続き
封印を解く鍵――獄門彊「裏」。
天元が虚空から取り出した掌サイズの匣。それは虎杖たちが目撃した源信の成れ果て、特級の封印呪物・獄門彊に他ならない。見た目の違いは匣の目が縫い塞がされていることくらいか。
「裏」は表と対をなす呪物であり内部空間は共有となっている。つまり天元が今所持する「裏」にも五条悟は封印されているのだ。しかし、開閉の主導権があるのはあくまで表側。「裏」は単なるバックアップのようなものである。
それでも「裏」から封印を破ることができれば文字通り裏口から五条を解放できる希望があった。
「物理的手段でこれを破壊することは不可能だ。こじ開けるには、術式を直接打ち消すような類いの術式……たとえば発動中のあらゆる術式を強制解除させる特級呪物『
とはいえ前者は五条が海外に持ち去ったか破壊したかで行方知れず。後者は去年彼が使い手の術師と交戦し消費しきったため現存していない」
「
絶叫する教え子二人組に一部事情を知る者たちは苦笑い。どちらも無条件に無下限を突破できる呪物だ。使い手が普通じゃなかったのも要因とはいえ、警戒し処分するのも仕方ないといえば仕方ない。
残存する黒縄がないかを乙骨が遥々アフリカで探索していたらしいが、結局空振りであったという。
まだ手はある、と天元は言った。
『天使』を名乗る、“あらゆる術式を消滅させる術式”を持つ泳者。その人物の協力で「裏」をこじ開ければ現代最強は解放される。
所在地は東京東側結界。睛曼が離脱した場所とちょうど同じであった。
「……そういえば、睛曼。
「あ、確かに」
足元にイメージ図の日本地図を置き、ゲームの総則などについて検討・議論していたさいのこと。
ふと矛先を向けた乙骨に従って、輪を作る面々の視線が睛曼に集中する。
提案した当人は自分でおおよその当たりをつけてしまっていてあえて議題に乗せていなかったのだが、念のための確認と周知も兼ねて渡されたパスを天元に投げる。
「天元」
「なんだ」
「日本はすでに“開墾済み”なんだな?」
「そうだ。“土壌”は出来上がっている。私と当時の術師たちで開拓し、発展に千年かけた」
隠語じみた言葉の応酬にみな表情で疑問符を浮かべつつも邪魔することなく見守る。
「……無関係じゃないから少し、おさらいをする。蘇りの秘術についてだ。地味に長くなるかもだから今のうちにトイレ行っとけよ」
気を利かせたジョークで場が冷めていくのを感じながら睛曼は口を開いた。
――蘇りの秘術とは、儀式で必要な区切られた“特殊な場”を用意し、その内部で数多の人命を散らし供物として捧げることで魂の残滓、『
「おれがはじめに想定していた還魂は文字通り死者をあの世から引っ張り上げて空の肉体に定着させる方法だった。
しかし解けない障害があった。
実在証明する術がないなら発想を手持ちの現実に変換させるしかない。
すなわち“肉体の情報”を“魂の情報”として抜き取る術である。
「肉体と魂。器と中身。物質と非物質。この二つの結びつきは個々の解釈によって異なるが、おれ――ついでに羂索――は肉体と魂を同一のものであると定義した」
本来なら一概に魂と呼ばれるモノだって土台存在証明が不可能な代物。肉体の形は魂の形。そう現実的な理屈付けを行うことで還魂のハードルをまずは落とした。実際、秘術の成功難度は格段に下がった。死者蘇生の要点からは若干逸れる形となったが。
「詳細な身体パラメータを写しとりそれを別の
主には脳の構造をまるまる、だな。首から下の肉体情報は全盛を取り戻すための仕上げ用。羂索はこの方法を発展させ過去の術師を現代に受肉させてると思われる」
「入れ物の呪物は転写する
「分かるような、分からんような……」
「ようは脳を一度部分破壊して反転術式で復元させる、みたいなものでしょうか。復元・参照するデータを別の人物にすり替えるってだけで」
「まあおおむねのイメージはそういう感じでいいと思う。特に重要なわけでもないし。
……だから実際は、死人を本当に蘇らせてるわけじゃない。オリジナルの魂情報を完全コピーしただけの廉価品を造ってるんだ。スワンプマン考証みたいなものだな」
落雷によって不幸にも死んだ男とまったく同一な泥沼の新生存在。姿も、死ぬ直前までの記憶や知識もまったく同じで、親しい者も、当人ですら自分が泥から生まれたなどと知らない。入れ替わっているなど誰も気づきようがない。だが果たしてこれは同一人物と言えるのか……。
思考実験の目論みはどうあれ、受肉した過去の術師たちにも似たようなことが言える。が、おそらく気に留めて憂慮する者などひとりもいないだろう。そんな神経の繊細なヤツが羂索の誘いに乗るわけがない。
「だからって、オリジナルより弱いってこともないだろ。宿灘がいい例だ。贋作でも真作に迫るクオリティに違いない」
「知識も経験も全盛と変わらず。その上連中の命への価値基準もまったく別物。過去の術師は殺しに躊躇いがないのも多いだろうな」
「……少し話は逸れたが、おれの知る
秘術の中に『霊夜祭』と呼ばれる呪術的効果を高めるための時間帯や場所の指定があるんだが……これが死滅回游の
各地結界が張られたポイントを見るに羂索は霊験あらたかな場所や処刑場跡といったところを結界の中心点に据えている。しかし呪いを集めやすい土地というだけで内外を隔絶する異界を作り出すのは難しい。
「……なるほど見えてきた。さっき君らが話してたのは天元の結界のことか」
九十九の発言にこくりと頷く。
呪霊の発生抑制、補助監督が下ろす帳の補強などに使われている、全国へと展開された『天元の結界』。これを羂索は利用して儀式を発動させているのだ。
「……結界の柱となるポイントは全国各所に無数に点在している。これらをより優れた結界――『
「仕込みを妨害できなかったのか?」
「下手に干渉すれば浄界が破綻する危険もあった。守護を考えても対象が多すぎる。そもそも基本的に浄界のことは秘匿事項だ。迂闊に広めるべきではない」
非難がましい目付きで天元を睨む九十九。やり玉にされても四ツ目の彼(彼女?)は腕を組み淡々と事実を告げるだけ。梨の礫とみて女術師は重たい溜め息を吐く。
「つまりは死滅回游の儀式に天元が構築した結界のシステムが盛り込まれている、と。思えば確かに、マーキングした連中に無為転変を施すときも、天元の結界に干渉してたしな」
「おれが真っ先に考えたゲーム回避プランは構築された浄界を全て解放することでゲームの土台を成り立たなくさせることだ。だがそれは同時に、天元の結界の消失を意味する」
「それって……?」
鉛を吐かんばかりに暗い面持ちの睛曼。ことの深刻さにイマイチ付いていけていないと思わしき虎杖に、呪術では先輩の伏黒が沈痛な表情で簡潔に諭す。
「
呪術に出会って半年そこらのお前じゃ実感しづらいかもだが、天元様の結界がなけりゃ現代の日本はもっと呪霊で溢れかえってる」
「具体的には平安の頃合いまで日本の呪術情勢は逆戻りする羽目になるだろう。いや、ストレスの種が多くなり心的負担が増殖し続けている昨今ならよりタチの悪い陰湿で凶悪な呪霊が次々現れかねない。真人のようなのが日本中に何百と湧いてきたら地獄だろ?」
かつての宿敵があらゆる地で同時多発に出現する可能性を想像した虎杖の顔がハッキリ青ざめながら強張っていく。極論の可能性だが絶対にないとも言い切れないのがいやらしいところだ。
「呪霊を食い止めるための防波堤、補助監督が張る
ま、現行でさえ動員可能な術師の絶対数が減り、対処療法も満足に行き渡ってないんだから、
面白くもなさそうに考えうる“最悪”を並べ立てる九十九。その態度から、彼女自身天元の存在ありきで考えている現行の結界システムに否定的なのがうかがえた。あくまで心情では。
ゆえにこそ、呪力脱却による呪霊の根絶を目指していたのか……。
「なんにせよ、浄界を解放すれば確かに死滅回游は終わるが、代わりに日本の混沌ぶりは千年前の比じゃなくなる。国の崩壊すらあり得る事態だ。羂索にとっては計画が遂行されようと中断されようと旨味があるのさ。ヤツは、始めからおれたちがこの手段を使えないことを踏んでいて放置してたんだ」
「性悪なヤツらしい」
「ですね。実行に移した場合のこちらのデメリットが大きすぎます。やはり………」
「回游に参加して殺し合いを止める! それしかねえってことだな」
天元の論によれば
泳者が全員死ぬか、泳者が全員参加を拒否して死ぬか。そんなデッドエンドでは意味がない。
・泳者間の点の任意の譲渡。
・回游離脱のための救済ルール。
他にも細々とした取り決めやタイミングが必要になるだろうが、肝要なのは上記二点。
総則6のルール追加を逆手に取り点の移動を可能にし術式剥奪によって死ぬ確率を下げる。身内や殺し合いに積極的でない泳者を見つけ点を互いに回し合えば19日間の猶予を延々設けられる寸法だ。さらに泳者が回游を離脱するためのルールを追加し、ゲームを安全に解体できる手段を模索する。
しばらくは時間稼ぎしかできなくとも、まずは点取りゲームのために殺し合わなければならない要素を削ぐ。無駄死にを減らすためにはこの方法がベターに思われた。
「睛曼」
「ん?」
各々のやるべき整理を終え薨星宮をあとにしようとする青年に、天元は口を半端に開いたまま数瞬何かを躊躇って。
「………健闘を祈る」
もともと言いたかったであろう台詞を飲み込み、告げた。
「応」
青年は、天元が押し殺した気遣いを察しつつも、力強く応えた。