暗黒期の残骸 作:花のお皿
39階層に到着したセルシャは、己が身の療養に全神経を注いでいた。
目を閉じ、ダンジョンの硬い地面に腰を落ち着け、胡坐をかく。瞑想の姿勢を取り、体力の回復を心がけた。そして、徐々に眠りについていく。
そして、10分が経った頃、ゆっくりとセルシャは瞼を上げた。立ち上がり、身体の調子を確認する。
問題はない。手も足も、十二分に動く。もし今、この階層に冒険者が来たとして、それらを一瞬で全滅させられる程の力が、セルシャに戻って来ていた。
この階層に辿り着いた直後、レヴィスとは別れた。彼女はどうやら、己の鍛錬不足? を急に自覚したらしく、修練の為暫く怪物を狩って回るらしい。怪人の強化方法が気になるところではあるが、この場はセルシャも安全階層にて、肉体を休める必要があった。
別れる際、レヴィスからは一体の食人花を託された。
『驚いたな……。まさか、こうも早く調教を完了させるとは』
【ガネーシャ・ファミリア】が主催する『怪物祭』を見れば分かる通り、調教に必要なのは、怪物を相手に、敵わないと覚えさせること。自身の力を示し、力の差を思い知らせてやれば、怪物はある程度の命令は聞き入れるようになる。無論、その手間は計り知れないし、その後の怪物の世話など見切れないのが難点だ。何より、怪物を殺さないように立ち回る労力と、その後に言語能力を伴わない相手をどう扱うか、そのリターンが全く以て釣り合わないのは、調教という行為のメリットの少なさを意味している。
これこそが、オラリオにおいて調教師の数の少なさの原因の一つでもある。陽の目を浴びない調教という技術を磨こうという者が少ないのも、頷けるというもの。
しかし、そんな陽の目を浴びない技術の、その天性の才を、セルシャは持っていた。
彼が裏社会で暮らし始めてから、およそ5年。その歳月の中で身に着けた殺気と威圧。それらが混じ合う事で生まれた一種のカリスマが、ただの立ち合いにて、怪物を、食人花を屈服させたのだ。
『間違いなく、お前には調教師としての才があるな……。どうだ? お前さえよければ、私が調教の基礎を教えてやっても構わないが』
『断る。そんな時間はないし、何より指示は苦手なのでな』
『そうか、残念だ。お前ならば、聞きしに勝る“魔王”にも成れると思うのだが』
過大評価だな、とセルシャはレヴィスの称賛を一笑に付した。彼女も、一応はエニュオ陣営からの使者である。それなりに世辞を言ってくれているのだろうと、セルシャはレヴィスの賛辞を有難く思いつつも、思い上がる事の無いよう自重した。
「さて……では、そろそろ帰りたいところだが」
冒険者の、つまりは目撃者の気配もなさそうだ。今なら帰っても問題ないだろう。だが、最短距離で帰るのならば、先程レヴィスがやったように、食人花の口内に入り、そのまま食人花に階層間を掘り進んでもらうのが手っ取り早いのだが、その道中でまた
それに、
(不確定要素を一々危惧するのは臆病過ぎる気もするが……)
ここからはむしろ、臆病に物事を進めなければならない。【ロキ・ファミリア】を追い詰めはしたが、再起不能という訳ではない。リヴェリアやガレスがいる以上、戦力としては今でも【ロキ・ファミリア】は侮れない。そして、【フレイヤ・ファミリア】や【ガネーシャ・ファミリア】が参戦するだろう事を考えると、圧倒的に闇派閥側の戦力が足りない。エニュオから貸し出された『極彩色の怪物』があったとしても、おそらく第一級冒険者は止められないだろう。となると、新たな戦力の獲得が必要となる。
金で動く連中であれば、今の闇派閥ならば幾らでも動かせる。だが、有象無象を増やしたところで【フレイヤ・ファミリア】には敵うまい。そして、そんな【フレイヤ・ファミリア】相手に好んで戦うような連中に、セルシャは思い当たった。
ヴァレッタやディックスも、おそらくセルシャと同じ相手に辿り着いているだろう。だが、扱い切れるのかどうかが決め手だ。
「……アマゾネスは苦手なんだよなぁ」
◇
カジノ襲撃事件にて手に入れた金の使い道は、あらかじめ考えてあった。今のオラリオに、闇派閥に味方する勢力があるかと言えば、一応“ある”と言える。だが、それらの勢力を味方にしたところで、数年とはいえどオラリオにて最強の名を冠し、君臨していた【フレイヤ・ファミリア】及び【ロキ・ファミリア】に対抗できるかと問われれば、否と答えざるを得ない。その為、闇派閥はオラリオ外の勢力に目を向けていた。
長年オラリオと敵対している国、『ラキア王国』――ではない。あんな国が味方になったところで、多少の時間稼ぎができるようになるだけだ。今は数よりも個の時代。強力な個の力が、勝利をもぎ取れる時代なのだ。
故に、闇派閥が目を向けたのは、殺戮と闘争の国、『テラスキュラ』であった。男子禁制、誠なるアマゾネスの為の国であり、そこには真の戦士となるべく日々殺し合いを続けている猛者達が溢れている。味方となれば、これ以上無く心強いだろう。
だが、説明するまでもなく、かの国のアマゾネスは生粋の戦闘狂揃いだ。扱いが難しく、何よりどうすれば味方に付けられるのかが分からない。充分な報酬は用意できるし、闘争を好むというのなら、これ以上無い場を用意できると言える。しかし、これまで闇派閥は何度か『テラスキュラ』に向けて使者を送り、一時の同盟を持ち掛けているが、満足のいく答えが返ってきたことはなく、むしろ使者がそのまま帰ってこない、なんてこともあった。その度に一部の者は噴き出しそうになったが、それをタナトスとセルシャが抑えるというのが、最早十八番芸になっていた。
闇派閥と『テラスキュラ』では、流石にこれまでの関係が無さすぎる、というより、闇派閥に対しての信頼が
「頼むよぉ、イシュタル。うちの子達の晴れ舞台に、一つ協力してちょうだいよぉ」
「ふん。勝算の無い抗争を仕掛ける馬鹿共に、何を協力しろと? 寝言は寝て言え、タナトス」
褐色の美女神――イシュタルに対し、軽薄な態度で口説くタナトスは、一見するとチャラいホストのようにも見える。正直、この世界の神々は皆そのような者だが、ことタナトスには確かな神意がある筈だ。それを見抜けぬイシュタルではない。見抜いた上で、それでもイシュタルはタナトスを一蹴している。それだけ、イシュタルから見て闇派閥の勝ち目は薄いという事だろう。
実際、【ロキ・ファミリア】に勝てたことは事実ではあれど、あの時の【ロキ・ファミリア】が戦闘という側面において万全であったとは言い難い。あの時、【ロキ・ファミリア】はカジノに調査に来ていたのであって、戦いに来たわけではなかった。故にこそ、襲撃が成功したのだ。
そう、成功はしている。タラレバを語ったところで意味はない。評価できるのは事実のみであり、【ロキ・ファミリア】が闇派閥に負けたという事実は決して覆らない。だからこそ、なのだろう。
「協力の条件は前から出しているだろうが。セルシャ・ストリクスを私に謁見させろ」
闇派閥を、【ロキ・ファミリア】打倒を可能とするまで増強できたのも、オラリオの評価を二分する勢力にまで昇り詰められたのも、全ては闇派閥の頭領がセルシャとなってから。つまりは、セルシャの存在こそが【ロキ・ファミリア】打倒を可能とした鍵であり、彼こそまさしく【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】とたった一人で渡り合った勇者なのである――というのが、イシュタルの下した結論だった。
セルシャ失くしては闇派閥は無い。セルシャが頂点に君臨する組織だからこそ、あのオラリオの二大巨頭を相手に今日まで生き残り、一矢報いることが出来たのだ。つまり、セルシャさえ手に入れば、あのフレイヤを頂点の座から引きずりおろせる。それが、イシュタルの思惑だった。
「……何度も言ってるけど、セルシャちゃんは渡さないよ? それから、彼が簡単に君の『美』に囚われると思わない事だ。彼の精神力は、そう柔なものじゃないよ?」
「知った事か。人間の精神力などたかが知れている。例え何者だろうと、このイシュタルの『美』を前に跪かぬ者など居る筈がない」
それは傲慢ではあれど、確かな自信に裏付けられた言葉だ。イシュタルやフレイヤのような美を司る女神は、天界ですら引く手数多であり、多くの男神に求められてきた。それは下界であっても変わらない。イシュタルの信者はオラリオにも多く、彼女の美貌を求める者は後を絶たない。その事実こそが、イシュタルの不遜な態度に繋がっている。
だからこそ、許せないのだろう。フレイヤという、同じ美の女神でありながら、格上とされている存在が目障りで仕方がないのだ。故に、こうして闇派閥の主神ともリスクを承知の上で面を合わせている。
「その何者に、セルシャが当てはまらないとしたら?」
「何を戯けた事を。人間が、神の意志に従わないなど――」
「彼は以前、とある中堅派閥の神を殺している」
割り込むように差し込まれた事実に、イシュタルが押し黙る。
「ちょっと前に起きた、神の『送還』を君も見ただろう? アレは、うちのセルシャがやったものだ」
「……人間が神を殺す事の意味を、奴は知っているのか?」
「当たり前さ。全て承知の上で、やったんだ。神を殺すという、偉業をね」
神を殺せば、通常の輪廻から外れ、来世に悪運に満ちた運命が待っている。神殺しという罪の重さは、運命さえ狂わせる。その裁きは、来世の一生にまで及ぶのだ。
……普通であれば、臆するだろう。臆して、行為に及ぶはずもないだろう。だが、彼はやった。
神殺しを決意したのも、それを実行に移したのも事実。だが、タナトスは一部嘘を吐いた。
そう、ご存じの通り、セルシャは神威に逆らえず、身体の自由を奪われた。その結果、闇派閥の要塞『クノッソス』の場所まで漏らしてしまいそうになった。そこにエインが介入し、阻止したのだ。つまり、神を殺したのはエインであり、セルシャではない。だが、その場に居たのはセルシャとエインの二人のみ。他に目撃者は無く、セルシャがあと一歩まで神を追い詰めたのは本当だ。
故に、これは真実になり得る。これだけ過程が揃えば、残りのピースが神の嘘であっても、最早それは下界における真実に昇華される。
そして、イシュタルは、
「……セルシャに、神威が通じなかったという事か」
「そうだね。類稀なる精神力で神威を弾き、セルシャは神殺しの達成に至ったんだ。
「――狂人、か」
その真実に、騙された。
内心で、タナトスは笑みを浮かべる。表面上も軽薄に口元を歪めているが、その裏側は詐欺に成功した噓つきの笑いがある。
「どうだい? 興味が出てくるだろう? 神すら意に返さない、稀代の反英雄の行く末に」
「そんなものに興味はない。私の興味は、奴が【フレイヤ・ファミリア】を滅ぼせるのかどうか。それだけだ。破滅の道に進む愚か者など、道化に過ぎん。ふっ、そう考えれば、奴があのトリックスターの元眷族であったことは、納得がいくというものだがな……」
ふと、イシュタルが気づく。目の前に居るタナトスが、先程までの軽薄な笑みを控えて、神々しい威を放ち始めている事に。
「彼は、俺の
神の嫉妬。死神の胸の内に、以前よりあった感情が蠢いていた。