暗黒期の残骸 作:花のお皿
下層までは、セルシャは自らの足で駆け戻った。食人花による階層間の移動は、複雑な命令が出来ない以上難しい。食人花での移動は、必ずかの怪物の口内に待機していなければならない必要がある。そして当然、口内にいる間は、外の様子は分からない。
ダンジョンにおいて、周囲の景色が見えないというのはリスクが大きすぎる。何が起こるか分からない場所で、妙なリスクを背負うのは、如何にセルシャと言えども合理的でないと分かる。
「……
地下から床を食い破り、醜い花形の怪物が這い出てくる。食人花から生えている2本の触手が、自動的に俺の背後から寄って来ていた怪物を2体、貫き殺した。どうやら、本当に俺に調教されている状態らしい。
「よし。では、中層まで移動する。頼むぞ」
食人花の巨大な口へ飛び込み、直後に移動が開始された。酷い揺れに耐えながら、何とか呑み込まれないよう唾液塗れの口内にしがみついた。そうしてようやく中層に到着し、そこから繋がっている
一応18階層にて、水浴びはしたが、どっちにしろ服は着替えなければならない。そうして一旦服を脱いだところで、自室の扉が開いた。
「やぁ、セルシャ。帰っていたんだね」
「ノックくらいはしろ、タナトス。他人の部屋だぞ」
幸い、脱いだのは上半身だけだ。これが下半身であれば確実に追い出していたが、相手が神で、ステイタスは見られても問題ない以上、残念ながら追い出す理由はない。
「何の用だ」
「セルシャちゃん、最後にステイタス更新したの半年前でしょ? そろそろ、更新しといた方がいいだろうと思ってね」
「……そうか」
もう、半年も経ったのか。
感慨が漏れる。あのカジノ襲撃事件から、3日が経っている。激動の三日間だったが、それとは別に密度の高い時間を以前からセルシャは過ごしてきた。半年など、あっという間だったのだ。
いや、それを言ったら、この5年間でさえもあっという間だった。闇派閥となってから今日まで、刹那の5年間だった。一瞬で、それでいて永遠にも感じた5年。セルシャの人生全てが変わった、5年間だ。
「まだ、足りないか」
昔から、満たされない欲望に支配されてきた。達成感を得られた経験が、セルシャにはまるで無かった。闇派閥となる前から、オラリオに来た時から、セルシャはそうだった。英雄を演じ、戦場を駆け、弱者の味方となり、大切な人々を裏切り、遂には世界すら敵にして、それでも尚セルシャの心が晴れた事はない。
全ては、足りていないからだ。己が為したこと、成し遂げたことが、まるで足りていない。セルシャ自身が、自身を認められるようになるまでに、まだ足りていないのだ。
自分に厳しいという訳ではない。むしろ、甘いとすら思っている。元身内を殺せていない時点で、それは言い逃れが出来ないだろう。故に、逃れる気はない。罰せられる覚悟も、既に決めている。もしあの時の判断で、フィン・ディムナを殺せなかったという判断で、闇派閥の誰かが死んだとしたら、その時はセルシャもまた自決し、死ぬだろう。全てが終わった後で、セルシャは必ず死を選ぶ。
反英雄とまで称えられた犯罪者の末路は、孤独な自殺で終わる。それがお似合いで、道理を弁えた最期だ。
「足りてるさ」
前を見る。軽薄な笑みを浮かべたまま、こちらを見つめる死神を。
「セルシャちゃんの事だから、自分の不甲斐なさを勝手に自覚してるんだろうけど。君はちゃんと、凄い事をやってのけてると思うぜ?」
「それは、俺だけでやった訳じゃない。
断固としたセルシャの態度に、致し方なくタナトスは身を引いた。そして、本題であったステイタスの更新――の前に、セルシャがふと尋ねる。
「そういえば、忙しない3日間の間で、1日だけお前が居なかった日があったな。何をしていたんだ?」
「ああ、それね。ま、報告は皆の前で言えばいいかなと思ってたけど、セルシャちゃんにはいいか」
勿体ぶった様子で、タナトスは話し始めた。何でも、闘国『テラスキュラ』に援軍を頼むべく、闇派閥との橋渡しを女神イシュタルにお願いしたらしいのだが、1つ条件を提示されたらしい。その条件というのが、俺をイシュタルの前に連れてくること、らしいのだが。
「……『魅了』されるだろうな」
「されるだろうね」
「断ったのか?」
「受け入れたけど? というより、喧嘩売ってきた」
何してるんだコイツ、とセルシャは内心で呟いた。
流石に、セルシャも『美』の女神の『魅了』の恐ろしさくらいは知っている。女神というものは、基本的に誰もかれもが黄金比のように完成された美貌を誇っているものだが、こと『美』を司る彼女等は次元が違う。その『美』は一種の能力に昇華され、その美貌を使った『魅了』は最早洗脳と呼べる域で相手の判断能力を奪い、対象を自分の意のままに操ることが出来る奴隷へと変貌させてしまうのだ。
それは、どんなに強固な意志を持っていようと避けられない。彼女等が『魅了』すれば、人類は誰であろうと自分の意志を失った操り人形になってしまうだろう。
そうだというのに、コイツは……。
「喧嘩を売ってきただと? 何を言ってきた」
「うちのセルシャちゃんは『魅了』なんて聞かないよぉ~、って」
「……はぁ」
嘆息が漏れる。
あのイシュタルの事だ。そんな事を言われれば、プライドを傷つけられたと認識して、意地でもセルシャに『魅了』をかけようと画策するだろう。無駄に手間をかけ、『テラスキュラ』との交渉が遅れては計画に支障が出る。それに、イシュタルに妙な動きをされても面倒だ。ここは、セルシャ自ら出向くのが最善なのだろうが、それで『魅了』されては話にならない。セルシャが機能不全に陥った時点で、闇派閥は壊滅だ。
「まぁまぁ、どうにかなるってぇ」
「簡単に言うな」
「それより、ステイタスの更新は? するの、しないの?」
その問いに、セルシャは即答するしかなかった。
「――する」
セルシャは、強くならねばならない。まだ、足りないのだから。
◇
紙に映し出された共通言語を読み進める。静かに、だが刻み込むように読む。見落としなど無いように、読んで読んで読み進める。
<ステイタス>
力:S999
耐久:S981
器用:S999
敏捷:S999
魔力:S901
幸運:D
耐異常:F
拳打:G
狩人:D
魔防:H
【
・身体に紺色の稲妻を纏う
・コントロールは出来ず直線にしか移動できないが稲妻の如く高速で動ける
<スキル>
【
・孤立無援の場合、全能力超高補正
・戦闘続行時、習得発展アビリティの全強化
【
・対人類種の場合、全能力超高補正
・想いの丈により効果上昇
【
・集団戦の場合、味方の全能力超高補正
・戦闘続行時、発展アビリティ『堅守』の一時発現
・戦闘続行時、発展アビリティ『治力』の一時発現
・戦闘続行条件は能力に比例
【
・【雷光】発動時、全能力超高補正
・【雷光】発動時、発展アビリティ『精癒』の一時発現
「……こんなものか」
刻み込まれた文字に、見覚えのないものはない。全て、半年前のセルシャのステイタス数値とほぼ変わらない。精々が、魔力が少し上がった程度だ。それでステイタスオールSを達成しているのだから、キリが良いと言えばいいのだろう。
「こんなものはないでしょ。この世のLv6の中で最も強いのが君なのは、間違いないんだぜ? 素直に喜びなよぉ」
「だが、相手にはLv7がいる。オッタルが居る。こんなものでは、到底適う相手ではない」
最強の一つ下で、驕っている場合ではない。オラリオを御するというのなら、都市最強の名を手に入れなければならない。それこそが、冒険者の聖地であるオラリオの、その頂点に立てる権利を得る為の、最初の一歩だからだ。
「俺が、最強にならなければならないんだ。でなければ、闇派閥に勝利は無い。他の誰でもない、俺が勝たなければ意味が無い」
かつてオッタルがザルドを超えたように。前時代の英雄を超えた、あの時のように。今度はセルシャが、オッタルを超え、時代を変えなくてはならない。現代最強という時代の象徴を打倒する事こそが、新たなる時代の幕開けの証明。
「どうすればいい。どうすれば、俺はLv7に至れる……」
「そうは言ってもねぇ……。君はおろか、【勇者】や【重装】ですらLv6から脱却できていないからね。今やLv7という称号は、かの【猛者】が独占している」
「その現状を変えなければ、勝ちの目が無い。……無いんだ。俺がここまで連れてきたというのに、俺自身が闇派閥の勝利を――オッタルに対する勝利を、イメージできない」
完膚なきまでの敗北は、セルシャからオッタルに対する勝気を奪ってしまった。無論、敗北に抗う気概はあるし、気力も十分だ。だが、それで勝てるかどうかと言われれば、どうしても勝てるとは断言できないのだ。
セルシャは、断言しなければならない。演技でも嘘でも無く、本心から俺はオッタルに勝てると、そう宣言しなければならない。でなければ、彼は闇派閥をここまで率いてきた意味を無くしてしまうからだ。彼が闇派閥を生かした意味が、無くなってしまうからだ。
「自信が無いのぉ?」
「確証が無いんだ。いや、自信も――ない。
そう、今は。セルシャもまた至ればいい、Lv7に。
「ひとまず、喧嘩を売った相手を下す事の方が先だ。イシュタルに会う」
「おや、もう会うの? 相手は小難しい美の女神だよ?」
「だからだ。面倒事は早く終わらせるに限る」
首を回すと、コキコキと骨の鳴る音がする。
随分と肩がこるようになった。疲労が溜まる歳になったかと、苦笑を一つ漏らす。
「タナトス、全てが終わったら酒を呑もう」
「……どうしたんだい? 急に」
珍しく軽薄な笑みを顰め、目を丸くしたタナトスが視界の端に映る。
「ただの気紛れだ。それで、誘いには乗ってくれるのか?」
「……君は俺の事が嫌いだと思っていたんだけど」
――別に嫌いだよ、今でも。
そう声に出すのは憚られた。何故かと言われたら、情が移ったとしか表現のしようがない。
悪の組織のボスが情に流されやすい柔な男だなんて、世間に露見したらいい笑いものだろう。悪役はいつだって、冷酷で残虐な性質でなければならないのに、無駄な情を挟んで面倒事を増やすなんて。
「さっきも言ったろ、ただの気紛れだ」
「ふーん……そういう事なら、喜んで誘われようかな」
喜色に滲んだ声色は、やはり気持ちが悪かった。