暗黒期の残骸   作:花のお皿

4 / 34
凶狼には何も

 叩かれた手を数秒そのまま宙に彷徨わせてから、とうとうセルシャは差し伸べていた手を下す。だが、彼の表情は変わらず、否、変わることの方が珍しいのだが、しかし誘いを断られたことへの苛立ちや怒りが一切感じられない無表情のまま、ゆっくりと灰色の狼人――ベートの方へと視線を向ける。

 孤狼の表情は随分と険しいものだった。否、険しさこそが彼にとっての常であるのかもしれないが、しかしそうなると色々と苦労しそうにも思われる。まぁ、そんな苦労は承知の上でベートは弱者を見下しているので、彼にとって慰めとは余計なお世話でしかないのだろう。

 

 そこまで思考をまとめてから、セルシャは沈黙を破った。

 

「予想以上に、即答だな」

 

 苦笑交じりに――否、まるで苦笑しているかのように、セルシャは言う。

 彼の表情にも、口調にも、何ら変化はないというのに。まるで彼が困ったように笑みを浮かべているように見えるのは、錯覚しているのは、ベート自身の問題なのだろうか。

 

 だが、その言葉には嘘はないのだろう。本当に予想外な結果だったのだろう。正確には、予想外な過程だった、と言った方がいいのだろうが、しかし似たようなものなので、その単語の差異を議論する必要もない。どちらにしろ、ベートがセルシャの予想を超えた、という事は事実なのだから。

 しかし、そんな反応を見せたセルシャに対し、ベートは鼻を鳴らし、相も変わらず下町のチンピラ染みた口調で返事をする。

 

「何が予想だ。テメエの予想なんざ外れんのが常だったろうが――今も昔も」

「そうだな。そうだったか」

 

 だが、そんなベートの口調には慣れているのか。それとも、ベートのように素行の悪い部分の目立つ者達と同じ空間で過ごし続けた弊害か。セルシャの反応は、酷く普段通りだった。

 

 そんなセルシャの様子を視界に入れながら、ベートの脳裏には眼前の黒い外套の男との、つまりはセルシャとの青春の日々が過っていた。

 それはベートにとって遠い過去――否、遠くなどない。ベートにとって決して忘れられない『傷』となっている、残骸のように心に残り続けている過去。【ヴィーザル・ファミリア】の団長として、【灰狼】として生きていた頃の、過去だった。

 

 だが、そんな昔話に花を咲かそうとはせず――否、まるで過去を禁忌の如く扱っているかのように、両者は話題の脱線を防いだ。正確には、両者の過去について執拗なまでに気を遣っているのは、どちらかといえばセルシャの方なのだが、ここもまた割愛するべきだろう。

 何故、セルシャがベートの過去について触れ辛く、そして触れぬように振舞っているのか。それは、今や敵対関係にある両者にとっては推し量る価値などないのだから。

 

 尤も、敵対関係にある癖に、未だに自身に対して過剰に気にかけている眼前の男を、孤狼が辟易とした目で見ていたのは言うまでもない。

 

「……話はそれで終わりかよ」

「ああ。本題(・・)は、これで終わりだ」

「そうかよ。なら、とっとと本題以外を話せや」

 

 回りくどい言い方をしやがって。

 

 と、そんな風に感想を溢して、ベートはセルシャの口から発せられる言葉を待った。普段であれば、というより相手は敵なのだから、普段のようにもう少し悪態をつくのは正常な反応なのだけれど、どうしてかベートの悪癖とも呼べる傲慢不遜な態度は鳴りを潜めていた。確かに口調には品がなく、今も尚放たれ続けている威圧感は他者に対して無礼とも評せるものだけれど、しかしその態度は普段以上に平静だった。

 

 落ち着き払った【凶狼】など、オラリオの住民が見れば卒倒する。

 これは流石に言い過ぎかもしれないが、言いたい事は理解できる筈だ。つまり、今のセルシャと向かい合っているベートは、極めて異常だという事だ。

 

 理由は分からない。否、ベート自身が、理解しようとしていない。

 それは、するまでもないという余裕でも、既知の事を改めて知ろうとするのを面倒臭がる怠惰でもない。ただ、知ってはならない事を意識から除外しようと努力する、彼の意地であり、維持である。

 

 敵のトップと共に居る空間が、居心地が良いなどあってはならないのだから。

 

「ベート」

「……何だ」

「お前が弱者に対して行っている――いや、行うようになった『洗礼』を見て思うのだ。俺のやっている事は、断じて間違いではない、と」

 

 唐突に、セルシャはベートに向けて語り掛ける。相変わらず話下手だな、と。過去、共に肩を並べて戦い、そして今度は敵対している戦友を前に、何故かベートは安堵していた。それは、変わってしまった関係性の中に、何か変わらないものを見出したからなのか。それは、当人にも定かではない。

 しかし、それを見出したと認識してはいけない。意識してはいけない。故に、そんなことはどうでもいい、と。頭から放り出さなくてはいけない。敵と二人きりの状況で“安堵”など、相応しい感情ではないし、酷く不適切な感情なのだから。

 

 感情面を無視し、己の心の内に蓋をして、孤狼は理性を稼働させる。

 セルシャの言葉を解析し、自分なりに解釈し、そうして、結局意味が分からなかった。不可解だった。

 

――何を言ってやがる。

 

 と、ベートがそう思うことは、必然と言ってよかっただろう。そもそも『洗礼』とは何なのか――否、ベートは“洗礼”という言葉の意味を知らない訳でも、またセルシャの言う『洗礼』という言葉の示すものを分からない訳でもなかった。むしろ、遠回しで比喩的な言葉を使われたにも関わらず、その単語を聞いた瞬間にベートはセルシャの示したい事象を理解できていた。

 まぁ、だからこそ不可解ではあるのだが。

 

 セルシャの言う『洗礼』とは、一般的にベートに向けて言われる“悪癖”を指している。弱者に向けて放たれる罵声、罵倒。つまりは、先にも述べた傲慢不遜ともいえる態度を指しているのだろう。

 だが、『洗礼』とは何だ。アレは、そんな高尚なものではない。もっと下劣で、幼稚で、身勝手な代物だ。『洗礼』などと、そんな小綺麗な言葉で飾り付けられるような言動ではない。

 

 だというのに、この男は、

 

「お前のあの行動が、どれだけ弱者(彼等)身体()を救ってきたか」

 

 見てきたかのように、ベートの言動をそう評した。

 

「無論、彼等からすればお前の言動など余計なお世話以外の何物でもない。むしろ、弱者(彼等)精神()への配慮が無い分、害悪とも言えるだろう。だが、それでもお前に対して敬意を抱かずにはいられない」

 

 反英雄とも呼ばれるようになった男は、孤狼に向けて本気で敬意を向けていた。まるで、自身を救ってくれた英雄を見るような、幼い頃に見た憧憬を実際に目にしたような、そんな爛々と光る純粋な瞳が、ベートを射抜いていた。

 けれど、報われた気持ちになどなる訳もない。そもそも、誰かに認められたくてセルシャの言う『洗礼』とやらをしていた訳ではないのだから。

 

 ただ孤狼は、もう誰にも失ってほしくなかっただけだ。もう二度と、誰かが自分の前から消える事に耐えられなかっただけだ。

 酷く身勝手で、自分本位な悲願だと自分で自分を嗤いたくなる。故にこそ、不可解なのだ。

 

「しゃらくせえ。何が『洗礼』だ。そんなもんをやった覚えはねえ」

「そうだ、それがお前だ。そんなお前だからこそ、俺は闇派閥に来てほしいと思ったのだが……結局無駄骨だったか」

 

 そう言いながら、セルシャの表情は変わらない。否、客観的に見て、変わらない。

 だが、ベートにとっては違う。客観的視点というその他大勢からみた視点に、孤狼の主観は含まれない。

 

 ベートには、確と認識できた――今、眼前の男は間違いなく安心している。

 

 何に、と問答を交わすつもりはない。そんなことをしたところで、この男の前では煙に巻かれるだけだと孤狼は知っている。けれど、それは先程の発言についてのみ適用される道理。それ以外の、正にこの密会に参加する目的、とも言っていい“問い”が、一つだけ残っている。

 

「テメエみてえのが、何で俺を闇派閥(自分達)のとこに誘ってきやがる。何を企んだら、俺が選ばれるってんだ」

 

 自らが蒔いた種を、ベートはよく理解している。【凶狼】という二つ名につけられた、途方もない悪評。都市最大派閥の幹部という肩書さえも霞ませるそれは、孤狼の孤高を決定づけているものだ。いわば、現在のベートの土台であり、それだけ彼が多くの弱者と向き合ってきたという証でもある。

 だが、それは決して実績として残るものではない。否、無論ベート・ローガという男に功績が無いという意味ではないし、むしろ彼は【ロキ・ファミリア】最速の称号を手にした若手の有望株である。彼の経歴を辿れば、実績も功績も、ましてや為した偉業も、その全てが並外れたものなのだと理解できる。

 

 にも関わらず、彼は孤独なのだ。

 

 何故。と、そう思う者はオラリオには居ないだろう。他者より羨望の眼差しを向けられるに値する実力を持ち、多くの冒険者が挫折していった中で停滞する事無く第一級の地位に達した背中を晒しているベートが忌み嫌われている理由。それを知らぬ者など、オラリオには居ない。

 

 嫉妬、畏怖。なんて、そんなプラス的な、肯定的な理由ではない。極めてマイナス的で、否定的な理由だ。だからこそ、解せない。

 

「テメエの願いは、泣いてる奴の“笑顔”なんだろうが」

 

 散々弱者の笑顔を壊してきたベートが、こうもセルシャに歓迎されている理由が、分からない。

 顔に出ていたのだろうか。ベートの迷いを打ち消すように、掻き消すように、セルシャは断言した。 

 

「お前に笑っていてほしいからだ」

 

 ◇

 

 人工迷宮。

 それは、闇派閥の誇る要塞であり、奇人ダイダロスの残した遺産であり、彼の子孫が紡いできた一族の誇りでもある。約一名、その誇りに唾を吐く獣も居るが、それは除外しよう。

 

 さて、闇派閥の誇る、とは言ったものの、実際に人工迷宮が要塞として活躍した時はまだない。そう、まだ、である。では、これから人工迷宮の活躍の場は訪れるのか、といえばそれも分からない。

 無論、ギルド側においては未知である人工迷宮を利用するのは合理的で、戦術的にも利点である事は確かである。しかし、人工迷宮を“要塞”として利用するということは、即ち人工迷宮の“本拠地”としての利用を捨てるという事でもある。

 つまり、闇派閥における本拠地の不明という利点が消えるという事。隠密行動が不可能になる、と言い換えてもいい。

 

 どちらにしろ、メリットとデメリットはあるという事だ。それらを思考の内に含め、巧みに戦術カードを切るのが参謀の仕事である。

 

「――その参謀様が、本来の仕事を差し置いて“趣味”に没頭とはねぇ」

 

 闇派閥の参謀――ヴァレッタは、元私室であった現会議室ではなく、そこよりも離れに移された彼女専用の“趣味”部屋に居た。

 血の匂いが充満し、先程まで絶叫と悲鳴を奏でていたその演奏室で、あるいは拷問部屋で、その指揮者たる彼女は声をかけられた背後に向けて振り返る。

 

「誰かと思えば、我らが主神様じゃあないか。何だ? また見込みのある(カモ)でも見つけたか?」

 

 闇に潜むような、黒いフードを被った死神に向けて、ヴァレッタは狂気的な笑みを浮かべた。彼女の頬に、全身についた返り血が、余計にその狂気を助長させている。

 だが、されど死神は飄々とした態度を保って、というよりも目の前の光景をいつも通りだと受け入れて、安心して返答する。

 

「いんや? 正直、そういうカモはセルシャちゃんが見かけたところから助けに行っちゃうからさぁ。あんまり俺の出番無いんだよねぇ」

 

 困ったように言う死神に――タナトスという名を持つ死神に、この居候が、とヴァレッタは悪態をつく。

 

「そう言わないでよ。俺だって、役には立ちたいと思ってるんだぜ?」

「神の癖に気迫で人間に劣るような奴、一体何の役に立つんだ?」

 

 悲しそうに、否、悲しそうな演技をタナトスはしていて、それを当然のようにヴァレッタは見破った。その上で、彼女は皮肉を言うようにニヒルに笑う。

 

 神々とは何か。己の認めた下界の子供達に恩恵を与え、己が眷族とする彼等彼女等は、一体どういう存在なのか。そこに焦点を当てるのなら、今ヴァレッタの目の前にいる死神よりも、眷族(セルシャ)の方が余程神らしいことをしている。

 神とは、主神とは、【ファミリア】の象徴である【超越存在(デウスデア)】。即ち、全知全能の超常的存在。だが、それは万人が認知し、既知としている事実であり、つまりは常識である。

 

 しかし、その常識に、タナトスは当てはまっていない。

 【ファミリア】の象徴、この場合は闇派閥の象徴とでも言おうか。その役目は今やセルシャ・ストリクスに奪われ、彼の役目は最早恩恵の与えるだけのパワーアップアイテムのようになっている。そこに不満があるかと言えば、正直に言って「無い」らしい。

 

 不満などない。確かに、折角なのだから神らしいことをして格好つけたい自分が居るにはいるが、そんな見栄よりも優先すべきことがある。優先すべき、神意がある。

 

――世界に『死』を。

 

 神々が降臨し、千年。恩恵を授かり、力を得た下界の子供達は瞬く間に怪物を大穴の底へと追いやった。その結果、人々は安全を、安心を手に入れる。つまりは、日常にありふれていた『死』から遠ざかる。

 ゼウス、ヘラの両派閥により英雄神話は打ち立てられた。神話は世界に平和を齎し、希望を与えた。その時代が、そんな神話が、死の神である彼にとってどれほどの苦痛であったか。どれほどの、落胆であったか。

 

 だが、その希望は黒き龍の前に消え、平和は容易く砕かれた。時代は『暗黒期』へと変遷し、“悪”こそが時代を制する時代がやってきた。悪が嗤い、市民が死を叫び、邪神が酒に酔うような、そんな時代。

 歓喜があった。愉悦があった。『死』があるからこそ『生』がある。『死』が隣り合わせだからこそ、『生』はより光り輝いて、これまで以上に尊いものとなる。

 だからこそ、『死』は潰えてはいけない。“悪”が君臨し続けなくてはならない。正義と悪が表裏一体であるように、生と死もまた紙一重の関係性なのだから。

 

 しかし、それは死神としての視点を持つタナトスの理屈。下界の民が、今を“生”きる人々が、それを許容するはずもない。はずがない。

 正義は勝つ、などというけれど、そうではない。少なくともタナトスの場合は、そうではなかった。タナトスへの拒絶は、倫理や道徳ではなく、本能によるもの。生物として備わっている基本情報が、タナトスを異常なものとして、自らの生命を脅かすものとして、つまりは“悪”として、恐れたことに起因するものだった。

 

 アレは正義ではなく、生義、とでも言えばよいのか。命の価値を誰よりも知っているタナトスの理屈は、戯言として片付けられて、彼は必然に闇派閥として、邪神として、動かざるを得なかった。というよりも、元から彼はそのように動くつもりだったかもしれないけれど、それはまさしく神のみぞ知る、というやつだろう。

 しかし、彼は下界からの否定を悲観するようなか弱い神でなければ、それで傷つくような繊細な神でもない。彼もまた軽薄で、風に吹かれて、流れているような、飄々とした神らしい神だった。神らしく、戯言を吹いて、妄言を吹いて、掌の上で下界の子供達を弄び、自らの悲願を達成しようとする、下界をボードゲームのボードとして観る存在だった。

 

 だが、下界は“悪”に打ち勝ってしまった。“正義”は時代を満たしていた暗黒を、いっそ爽快に切り裂いて、陽の光を世界に齎してしまった。

 音が聞こえる。時代が崩れ、またしても日常から『死』が遠ざかっていく音が。生死の価値が、本当の意味での命の尊さが、墜ちていく音が聞こえてくる。タナトスの悲願を打ち砕く雑音(正義)が、迷宮都市を賑やかせていた。

 

 

 

――そんな騒音を、彗星の如く現れた反英雄が両断したのだ。

 

 

 

 英雄は怒っていた。何に? 

 

 闇を打ち砕いた正義に、ではない。

 苦痛を乗り越えた市民に、ではない。

 前時代の英雄を打倒した英雄候補達に、ではない。

 

 未だ泣いている者が居るのに、涙を流し、喪失の絶望の最中に居る者が居るのに。平和を謡い、希望を謳歌する、この世界に、である。

 幼い子供にすら、悪に縋らせるこの世界に。

 “悪”以上の理不尽に襲われたものの涙を拭う者のいない、この世界に。

 潰えた正義の、次代を名乗る者のいない情けない世界に。

 

 反英雄は怒りを掲げて、救済を掲げて、覚悟を背負った。

 

「こんな俺でも、役には立てるでしょ。反英雄の偉業を後世に伝える役目くらいは、ねぇ」

 

 どうしようもなく魅せられた。その背中に。

 裏切り者と罵倒され、見損なったと失望され、けれど決して揺るがないその覚悟と決意に。

 “悪”すらも救わんとする、愚者の背中。その背に自らの眷族の証を刻んだあの瞬間を、タナトスは決して忘れないだろう。

 

「死神が言う台詞じゃあねぇな」

「痛いとこをつくなぁ。ま、全く以て俺らしくないのは、確かにそうなんだけど」

 

 死を司る神は、喪失を嘆く子供達を唆して、“悪”の道へと引きずり込んだ。そんな子供達を憐れんで、否、救わねばと奮起して、反英雄が現れた。

 まるで運命だ。なんてロマンティックな感慨に耽ったのも懐かしい。まぁ、その反英雄には出会い頭に殴られたけれど、それも今となっては、

 

「……アレを思い出にするには怖すぎだ。最初は般若かと思っちゃったし」

「あん? 何の話だ」

「何でもないよ。それで、我らが誇る参謀様は、こんなところでサボっていいのかなぁ」

 

 元の話題はそれだった。

 正直に言うのなら、タナトスにとっては、これはサボりを注意しに来た気難しい上司、だなんて気分でやって来ている訳ではないし、そもそも咎めている気もない。これは、単なる暇潰し。いわば雑談だ。

 故に、簡単な返答が来てくれれば、適当に会話を弾ませようとしていたのだが、

 

「これはサボりじゃねえ。私にとっての休息だ、とっとと帰れ」

「あれま、冷たいねぇ~」

「生憎、今は気分が悪いんだ。アンタの気紛れに付き合ってる余裕は、ねぇッ!」

 

 ザシュッ、音を立てて、血飛沫を上げながら、ヴァレッタの持っていた剣の刃が、彼女の眼前に吊るされた“肉塊”の左肩から右腰にまで滑り、通り過ぎる。斜めに切り離された肉塊を前に、つまらなさそうに唾を吐いて、ヴァレッタは不満そうに刃の潰れた剣を床に放り投げた。

 

「もう壊れちまった。不完全燃焼だ」

「俺から見たら、来た時には既に壊れてたけどね」

 

 死の神であるタナトスの断言。

 それは、ヴァレッタが切り刻んでいた肉塊が、()人間が、とっくのとうに息絶えていたことを示唆するものだったが、それを聞こえなかったかのように自然と無視して、ヴァレッタはタナトスに視線を向ける。

 

「暇ならセルシャの手伝いでも行ってこいよ。先輩として、勧誘のコツでもご教授してきな」

「残念だけど、俺が居ても足手纏い。神威以上の気迫の持ち主に勧誘なんてされたら、否が応でも答えてしまうもんだからさ。俺、ぶっちゃけ要らないんだよね」

 

 なんて、笑って言うタナトスを残念なものを見るように見つめてから、ヴァレッタは彼に背を向けた。話し相手が居なくなり、暇を持て余したタナトスは、ふと付け加えるように空虚な部屋に響くように呟いた。

 

 

「――まぁ、反英雄(セルシャ)と同じくらいの頑固者には、気迫なんて意味を為さないだろうけど」

 

 

 ◇

 

 灰色の(たてがみ)が夜風に揺れている。月明かりに照らされる狼人の毛並みは、光を反射することで銀のように輝いている。

 そんな幻想的な月光の夜に、二人の男は対峙していた。

 

 先程の、セルシャの言葉を繰り返すようにベートが呟く。

 

「笑って、ほしいだぁ……?」

 

 つまりそれは、何だ。ベートが、己が、反英雄(セルシャ)に守られるしか能のない弱者だとでも言いたいのか。

 不快、不愉快。憤怒、激怒。

 爆発寸前のベートに、誤解のないように言うが、と予め察していたようにセルシャが告げる。

 

「お前を乏しめる意図など、どこにもない。ただ純粋に、お前がお前の生きたいように、在りたいように在ってくれればいい。その上で、俺が作る未来の中で笑って日々を過ごしていてほしいと、そう思うだけだ」

 

 淡々と話すセルシャに、噛みつくようにベートは口を開いた。

 

「断る。俺ぁ今でも、俺のやりたいようにやってる。強者が強者らしい振る舞いをしてやってるだけだ。お前にケチをつけられる謂れはねえ」

 

 狼の毛が逆立っていた。月の引力に引っ張られるように、引き付けられるように、重力に逆らって体毛が上を向く。

 正に、威嚇する狼。そんな狼人には目を向けず、暗い天を仰いで過去へと目を向けた。

 

「いいや、違うさ。だってお前は、あの時泣いていたじゃないか」

 

 ベートの表情が、肉体が、固まった。ピシリ、と。石にでもなってしまったように、唐突に、不自然に静止する。

 それは、セルシャの言葉がベートの深層心理にまで深く入り込んだが故の、防衛本能でもあった。そしてあるいは、一気に沸点を突破した怒りを抑えられなくなったが故の、オーバーヒートであった。

 

「あの時からだ。お前が傲慢な態度を取るようになっていったのは。なればこそ、それは友でありながら、彼女を守れなかった俺の――」

「テメエの自己満足に、俺を付き合わせてんじゃねぇッッ!!」

 

 俊足の足が地を蹴り、瞬く間に間合いを詰める。そして、瞬速の拳が依然として空を仰ぐ深蒼の青年の頬を捉えて、 

 

「俺の、責任だ」

 

 容易く、顔を傾けるだけの最小限の動きで避けられた。

 夜空の星々に向けられていた視線が、ゆっくりとベートに移される。

 

「お前だけが傷ついたままだなんて、そんな悲劇は御免だ。俺の創りたい未来に、そんな悲劇は認めない」

 

 勝手な言い分だ。

 

 素直にそう思った。

 自分が認められないからと、ベートの人生に干渉しようとするセルシャの行動は、実に身勝手で偽善的だった。勝手で、相手の都合など考えない、自己中心的とも――否、常に誰かの為に動く彼は、一周回って他者中心的行動とも取れる。

 

 そんな、器用の“き”の字もない不器用な在り方が、どうしてか自分(誰か)に重なって見えた。 

 

「何度目だ、お前がああして失ったのは。お前が自分を責めるのを見るのは、あれで、今日で、何度目だ……!」

 

 目と目が合う。視線と視線が交差する。

 瞳は、人間の感情の色を表す、と。以前にどこかで聞いたような気がした。初めて聞いた時には、何だその迷信は、と酒の肴にして笑っていたけれど、今にしてそれが正しかったと理解できる。

 

 なぜなら、眼前に立つ男の目には、燃え盛る感情の渦が揺れていたから。

 

「報われたって、いいじゃないか。今日までお前は、多くの命を救ってきたのだから」

 

 男の手が、ベートに向けて伸ばされる。

 

 性懲りもなく、工夫もなく、ただ言葉だけを変えて、セルシャはベートを誘い続ける。

 

 

 

 

 

「俺と共に来い、ベート・ローガ。お前には誰かを守り、愛する資格がある」

 

 

  

 

 

 ◇

 

 結局のところ、ベートはセルシャの誘いを断った。

 一度目を断ったのだ。二度あることは三度ある、というように、二度目の誘いを断るのは道理でもある。そこに異論ある者は居ないだろう。

 

 だが、強いて言うのなら。

 一度目と二度目の中に、何らかの違いを見出すとするのなら。

 

「んな資格(もん)、俺にある訳ねえだろ……」

 

 救いようのない者さえ助け出そうとする、かつての友が哀れに思えて。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、その手を取るか悩んでしまった。

 

 そんな、迷いとも言えぬ葛藤があった事だけだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。