――雪鳴りの森林
夜が深い高レベルマップ。
いや……もうこの世界では、推奨レベル70は高レベルマップと言えないか。
それに、森の中ならともかく、今私がいる場所で高い危険性はない。
この森ではよく風が吹く。暗がりに、木々の葉がどよめくのだ。
その都度しゃらしゃらと鳴る雪氷の音こそ、マップ名の理由。
そして、私がよく来る理由だ。
森の奥深くまで進んでいくと、月と話せる小高い崖がある。
……このゲームでは本当に、何処かで月と話せそうだな。
単に月が近いだけだ。空気も澄んでいて、星がよく見える。
背後には雪氷の奏でる音色が、正面には冗談みたいに明るい宵空が、このマップの端にはある。
攻略が煮詰まってきた頃、私はこの崖に座ってUI表示をオフにする。
攻略直後ではいけない。折角解禁されたダンジョンやクエストを放ってまで、ここに憩いを設けることは出来ない。
だから攻略の目途が経った辺りで、私は現実を再確認する。
「……。……――――♬」
アカペラで歌うのは、数年前に出た、好きなアーティストの新曲。
多くのアプリと連携していたこのゲームも、デスゲームとなってからは、外の世界の情報をシャットダウンされてしまった。
今はただ、記憶を頼りに、曖昧に歌うことでしか確かめられない。
一際強い風が吹いて、私は口を閉ざした。間違って落ちぬよう、手をついて支える。
もし仮に落ちても獣人が取得条件の《滑落回避》と、すぐ傍に控えさせている『狼魂・シトラス』が持つAGI強化スキル《遥か遠き遺志》があれば、持ち前のAGIも込でどうにか無事に済むとは思う。
が、こんな綺麗な景色の幕切れがそれではつまらない。
「もっとアクセスが良ければな……」
攻略効率のことを考えると、拠点は都市系に構える方が良い。人の多さからトラブルに苛まれることもあるけど、辺境の街で巻き込まれるよりマシだ。
本当なら寒くて人の少ない街に、拠点を構えたままでいたかった。
そうすればこのマップにも行きやすいだろうに。
歌を仕切り直す気分にもなれず、一度ウィンドウ操作を経て、私は一つの厚い本を出した。
ページを捲っていけば、1/3ほどで、無地の羊皮紙ばかりが続いていくようになる。
それから少し遡って、記載がある最新のページに止まった。
内容はつい昨日の攻略内容。ボスの下見と、帰りしな遭遇した些細なトラブルが書かれている。
所謂日記というやつだ。
今みたいにUIを消していれば猶更のこと、最近は、帰るべき本当の現実があることを忘れてしまいそうになる。
でも違う。
違うべきだ。
最終、私達はゲームをクリアして帰る為に、励んでいる。
そのことを確かめられるよう、私は日記をつけるようになった。
日々を覚える為というよりも、日々を残す為。
もし帰れたところで、このサーバーのデータがサルベージされるのかは分からない。
だが、出来るかどうかに関わらず、やる価値はあると思う。
痛みがあって不自由で、壁も登れない現実に戻った時、この世界のことを伝える為に。
……そうしたら、あれほど板で叩かれていたギルドも、面目躍如となるかもしれない。
『連合』主導者――塩宮るれあ。
『智慧の実商工会』ギルドマスター――松林檎。
『孤高の尖刃』――白金縁。
月詠さんもそうかな。あの人の回している情報がなければ、もっと滞っていたかも。
しかしなぁ。
『人斬り』――椒朔月。
『死神』――蒼星乙女。
彼らと差し引きで、どんな評価になることやら。
まさか、伝え書く上で身内贔屓はしていられない。
勿論逆も然りだ。
今や必要悪にすら成りかけている『レッドキラー』を、公平に書かなければ。
彼らが手を汚すことで、救われた命も間違いなく、あるんだろう。
「…………」
それはそうと、だ。
ともあれ、本が飛ばされては敵わない。再びウィンドウを弄ってインベントリにぶち込む。
――そんなところで、傍に控えていたシトラスが唸り始めた。
「なんだなんだ」
この崖までくるエネミーはそういないが……完全にいないでもない。乱性プログラムが働く個体は幾らかいる。
或いは。
シトラスのパッシブスキル《手懐ける恩讐》か。
こっちもあんまりないが、完全にないでもない。
戦闘用プリセットを選択して、私は立ち上がり――振り向いた。
後者か。
「四人! 何の用ですかーっ」
隠密の練度――いや多分故意だなこれは。濃度が違う。
やや低い隠密性と、高い隠密性を同じパーティに入れて、油断を誘っている。
わざわざこういう対策札をバラす理由がない。成果が実っているのか否か、《手懐ける恩讐》の効果――隠密看破*1を知らない人は、結構多い。
テイマーが少なけりゃ、魂持ちは更に少ないし。
「あてずっぽうってわけでもねえなァ。リソースの無駄だ、解け」
森の奥からやってくるのは四人のプレイヤー。
……うち一人は
恨みの心当たりはないなぁ。
ただ……享楽で動く殺人者の割には、このマップは狩り場にする適性が低すぎる。
恨みではないが、私宛てではあるな。
「……何円かかってます?」
「あー? ……六文」
リーダーであろう男はしたりと笑う。
こっちはあてずっぽうだったんだけどね。言ってみるもんだ。
……懸賞金。
多分、動かしてるのはグリーンカーソルのコミュニティだろうな。攻略勢やレッドキラー辺りを対象にでもしているんだろう。
メリットはある。
この電子の牢獄で天寿を全うする――その望みを叶える為には。
「キミ、気にしてる暇ある?」
半笑いで、細身の女が問いかけた。
あんまない。
「んー、まぁ。
「へえぇ。それじゃあ多勢に無勢で崖を背負った攻略も、経験済みってわけだ!」
それもあんまない。
「そうだなぁ……命乞いって聞いてくれます?」
ゆっくりと近付いてくる四人が、示し合わせたかのようにピタりと止まる。
そして――響く哄笑。
「っっはははははァ! いやぁ、そうだなぁ。言ってみろ、手抜いてやるのもやぶさかじゃァない」
「毎度。……このマップには夜間限定のレアシンボルがいるんですよ、強いけど。月が満ちてる今のうちなら、探せばいるかも」
「ふん、そりゃ良い事聞いた。アンタの後で狩っておこう」
言ってみるもんだなぁとはならないか。
虹鯨は見せたくないな。契約履行を確かめる為に誰かが見ている可能性だって、万に一つはある。
本気で迎撃するとしたら【――検閲済――】辺りが必要になってくる。
けど、それはより一層見せたくない。
私にとってはユニークスキルよりも伏せておきたい情報だ。
それに――殺してしまうかもしれない。
「穏当にいきません?」
「くどい」
愉しげな男だと思ったが、弁えているようだ。
従う三人も油断の色はない。
ここまでかな。
ジョークがウケてくれたおかげで、マップ警戒度は無から上昇しているだろう。こうなればモンスターのプログラムは乱性に関わらず、恣意的な働きが加えられる。
私は左手で、自分の喉に触れた。
喉の締め方を調整するように、やや力を入れて――
「はぁ……、っ……ゥウルルルゥゥゥウウ!」
――ウェアウルフ上位スキル《孤狼の呼び声》
「何?」
「おい待て、なんか……」
「スキルか? オレに異常はないぞ」
「バカ、聞こえないのか……」
「んっんん……あー」
彼らに咳払いの声は聞こえただろうか。
森のざわめく中で。
「お前、今……!?」
私は黙って、杖を外套の裏に仕舞う。
上位スキルだなんて、呼び声だなんて言っておいて、使う頻度はそう多くない。
以前の世界ならまだしも――モンスターを誘き寄せる遠吠えなんて、使えたもんじゃない。
「MPK……って知ってます? 知らないわけないですか、これは命乞いになりませんね」
「テメェ、道連れにする気か!」
「道連れ……?」
私は数歩下がった。
……身体が傾く。
「私の道を使うならどうぞご自由に。
景色が宵空へ向く直前、茂みの中から覗く夥しい眼光が見えた。
多勢に無勢で崖を背負った攻略頑張って。私を殺せるくらいならどうにでもなるでしょう。
うーん。もう少し捨てセリフを残しておきたかったな。
なんて考えている間に――私は空中に躍り出た。
特定マップでの効力増加。