闇鍋の具   作:凍星 奏雨

22 / 33
Act
凍星奏雨*主
林道華燐*術

白金縁*主
笹原慧*剣

月詠マキナ*監
縺薙?荳門?縺ヲ繧帝」溘i縺?スア*閾ィ


聖杯戦争パロ
闇鍋聖戦 黒化


 純粋なる混沌は故こそありて、その邪悪を堕胎させるに至った。

 月詠マキナの望外なる望みによって引き寄せられた悪性は盃に満ち、三つ目の星が杯へ流れた時――その中身は、溢れ落ちる。

 

 

「次から次へと何が起きてるんだよ。置き土産って訳じゃ、ないよなぁ……!」

「さてね。キャスターの話では、マスターはもう()ない。サーヴァントも倒した。この状況で発動する宝具があるっていうのなら、確かにアレ(・・)すら君の言う置き土産だろうけど」

 赤き聖痕を宿らせた二人が見上げるのは、ブラックホールのように光を取り除き尽くした漆黒の孔。魔力という判断基準が無意味な程に異常な空気を放つ孔は、先の戦いで墜ちたバーサーカーのマスターがいた地点の上空に在る。だが、それが偶然だと疑うには充分な程、能力が異質に過ぎた。

「さぁ……実は隠し持っていたかもしれないけれど、俺が知る能力じゃないな」

 冷静に否定するセイバー。二人の主のうち、闇に浸かった赤き瞳を持つ少女――白金(しろかね)(えにし)のサーヴァント。口調の淀みなさとは裏腹に、バーサーカーとの戦闘で疲弊した様子は隠し通せていない。語気にはほんの少しの焦りが、それこそマスターにしか通じないような微弱さで漏れていた。

 『俺が知る能力じゃない』という言葉にどれほどの信頼がおけるかという話だが、バーサーカー――真名を《豪雪の化身(スノーマン)》とするサーヴァントについては生前からの繋がりが存在している。

 高い直感を持つ従者から伝わる判断と焦り、白金はセイバーの受け止めた危険度に即して今後の舵を正しく取る。

「そう。……ひとまず、アレがなんなのか分かるまで同盟は継続でいいわよね」

「まぁ、そもそもキャスターがこの場にいないんだから、解消されたら困る。……あんな大規模な現象が起こってるっていうのに、今までで把握したどのサーヴァントの魔力とも合わない。その癖キャスターと通信が取れないくらいには魔力の流れが存在してる。聖杯戦争の外側にいる奴が原因って線は?」

「考え出したらキリがないでしょ。狙われる魔術師がどれくらい集まってるかって話……私も含めてね」

 夜空を見上げる三人の瞳に、一筋の漆黒が横切った。暗く濃い青色の夜を斬り裂いて、混沌の種子は妖しく魅せる。

 黒き流星は何に阻まれることなく、孔へその身を焚べる――

「――ッ!」

 その戦慄は群体意識のように、聖杯戦争参加者全員が抱いたものだった。

 孔は身篭った悪性を、一斉に吐き出す。黒き不浄が地を氾濫させて往く。

「マスター」

 取り乱すことなく其の剣は役割を全うする。主の守護の為、目を奪われていた白金に触れた。

 その声を聞いて少年も距離を取るべきだった。同盟という立場を利用して剣の後ろに構える事も出来ただろう。しかし、彼の身が既に霜付いていようと――血潮は熱を持って心を動かしている。

「キャスター……!」

「奏雨!?」

 今も泥が波及されている方角へ走り出す凍星(いてぼし)奏雨(かなめ)。その凶行に思わず声を上げる白金だが、その身は彼女のサーヴァントが既に抱え始めている。

 今にも沈む泥船へ、主を置いている訳にもいかない。セイバーはマスターと二人で迫る泥から離れた。

 一度その様子を振り返って、尚も進む奏雨。

 彼の言うキャスター――《イニシエーションバンク》の状況は転変の真っ只中である。

 バーサーカーとの激闘は奏雨、白金、そしてセイバーの三名で行なわれた。その間キャスターはバーサーカーのマスターを襲撃しており、敵の本拠地である工房で、マスター殺害後も情報の獲得に専念していた。そして孔はその上空に顕現している。なんの偶然か、運命を嘲笑すべく現れた漆黒の混沌は、キャスターの下へ降り注いだ。

 それを事実と裏付けるのは奏雨とキャスターの間で繋がれたパス。毛虫の詰まった箱に手を突っ込んだような不快感と共に、キャスターから感じ取っていた魔力の波長は変調した。令呪は残り一画、落ち着きを見せない状況に捧ぐリスクは取れない。それよりも、無茶を張り通すなら自分自身と判断した。

 幸か不幸か、孔までは多少距離がある。すぐさま奏雨達が飲み込まれない程度には。それでも街々を走り抜けていけば肌で感じる空気はどんどんと淀んでいった。

 距離を詰めたところで、状況確認の為に高所を探す。

 常人のスタミナでは、サーヴァントと激戦を繰り広げた後の疾走は堪える。火事場や無我に引き出される力もあるが、生憎ながら現在の凍星に持ち合わせていないものである。――そう、これでいて、その頭は沈着な判断で動いている。悲しみに暮れた暴走でもなければ、気が触れた蛮行でもない。

 息を整えているうちに脳にも息継ぎをさせておく。

 人間二人を護りながら前衛を張るセイバー、参加者の中ではサーヴァントに次ぐ程の戦闘力を持つ白金とは違い、その肉体で快刀乱麻を断たんとする躍動をしてみせた訳ではない。氷雪の使い手へのジョーカーとなる事から役割を持って狂戦士の討伐に参加した彼だが、故に困憊しているのは身体ではなく精神。魔術回路も思考回路もグラグラな状態だ。

 精神を平常へ戻す能力は長けているが、それはあくまで魔術的効果に頼った話。元々の人間性で言えば多感な精神、異常事態の渦中においては人並な時間を要す。

 常人なら混乱する場面で通常通りの精神統一を目論めるのも、つまりは元々の人間性であった。

「――よし」

 泥が街を薙いで、振動の伝わり始めた頃。ビルの外階段に目を付けた奏雨は再び早々動く。

 安っぽいメッシュフェンスの施錠目掛けて、鞘から抜き取った短剣を繰り出す。やっておきながら若干不安だった奏雨だが、無事に壊れる。無事とは如何に。

 逆手に持ち直して階段を走っていく。肉体強化の魔術は相性が悪い、修得はしているが、散々魔術を行使した後で使いたい手段ではない。()()()()の事を考えると尚更だった。

 何事もなく昇り切る頃、見上げる空が赤みがかっていた。それが朝焼けではないくらい、疲弊した彼の頭にも分かる。

 街を見下ろせば、地獄の釜が煮え立っているようだった。

 業火に燃ゆる街の残骸。その所々には鮮明な人の影……文字通り、人の形をした影が居る。それらがなんなのか、判断する時間は残されていない。

 それは一種のクレーターのようで、津波の逆。泥を排出していた孔はその破壊工作を辞め、既に地上へ泥を放ち切った後らしい。再開する目処があるのかは不明だ。ともあれ、水面を叩いたのように波紋めいた蹂躙をする泥は、一度やり過ごせば二度はないと、ひとまず考えていいらしかった。つまりは、常に襲い続ける津波ではなく、一度大きく攫う爆発のようなものと解釈出来るものである。

 泥が這いずった跡地で常人がどれほど行動できるのか見当もつかないが、常人ではなく魔術師である彼には見当違いな考えだ。

 キャスターの状況は分からない。泥に乱された魔力のせいで跡地に居るかも分からない。それでもパスが繋がっている以上消滅はしていない。それさえ分かれば、行動に迷いはない。

 

『世界の神代化ね。ハハッ、最高じゃんか。すごいコト考えるねぇ、マスター? それならボクが喚ばれたのも当然だね。うんうん。――いいよ。伝承凍結保持者、イニシエーションバンク……その祈りに報いてみせようか』

 

「神代への憧憬に報いるって言ったんだ。大言壮語にはさせてやらないからな」

 遠くでビルが倒壊しているのが分かった。ここでは泥を凌ごうとその後が問題になる。

 ビルから身を投げた。着地を任せる相手は勿論いない。そして二十メートル弱はありそうな高さを無傷で済ませる魔術は……ないでもないが、今ではない。

 偽証宝具《オベロンの手枷》。右手中指にはめられた銀の指輪がその効力を働かせる。

 重力と手を繋ぎ、軽やかに着地してみせる。

 使用者に力をもたらすキャスターの製作物である偽証宝具、バーサーカー戦から引き続き局面に追い風を吹かせていく。

 背にビル、正面には押し寄せる漆黒の泥。これでは逃げ場が無くなっただけのように見える。自ら希望を投げうった姿ですらあった。

 否。聖杯戦争において凍星奏雨が希望を持った場面はただの一度。その願望を胸に抱いた瞬間にのみ存在する。

 この行動原理に希望は介在しない。だからこそ悲壮なものだろう――この泥を迎え撃つというのは。

「いやさ、思うところはあった訳なんだよ。サーヴァントと並んで戦うような魔術師なんか見せられちゃあ、伊達ながら天才やらせてもらってる身としては」

 右手に短剣、空いた左手で薄赤い液体の入った試験管を取り出す。その間も、ひたすらに泥を見据えていた。

「泥で汚名を(そそ)ぐってのも、変な話だけどさ――」

 試験管に掛けられていた魔術を解き、口でコルクを開ける。頭の上で一周、腕を振り回して中身をバラまく。

 赤い正円が奏雨を囲った。その中身は事前に抜き取った奏雨の血液を魔術で加工したもの。人体の一つである血液で囲まれた空間は、魔術を起動する事で自身の領域とみなすことが出来る。

 彼が彼自身の領域で何が可能なのか。それは魔術師の工房とはまた違う概念であり、固有結界の考えが近しい。

 魔術特性即ち秘匿。

 起源即ち凍結。

 二つの要素が繋がり絡み螺旋し天成するのは、DNAのように絶対的でごく自然な、自己保存の才能。

「――Frieren(ザイン)

 腕を突き出し、短剣の刀身が青白く輝き始める。

 周囲を囲む赤き血液が、菱形の光となって宙に浮かび始める。それは円柱の壁のように、やはり青白く奏雨を照らした。

(かみよ)胞衣(えな)たる我が血盟。この身匿う(氷室)にて、狂い芽吹く(とき)を待つ――!」

 黒星の反響がこの地へ泥を(よび)込んだ。唱えに応えし悪腫が無垢を一色に染め上げていく、混沌という名の涅色へ。

 対するは現代に姿を現した、世界の進行速度に耐えうる強度の結界。七代目凍星家当主の力で改められたそれは吹雪に霞む洞のように、万象を耐える力でありながら――万象から隠れる術と化した。

 手当たり次第喰らい付く暗黒の泥は、悪食だからこそ()()を食べ残す。

 この世の汚濁に満ちた悪性の波濤に晒されても、たった直径一メートルの氷原はその潔白を用いて抗い、跳ね除けてみせた。

 青白い正円。傷一つないその領域こそ、刻まれた戦跡となる。

「――ハァッ……! ハァ、ハッ……」

 術者を中心にした結界を維持したまま移動する、なんて神業、手を掛ける事すら彼は未だ叶わない。泥が這いずった地獄の釜へやむなくその身を投じるしか道を歩む術はなかった。

血脈よ、樹氷を残せ(füge――Blut――Zeit)――!」

 体内保護の魔術を掛けてから奏雨は結界を解く。

「…………っ」

 地獄の釜という喩えが間違っていない事を知り、苦笑すら出来ずにいる。

 ここだけ地球と異星がすげ変わったと言われても信じてしまうだろう。一歩踏む出す度、満ち尽くした悪意から嘲笑されているような感覚だ。

 地表から湧き立つ火焔は紫色の燐光を帯びている。勿論魔力を伴った光焔だが、感じるはずのない既視感を覚えて、一度足を止める。

 思考に更けそうになった時だった。魔力と言えば、自らの従者であるキャスターの魔力が感じ取れるようになっている事に彼は気が付く。

 場所は孔の真下、移動はしていないようだった。通信も試してみるがそれには応答無し。仕方なく徒歩で往く。

 火の海から見上げる空に、どうしても孔を連想してしまう。視界の輪郭に見える炎と夜闇の黒が、どうにもおどろしい。

「どうしたもんかな」

 間違いなく聖杯戦争は破綻した。巻き込まれた組だっているんじゃなかろうか。

 仮に今聖杯が手渡されたとして、この場の収拾に使うハメになりそうだ。そうなるとわざわざ命を懸けるメリットがほぼない。収拾と言えば、あの神父はこの事態を秘匿出来るだろうか。

 

――月に見つめられしこの街は、いずれ狂気を呼び込むでしょう。

 

 月詠マキナ。監督役の事を考えた途端妙な怖気が背筋をなぞった。首を振って頭から追い出す。今はキャスターが最優先だ。

 キャスターに近寄るという事は孔に近寄るという事。鮮明になっていく常闇から目を背け、まっすぐキャスターのいる方へ。

「キャスター」

 その後ろ姿に、混じり気を感じる。悪戯心に富んだキャスターの、悪戯では済まない何かが……その霊基に内包されている。

 真っ平に広がった氷上の如く、強かでまっすぐに呼び掛ける。

 望郷に馳せるその背中が、お転婆に振り返る。

「無事だったんだ。()に気付かれてないのはボクのおかげかな」

 その顔に目を奪われる。思わず口を挟めず凝視する奏雨を、彼女は問いだと誤認する。

「うん、影。この世全ての影(・・・・・・・)。いや、()だか。さっきのは準備……あの泥を使って爆縮を引き起こした時――」

「誰だよ、お前は」

 均された平坦な声。それは両者共にそうだった。口ずさむように語るキャスターも、張り巡らしている思慮を押し隠して問いを発した奏雨も、業火に似合わず平静な音を喉で鳴らす。

 声色だけがキャスターの変化ではない。むしろそれは微々たるもので、外見だけで幾つも変化している。

 中でも目を惹くのは、ターコイズを染め潰した緋色の瞳。そして艶めいた黒を泳ぐ白蛇が特徴のトップハット。泳ぐというのは直喩であり、事実帽子を泳いで柄が移動している。

「貴方のサーヴァント、■■凍結保持者(イニシエーションバンク)だよ。――そんな怖い目で見ないでよ」

「ぐぁっ!?」

 奏雨の何処か(・・・)が激烈に痛む。咄嗟に痛みを発している場所を抑えようとして、空を切った。背後の空間が痛む、としか形容が出来ない状態に晒され、混乱を隠せない。

 体内への影響は魔術でシャットダウンしていた。いや、それはサーヴァントの力の前にどれほど効力を発揮するだろうか。この際自身の耐性は棚に上げておくとしても、凍星奏雨の知るキャスターにそういった能力はなかったはずだ。

 激痛に悶えながらもキャスターの瞳を睨み付ける。それは僅かで、碧から緋に比べれば卑怯なくらいの変化。それでも見逃さないのは、自らも持つその力に嗅覚があったのか。それとも勘、或いは幸運か。キャスターの左眼が模様めいている事を認め、先程までの無警戒さに腹を立てた。

「魔眼……!」

「おぉ、目敏い」

 痛みが消える。嘘みたいに呆気なく。実状、それは嘘の痛みで、後遺症は指先一つもない。無論痛みによるショックなどは別とするが。

 キャスターの左眼には非対象の花が浮かんでいる。幾つもの曲線が束を織り成したそれは、薔薇柄に相違ない。

「暮薔薇の魔眼ってところかな。今味わったのは、無いはずの翼が傷む感覚。幻肢痛をでっちあげたんだよ」

 深く息をして落ち着こうにも、淀んだ空気じゃ心は澄まない。

 何故、とキャスターの瞳を見つめる奏雨。魔眼とは目を合わせずとも魔術を掛けられてしまうが、合わせない事で威力を落とすという見方も出来る。だというのに見つめるのは、キャスターを信じているからという綺麗事ではない。

 その気になれば自分を殺す。それを思い知った彼には、生死に関わらない場面での抵抗が無駄に感じられた。

「別に、意味なんてないよ。誰かを痛め付ける事に意味なんてないし理由もない。原因はあるけどね、ボクが変質した原因」

 そういって、月を見るように孔を眺めるキャスター。奏雨もつられて見上げた。

「……!」

 魔術を食らい思い知った。知っても気付かぬ振りをした本能を、理性が暴いてしまう。

「影からの呼び声にボクは感応したらしい。破壊の黒星が墜ちた現代、嘲笑を刻む混沌なる化身にボクは侵された。あー、伝わるように話すよ、つまりはあの泥のせい。……セイバーの彼ならもっと酷い事になっていたろうね。でもボクは元より適性があった。この宝具が、その証」

「偽証宝具しか持たない。そういう話だったけど」

「その時はね。今は違う。――宝具開帳《無形の蛇、加虐の如く(リビドー・オブ・ポゼッスト)》」

 帽子を押さえて、したり笑いを誂える少女は、光を逃さぬ闇の外套をその身に降ろす。その清純なる混沌は正しく孔と同質のものだった。

 魔力も、性質も、言うなればオルタナティブ。キャスターの本質を捉えたまま他の全てを溶解し、神代の人形のように、混沌の泥で霊基を縁取っている。

 宝具の後天的獲得なんてイレギュラーと片付ける事すら憚られる異常。

 しかし、元から適性があったとキャスターは言う。それが本当ならば?

「合流した……? あの泥と共に漂流してきた、何かと」

「勘がいいね。そうだよ。元々ボクが持っていたはずのものが帰ってきただけ。……いや、どうだろうなぁ! こんな気持ちを、ボクは知らなかった訳だし。うん、これ以上訳知りで話すのは辞めておくよ。なにせこれらは全て覆る可能性だってある」

 キャスターは全てを知っているわけではなく、あくまで鑑識眼に長けた彼女の能力。それはオルタナティブと化しても、いや、そう成ったからこそ惜しげもなく暴き広める。

 力の抑制をしていない。衝動的に扱いながらも、霊基は狂化していない。未だ掴み切れないサーヴァントの前で、少年は真に迫った愚問を零す。

「キャスター」

「うん?」

 顎を上げて、悦に浸る様子を隠しもしないキャスター。平時よりも更に色白とした肌に灯る紅には、剥き出しの薔薇を思わせる危うさと高雅さが両立している。

「望みは。痛めつける事に理由は要らないと吠えたお前の、望みはなんだ」

 左手に宿る一画の聖痕、その責に応える儀式。結託か決別、その分水嶺。

「――聖杯に求める望みはないよ。聖杯そのものに興味はあるけど」

「なら」

「でもね。折角なんだから愉しみたいよね。だからまずは、神代の遺産を解き放つ」

 詰まった言葉は押し返されて、紡ぐにも至らず固唾を飲む。

 始まりの日、彼女は言った。

『神秘とはウイルスみたいなもの。この概念はもう知ってるね? うん。だから、マスターがその願いを成就させるまで偽証宝具の使用は極力抑える。それらすべて、今の世にどんな波及を呼び込むか分からないからね』

 今のキャスターはいとも簡単に破ってみせる。彼女を包む闇色の外套がそれを証明している。

「馬鹿言うなよ。神代のおさがりで虐殺でもするっていうのか」

「それもいい」

「ッ!」

 左手が赤く光り出す。サーヴァントをこの世に繋ぎ止める楔が、打ち込んだ張本人の手によって解き放たれようとしている。

「ねえマスター。君の願いを叶えてあげるよ」

「はっ……」

 主と、未だ自分をそう呼ぶ彼女に、ありもしない善性を見る。

 悪戯が正真正銘戯れでしかない彼女は、秩序に基づいた善性の少女であった。同盟相手の仇敵を、かのバーサーカーを打ち倒さんとしていたのは、セイバーに続き彼女だった。聞けば、キャスターはただ『セイバーの彼に、同じ轍は踏ませたくない』と、そう答えるのみだった。その声に宿る慈悲は、未だ奏雨の耳にこびりついている。

 左手に持つ刃が鞘へ隠れる。

 失態。聖杯戦争は終わらない以上、これは魔術師凍星奏雨の汚点である。マスターとして生きた刹那に、これまでの人生で秤を抑え続けてきた理性が敗北した瞬間。

 その見透かすような薔薇の瞳に、ありもしないものを感じてしまったから。

「俺の願いは、きっと違うんだよ」

「知ってるよ、分かる分かる。マスターはただ……自分の才能を尊重してもらえればそれでいいんだよ」

 逆鱗の輪郭を確かめられながら抱擁されるような、行き止まりの感情に言葉が続かない。

「ボクは才能があるマスターが大好きだ。ボクがその力を突き詰めてあげよう。確かな結果を与えよう。ボクは貴方の、従者であるからに」

 外套に潜む蛇が哄笑を上げた事を、堕ちて往く主は知る由もない。

 精神汚染。樹氷は既に、溶解していた。

 風の刃が焔を巻き上げ影を両断し、尚も勢いを止めず少年の手を取ったキャスターの腕を跳ね飛ばす。

 乱回転して巻き散らした血液はキャスター達へ振り掛かり――黒く変色したそれが粒子となって消滅していく。

「無形の蛇を捉える事は出来ないよ。じゃあね、《一切両断》」

「……悪いね。白金」

 凍て付かせるのは悪くない。

 でも、沈み墜ちるのも、それはそれで悪くない。

 それが本心なのか、手慣れた自己暗示なのか。どちらでもよかった。




解説

林道華燐のオルタ化書きたいと思ったら凍星奏雨が闇堕ちする話になっちゃった回です。
この世界線で喚んだ林道さんは秩序/善、要するに蛇王の外套と契約していない林道さんです。
知る人ぞ知る、ジャーム化したB市前支部長をバーサーカーに置いてストーリーラインをなんとなく作ってみました。こういったありもしない前話を交えて見る事で書けてない林道さんの善性エピソードを挟めるかと思いまして。

して、月詠さんが細工した聖杯は既に幾らか狂気が溜まっていて、サーヴァントが聖杯に還る度その体積を増やしていく。そっから不幸な事に鴉羽さんを引き寄せ、大きく体積を増やした狂気聖杯は見事溢れて、林道さんは泥を被るという流れ。
聖杯の孔の発生場所は偶然ですが、林道さんが泥を被って会得したウロボロス由来の力を見るに、惹き合ったのかもしれない。

月詠さんと鴉羽さんから作られた泥に汚染された結果、節々に鴉羽さんを匂わせる林道オルタの言動。
ここではオルタの定義を『聖杯によって有り得た姿に変容させる』『善性をひっくり返す』辺りに設定しました。なかばジャームです。彼女の衝動は加虐。

元々の林道さんを知ってる人にはオルタ感がないかもしれないですが、彼女は『元々の善性が強くて、蛇王の外套と契約しても未だに良心が残ってるキャラ』という扱いでもあるので、DX3が悪性70、通常鯖が悪性5、オルタが悪性100みたいな......なので元々と比べると誤差みたいな。でも一線を躊躇なく踏み越える辺りはやっぱり黒化英霊といったところ。

奏雨君が言い当てられた願いはほぼ当たってると思います。
これからの聖杯戦争の展開は聖杯の力を引き出しながら戦う林道オルタ&いつか受肉する鴉羽対他面子みたいになるんじゃないかな。
最後の令呪はちゃんと切り札として、互いを救うルートへの切符になってくれそうな予感。だとするとあそこがトゥルーとノーマルの分岐なのかもしれない。


――俺は

令呪を使う。キャスターは野放しにしてはいけない。

▶令呪は使えない。俺と願いを叶える気があるなら、裏切れない。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。