汗ばむ昼下がり。昨晩の雨が振りかざした湿気は纏わりついて、私達の不興を買った。
解体間近の廃校を土足で往く最中、耐え兼ねて雨葉さんは言う。
「アヅイ……」
「言わないようにしてたのに……」
「……」
全く、呪霊を祓いながら呪いの言葉を宣うとはどういう了見か。
雨葉さんに呪われた私は忽ち暑さが気になりだして、ポケットのハンカチに手を伸ばす。
……もう少しだけ待っておくか。雨葉さんも、そのつもりみたいだし。
ピタりと、前を進んでいた車椅子が止まる。
そして、その傍らに立つ狼が繰り出した熱線は、私の左頬を掠めていった。
「これで全部ですね」
「そんな際どく撃つ必要ありました??」
「肝だけでも冷やしておこうかと……」
一年生、白金縁。
肝の据わった後輩である。
「気配も感じないし、白金ちゃんの言う通り、これで終わりかなー。いやぁ、今回も出番無かったねえ」
「この調子ならじきに昇級でしょうね」
春頃に積もってしまった負の感情を祓うべく繰り出した我々三人だが、雨葉さんも、多分私も、それぞれ単独で問題なかっただろう。なにせこれは三級任務なのだから。
原則、単独任務は二級になってから。
我々二年はおまけ。つまり、四級術師の白金のお供ということだ。
「そうですね」
四級だからといって、この態度を不遜と捉えるのは適切じゃない。呪術師家系の繋がりでやってきた白金は、入学時の実力を比較する場合、この場の誰よりも強いだろう。
ともすれば、準一級と二級が構うのは過保護のようにも思えるが。
「んー、にしても今回は普通だったね」
出口へ踵を返す際に、雨葉さんはどことなく物足りなさそうに言った。
「夢に出そうでしたし、出ないなら出ないで良いですけど……」
「味気にならない? 珍味の気配がするよ、私は」
「ゲテモノの気配がするので」
あれも同じく、白金に同行した三級任務。
今回のように数匹いるのではなく、一体が三級相当として存在する例だった。
白金が一方的に戦いを進めていると、突如呪霊が狂乱し始めたのだ。人間でいえば、自分の手で全て失ったような、などと例えられたものだが、呪霊なのである。それも知性がない低級呪霊。
その後、呪霊は突如身体中に眼球を浮かばせ、戦闘パターンも一変した。
……結局その時は白金が祓い、雨葉さんが名残惜しそうに見つめていた。この呪霊、或いは環境が特殊だったのかとも思ったが、他にも数軒狂乱呪霊が目撃された。それらは軒並み四から二級相当であり、白金が苦戦を強いられたとて、死ぬほど追い込まれる可能性は低い。
しかし、あくまで低いだけだ。聞くに白金家の『成果物』と表現した方が適切らしい彼女を、高専が見誤ったことで失わせた場合、白金家と高専にどう軋轢が生まれるか分からない。もっとも、この部分は私の邪推であり、誰から明言されたわけでもない。後輩と仲良くするための機会を設けてくれてるだけかもしれないし、白金家は娘を一人失っても支障がないかもしれない。
ひとまず、呪術師が少ない以上、呪霊狂乱の原因を突き止める必要性はあるが、末端の私が考えても仕方がないことだ。今私に出来るのは、同輩後輩と共に補助監督のところへ戻るだけ。
「この後どうしましょうか」
「あ、さっき連絡来てたみたいでさ。二人が戻って来てるって。どうせなら五人でどっか行かない?」
携帯片手に雨葉さんが言う。
「確かに。白金さん、松林先輩と塩宮先輩とはあんまり関わる機会なかったですよね」
「あー、まあ」
乗り気かどうかわかんないなぁこの人。
一応断る時はきっぱり断るようだし、雨葉さんに目配せをしておく。
「おっけー。じゃあそう言っとくね」
移動中、車椅子を押したくなるような、実に日本人らしい表面的な甲斐性に襲われるものだが、彼女からそれを認可されたことはないので、黙って歩く。
出会って二ヶ月、それも密度があれば話は変わるだろうが、別にそういうわけでもない。信用の無い相手に車椅子を預けるのは快くないのだろう。私も、雨葉さんや先輩達なら兎も角――別の術師や一般人に右へ立たれると、不必要に警戒しなくてはならなくて困る。
補助監督に任務完了の旨を伝えた後、送迎場所を高専ではなく東京駅にしてもらう。彼は起伏の無い語調で了承してくれた。
車内で、二人と連絡していた雨葉さんが呟いた。
「二人が祓ってきた呪霊、遂に一級の狂乱個体だったって」
私は後ろを軽く振り向く。
「無事なんです?」
「全然ピンピンしてるっぽいよ」
「まぁ、二人が苦戦したらそもそも私達にも手に余りますしね……」
「奏雨くんはだいじょぶじゃない?」
「あんまり後輩の前で買い被るような真似しないでくださいよ。そういう雨葉さんこそ、呪霊の相手は得意でしょうに」
「あまり身を乗り出さないでください」
「ごめんなさい……」「怒られてやんの」
右目が塞がってると助手席から出過ぎちゃうんだよな。
東京駅の傍で降ろすと、補助監督は一握りの未練もなく去っていった。
白金と言えば車椅子に乗り、スーツを身に纏った人形……彼女の術式に即した言い方をすれば傀儡に椅子を押させている。流石に東京、目立っている実感もあまりない。
駅前広場の、まるで海外の大学みたいな外装を見上げながら入る。そのままなんとなく進んでいき、ここら辺で、と新幹線の乗り換え口付近で足を止めた。
「秋田かー……こっちよりは涼しかったでしょうね」
「だねぇ。私も経費で避暑地に行きたいなぁ」
「任務終わったらすぐ戻ってきてくださいよ」
「ちょっとくらいの観光は役得として享受しなきゃ。白金ちゃんも、どっか行きたいとこないの? 兵庫とか」
「何故兵庫……?」
「姫路の方に玩具博物館があったんだよね~、確か。人形とかもあるみたいだし」
思ったより根拠がある振りだったので、黙って後輩を見下ろす。
同性なのを差し置いても、本人の気質が大きいだろう。雨葉さんは中々親身に後輩へ接する。
「どうなの? 興味ある?」
「ええ、それなりに。イスタンブールの方が気になってますけど」
「何故イスタンブール……!?」
「ロボットミュージアムがあるので」
「白金ちゃんのそれ、ロボット寄りなの……??」
正否が定かになる前に、白金は視線を一点へ向けた。
「おっ、せんぱ~い」
「雨葉さん。凍星君と白金さんも、お疲れ様です」
「そんな。先輩達の方こそ、お疲れ様です」
『ご苦労!』
「松林先輩は四時間の新幹線で書いた文字がそれで本当によろしい?」
「一時間で一文字書いてました?」
呪言師、松林先輩のスケッチブックへ口々に異を唱える我々。
さておきと、横の塩宮先輩は角ばったビニール袋を軽く挙げた。
「お土産は帰ったら渡しますね」
「ふぅ! やったね」
感謝を添えて頷いておく。
「白金さんはどうでした? 任務みたいでしたが」
「えぇ。おかげさまで、つつがなく」
「それは重畳です」
『とりま移動せん?』
松林先輩の筆記に反応した者は誰もいなかった。
見落とされたわけじゃない。私はしっかりと文字を見て、そして、彼がすぐさま取り下げたのまで視界に収めている。
私達は肌で感じたものを、黙して共有していた。
全身が粟立つような、呪いの気配を。
「――行きましょう」
塩宮先輩の言葉で、私達は弾かれたように動き出す。
先輩二人が真っ先に動き、まさかの車椅子に乗車している白金がそれに次ぐ。傀儡躁術によるものなら本来の車椅子以上の速度があってもなんら違和感はないのだが、絵面……というか状況は少し危ない。
「何いまの……」
「え? 何が?」
「冷房めっちゃ効いてない?」
「え? え? 怖い、なに?」
一般人にすら呪いの気配が伝わっている。
恐怖と戸惑いが混在して足が止まっている中で爆走すれば、先行している生身の先輩達は兎も角として、車椅子じゃあ流石にぶつかりかねない。
「急患でーすっ! 通してくださ~いっ」
横で駆ける雨葉さんが声を張り、辺りに響かせる。
遠くの気配よりも
なんだか、危機感の中に機転への感心が同居している。
二人は迷いなく丸の内中央口を抜けていく。
外へ近付くことは暑さに飛び込むことと同じだったはずの六月半ば。
湿気はそのままに、仮初の夜は薄ら寒さを降ろす。
「なんだ……この気配……?」
「んー、電波ダメそう」
携帯をポケットに仕舞い、雨葉さんは加速した。
最後尾、厚顔にもその惨状で、足を止めてしまう。
広場に散乱する赤、赤、赤。何処か漂うかぐわしい香りに不浄なものが混じり、甘美なる爪が肺を搔き乱す。今なお飛び交う肉を断つ音が子気味よく響き、私も目の前の惨劇に踊り出そうと両の手を開き、いざ、いざ、愉悦満ちる舞踏へと。
「凍星君!」
身体が停止する。ピンと糸を張られたかのようでいて、それはまさしく歌劇に収まる一個人で在ることを際立たせるべく天井から降りたグランギニョールの祝祭。否、文楽か! マペットか! マリオネットか! 否、否である。異民と向かい合って靴音が刻むはタンゴ。クイック……クイック……サン=サーンスに呪いあれ!
「凍星君!」
頭が。
痛い。
「……凍星君、脳を呪力で守ってください」
「先輩…………?」
身体が動かない。頭が痛い。
思うように思考が働いていない。……とにかく、先輩の言う通りに。
「っ……あったま痛い……」
「無事ですね。時間がありません、先ずは状況の確認を。私はやることがあります」
塩宮先輩が離れていくと同時に、身体が脱力した。先輩の『人形糸』が私の動きを止めていたのだ。
目の前には、瞼をかっぴらいた成人男性がぼんやりと立っている。今まで気付かなかったのは、まさしく異常だ。私はこの男を、公園に落ちる銀杏のように、電灯へ集る虫のように、全席満員の歌劇場を疑わぬように認識する意味を見出しておらず――。
違う。
……思考がおかしい。おかしかった。
「精神の汚染。術式か……?」
広場を見渡せば、身体中に眼球の浮かんでいる呪霊がわんさかと暴れまわっている。
そこに狼の傀儡が噛みついていき、武闘派呪言師が飛びこんでいく。
そして私の傍にも。
「っ!」
呪力で固めた腕で剛腕を受け止め、返す打撃連打で祓う。すぐ傍にいる一般人は傷一つついていない。
黒く散るまでの間、耳障りな絶叫が響いていた。……それは今も尚響いている。
何故急に呪いがあふれ出した。張られている『帳』は誰のものだ。状況把握とは言っても、分からないことが多すぎる。
「『集まれ』」
脳に直接訴えるような声が、際立って聞こえた。……事前に脳を守っていなければ、松林先輩の呪言に応じていただろう。
声の方をみれば、直視することが憚られる狂乱呪霊の群れが、一様に飛び込んでいた。
『人形劇-群緋蜘蛛』
何もかもを、爆音が遮った。
呪言で集めた呪霊を白金の自爆傀儡で一層する。松林先輩が爆心地になりかねないことへ目を瞑れば、とても効率的だ。
爆発を逃れた残党はいるものの、見晴らしはよくなった。一般人はといえば、塩宮先輩が縛り付けていたおかげでそもそも近寄れなかったらしい。私は二人の元へ駆け寄る。
「雨葉さんは!」
黙々ともくもくしている松林先輩は残党処理へ赴く。スケッチブックを持っていない彼は仕事人気質が数割増しだ。
「例の呪霊を取り込んだら手が付けられなくなったので……」
車椅子に座ったまま、白金はすぐ傍に視線を落とした。
寝てる……。
「松林先輩が?」
頷かれる。
狂ってる呪霊を食ったら狂ったので寝かせました、と。……まぁ、迂闊とは言うまい。なにせ雨葉ハジメだ。希少種を食わずして、彼女が彼女自身の本質を体現出来るわけもない。
「起こしてもいいですかね、これ」
無害そうな寝顔を晒している同輩。あんまり見るものでもないかな、と顔を上げれば、松林先輩が戻ってきていた。
『塩と合流してから』
と雨葉さんの顔に書いた。
真剣にヤバいはずなのに……。
「何があったんですか、これ」
『知らん』『来たらパニックになってた』
「……白金さん」
「えぇ、もうやってる」
いつの間にか飛び立っていた三羽の烏。
先輩も足へ、クナイの括り付いた縄のようなものを巻き付けている。私と言えば形代を取り出せるようにしておくくらいか。残念ながら呪具は未だ修理中。修理してるかわからないけど。
ふと一点を見つめる松林先輩。その視線を追ってみれば、文字通り塩宮先輩が跳んできた。
「東京駅を糸で封鎖しました。構内に多少糸を張っておいたので、中で呪術が使われたら分かります」
『ナイス』
「原因分かりました?」
「いえ。帳の内側にいるはずなので、別のビルなどに潜伏してる可能性はありますね」
「……!」
「どうしました? 白金さん」
目を細め、やや怪訝そうに彼女は言った。
「一羽、接続の切れた個体がいる。壊されたかも」
「何処で切れました?」
彼女は無言で駅の上を見上げる。
残骸を探して首を彷徨わせた。
「……?」
耳鳴りがする。そこに動悸が追い掛けてくる。
駅の屋根へ焦点を当てた途端に。
さっきの今、不安になって三人を見れば、同じように異変を感じ取っているようだった。
「何か妨害されてますね……私が行ってもいいですけど。取り敢えず、お二人は雨葉さんを起こしてあげてください」
塩宮先輩には触れた呪術を解体する能力がある。ただ、言葉の後ろに懸念を滲ませた通り、術式反転を運用する為の呪力と、白金の傀儡を落としたとされる原因に近付くのは、考慮する余地があるリスクだ。
それに、尽くせる手はある。
「私が探ってみます」
「どうするおつもりで?」
「私の『弔寵』の副次効果で、術式対象に取れる周囲の人物を知覚する事が出来ます。普段は出力の為に範囲を絞ってますが、術式効果を最大限削ればその分対象に取れる範囲は広がるので、人がいるかどうかは判断つくかと。ただ、それでも駅ギリギリまで近付かないとですけど……恐らく近付くだけなら問題ないかと」
「ですね。私も駅外周を回ってきましたが、強い干渉はありませんでした。ただ、呪詛返し等には気を付けてください。物理攻撃でしたら、私が貴方を守ります」
「頼もしいです」
そうと決まれば素早く行動に移す。
中央口へとんぼ返り。糸で封鎖とは言ってたが、ぱっと見では何も見えない。
「『葬送呪術・弔寵』」
一直線上に、次々とターゲットを捉える。途端に増した情報量に耐え兼ねて目を瞑った。
意識するのは上空。一階の軸より人がおらず、焦点を当てれば段々楽にはなる。それでもだ、立体的な構内の雑踏を潜り抜けるには苦労を要する。
「普段やらないからな……」
誰に聞かせるでもない言い訳がつい出てくる。
……。
「いた」
その人物が呪術を使っていれば、多分帯びる呪力に弾かれて発火は起こらない。捉えたはいいものの、どう伝えようか。私が『弔寵』を撃っても意味はないし。
「縦軸を教えてください」
半目を開ける。脳内で処理していた情報に視覚情報が切り込んでいき、それぞれのズレに目眩がする。
「目はそのままで構いません、方向を教えてくれたら私が手を引きます」
考えないようにしてたけどすっごいイケメンだなぁ。
言語を組み立てようとすれば、そのまま掴んだ位置を手放しそうになる。黙って暗闇に足を進めれば、安心感のある力強さで手首が掴まれた。自分の位置と照合して、一本の縦線が作れるように移動する。
意志をもって立ち止まり「ここです。ここの……」軸があってる分、瞼を開けてもそんなに苦ではなかった。脳で捉えている座標を目で追い「あの屋根の上に」と指を指す。
手が離れ、塩宮先輩から研ぎ澄まされた呪力を感じる。
「間違いないですね」
「はい。一人だけ、妙に高所に」
塩宮先輩はいつの間に拾ったか、石を右手に持って構える。
まさか。
「ふっっ!」
ぶん投げた。呪術師が全力で石を投げると、面白いくらいぶっ飛んでく。
……軌跡を沿うように糸が見えるが、まさか切らないよな。塩宮先輩なら駅を真っ二つに出来てしまうぞ。
「――弾かれましたね。器用なことで、石のみを」
あっ。探知ですよね。良かった。
いや良くない。
「帳を降ろしてるなら、呪詛師ですかね。それならそれで、何故降ろしたかですけど」
「本人に聞きましょうか。それは」
「それもそう……です、ね…………」
何か聞こえる。
「先輩」
「はい。……凍星君も?」
「この感じ、聞こえるというか……
一度流れている楽曲にノれば人混みの中でも聞き取れるように、私は、私達はその声にふと気付いた。
「――――、――」
男の声が、歌というには大仰な……言うなれば宣誓しているように聞こえる。
「先程の耳鳴りと動悸、そして精神汚染。恐らく同じ術式です」
「……まさか、認識の操作ですか」
「類するものでしょう」
「――――」
宣誓というには些か、この口上……呪詞は献身的な口振りだ。
止めなければいけない。致命的なものが進行している。
「迂闊には近付けない……私が発狂し、万が一にも駅を切り裂けば事が事です。凍星君は『無雁』の準備を。白金さんにも飛び道具を要請しましょう」
形代を取り出して頷いた。ここじゃ射角が悪い。途中までは元いた広場に戻る塩宮先輩へ付いて行く。
間に合え。
この心臓の音が杞憂で終われ。
「――、――――」
「――――」
「いあ」
「いあ」
「アザトース」
六月十四日。
十三時四十四分。