暗黒期の残骸 作:花のお皿
ダイダロス通り。
オラリオの存在する広域住宅街の総称であり、主に貧民層が住まう無秩序な
曰く、オラリオのもう一つの
その為、数多の悪事・犯罪の温床となっている区画でもあるが、ここ最近は闇派閥の台頭によってダイダロス通りにも簡単な秩序が生まれつつある。
この事実もまた、闇派閥がオラリオの市民に強く支持されている理由である。
「ここが、
そんな闇派閥の頭領――セルシャ・ストリクスは、あっさりと自分達の本拠地を明かした。
「……此処ガ」
「ああ。例えエニュオでも、この場所は今の今まで知らなかった筈だ。お前の反応を見れば良く分かる」
「…………」
「……そう怒るな。冗談だ」
表情の分からない相手が黙ると、居心地が加速度的に悪くなる。
エインが実際に怒っているかどうかは、仮面の表面しか見えないセルシャには分からない事だったが、否定しないという事はやはり怒っていたのだろう。
余程、エニュオという人物を慕っているようだ。
(エニュオ――俺とは違って、
今はエインしか知らないが、きっとエニュオにはエイン以外にも側近が複数いる筈だ。
エニュオは、自身の姿を他者に決して見られないよう、指示だけを出して、実行は全て部下であるエインに任せる方針を見せている。そのエインもまた、仮面を被っているが故に正体は不明だ。となると、エニュオとエインはこうした破壊者としての顔と、もう一つ――おそらくは、オラリオで普通に暮らす住人としての顔。少なくとも、二つの顔を持ち合わせている事になる。
エインとエニュオは、この“普通の暮らし”を大切に想っているのだろう。だが、同時にこの世界に対して、並々ならぬ不満を持っている。
――歪だ。歪だが、正常でもある。
今の幸せを守るために、理不尽を耐える者達の姿は良く知っている。故に、二つの顔を使い分けて破壊者として振舞っているエニュオ陣営は、セルシャとしては理解できない訳ではなかった。むしろ、感心したと言っていい。
【ロキ・ファミリア】を見捨て、闇派閥へと与したセルシャとは違う。彼等は、
それを、誰が根性無しと罵るものか。
「いつか、エニュオにも会ってみたいな」
「……会ッテ、ドウスル気ダ」
警戒心を滲ませるエインに、いつもの無表情を崩さぬままセルシャは内心で苦笑する。
(人形というより、忠犬みたいな奴だな。いや、ひょっとして、これは忠義というよりも――)
そこまで思考を巡らせて、これ以上は無粋だと被りを振る。
何処か、不穏な空気を発したままのエインに、安心させるようにセルシャは答えた。
「話がしたい。どうして都市の破壊者を名乗るのか。そして、異常な程闇派閥に協力的な姿勢を見せるエニュオの、その真意が知りたい」
「ソンナモノ、知ッテドウスル。協力関係ナドタダノ体裁ダ。オマエ達ハタダ、私達ヲ利用スル事ダケ考エテイレバイイダロウ」
「……そうだな。それが正解だ」
エインの言っている事は、正しく正論だろう。
エニュオも、闇派閥も、互いに『悪』である事に変わりはない。ならば、協力などという甘ったるい考えは捨てるべきだ。
世に背き、手を汚していながら、理想論を語るなど論外だ。現実を見て、絶望した結果が、恐らく『悪』に生きる者達なのだから、互いに利用し合う事のみに注力した方が物事は円滑に進む。
下手に情を移せば、互いの行動に支障が出るかもしれない。そうなったら、これまでの苦労は水の泡だ。エニュオも、闇派閥の皆も、そんな事は望んでいないだろう。
だが、
「でも、それでは神と同じだ」
セルシャ・ストリクスは、愚かで哀れな人間だ。そんな理屈は、当の昔に捨てている。
【ロキ・ファミリア】に背を向けて、フィンを殺せなかったあの時に、セルシャの心は決定した。
理想を追う事こそ、人間の本懐だ。或いはそれが、セルシャの追い求める英雄の形なのかもしれない。
故に、故にだ。
「分かり合えなくたっていい。話してみよう。そうすればきっと、俺達はもっと強くなれる」
それは、彼がエニュオ達を同類だと思っているが故の答えだった。
エニュオ達もまた、現実に苦しめられ、神に狂わされた者達なのだと、そう疑っていないが故の理想論だった。
「……ソウカ」
束の間の空白の後、エインはひとまずセルシャの答えを吞み込んだようだった。
きっと、納得はしてもらえていないのだろう。ますます、気持ち悪がられただけかもしれない。だが、答えは示せた。
(エニュオの正体は必ず暴く。その上で、腹を割って話をする。全部、時代を変えた後の話だが)
分かり合えるはずだ。分かり合えなくとも、手を取り合えるはずだ。
なぜなら、セルシャとエニュオは今の時代に納得していないという点で、どうしようもなく共通しているのだから。
「話が脱線したな。そろそろ、中を案内してやる」
「……アア。ヨロシク頼ム」
不思議な『鍵』だろう? これは仲間の一人が創り上げた傑作なんだ。
懐から出した不可思議な球を指差して、そんな風な自慢を柄にもなく気色に満ちた声で話すセルシャの顔を、エインは黙ったまま見つめていた。
◇
静かだ。
人工迷宮の中は、異様な静けさに包まれていた。セルシャが中堅派閥を狩り始めてから既に半日が経っている。宴会もとっくの昔にお開きになっているだろうから、今後の方針を皆と話し合うつもりだった。
だが、この静寂に満ちた雰囲気からして、おそらく宴会に参加したメンバーは全員眠り込んでしまっているのだろう。
(どうやら、少しは気を抜けたみたいだな)
何だかんだ、先日の【ロキ・ファミリア】との一戦まで闇派閥は気を伺う状況から動き出せなかった。気を張った状態を、延々と続けていた。
裏社会での地位を盤石のものとするまでは、闇派閥はどの世界でも孤立していた。セルシャなど、異常な額の懸賞金をかけられ、何時如何なる時も暗殺と刺客の対応に追われ、精神を研ぎ澄まさなければならなかった。
ギルド側に対しても、明確にカウンターを打てたのは先日の一戦が初めてだ。だからこそ、あの一戦がこれから闇派閥の追い風となってくれることを願わずにはいられない。
「それで? 態々案内をさせたんだ。何か、用件があるんだろう?」
セルシャの襲撃によって半壊し、エインが止めを刺した【ファミリア】の終焉を見届けて、人が集まってくる前にこの人工迷宮へとやってきた。
たった半日の出来事にしては波乱万丈に過ぎるが、最早これも日常だ。肉体はともかく、セルシャの精神は未だ疲労を感じていない。
「話してみろ。他言無用ならば、俺も誰かに漏らしたりなどしないさ」
「……今、此処ニ居ルノハオマエ一人カ?」
「――いや、他にも闇派閥に所属している者は大体残っている筈だ。今は、まぁ宴会で騒ぎ疲れて眠っているってところじゃないのか?」
全く、羨ましい限りだと思いつつ、密かにセルシャは安堵する。
少なくとも、これでセルシャに対して感じていた鬱憤はちょっとは晴れているだろう。そうでなくても、日々の疲れくらいは多少抜ける筈だ。
これからは連戦が続く。となれば、これくらいの無礼講は必要だ。
「……オマエ抜キデ、宴会ヲシテイルノカ?」
「ああ。今回の宴会は、正しく祝杯だ。ならば、しっかりと己の役割を達成した者達のみが参加すべきだろう」
「……? デハ、何故オマエハ参加シテイナイ?」
「? 言った通りだ。己の役割を達成した者のみが、祝杯を受ける事を許される。ならば、役割を果たせなかった者が祝杯の場に居合わせる事など、道理ではない」
「…………マァ、ヨイ。私達ニハ関係ノナイ事ダ。好キニシロ」
釈然としない態度を取られつつ、セルシャは再び話を促した。
「俺達の事は良い。今、俺が気になっているのはお前の事だ。何か、エニュオから言伝を頼まれたのだろう?」
「エニュオ様カラ伝言ヲ預カッテイルノハ確カダガ、マダ役者ガ揃ッテイナイ」
「……俺とお前以外に、必要な人員が居ると? 誰の事だ」
闇派閥に所属している人間ではないだろう。十中八九、エニュオ陣営の人間だ。
これまで、闇派閥が直接的に交流してきたエニュオ陣営の人間は、エインだけだ。逆に言えば、エインの存在以外にエニュオについての情報を一切得られていない、という事でもある。
故に、これはチャンスだ。エニュオの情報を抜き出せる絶好の機会、だと言える。無論の事、相手がセルシャ程度の話者でも手玉にとれるくらいの手合いであれば、の話ではあるが。
(ヴァレッタかタナトスに相談したいところなんだが、寝てるとなるとな……)
如何に訓練された戦士とて――否、訓練された戦士だからこそ、休息が必要だ。それは、肉体だけでなく心の疲労もまた含まれる。
今、闇派閥の皆は漸く心の疲労を緩和する機会を得た。それを、台無しにはしたくない。
「事後報告で、勘弁してもらうしかないか……」
「何カ言ッタカ」
「何でもない。それより、お前の言う役者について、教えてもらいたい」
エニュオは今、エイン以外の人物を闇派閥と関わらせようとしている。そんな動きは、セルシャの知る限りでは今まで一度もなかった。という事は、今までにない程オラリオの情勢が大きく変化しているという事でもある。
――事態が動き出した。
それを察知したからこそ、エニュオも本格的な接触を図ってきたのだ。
「会エバ分カルダロウ。コノ人工迷宮ニ、招キ入レテイイノデアレバ、ノ話ダガ」
「今更お前達に知られて困る情報なんて、然程無い」
実際、人工迷宮こそが今まで闇派閥が生き残ってきた要因であり、同時に切り札だった。それを知られた今、闇派閥に知られて困る秘密は無い。
構成員の素性を知られる事だけは絶対に避けるべきだが、それについてはエニュオは興味ないのだろう。ならば、それについてはエインも、エインが言う役者も、詮索はしてこない筈だ。
「『鍵』を貸してやる。“役者”とやらを連れてこい」
「気前ガイイナ」
「言っておくが、戻ってきたら返してもらうぞ」
遠ざかり、扉の向こう側へと消えた背中を見送って、さて、と顎に手を添える。
本来であれば、これは闇派閥だけで遂行すべき使命のように思える。
これは、セルシャの
そこに、無関係だった人々を巻き込んでいいのか。それは果たして、道理なのか。
元から闇派閥に居た者や、セルシャの意思に賛同して闇派閥に入団した者とは違う。エニュオ達は、今の今まで部外者だった者達だ。そこには、考え方の違いがあり、捉え方の違いがあり、視点の違いがある。
エインが言っていた通り、エニュオが闇派閥に協力的なのは、奴から見て闇派閥に――というよりも、セルシャのみに、のようだが――利用価値があるからだ。これまでもそれ故に何度かエインを使者に送り出し、協力体制を敷こうと交渉の機会を設けていたが、ここに来て弱みを握ってくるという強硬手段に出てきた。
それだけ、事態が動いているという表れでもある。
そうまでして、関わろうとしてくるのなら。それでエニュオ側の人間が死んだとしても、そこにセルシャの責任は発生しない。全て、関わってきたエニュオ達の自己責任だ。
――そんな理屈が、ずっと理解できなかった。
たった一度。たった一度でも、顔を合わせて、話をして、関わったのなら。そんな相手が死んだら、悲しいに決まっている。
故に、誰も死なせずにいてほしい。生きていてほしい。
だから、セルシャは今此処に居る。過去に囚われた人間に、未来を見せる為に此処に居る。
(エニュオ側の奴等を死兵にするのは無しだ。ヴァレッタ辺りが言い出しそうだから、それは事前に留めておくとして……問題は、向こうがどの程度協力的なのか)
エインは、おそらく大丈夫だろう。ある程度は闇派閥の指示にも従ってくれるはずだ。
それがエニュオの望みなら、奴は何処までも遂行してみせるという気概がある。
だが、それ以外の面子がどうなのかは分からない。
全員が全員エイン程の忠誠心を持っているとは限らない。というより、そう考える方が自然だ。エインのあの忠臣っぷりは、少々異常すぎる。
「…………まぁ、会えば分かる、か」
エインの言う通りだ。とやかく言ったところで、どっちみち推測の域は出ない。
会って、見極めるだけだ。それが、今セルシャの果たすべき役目である。
(鬼が出るか蛇が出るか――!)
自身の道に続くというのなら、その者には未来を見せよう。明るく、輝かしい未来を示して見せよう。
それが出来なければ、セルシャが此処に居る意味がない。
だが、もしも、もしも相手が危険分子と判断せざるを得ない程の狂気の持ち主であったなら、その時は――、
(俺自ら、殺してやる)