暗黒期の残骸 作:花のお皿
――『極彩色の怪物』を完全制御できる
そして、その胆力もオラリオの裏社会で生きていくには十分なものがある。ディックスとヴァレッタの圧を澄まし顔でやり過ごしていた時点で、それはすぐに分かる。
だが、噂の『極彩色の怪物』とやらの脅威は未だ分からない。というのも、結局エインの口伝に聞いたのみで、その戦力は実際に目にしたことがないからだ。百聞は一見に如かず、だ。目で見て、耳で聞いて、それで初めて事実は事実になり得る。話を聞いただけでは、『極彩色の怪物』を戦力として数えるのは難しい。
――ならば、実際に見に行こう。
と、セルシャが言い出した。
「不都合があるか、エイン」
「イヤ、特ニハ無イ。タダ――数ヲ減ラサレルノハ、困ル」
その返事に、少しばかりの沈黙が場に落ちる。静寂が間を支配して暫く、セルシャは深々と頷いた。
◇
あの後、エインは人工迷宮を去った。用事が済めばサッサと帰っていく様は、正に指示通りに動く人形のようで少しばかり気味が悪い。
……気味は、悪いが。
「
セルシャ達は、会議室で未だ熟睡していた構成員達を叩き起こし、部屋の外へ追い出した。一部の準幹部級の人員を場に残して、一言目にセルシャはそう言った。
「……まぁ、旦那のエインへの信頼についちゃあ今更口は挟まねえが」
「いーや! 挟むね! あんな連中が信用できるかっつぅんだよッ!!」
激昂するヴァレッタが会議の場を刺激する。それは、元々エニュオに対して不信感を持っていた者達の同意を明らかに誘っていた。
そして、その誘いに乗る者は、この会議の場に少なからず出席している。
「リリも、参謀様に賛成です」
「リリルカ」
白装束――闇派閥の統一戦闘服に身を包む小人族の少女に、視線が集中する。
リリルカ・アーデ。先日のカジノ襲撃でも成果を持って帰ってきた唯一の人物だ。その内幹部への昇格も決まる事は確定であり、戦闘技術もセルシャ本人から直接仕込まれている。今や、組織中から認められている次期幹部である。
同時に、
「……チビ、テメエの意見なんざ聞いてねえぞぉ」
「ですが、セルシャ様は耳を傾けてくださいました」
「ったりめぇだ。セルシャだからな。当然そうすんだろ」
眉間に皺を寄せたヴァレッタの眼光は、大の大人であっても失禁してしまいそうになる迫力があった。それを真正面から受けて尚、リリルカは意見を曲げる事はしない。
突如として始まった争いに辟易しつつ、セルシャは肩を竦めた。
(いや、俺だって話を聞かない時くらいあるけど)
横目でディックスや他の構成員達を見ても、始まった論争を見守ろうとする姿勢のものが多い。それはそうだろう、会議なんて言い方を変えれば論争の場だ。それを止める方がどうかしている。
問題なのは、片方が沸点の低い殺人鬼で、論破された瞬間に論争から殺し合いへと発展する危険性を秘めている事だ。
「補佐だなんだと持て囃されて調子に乗っちまったかぁ? 私の意見を遮ってまでテメエの意見を述べる意義が何処にある?」
「参謀様のご意見、その補足をしたいと愚考したまでです」
「愚考ってのは謙虚な姿勢を示す為に言うもんだ。本当の愚考をしてどうすんだよ、チビ」
ヴァレッタは、自身の邪魔をする者を決して許さない。
ヴァレッタは彼女のみの意見でセルシャの意思を動かそうとした。そこに余計な不純物は必要ない。それに――元々、眼前の少女は常日頃からやたらめったらセルシャに構ってもらおうと媚びを売っている。気に入らないなんてものじゃない、彼女は正しく邪魔者だ。
正真正銘、リリルカはヴァレッタにとっての邪魔者だった。
「……落ち着け、ヴァレッタ。リリルカ、お前の意見は後で聞かせてもらおう。今はヴァレッタの話を聞く」
「……はい。差し出がましく、申し訳ありません」
だが、一時の感情から来る論争を楽しんでいる時間は無い。
「ヴァレッタ、お前がエインを――ひいてはエニュオを信用できないと考える訳を教えてくれ」
「ハッ、今更教える程度のもんはねぇよ。見た事も会った事もねぇ、顔も知らねえ奴をどうやって信用しろって話だろ」
ヴァレッタの言っている事は至極道理だ。先程、セルシャが『極彩色の怪物』を実際に見てみようと考えた理由と同様である。
目で見て、耳で聞いて、それで初めて事実は事実になり得る。事実として確認できていない事柄を信用できる道理は無い。
その道理に従えば、エニュオは決して信用できる相手ではない。それどころか、実在しているかどうかすら怪しいものだ。
「顔の知れねえ奴の吐く言葉は信用ならねえし、そもそも顔も見せねえ臆病者に利用されて、いい気分にはならねぇっつの」
「……そうか。そうだな」
「おう。それに、セルシャも信用できるのはエインって奴の事だけで、エニュオの事は信じられねぇって気づいてんだろ? なら、そもそもあのエイン自体が騙されてる可能性だってある。彼奴らの言葉を真に受けんのは、間抜けだと思うぜ」
「――――」
考えてみれば、そうだ。エインが自身の気づかぬ間に騙されている、操られているという可能性は決して零ではない。否、というよりも、姿形も見せない主人の隠れ蓑にされているというのが今の状況で最も考えられる可能性だ。
悪く言えば、エインはエニュオの囮になっていると言える。
いや、そもそもエニュオの実在が怪しい現状、エインが自ら嘘を吐き、まるで巨大な組織の後ろ盾があるかのように振舞っているという事だって――、
「エインは信用できる」
「……ディックス?」
「旦那がそう感じたんだろ? なら、信じりゃいいんじゃねえか」
目を覆っていたゴーグルを外し、ディックスが忌み嫌っていた彼の邪眼が露になる。瞳孔の開いた狂気の眼が、真っ直ぐにセルシャを射抜いていた。
「
『理性』の軟弱性を、セルシャは良く知っている。倫理的、道徳的、そんな言葉の効力は、人間の本能――そして、何よりも一時の『激情』には到底及ばない。
『理性』とは、感情の蓋である。感情を抑制する、という人間を霊長類の頂点にまで押し上げた、人間という生物だけが持ち得る機能。その、感情を抑制する、という人間の特性が、『理性』という名の特性が、社会を型作り、組織を形容する。
『理性』という蓋があるからこそ、人間は人間として生きる道を経た。
しかし悲しきかな、人はどうしようもない『感情』に動かされる時がある。
すべきではない、やってはいけない。そう『
否、それは義務というべきではなく、
だが、償い切れない過ちを犯した時、人はどうするだろうか。
選ぶことのできる道は二つ。事実を隠すか、開き直るか、だ。
セルシャは、開き直った。ならばもう、感情を隠す理由は無い。理性に従う必要も、無い。
「……その結果、俺が破滅に向かったなら、どうする」
「心配すんなって。そん時は俺らも――」
「知っている」
と、セルシャはディックスの答えを遮った。
「お前達が今更俺を一人にしてくれないのは、もう分かっている。だから、悩んでいるんだろう」
エインを信用できないというのも――正確には『エニュオ』が信用できないのだろうが――分かる。結局、人形は人形で、その操り手の顔が見えない以上、
賢人であるならば、人形の言葉になど聞く耳持たずに受け流すのだろう。怪しいものを訝しむのは、当然だ。
今回だって、エインからの『
怪しいと言えば、怪しいという他ない。
けれど、
「エインの申し出を受け入れれば、闇派閥の戦力はより強化される。それはつまり、お前達への損害が減るという事だ」
エインの言葉が真実だという保証はない。しかし、エインの言葉が『嘘』だという保証もまた、存在しない。
「今後、
いや、極彩色の魔石という物証がある以上、エインの言葉は真実である可能性が高い。少なくとも、彼女が見てきた真実である事は、きっと間違いないだろう。
「火種は既に燃え上がった。ここからは、より速度が重要になる。策を弄し、実行へと移す速度が、だ」
それは、おそらく一時的な勝者となった闇派閥よりも、敗者となった【ロキ・ファミリア】ひいては統治機構である『ギルド』こそが実感している事だろう。
カジノ襲撃事件の際、フィンは闇派閥よりも早く賭博場に軍勢を引き連れていた。闇派閥よりも、一手を打つのは早かった。
だが、それでも覆された。有利だったはずの状況を、土壇場の起死回生に逆転されたのだ。
原因はそもそもの戦力差――そして、意志の差。覚悟の差だった。
自身が犠牲になろうとも、戦況を押し進めようとする覚悟が、それによって生まれた速度こそが、闇派閥の勝利を生み出し、【ロキ・ファミリア】の敗北を招いたのだ。
「信用・信頼を重視する考えは分かる。俺も、本来であればそうしたい」
群として戦う以上、味方に信用ならない者が居るのは大きな枷になる。
共に戦う筈の仲間に、疑いを持ち続け、不信を抱くのはそれだけで気力を削ぐものだ。前方に敵が居るという状況で、背後を警戒しなければならないのは拙い。
そんな状況が発生すれば、その群はいずれ瓦解する。
しかし、
「――だが、それ以上に来るべき戦いに備えたいんだ」
エニュオから闇派閥へと送られてきた刺客は、僅か一名。そして、エニュオから送られた戦力もまた、意志を通わせる必要のない怪物。それも、それらの統率は調教師である件の刺客――レヴィスが担ってくれるという。
嗚呼、実に好都合だとも。好都合すぎる程に、受け入れるメリットがデカすぎる。
それ故に、油断は禁物だ。
エニュオは、今闇派閥が欲しがっているものに気づいている。つまりは、それだけの情報を持ち得ているという事。
関係を近づけるのは、確かに危険かもしれないが、
「この山を乗り越えれば、終わりが見える筈だ。そうだろう?」
闇派閥の踏ん張りどころは
――“数ヲ減ラサレルノハ、困ル。”
ここに来て、戦力を温存したがる姿勢からも、その思惑が読み取れる。だからこそ、皆不信感を抱いているのだ。
だが今は、それを抑えてもらう必要がある。勝利を、より確実なものにするために。
「……頼む」
頭を下げる。
一組織の長が、軽々とやっていいことではない。だが、それでもやる意義が、セルシャの中では確かにあった。
信頼ある仲間に、自身の考えを無理に押し付けているのだから。
その動作に、迷いなどある筈もなかった。