UMA MUSUME He who rises again and again 作:ミエル
コンコンと扉が叩かれる。
「お待たせいたしましたトレーナーさん。…あら、この香りは、何をなされておいでで?」
ここはトレーナー室。トレーナーには寮の自室とは別に仕事場としてトレーナー室があてがわれる。しかしチーム用の個室とは異なりそこまでの広さはない。ただ作業スペースとしては申し分なく、事務机、資料棚、ホワイトボードなどあらかじめ手配されている。ここで飲食をすることも可能で調理スペースも用意されている。
メジロマックイーンからは不炉夢トレーナーが背中を向け作業している為、彼が何をしているのか直接見ることができない角度にある。
「不炉夢家製の人参スープが、丁度できあがったところなんだ。そうだ、貴女、共に食事はどうだ。他にいくつか試作品を作ったので意見を聞いておきたい」
机には不炉夢トレーナーの物と思われる弁当が置かれており、その対面の椅子に腰かける。机の上にはクッキーやビスケット、オレンジ色のゼリー等が置かれている。形も様々で、それは素人ではなく職人が家庭で振る舞う調理のようにも感じられる。
「まぁ、トレーナーさんというのは多才なのですね。ありがたく頂戴いたします。…しかし何故に料理を?」
メジロマックイーンの疑問もその通りで基本的に食事の制限こそあれど食堂にてある程度の調整することができる。だからこそ不炉夢トレーナーの行動に自然と疑問に思ってしまっていた。
「いやなに、食事の見直しは行ったがトレーニング中にもカロリーを効率よく摂取できた方が良い。その為にまずは飲み物、携帯できる軽食を考案しているところだ。まずは貴女の好みを識っておかなければならないからね」
置かれた食べ物の一つにメジロマックイーンの目が留まる。それは小さいながらも彩られたパフェであった。
「っこれは、まさかこちらのスイーツもいただいてもよろしいんですの?!」
「ああ、何も問題はない。これはカロリーは抑えたものになっている。ただ貴女がこれ以外にも求めるとしたら話は別だがね。申し訳ないが、食堂の物は抑え甘露はこちらで済ましてほしい。厳しい思いをさせてすまないが納得してほし…」
「ッありがとうございます!ありがとうございます!!何でも食べますわ」
□
メジロマックイーンは歓喜していた。
まさか通常の食事と別にスイーツが食べられるとは。献立の見直し、トレーナーさんには感謝しきれないです。他の料理もすべて美味しく甘さも抑えられカロリー摂取にはぴったりのものでしたね。あれでしたらいくらでも食べられそうです。
メジロマックイーンからの感想を聞き、不炉夢トレーナーは食事メニューをノートに書き込む。細かなカロリー計算や摂取量。予測としてトレーニング量に対しての基礎代謝量と筋肉量。今後のデータをもとに運動量を変えるため、トレーニングが始まれば徐々に書き加えられるであろう。
ある程度まとめたところで時間を確認しメジロマックイーンに告げる。
「さて、そろそろトレーニングに行くとしようか、私の貴女」
…は?……っわ、わたしのあなた?!
「と、トレーナーさん!そ、そんないきなり申されても…。確かに共に歩むとはいいましたがこういったことには順序というものが……」
「…?そうか、すまなかった。先ずは着替えが先だな。後ほど準備が終わったらグラウンドに来てほしい」
「そ、そうではなくてですね。私の呼び名のことです。名前ではなく私の、貴女と。その、少し、何と言いますか……その、えっと、あの…ですね」
……トレーナーさんの顔を見ると胸が熱くなってしまいます。
「…申し訳ない、女性の名前を呼ぶのに慣れていなくてな。不快にさせてしまったのなら謝らせてほしい」
「いえ!嫌ではありません。ですが私のトレーナーさんなのですから、その、もう少し砕けた近い距離でお願いします」
どうしてこういう時だけ鈍感なのですか。
「…分かったよ、マックイーン。これでどうかな」
名前を呼ばれた瞬間雷に打たれたかのような衝撃が走る。昨日名前を呼ばれた時とは違う心地の良い音色。
「ッん、はい!できれば今後もそのようにお願いします」
………
……
着替えを終えてグラウンドへと足を運ぶ。不炉夢トレーナーはクーラーボックスを地面に置き、ストップウォッチとノートを手にしていた。
「お待たせいたしました」
軽いストレッチ、蹄鉄の確認を終えトレーニング内容を聞く。
「まずはマックイーンの走り、輝きを見せてほしい。昨日は離れた場所で見ていた事と、トレーニングの途中からだったからね、万全の状態を識っておきたい」
「分かりましたわ、メジロ家の名にかけて不甲斐ない走りは見せません」
言い渡された距離は1800m。
得意な距離です、いつも通り、まずは私の力をトレーナーさんに示して見せましょう。
脚質は先行、開始の合図を受け踏み込み駆ける。風を切り直線を走る。重心を移動させながら減速しないままコーナーを進む。デビュー前のウマ娘としては遜色のない走りとしている。危なげなくゴールを決め一息つく。見計らったように不炉夢トレーナーが近づく。
「素晴らしい走りだったよ、マックイーン」
誇らしげな笑みを浮かべ私に告げる。タオルを受け取りトレーナーさんの手にもつストップウォッチを見る。タイムとしては悪くは無いのでしょうが、特別早いとも言えませんね。それでもトレーナーさんは素晴らしいと言ってくれるのですね。もっと精進しなくては。
「少し、脚を見せてもらってもいいかな」
走り終えた脚の疲労状態を確認するため、メジロマックイーンに了承の確認を行う。
「え、はい!……こういったことは見るだけで分かるものなのですか」
「トレーナーとはそういうものだよ。私の場合は経験からだ。どこが痛いのか、どれほど痛むのか…なかなかに喋らないので、まぁ割と苦労したことがある。ただ直接触れたほうが細かいところまで気づけることもあるが…」
そう言って不炉夢トレーナーはメジロマックイーンの前でかがむと遠慮がちに脚の様子を見る。
……そうなのですね。少し気恥ずかしいですが、トレーナーさんにでしたら。
「私は大丈夫です。だから、どうか私に触れてください」
言ってしまいましたわ!
「…分かった。それでは失礼する」
トレーナーさんの手が私の脚に触れる。私の体温が上がっているのか少し冷たく感じる。なぞるような指の動きに思わず小さな声が漏れてしまう。意識を集中させる為に視線を向けるとその表情は真剣そのもの。
熱量、筋肉の収縮。細かな動きをその瞳で確認する。脚というものは存外に脆く、自身でも気づけないような罠がある。その為トレーナーとしての技量、知識が求められる。
「問題ない、これなら大丈夫だ。感謝するマックイーン」
「っいえ、こちらこそありがとうございます。これで安全にトレーニングに行うことができます」
トレーナーさん、顔色一つ変えませんでした。いえ、正確には何もなかったことに対しての安堵の表情。ただ私の心にはもやもやとした感情が残る。
…まだ学生とは言え乙女の脚に触れたのだから、こう何か……って私は何を考えているのですか、トレーナーさんの厚意に対して申し訳ないです。
「いくつか課題点はあるが、まずは優先すべきは体力だろう」
「体力ですか。私てっきりスピードを伸ばしていくのかと思っていました」
トレーナーさんがまず指摘したのはスタミナ面。
それも重要だが、と続けて話す。
「幾ら速度が育っていても持久力がなければその速度を保つこともできない。レースの距離が長くなるほど重要になってくる。マックイーンが目指す道なら尚更のこと」
ただ今日はこのまま進めようか、と言葉を続ける。一日でトレーニング内容の変更を行ったとしても上手く身に付かないのだと言う。
確かにおっしゃる通りですわ。スピードを保てなければ一時的な優位に過ぎません。逆に失速してしまう可能性すらあります。体力には自信がありましたが今以上に、ということですわね。
「分かりました。もう一走り行っていきます。トレーナーさん、計測の準備をお願いします」
………
……
「今日はここまでとしよう。疲れも見える。私はこの後、今日一日のデータをまとめる。だからマックイーンも、もう休んだ方がいい」
「すいません、トレーナーさん。あと一回だけ走らせてほしいです。わがままであることは承知しておりますが、どうかお願いします」
「…分かった、ただ無理は禁物だ。……さっそくこれの出番だな」
「これは…」
不炉夢トレーナーが持ってきていたクーラーボックス。蓋を開けて中身を見せる、そこにはオレンジ色をしたプリンが皿に置かれていた。
「飲料とは別に飲み込みやすい物も用意していたんだ。先程の軽食が問題なかったのであればきっと気に入ってもらえるはずだ」
潤いと張りのあるプリンに夕日が透き通るように煌めく。その見た目から自然と喉を鳴らしてしまう。
あのパフェは、とても美味しかったです。このプリンも、きっと、とても美味しいのでしょう。
スプーンで掬って口に入れる。感じたのは舌で溶けるまろやかな味わい。人参の風味に遅れてやってくる柚子の酸味が頭をすっきりとさせた。ああ、とっても、
「美味しいですわ!」
メジロマックイーンのやる気が上がった。そして最後の走りも問題なく終えた。
□
時は放課後。
巫女のために用意したすべての菓子。
初日のトレーニングを終えた彼女、その食指はいまだに食欲衰えず、その内にも燃え広がっていた。
用意した甘味が、終わるのか…。
「適量、低カロリー、美味しかったですわ!」
名優、メジロマックイーン
型破りの食事であった。
………
……
ああ!菓子が!菓子が!
2日分の目安で用意したおやつがすべて消えてしまった。マックイーンどれだけ食べるんだ!トレーニング前後ともあんなに食べて、…あんな嬉しそうな顔して食べられたら何も言えないぞちくしょう。妹のわがままに付き合ってカロリーを抑えたお菓子作りが功を奏するとは、感謝するぞマイシスター。
とりあえずあれだな、いくら低カロリーとはいえトレーニングメニューの見直しをしなきゃだな。
まぁその話は一旦置いといて、今日のトレーニング結果だ。
思った通りマックイーンの走る姿はとても綺麗だった。走る姿さえ優雅さがあるのはさすがメジロといったところか。根性もあるし言った指示をすぐに実行できるのも相当な実力がある。デビュー戦は問題ないだろうが他のウマ娘の走りの基準値を覚えておく必要があるな。
デビュー戦を終えたら桐生院葵さんに並走を頼めないか聞いてみるか。まだ担当は居ないと思うが、さすがにその時期になれば大丈夫だろう。
まず明日はスタミナを上げる為にプールトレーニング。空いている時間がないか確認しようか。
「すまないマックイーン、少し電話する。気にせず食事を愉しんでくれ」
そういって俺は席を外す。廊下に出て駿川たづなさんに連絡を入れる。説明会のあと自然な流れで連絡先は交換済みである。ちなみに桐生院葵さんとも交換済みだ。
「もしもしトレーナーさん。どうされましたか」
1コールほどで電話がつながる。
「お忙しいところ失礼する。マックイーンのトレーニングの為明日、長水路の使用許可を求めたい」
「そういうことですね。確認しますので少しお待ちください」
そう言うと電話越しにカタカタとパソコンの操作音が聞こえてくる。手持ちのタブレットでも使用状況が確認取れないか後で聞いてみるとしよう。
「お待たせしました、明日であれば14時から16時までは時間が空いていますね」
14時か、学園の授業が終わるくらいのタイミングだな。とりあえず早い方がいいか。
「感謝します駿川さん。その時間で押さえてほしい」
「了解しました。……ところで、もう名前で呼ぶ仲になったんですか、喜ばしいですね」
「フッ、頼まれてね。存外にいいものだ」
マックイーンの言った通り名前呼びで距離感が大きく変わったのを感じた。トレーニングの説明もし易かったし、少し歳が離れているとはいえ二人だけの空間に対し気まずさを全く感じなかった。
「フフ、それでしたら私のことも名前で呼んでみますか、たづなと」
「貴女もそれを望むか。うーむ、しかし……」
最近の女性は何かと苗字ではなく名前を呼ばせたがるな。社会に出るとそういうものなのかな。わっかんね。
「仕事においても距離を縮めた方が詳しいお話もできますよ、それに…私としてはもっと頼ってもらいたいですし」
なるほど、そういう考えもあるのか。仕事も円滑に進められるとしたら相手との距離が近い方が話もスムーズに行くだろうし、確かに頼られるというのは目には見えない信頼の証でもある。
「そういうものか」
「そういうものです!」
あーそーゆーことね、完全に理解した。であれば。
「では…たづなさん。貴女も私を名前で呼びたいと」
「え、あ、は、っはい!…………すいません、私はもう少し準備ができましたら名前で呼ぶようにいたします」
たづなさん、どうしたんだ急にいつも以上に敬語になって。声も少し上ずったような気がしたし。
「そうか、承知した。それでは改めて、よろしくお願いしますだな、たづなさん」
たづなさんとの通話を終え部屋へと戻る。
「あ、トレーナーさん。お話は終わりまして?」
食べ終わった食器の後片付け中のメジロマックイーンがこちらへ振り向く。
「明日はプールトレーニングとのことですので暖かい飲み物ですと嬉しいです」
満面の笑みでそう告げられた。
もう少し消化の良いものを考えるか。