暗黒期の残骸   作:花のお皿

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獣のような男

 ベルという妹が居ながらも、過去【ロキ・ファミリア】にてアイズという妹分を持つ愚か者、セルシャ・ストリクス。そんな愚か者は、今さっき件の妹分と邂逅し、更に両者間の溝を深めて、闇派閥の本拠地(ホーム)――人工迷宮(クノッソス)に帰還した。

 帰還してから僅か1分。敬礼を向けてくる部下達に軽く挨拶をしてから、速歩で私室に入り扉を閉める。そして閉めた後、最早定位置となった部屋の中央にある椅子に座り、呆然と何もない天井を見上げた。

 

(あ、あ、あ、あ、)

 

 あ?

 

(危ねぇええええええええええええええええ!!!)

 

 今世に生まれてから、何度目かの絶叫。まぁ、彼の胸中での話なので、傍から見れば死んだ魚のような眼で頭上を仰いでいるだけの不審者でしかない。よって、まぁ問題はないだろう。

 さて、アイズとの邂逅、そして不本意な戦闘、更にはリヴェリアという元ファミリアのNo2との再会。今日起きた全ての出来事が、セルシャの精神に大きく負荷をかけていた。それこそ、彼があの場で発狂しなかったことが、偉業としてカウントされても可笑しくない、と。そんな風に大袈裟に見える評価を下しても良いくらいだ。

 だが、これは余談だが彼程ストレスに強い人間はそうそう居るものではない。一度目の生を終え、二度目の生で何故か悪の頭領だと誤解され、これまで築いてきた人間関係や信頼が崩れ去っているにも関わらず、それでも前に進もうとしているのだから、精神力という面では間違いなくセルシャという男は化け物だ。以前、セルシャの能力上昇に精神の成熟が比例することは無かった、と述べたが、これは言葉足らずだった――正しくは、彼の精神力は元より成熟し切っていた、という評価が適当なのだろう。性格は直せないので評価から除外しているが。

 

 まぁ、一度人生という道を最後まで走り切っているのだ。これで精神が熟していない方が不思議だろう。

 

(死ぬところだった……! というか途中から意識無かったっ! 何か変なこと口走ってないだろうな、俺!?)

 

 数刻前、リヴェリアと邂逅して、世界への憎悪を募らせてからの記憶が――正しくは、そこから【ガネーシャ・ファミリア】が駆けつけてくるまでの記憶が、セルシャには無かった。

 “何か”への憤怒が爆発したのだけは覚えている。そして、それに対し何かしらの宣言をしたことも、陽炎のようにぼんやりとだけれど、覚えている。だが、詳細は不明。事態の輪郭が辛うじて見える程度である。

 

 だが、その輪郭が恐ろしい程に不気味な形を帯びている。なぜなら、無意識の内に口走った言葉というのは――得てして、その者の本音を曝け出しているものだから。

 

(……逃げたいっ)

 

 その願望を、叶う筈もない悲願を、諦めきれずに抱き続ける不毛を既に何度繰り返したことか。だが、それでも繰り返してしまうので、最早これは習慣なのだな、といつの間にか現状を受け入れている自分が居る。そうした己を客観的に見て、またも気分を下げてしまうという負の循環を開始するのが、セルシャという男の逃れられない現実だった。

 

(って、何が逃げられない現実だっつの! 絶対に逃げる、逃げ切ってやるっ!)

 

 諦観はせず、セルシャは立ち上がった。

 すべきことは、参謀であるヴァレッタへの連絡と、一応現在の彼の主神であるタナトスへの報告。彼の苦手とする狂人と神の相手をするのは些か憂鬱な気分にもなるが、けれどやらねばなるまい。

 

――面倒を受け入れるのは、もう慣れてる。 

 

 そうして、前に進めてしまうのが、彼自身の不幸の原因ではないのか。

 もしも彼の内情含めて、事情を把握している他者が居るのなら、きっとそう評していただろう。

 

 ◇

 

 人工迷宮。その作成者たる一族が、姓にペルディクスを持つ彼等だった。

 だが、血統は呪縛として働き、呪縛は矜持を捨て、道徳を捨て、倫理を捨て、人生の何もかもを人工迷宮の“完成”に費やす狂人――否、人形を創り出した。人形は、紡がれた狂気に従い、生き続ける。ダイダロスという、先祖の狂人に生み出された呪いから逃げ切れないまま、今日も闇の中で生きている。

 故に、もしもその運命を憎むものが居るのなら、()は手を差し伸べていただろう。

 

――その者が、他者から何かを奪う密猟者(ハンター)でさえ無ければ。

 

「……ディックス。俺の話を、聞いていたのか?」

「グッ――ガァアアアアアアアアアア!!」

 

 長槍を片手に持つゴーグルを掛けた男と、深い蒼髪に黒い外套を纏う男が対峙していた。否、対峙、ではない。片方はその身体を地に伏せて、片方はそんな彼を見下す様に佇んでいた。

 後者は、闇派閥の誇る反英雄、セルシャ・ストリクスである。では、前者は、

 

「命令した筈だ、異端児(ゼノス)から何も奪うな、と。我等は喪失を知り、その絶望を知っている。故に、“強奪”は、最終手段だ。お前にもそう告げてあった筈だが?」

 

 セルシャの瞳には、感情など無いように見える。だが、前者(・・)は知っている。その瞳の奥に、他者が認識できない、否、想像できない程の業火が燃え盛っているのを、前者は――ディックス・ペルディクスは知っている。

 以前にも一度、彼に自らの“生き甲斐”が露見した時にも見たものであったから。

 

「っざけんな! 俺から、俺から強奪(それ)を奪うのかよ!? それを奪っちまったら、俺にゃあ何も――何も残らねえだろうガァアアアアアアアアアアああああああああ!!!」

 

 咆哮と共に、ディックスは駆けた。槍を片手に腕を引き、突き刺す様に構えていた槍を――前に突き出す間もなく、発射前に止められた。瞬く間にディックスの懐に潜り込み、槍を持っていた彼の右手をセルシャは左手で押し留めている。

 

「……まるで獣だな」

 

 まるで、獣。成程、妥当な評価だ、と。ディックス自身、そう感じた。

 飢餓に狂わされて、手当たり次第に目に映る生物を殺して回る肉食獣と、先祖からの呪縛に縛られて、目に映る全ての怪物(モンスター)を殺し回り、憂さ晴らしをしていたディックスの間には、大した差など無い。ディックスの理性も、知性もない感じさせないあの野蛮以外の何物でもない虐殺を見て、誰がディックスを人間だと思うのだろうか。

 ディックス自身が、誰よりも理解している。自分が、鎖に縛られた獣だという事は、誰よりも理解できている。

 

「一つだけ問おう。お前はこの時代を――この世界を憎んでいるか」

「……っ! 何言ってんだ、テメエっ――俺よりこの世を憎んでる奴が、他に居て、たまるかっ!」

 

 力任せに槍を奮い、ディックスはセルシャの拘束から抜け出した。否、見逃された、というべきか。セルシャは問答を終えた直後に力を抜き、ディックスの拘束を外したのだ。その事実が、自分が良いように弄ばれているという屈辱的な事実が、どうしようもなくディックスの神経を逆撫でする。

 

「……やはり、お前とは気が合いそうだ。強奪(それ)さえ無ければの話だが」

 

 セルシャの呟きに、酷く不適切に思える呟きに、ディックスは反射的に顔を上げる。セルシャの双眸は、澄んでいた。これが本当に闇派閥のトップの眼かよ、と。彼の持つ肩書を信用できなくなるくらいに、その瞳には一点の陰りも存在しなかった。

 

――ディックスにとってこれ以上無く憎らしい、呪縛の無い“眼”だった。

 

「……俺のとは大違いじゃねえか! えぇ!?」

「!」

 

 槍を手放し、蹴り上げる。顔面へと迫りくる槍を、首のみを横に傾けてセルシャは躱した。その余裕を見せつけるかの如き最小限な動作に苛立ちを募らせて、ディックスは彼の腹部目掛けて拳を放ち――再度、彼の左手に受け止められた。

 

「俺とテメエの、気が合う!? ハッ、笑わせてくれるじゃねえか!」

 

 顔面へと振り上げられたディックスの片足を、紙一重で避けてセルシャは後退する。

 

「この“眼”も、この“迷宮”も、全部が全部気に入らねえ!」

 

 僅かに目を見開いたセルシャの表情など、その“眼”には入らない。映らない。

 

「何も縛られてないテメエに! 何もかもを振り払って突っ走れちまうテメエに!」

 

 もう一度、ディックスは右手を振り上げて、吠える。

 

「俺の何が分かるっってんだ!!」

 

 振り上げた拳は、勢いよく相手の頬に向けて放たれ――今度は、痛快なまでにその頬を殴り飛ばした。

 衝撃は殺せず、セルシャは一歩だけ足を後ろに退けて、呆然と殴られた頬に手を添えた。両者の間に落ちる沈黙が与えるのは、居心地の悪さと気まずい雰囲気のみ。けれど、あの(・・)セルシャ・ストリクスに一撃を喰らわせた、という事実が奇妙なまでに達成感としてディックスの全身を駆け巡る。

 そうした、束の間の沈黙の後に、漸くセルシャは口を開いた。

 

 

「――やはり、気が合う」

 

 

 ゾッとする。否、そうではない。そんな生易しい表現では形容できない、この異常な威圧感が、強大なまでの存在感がディックスを文字通り呑み込んだ。先程までの憤怒を、憎悪をかき消してしまうソレ(・・)に圧倒されて、気が付けばディックスの額からは大量の汗が滴っていた。

 

「確かに、呪縛と評せるような縛りは、俺にはない。だが、それでも胸糞悪い運命とやらに抗おうとしているのは――していたのは、俺やお前とて同じ事だ。そしてそれは、決して間違っている訳じゃない。」

 

 セルシャの声色は、酷く冷淡だ。それこそ、感情の色の無い、人形が喋っているのかと錯覚する程に。だが、違う。今、彼の対面で唯一彼の眼の色を見ることのできるディックスには分かる。否、彼にしか分からない。その瞳の奥に、ディックスと同等――否、それ以上の黒い憎悪が沸々と燃えている。火花を散らして、不規則に揺れながら、黒い焔がその存在を世界に訴えるように、燃えている。

 

「間違っているのは、この世界だ。そうだろう?」

 

 呑まれる。

 

闇派閥(我等)の先に、悲劇は無い。仮に闇派閥(我等)の先にあるのが悲劇だと、そう運命に定められていたとしても――そんなものは俺が破壊する」

 

 静かに、されど悠々と、現代の“悪”は語る。以前まで顕現していた『絶対悪』と謳ったあの二人組とは質が違う、大義を掲げた“悪”。だが、だからこそ質が悪い。掲げられた大義は、このカリスマ性の化け物の下で“悪”を超えた“正義”として召し抱えられて、今や世論を二分している。

 民衆の中でも、彼に傾倒する者が出ていることを、ディックスは把握している。“悪”でありながら、何もかもを手に入れていくこの男に、酷く嫉妬したと同時に、酷く憧れたのを覚えている。

 

 そんな男が、ただの獣に過ぎないディックスに向けて、手を差し伸べていた。

 

「さぁ、ディックス・ペルディクス。俺の手を取れ」

 

 有無を言わさぬ気迫に満ちた声音で、男は告げた。

 

「俺がお前に、『生き甲斐』を与えてやる。」

 

 

 

 

 

 

 

――嗚呼、んだよ。

 

 

――テメエも大概、狂ってんじゃねえか。

  

 

 まるで、磁石に吸い寄せられる金属のように、セルシャのその異様な雰囲気に呑まれて、魅せられて。ディックスは自然と、その差し出された手に手を伸ばし、掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よぉ、旦那じゃねえか」

 

(なんで居るんだお前)

 

 闇派閥の参謀、という最重要とも言えるポジションに立つヴァレッタには、それなりの待遇が与えられていた。人工迷宮の管理者と化している、ディックスの異父兄弟――バルカ・ペルディクス。セルシャの方から彼に命令、というよりも要望という形で、ヴァレッタには人工迷宮の中でも巨大と言える空間を部屋として与えられている。

 とはいえ、今やその部屋は会議室と化しているのだが、それも納得の内だろう。あの【殺帝】とも呼ばれるヴァレッタに女性らしい趣味やらがある訳もなく、ある日セルシャが彼女の部屋に訪問した際、その部屋が辺り一面血に塗れ、床には拷問器具が転がり、更には部屋の中央に椅子に縛り付けられた人間――ではなく肉塊があったので、即刻彼女から私室は没収された。

 以上、セルシャがヴァレッタに恐怖を感じるようになった一幕である。

 

 閑話休題。

 

 とは言うものの、やはり一度は私室だったからだろう。ヴァレッタは寝食の大概を会議室で過ごすようになった。それ故、ヴァレッタの定位置として、闇派閥の間でも会議室が定着しているのだ。

 つまり、ヴァレッタに会いたいのなら、会議室に行けばよい。それが暗黙の了解だったのだが、現在セルシャの向かった会議室の中には予想外の――それも期待外れの人物が居座っていた。

 

「……ディックス。何をしている」

「見りゃ分かんだろ? アンタから依頼された任務の達成報告に来てやったんだ。感謝してくれよ?」

 

 室内は闇派閥の構成員達により清掃され、壁に付着していた血も漏れなく除去された。中央には巨大な円卓が設置され、それを囲むように椅子が配置されている。その席の一角に、【暴蛮者(ヘイザ―)】ことディックス・ペルディクスが居座っていた。

 片眉を上げて、ディックスはやってきたセルシャに向けて不敵な笑みを浮かべている。

 

(相変わらず馴れ馴れしいなお前)

 

「そうか。思っていたよりも早いな、期待以上の働きだ」

「ハッ、下手なお世辞なんざ要らねえよ――ヘタレの御貴族様を脅す程度、朝飯前だぜ」

 

 かつてディックスは“怪物趣味”を持つ貴族を相手に異端児を売り捌いていた過去を持っている。その闇商売がセルシャに露見した際には、商売相手も含めてディックス達は『粛清』を受ける羽目になった。

 この件をきっかけにしてセルシャ・ストリクスの名は裏社会、そして社交界で大きく広まった。黒いものを腹に持つ者は『粛清』を恐れて闇派閥に擦り寄り、それでも尚闇商売等を続ける貴族や商人は漏れなくセルシャの手によって『粛清』されている。

 この結果、セルシャは武力によって一時期裏社会を牛耳っていた。だが、何故か裏社会で顔の利くギルド長のロイマンにより、多数の裏の顔を持つ上位階級の人々が重要人保護の名目で【ガネーシャ・ファミリア】の警備を受けられる事となり、当時のセルシャの実力不足やヴァレッタによる陳言によって闇派閥は裏社会から手を引くこととなる。

 

 だが、それでも一度は制されたのだ。たった一度、されど一度、一世を風靡した為政者が再度祀り上げられるように、セルシャもまた一部の上位階級からの支持を受けた。であれば、それを利用しない手はない。ヴァレッタやディックスは儲け話に群がる商人のように多数の貴族からの“ギルドには頼めない”依頼を多額の依頼料で引き受け、闇派閥の資金を調達していた。

 ちなみに、この依頼による市民への被害は全くと言っていい程考慮されていない為、一部の依頼は頭領(セルシャ)の承諾を抜きにして引き受けている。その為、近頃は主神であるタナトスではなくセルシャを対象に信仰を捧げている節のある闇派閥の構成員には頼めず、大体がヴァレッタやディックスの仕事となっているらしい。

 

「んで? 旦那もここに来たって事は、あのイカレ女に用があるんだろ? 俺にも聞かせてみろよ」

「……お前が興味を引く話とも思えんが、まぁ良いだろう。代わりと言っては何だが、聞くからにはお前にも手伝ってもらうぞ」

「ハイハイ、分かってますよ、っと」

 

 軽薄に笑い、円卓の奥、入り口から最も離れた場所に位置する席にセルシャが腰を下ろすと、その右隣にディックスが座る。

 

「近頃あんま飲んでねえんだろ? 旦那を気遣って、貴族様が色々と見繕ってくれたんだぜ? 感謝して飲まなきゃあなぁ」

「……俺は酒を飲まん。お前が強請ったんだろう?」

「おっと、旦那に嘘は通じねえんだったな」

 

 何が可笑しいのか、ケラケラと笑うディックスにセルシャは思わず首を傾げた。そんな様が余計に笑いを誘うのだとでも言うように、ディックスは笑みを浮かべたままセルシャの前に葡萄酒の入った瓶を置いた。

 

「……盃は?」

「忘れた」

「……直飲みか」

 

 呆れるように差し出された瓶に目を向けて、手に取った。盃やコップなど、どんな呼び方でも良いが“入れ物”というのは重要だ。入れ物によって、持ち方が異なったり、持ち方によって気品や品性が現れることもある。作法(マナー)として社交界では重要視されている為、セルシャも貴族等との取引の会談に備えて陰ながら努力していた過去を持つ。

 まぁ、そうでなくとも【ロキ・ファミリア】に在籍していた頃に例の王族妖精によって最低限の礼儀作法は叩き込まれていたけれども。

 

(リヴェリアが見たら怒るなぁ、コレ)

 

 未だセルシャの中にトラウマとして残るリヴェリアの作法(マナー)講座。そのお陰でかなり作法に対して神経質になってしまった彼だが、ここでは仕方なく下品にも、あるいは野蛮とも思えるけれども、瓶に直接口をつけて飲むことにした。

 

「……まぁ、働き者の部下に付き合うのも、上司の務めか」

 

 戦々恐々な気分になるつつ、普段のストレスを解消もできるだろうかと、一抹の希望を胸に、セルシャはその葡萄酒を喉に通した。

 

 ◇

 

 ズカズカと、大きく足を開いてヴァレッタは人工迷宮内を移動していた。本日予定されていた頭領(セルシャ)には秘密にしてある、例の依頼を終えて調達した資金を闇派閥の会計班に任せて、彼女は一直線に会議室へと向かっていた。

 会計班の構成員からセルシャが探していた、という旨を聞かされて、急いで向かっているという訳だ。

 

 そうしてヴァレッタは以前は彼女の私室であった場所――つまりは会議室の前にまで辿り着き、大きな音を立てて扉を開いた。

 

「おいセルシャ! 来てやった……ぜ?」

 

 一瞬、ヴァレッタは唖然と口を開けたまま部屋の奥を見つめていた。

 組織の頭領が上座に座っているのは良い。むしろ、彼がそこに座っていなければヴァレッタの方から苦情を呈していただろうから、逆に褒めてやりたいくらいである。

 問題は、彼の隣に居る男だ。彼のことはヴァレッタとて知っている――というより、闇派閥の中でも重要なポジションに居る男の異父兄弟という事で知らない方がおかしいのだが、とにかく彼女は彼を知っている。

 

 ディックス・ペルディクス。つい数年前まで半ば闇派閥であった、いわばチンピラ崩れのような態度で上手くギルドからの捜査を切り抜けていた蝙蝠のような男。だが、いつからかセルシャに近づき、まるで彼の右腕かのような振る舞いを見せて、彼の所属である【イケロス・ファミリア】ごと闇派閥に相成った。彼の狡猾さや個の武力は闇派閥の大きな戦力増強に役立ったが、しかしどこか気に喰わない印象をヴァレッタは受けていた。

 

「おい、テメエ何してんだ」

「あぁ? ハハッ、ヴァレッタじゃねえか。テメエも飲むか?」

「ふざけんな。つーか、そこどけ。セルシャの右は私の場所だ、新参者が図に乗んな」

「おいおい、俺が入ってもう何年経つと思ってんだ? 『石の上にも三年』って極東じゃあ言うらしいが、もう新参者って呼び名はとっくに卒業しても良い頃だろうが」

 

 バチバチと、火花を散らすように両者は睨み合う。否、どちらかと言えばヴァレッタのみが一方的に怒気を放ち、ディックスの方は愉快そうに笑みを浮かべて、この状況を愉しんでいるようにすら思える。そんな彼の笑みに益々ヴァレッタの機嫌が悪くなるのだが、しかし最後の一線を彼女が踏み切る前に黙っていた頭領が口を開いた。

 

「止めておけ、ヴァレッタ。酔っ払いを相手にするのは不毛だぞ」

「……セルシャ。テメエが何と言おうがな、私は闇派閥(ここ)の参謀として長い間――あ? 酔っ払い?」

 

 苛立ちを抑えきれず、声をかけてきたセルシャにまで噛みつこうとしたヴァレッタだったが、寸前のところでセルシャの発した言葉の意味を吟味し、今もなお笑い続けているディックスに視線を向けた。

 繰り返すようだが、ディックスは笑っている。愉快そうに、幸福に耐え切れずについ漏れ出てしまう笑みを、そのまま曝け出しているようだった。見ているだけで腹の立つ表情だったが、しかし普段の彼にしては少々冷静さに欠けている。

 成程、確かにディックスはセルシャの言うとおりに酔っ払っているようだった。

 

「――てことは、テメエらここで酒盛りしやがったのか! 誰の部屋だと思ってんだ! ふざけやがって!」

「……いや、誰の部屋でもないだろう。ここは会議室だ、強いて言うなら皆の部屋だぞ」

 

 地団太を踏むヴァレッタから視線を切り、セルシャは手元にあった瓶を円卓の上に置く。そこで初めて、ヴァレッタはセルシャもまた飲酒していることに気が付いた。否、セルシャの顔色や様子が普段通り過ぎて気づくのが遅れた、という言い回しの方が適切だろう。実際に、傍から見るとセルシャは通常通りの顔色、つまりは能面の如き無表情のままヴァレッタと会話している。これで彼が酔いの最中に居ると気づく方が難しい。

 

「いや、そもそもテメエ酔ってねえのか」

「ああ。今日まで知らなかったが、どうやら俺は酒に強いらしい」

 

 スラスラと、抑揚もなくセルシャは答える。口調や発音から見ても、彼の態度に変化はない。どうやら本当に酒が効かないようだ。それはそれで不幸だな、とヴァレッタは思ったが、口には出さなかった。その程度の不幸なんて、闇派閥の中では在って無いようなものだから。

 手持無沙汰になっていたヴァレッタを見越してか、セルシャが持っていた瓶をヴァレッタへと向けて、

 

「先程もディックスが聞いていたが、お前も飲むか?」

 

 そう言った。

 

「……要らねえよ。つか、私に用があったんだろ。サッサと話せ」

 

 何故だろうか。先程まで、それこそこの会議室に辿り着くまで胸に抱いていた高揚感が、今は忽然と消えていた。だが、それはもういい。どちらにしろ、己の感情なんて把握する方が難しいのだ。今は“闇派閥の参謀”として、頭領からの話を聞くべきであって、酒など飲んでいる暇は無い。

 

「そうか。まぁ、俺の飲みかけだからな。不快にさせてしまったか」

「――やっぱ飲んでやるよ」

 

 前言撤回。とでも言うように――否、そんな雰囲気は露程も出さず、まるで当然のようにセルシャの持っていた瓶を半ば奪うように取り上げて、口をつけた。

 酸味が強い、風味が思っていたよりもフルーティーだ――間接キスか、コレ。

 

「…………」

「――? どうした、ヴァレッタ」

「……どうもしねえよ」

 

 たった一口。だが、それっきり黙り込んだヴァレッタに、酔ったのだろうか、と気遣うようにセルシャが顔色を伺う。しかし、そんなセルシャからの視線から顔を逸らし、ヴァレッタは暫くの間地面を見つめていた。こういう時に冷やかしの声を上げそうな蝙蝠男は、いつの間にか酔い潰れて熟睡していた。何しに来たんだコイツ。

 そして、数秒の間をおいて、漸くヴァレッタは顔を上げた。

 

「で? 私に用ってのはなんだ?」

「……ああ。つい1、2時間前のことだが――【剣姫】とかち合った」

 

 ヴァレッタの目の色が変わる。

 

「何だと? 仕掛けられたのか?」

「いや、そうではない。ただ単に、俺とアイズが偶然にも出くわしたというだけの話だ。偶然の産物に過ぎない」

「なら、人工迷宮(ここ)がバレた訳じゃねえのか……」

 

 闇派閥の頭領であるセルシャと戦う方法など、かなり限られている。オラリオへのテロ行為か、もしくは任務先で遭遇するかの二つだけだ。尤も、もし人工迷宮の場所が露見しているのだとしたら、その場合は襲撃や待ち伏せ、尾行など幾らでも方法はあるが、その場合は先に述べた通り人工迷宮の場所、位置を正確に特定していることが条件となる。闇派閥の中で幹部からの許可無しに人工迷宮に出入りできる者は居ない。闇派閥の構成員の中には、普段は一般人や冒険者として活動している者も多い。というか、そういった人材が殆どなので、そもそも本拠地である人工迷宮にまで戻ってくる機会は全体的に少ない。例外は先程話にも上がったセルシャやヴァレッタのような幹部陣のみである。

 これは基本的には、と前提がつく話だが、幹部陣にまで至った実力者相手には尾行等の隠密行動は通じない。人工迷宮における『鍵』を持てるのは幹部のみなので、本拠地の場所が露見するリスクは遥かに低いのは道理である。

 とはいえ、隠密行動に長けた実力者――それこそ、以前まで裏社会で活躍していた【黒猫】や【黒拳】が尾行に当たれば察知できない可能性もあるが、今の闇派閥相手にそこまでのリスクを負う依頼主(馬鹿)は居ない。もしも自身が特定されてしまえば、その先には『粛清』が待っているのだから。

 

「本拠地が特定された、という心配は無い。それは杞憂というものだ。だが――」

「世間から見りゃ、フィンに挑発された闇派閥が【ロキ・ファミリア】のお姫様に手を出した。そう映るわけだ」

 

 実際に、翌日の新聞にはそのように掲載されるだろう。フィン・ディムナの宣言を受け、闇派閥の頭領であるセルシャ・ストリクスが【ロキ・ファミリア】団員に、それもアイズ・ヴァレンシュタインに奇襲を仕掛けた。随分と注目を集めそうな見出しになりそうだ。

 

「フィンの野郎があんな声明出しやがったんだ。【ロキ・ファミリア(奴等)】との抗争は時間の問題だったが、思ったより時期が早まるかもしれねえなぁ」

「……済まない」

 

 頭領が簡単に頭を下げるな、とか、仮にも“悪”ならもう少し横暴な態度を取れ、だとか。闇派閥の参謀として、“悪”の先輩として、色々と言ってやりたい心構えやら何やらがあったが、それを注意したところで無駄だろうな、とヴァレッタは喉から出かけた言葉を飲み込んだ。

 そして、答えは薄々分かっているが、しかし聞かずに判断するには重要すぎる疑問を、代わりに聞いたのだ。

 

「一つだけ聞くが――殺せなかったんだな?」

 

 【ロキ・ファミリア】の誇る、剣術最強たる【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。その強さ、能力は言わずもがな。彼女の最大の武器である『風』についても、凡そではあるがヴァレッタは理解している。だが、その『風』を勘定に入れても――セルシャであれば『風』を使わせる前に倒していそうだが、と半ば確信しながら――現状、Lv5であるアイズに対して、Lv6の中でも最強位に君臨するセルシャが後れを取るとは到底思えなかった。

 その問いに対し、セルシャは視線を逸らし、気まずげに、間をおいて告げた。

 

「……俺には(・・・)、殺せなかった」

 

 予想通りの答えに、やっぱりか、と呆れるようにヴァレッタはため息を吐いた。

 セルシャの言う“俺には”とは、要するに彼の甘さが出たというのと同義だ。つまり、手加減をしてきた、と宣言しているのと同じ。ヴァレッタやディックスのように、情に流されない者であれば殺していただろう場面で、俺は見逃してしまった、と。そう言っているのだ。

 これで何度目だ、とヴァレッタは思う。他【ファミリア】相手であれば、セルシャとて加減などしない。確実に相手の息の根を断ち、遺恨を残さぬようにするだろう。だが、ここに例外として【ロキ・ファミリア】の存在が浮上する。

 

 元所属【ファミリア】への負い目か、裏切りの罪滅ぼしのつもりか。理由などどうでもいいが、セルシャは【ロキ・ファミリア】の団員に対してだけは極端に“甘さ”が出てしまう。そのような非効率的で感情的な頭領の側面に、闇派閥内から批判の声が上がっても良さそうなものだが、不思議とそんな声はヴァレッタの耳には聞こえてこなかった。

 否。正直に言うのであれば、これは不思議でも何でもない、いわば必然的な事だった。喪失を経験した闇派閥の面々が、過去に未練があると言外に告げる自らが頭領に対して文句を言う筈がない。そもそも、彼等彼女等が道を踏み外し、外道を歩んでまで“悪”に縋る理由も、他ならない(過去)への未練が原因なのだから。

 

「……そうかい。テメエの甘さにも、ほとほと呆れるな」

「甘さ、か――そのような綺麗なものではないのだが、な」

 

 自らの右掌を見て、かつての妹分を殺せなかった右手を見て、呟くようにセルシャは言った。

 その言葉の意味を読み取れる程、ヴァレッタは他人を慮る倫理を知らないし、知っていたとしてもできない。それを今更残念だとは思わないし、またそれを理由に他者に対して劣等感を抱くこともない。ただ、少しだけ――少しだけ、知りたいと、そんな好奇心を抱く自分があるだけだ。

 

「まぁ、それはそれとして、だ。【ロキ・ファミリア】からすりゃ、自分んとこの元団員が好き勝手やらかしてやがるんだ。元々、奴らは闇派閥の討伐には積極的だった。なら、やることは今と大して変わらねえ。いつも通りで対処できる筈だ。問題があるとするなら――」

「ここから先、介入される可能性のある【ファミリア】。そこに対応するための戦力の増強、だな」

 

 先程の意趣返しか、ヴァレッタの言葉を紡いだセルシャに対し、口角を吊り上げてヴァレッタは頷いた。

 そう、つい先日に【ロキ・ファミリア】団長のフィン・ディムナが闇派閥の討伐戦線、その結成を呼び掛けた。元々ギルド側からも闇派閥の殲滅を各探索系ファミリアには呼びかけていたのだ。ギルドからすれば、フィンの宣言は正に待望の告知だっただろう。

 問題は、この討伐戦線とやらに、間違いなく【ロキ・ファミリア】以外の他派閥の勢力が組み込まれることだ。例を挙げるなら、【ガネーシャ・ファミリア】等は十中八九組み込まれる。最悪の場合は【フレイヤ・ファミリア】の参戦だが、今のところその懸念は払拭はされていないものの、杞憂だろうとされている。あのロキとフレイヤが手を組むなど、絶対と言っていい程あり得ることではないのだから。

 

 とはいえ、だ。例え【フレイヤ・ファミリア】の参戦が無くとも、そもそも【ロキ・ファミリア】相手ですら数で圧倒されている現状なのだ。他派閥の介入は望むところではないし、それが最優先の対処事項になるのは必然的であった。

 

「手を打たなきゃこっちがやられる。私らにも、他勢力からの協力が必要だ」

「だが、フレイヤが居ない以上【イシュタル・ファミリア】からの協力は受けられないだろう。他の繋がりのある【ファミリア】も、この危険性(リスク)を鑑みた上で協力に応じてくれるとは思えん」

 

 万事休す、とでも比喩したくなる状況だが、されど全く手がない訳じゃない。

 確かに、今の闇派閥の状況を客観的に見るのなら、明らかな四面楚歌に陥っているように映るだろう。実際に、そうであるとも言えるが、しかし視野を広げて思考を深めていけば、自然と選択肢は浮き出てくる。

 

怪物(モンスター)調教(テイム)するのはどうだ? 時間はかかるかもしれんが、即戦力が手に入る」

「悪くねえ――悪くねえが、調教できる怪物の質が必須項目になる。闇派閥(私ら)自体の数が少ない以上、調教できる怪物の数も限られてくる。時間と量と質、その他諸々に結構な制限がかかりやがる」

 

 調教(テイム)とは、人が怪物を従える技術、その総称である。怪物を従える以上、当然ながら調教師と調教された怪物との力量差は常に調教師が上であるのが原則。つまり、調教師が強ければ強いほど、それに比例した能力を持つ怪物を調教できる、ということだ。

 だが、個人が調教できる怪物の数は限られているし、怪物の質によって調教の難易度も撥ね上がる。つまり、必然的に調教という項目については、量より質というのが、これまた原則となる訳だ。

 

 だが、何事にも例外というのは存在する。

 

「そこは心配しなくていい――知り合いの研究者が居る。奴に頼めば、質の問題は何とかなる。例え、調教したものが低級の怪物だったとしても、な」

「あん? どういうことだ」

「悪いが、説明はまた今度にさせてもらおう。口で言うよりも、実際に見てもらった方が早い分野だからな」

 

 知り合いのマッドサイエンティストを思い浮かべて、セルシャは思わず苦笑する。そんな彼の様子に首を傾げたヴァレッタだったが、まぁセルシャの言うことならば問題ないだろうと、取り敢えずではあったが調教についての問題点は思考から除外した。

 だが、やはり調教した怪物のみの戦力増強では無理がある。怪物を戦闘員とした場合、まずコミュニケーションが取れない為、連携が成立しない。故に、怪物を活かす戦闘隊形は、ただ単に怪物を都市にばら撒くという配置しか取れなくなる。無論、配置場所や調教師がある程度意図して怪物を誘導することはできるだろうが、そこに思考を割いている暇が討伐戦線との戦闘中にあるかどうか。答えを出すまでもないだろう。

 

 故に、怪物はやはり所謂弱小・中堅派閥に対して活用することになる。では、【ロキ・ファミリア】や【ガネーシャ・ファミリア】等の上位派閥に対してはどうするか。

 

「……一人、心当たりがある。来てくれるかは分からんが、会ってみよう」

「一人、か。一応聞くが、誰だ?」

 

 この状況で、自分を助けてくれるかもしれない“一人”。そんな人物がまだ居るのか、と驚愕しつつ、しかしそれを表に出すことはせずにヴァレッタは聞いた。こんな状況で、悪の頭領であるセルシャを助ける選択肢を持っているかもしれないお人好しが居るのもそうだが、何よりあの(・・)セルシャが緊急時において頼ろうとする人物が誰で、どのような人柄なのか。当然ながら、彼女はそこに強い興味を持った。

 しかし、セルシャは人名を出さず、ともすれば人物の特徴すら出さず、ただ一つの事実だけを告げて、その話を終わらせた。

 

「――俺の、かつての友だ」

 

 その横顔が、どうしようもなく寂寥感に満ちていて、何かを言及できる雰囲気ではなかった。故に、仕方なくヴァレッタはその好奇心を抑えて、話を進め始める。

 

「ちっ、そうかよ。だが、生憎たった一人増えた程度じゃ、ソイツが【猛者】でも無い限り戦況は一転しねえな」

「あの武人が主神を裏切る訳がないだろう。当然、違う人物だ」

「だろうな――なら、取れる手はもう一つしかねえな」

 

 このオラリオで、唯一セルシャの至った境地よりも、更に一段階上の領域に鎮座している猪人の二つ名に、若干ではあるが表情を顰めたセルシャに対して、ほんの少し新鮮味を感じながらも、ヴァレッタは続けた。

 

 

 

「『都市の破壊者(エニュオ)』の手を借りる。文句は受けつけねえからな――おい、嫌そうな顔すんな」

 

 

 

 ◇

 

 空に月の浮かぶ時間帯。太陽が沈んだ闇夜の中で、ただ一人セルシャ・ストリクスは市壁の上で頬に当たる微風を感じながら佇んでいた。風に靡く黒い外套が暗闇に紛れて、男の輪郭を酷くぼやかしている。その不明瞭なシルエットは、一見して不気味にも映るが、彼のその端正な顔立ちと、異常ともいえる雰囲気(オーラ)が、その不気味なシルエットを、逆に自身にミステリアスな雰囲気を付与する武器として成り立たせていた。

 

 そんな黒い外套の彼に、灰色の狼人が歩み寄っていた。他者に威圧感を感じさせる、その鋭利なナイフの如き殺気が黒い外套の彼の背中に――セルシャの背中に向けられて、そこで漸く彼は狼人の方向へと、悠々と顔を振り向ける。

 

「久しいな、【灰狼(フェンリス)】」 

「【凶狼(ヴァナルガンド)】だ。二度と間違えんな」

 

 忌々しそうに、そしてセルシャに向けて――否、セルシャの告げた二つ名に向けて怒気を放ち、灰色の狼人は切り込んだ。

 

「御大層に手紙まで寄越しやがったんだ。つまらねえ話だったら蹴り殺すぞ」

 

 右手の中指と人差し指の間に挟んだ封筒をヒラヒラとセルシャに見せるように揺らしてから、狼人は封筒を握り潰した。無表情が故か、どこか冷たい雰囲気を漂わせるセルシャとは対照的と言ってもいい程に、燃える怒気を隠そうともせずに放出し、周囲を威圧し続ける狼人は一見すると正反対の、正しく交わることのない者同士にも見える。

 だが、そんな傍目の意見での比較は不十分にも程がある。少なくとも、両者の内の片方――狼人の方は、そう確信していた。全く以て腹立たしく、そして認めたくもない事実だが、しかしそれは真実だった――かの狼人と反英雄は、間違いなく酷似した生き方をしているという、紛れもない真実だった。

 

 この両者において、決して消すことのできない共通点――弱者を見捨てられないという共通点が、どうしようもなく彼等を繋ぎ合わせていた。たった一つ、唯一とも言っていい共通点。だが、そんな“唯一”に背を押されるように、あるいは導かれるように、セルシャは狼人に向けて手を伸ばしていた。

 

「お前を、闇派閥に勧誘したい――俺の手を取れ、ベート・ローガ」

 

 かつて、密猟者が取った手。かつて、【殺帝】が握った手。かつて、幾人もの“弱者”を救ってきた手。救済の象徴たる手を、いつだって絶望の中に光を差し込んできた手を、自身に向けて差し出された手を、狼人は、

 

「ふざけんな。失せろ」

 

 当然のようにはたき落とした。


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