暗黒期の残骸   作:花のお皿

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カジノ襲撃事件④

 それから数年後の事だった。否、ベートの体感速度では、そこからの時間は酷く長いように感じられていただけだ。実際にはきっと、僅か数か月後の出来事だっただろう。

 

 ベートは街の路地裏を歩いていた。空は曇り、雨の雫が地面を叩いている。そんな中で、傘もささずに濡れた体毛を気にもせず、ベートはただ歩いていた。

 この時期は、丁度ベートが【ヴィーザル・ファミリア】を抜けて荒れていた頃。まだ【ロキ・ファミリア】にも入団していない頃だった。ベートが、世界に絶望と諦観を抱き始めた頃だった。

 

 幾ら弱者を守ろうとしても、彼等彼女等は自分が居ない所で勝手に死ぬ。幾ら走っても、吠えても、それを無意味だとベートに教え込むように。

 そんな世界に嫌気がさしていた。弱者(雑魚)を全員救うなど、不可能なことに気づいてしまった。

 

――もう、ベートの生き方は変わっていた。

 

 救うのではなく、遠ざける事。そこに注力することが最善だと考えるようになった。危険に挑もうとする者に賞賛を浴びせるのではなく、罵声を飛ばす。それに吠え返せた者こそが冒険する資格を有するのだと、“今”のベートと同じような事をこの頃のベートは考え始めるようになっていた。

 

 そうして路地裏を歩いていると、前方に人が佇んでいることに気づいた。道を封じるように、通せんぼするように立っている一人の男に、ベートは視界に彼の姿を入れることで漸く気が付いたのだ。

 確かに雨で匂いは分かりずらかった。しかし、それでも何故気づかなかったのかと自分でも不思議に思う。

 

 この圧倒的な存在感に、こうして相対するまで何故気づかなかったのだろう、と。

 

『……久しぶりだな、【灰狼】』

 

 男もまた、傘をさしていなかった。水に濡れる姿はベートと同じで、しかしどこか色気を感じさせる儚さがあった。強烈で異質な存在感と、その霧を目の前にしたような儚さが、どうにもベートの認識を混同させる。

 今にして思えば、その曖昧さが、その時期の男の不安定さを露わにしていた。

 

『最近噂の英雄様じゃねえか。尤も、その頭には“反”が付くみてえだがな』

『ああ。こう見えて、その呼ばれ方にも割と参っている』

 

 見えれば分かる――というのは、ベートのみの感想だろう。傍から見て、常に無表情のままに活動する男がそのように思っていることなど、他者には想像すらできない。数か月前の、未だ冒険者であった少年としての彼が纏っていた空気を知っていたベートだからこそ、その頃の少年が少々道に迷っていたことが直感的に察知できた。

 

 歩みを止めたベートに、道を塞いでいた男は近寄り始める。無表情のままに、しかし代わりにと言わんばかりに彼の意思を反映する瞳を向けて。

 

『街で噂を聞いた。最近、一人の狼人が他の冒険者に“ちょっかい”をかけているとな――話を聞く限り、ちょっかい等という可愛らしい表現で済ませていいものか迷ったが、しかし話を聞いてすぐにピンときた。お前の事だとな』

 

 男の見当は既についていた。一人の狼人とは言うが、しかし良くも悪くもベートの容姿は目立つ。後に美男美女が好みなロキにファミリアへと誘われる程なのだから、それはオラリオの全ての住民が知るところだろう。であれば、噂の中に彼の容貌について言及されたものがあっても可笑しくない。男はきっと、それを聞いたのだろう。

 

 だが、ベートもまた眼前に立つ男の――セルシャ・ストリクスについての噂を知っていた。最早事実となった噂を知っていた。

 

 暗黒期の最中、【ロキ・ファミリア】を裏切り、『悪』の側についた最悪の叛逆者。それが、今のセルシャ・ストリクスについた異名だ。

 何故裏切ったのか、どうして『悪』に堕ちたのか。そんなことに興味は無かった。ベートにとって興味があるのは、如何に不安定で悪評を流されていようとも、それでも尚揺らがない強い意志がセルシャの瞳の中で燃え盛っている事だけだった。何故折れずにいられるのか、それが単純に気になった。道を進めど、何も得るものが無いこの世界で、男が未だ道を進んでいる理由が――進もうとしている理由が、知りたかったのだ。

 

『それで? 俺に仕返ししてくれとでも頼まれたのか? 随分とお人好しな『悪』が居たもんだな』

『まさか。例え頼まれても、お前相手に戦おうとは思わない。ただ、そうだな……話をしに来た。単純に、それだけだ』

 

 違う、そうではない。目的が知りたいんじゃない。理由が知りたいのだ。セルシャがこうして、無防備にもベートの前にやってきた、その理由が。

 

『何の為だ? お前のお節介を受ける謂れは、俺にはねえぞ』

あるさ(・・・)

 

 男は変わっていなかった。まるで、ベートの願いを反映したかのように、男はあの日と同じ瞳のままベートを射抜く。

 

『あの日、お前の言葉に俺は救われたんだ。例えお前が覚えていなくとも、俺にはお前から受けた恩がある……先にお節介を焼いたのはそっちなんだ。返される謂れは、充分にあるだろう』

『……詭弁だな。あれは俺の気紛れだ、節介じゃねえ』

『なら、俺のこれも気紛れだ。チンピラに絡まれたとでも認識してくれればいい』

 

 セルシャが引く気配は無い。ベートにもまた、セルシャにここで去られても後味の悪いものが残るだけだった。両者利害の一致、と言えるほど心を通わせた覚えはないが、しかし目的が重なったのは確かである。

 

『お前の言動が何故一変したのか、それについては少し調べた。お前の所属ファミリアは既にオラリオを去った後だったから、それなりに苦労したが、しかし成果はあった――お前と恋仲にあった少女が、少し前に死んでいるな。これが、お前が弱者を見下すようになった理由か』

 

 確信した様子で、セルシャは訊いた。対するベートの表情は変わらない。セルシャ程ではないが、真顔のままに平静を保っている。セルシャとしてはベートの逆鱗に触れる覚悟でした質問であった為か、訝しげに眉を寄せた。

 

『……激昂しないのか』

『うるせえ。サッサと用件を話せ』

 

 怒りが昂る余りに却って頭が冷えている、というような状態でもなかった。ベートは本当に平常だった。感情の幅を上下させることなく、セルシャと言葉を交わしている。その理由は、呆気ない程に納得できるものだ。セルシャを知っている彼だからこそ、辿り着く結論である。

 

『相手から言葉を引き出すやり方は、テメエには似合ってねえよ。直球で訊いてこい』

『……やはり、俺ではフィンのようには出来んか』

 

 何処かがっかりしたように肩を落とすセルシャを、冷えた眼でベートは見ている。

 

 こう言っては何だが、当時のベートにとってセルシャという存在はどうでもいいものだった。心の支えであった少女が死に、所属していた【ファミリア】と別れ、ベートは自分がどう生きればいいのか分からなくなっていた。率直に言って、自分の事で精一杯だったのだ。正確には、自分の事に精一杯になるべきであったのに、どうしても他者の存在が視界から消えない己の心情から、ベートはずっと目を逸らしていた。そんな時期だったのだ。だからこそ、ベートは久しく見ていなかった、それも“悪”へと立場を変えた男に対して過去のような共感(シンパシー)を感じることは無かった。

 

 かつて出会った姿とは違う様相の狼人にもう一度目を向けて、セルシャは少し緩くなってしまった空気を引き締めるようにコホンと息をついてから、

 

『――俺()を手伝ってくれないか?』

 

 そう、勧誘した。

 

『……頭イカレてんのか、テメエ』

『どちらかと言えば、俺よりもこのオラリオの方が余程イカレている。俺は、それに気づいただけだ』

『周りがイカレてて、テメエ自身だけが正常だと? ハッ、異常者の言い分だな』

『そうだな。だが、俺はお前もこちら側の人間だと思っている』

『……あ?』

 

 心外だと、ナイフの如き眼光を殺気と共に向ける。だが、睨まれたセルシャは何ら動揺する事無く、むしろ安堵するような様子さえ見せていた。

 

『見捨てられないのだろう? 彼等彼女等が』

 

 ピクリ、とベートの眉が動く。感情のブレた証、だがベートはそれを表面に出すことはしなかった。今までならば、怒鳴り散らしていても不思議ではない、むしろそれが正常の反応だろうと思える、不躾なその断言を聞いても、ベートは平静を崩さない。その様は、いっそのこと無気力さすら感じさせた。

 そこに対して、セルシャが言及することは無い。ベートに興味が無い訳ではない。むしろ、興味があったからこそ、関心を寄せていたからこそ、こうして彼もベートに顔を見せたのだろう。悪の頭領で在りながら、犯罪者となりながら、それでも無防備に顔を晒しているのだろう。ベートと真正面から向き合う為に。

 

『俺も同じさ。俺も、彼等を助けたい。守りたいんだ――お前も、そうなんだろう?』

『……違う。あんな雑魚共に興味なんかねえ。俺は、彼奴等が強い奴の足を引っ張りやがるのが我慢ならねえだけだ――足手纏いが気に入らねえだけだ』

 

 仮面でも被っているようだった。表情を変えないまま、セルシャの問いに淡々と答えるベートの様子は、今の彼が別人なのではないかと疑ってしまいたくなるほどに感情が感じられなかった。かつての【灰狼】から感じられたあの生命力が、失われていた。

 だが、セルシャはそれを認めない――己を救ってくれた【灰狼】が死ぬなど、納得できない(・・・・・・)から。

 

違うな(・・・)。それはお前の本心じゃない』

『ふざけんな、俺の本心は俺が決める。テメエ如きが査定するもんじゃねえ』

『だが、事実だ』

 

 堂々巡りが目に見えていた。これ以上ベートが誤魔化そうとしても、目の前の頑固者はそれを認めようとはしない。そんな未来が見えていた。

 

――限界だった。

 

『ッ……! テメエに何が分かるってんだ、ああ!?』

 

 感情が決壊する。波を押しとどめていたダムが、崩壊した。

 セルシャの胸倉を掴み、修羅の如き形相で彼の顔面を睨みつける。 

 

『二度目だ、これで二度目なんだよ! 俺の手から命が零れるのは!!』

 

 一度目は、生まれ育った故郷の村で。

 二度目は、漸く見つけた新たな居場所で。

 

 誓った約束は果たせずに、守りたかったものは奪われて、結局つまらない悲劇を演じることしかベートにはできなかった。喜劇の道化にすら、ベート・ローガは成れなかった。

 

『守るって誓ったのに守れなかった! 導くと決めたのに途中でくたばりやがった! 何だそりゃ、ふざけんじゃねえ!!』

 

 未だ変わり始めたばかりの、未熟な凶狼(・・)。そんな彼が暴れる様は、嘲笑の牙を振るう様は、きっと憐れだった。だからセルシャはこうしてベートの前に姿を現したのだろう。

 

――泣いている誰かを救う為に。

 

 それが、何故かベートは気に食わなかった。自分を救われる側の弱者だと、そう認識されたから。そんな理由もあるだろうけれど、それだけではない気がした。

 

『目障りなんだよ、何時もいつも泣き喚きやがって! 毎度毎度、簡単に野垂れ死にやがって!』

 

 分からない。分からないまま、ベートは叫び続けた。

 

『もう目の前で雑魚が死ぬのは、御免なんだ!!』

 

 そうして、そのまま叫び続けようとしたベートの腕を、胸倉を掴んでいるベートの腕をセルシャは掴んだ。同時に、ベートの慟哭が止まる。その蒼い瞳に、熱せられた鉄の輝きを灯してセルシャは言葉を紡いだ。

 

『任せろ』

 

 英雄は、告げた。

 

『俺がもう、誰も哭かせない』

 

 ◇

 

 ベート・ローガは悩んだ。ひたすらに、一途な程に葛藤した。否、葛藤する振りをしていた。

 正直に言って、ベートはセルシャ・ストリクスに傾倒した。否、賛同したと言ってもいい。それほどに、セルシャの在り方はベートの絶望を払ってくれるものだった。どん底に居たベートを、照らしてくれる位置にセルシャは立っていたのだ。

 かつての日とは状況が逆転し、今度はベートがセルシャに救われた。因果なものだと、柄にもなく苦笑したのが記憶に新しい。

 

 ベートは翌日、酒場で独り酒を煽っていた。一度だけ、自分を見失いたかったのだ。何もかもを喪失した己の状況を忘れて、鬱憤を晴らした上でもう一度セルシャと向かい合いたかった。今度は凶狼(・・)としてではなく、ただの孤狼なベート・ローガとして話をしたかった。もしかしたら――友、と。彼をそう呼びたかったのかもしれない。

 そんな時だった。

 

『――あ?』

 

 酒場が突然どよめいた。酒場では喧嘩など日常茶飯事。故に、冒険者が集まる酒場が喧騒に溢れ、常に騒がしいことはベートとて身に染みている。だが、今回のそれはベートの経験してきた喧騒とは違う、まるで有名人を目の前にした民衆が上げる、驚愕のようだった。だから、ベートは首を傾げて酒場の入り口を振り返った。

 

 【ロキ・ファミリア】

 

 彼等はそこに居た。華々しい活躍と偉業を成し遂げて、今日まであらゆる名声と喝采を己がままとした成功者。その集まり。少なくとも、ベートは彼等彼女等をそう認識していた。

 嫉妬などない。僅かな羨望はあるけれど、しかしそれだけだ。それ以外の関心などない――セルシャ・ストリクスの元所属先であるという、それ以外の関心を向けたことは無い。

 

 彼等彼女等は、おそらく何らかの労い――打ち上げに来たのだろう。ダンジョンの到達階層記録でも更新したのか、それとも単なる遠征祝いか。だが、ベートにとってそれ(・・)はどうでも良かった。【ロキ・ファミリア】が今此処に居る理由に、ベートの関心は無い。孤狼はただひたすらに、獲物を見定める獣のように【ロキ・ファミリア】の団員達を見つめていた。

 

(……俺より強えのは、合わせて10人も居ねえ。だが、明らかに桁違いの奴が3人居やがる――アレが、噂の三首領か)

 

 成程、セルシャが手こずる筈だと、嘆息を吐く。

 【ロキ・ファミリア】の最古参メンバーである三首領――フィン・ディムナ、ガレス・ランドロック、そしてリヴェリア・リヨス・アールヴ。三名の実力は、ベートが肌で感じ取れる貫禄と、彼自身の眼が測った実力だけでも相応のものがあった。暗黒期を終わらせた英雄達と、そう持て囃されるのも無理はない。そう、素直に納得できた。

 

 だからこそ、気に入らない。

 強さや名声を手にしていながら、たった一人の男を見限ったこの連中が。

 たった一人、ただ弱き者の救いを願った男を英雄候補でありながら裏切らせた(・・・・・)この連中が、ベートには酷く冷淡に見えたのだ。

 

 理想では何も叶わない。そんなことは、ベート自身が身を以て知っている。

 けれど、何度理想を折られようと、何度現実に裏切られようと、決して折れぬ事が無い。そう断言できる精神を持った男の存在を知っている。

 そんな男の往く先を、ベートは見届けたいと思った。

 

 現実主義者(リアリスト)を疎む訳ではない。だが、ベートは思うのだ。

 英雄とは、理想を貫き通した者をこそ指す言葉ではないのか。理想を抱き、茨の道を裸足で駆ける――そんな愚者こそが、英雄なのだと、そう思った。

 

 そう思いたかった。

 

 ガタリ、と音を立てて腰を上げる。祝いの言葉を口にする糸目の神を中心に、【ロキ・ファミリア】は騒ぎ、笑い、酒を煽る。その様を、席から立ったままベートは見つめた。

 

『――気に入らねえ雑魚が混じってやがる』

 

 そうして、いつもの凶狼の笑みを浮かべて、ベートは足先を彼等へ向けた。

 友を見捨てた英雄候補共に、せめて一矢報いてやる為に。

 

 ◇

 

 そして、今。

 ベート・ローガは【ロキ・ファミリア】として、セルシャの部下であるヴァレッタと相対していた。鮮血で染まる彼女の傍には、付き従うように白装束の集団が控えている。ベートの眼から見ても、決して弱者とは呼べない集団だった。

 

「……何でこうなっちまったんだ」

 

 本当に、訳が分からなかった。

 あの時、あの瞬間に、ベートは反英雄(セルシャ)に付くと決めたはずだ。にも関わらず、ベートは今彼の部下達と敵対している。

 その心に、未だ迷いを抱えたまま。

 

「……アンタの気分が測れねえが、まぁ良いだろう。それじゃあ暫くの間は此処に居てもらうぜ、【凶狼(ヴァナルガンド)】」

 

 ベートを睨んでいた顰めっ面は凄惨な笑みに変わり、ヴァレッタは言った。彼女の足元には先程殺された貴族の遺体が転がっている。そして、今新たに一人人質のような形で女性が連れてこられた。溢れ出た涙を頬に伝わせてベートを見ている。髪を引っ張られ、苦痛に耐えるように歯を食いしばっていた。

 

「分かるな? コイツは人質だ。お前がそこから一歩でも動いた瞬間、コイツの首を跳ね飛ばす」

「…………」

 

 人質の女性の首筋にヴァレッタの大剣、その刃が添えられる。ピタリと肌に刃が当てられ、女性は恐怖で顔を青くしていた。その表情を見て、益々ヴァレッタの笑みが深くなる。

 恍惚とした笑みを隠そうともしないヴァレッタから目を逸らし、ベートは再び裏路地に転がる被害者達を観察した。

 獣人特有の嗅覚と、長年に渡り鍛えられた冒険者の洞察眼が、その違和感を掴んでいた。

 

 被害者は全員が全員、酷く豪勢な装飾の付いた服を着ていた。上流階級の交流会、その帰りに野盗からの襲撃を受けたような、この場面だけを切り取ればそう判断されても可笑しくない有様だった。

 実際、彼等彼女等は正しく上流階級なのだろう。ベートとて、オラリオの誇る第一級冒険者の一人。貴族の護衛や、それこそパーティとやらにも招待されたことがある。大体次回は無いのだが、しかし【凶狼(ヴァナルガンド)】に冒険依頼(クエスト)を指名する方とて酔狂だ。ギルドに文句を言うまではあっても、正式な非難や直訴がある事は無い。まぁ、【ロキ・ファミリア】に喧嘩を売りたくないのもあるのだろうが。

 

 だからこそ、ベートには分かる。感じ取れる。そのような上流階級(ボンボン)特有の傲慢さや鼻につく甘さが、自らの眼で識別できる。

 故に、ベートはこの場に居る被害者全員が、そのボンボンの集まりだと認識できた。彼等彼女等が、おそらく【ロキ・ファミリア】の占拠によってカジノを追い出された、賭博者(ギャンブラー)であることも。

 

「此奴等の事、気になんのか?」

 

 ベートの視線に気づいたヴァレッタが、悦に浸って口を開く。己が【ロキ・ファミリア】幹部相手に優勢な状況に立っている、その悦に浸って。

 

「テメエならとっくに気づいてんだろ? 此奴等は一般市民じゃねえ。所謂“お偉いさん”ってやつさ」

「…………」

「そんでもって、セルシャの『粛清』対象の奴等さ――その意味が分からねえお前じゃねえだろ?」

 

 沈黙を貫くベートは、ヴァレッタのその発言の後、暫し瞑目してから、

 

「……そうかよ」

「へぇ、動揺しねえな」

「別に驚く事じゃねえ――そいつ等の手にも、別の血の匂いが混じってやがる。ただそれだけだ」

 

 セルシャ・ストリクスが『粛清』対象だと認識する事。それは、対象が紛れもない邪悪であることを示唆する最上の印である。即ち、セルシャ・ストリクスが手を下すのは相手が真っ当な『悪』にのみ限られる、という事だ。

 であれば、今ベートの目の前で助けを求める弱者は――弱者を嬲る下種であったということだ。

 

 嘆息を漏らすベートの前で、ヴァレッタが女の髪を掴み、持ち上げる。ベートに顔が見えるように、ご丁寧に前髪を掴んでいた。

 女の瞳には涙が浮かんでいた。恐怖で発声ができていないようだった。その姿は狩人に狩られる寸前の兎のようで、事情を知らなければ今ベートの足は迷わずに地を蹴っていたのだろうと、そう思わされる。

 だが、もうベートは知った。故に、その足は動かない。

 あの時のセルシャよりも、遥かに敏捷性に長けたその両脚は動かない。目の前の人質が、助ける価値のない屑だと分かったから。

 

「懐かしいぜ。丁度、あのクソ生意気な密猟者(ハンター)がまだ怪物狩りをやってた頃だ。彼奴の“商品”が、此奴等にえらくうけてなぁ。お得意さんだったらしいぜ?」

「……お得意さんにしちゃあ、随分乱暴な扱いをしやがる」

「ったりめえだ。だった(・・・)っつったろ。あの馬鹿(セルシャ)が此奴等を許す訳がねえ」

 

 ヴァレッタの言う“商品”という言葉がどのような意味を示すのか、ベートには分からない。理解できるのは、それがおそらく、セルシャにとってはどうしようもなく胸糞の悪い現実だったのだろう、ということ。

 だが、先程のヴァレッタの言った密猟者や怪物狩りという単語からして、“商品”とは怪物(モンスター)の事を指すのかもしれない。しかし、そうなると不可解なのはセルシャの方だ。

 

 如何に悪に堕ちたとはいえ、セルシャ・ストリクスは元冒険者。怪物の怖さや恐ろしさを過分にして知っている筈だ。にも関わらず、怪物趣味の貴族を薄気味悪く思う事こそすれ、彼等彼女等を憎悪する理由も道理も存在する筈がない。

 だというのに、どうしてセルシャは彼等を『粛清』対象に入れたのか。

 

「――っと、喋り過ぎちまったな。とにかく、テメエはそこを動くんじゃねえぞ。それさえ守ってくれりゃあ、まぁ此奴等は見逃してやってもいい」

 

 シリアルキラーを体現したかのような、そんな女が吐くような台詞とは思えなかった。

 間違いなく、今のヴァレッタは己の趣味趣向、欲望よりも、ただひたすらにセルシャに対しての忠誠を示しているように見える。否、もしかすれば、彼女のこの言動すらも策の内なのかもしれない。

 

 けれど、彼女の魂胆を話術で曝け出す自信は、ベートには無かった。例えあったとしても、きっとしなかっただろう。

 

「……一つ、聞いてもいいか」

「あ? テメエ、話聞いてたのか? 今お前は我儘が許される状況には居ねえんだよ。黙って突っ立ってろ」

 

 ベートの要求を無碍に一蹴し、ヴァレッタは鼻を鳴らす。彼女の関心は、既に舞台の中心である賭博場――『エルドラド・リゾート』へと向けられていた。

 遠目から確認した限りでは、我らが団長は単身で【ロキ・ファミリア】の眼前に姿を現し、たった一人で囮を引き受けているようだった。大胆というよりも、最早単純明快過ぎる行動だ。アレではフィンどころか、他の木っ端団員にだって彼の思惑は察知されていることだろう。

 だがそれでも、セルシャ・ストリクスという反英雄をフィンが無視することはできない。セルシャを野放しにしておけば、果たしてどのような波紋を彼が起こすのか、想像もつかないからだ。

 セルシャという人間は、幾度も神の予想を超えてきた。我らの期待を上回ってきた。故に、闇派閥は皆彼を信じる。その信頼が、きっとこの襲撃を成功へと導くだろう。

 

 散り散りに賭博場周辺を調査していた【ロキ・ファミリア】がフィンの下へ集合できないよう、停滞していた闇派閥は既に動き出していた。

 ヴァレッタがベート・ローガをこの裏路地へ誘導してきたように。ヒリュテ姉妹はディックスの部隊が、【剣姫】はヴィトーが相手をするだろう。

 若手幹部の手は封じた。【ロキ・ファミリア】の戦力が全てセルシャに向けられることはない。だが、それでも相手には例の三首領が揃っている。

 

――勝率は、五分五分。

 

 それが、ヴァレッタの引き出した結論。暗黒期を終わらせた英雄の派閥を相手に、しかし“今”の闇派閥であれば対等に渡り合えるとヴァレッタは判断した。

 その参謀の横顔を、ベートは見つめている。

 

「……テメエは、どう思う」

「……おいおいおい、余り私が気の長いタイプだと思ってんじゃねえぞ? どういうつもりか知らねえが、今私の手に人質が居るってことを――」

「なら殺しちまえばいいじゃねえか」

 

 時が止まったかと誤認するかのように、突然ヴァレッタの動きが止まる。苛立ちに満ちていた表情は鳴りを潜め、怪訝に眉を顰めている。

 そんな闇派閥参謀の動揺に、孤狼は僅かに口元を歪めた。

 

「セルシャが、その連中を『悪』だと断じた――なら、ソイツ等は漏れなく屑なんだろうよ。死んじまっても問題ねえだろ」

「……正気かよ」

 

 思わず、といった風に殺帝と呼ばれし女は呟く。

 生来の狂気を持ち合わせて今日まで生きてきた女から見ても、今のベートの発言には正気の色が見えなかった。だが、それにしてはベートの声色や口調に変化が無さすぎる。

 故に、問うまでもなく分かった。ベート・ローガは正気で、正常だ。それを状況と彼自身の態度が示している。

 

 ヴァレッタの探るような視線を一身に受けながら、ベートは続けて質問する。

 

「それで、どう思うんだ。テメエは」

「ちっ、文脈ってもんを知らねえのか。言葉足らずはうちの反英雄様だけで十分だぜ」

「ハッ、それもそうだな」

 

 ベートはどこまでも穏やかだった。話に聞いていた狂犬のような様相と、今の彼の言動がまるで一致しない。その事実に、ヴァレッタは人知れず困惑する。

 前情報が間違っていた、とは到底思えなかった。何故なら、ベート・ローガの人相を、人となりを闇派閥へと持ち込んでいたのは、他ならないセルシャだったからだ。実際、ヴァレッタとてこれまでに一度もベートを見かけたことが無い、という訳ではなかった。ベートが【ロキ・ファミリア】という事もあって、闇派閥としての活動中に遭遇することは幾度もあった。その度に、彼に対して凶暴な印象を受けたのもまた、事実だ。

 

 故にこそ、ヴァレッタは動揺する。ベートの性格がここ数日の間に変化したのか、それともこれまでの彼の性格自体が演技の一端だったのか。どちらにしろ、ベートの予想外の静けさに、彼女の話術による誘導は少々やり辛くなったと言えるだろう。

 だが、そんなヴァレッタの懸念は露程も汲むことは無く、ベートは改めて言葉を付け足した。

 

「セルシャの事だ――彼奴はどうして、たった一人でフィン達の前に立ち塞がったと思う。どうして【ロキ・ファミリア】を裏切って、テメエ等側に付いたのか。それをお前らがどう考えてるのか、知りたい」

「……!」

 

 ベートの表情は真剣だった。嘲りの色は欠片もなく、冗談を言ってる訳でもない。

 彼は、本気で闇派閥に――否、セルシャ率いる闇派閥(・・・・・・・・・・)に関心を寄せている。一体何時からなのか、ヴァレッタには気づけなかったが、おそらくセルシャは気づいていたのだろう。でなければ、獣人の感覚器官と第一級の能力値を持ち合わせた【凶狼】という生粋の暗殺者を野放しにしておいている筈がない。

 今もまだ、ベートが息をして此処に居る事。それが、セルシャがベートの存在を容認している何よりの証だ。それはつまり、ヴァレッタはベートを雑に扱うことができなくなった、という訳で。

 

「……何でそんなことを知りたがる。テメエにとっては、彼奴は敵の筈だろ」

「敵じゃねえさ」

 

 ベート・ローガは断言した。

 

「セルシャ・ストリクスは、()じゃねえ――俺と彼奴は、(ダチ)なんだ」

 

 セルシャ・ストリクスは、ベートを友と呼んだ。幾らベートに鬱陶しがられようと、その姿勢は変わらない。故に絆された、という事でもないのだろう。

 セルシャから友だと呼ばれるずっと前から、ベートは彼を友人の一人だと思っていた。ただそれだけの事だ。

 同じ志を持ち、けれど道を違えた二人。それを友と呼ばずして、何と呼ぶのか。例え異なる道を歩んでいても、その信念が変わっていないのなら、関係性だって変わらない。変わったのは、立場だけだ。

 

「俺は、彼奴の(ダチ)だ。(ダチ)ならよ、背負うべきもんは一緒に背負ってやらねえとな」

 

 セルシャは言った。もう、誰も哭かせないと。

 本当であれば、それはベートが言わなければならない事だ。他ならないベートが、絶望を乗り越えてしなければならない決意だった。関係のないセルシャが背負うべきものじゃない。

 けれど、セルシャは何も躊躇わなかった。それが当然の事であるように、ベートの悲願を受け継いだ。

 

 であれば、ベートとて彼の為に立ち上がろう。立って、吼えて見せよう。あの時振り払った手を、今日こそはきっと掴んで見せよう。

 その決意が、やっと固まったところだった。

 

「……成程。この前セルシャが会ってたのは、テメエか――クッソ、そういうのはちゃんと言っとけっての、あの馬鹿っ」

 

 ベートがここまでセルシャに情を感じているのなら、もう少しやりようはあった。今回の作戦だって、もっと有利に事を進められたに違いない。【ロキ・ファミリア】内部の情報が知れれば、取れる選択肢が無数に増える。より成功率の高い手段を選べたのも確かだ。

 

 だが、それをセルシャは許しはしないだろう。これも、ヴァレッタの直観だった。

 裏切りを強要するような真似は、セルシャは絶対にしない。それは確実に言い切れる事実だ。だから、ベートの方から差し出された手を掴むまでは、セルシャが積極的にベートを勧誘することは無いだろう。そこについて異論はないし、ましてや不満だってない。それはヴァレッタ以外の闇派閥の皆も同意見だ。

 かといって、常に受け身の姿勢なのはどうしたものか、ともヴァレッタは思う。現状の闇派閥を鑑みて、それでも尚在り方を変えないセルシャ・ストリクスは、しかし闇派閥の光として、大黒柱として機能している。それは確かだが、できるの事ならもう少し器用に動き回ってほしいものだ。

 

「……テメエが彼奴の客だって言うんなら、仕方ねえ。話してやる――だが、流石にただってわけにはいかねえ」

「当然だな」

 

 セルシャ・ストリクスの友。口ではそう言いつつも、ベートの所属は【ロキ・ファミリア】だ。それにヴァレッタとしてもベートと面と向かって会話をするのは今回は初めてだった。立場上の面でも、これまでの関係性の面でも、ヴァレッタからベートに対する信用は欠片もない。

 

 それを理解しているからこそ、ベートも鷹揚に頷いた。

 

「で、テメエは俺に何をやらせりゃあ信用できんだ?」

 

 ヴァレッタ・グレーデという女は、生来の気質によって生まれながらの『悪』とされた、正に純粋悪とも呼べる存在だ。そんな存在が信用できるものは、信念や決意などといった生易しいものではない。

 欠陥を抱えて生まれ、人間性故か居場所は闇の中にしかなく、それでもそんな自分を受け入れて彼女は今日まで生きてきた。信頼できる友など居なかった、居心地のいい居場所など無かった。彼女が唯一生き甲斐として挙げられるのは、人を殺したことで得られる快楽と、その無限とも言える殺人への欲望だけだ。それ以外に、彼女が生きる理由は無い。

 

――否、無かった。

 

 一人、男が現れた。一般的な“普通”から外れるどころか、その“普通”を害する彼女を見て、依然として平静と正常を崩さない、頭の可笑しい男がいつの間にかふらりと現れた。

 人を殺す彼女を見て、怯えない。悦楽に浸る彼女を見て、離れない。何より男は、欠陥品として生まれたヴァレッタを、憐れまなかった。

 いつしか男はヴァレッタの隣で、闇派閥を率いる立場になっていた。闇派閥で唯一、彼女と対等に話せるところに至っていた。

 

 そんな男と居る時間は、悪くなかった。男の背中に毒されて、何時しか彼がどこまで進んでいくのかが気になった。何より彼の進む道の先に、さらなる血の匂いが感じ取れて、忽ちヴァレッタを魅了した。

 道を切り開き、仲間を得て、男は先へと進んでいく。その隣はヴァレッタのものだ。歩む男の隣の席は、他ならないヴァレッタのものだと彼女自身が決めた。それを害するものは、誰が相手だろうと許さない。

 

 彼女は、信念なんて信じない。彼女が信じるのは、信念を超えるほどの執念と、極められた殺意のみ。即ち、

 

「今、この場に居る屑共全員を、私らの前で皆殺しにして見せろ。そうしたら話してやってもいい」

 

 人質となっていた女性の首に添えられていた刃が、ほんの数センチ位置がズレる。すると、女性の首筋には赤い線が切り込まれ、その血流は静かに地に垂れた。

 壊れたように、女性は叫び声を上げる。喉が潰れる程の声量で、掠れた声で助けを求める女性に、ベートは静かに歩み寄る。

 

「……一つ、聞くぜ」

 

 灰色の毛並みが風に吹かれて靡いている。狼人の眼光は、罪人を裁く断罪者のように鋭く細められた。

 

「テメエは、人を殺したことがあるか?」

 

 その問いは、ヴァレッタに向けられたものではない。その問いは、ベートの視線が向けられた下方向、ヴァレッタの足の下に敷かれた、泣き喚く女性に向けられたものだ。

 女性は喚いた。人殺しなど今までしたことなど無いと。悪事など、今まで生きてきてしたことも無いと。助けてくれたら【ロキ・ファミリア】への資金援助を約束する、それどころかベート個人に土地だって分け与えると、そう言って懇願していた。「助けて」と。

 

 そう叫び、ベートへと手を伸ばす女性の手からは、どうしようもない『鉄』の匂いがした。

 

「……ハッ」

 

 狼人は、もう迷わなかった。

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