、まるで人形だ。故に、セルシャはエインにほんの少しだけ親近感を抱いたことを覚えている。
人形姫と呼ばれた妹分が居た事もそうだが、感情を感じさせないという部分でセルシャとエインは似通っていたからだ。
故に、セルシャは闇派閥内での反対を押し切って、自らがエインと、即ちエニュオとの交渉役を買って出た。言論上での駆け引きは苦手だが、それ以上にエインという人物を図る上で自身以上の人材はいないと考えたからである。
それが危険分子と闇派閥の接触を避けるべくしての自己犠牲だと、闇派閥内では美談として扱われている事をセルシャは知らない。
「ソウダ。オマエニハ利用価値ガアル」
「……成程。光栄だな」
オマエニハ、と態々言及したのは、セルシャのみにしか興味が無いと公言しているようなもの。即ち、闇派閥そのものにはエニュオとやらは目を付けていないらしい。
とんだ節穴だな、と内心で嘲笑にも似た笑みを浮かべつつ、セルシャは安堵した。一難去ってまた一難を防ぐべくこうして動き回っているというのに、エニュオなどという不審な輩にちょっかいをかけられては困る。
もしも闇派閥自体を利用しようと画策していたなら、無茶無謀だろうと
セルシャ一人が居なくなったところで、闇派閥は衰退しない。そう思い込んでいるセルシャにとって、エニュオの意向は都合の良すぎるものだった。
「聞きたい事も言いたい事も山程あるが、神が送還されたんだ。そろそろ憲兵共が来る。済まないが、逃げさせてもらうぞ」
「待テ」
待てない、と返せたならどれだけ良いか。
裏社会で生きる者だからこそ、仁義というものがある。それを反故にしては信頼など得られない。
信頼を得て、安心したい――今更そんな欲望を出す程、落ちぶれちゃいない。ひとまずの目的として必要なのは、己よりもまず仲間の安全。自分の事は、ひとまず後回しで良いだろう。
反英雄などとは呼ばれていても、やったことは道筋を示しただけだ。示した道を、きっと残した仲間達は自分の力で歩むだろう。
――故にこそ、今回の失態は取り返しのつかない事だった。
その失態を、取り返しのつかない筈だったものを、目の前の不審者に助けられたのだ。その人物からの要求を、断れる筈がない。
「分かった。だが、場所は変えるぞ。此処に居ては少々拙い」
「――分カッテイル。早ク案内シロ」
案内しろ、という言葉に首を傾げた。
文脈が合っていない。この状況で、あたかも向かうべき場所が互いに共有されているかのような言い分に、セルシャはどういう意味かとエインに向けて振り返り、
「ダイダロス通リ二アルノダロウ?
瞬間、腰にぶら下げていた鞘から剣を引き抜いた。
音速に匹敵する速度でエインに迫る。刃が陽光を反射すると同時、剣先がエインの首元でピタリと止まる。
稲妻の如き居合切り。繰り出した剣士の腕前を賞賛する事に迷いが生じる事は断じてないが――真に恐るべきは、その剣技を僅か指二本で受け止めた怪物だ。
(……剣が動かない)
セルシャの居合切りは、剣先をエインの二本指、親指と人差し指に摘ままれる形で防がれていた。
神業だ――丁度、以前にセルシャが【剣姫】の剣戟を居合で凌いだ時と状況は似ている。
故に、即座にセルシャは剣を手放した。
エインに状況判断の隙を与える前に、拳を顔面に叩き込む。仮面をぶち割る勢いで、衝撃が後頭部を貫通するように最後まで腕を伸ばし切って、拳打の一撃は終了した。
――仮面に罅が走る。
不可思議な紋様の装飾。そこに、無粋な線が一本、曲がりくねる様に加えられた。
「――貴様」
だが、
「死ニタイノカ」
怖気の走る殺気を前に、その一撃が断じて成果などではない事を知る。
虎の尾を踏んだだけだ。これは喧嘩を売る前の挨拶代わりに過ぎない。
「……やり返しだ」
「――何?」
「ついさっき、あのクソッタレを殺す直前に、お前は俺の背中を攻撃しただろう? その仕返しだ」
だからこそ、これはただの挨拶で済ませておくべきだ。
故に、そんな建前を口にして、「ここからは独り言だが」と、下らない前置きと共に懺悔するように語り始める。
「――今のはただの八つ当たりだ。俺が犯した失態を、その鬱憤をお前にぶつけてしまったに過ぎない」
そうだ。エインは何も悪くない。
あの時、あの場で。無様にも神の言葉に従順なまでに操られて、全てを吐き出したのはセルシャなのだ。ならば、責任は全てセルシャに課せられるべきだろう。
感情のままに、衝動的に動いて三度目の失態を犯すのは御免だ。
「済まない、俺が未熟で、愚かだった。死んで詫びれるというのなら、喜んで死のう。だがそれは、世界をひっくり返した後だ」
頭を下げる。
セルシャが闇派閥の頭領となってから、一度もしたことのない動作だった。
闇派閥として、裏社会を支配すると決めた時からトップとしての体裁と、面子を気にしていたのかもしれない。思えば、この独断の派閥狩りも、仲間達からの視線を気にしての行動だ。
とんだ笑い話だ。つい先日、散々フィンをこき下ろしたというのに、結局セルシャもまたある種の世間体とプライドに縛られていた。
「もう少しだけ、待っていてくれ。時が来れば、必ずこの命は差し出そう。そして、もう一度言わせてほしい」
この考えに至れたのは、エインがあの状況から助け出してくれたからだ。
如何な目的があり、策略があろうとも、エインが居なければセルシャはきっと先の失態を取り戻す為にますます暴走を加速させていただろう。
ともすれば、神殺しに意識を奪われて、また何か重大な失敗をする原因になっていたかもしれない。
「ありがとう。お前には、本当に助けられた」
神威で引き出された言葉ではない。けれど、それは紛れもない本心の言葉。
混じり気の無い、純度百パーセントの感謝が込められた言葉だった。
故に、
「……気持チガ悪イ」
「……酷くないか?」
エインから引き出せた人間味溢れた返答に、セルシャは暫く気分を沈ませていた。
◇
エインが人工迷宮について知っているという事は、エインは神に操られるがままのセルシャを放置していたという事。必要な情報を抜き取った後、用済みとなった神を処分する――それが、今回のエインの任務だったのだろう。
つまるところ、エニュオはセルシャが中堅派閥を標的にすると読んでいた。その上で、セルシャが神威に抗えない事すらも読み切って、見事に闇派閥の情報を手に入れて見せた。
(……俺は、道化だったという事か)
凄まじい手腕だ。策略家として、セルシャの一歩も二歩も先を行っている。
少なくとも、今回のセルシャの行動がエニュオの掌の上を悠々と踊る事と等しかったのは、紛れもない事実だろう。
そうでなければ、ここまで華麗に情報を取られるはずがない。それも、ここまでエニュオのみに有利な形で状況が進むのは、どう考えても不自然だ。
これが偶然で成り立つのなら、セルシャは世界を憎悪していない。
(結局、闇派閥の首根っこを掴んだのはエニュオ一人。だが、奴はそれを理由に憲兵に出頭しろ、などとは言ってこないだろう)
何を今更、とは思うが、エニュオは確実にギルド側の人間ではない。そうである以上、結果的にはあの男神に知られるよりは、エニュオの方がマシだったと言える。
何せ、エニュオとは元々協力するつもりだったのだ。多少の情報は、筋として渡すべきだと考えていた。
それが本拠地に関する情報だというのは些か天秤が釣り合っていないようにも思うが、エニュオという存在に少しでも近づく為に必要な贄だったと、セルシャは割り切った。
(エニュオについて、俺は余りにも知らなさすぎる)
それは、ギルド側が闇派閥に対して抱いていた印象と似ているだろう。
見えない戦力、身体を蝕む危機感。そして、未知を解明できぬまま状況が悪化に進んでいく恐怖。
精神的負担は、計り知れない。
「――上等だ」
逆境など慣れている。状況悪化など知れた事。むしろ、悪化しなかった時など数えるくらいしかない。
彼はセルシャ・ストリクス。世界に反すると書いて、反英雄。
世界に敵に回すよりは、都市の破壊者を相手取る程度、容易い事だ。
(やってやる。エニュオの化けの皮を剥いで、天秤をこっちに傾ける!)
ダイダロス通りを迷わず進むセルシャの背中を、仮面の使者は沈黙のままに着いていった。
◇
空を見た事が無い。
否、空を見た記憶を、思い出すことが出来ない。
岩の天井が上空を覆い、灯りの無い洞窟の如きダンジョンの中で意思もなく生きている。穢れた精霊の言いなりになって、呪縛に縛られたまま人間だった頃の何もかもを失った。
悲観は無い。何せ、覚えていないのだから、悲観すべきことも、悲嘆するような事も、彼女は何も覚えていない。思い出せていない。
その現状に、寂寥を覚える事すら、無い。
『レヴィス』
先日、滅多に姿を現さない仮面の使者が訪れた時も、レヴィスは面倒事が来たと思っただけで、特に心情を大きく変化させることは無かった。
『近イウチ、闇派閥ノ頭二手ヲ貸シテモラウ事ニナル。準備ハシテオケ』
『……準備だと? そんなものは無い』
仮面の――エインからの言葉を鼻で笑い、レヴィスは静かに背を伸ばす。
彼女は全裸だった。男を誘惑する肉体美がグッと腕を上に伸ばし、気を抜くように息を吐いている。
傍から見れば娼婦のそれだが、レヴィスの本質は狂気に酔う怪物だ。そこにあるのは男を狂わす色気ではなく、怖気を走らせる殺気のみ。
彼女は何も覚えておらず、思い出す事もせず、ただ怒っている。
世界の全てに、苛立っている。
『それで? 態々それを言う為にこんなところまで来たわけではないだろう。サッサと本題を言え』
闇派閥の頭――それがどうした。
そんなもの、ただ自身の目的を達成するための捨て駒に過ぎない。それはおそらくエニュオも、眼前に居るエインとて同じ認識だろう。
ならば、エインがこの場に訪れた本当の目的は、面会の知らせなどという下らないものではない。
――
そういう認識になるのは、仕方のない事なのだろう。
『イヤ、コレガ本題ダ』
『……何?』
その鋭い眼を見開いて、レヴィスはエインを凝視した。
『エニュオ様カラノ伝言ダ。吞ミ込マレルナ、ト』
その、まるでレヴィスを慮ったかのような言葉が癪に障ったのか、レヴィスは口を荒げる。
『たかが人間一人に会う程度で、用心しろと? 私を見くびっているのか!』
『……私カラモ言ッテヤロウ』
だが、何ら臆することなく、エインは諭すように告げる。
『オマエ以上二世界二怒リ狂ッタ狂人ガ向コウカラヤッテクル。悪イ事ハ言ワン、
それだけ言って、エインは消えるように去っていった。
残されたレヴィスは一人。また一人で、考える。
私以上に世界に憎悪を向けるような人間? そんな馬鹿げた存在が居るものか。神に愛された人間が、よりにもよって怪物である私以上にどうして世界を憎むというのか。
全ては戯言。エインとエニュオが、また私を利用するために適当を言った虚言に決まっている。
嗚呼、けれど、確かに。
「興味が湧いたのは、事実だな」
あのエインをして、準備をしろ、などと忠告をしてくるような狂人。成程、魅力的な人物じゃないか。
確か、名前は――、
「セルシャ・ストリクス、だったか」
地の底の遥か底で、女の静かな声が響いていた。