闇鍋の具   作:凍星 奏雨

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生得領域に踏み込んだ奏雨の前に、般若面を被った霊体が立ちはだかる。
対応していく中、奏雨は生得領域の内容に既視感を抱いた。
逃亡か進行か、呪術師は足を止める理由を天秤に掛ける。


臥室業病②

 際限なく現れる般若霊は式神のようだ。特有の消失反応はない、幾ら狩っても本件の被害者に供養出来はしない。

 江戸時代の街並みと言ったが、うんと広がる一本道には重なるものがあった。

 鉄扇呪具『葬扇』を片手に、私は一本道を駆ける。

 

「くそ、放っておいたら面倒だな……」

 

 後ろから、幾人もの般若霊がついてくる。憑いてくるとでも言うべきか? 兎も角。白い鬼面を被ったそれらを連れて本丸に飛び込むのは如何にも挟み撃ちの構図になってしまう。

 術式を使えば足を止めずに倒す事は出来るが、この量目掛けて使うのは呪力を食いすぎる。

 私は転身して、右手の鉄扇を振りかぶった。

 

「そういうアレか」

 

 斬った心地が悪い。ズルンと、ゼリー質なものを斬った感じだ。

 ビデオゲームをやったことがあれば感覚的に理解が出来る。幽霊には物理攻撃が効きにくい。しかし般若霊にはあからさまな弱点がある。

 般若面目掛けて、呪具を振り上げた。

 手応え抜群。

 仮面が破砕するのと同時に、霊は消える。素顔を図る間もなく別の霊が寄って来るので、ひとまずは物理攻撃での殲滅が先決だった。

 

「品切れ……だったら楽だけど」

 

 数えてもいないが、大体十匹弱。こうも仮面を割られては堪らないとでも言いたげに、忽然と霊は出なくなった。

 或る現実から目を背けたく、私は背後を見た。

 一本道の突き当たり。遠くに見えるのは紅色で出来た門。一対の鴟尾(しび)が瓦屋根に乗っけられており、それそのものが門ではなく荘厳な建物として主張している。

 

「それは流石に、準一級の手には余るでしょ……!」

 

 外界と隔てるは羅城門。

 薄暗い空はそれ即ち逢魔の刻。

 生得領域とは呪霊の心象世界を適用したもの。

 

――平安京。

 

 鬼面蔓延る魔界。京の都が、この呪霊においての心象世界。

 

「鬼か、妖術使いか。なんだろうと特級レベル……とんだ地雷だ!」

 

 任務の難度を見直すべきだ。単独じゃどうにもならない。

 特級……せめて一級並の術師の応援が要る。

 羅城門へ駆け出す。生得領域に共通した正解はなく、確立された出口なども無い。けれど、平安京においての出口が門じゃなければ、いったい何処だというのか。

 

 情けなくも翻した外敵へ、またも般若霊が現る。

 いや。

 『また』ではない。

 

「逃がしませんよってか……」

 

 立ちはだかるのは三メートル強の女霊。

 相変わらず純白の仮面に二本の角が生えている。一目で女霊と分かったのは身体つき、そして身に纏う十二単だ。

 右手に『葬扇』左手に形代を挟み、宙を浮かぶ呪霊を睨んだ。

 

「私の術式は葬送呪術。弔いに呪いを込める」

 

 私の姿を認めた呪霊は戦闘態勢を取る。

 大きく広がる袖から、腕の代わりに刃を伸ばす。双刃の両腕からは、悍ましき呪力が迸った。

 一直線に迫られる。

 

「ッ! つまり、人型や呪霊に呪力を通して発火し、火葬する為の術式、それが私の『荼毘送り』」

 

 鋭い一閃を呪具で弾き、動きは交錯する。

 振り向きざまに反撃を放つも、十二単を僅かに引き裂いただけだ。

 

「つまり、お前は私の術式対象なりうるって事。『荼毘送り・弔寵』」

 

 呪霊の身体が紫炎に包まれる。

 焦げるような匂いが漂う。

 火の粉が散る。

 

 紫刃が奔る。

 

 燃えても尚闘争本能を剥き出しにする呪霊。

 達人というほど冴えてはいない。怪力というほど逞しくもない。

 ただ揺らめくように刃を振るい、返す刀を悠に躱す。

 捉えにくいだけ。これなら私から攻めても問題はない。

 

 『弔寵』の炎には毒素が混じる。当然だ、火葬に織り込まれた呪いの炎なのだから。

 それはどうやらこの呪霊にも通用しているようで、動きは鈍い。

 右の刃を弾き、もう一方の刃を逸らして躱す。

 浮いている為に体勢が崩れることはない。追撃は止まない。

 流れゆく連撃の間隙を突く。

 

 つもりだったのだが。

 背を向けて逃げるほかない。今も背中越しに風を切る音が聞こえる。

 

「シンプル届かん……!」

 

 三メートル以上ある人物の仮面に、鉄扇如きが届くはずもなかった。

 術式は効いているが、沈む気配はまだない。

 時間を稼ぐ為に逃げるつもりだったが、呪霊が倒れるより先に羅城門に着くのが早かった。開かれた門の先には一層暗い森林が映り込んでいる。

 ……逃げるつもりだったけれど、渡り合えてるなら祓えるか?

 平安京と言っても数多くの伝承がある。それこそあの菅原道真公から、名もなき妖まで、ピンキリとも言えよう。

 高く見積もりすぎていたか。

 

「ここは使いどころか……」

 

 振り向いて先ず仮面の位置を確認する。そして、左手に持った形代に力を込める。

 人型を燃やす『弔寵』は、人の代替となる形代も術式対象として捉えられる。呪力を通せば、仄かに熱を感じ始めた。

 呪いの炎そのものが左手の中にある。これを握り込んだ打撃なら霊体にも効きそうなものだが、生憎体術は得意じゃない。

 

「『荼毘送り・無雁』」

 

 形代を燃やした紫の炎が、般若面へ放たれていく。

 今しがた右の刃を振り抜いた呪霊。飛来する鬼火へ対応は間に合わず、間一髪ながら着弾する。

 所詮最も価値の低い鬼火だ、手は抜かない。

 足に呪力を込め、怯んだ呪霊へ跳躍する。

 

 般若面が見上げるのを見た。感情を遮る鬼面。

 私は無感情に徹して、呪具を叩きつけた。

 

「はぁ……」

 

 終わってみればなんてことのない呪霊だった。毒で動きが鈍化した分、死にそうになることもない。

 通り越した呪霊の身体を振り返る。背を向けられており、結局その尊顔を伺う事は出来なかった。

 紫炎に包まれ、それは弔われる。人の恨みを背負った、生まれながらの害悪は沈む……。

 

「――え」

 

 消える。なんの痕跡も残さず、忽然と消える。

 消失反応すらも、残さず。

 

「これも式神か……」

 

 私の身体に影が落ちるのと同時に、片膝から力が抜ける。

 思わず膝を付けば、鋭い痛みが走った。

 心臓が冷えるようで、頭が熱を帯びる。

 

「掠ってた。掠っただけで、これか」

 

 影を落としているのは、十二単の般若霊。

 双刃携え、怒気を孕んだ面が見下ろす。

 傷口から何かが流れ込んでいるのが分かる。体感で分かる、村の男性はこれに侵されて死んだんだ。

 

「倒してもキリがないんなら、やっぱり私とは相性がいい」

 

 十二単は再び呪いの熱情を纏わる。命を燻し、弔う呪いは、しかし刃を止めるに至らない。

 身動きの取れない私へ刃は迫った。

 

「術式反転――『白奪』」

 

 般若霊を縁取る炎が一瞬にして凍て付く。

 負を用いて黄泉へ送る炎はその役目から裏返り、正を用いて今世に縛り付ける。

 術者が新たにアクションしない限り、式神である般若霊が動くことはないだろう。

 今のうちに怪我へ反転術式を施す。

 身体を巡る呪力を傷痕に回して、身体の組織を補っていくイメージ。

 

「……私と同類か」

 

 呪術における毒は多様に渡る。

 私の術式で使役する毒とは、負のエネルギーが故に毒となるものだ。科学的根拠に基づいた毒性ではない。

 そして、この呪霊が及ぼす病も同じである。

 病を与える術式なのではなく、結果病と同類の出力結果になる呪術。

 身体に入り込んだ他者の呪術ということなら、反転術式が持つ性質である『呪力の中和』が抵抗を図れる。

 運が良いのか悪いのか。発病即死はないと分かったけれど、反転術式を何度も要求されれば呪力切れは必至だ。

 

 氷漬けになった般若霊。

 ……塩宮先輩が言うに、『白奪』は然るべき副作用があるはず、らしい。

 呪力操作に長けた先輩は私なんかよりもよっぽど反転術式を上手く使う。そんな彼の術式反転も、その反転した特性を自覚して適切に運用されている。内容は呪力によって及ぼされた現象を解くものだ、それを踏まえて、私の術式反転はただ凍らすだけじゃないと言わしめたのだが。

 想像が及ばない。

 火葬の反対は氷で包むことなのは妥当だろう。そして、その先と言われても。

 正のエネルギーで運用される氷なのだ、反転術式のアウトプットのように呪霊を即祓除出来てもいいものだが、叶わない。何故叶わないのか。はて。

 傷を治し終えても、私はまだ回想に(ふけ)ていた。

 

 

 一年前。

 

『ま、そんな肩を落とさなくてもいんじゃなーい?』

『……実際、雨葉さん的には的外れな話でしたしね』

『うぅん。奏雨くんに当てはまる根拠もないと思うけどねぇ』

 

 高専OBの言である。

 曰く『諦観がある術師は伸びしろに難がある(オブラート二重構造)』……まぁ、諦観なんてあるだけ無駄という話だ。

 その点私も雨葉さんも、困難な事柄へ執着出来るタチではなかった。しかし反証として、雨葉さんは生得術式の応用を多く可能としており、私にも限られた者が扱える反転術式が備わっている。

 それを踏まえての話だった。

 物事を正しく判断する能力は呪術師にとって必須スキルだ。だがしかし、自分の力を正しく判断した上で、それを上回る能力を引き出さなければならない場面もある。その点においては私も雨葉さんも、欠けていると評された。

 

 それから少しして、雨葉さんは領域を修得した。

 

 

 ……どうして、こんなことを思い出しているのやら。

 

「行こう」

 

 目の前の氷像はもうどうでもよかった。

 村の人の顔も思い出してはいなかった。

 やらなければいけない。使命感とは別のところで、そう思っていた。

 呪術師の活動に自尊心を懸けてはいけないと分かっていながらも。

 

 行き先にアテはある。

 左側の道……正面に羅城門を見据えての左だから、この平安京風生得領域で言えば、東の方角。

 向こうから大きな呪力の気配を感じる。

 屋根に跳び、平安の街並みを踏み均して向かった。

 けれども、平安京といえば平安京じゃ…………つまり、大内裏ではなかろうか。不気味なほどに静まっているのは、見逃してはいけないことなのか、それとも結界の主は大内裏ではないところに所縁があるのか。

 

 呪霊に合理はない。

 

「あれか」

 

 立ち上るような呪力が一つの、区画とも言える場所から発生している。

 生得領域と同質のものだ。

 こんな時に奇襲出来るような細工があればいいのだが、残念至極、この身一つで乗り込むしかない。

 

「……結界」

 

 邸宅を囲う塀に連動して結界が張られている。

 なんならこれ、当時にも張られていたんじゃないか。それほどまでに大きな屋敷の群れが、結界の内に収まっていた。

 さて、平安京と言ったら他に何があるか。

 

「取り敢えず門を探してからだな」

 

 結界の中には限られた箇所からでないと出入りできないものがある。強固にする代わりに穴を作る、縛りにおける足し引きの基本だ。

 先ず考え得るのは門なわけだが、これは外周を走っていればすぐに見受けられた。

 当然ながら、門番も。

 

「般若面じゃない。今度こそ呪霊か……?」

 

 二匹、片腕が槍と同化した人型の呪霊。私の接近に近付けば、腐乱した肌と相反して、機敏に迎撃しに来る。

 槍使いをあまり懐には入れたくないな。

 形代を一枚掴み、『弔寵』で燃やす。

 手元で燃ゆる呪いの炎。構えるは右手の『葬扇』。

 

「燻せ『葬扇』」

 

 開かれた呪具が炎を送り出す。猛火と化した紫炎は風に乗り、二匹の呪霊を巻き込んでいく。

 呪霊の口から、甲高く悲鳴じみた音が鳴る。

 蝕まれていく様子を睨み付け、強く地面を蹴った。

 自ら懐に入り込み呪具を二振り。

 呆気なく、呪霊は灰と化した。

 

「今度こそ呪霊。倒しても問題なし……」

 

 黒い塵が舞って消える。

 予想通り、門は結界の影響がなかった。入る場所を誘導するくらいの頭が呪霊あるのか、定かではないが、兎も角ここが敵の本陣。気を引き締め直すには丁度いい場面だ。

 空いた片手には形代を握り直し、塀の中へ足を踏み入れる。

 

 私の術式には副次効果がある。術式対象とされる二メートル半径の人物を察知することが出来る効果だ。

 そもそもの話、二メートル近くにいる人物に気付かなければ、そのまま死ぬような仕事である。事実、この効果が活きる場面は片手の指で数えられるくらいなものだ。

 今この瞬間、もう一つ指を折ることになる。

 

「ッ!」

 

 塀の傍で不意打つようにそれは佇んでいた。

 それが柄に手を添えるのと、私が顔を向けるのはほぼ同時のこと。

 

 時に、呪術全盛の平安時代を淵源とし、現代においてもひそやかに継がれてきた技がある。

 

「――――」

 

 兜を被ったその剣士は、唱えるように息を吹く。

 私にはそれが――シン・陰流と耳に届いた。

 

『シン・陰流簡易領域――抜刀』

 

 半径一・七九メートルの絶速が私の身体を削り抜く。

 

「呪詛っ……いや違う、お前、呪霊か!?」

 

 腹が持ってかれた。その甲斐あって、簡易領域外へ抜けることは成功した。

 ここから先、最善手以外を取れば死ぬ。

 続く刃、餓鬼のように細身の呪霊は、振り抜いてからもごく自然に追撃の突きを放ってくる。

 掠めた太刀はすぐさま寸断しようと振るわれる。痛みを堪えて呪具で相殺。鍔迫り合いに持っていこうとする気配があったのでどうにか下手に受け、押し潰されるか否かの拮抗を形作る。

 

「カハッ……」

 

 力が入り切らない。反転術式を回さないと不味い。しかしこの拮抗の最中に、それは最善か。

 否。

 奴は剣術の最中、簡易領域を並行して展開することは出来ない。今なら術式は中和されない。

 

 名もなき怨霊。妖乱の世において、その身を呪いと異なる刃が断った赤恥なる武者。

 未練に袂を別つ剣戟は拒まれ、代わりに、弔いの炎が怨霊を捉えた。

 

「――、――……ッ」

「ここで祓い切る――!」

 

 痛みに甘えるな。練った端から攻撃に回せ。

 呪霊の太刀が浮く。

 

「構えだろ、やらせねえよッ」

 

 呪具で太刀を持つ手首を弾き、同じ個所へもう一度叩き込む。

 

 呪具の中には刃先を制限することで、インパクトの威力を底上げし、結果的に部位の破壊を後押しするものがある。

 これには充分量の衝撃を与えられるのが前提となり、パワフルな術師や威力に関与する生得術式が必要となる。

 どちらも私には無い。

 

 『葬扇』は葬送呪具だ。

 前述とは対となる、殺傷能力に傾倒した鉄扇――この呪具の攻撃は、打撃ではなく斬撃とカテゴライズされる。

 

 呪霊の右手が断裂する。淀んだ色の液体が吹き出し、太刀が地面に転がる。

 痛みが反転する、熱が冷たく駆けまわる。

 治さないでいるのも限界だ。

 

「カ、ハッ……」

 

 太刀は遠くへ転がった。『弔寵』でまともに動けはしないだろう。

 脇腹に触れれば柔い肉片が血に混じって張り付いている。この嘔吐感が嫌悪か怪我のせいかも判別がつかない。

 反転術式を回していく。般若霊の呪いが無いのは救いだった、この怪我に身体を侵す病が重なれば、鍔迫り合いの時点で終わっていた。

 

 口に溜まった血が驚愕すらも押し潰す。

 

 眼前に迫る武者呪霊。

 

 

 右手を失った呪霊は、即座に眼前の侵入者を叩きのめす最善の手段を選び取る。

 最速の接敵の障害は、死して尚も死に送る弔いの炎。右手を再生しても、自らが持つ斬術は活かされないと直感した。

 

 左手による刀印。

『シン・陰流――簡易領域』

 呪いは死して、黄泉を拒む。

 

 

「ぐぁ……!」

 

 治療の不意を突かれた。ガードが不充分だ。

 吹き飛んだ、身体が砂利に擦れる。治癒が間に合っていない。

 

「っくそ。マジ、か」

 

 痺れる右手に何処か軽い感覚。

 視線を落とせば無残にも『葬扇』が壊れていた。

 咄嗟に投げ捨て、今度は両腕に呪力を固めたガードで拳を受け止める。

 

「ふっ、ぐ……!」

 

 腹に力が入らない。違う、力を入れると痛みが走る。集中が乱れる。

 反撃を許さない呪霊の連打。肉が悲鳴を挙げ、骨にダメージが響いていくのを感じる。

 簡易領域にいる相手へ『弔寵』は効果が薄い。『無雁』も同様。『白奪』は炎を反転させる都合、火力のままならない環境で使っても意味が、というか頭が回ってない、術式反転が成功する気がしない!

 くそ、格闘だけはずっと駄目なんだよ……! 松林先輩に一本取れた試しすらないんだ、私がこんなインファイトに勝てるわけないだろっ。

 

「……?」

 

 打撃が止んだ。

――振り被った足が、私を蹴り飛ばす。

 

 景色が回っていく。

 床に跳ねる度口から何かが出ていく。

 頭が一際強くぶつかったかと思えば、空中に放り出されている――渡り廊下で身体が大きく跳ねたみたいだ。

 落下は緩慢でいて、それでも身体が一切動かない。

 

「ウッ」

 

 カエルが潰れたように、声が機能的に出た。他人事みたいに思って、少し面白くなってくる。

 出口が大きく遠のいてしまった。門から一直線の軌道に武者呪霊がいる。塀を越えるには結界が邪魔だ。逃げられない。

 視界が赤い。

 

「あーあ……」

 

 気の迷い、驕りだった。

 階級なんかを気にし始めたのは、多分去年の冬。僅かな競争相手で、友人の雨葉さんは、成長とは名ばかりの『覚醒』を果たした。

 それなのに、私の方が階級を上げられていくのが、気味の悪い話だった。……葬送に基づく古風な術式、形式的な呪術という小細工に頼る姿が、上層部に気に入られたらしい。

 自分の立ち位置が分からなくなった。

 それでも、困難な任務を単独で成功させた時なら、私は正しく一級相当と胸を張れると思った。

 呪術師の活動に自尊心を懸けてはいけない。

 痛い目を見なくちゃ、分からない話だった。

 

「くそ、剣持てよ……」

 

 簡易領域を維持したまま呪霊は近付いてくる。身近に門下がいないのでカラクリは分からない、とにかく剣術と結界維持は並行出来ないらしい。

 そしてこの呪霊は、簡易領域を展開したまま戦った方がいいと最適な判断を下した。

 倫理的な思考を直感している……術式はない、あくまで準一級並か?

 

 死地において、階級はなんの意味も持たない。

 

「分かってる、くそっ」

 

 雨葉さんは初めから才能を豊かにしていたんじゃない。窮地にとった行動で、潜在している才覚を目覚めさせた。この期に及んで現実逃避に馳せる私と違って。

 やればやられる。その状況に、夢中で抗える人だった。

 

 武者呪霊の拳術は、冷静に見据えれば、置いてかれはしない。

 避けて、どうにか受けて、邸宅の庭を駆けずり回る。

 

 畢竟、この場で私は夢中になれない。

 

 ……ならば理性で戦え、無駄な思考は全て呪力に還元しろ。

 痛みが身体の輪郭を縁取っている今なら、呪力が何処に廻るかも一層理解る。

 

「フッ――」

 

 武者呪霊の拳を横に叩いて流す――頭カラッポにしても『黒閃』は出ない。出る流れだろ、今までで一番。

 奴の上半身が不気味に動かない。蹴り技が来る。

 蹴り上げ、今度も手で受け止める。反撃を急ぐな、動きについていけてるんだ。

 黒き奇跡に縋る程、万策尽きちゃいない。

 再び拳が迫りくる――。

 

 

――蹴り飛ばされた私は、修練場の床に転がる。

 的確で重たい回し蹴り。立ち上がる気力すら削ぐ一撃だが、これでも松林先輩は加減している方なのだろう。同等以上の呪霊相手に、彼の術式による直接的な祓除は叶わない。そこでものを言うのは、結局身体能力だという話。

 息が整うのを待ちながら、私は先輩を見上げる。

 

「……」

 

 手の甲をくい、と動かしている。……間髪入れずか。

 口数少なな先輩に感化されてか、私も口を動かさず、僅かに頷いて立ち上がった。

 ここで先輩が言葉を出さないのは、術式の影響だけではないのだろう。

 結局のところ、実際に戦う方が早い。

 

 

 呪霊の拳を手刀で弾く。

 鎧だろうと恐れず叩け。空いた左手を弾のように放った。

 

「――――」

 

 ダメージが薄い……。鎧が理由じゃない、私側のミスだ。

 すぐに修正を図る。

 攻め手を変えて放たれた裏拳を、腕で受け止める。先輩の一撃と比べたら軽い。……と言いたいけれど、ボロボロの身体じゃ、一撃の重量なんかわかりっこない。

 

「なっ」

 

 放った裏拳がそのまま腕を掴んでくる。力強く引き寄せられたところに膝蹴り――よりも早く。

 

「――ッ!!」

 

 勢いを乗せた拳に、素早く呪力を灯す。

 防御に回した呪力に横着しない。放った打撃一つ一つ、衝撃に合わせ、瞬発的に呪力を乗せろ。

 今度は失敗しない。一手早く、呪霊の懐をぶん殴る。

 

「離さねえなら……っ!」

 

 よろけても尚こちらの腕を掴んでいるのなら、今度はこっちが引き寄せる。

 散々蹴られ殴られ視えてきたのは、防御と攻撃の呪力操作を、感覚的なオートマではなく理性的なマニュアルで行なう技術。

 相手の動きに合わせて防御出来ることが前提となるが、防御の呪力を攻撃部位に移す過程を省略出来る。自己イメージは、照明に対応するダイヤル切り替え(オートマ)スイッチ切り替え(マニュアル)、一から十に移す操作を零か十にする。

 数発貰ってようやく奴は手を離した。

 攻めを譲る道理はない。

 

 一転攻勢という字が頭に過ぎった。

 相手の攻撃を受ける四肢に呪力を回し、反撃ですぐさま切り替える。自分の術式に頼れない相手へ、この身一つで制圧する。祓い切る、先刻の言葉を実行しろ。

 

「はッ!」

 

 遂に奴の両腕をガードに使わせた。

 徐々に押している。呪霊の背後には先程ぶつかった渡り廊下がある、このまま追い詰めて致命打をぶつける……!

 十字に作った腕をそのまま倒し切る馬力は出ない。呪力操作の領域にない、純然たる力不足。

 だがこれでいい、これで。

 

「――――」

 

 チリ、と。

 呪力が『起こる』。

 捉えるべき違和感を、返り咲いた優越感が上塗りする。

 

 

 十字に作った腕がひそかに手を伸ばしていたのは、文字通りの懐刀。

 リーチもなく、術式もなく、現代においてはたかだかナイフ程度の、術師にとって脅威に及ばぬ刃。

 

 然して。

 日の落つ頃、それは迸る。

 

「……ッ!?」

 

 貧しく欠けた懐刀を、技術が満たした。

 寸足らずな刀身が呪力を得て、侵入者に堂々なる不意打ちを刻む。

 

 『シン・陰流――朧月』

 

 

 間に合わない。私の機動力がこの突きを上回ることはない。

 咄嗟に掌を向ける――

 『千切れさえしなければ』

 願いは呪いを帯びる。

 

「ッッ――ぁぁあああぁぁ!! はっ、ぐ、ぅぅッ……!」

 

 左腕が粉々になる錯覚。最早痛覚を凌駕し、左腕を破壊という二文字が浸している。

 再び吹き飛んだ私は武者呪霊を見上げている。

 

 ……斬撃を受けて?

 あまりの痛みに腕を見るも、一見すると酷い状態ではない。中身は多分、悍ましい惨状だが。

 向こうに種があるのか? しかし、刹那に見えたところ、呪力で刀身を伸ばしたようにしか感じなかった。呪具のように、切らない代わりに威力を増す縛りか……いや。

 縛りだ。そうか、縛りを結んだのだ。

 『斬撃を受けて切られない代わりに、その分見合うダメージを受けた左腕に与える』内容で、私は攻撃を受けた。

 

「……儲けもんだよくそ……」

 

 左腕がまるで動かない。ズタボロな腕を治す暇はない。

 散乱する形代。これらを『無雁』でぶっ飛ばせば押し切れるか? いや、多分無理だ、低価値の鬼火じゃ個々が中和されて終わる。

 白兵戦が成立していたのは四肢が充分に動けたからだ。この痛みの中じゃ、無事な右腕も満足に動かせやしない。

 刀身を迸らせて、武者呪霊が近付いてくる。

 得物が無ければ、刀剣を相手取ることは出来ない。最も効果的に奇襲を成功させた、向こうが上手だったな。

 

 腕がちぎれていなくても、ここで死ぬんじゃ関係ない。

 いっそ痛覚がある面積が広がって、より苦しんで死ぬハメになった。

 

 ならもうぶあるだけぶちかますか。

 散らばった形代を握り込んで、私は立ち上がる。

 

 雨葉さんなら、生得領域内でこれには負けないだろう。

 松林先輩が白兵戦で負けるイメージも想像できない。

 塩宮先輩も間合をとって、術式を適切に運用するに違いない。結局、塩宮先輩に与えられたヒントは活かせなかったな。

 

「ん、あれ、呪霊に殺されたら呪いになれないんだっけ……? どうだったっけな」

 

 どう死ぬかに思考が移った時点で、決着を待たず負けている。

 迫りくる武者呪霊を相手に、過去を手繰ることしか出来なかった。

 『然るべき副作用』……結局僅かな取り柄の術式反転の強みも、引き出す事は――

 

「――あ」

 

 それを理論で保証することは、時間が許さなかった。

 武者呪霊は刀身を伸ばした懐刀を用いて、私は『弔寵』で燃やした形代を右手に握り込んで、近付く。

 

 『距離』は『間合』に変じた。

 

 一太刀目を大きく飛び退いて躱す。

 続く斬撃も深追いせず、的確に追い詰めてくる。身を翻す度に左腕が悲鳴をあげる、漏れそうになる声を噛み殺して好機を待つ。

 それでも『シン・陰』を身に付けた立ち合い特化の呪霊。情熱に浮かされることもなく、唯、殺す為に刃を振るった。

 

「……『荼毘送り・無雁』」

 

 緩やかに右手を離せば、幾多の鬼火が舞い踊る。

 隙を伺うのは無理だ。手負いの獲物に、この呪霊は微塵も気を緩めない。

 

 鬼火を鎧で受ける呪霊。やはり領域内で引火までは持ち込めず、ささやかな毒素が弾けるも、それが呪霊の内部を侵していくことはない。

 使役に乗じて肉薄する。

 握り込んだ拳が届くよりも、こちらへ振りかざす刃が迅い。

 

 隙を伺うのは無理だった。

 ……だからこうして、隙を作った。

 

「『白奪』」

 

 散らばらせた形代と反し、私の手には一枚の形代がある。既に燃ゆる形代――その炎を氷に転ずる。

 体重を乗せて、懐刀に氷刃を叩きつける。これが通らなければ私は死ぬ。これが通らなくても、私は持っている力を尽くしたと言える――

 

――金属音が響き、刃が空を舞う。

 

 地面に突き立った呪力の刃が解ける。

 

「――――……」

 

 氷を喉に突き刺す。

 何かを唱えるような音が聞こえたが、自らの心臓の鼓動がそれを上塗りする。

 

 激闘は呆気なく、嘗て誉れ無き死を遂げた武者は、黒塵と化していく。

 

「……終わらない」

 

 呪霊は消えた。けれど生得領域は紡がれたままだ。

 ふざけるなと叫びたくなるような事実だ。あのシン・陰使いは私の任務との関係がなかったのだ。

 叫べない。痛みと失血で死ぬ。

 膝から崩れ落ち、そのまま反転術式を回していく。重点は左腕。縛りの代償として出血や刀傷などが全て内部の破壊に置き換えられている、他者の血液を媒介にする呪術を相手にしていれば意味のある縛りだったかもしれないが、こうして思うと中々無駄な話だ。……まぁ、もし切断されていれば、私の技量で治すのが困難になっていた。これからを考えるならば、腐ることもないのかも。

 

 呪力を節約する為、治癒は最低限の活動が出来る状態で止めておく。

 『これから』『節約』……形代はほぼ全損、呪具は壊れて身体もボロボロ。それでいて、自分は未だに任務を遂げようとしている。

 この違和感に気付いた私は、ここで退くべきだとも考えている。

 生得領域の主であろう疾病呪霊の術式対象は、極めて限定的で、放置しても多くの人間が死ぬ災厄にはならないはずだ。

 

『子供の頃に答えてもらえなかったことって、案外後に引きますからね』

 

 ここで私が退いても、じきに手の空いた一級術師がここへアサインされるだろう。

 或いは、術式対象を暴いたとして、優先度が下がる案件になるかもしれない。

 

『私が、私が彼を追い掛けるべきだったんです……』

 

 ……。

 …………。

 

 自縄自縛。

 自分が聞いた言葉が、自分が言った言葉が、後ろ指を指して睥睨する。

 

 多分、放置された呪霊によって再び人が死ねば、たった二人が、今日のことを思い出して恨みを覚える。

 指輪をしないで、などと煮え切らない語調でオカルトじみた対策を告げて去る私の姿で、実感が伴わない物事の終わりを感じ取る。そして、稼ぎ口の無くなった財布は無為に寒くなったと実感して後悔をするだろう。奪われるものが無いまま、ただ不定形の足りなさに苦しむことになる。

 

 

 だからって。

 自尊心でも、同情でも、心を懸けたら強敵に勝てる程、ヒロイックな世界ではない。

 

 

 

 任務は失敗となった。原因を祓えてないのだ、当然だ。

 それはそうと、緊急性が認められないことでこの件の優先度は低下するらしい。

 

『生きてるだけで儲けものってやつだよ。死んだり呪いになったら、一生美味しいものも食べられないわけだし。まぁ私は多分食べれるけど』

 

 何かを察した様子で、同級生はそう言ってくれた。

 それでも、私はこの手から何かを取りこぼしてしまった気がしてならない。

 知らない命を取りこぼして気に病む程、私は多分献身的じゃない。あの村の未来について時折憂うことはあるけれど、この先の人生、眠れなくなるくらい牙を剥いてくることはないと思う。

 そうじゃなくて、もっと自己本位なところで、喪失感がある。

 

 

 もしも。

 もしもあの時、私が先へ進んでいたら――

 

 

 

 

『私が、私が彼を追い掛けるべきだったんです……』

 

「…………呪霊は人の負の感情を餌にする」

 

 ここで呪いに対する不信感を強めれば更に力を付けて、近い未来に厄介ごとが起こるかも。

 私は術式対象にならない。対して使役している式神は『弔寵』の対象に選択出来る、般若面という弱点も発覚している。

 武者呪霊に苦戦したのは完全なる不意打ちで先手を取られたからだ。今現在、ターゲットを高く見積もりすぎていることは誰にも否定出来ない。

 

「術式反転……『白奪』」

 

 呪いを移した形代を燃やし、凍らす。私の両手には小ぶりな氷刃が収まった。

 双剣術なんか試したこともない。自分の拳の延長線として、過信せずに扱おう。

 

「んっ?」

 

 立ち上がろうと足に力を込めた時、石に紛れて枯れ木色の何かが落ちているのに気が付く。片手に氷刃を集めて拾い上げてみれば、それは指に収まる程の輪だった。なら素直に指輪と称せばいいものだが、声高に指輪と言うには憚られるものがあった。

 やや歪んだ輪からは不愉快な呪力を感じる。

 指輪の呪物。関係が無いと、考える方が不自然だ。

 

 地面に散らばった形代共々回収しておく。破れ砕けた『葬扇』は活用出来ない、荷物とするより、事が終わったら回収するとして今は放っておこう。

 土足で屋敷に踏み入ると、生得領域に関わらず背徳感があった。

 目指すところはなんとなく分かる。呪力を追って、迷路のような和風建築を進んでいく。

 

 歩いて体感五分と言ったところか。

 長い廊下に合流する。一本の廊下を、延々続く両端の襖が見守っている。襖と言えば生得領域に入る際のものを思い出すが、ただでさえあの暗がり、ボロボロになった襖と意匠を照合することは出来なかった。

 襖を突き破るような不意打ちを恐れながら、私は奥へ進んでいく。

 

 私の装備は二本の氷刃、術式反転で造り出した正の氷結であり、対呪霊においては高い耐久性がある。然し、塩宮先輩が言うところの副作用は未だ判明していない。恐らく今回の任務で禅問答出来る余裕は、もうないだろう。

 そして複数枚の形代。戦闘においては『弔寵』『無雁』での用途に限る。門番の武者呪霊がシン・陰使いだった分、この先の呪霊が扱えないと判断するのは楽観的だ。

 もし簡易領域、或いはそれに準ずる結界術を使うようであれば、形代を使う選択は切り捨てよう。

 とはいえ、術式反転も多用出来る技ではない。

 多分今はすこぶる調子がいい。肝が据わっていて、余計な理性が働いていないのだ。だから呪力操作を失敗することもないだろうが、肝心の呪力が『白奪』の連発を許してはくれない。

 簡易領域を使うようであれば体術と両手の氷刃で祓うのをベースに、そうじゃないなら、呪力を惜しまず術式で確実に攻める。

 この呪霊が領域展開まで使えるならば。

 その時は、その時も、最善の手段で抗うのに努めるだけだ。

 

 邸宅の結界内に入ったところで、式神を凍らせた私の呪力の反応が感じ取れなくなっている。

 氷が融けた……つまりあの場の式神が解放されたか、結界が遠くの呪力を遮断したか、相手が式神を解除したか。

 多分二つ目はないな。呪力をシャットダウン出来るなら、私が遠くからここを感知出来る理由がない。

 とすれば……式神との多対一か。

 

 廊下の突き当たりは、大きな二枚の襖だった。他のと違い、襖には紅葉の木が描かれている。

 この長い廊下の内に、般若に相当する存在を考えてみたものの、平安京や病と組み合わさって成立する例が思い浮かばなかった。

 結局行き当たりばったりということか。

 

 口に出す虚勢は必要なかった。

 透徹した目で、私は襖の先を見やる。




・シン・陰の描写について

簡易領域を展開したままで剣術は扱えないらしい、と描写したのちに『朧月』でバリバリ剣術を扱っていましたが、これはシン・陰の技以外を簡易領域展開中に扱わない縛りで成立させているからです。
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