キヴォトスに迷い込んだ怪獣王(記憶喪失) 作:ゲヘナ箱推し
初めてのキスは水と共に
先生は砂漠でもなく山岳地帯でも無く、周りに民家の立ち並ぶ『遭難』とは明らかに縁遠い場所で遭難するという意味不明な経験の最中であった。
連邦調査部シャーレが活動を開始して数日。キヴォトス全土にその名が少しずつ知り渡り始めた頃、先生に届いた一通の連絡。
連絡して来た学校はアビドス高等学校。
過去にはこのキヴォトスにおいて最大規模のマンモス校であったものの、現在では全校生徒が
財政的にもかなり厳しいらしく、少し前までは校舎近辺に居た暴力組織によって校舎を狙われるという危険な状態にまで追い込まれていたそうだ。
その暴力組織も一時は大人しくなり校舎が狙われる事も無かったのだが、最近になってまた暴力組織が活性化。
使用している武器類も以前よりも質が向上しているらしく、再び暴力組織との抗争が勃発しかねない状態にあるとの事だった。
その知らせを受け、放っておけないのが先生という生き物。顔も知らない相手からの連絡であっても、その相手が学生なのであれば手を差し伸べる。
そう意気込んで来たは良いものの、土地勘の無い先生がアビドス自治区を一人で踏破してアビドス高等学校に辿り着くなど無理な話。
飲み物も尽き食べ物も無く、無人となった家屋の塀に寄りかかって項垂れていた。
”お腹……減った……”
カンカンと照り付ける太陽光に頭を焼かれ、視界がぼーっとしてくる。飲まず食わずな先生にこの陽射しはさぞ辛かろう。
項垂れたまま呟き、今にも座り込んでしまいそうだ。そのまま座ってしまえばそれが最後、臀部が硬い地面に根を張り動く事を拒絶し始める。
そうなる事が分かっていても、疲れ果てている肉体は止まらない。
塀に寄りかかったまま、ズリズリと臀部が落ちていく。服が汚れてしまうことも最早考えていないのだろう。
そうして臀部が地面と接触して、衣類が汚れてしまった……
「何をして居る。日光浴をするのなら此処は邪魔だ、他所を当たれ」
なんてことは無かった。
いつの間に居たのか、先生の目の前に誰かが立っていた。
黒いドレスを身に纏う、長身の女性。彼女の尾と思われるものが臀部と地面の間に割り込み、先生の肉体を受け止めていた。
傷だらけの顔面と先生を見下ろす三白眼。
先生が知る生徒達の中でも群を抜いて高い身長は強烈な威圧感を産み出しながらも、深い青色の瞳には森の老賢者や哲人を思わせる穏やかさが宿されている。
”日光浴じゃなくて……”
”アビドス高等学校に向かおうとしたんだけど…”
こんなに長身で目立つ服装の女性の接近に気付けなかったことに驚きながらも、何とか弁明をする。
「ふむ……土地勘が無く、食物も飲料も尽き、気力も果てた、と。成程、確かにそこまでの悪条件を揃えよう物ならば、道端で座り込みたくも成ると言う物か」
無表情で少し古風気味な話し方をする彼女は威圧感を絶やさず、先生の発言に理解を示したものの先生に対しての強い警戒心を抱いているのが丸分かりだった。
当然と言えば当然だ。自分の生活圏の中で、日が照り付ける真昼間から服が汚れるのも気にせず道端に座り込む成人。
違和感しかないし、異常な光景だ。
「済まないが、私は貴様を怪しんで居る。この土地に不利益を撒き散らそうと企てて居るのでは、或いはこの土地から何かを絞り上げようと目論んで居るのでは、と。何か身分を証明出来る物は無いか?」
”これでどうかな?”
先生がシャーレに就任して以降関わって来たどんな生徒よりも『低い』と感じた声で、女性は身分証の提示を求める。
声を作っている、という雰囲気ではない。この声が地声なのだろう。
顔や身体の傷といい体躯といい、相手に意図的であるか否かを問わず威圧感を与えてしまう。
苦労していそうな子だな、と思いつつ先生は身分証としてポケットからシャーレ所属の者であることを証明する教員証を取り出し、女性に手渡した。
ひったくるように取られるかな、とも考えていたが女性は教員証を丁寧に預かり、睨み付ける。
「連邦調査部シャーレ……嗚呼、この前何やら頓痴気騒ぎを起こして居た場所から来たのか。随分とまぁ遠方から来たものだ。それも事前調査無しに、な」
”ごめんなさい……”
”まさか迷子になるとは思わなくて”
「馬鹿者。之は迷子では無く遭難と呼ぶ代物だ」
教員証を返却した女性の「大の大人が無策過ぎる」という手厳しい注意は先生の胸を抉った。
まさか大人になってからこんな注意を受けるとは思っていなかった先生だが、女性の纏う雰囲気が僅かに和らいだのを見逃さない。
信頼を得た、とまではいかない。少なくとも警戒はされなくなった、それくらいのものだ。
少し安堵した。それが体の緊張を緩めてしまったのだろう。
ぐぅ、と先生の腹が鳴る。食べ物が尽き、空腹感に苛まれていたのを忘れていた。
「遭難したので有れば食物が尽きて暫く経つか。食事が必要なのは不便だな……少し待て、確か」
”ちょ、ちょちょちょっ、待って!?!?”
急だった。女性が足を動かしたのか着用しているドレスのスカートが揺れたかと思うと、そこに入れられていたスリットから足が飛び出して来たのだ。
その拍子にスカートがめくれ、中身が丸出しになる。ハイレグ姿にブーツのみ、ほぼ剥き出しの脚部が露呈した。
いきなりそんなものを見せられて先生が困惑しないはずがない。慌てて静止を求めたが、女性は聞く耳を持たないのかガン無視。
スカートから飛び出した右足太ももに取り付けられていたレッグポーチに手を入れ、複数のせん餅を取り出した。
「アビドス自治区から少し離れた場所だが、大型商業施設が有る。そこで起こった暴動を鎮圧した際に貰った菓子だが、私は食事が不要だ。貴様が食え」
”あの、足をしまってくれると……”
「何を恥じらう。黙って食え、生きる者に許された権利から目を逸らすな」
先生の頼みはこれまたガン無視。一応話が成立しただけ先程よりはマシだろう。
威圧感に負け、せん餅を受け取った先生。包装を開くとゴミは女性に取られてしまう。
ゴミの処理をしてもらって申し訳なさを感じつつ、空腹に苛まれながら食したせん餅は今まで食べたことが無い程に美味しく感じられた。
美味しい!と声を上げることも無くがっつく姿は餌を待ちわびた雛鳥を思わせる。
”ご馳走様でした!”
「挨拶は結構だが食べ滓を付け過ぎだ」
口の周りに付着したせん餅の食べカスを女性が手で払い落とす。
あまりに自然に行われたその行為に、先生も『口元に触れられた』という事実に遅れて気付かされる。
なんでそんなことを、と言っても無視をされるか威圧感で押し切られるかのどちらかなのは見え透いていた。
言葉にはせず、心の中で押し殺すことにした。
「それで、シャーレの先生がアビドス高等学校に何用だ。よもや教鞭を執りに来た……と言うつもりでも有るまい?」
女性の問い掛けに先生は一瞬悩んだ。
これで目の前の女性がアビドス高等学校の制服を身に付けていれば、理由を説明して案内してもらうのも良いだろう。
でも、女性はドレス姿。あまりにもこの場の風景や雰囲気には似合わない。
そしてアビドス高等学校を目指す理由となった手紙には『暴力組織』という記載があった。
この女性も暴力組織の関連人物なのではないか、こう疑ってしまうのも無理はないだろう。
そこで、先生は一つ賭けに出てみることにした。
”私は身分を明かしたんだし。”
”貴女の事も明かしてくれないかな?”
自分は色々明かしたんだからアンタも自己紹介ぐらいしろ。
相手がこう受け取ってしまえばまず間違いなく怒らせてしまう発言だったが、女性は「それもそうだったな」と先生が拍子抜けしてしまうくらいあっさりと納得してしまった。
「私はアビドス高等学校に一応所属して居る…まぁ、しがない居候人って所か。実を言うと私も以前、この近辺で倒れて居た所を拾われてな。その後に色々迷惑を掛けてしまって、アビドス自治区に留まって居る」
本来なら、長居をするつもりは無かったんだがな。
そう語る女性に嘘臭さは感じなかったが、それでも信用に足るとは言えない。一応所属という曖昧な言い方が引っ掛かった。
一応ってなんだ一応って。学生かどうかもハッキリしないじゃないか。
そこをもう少し詰めようとした先生だったが、急に頭がクラついて目の前にいる女性に倒れ込んでしまう。
危ない、押し倒してしまう。
そんな危機感を抱いたが、女性は避けもせずにぽすっと倒れ込んできた先生を受け止めた。実に容易く、危なげもなく。
「何だ。私は貴様の抱き枕でも宿り木でも無いぞ」
”ご、ごめん……”
”なんか、クラっとして…”
「ふむ……飲料も尽きた、と言ったな。脱水か」
信頼出来るとは言えないながらも数日に渡る遭難の末、ようやく出会って言葉を交わせた。その安堵感が本格的に肉体の緊張の糸を断ち切ってしまったようだった。
そこに何日も水分を摂れていないのも相俟って、自力で経つことすら困難な状態に追い込まれていた。
「仕方無い。身分証を見るに怪しい者とも思えんし、捨て置けばホシノ達が怒る。少し待て」
女性は右腕を先生の背中に回し、ガッシリと抱え込む。
失礼だろうと思いつつも、先生が抱いた感想は『逞しい』というものだった。
片腕だけでの抱擁でありながら、全体重を乗せても全身をしっかりと受け止めてくれる安堵感と包み込まれる抱擁感。
剥き出しの胸元に押し当てられる顔から感じる熱いくらいの体温は、疲れの溜まっている肉体からグングンと力を奪い取って行く。
あっという間に眠気に襲われた先生だったが、ここで寝てしまっては格好が付かない。
意識を保とうと腕を動かしていると、女性の背後に手が回った。
その手に、固いものが触れる。固めのバッグでも背負っているのかと思ったが、形状的にそれも考えにくい。
波打っている。それも一つではなく、何個も存在している。
気になって手を動かしていると左足に取り付けていた信号拳銃を手に取っていた女性も、先生が何かを気にしているのに気付いたようだった。
「嗚呼、それか。私には背鰭が生えて居るんだ。キヴォトス各地の生徒を知る先生でも、背鰭を持つ生徒は珍しかろう?」
”背鰭?”
尾や翼、角にケモ耳。先生には存在しない部位を有する生徒も多く見てきた。
そんな先生でも背鰭、座り込みそうになっていた所を受け止めてくれた尾に生えている尾鰭を有する生徒は初めて見た。
炎を思わせる形の背鰭と尾鰭。
黒々とした太くて長い尾。
成人である先生を超える体躯と、そこかしこに刻まれた傷跡や痣。
どれを見ても先生が知る生徒とは殆ど合致点が無く異質に思えたが、その異質さよりも強く先生の胸中に湧き出た感想があった。
”
「……格好良い?」
ポロッと口から出てしまった感想はおよそ女性に向けるのには適さないもの。可愛いや美しいとはベクトルの違うものだ。
女性も困惑しているのか首を傾げていたが、それはほんの数秒だけ。傾げた首を起こすと呆れたような顔をし、信号弾を打ち上げながら先生を見下ろした。
「それは女に使うべき褒め言葉では無いと記憶して居るが、そうも躊躇い無く言い放つ代物なのか?」
照れるでもなく怒るでもなく、冷静に返された。
相手がそんな態度をとってしまうと、発言した先生も妙に冷静になってしまい先程の発言を振り返ってしまう。
普通なら女性相手に『カッコイイ』なんて言わないよなぁ、そう思った途端にあの発言が不適切だったように思えてしまった。
”いや、違うかな……”
「だろうな。大人があまりに声を大にして言うものだから、私の常識が可笑しいかアビドス自治区の外が進んで居る物かと思ったわ」
表情は変わらないものの、雰囲気がさらに少し砕けて柔らかいものとなる。
しっかりと受け止めてくれる安心感に、先生の体からどんどん力が抜けていく。脱水と疲労で限界が迫ってきていた。
自然と女性に回す腕の力が緩くなる。
余程注意して嗅がなければ分からないほどうっすら、海に似た匂いが女性から香る。
暖かい体温も眠気を呼び込み、先生から力を抜き取っていく。目を開いている余裕すら無い。
女性もそれを理解しているらしく、撓垂れ掛かる先生を咎めはしなかった。
「余程疲れたと見えるが……今寝られるのは困るな」
(”意識が……”)
意識を保つことすら最早困難であり、先生の目は閉ざされた。
まだ辛うじて音は聞こえる。
女性の「寝るな」という声。
駆け寄ってくる多数の足音。信号弾を見て集まったのだろう。
「姐さん」と呼ぶ誰かの声。女性のことをそう呼んだらしい。
そこまで聞こえていたが、とうとう音を聞く気力すら失われてきた先生の意識が本格的に落ちかけた、その時。
唇に、なにか柔らかいものが触れた。
(”……柔らかい”)
何が触れているのか。
そこまで考える気力が起きない先生はされるがままだったが、口の中に冷たい液体が流れ込んできたことで目を見開く羽目になった。
見開かれた視界を占領する女性の顔。
超至近距離で自分を見つめる瞳。
自分の唇に触れている柔らかい物体が、女性の唇だと先生はようやくここで気付かされた。
”んんんんんんんんッ!?!?!?”
”ゴホッ...ヴ...ゲホッゴホッゴホッ...”
口を塞がれた状態で声を無理に発したものだから、口腔内の液体が容易に気管に入り込んでしまい思い切りむせ込む。
声とむせりで意識を取り戻したことを確認した女性は唇を離し、腕でゴシゴシと乱雑に口元を拭ってから先生に視線を向けた。
「起きたか。今の貴様が寝るとそのまま脱水で死ぬ恐れを感じたから、無理矢理水を飲ませた。意識が戻ったのならば後は己で飲め」
照れるでも不快がるでもなく、何とも思っていないような態度に先生は言葉に困らされた。
何かしらのリアクションが伴えば謝罪の1つでも出来たのに、何ともなさそうにされてしまっては謝るのもおかしく思えたからだ。
”いっ、今のキスだよ!?”
「キス……嗚呼、接吻の事か。知らん、生き死にの前には些細な事だ。初めてだったが無事に水は飲めたらしいな」
何とか言葉を捻り出しても、女性はバッサリ切り捨ててしまう。取り付く島もないとはまさにこの事か、と先生は頭を抱えたくなった。
「それに、此処で水分を取らねば貴様は点滴をする羽目に成って居た。それではつまらん。水は点滴よりも飲むのに限るぞ、先生」
手に持っていたペットボトルを手渡し、女性は視線を横に向けた。
先生もつられて視線を横に向け、その先で大勢の生徒達が自分を凝視している光景にギョッとする。
50人くらいはいるだろうか。『アビドス高等学校所属』と白いペンキで書き殴った赤いヘルメットを被り、銃を装備して武装している。
女性を「姐さん」と呼んだのはここにいる面々の誰かだろう。目元が見えず、一人一人の区別はほとんどつかなかった。
「姐さん、この人は?」
「我が校に何やら用入りらしい。機動力では私に勝る御前達に託す、丁重にお連れしろ」
映画の悪役っぽいセリフだな、なんて呑気に思っていられたのも数秒だけ。
ゴミを投げ捨てるようにポンと先生の肉体は放り投げられ、ヘルメットを被った集団に受け止められる。
大人になってから投げられた経験など無く、いきなり投げられたことで目を丸くした先生が着地後に見たのは大勢のヘルメットの海の向こうに立つ女性の全身像だった。
「頼むぞ」
「はい! お任せ下さい姐さん!」
「揺れるっすよぉ! 口閉じててくださいね先生!」
「おら達のこんびねーしょん、味わうと良いべ!」
短いその言葉に、ヘルメットの集団は各々が返事を返して一斉に走り出した。
持ち上げている先生を落とさず、速度も最高速度を保つ絶妙なコンビネーションでの一斉ダッシュにより、先生はみるみる女性から離れていく。
”あぁぁぁぁぁぁぁれぇぇぇぇぇ〜!”
なんとも間抜けな声が、乾いた風の吹き抜けるアビドス自治区にこだました。