闇鍋の具   作:凍星 奏雨

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生得領域の主の元へ辿り着いた奏雨は、その呪霊に既視感を覚える。
覚悟をもって応戦するものの、戦いを思うように運べず、希望が見える度に絶望が上塗りした。万策尽きた呪術師の未来は如何に。

もしもの話は収束へ至る。


臥室業病③

 広い座敷を薄く燃ゆる明かりが照らしている。

 大きな影が佇んでいた。

 何かを呑み込まんとする大柄な影は、大きな形代のようなシルエットにも思える。呪霊は、ねばつくような呪力をもって、こちらを凝視していた。

 畳を踏むまでは何もしてこないのか。

 素早く見回した部屋の外周には、骸骨が横たわっている。これが術式による被害者なのかどうかは、骨格で判断出来ない私の頭じゃ、見当がつかない。

 ただ一つ。骸骨の左薬指が、全て捥げていた。

 

「……あ」

 

 平安京に居る人物。

 婚約に傾倒した術式。病。

 般若面。霊。

 

「紫式部――源氏物語か!」

 

 呪術全盛平安時代において書き記された古典文学。呪術との繋がりも深く、入学して間もなく読んだ記憶がある。

 これこの呪霊自体が紫式部か? いや、多分、登場人物。

 

「ッ」

 

 後ろから何かが倒れる音が聞こえる。立て続けに迫って来る。

 振り向けば、襖がドンドンと廊下側に倒れている。自分が歩いてきた道が断たれ、闇に没する。

 両手の氷刃を握り直した。

 

「誘ってる。そういう縛りか? にしても……」

 

 にしても、知能が高い。武者呪霊と言い、縛りを介する呪霊なんかそう見たこともない。

 自発的に結んだのか?

 段々と足場の揺れが大きくなる。

 

「源氏物語には怨霊とされる存在がいる。嫉妬で働くそれは憑りついた者に病を与え、恨みのままに引っ掻き回した」

 

 眼前で呪力が膨らんでいく。

 

「転じて、源氏物語は能楽でも扱われた。舞台の上で、怨霊は鬼女の面を被った。それは後に般若面と名付けられる。あの式神は般若面を被ってるんじゃない、あの鬼女の面を、私達後世が般若面と後から呼んだんだ」

 

 右足を浮かせる。

 

「一級仮想怨霊――六条御息所」

 

 座敷へ立ち入った瞬間、女の悲鳴が部屋中からこだまする。

 

「名前を言い当てられて怒るのは、怨霊の常ってやつだ」

 

――この呪霊は言葉を理解出来ている。

 一級、或いは。

 

「式神術……生霊の伝説はそれか!」

 

 割って入るように顕現した般若面の霊。三メートル程の大きさは先と同じ。

 袖口から伸びるのは刃に非ず、青白い肌色と六つ指の手。

 

「…………いや、いや。……どこの手に指輪つけるべきか光源氏も迷っちゃうだろ」

 

 二つの袖口から、夥しい程の手が湧き出る。

 雑魚霊の爪より、中級霊の刃より、あれは一段とヤバい。

 触れれば、恐らく即発病。

 

「クソッ!」

 

 退路は断たれている、この狭い空間で迫りくる無数の腕をどうにかしないといけない。

 身体で受けるのも不可。

 氷刃で捌けるか? 絶対無理だ。

 

 地団太を踏むように辺りを蹴散らす幽かな破壊の手。

 畳や襖、屏風を蹂躙する中で必死に駆けずり回る。

 謎解きに正解する為ここまで来たんじゃないのに。

 

「あっ!」

 

 木製の破壊音に紛れて、軽々しいものが吹き飛ぶ音が聞こえた。

 辺りの骸骨がどんどんと崩れる。人型じゃなくなる。

 呪力をどう割り振るか考えてちゃ、好機も見逃しかねない。

 やむを得ない。辺りの骸骨へ全て『弔寵』を当て、即座に『無雁』で鬼火に転換する。

 

 意識が散った。

 手が回り込んでいる。

 斬れるか? 

 避けれない。斬るしかない。

 

「ふっ、ぐっ……! よし、よし」

 

 左で受け止め、右の刃で手首を断ち切る。苦労する硬さじゃない、多分再生するから削り切るのは現実的じゃないけど。

 やっぱり先に術者を抑えるのが早いか。

 

「いけ! 屑男だろうがとばっちりだろうが、自分を呪った女を呪い返せっ」

 

 呪霊であろう影へ鬼火を繰り出す。式神への対応でほぼノールック、この際、数人分飛ばして確実に当ててやる。

 式神を突き当たりまで引き付け、数多の手を切り払い横に抜ける。

 くそ、近寄っただけで病を促すのか? 心臓が苦しい気がする、息が整わない。寒い。

 長引かないでくれ、術者の術式さえ乱れてくれれば、式神も解けてくれるはずだ。

 

「はっ……?」

 

 横目で見やった呪霊には火の粉一つついていなかった。

 外れたのでもない、火に耐性があるわけでもない。

 六条御息所を隔てる強力な結界――準最高価値の鬼火が通らない程のそれが、貼られている。

 

「お前を倒さない限り、何にもならない……って? おかしいだろクソッ!」

 

 手を受け止めた刃が弾き飛ばされる。

 残るは右手の氷刃、そして辺りに舞う鬼火が数人分。形代は、多分『無雁』も『白奪』も呪力の無駄。

 死角となった左側から無数の手が束となり、薙ぎ払ってくる。

 受け止める事は出来ない。

 

 一か八か、鬼火をぶつけて相殺を図る。

 

「ケホッ、やっぱり効くには効くんだな……」

 

 紫煙が勢いよく弾け、壁に背中をぶつける。

 やっぱり恨みが籠っていたらしい。呪霊である六条御息所と同一視される式神の方にも、骸骨が持つ呪いは適応される。

 引火はしたが、あれだけの威力でも弱く身体を帯びる程度。今の呪力出力の『弔寵』じゃ式神を燃やせないわけだ。

 

 『無雁』で使役する鬼火が生命体か、かつて生命体だった場合は、その者が持つ『呪い』が出力に上乗せされる。術式などが付与されるわけではない。その者の恨みをこちらで勝手に代弁するだけだ。

 現象としては、死して呪霊になるものに近しい。

 葬送呪術、荼毘送りの炎に包まれた者は死の世界へ呼び込まれる。死して尚も、呪いのみを用いた接続が出来るのだ。

 先程の一撃が効いたということは、この骸骨はやはり呪霊に殺された人物。こうなれば価値は高い。

 

「勝算はある……」

 

 毒も炎も、効果的ではない。ならば勝負は一瞬。

 

 式神は飛び上がった身体に構わず、幾つもの腕を地面を叩くのに使って迫って来る。

 ばだばだばだ、と敵意が鼓膜に叩き付けられる。

 鬼火を仮面に放つ。今度は正確に見定めて。

 

 無数の腕が受け止める。仰け反っている、ダメージは蓄積されているが、それでも残る三つの魂があれを燃やし尽くすことはないだろう。

 六条御息所。悲劇の孤高。

 生前から呪いを宿し、死後も念が晴れることなく命を、繋がりを怨んでいた。

 葵上を殺さずに済めば或いは。

 しかし実状は、幾人の呪いを食らった今現在も、貪婪に呪いを振りまく狂気の娘。

 

 この手で、正しく弔ってやる。

 

 体勢を立て直すこともなく、式神は畳を掻き毟って私に迫る。

 呪力操作は脊髄でこなしていけ。

 勝負は一瞬、祓うか死ぬか。

 

「……!」

 

 囲い込むように放たれた白腕の大軍。

 姿勢を低く、トップスピードで内側に潜り込んでいく。

 正面からの腕を右手の氷刃で切り降ろした。

 足に呪力を込めて飛び上がる。

 

 三メートルの怪女の頂きへ刃を滑らせる。

 

「……!」

 

 直感。

 この身体が届くよりも早く、白腕が忍び寄る。

 

「術式反転……ッ!」

 

 掲げた氷刃に三つの魂が集い、凍て付く。

 怨恨は停滞し、邪悪な魂が移り往くことを許さない。

 朧の月は確固たる存在を示し――

 

――鬼女の面を両断せしめた。

 

「っ!」

 

 着地した私は氷で出来た長剣を握り直し、すぐさま呪霊の方を見やる。

 通りで出会った式神は倒されると補充される形式だった。もし今回もそうなら、この数瞬が呪霊へ刃を突き立てる僅かなチャンス。

 しかし。

 

「結界が、壊れた……」

 

 私と呪霊を隔てるものは何もない。

 途端、右手に持った長剣がはじけ飛ぶ。

 初めは呪霊が干渉したのかとも思ったが、原理を問えば当然の帰結に落ち着いた。複数の魂を凍らせて保持し続けることなど、私の術式では過ぎたる領域にある。

 

 私は歩いて呪霊に近付いた。

 耳鳴りに気付いて、ようやく静かになったと分かる。

 影がふつふつと身体から湧いているその怨霊は、近付いてもその貌がはっきりすることはなかった。

 

 手をかざし、唱える。

 

「茎の名――哀傷――霞の谷――『葬送呪術・弔寵』」

 

 その身を焚かれた怨霊は、気味悪く、甲高い声を空間に揺らす。

 何分も経った。何分も身体を燃やされていた。これを禊だというには、私はあまりにも知らなすぎる。

 生前の身体はどう弔われたのだろう。書かれていたっけ。覚えていない。

 少なくとも、このように、卑劣ではないだろう。

 

 手狭な空間で式神と一対一を強いること、自分の身を強固な結界で固めることが、恐らく縛りの効力となっていた。

 もしくは生霊として巷を騒がせた性質から、式神に強く傾倒し、本体は柔弱なものとなっていたのかも。

 どちらにせよ、抵抗のない相手を燃やすのは心地の良いものじゃない。

 

 黒い塵を残して、炎は消え去った。

 

 

――呪霊の居た場所に、紅梅の花のような色の楕円体が浮かんでいる。

 

 

 確かに仮想怨霊・六条御息所は消え去った。

 だというのに生得領域は消えない。

 何処か肉感を感じさせる楕円体からは、言葉にしたくない嫌な予感を帯びている。

 

 軽い物が落ちる音がした。

 それは指輪、武者呪霊の落としたものと極めて類似した指輪だった。

 

 呪力を秘めた楕円体。

 武者呪霊と女呪霊が呪力の篭った指輪を持っていた。

 妥当な推測。

 

 

「――誰だよ、こんな…………呪霊が呪霊を孕んだってッ!?」

 

 

 張り裂ける音と共に、眼前の『呪胎』が呪霊を産み堕とす。

 先ずは両脚。太くも細くもないが短く、肉々しい桃色が黄色く腫れている。それが三本。

 そして胴――そう思っていた、三つ足を束ねた長い部位は、一本の腕だった。巨大な腕から三本の足が生えている。

 

 手は勢いよく、私の眼前に振り下ろされた。

 

「は、ははっ……とんだ地雷だった……」

 

 手の甲に位置するところから、人間の上半身が突き破って来る。

 人間、と一口に言うには、目の数も、口の数も、その頭蓋が蓄えている智識もてんでチグハグ。

 私の手に逆転の札はない。この指輪がこの呪霊に対する特攻となれば、それはとてもヒロイックで、愛の勝つような正しい物語なのだと思う。

 現実は非常だ、指輪で何かが出来たとしても私には分からない。そして、指輪を持つ私に対してもこの呪霊は一切の手心なく――

 

「グぁッ――ぐ、ッ、ガハッ……」

 

 ……指で弾き飛ばされた。

 まさしく、平安における鬼のような怪力だ。

 座敷の襖をぶち破って、どれほど転がったか。暗い部屋だ。視界が悪い。

 いや。

 

「片目……で、済んで、る?」

 

 手を彷徨わせれば、出処の分からない血がだらりと染める。

 この身体で領域の外に出るのは無理だな。

 

『諦観なんて持つだけ無駄だ。力のない奴が諦める理由を探すな』

 

 ……。

 物事を正しく判断する能力は呪術師にとって必須スキルだ。

 今、呪霊はこちらへ向かっている。速さはそうでもない、ひとまず私を殺すのに最善最速の手段を取ろうとはしていない。

 私の身体は、骨が幾つも。右目も潰れている。形代は使えたもんじゃない。

 

 私は現状を正しく把握している。

 勝てっこない。

 

 ならば現状を上回る能力を引き出す必要がある。

 ……どうやって。

 任意で引き出せるなら、それは自分の手札と同義だ。

 

 

――呪術師の成長曲線は必ずしも緩やかではない。

 

 

 引き出す――引き出すべきはなんだ。

 呪力が足りない想像が足りていない技量が足りていない時間が足りていない血が足りない時間が――

 

「呪力……命を懸けて……違う、死ぬなら意味もない……差し出すものを考えろ……」

 

 引き出す。

 そう、引き出せばいい。

 何処までなら効果的で現実的だ。

 

「来た……来てるな……」

 

 理論で保証する時間はない。

 

「やれなきゃ死ぬ……やらなくても死ぬだけだ……」

 

 もうすぐそこまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「領域展開…………『六刻八墓』」

 

 

 

 焦げた臭いが鼻に飛び込んだ。

 頭が千切れた錯覚さえあった。

 

「は、はは、出来るんだ……」

 

 全能感とは程遠い。然して、この世界の内ならば、あの呪霊くらいは容易いと思っている。

 一面に広がる焼け野原から紫の炎が燻っていた。今か今かと、呪霊を睨んでいる。

 呪霊の身体が炎に包まれる。人型から離れている程効果が弱まる『弔寵』だったはずだが、この領域は些細なことだと、奇形児を平等に焚き付けた。

 呪いの声が響き渡る。

 

「うるせぇ……」

 

 時間が無い。塵に還るのを待つわけにはいかない。

 のたうち回る呪霊は、次第に術者である私に牙を剥いてきた。

 

「居るんだろ、ここに」

 

 がしゃ。

 

 

 

 

 

 ずしん。

 

 

 

 がしゃ。

 

 

 

 

 

 ずしん。

 

 

 

 がしゃ。

 

 

 

 がしゃ。

 

 

 

 

 

 

「手招け――『臥者柩骨(がしゃきゅうこつ)』」

 

 弔いを賜ることなく朽ちた怨念。式神、『臥者柩骨』。

 この場のなにもかもを凌駕する大きさで活動する、無念であり続ける骨の異形。

 

「黙らせろ」

 

 振り被られるは捩じれた骨腕。

 

 

 

 

「いやぁ、突き放されちゃったねえ」

 

 友達は笑って、お茶を渡してくる。

 校舎内のベンチに腰掛け、私はペットボトルの蓋を開けた。

 

「むしろ、ようやく追いつけそうって思いですけどね」

 

 横に座る雨葉さんは、目元をにんまりと歪めていた。言いたい事はすぐに分かった。

 

「私は、貴方のこと、とっくに一級相当だと思ってますよ」

「うれしいお言葉だぁ。ただ、一級呪霊を三体も祓ってきた後で言われちゃあ身に余るよ。……一人でここまでやれたわけだし、一級に上がれるんでしょ?」

「……いや」

 

 意識してか、たまたまか。彼女は無駄に広いベンチで、私の左側に座ることを選んだ。

 

「右目を失ったことと、その場限りの特例の縛りが関与したことで、昇級はまだ見送りです」

「そっかぁ。……特例の縛り?」

 

 頷いて、簡潔に話した。

 領域を展開するのに足りない呪力を、私は前借りした。

 向こう一週間呪術を使用しない代わりに、領域で使用する呪力を賄ったのだ。

 だから特例の縛り。ここで身に余る昇級を受ければ、また同じような縛りを結び、肝心な時に仕事が出来ない可能性も出てくる。……呪術の使用不可があったせいで、あの後右目を治すことが出来なかったわけだし。

 

「それに、あれは結界維持を僅かな時間に抑えることでギリギリ成立してました。まだ、雨葉さんのようにはいきませんよ」

「謙遜もしすぎるとイヤミだよ? 奏雨くんは一級呪霊を三匹祓って、領域っぽいものを修得して戻ってきた。それでいいじゃない。ちょっと顔がカッコよくなっちゃったけどね」

「……そうですね」

 

 舌に残る緑茶の苦みが心地よい。

 ただ、張り付いた味わいは、どうにも今の憂いと重なってしまう。

 

 私のことは、確かに雨葉さんの言う通りだ。あの時必死だったからか、実際に成したことを正確に解釈出来ていないのかもしれない。

 しかし、あの呪物については気掛かりだ。

 呪霊同士の婚約なんて悍ましい現象が、自然に起こったとはとても考えられない。シン・陰の方は兎も角として、六条御息所は条件の細かな縛りまで運用していた。

 そもそもあの村は源氏物語や平安京などと、なんの関わりもなかったはずだ。

 

 人為的悪意が、ぼやけて漂う。

 

「ほむん。なんか、気にしすぎてない?」

「そんなこと……」

「私達は呪術師。出来ない人が多い危険なお仕事をする高校生。危険なお仕事をしてるんだから、もっと気楽に考えないと、いつか潰れちゃうよ~」

 

 でも、考えるべき人が考えなくてはならない……。

 ……。

 

 あの呪具は封印された。

 私はあの後ぶっ倒れて、高専に連行されてから起きたけど、ひとまず村に影響はなかった。

 

 

「……近いうち、一緒に任務行きましょうね」

「お話聞き流されてた? 世にも珍しい大真面目な雨葉ハジメちゃんだったのに」

「バイキング行きましょうねって意味ですよ」

「行く!!!」




奏雨君の覚醒ifでした。
今後、黒幕は1ミリも形にならないと思います。


作中では奏雨君が仮想怨霊として六条御息所を見ていましたが、人の想像が形を与える『仮想怨霊』ではなく、死後呪霊に転じた実在する人物の呪霊という可能性も大いにあり得ます。地の文だと奏雨君がどう思っているのか、右往左往していた気もしますが、普通に彼の没入能力がそうさせた気もします。
怨霊か仮想怨霊、どっちもありうる......そんだけだ。


あと、二人共重要じゃないかな、と流してましたが、一応最後の呪霊は準一くらいのものだと思います。なんなら術式を使っていたのは六条御息所だけなので、本来の規定に則ると二級です。
呪霊を強く見積もりすぎた感はありますが、私は他の代理キャラならもっと余裕をもって勝つと信じています。
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