暗黒期の残骸 作:花のお皿
賭博場から少し離れた大通り。この道を通れば、迷うことなく『エルドラド・リゾート』まで辿り着けるだろう、そんな通りの裏路地で、血の匂いに招かれた孤狼と殺人鬼が相対していた。
血で濡れた外套を隠そうともせず、異形の剣をクルクルと回してその殺人鬼はため息を吐く。
「ったくよぉ、上が勝手だと下も困るもんだよなぁ。こうやって、上の尻拭いの為に色々と裏方作業をしなくちゃならねえってんだから、笑えてくるぜ」
「テメエが尻拭い? ハッ、そっちこそ笑わせんな。テメエはただ趣味趣向を凝らしに来ただけだろうが」
額に青筋を浮かべ、孤狼は――ベートは辺りを見渡した。路地の壁には大きな切り傷を肉体に刻み、倒れ伏している者が数人、そして意識を失わずに泣きじゃくりながら、ベートに助けを求める視線を向ける者が数十人程転がっていた。
その中の一人を、殺人鬼の女が喜色の笑みを浮かべて手に持っていた剣で刺し殺した。頭蓋骨を、たったの一撃で貫通させて、苦痛を与える間もなく殺した。
「本当は、もっと遊びたいんだぜ? もっと斬って、もっと殴って、もっと蹂躙して、凌辱して、遊びたいんだよ! ……だが、下手に時間を与えるとお前等が基盤を整えちまうだろ? だから、こうやって即行で殺したんだ。安心しろよ、他の奴等も順番に殺ってやる」
「相変わらず、気に入らねえ女だ」
グルル、と獣のように唸る。孤狼の威嚇を、その殺人鬼は意にも返さず鼻で笑った。分かりやすい挑発に、普段であれば乗っていたであろう挑発に、されどベートは動けない。
周囲には怪我人多数、そしてそれ以上の人数の人質が闇派閥の手の内にある。
ベートが一歩でもその足を前へと動かした瞬間、そのうちの誰かの首が飛ぶだろう。その様が、ベートには簡単に想像できた。
「よーしよし、イイ子だ。そうやって暫く“待て”だぜ? 【
「っ、クソがァ……ッ!」
ベートには余裕が無い。血の匂いに誘われてまんまと闇派閥に包囲され、呼び止める団員達を振り払ってここまで駆けてきたお陰で、現在ベートは単身でヴァレッタ達と相対していた。
さらには、ベートがやってきた方向から強い存在感が発生したのを、他ならないベート自身がひしひしと感じ取っていた。
間違いない。今、ベートが進んできた方向の真逆、ヴァレッタ達とは離れた『エルドラド・リゾート』という本丸に、セルシャが居る。であれば、ベートが向かわない選択肢など無い。
故に一刻も早く、この現状を打破しなければならなかった。
「お生憎様、今日は空がよく曇っててなぁ。アンタの“奥の手”は使えねえだろう。そんで、テメエ以外の若手には他の手が回ってる。当分は賭博場には戻させねえよ」
空を仰ぎ、愉悦に滲んだ笑みを浮かべてヴァレッタは勝ち誇る。
ベートの生殺与奪、とまではいかないが、少なくとも彼の行動権は最早ヴァレッタが握っているも同然だ。完全に仕留める事は無理でも、時間稼ぎであれば相応の成果を出せるだろう。
それに、今回の襲撃の目的は【ロキ・ファミリア】の撃退ではなく、金品の強奪なのだ。態々険しい道を行く必要もなし、ヴァレッタは最小の道順で目的を達成する事を優先していた。
「――――チッ」
対して、ベート・ローガ。
努めて頭に上った血を抑制し、頭を冷やして意識を周囲の観察へと向けた。
やはりというべきか、流石というべきか。闇派閥の包囲に穴は無く、隙もない。その見事な包囲の連携には、感嘆の一言だった。冒険者というよりも、軍隊を思わせるその隊列は、いっそ美しさすら感じた。
これが、セルシャ・ストリクスの作り上げた精鋭部隊。成程、個々の強弱以前に、敵に回せば厄介な相手だ。
(フィンの野郎が手こずる訳だな)
敵への称賛をしている場合ではないが、ベートからして今の闇派閥は雑魚と呼べる存在ではないのは確かだった。それだけに、かつては弱者の集団であった闇派閥を精鋭集団に押し上げたセルシャの手腕に、自然と毛が逆立ってしまう。
(これが、テメエの言う『導く』ってやつか、セルシャ――随分立派なもんを作りやがって)
敵の作り上げた組織だ。今、ベートが所属している派閥の裏切り者がトップに立っている組織だ――だが、ベートの友の軌跡、その結晶でもあるのだと思う。
どうしてだろうか。ベートは今、現状の四面楚歌ぶりに舌を巻きつつ、しかし自らをここまで追い込んだ反英雄の青年を誇りに思っていた。
「あん? 何笑ってやがる、テメエ」
怪訝そうにヴァレッタがベートを見やる。自然と浮かんだ笑みをそのままに、ベートは口を開いた。
「気が変わった。暫くは此処に居てやるよ」
「――ああ? 信用できる訳ねえだろ、何が狙いだ」
軽く怒気を放って、ヴァレッタはベートを睨みつける。その眼光は血走っていて、正常性を感じさせない。彼女の味方である闇派閥のメンバーですら、瞠目する気配を隠せなかった。
だが、相対するベートは表情を崩さず、むしろその笑みを深めて見せた。
「……強いて言うなら――」
――
煌びやかな電灯で照らされた繁華街の裏で。闇に閉ざされた路地の真ん中で、傷だらけの狼は尚笑った。
◇
あの夜から、ベートは苛立ちが収まらない。
戦友と再会し、拒絶し、明確に道を違えたあの時から、ひたすらに己の内から湧き出てくる憤怒を蓄積させてきた。
まだ、たった一日だ。まだ、あの夜からたった一日しか経っていない。けれど、ベートは蓋をしていた感情が逆流を起こしているかのように、胸の内にある感情の波を制御できていなかった。
ダンジョンに潜り鬱憤を晴らすように暴れていても、頭にはあの男の姿が常にある。弱者救済を掲げ、あろうことか世界にケンカを売った男の姿を、ベートはいつ何時も忘れたことは無かった。それは、あの夜よりも前からの事だ。
ベートが未だ【灰狼】と呼ばれていた頃。未だ、何者をも守れない無力さを、絶望を、知らなかった頃の話。
悪が時代を制覇し、安寧から程遠かったあの時代に、ベートはセルシャ・ストリクスと出会った。あの時は、セルシャもまだ【ロキ・ファミリア】に所属していた。確か、その時からセルシャはアイズのすぐ傍で、彼女を護衛する守護者のように動いていたのを覚えている。否、アイズだけではない。見知らぬ市民も、他派閥の団員であっても、セルシャは構わず守り続けていた。そんなセルシャの姿を、ベートは覚えている。
そんなセルシャと、ベートが正しく邂逅を果たしたのは、そのきっかけは、何だっただろうか。酒場で偶然隣の席に座った、だとか。通りすがりに肩と肩がぶつかって喧嘩になった、とか。そんな平和的な出会い方であったなら、きっとベートはここまでセルシャに気を割いていなかっただろう。
ベートがセルシャと初めて、真正面から出会ったのは、セルシャが守れなかった市民の傍らで、無表情のまま一滴の雫を瞳から頬に伝わせていたのを目撃した時だった。
セルシャにとっては、不幸な出来事だったと思う。あの事件において、闇派閥の所業はそれだけ残酷な者だった。だが、残酷だけれど、単純だったのだ。だからこそ、セルシャに刺さった。
人質を取って、立て籠もる。闇派閥がやったのはそれだけだった。たったそれだけ。だが、あの時のセルシャにはこれ以上無いくらいの有効打だった。
人質に取られていたのは、罪の無い無辜の市民だった。無辜の少女だった。白装束の闇派閥の構成員に首を絞められ、宙ずりにされて、喉を抑えられたせいか悲鳴を上げられないまま涙だけを流していた。
今のセルシャであれば、その時点で駆け出していただろう。少女が首を絞められ、窒息する前に音速の速さで闇派閥を制圧し、少女を救い出せていただろう。
だが、あの時のセルシャにそれは出来なかった。
当時、セルシャ・ストリクスのレベルは「2」である。そして、事件の犯人である闇派閥の構成員である男もまた、Lv2だった。仮にセルシャが少女を助け出そうと動き出したものなら、男はすぐに少女を絞め殺していただろう。少女の首をへし折っていただろう。だから、セルシャは動けなかったのだ。
そうして、事件を察して救援が現場に辿り着く前に、少女は男によって殺された。そして――闇派閥の男は、セルシャによって惨殺された。
血の匂いを嗅ぎ取って現場に辿り着いたベートが見た時、その男の死体は酷いものだった。四肢が欠損し、身体中が滅多刺しにされて殺されていた。顔の皮は剥ぎ取られ、目玉は両方とも串刺しにされていた。
そんな死体の奥で、セルシャは少女の死体を抱き締めていた。セルシャが流していた涙は、たった一滴だけ。その一滴が、彼にとってどれだけの感情が込められたものだったのか、今ならばベートにも理解できた。そしてきっと、その時のベートにも、薄々と理解できていたのだろう。
後から現れた【ガネーシャ・ファミリア】によって事件の収拾がつけられる中で、死んだような顔で少女の死体を見つめるセルシャが、現場に訪れた少女の親が少女の名前を叫ぶ声を耳にして、より瞳から感情を消していく様を見て、ベートはセルシャを無理矢理路地裏へと引き摺っていった。
あのままセルシャがあの場に居たなら、きっと少女の両親からセルシャは非難されていただろう。何故娘を助けられなかったのかと、そう泣き叫んでいただろう。セルシャに罪は無いことは、少女の両親とて理解できている筈だ。しかし、それでも感情が追い付かない。理屈には理解を示せても、実際の現実に納得できる筈がない。
それが『感情』を持つ人種、というものだからだ。
だが、その非難はセルシャに向けられるべきものじゃない。『感情』の問題は、少なくとも今のセルシャに向けて放たれるべきものじゃない。だから、ベートはあの両親の意識がセルシャへと向けられる前に、セルシャを彼等の前から連れ去った。
『……放してくれ』
力の無い声で呟くセルシャを無視して、ベートは現場から遠く離れた区域の端の通りに、セルシャを連れてきた。そして、望みどおりにセルシャを地面へと放り投げた。
だが、その直後にセルシャ・ストリクスは立ち上がっていた。その姿に、ベートがほんの少しだけ目を見開く。
てっきり、暫くの間は倒れたままで居ると思っていたからだ。立ち上がる気力もなく、諦観を浮かべたまま、地に這いつくばっていると思っていたからだ。
だが、ベートの予想に反してセルシャは立った。その事実に、ベートは口角を吊り上げる。
『根性あるじゃねえか。あれだけの事があって、まだ立ち上がれんのか』
『……』
少しだけ、ほんの少しの僅かな時間だけ、ベートはセルシャを昔の自分に重ねていた。生まれ育った村を
だからこそ、喝を入れるべきだと思った。他ならない自分が、セルシャに喝を入れるべきだと。それこそが、先達として眼前の少年にしてやれる唯一の事だと、ベートが考えたからだ。
だが、そんなベートが何事かを口にする前に、セルシャは踵を返して立ち去ろうとした。咄嗟に、ベートはその背に声をかける。
『どこに行くつもりだ? んな状態で辺りをウロチョロするもんじゃねえ。ポーションぐらいなら、俺の方から貸し出してやるよ』
セルシャの肉体には、致命傷とは言わないまでも多くの負傷が残されている。出血もしていた。冒険者であれば確かに活動に支障のない傷だろうが、それでも負傷は負傷。ましてや、当時のオラリオは暗黒期。何時どこで闇派閥絡みの事件に巻き込まれても不思議ではない時期だった。ベートがセルシャを気にかけるのも、当然の話である。
『……俺は、止まれない』
『何?』
蒼い瞳を向けられて、ベートは息を吞んだ。セルシャの双眸は、大きな業火で燃えていた。輝きが絶えず、歴然と、セルシャ自身の意志はその瞳に表れている。それは、当時から現在まで健在な、セルシャの一つの特徴だった。
『あの両親は、唯一の娘を失った。そして、あの娘を助けられなかったのは、他ならない俺の責任だ。だが、その罪を償える手段は、最早俺にはない――ならば、進まなければならない』
何かに突き動かされている、というよりは、必要に駆られて動いているように見えた。何か、課せられた使命を果たそうとしているように、セルシャは傷だらけの肉体を引き摺って歩こうとしていた。
『一歩でも前に、次は必ず救う為に――そうでなければ、俺は……!』
当時、セルシャ・ストリクスという人間がどういう呼ばれ方をしていたか。ベート自身も小耳に挟んだことがある。
『黒鉄』。それが、『人形姫』の兄であるセルシャに付けられた異名だった。無表情且つ無感情。正確無比に相手を滅し、敵を破壊する殺戮鬼。そんな風に呼ばれていたと、ベートは記憶している。
まるで物語に出てくる悪役のような奴だな、と噂を耳にした時にベートは思った。『黒鉄』という異名もそうだが、何よりそのような“殺戮”を演じることが、よりベートから男の印象を悪化させていた。今はともかく、当時はベートも誰かを守ることに全力を注いでいた頃だったから。
だからこそ、実物を見て思った。
『全くの法螺話じゃねえか』
これが殺戮鬼? と、ベートは鼻を鳴らす。
確かに無表情だし、確かに機械のようにすべきことをただ行う、そんな人物にも見える。だが、眼を見れば分かるはずだ。その、強く硬い意志の込められた瞳を覗けば、理解できる筈なのだ。『黒鉄』だなんて言葉が似合う程、この男が機械染みていないことくらい、見て取れて当然なのだ。むしろベートには、セルシャを『鉄』だと揶揄する街の人間こそ、理解できなかった。
この男は泣いていた。守れなかった命を胸に抱いて、たった一滴の感情を漏らしていた。それが『黒鉄』である筈がない――鉄は、涙など流さないのだから。
『ちょっと待て――これ持ってけ。あっても邪魔にはならねえだろ』
そう言って、ベートはポーションを投げ渡した。セルシャの右手へ吸い込まれるように放物線を描いて着地する。掌に収まったポーションに目を向けてから、直後にセルシャは顔を上げてベートを見た。
『何故、俺に情けを掛ける』
『情けじゃねえ。そんな綺麗な理由を掲げる気は、端から無えよ』
睨むように――否、睨むような雰囲気を無表情のままに醸し出すセルシャに対し、ベートは唇を歪める。
『理由なんざ、お前と同じ――自分の為だ』
『……?』
『分からねえなら良いさ。そのまま、貫き続けろ。その生き方をな』
何を言っているのか、セルシャは理解できていない様子だった。だが、態々補足してやる事もなく、ベートはそのまま去っていく。固まったセルシャの横を通り過ぎて、笑みを浮かべたまま疾走を開始した。
理由は“次”の弱者を救う為に。“次”こそは、間に合う為に。
――一歩でも前に、次は必ず救う為に――そうでなければ、俺は……!
『とんだ偽善だな。俺もお前も』
地を駆けながら、先程の現場へと戻りベートは独り呟いた。被害者であった少女の両親は、その場に居た【ガネーシャ・ファミリア】の団員へと文句を言っていた。何故もっと早く来れなかったのか。どうして娘を助け出してくれなかったのか。内容はあまり聞いていないが、聞かずとも理解できる様相だった。
彼等は涙を流していた。その涙を前にして、彼等の精一杯の強がりを批判することなどできない。悪いのは彼等ではなく、罪なき少女を殺した闇派閥と、この時代なのだから。
『俺らが幾ら足掻こうが、もうあの親に次は
当たり前の、当然の常識。だが、耐え難い事実を、ベートは告げる。
一度亡くなった命が戻ってくることは無い。ベートは、ずっと昔にそれを知っている。そして、先程邂逅したセルシャ・ストリクスもまた、既に知っていた。にも関わらず、二人がこうして未だに前へと進み続けているのは何故か。生き方を変え、生きる道を変えようとしないのは、どうしてなのか。それもまた、この二人はきっと自覚している。
――納得できるか。そんな
『だが、それでも立たなきゃならねえ。立って吠えなきゃならねえんだ。それが、一度失った奴に許される、唯一の生き方だ』
もう二度と、失くさない為に。
続きであるその言葉を、ベートは口にしなかった。口にすれば、自らの『傷』に目を向けることになってしまうからだ。だが、いつかは向き合わなければならない。それを、ベートは知っている。
愚直に前を向き、尚も進み続ける愚か者に、今日出会ったから。それを見て、歓喜に打ち震えた自分が居ることに気づいていたから。
『その生き方を曲げるなよ、セルシャ・ストリクス』
セルシャ・ストリクス。その名前を、ベートはもう忘れない。