暗黒期の残骸 作:花のお皿
「皆、もう行っちゃったか」
随分と静かになった人工迷宮内で、周りが空席の中、円卓の一角にタナトスは腰かけていた。
ゆったりと、ディックスが土産に持ち帰ってきた葡萄酒を嗜み、優雅なひと時を過ごしている。
まぁ、眷族がカジノ襲撃に乗り込んでいる時に主神がする行動とは思えないが。
「セルシャちゃんが首領になってから、皆即断即決が常になっちゃったねぇ。ま、あんな悪のカリスマが出てきちゃったら、無理もないか」
セルシャ・ストリクスを初めて見た時、タナトスは彼を王族かと誤認してしまった。というより、今でも彼の事を亡国の王族の生き残りだと疑っている。
あの帝王の如き覇気と、英雄譚に出てくる主人公のような蛮行の数々。
少なくとも、彼を見て凡夫だと思う人物など居はしない。そう断言できた。
正直に言って、出会った当初に一目惚れしたと言ってよかった。
神という【超越存在】から見て彼という人間は――否、神という人間を超越した視点を持つタナトスだからこそ、より彼の異常性が見て取れた。
スキルに左右されない、その異常としか言えないカリスマも。
運命に選ばれたかのように、度重なって降りかかる試練と、それを乗り越えていく道を選んだ強靭な覚悟も。
その全てが魅力的だった。
彼の魅力を視界に収めたくて、彼の紡ぐ物語から目を逸らしたくなくて、だから魅入られる。惹かれる。
下界の人の子へ神が向ける愛とは違う。では、これは何なのだろう。
何のことは無い。幼い少年が英雄譚に出てくる英雄の物語に魅入られるそれと、何ら変わらないものだ。
――これは一種の憧憬だ。
「場所が変わろうと、時が移ろうと、その在り方は変わらない。
嫉妬の言葉を口にして、しかしタナトスは嬉笑した。
神よりも神らしい英雄?
とんでもない。アレは神などではないし、そんな高尚な人物でもない。
未だタナトスにすら計り知れない人物だけれど、しかしそれだけは分かる。アレは、どこまでも人間らしい人間だ――『愛』を愛する人間だ。
「神の愛なんて、自分本位なものばかり。けれど、彼の『愛』は違う。彼の愛は――」
自己犠牲染みた、なんて事は言わないけれど、自己被害染みたものだから。
◇
夜。
真夜中とも言えない、まだ少しだけ陽の光が残る時間帯。夕方というには暗すぎるような、そんな時刻。
そんな暗闇に抗うように、繁華街は煌びやかな光を放って輝いていた。道行く人々を魅了し、吸い寄せるような、そんな光を放っていた。
それもその筈。むしろ、繁華街にとっては夜こそが本領であり、本番。
この区画が、あるいは昼よりも明るく照っているのは、最早当然と言えるだろう。
(人が多いのが有難いな……隠れやすくて)
だが、その眩い輝きに魅入られて街を出歩く人の群れに、捉え切れない速度と隠密精度で動き回る影が、あちらこちらで出現していた。
言わずもがな――闇派閥の面々である。
セルシャ、ヴァレッタ、ディックス。そして、ヴィトー。
以上の四名を主力として、残りを第三級冒険者と同等か、それ以上の実力者で固めた少数精鋭。現在の闇派閥における最高戦力を結集させ、彼等は今回の“強奪”任務に臨んでいた。
目的は、大賭博場『エルドラド・リゾート』からの資金調達、及びカジノオーナー、テッドの“口封じ”である。
カジノと闇派閥の繋がりがほぼ露見した今、最早テッドの存在意義はない。であれば、生かしておく理由もない。
これは、ヴァレッタの意見でもあるし、もう一人の参謀補佐と呼べる少女からの提案でもあった。
片方は闇派閥における利益と理屈の観点から。
そして、もう片方も無論、上述の理論からの提案ではあったが――もう一つ、セルシャを思い遣る感情的な視点があったことも、否めないだろう。
さて、そうして順調に街道を、というよりも道の外れを行き、人目を避けて大賭博場へと辿り着いた闇派閥であったが、突如としてセルシャの足が止まる。
否、セルシャだけではない。四方から集結しようとしていた、ヴァレッタ、ディックス、ヴィトーの進行も、賭博場から遠く離れた位置で留まっていた。辛うじて、第一級の領域にまで器を昇華させた者が、その視力で賭場の中が覗ける。そんな位置で、だ。
「……やられたな」
淡々と、だが苦々しい感想を、セルシャが呟いた。
その頭領の言葉に、一同の間でどよめきが起こる。
「セルシャ様、異変ですか」
察した構成員の一人が、前に出て口を開く。
すると、セルシャはその声に反応し、悠々と顔を振り向けて、
「――【ロキ・ファミリア】だ。既に先回りされている」
そんな、信じたくもない真実を口にした。
◇
大賭博場。
娯楽を、快楽を、悦楽を求める者共を、金という手段で魅了する浪漫の聖地。
格好の良い言い方をしたが、換言するなら要はただの
真っ当な生き方を愛する人種には、敬遠されて然るべきな場所でもある。
故にこそ、エルフなどには人間の欲望の権化だとして、賭博という存在は敬遠され、また軽蔑されている。まぁ、カジノ大好きなエルフも居たりはするが。
賭博場は、当然ながら儲かる。この事実は、言うまでもなく分かるだろう。多くの金持ちが、貴族がオラリオ中からやってきて金を落としていくのだから、これで儲からないという方が可笑しな話だ。
そうして、生物が自然の摂理に則るように、道理として大賭博場は栄えてきた。栄えてきたのだ。それこそ、連日人の流れが途切れないまま、今日までずっと賭博場が人で溢れる景色が続くくらいには。
だが今、その賭博場には
人が居ない訳じゃない。ただ、
賭けを楽しむ為の、賭けを楽しむ為だけに作られた場所。
そんな場所で、現在賭博場には金を落とすどころか、娯楽を求めてやってくる人種は存在しない。
今、『エルドラド・リゾート』を占拠し、ギルドの名目でカジノ全体を封鎖したオラリオの誇る巨大派閥――【ロキ・ファミリア】が、そこに居た。
「ラウル、オーナーはまだ情報を吐かないのかい?」
「は、はいっす。何度問い質しても、教えられることなどない! の一点張りで……正直、成果を得られそうに無いっす」
既に賭博場の経営者であるテリー・セルバンティスが闇派閥の援助を行っていたことは裏が取れており、カジノのディーラーを含めた経営陣は漏れなく確保されている。
この迅速な捜査、というよりも、滑らか過ぎる調査の進行速度は
尤も、ほんの数年前に入団した新参者には、甚だ理解できない執着心ではあったのだが。
「あの手の人間は、脅されたらすぐに口が軽くなる質だと思っていたけれど、見込み違いだったかな」
「いや、そうではないだろう。あれは情報を“言わない”のではなく“言えない”……つまり、本当に金の繋がり以外に闇派閥との関係が存在しないだけだ」
苦笑し、独りごちる【ロキ・ファミリア】の団長、フィン・ディムナに対し、隣に佇んでいたリヴェリアはそう返した。
リヴェリアの言葉に、同じくフィンの傍に待機していたドワーフ、ガレス・ランドロックが眉を上げた。
「ほぅ。であれば、あの者にはあやつの人たらしが発動しなかったのか。珍しいこともあるものだな」
「ふん。あの程度の輩には、セルシャとて下手に付き合おうとは思うまい。あのドワーフに、それだけの価値が無かっただけだ」
何故か不機嫌そうに返答するリヴェリアに、可笑しそうに笑い声を上げるガレス。
おっかない妖精の怒りを買わぬ内に、フィンは二人から視線を外して自らの親指を握りしめる。
(全く、闇派閥と――というより、セルシャと衝突する時は、いつも親指の震えが止まらないな)
――本当に、困った後輩だよ。
そんな呟きを胸の内に秘めて、フィンは改めてカジノを見渡した。
煌びやかな装飾。豪華な外観。色鮮やかな照明。
何もかもに、至る所に金をかけた、正しく金で出来た建物。
そんなカジノの場内を、【ロキ・ファミリア】の団員や、そこに混じったギルド職員が情報と手掛かりを求めて走り回っている。
「ここまで目立つ施設が、堂々と闇派閥に接触していたとは。気づかなかったギルドを責めるべきか、その大胆さを賞賛すべきか。悩みどころだね」
テリー・セルバンティスの経営の腕は、悪くはない。少なくともカジノのオーナーとして、最低限の役割を果たすことはそう難しいことではなかっただろう。
だが、そこに私利私欲が入ると話が変わる。
テリーの私室には、まるで彼に侍るように容姿端麗な女性ばかりが集められていた。
そう、集められていた。意図的に、集められていたのだ。
閉じ込められるようにテリーの私室に待機していた女性達に話を聞くと、全員が全員、親族の借金の返済の為にその身をテリーに捧げることを余儀なくされたという。
考えれば分かることだが、テリーの狙いは初めからこの女性達だったのだろう。彼女等を手に入れるために、テリーは彼女等の親や兄弟に賭け事を持ち掛けて、大量の債務を負わせたのだ。
テリーは何も証言をしておらず、ここまでの事はフィンの推測でしかないが、それはこの場では最早事実と相成っていた。
実際、テリーの部屋、つまりは
不正が明らかであるのなら、フィンの推測にそれなりの説得力があるのも確か。辻褄もあっている。
であれば、そこに粗を探すよりも、その予測を基に調査を進めた方が効率的である。
「ギルドを責めるのは、些か筋違いだろう。聞けば、この場所は所謂“真の治外法権”とやらだったらしいしな。彼等が裁けぬのも無理はない」
「尤も、ロイマンの奴はよく来ておったらしいから、知ってて放置していたことも確かであろうがな」
いつの間に喧騒を終えていたのか、リヴェリアとガレスがフィンの呟きに返答する。
フィンもまた「そうだね」とだけ返して、また暫くの間沈黙を空間に落としていた。それも、近くに居た者が少々居心地の悪さを感じるほどの時間を要して、だ。
その沈黙の後、気まずい空気に耐えきれなかった近くの団員がそういえば、と口を開く。
「そうまでして集めた女に、あのオーナーが手を出さなかったのは何でですかね。何か理由があったんでしょうか」
「……そんなこと、考えるまでもないよ」
黙ったまま、何らかの思考に沈んでいたフィンが、質問に対しての答えを示した。
まるで、無知な庶民に、貴族が当然の常識を教えるかのように。
「