暗黒期の残骸 作:花のお皿
斬りやすかったか、断ち易かったか。そう問われれば、『極彩色の怪物』は決してそのような“容易い”存在ではなかったと、セルシャは断言できた。
あくまでも、ガレス・ランドロックという『最硬』を知るセルシャからすれば、柔かったというだけのこと。もしもこれが他の剣士であれば――それこそ、例えアイズという【剣姫】であろうとも、単純な剣戟だけでは食人花を切り裂くのは難しいかもしれない。
だが、それは逆に言えば、単純な剣戟でなければ食人花はアイズには敵わないかもしれない、という事でもある。
それほどまでに、彼女の『風』は異常だ。
セルシャの『雷』とはまた違う、大きな成長性を秘めた能力。アイズ自身のレベルが上がるほどに、アイズの『風』はより強くなっていく。その汎用性の高さ故に、どんな状況であろうともその『風』の能力は機能する。場所や状況に左右されない万能性、それは正しく脅威だった。
だからこそ、アイズと相対する者にはその脅威に対応できる“理性”が必要だ。否、彼女に限らず、全ての第一級冒険者の打倒にはそのような対応力が必要になる。それだけ、第一級という肩書は重い。
なぜなら、それだけ彼等は多くの“未知”を乗り越えてきた、という事なのだから。
冒険者とは、“未知”へと挑む者。その世界で第一級にまで上り詰めた彼等にとっても、『極彩色の怪物』は大いなる脅威となるだろう。だがしかし、である。
悲しいかな、セルシャが感じた手応えでは、『極彩色の怪物』は第一級冒険者であれば対応できる“未知”だ。それはレヴィスの指揮能力があっても、覆す事は叶わないだろう。
「……まぁ、斬りやすい状況だった、というのもあるか」
野球で例えるなら、ど真ん中ストレートが来ると分かっている状態で、バットを振るようなものだ。如何に球速があろうと、来る位置とタイミングさえ掴めれば、後はバットを適切に振れさえすれば、バットはボールに当たる。
ど真ん中ストレートを自分で要求して、それでホームランを打って、投手に向かって打者が「軽い球だな」と言っている。そう考えると、自分が酷く恥を晒しているような気がして、セルシャの気分は少し落ち込んだ。
(でも、実際見切れる速さだったからなぁ。もし【ロキ・ファミリア】がダンジョンで
何度でも言おう。フィン・ディムナの居ない【ロキ・ファミリア】など、烏合の衆に過ぎない。いや、リヴェリアやガレスが居るのであれば、或いはラウルかアナキティが居るのなら、統率自体は取れるだろう。だが、それでは【ロキ・ファミリア】という組織の本来の力は引き出せない。
ここだけの話、【ロキ・ファミリア】と今の闇派閥の組織的な特徴は一部似通っている。それは、正に【ロキ・ファミリア】の元団員であったセルシャが頭を張っているという事情も鑑みられる事実である。つまるところ、個の力ではなく、全体での連携を意識し、効率化する事で最大限の能力を発揮する組織である、という事だ。
だが、このような能力を発揮する為には適切な指揮能力が必要になる。そしてそれは、並大抵の努力で手に入るような力ではない。多くの経験と知識、そして全体を見通せる視点の高さを手にしていなければならない。
そして、生憎だがセルシャにもこの能力は無い。故にこそ、セルシャはこのような指揮能力が組織にとってどれだけ重要なのかは、他ならぬセルシャ自身がよく知っている。
偏に参謀・策略家とも呼ばれる者達が持つこの能力。少なくとも、総指揮官を任せられる人間は組織に5人以上は在籍していなくては、いざという時に組織が揺らぐ。
その隙を、闇派閥という犯罪組織が見せる訳にはいかない。それだけに、戦闘訓練もそうだが、セルシャは策略指南も多く訓練に取り入れてきた。尤も、その策略指南は参謀補佐――リリルカが教鞭を執ることが多かったが。
気性の荒い参謀本家よりも、冷静沈着な模範的姿勢を見せる参謀補佐の方が、教師には向いているという事だ。
(……そういえば、俺もフィンに何度か教えてもらってたな)
ふと、懐かしき光景が脳裏に過る。だが、感慨に浸ることなく、セルシャは頭を振って思考を堰き止めた。
今更、懐かしむことなど何もない。もう、セルシャは過去と対立している。未練を感じさせる思考に意味はないし、何より後悔なんてしていないのだから、未練を感じる必要だってない。
必要のない事はしない。せめて、『抗争』が終わるまでは、セルシャは無駄という名の感傷を堪え続けるだろう。
でなければ、勝てない。勝てなければ、すべて終わりなのだ。
「――おい」
黙ったまま、食人花が灰へと変わるさまをただ見つめていたセルシャに、レヴィスが横から声をかける。その表情はいつもより何処か強張っていて――何かを、心配しているように見えた。
一体、何を? セルシャには、それが分からない。そして、分からないままで良いと思った。
心配事くらい、誰にだってある。そして、レヴィスは仲間だ。仲間である以上、仲間の心配事は一緒に解決する。理由など要らない、仲間なのだから。
レヴィスが何を心配しているのか、セルシャは知る必要なんてない。どうせ助ける、そう決めている。そしてそれは、以前にセルシャからレヴィスへと直接伝えられている。
お前も仲間だ、と。何かあれば、気にせず言え、と。
きちんと、伝えている。なら、助けを求められるまで、待ち続けるだけだとも。それで、レヴィスがセルシャに何も求めないようだったら、勝手に助ける。それだけだ。
「ああ。実験は終わりだ。早く帰ろう」
早く『極彩色の怪物』の戦力としての数値、その目安を我らが参謀陣に伝えなくてはならない。それで漸く、近づきつつある『抗争』の戦略図が完成するはずだ。
「待て。お前、大丈夫なのか?」
「ん? 何がだ?」
レヴィスは目を見開いていた。切れ長の瞳が、不安気に揺れている。何故だろう、その理由がセルシャには分からなかった。
「……いや、問題が無いならいいが」
数拍の沈黙の後、レヴィスはそう答えた。セルシャの顔色を見て、心底納得していなさそうに、そう答えた。
◇
『極彩色の怪物』には、先程見た食人花以外にも幾つか種類があるらしい。
とは言いつつも、『極彩色の怪物』というからには、それは個体名ではなく個体群名なのだろうと、セルシャも薄々は思っていた。故に、その宣告に驚きはない。あるとすれば、
(それ全部を、エニュオが管理してるってところか)
レヴィスが言うには、管理というより誘導に近いらしい。要するに、『極彩色の怪物』を自分の良いように操り、自らの目的の為に利用している、という話だ。エインなどという人形を側近にしている時点で、そのやり方は推測できるものだが、それでも気に入らないものは気に入らない。
エインは納得して、エニュオの人形に成り下がっていた。だが、レヴィスも、そして『極彩色の怪物』とやらも、エニュオに操られることを良しとしているのか。しているならいい。それで、皆が納得するのなら、セルシャとて納得して見せよう。だが、もしも皆が納得していないなら、本当にエニュオの意のままに操られているだけならば、
――以前の闇派閥のように、神の洗脳に近いものを受けていたのなら。
それは、全て叩き潰す。他ならないセルシャが、全力でエニュオを始末する。その結果、エインに恨まれることになったとしても、それをセルシャはきっと受け入れる。
受け入れて、殺されてやる。
(死んだふりして逃げるかもしれないけど)
逃げれたら、何をしようか。
そんな事を考える時間は、随分と減った。最近になって考えるのは、『抗争』が終わったらどうしようか、だ。
ヴァレッタには、きっと政界で活躍してもらう事になる。ディックスやリリも、ヴァレッタの補佐をしてくれるだろう。となれば、いよいよもって強いだけの男なんてのは、お役御免だ。
本当の意味で、セルシャという人間が必要のない世の中になったなら、それはオラリオが平和を手にした証だ。もしも、そんな理想が実現できたら。
そうしたら、あの村に――ベルの所に、帰ろう。
色々と、話したい事がたくさんある。苦労した事、悲しかった事、嬉しかった事、凄かった事。そうして話せることが、喜劇で終えられるように。
「……一つ、聞きたい事がある」
そうしてまた、前を向くセルシャに、レヴィスが問いかけた。
「以前から、聞きたかったことだ。どうしてお前は、反英雄などという『面倒』なことを続けている?」
レヴィスが、セルシャの顔に目を向ける。その顔に、迷いはない。愚かしいまでに、真っ直ぐに自らが歩むべき道を見極めている。
それが、苦痛でない訳がない。痛みを伴わない訳がない。
「今の世が気に入らないのだと、そういう話は既に聞いた。だが、貴様の手で世界を変えられると、本当に思っているのか?」
日々をダンジョンで過ごしているレヴィスでも分かる。世界は、個人の手で変えられるほど狭くない。
今日、初めて青い空を見た。何処か、朧げに見覚えのある、青い空を。
見た事なんて無いのに。遠い過去、確かにあの空を仰いだことがあったような、そんな奇妙な錯覚に襲われた。
そして、この男を見た時にも、感じたのだ。
――英雄。
そう評されるに相応しいものを、この男は持っている。だからこそ、理解できない。その力があるのなら、それこそ何からだって逃げることが出来る。【ロキ・ファミリア】からも、神々からも、オラリオからも――この、醜い現実からも。
「お前は、何故逃げない」
逃げる事は、恥ではない。生き残るための策として、逃走は時に賛辞されることだってある。
何故なら、一度でも戦いを経験したことのある者は知っているからだ。戦場において、敵に背を見せる事の無謀と、その恐怖を。
レヴィスとて、そうだ。自身が敵わない相手に直接対峙したなら、必ず逃げる。仮に不利を有利にできる可能性があったとしても、まずは逃げる事を最優先に考える。そうでなければ、生き残れないからだ。
「……逃げない、か」
そう問われた時、自嘲するように、セルシャは無理矢理に口角を上げていた。
「そう――見えるか」
それは確かに自らへの嘲笑にも見えたが、同時に安堵にも映った。少なくとも、レヴィスの目にはそう映った。
静かに己の手を握り締め、セルシャは呟き始める。レヴィスへ聞かせるというよりは、自身に言い聞かせるように。
「つい最近までの事だが、俺はずっとこの立場から逃げたいと思っていた」
レヴィスが目を見開いた。
それは、驚愕に染まった表情。レヴィスにとって、セルシャ・ストリクスは正しく闇派閥の頭領であり、反英雄だった。それ以外に、彼の姿が思い浮かばなかった。そのような固定概念が、出会って数時間の彼女にさえ植え付けられた。セルシャという男には、それだけの風格と覚悟が――何より、その立場がよく
それだけに、セルシャの言葉はレヴィスの認識を大いに覆したのだ。
それに気づかず、セルシャは続ける。
「俺が闇派閥に堕ちた理由……そういえば、話していなかったな」