こういうジムトレーナーが彼のジムにはいるかもね。という私的な話です。
行列に満たない突堤を進む中、僕は意地で振り返らなかった。
ここ――ヒウンシティそのものは、僕の故郷でもなんでもないんだから。
クルーズカードを貰って、あてがわれた部屋に入った。
旅の一環で船に乗ることはあったが、客船で泊まりがけの船旅をするのは初めてだ。だからでもないが、入った時の手狭な感じは、より頭を冷静にさせた。
まぁ、乗船券に書いた通り、僕の手持ちに大きなポケモンはいない。もし見栄を張ってギガイアスを持っていると伝えても、下船時のチェックで無用なトラブルを招いてしまうだけだ(そもそもギガイアスを出せる客室なんてあるのかは知らない)。そこまでの労力を払って、ゆとりを前借りするわけにもいくまい。
ふと思い立って、手持ちのスーパーボールを一つ掴んだ。
空いたスペースに放る。
「マニューラ、少しの間船旅だ。……まぁ、おとなしくって言いつける必要は、ないか」
僕の相棒は相変わらずの様子だった。
かれこれ一ヵ月だろうか。僕が、七個目のジムバッジに見切りをつけた時から。
諦める決断をしてからは、早かった。
実家のあるカゴメタウンに戻って、家の暖かさに嫌になった。またすぐにこの地から離れたくなって、僕はカロス往きの船を取ることにした。
マニューラが好きなのは戦うことじゃない。勝つことだった。
ニューラの頃からそうだ。こいつは元から優れていて、僕は認めてもらった身だ。未だに何がきっかけだったかは分からない。
常勝無敗ではなかった。
幼馴染に負けることもあれば、ジムで負けて、数週間努力と玉砕と、策を練る日々を重ねたこともある。
「……負けっぱなしのままだったな」
僕を見るマニューラの目は冷ややかだ。
暗雲が立ち込めたのは七番目のジムだった。
驚くほど手応えがなかった。
どうすれば勝てるのかも分からず――今思えば、あれは不屈とかじゃなくて、やみくもなだけだった。
負けが込むにつれて、マニューラはすっかり静かになってしまった。
ポケモンセンターにも連れて行ったけど、病気や怪我ではなかった。
……ヒウンシティまでの道中に幾度もバトルがあったし、マニューラにも戦ってもらった。けど、ただ数回の勝ちでは取り返しのつかない心の傷が、マニューラにはついていた。
「あ、……ちょっと場所を変えるよ。また後で」
言って、マニューラをボールに戻す。
先程届いたホロキャスターからのメールの見出しは「着いた」だった。わざわざ開いてみなくてもいいだろう。僕は船にあるラウンジに向かった。
ラウンジには何組かのテーブルとイスがある。ひと気はまばらで、二人席を見付けるのに苦労することはなかった。
カロスへ向かうのは幼馴染の提案だった。
奴は、とんとん拍子でジムを攻略していった。それでいてチャンピオンリーグには、挑戦すらしないつもりだっていうのが、僕は鼻についた。そのことで大きなケンカをして、僕らは本気のポケモンバトルに発展した。
……勝ってしまった。
負けて、自ら着火剤になろうと思っていたわけじゃない。なんのつもりでもなくて、僕らはただ、癇癪のように戦っていただけだ。
勝ってしまった以上、僕は何も言えなかった。
諦めた僕と、旅を終えた幼馴染。
見兼ねたのかなんなのか、実家から逃げる場所に、奴はカロスを挙げた。
ここからやけくそに遠くもないし、なにより……カロスは幼馴染が、越してくる前にいた生まれ故郷だったのだ。
ホロキャスターも、幼馴染のお母さんからもらったカロスの物。これがなかったら、旅の最中に助け合うことも出来なかったろう。
ふむ。
むすっとただ待つのもなんだか気が進まない。
ここ最近になって空き時間を持て余すようになった。理由は分かっている、目標がなくなったから、取り組むものもなくなったんだ。
テーブルの傍に立てかけられているカタログスタンドに手を伸ばして、無造作に引っこ抜いた。
内容は、聞いた覚えのない地方の特集だった。
流し見るのに丁度いい――そう思っていたのに、いつの間にか、僕はこの雑誌を両手で掴んでいた。
メガシンカというのは幼馴染から聞いたことがある。少し憧れたものの、結局遠い場所の話だ、と対して執心もしなかった。
今僕が見ているものだって、遠い場所というのに変わりはない。
雑誌には他にもダイマックス、テラスタル……見たことのないバトルが乗っていた。
ページを飛ばさないよう、指を慎重に動かすと、そこには赤髪の女の人と――その後ろには、いつか幼馴染と一緒に見たことのある、メガリザードンの姿があった。
白状する、僕は心を掴まれていた。
数ページ遡ってよく読んでみれば、この地方ではそれら特殊なエネルギーの研究が盛んらしい。
奪われた心と裏腹に、僕は僅かに後悔もしていた。
半端に浮足立った僕はカロスへ向かうことになる。目的は、多分観光とかだ。少なくとも向こうのジムを攻略する気力はないし、幼馴染もそのつもりはないように見える。
こんな憧れを抱くくらいなら、読まなければよかった。
……それは、ギガイアスを持っていると言い張るより、よっぽど幼い強がりだ。
知って悔やむより、知らずにいる方がずっと悔やむに決まっている。
僕は――戦いに挑むのが、好きだったんだから。
「やっ、遅くなっちゃった」
「……ああ。いいよ、待ってない」
幼馴染がテーブルに手をついて、微笑みかける。
僕は開いたまま雑誌を置いた。見せびらかす形になってしまったけど、ただ続きに未練があっただけで、当てつけをするつもりはなかった。
向かいに座る彼女は、普段といつも通りだ。船の中でも相棒によく似るポンチョを羽織っているし、常態としてうっすらと微笑んだままいる。
「それ……あ、そこのか。読んでもいい?」
「好きにすればいい。……別に最初のページからでもいいけど」
「それじゃ退屈しちゃうじゃん。読むでしょ? 続き」
当てつけだなんて誤解は、思うだけ余計だったらしい。
僕も読み切っていないページだ。二人して、頬杖をついて紙面に目を落とした。
彼女はいつも通りだけど、僕は多分、しばらく前から「いつも」を忘れつつある。
常にうっすらとある気まずさを汲んでるのだろう。言葉は少ない。
「へー……ジムトレーナーだって」
奴は、何気なく呟いた。
資格はジムバッジ六個相当の実績(トレーナーカード情報参照)
担当タイプはこおり。マニューラの笑う顔が、すぐに浮かんだ。
「…………っ」
単なる話題のつもりだろうに、僕はまるで当事者のように、その項目を見ていた。
感情が隠しきれないのが自分でも分かる。今は紙面を見ている、見ている……はずだ。気付かれないだろう。
適当な声で相槌を打って、僕はページを捲ろうとした。
伸ばした手は収まりの悪い形で止まる。
細い指に似合わない――旅をしてきた手指が、ページに手を置いた。
「……」
顔を上げれば、奴はまっすぐこちらを見つめていた。
「やらないよ」
「なんで?」
僕はやらない理由を探した。
……探さないと、やらない理由が出てこないって気付くのに、時間は掛からなかった。
「言ったらアレだけど、多分……マニューラちゃんには退屈な場所だよ。観光するだけのカロスって」
「誘ったのはお前じゃん」
「期待してなかったくせにー。……道は妥協で決めるべきじゃないよ、気になったなら、行ってみない? 付き合うから」
「付き合うって、何にだよ。こおりポケモンいないだろ」
奴は口を隠して笑いを溢した。強かに、ページを押さえる手とは反対の手で。
「ジムトレーナーに付き合うなら、一つだよ。それに……付き合うっていうのは行動だけじゃないよ」
「…………?」
「……戻れ、マニューラ」
僕は最後の一匹を倒された。まぁ、こんなものだろう。
皮肉の一つも出てこない、楽しいバトルだった。マニューラもきっと満足していた。
「強くなったなぁ」
「でしょ!」
「でも、遅かったな。てっきり、もっと早くに来ると思ってたよ」
バトルフィールドを挟んでも分かるくらい、奴はハッキリと笑った。
「だって、きみが本気でやるなら、わたしもその本気に付き合うって約束したから!」
……ジムリーダーの戦いはいつも決まって寒くなる。僕らの戦いよりも一際下がる温度に、レベルを思い知る。
他のジムトレーナーも固唾を飲んで見守っている。いつもの調子だ。
けれど、僕は初めて上着の前を開けた。
僕にとっては一世一代の絶景。もう見られない――二度とは、見ないで済みたい光景なんだ。
「行くよ――メガブリガロンッ!」
雪が吹き荒れる中でも鮮明に光を放つ。
「あくまで突っ張るつもりなら、私も応えますよ。ユキメノコ……メガシンカ」
ジムトレーナーとは、バッジを欲するトレーナーの壁であると同時に、祝福の轍でもある。
決して犠牲ではない。
彼女が、チャレンジャーが先へ進むほどに、僕らは負けを誇れるようになる。
ブリガロンの立ち絵見てほしいんですけど、ポンチョ羽織ってるみたいじゃないですか?