私の穢れた血を洗いに   作:月生あひめ

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9.帝共戦争国際博物館

 帝共戦争国際博物館の上空に、『開館』と書かれた宣伝帯を吊るす風船が浮上していく。帯が伸び切って浮上が止まると、青空に打ち上げ花火の爆音がこだました。

 

 今日は待ちに待った博物館の開館記念式典の日だ。この日は共和国、帝国からたくさんの有識者、学者などが来賓者として訪れた。

 

 打ち上げ花火が止むと、ユゴ市長、館長、共和国と帝国の学者の代表数名によるテープカットが行われた。博物館の玄関前に設置された台に代表たちが上がって整列すると、司会が合図した。

 

「では各代表の皆様、テープカットをお願い致します」

 

 代表数名が目の前に置かれた赤いリボンを鋏で切った。台の前に整列する大勢の共和国人、帝国人の来賓者たちが起立して拍手喝采を送った。最終列に並ぶ私とチャグも、拍手を送る。

 

 私は各代表を見つめた。かつて戦争で多くの血を流した人種同士が並び、博物館の開館を祝っている。戦争が終わって十数年後、帝国と共和国はお互いに手を取り合い、戦争から一歩踏み出そうとしている。

 

 戦争は歴史の一ページに刻まれ、過去の出来事になりつつある。対して私とヤケ村の人々は、未だに戦争に縛られてもがき苦しんでいる。

 

 これから何年、何十年という長い時間が経てばみんな帝共戦争を、戦争の後遺症を負わされた私達のことを忘れていくのだろう。

 

 私達は『苦しい』と訴える声を封じられる運命なのだろうか?

 

 人々から忘れられゆく悲しい未来に思いを馳せているうちに拍手が収まった。

 

 隣にいるチャグが私に話しかけてきた。 

 

「いよいよ開館したね」

 

「はい⋯⋯」

 

 私は横目でチャグを見て答える。

 

 今年でチャグは十八歳になった。三年前のあどけなかった彼の顔はすっかり大人びて、青年の風貌に変わっていた。声変わりもして、一段と低い声になった。

 

 チャグは三年前に中等学校を卒業し、学芸員や文化伝統者を育成する文化学芸専門高等学校へ入学した。学校では学芸員課程を履修し、郷土歴史博物館で一年間実習を行い、国家試験に合格して見事学芸員の資格を獲得した。今年からは帝共戦争国際博物館に学芸員として勤務する。

 

 この三年間、チャグとは戦争調査隊の仕事や打ち上げ会などで度々会っていた。以前は相談者と救助者という関係だったけれど、今では戦争を研究し戦争被害者を救助する同志になっていた。

 

「ユミンちゃん、博物館が本格的に始まったら、調査報告書の納品三昧で戦争調査隊もかなり忙しくなると思うけど、頑張ってね」

 

「はい⋯⋯」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 式から三日後の週末、一般来館者の入場が始まった。私は館内がどうなっているのか見学したくて、週末の公休日に博物館へ向かった。

 

 初日から大勢の人々が来館しており、入場切符売り場には行列が出来ていて長いこと立たされるはめになった。

 十数分後、ようやく手に入れた切符を手にし、二枚扉を開放した玄関を潜る。展示会場には凝った飾りなどはなく、白壁の通路に貼られた硝子越しに展示物が延々と並んでいるだけの質素な外見であった。

 博物館にある約数千の展示物は、チャグたち学芸員が専門知識を駆使して一つ一つ丁寧に設置したものだ。綺麗に飾られた展示物から彼らの途方も無い苦労が垣間見えた。

 

 会場入口付近は共和国軍の展示場、その次は帝国軍の展示場になっている。

 

 展示物を眺めつつどこまでも続く長い長い会場の廊下を歩き続けていると、いつの間にか帝国軍の展示会場に出た。入口付近には、帝国軍に関する展示の説明が描かれている。

 

『共和国に上陸した帝国軍はあらゆる町と村を焼き討ちし、罪なき多くの人々を虐殺し、見せしめに筆舌に尽くしがたい残虐行為の数々を行いました。帝国軍の行った非人道的行為は決して許されないものです。

 

 しかし、帝国兵たちも開戦と共に無理矢理愛する家族と引き離され、見知らぬ異国の地に放り込まれたのです。さらに上の命令で補給物資を与えられず現地調達(村や町から物資を強奪する)にて衣食住をまかなわなければなりませんでした。帝国兵たちもこのような悲惨な状況が晒されたことは忘れてはなりません。

 

 彼らの非人道的行為は、このような人権を踏みにじる残酷な環境に置かれたことによる憂さ晴らしに行われたものとみてください』

 

 博物館としては共和国、帝国双方に起きた悲劇を公平に伝えたいのだろう。だが、帝国兵が村人たちを虐殺した事実を知る私にとって、加害者を援護するような姿勢にはただ胃のもたれるような気持ち悪さを覚える。

 きっとこの説明を書いた人は、帝国兵に親兄弟や友達を殺されたことがないのだろう。殺されていたら、たぶんこんなことは絶対書けない。

 

 胸の怠さが徐々に吐き気へ移り変わっていくのを覚えつつも、私は意を決して帝国軍の展示会場へ入っていった。

 

 ふと、一枚の絵に目を奪われた。

 

 湖のような大河の水面に、人間の死体がびっしりと敷き詰められたように浮いている。小さな子供、赤ん坊もいた。

 一目見たときは絵画かと思ったが、縁下の説明欄に『ナザ市カザ河に浮かぶ市民の死体の群れの写真』という題名が表記されており思わず目を疑った。題名の下には写真の説明がある。

 

『共和国軍の私服兵を見極める検閲の手間を省くため、帝国軍は市民ごと無差別虐殺した。撮影者によれば河の水は血で赤く濁り凄まじい腐臭を放っていたという。ナザ市大虐殺事件十二月十三日撮影』

 

 腹内に冷たいものが広がった。これが現実にあったことだなんて信じられなかった。村でなく、都市規模での大虐殺があったなんて。

 

 鼻腔の奥に濃厚な血の臭いを覚え、吐き気が胃を締め上げ、内容物を上昇させようとする。私はすぐさま写真から目を逸し、俯きながら人混みを避けてどんどん先に進んで行った。ただの展示物がここまで強烈な嫌悪感と気持ち悪さを覚えさせるだなんて予想外だった。今更ながら博物館へ来たことを少し後悔する。

 

 軍需品、兵器の展示会場を抜けると最終地点に辿り着いた。

 

 いよいよ熱いものが食道を伝い登ってきてえずき、慌てて出口付近にある便所へ駆け込もうとしたその時、横から誰かが駆け寄ってくる足音が響いた。

 

「ユミンちゃんじゃないか! 大丈夫? 具合悪いの?」

 

 チャグの声がした。振り返ると、制服姿のチャグが心配そうな面持ちでこちらを見ていた。会場でお客さんに展示物の説明をする仕事をしていたらしい。

 

「チャグさん⋯⋯」

 

 彼の顔を見ていると吐き気が引いていき私は安堵した。ちょうどよかった。彼が来てくれなければ、恐らく展示会場の床に吐いてしまっていただろう。

 

「大丈夫?」

 

「はい⋯⋯ちょっと吐きそうになっちゃって」

 

「場所、移動しようか」

 

「すみません」

 

 チャグに案内されて展示会場を出て、玄関広間の隅にある椅子に座り、深呼吸する。

 

「チャグさんありがとう」

 

「いえいえ。分遣隊の基地にいってあの墓のところにいった時、ユミンちゃん、吐きそうになってたの見たから」

 

「見てたんですか?」

 

「うん。だから気持ち悪くなったのかなって」

 

 暫くして完全に吐き気が収まった頃、チャグが体調の安否を訊いてきた。

 

「体調はもう大丈夫?」

 

「はい、おかげさまで」

 

「あと、これから時間はあるかな?」

 

「あ⋯⋯はい。大丈夫です」

 

 というかあなた仕事中でしょ、と突っ込みたくなった。

 

「ちょうどよかった。今から地下の倉庫を見に行かない? たっくさんの資料があるんだ」

 

 歴史好きとしては正直とても見たい。だが、部外者の私が倉庫なんか入ってもいいのだろうか。

 

「え⋯⋯いいんですか?」

 

「大丈夫だよ。学芸員の僕が付いてるから。それに、君はこの博物館でも時々働くことがあるから、資料室に入ることは何ら問題はないよ」

 

「チャグさん、仕事は? いいの?」

 

「ん? あぁ、さっき休憩時間に入ったから問題なしだよ。じゃ、行こうか」

 

 チャグの後に続いて長い長い廊下を歩く。展示会場を離れて、関係者以外立入禁止区域の廊下に入った。共和国人、海外異動で来た帝国人の学芸員たちが忙しなく廊下を行き交っている。

 

 私は今後調査資料を博物館に納品する仕事もするが、まだ何の関わりもない。自分は部外者じゃないのか? 関係者以外立入禁止区域に入ってもいいのか? と不安になった。

 

 事務室で地下倉庫の鍵をもらい、廊下を進み続けると道の向こうに重厚な鉄扉が見えてきた。扉の取手には「地下資料庫」と書かれた札が垂れ下がっている。チャグが取手の鍵穴に鍵を挿すと、ガチャンと解錠音が鳴って扉が開いた。

 扉の隙間から現れた闇奥から、古本の香ばしい濃厚な香りが漂ってくる。香りの濃さから、この奥にある資料の膨大さが窺えた。

 

 階段を降ると、チャグが地下室の電気を付けた。天井の電灯が一斉に付くと、無数の棚が遥か遠くまで並んでいる壮観な光景が現れて軽く目眩がした。

 

「凄い! これ、全部資料なの?」

 

 各棚には古本が所狭しと並べられている。

 

「資料、軍需品、兵器を合わせると全部で数百万点はあるらしいよ」

 

「す、数百万も?」

 

 チャグがこちらを振り返って、目を細め真剣そうな表情を浮かべて言った。

 

「実は⋯⋯君にぜひ見せたいものがあるんだ。付いてきて」

 

「何?」

 

 まさか、父に関わる史料でも見つかったのだろうかと期待してしまう。

 

「こっち来て」

 

 チャグは入口から七番目の列に入り、奥の棚の三段目から透明袋に入った一個の録画テープを取り出した。録音帯の芯には帝国語で『戦友会【兵《つわもの》の集い】戦争体験講演会記録』と書かれている。ぜひ見せたいものがよくわからない戦友会の戦争体験講演会の記録という予想を裏切る物で、私は半ば拍子抜けした。

 

「戦争体験講演会記録? これが私にぜひ見せたいものなの?」

 

 チャグは早く見せたいというようなうずうずした様子で答える。

 

「そう。つい三日前に帝国兵たちの戦争体験談を展示会場で放送しようと思って、録画帯を探して観てみたんだ。本当にびっくりだったよ。これはぜひぜひユミンちゃんに見せなきゃなって思って。見せてあげるから、ついてきて」

 

 チャグは録画帯を片手に持って歩き出し、壁際にある「視聴室」と書かれた部屋の扉を開け、電灯を付けた。四方を黒布に囲まれた部屋の奥には大型射影機、中央には数列の並んだ椅子、その向かいに映写幕が垂れ下がっている。まるで映画館みたいだ。

 

「座って」

 

 言われるがまま映写幕の前の席に座ると、背後でチャグが射影機をいじる音が聞こえた。録画テープを回転させる自動音が微弱な振動を伴って鳴り響く。チャグが部屋の電気を消すと辺りが闇に包まれ、前方を射影機の光線が頭上を通り抜けた。

 

 映写幕に光が浴びせられると、白い背景に帝国語で『帝国兵たちの戦争体験を聞く』という題名が映し出され、何がはじまるんだ? と私は緊張感に息を呑んだ。

 

 冒頭の題名が消えて次に映し出されたのは、どこかの部屋を背景に向かい合って話す二人の帝国人男性の姿だった。左側にいるのは制服を着て片手に小さな帳面を持つ男性。右側にいるのは整った顔立ちの三十代後半くらいの男性だった。

 

「この人たちが、何か?」

 

「右側の人を見てごらん。なんかユミンちゃんの顔に似てない?」

 

 私は右側の男性の顔を見つめた。自分の顔に似ていると言われてもぴんとこず、私は小首を傾げる。

 

「似てる⋯⋯かしら?」

 

「目元とか唇とか、似てる」

 

 布の両端に設置された音声機から突如ブツッと雑音が鳴った時、帝国語で話す二人の会話が聞こえた。私は三年間帝国語を勉強し、帝国語検定二級を習得して難しい言葉もほとんど聞き取れるようになっていたので、会話の内容は十分理解できた。

 

 左側にいる聞き取り役らしき帝国人が、向かいの男性に話しかける。

 

『ではロト・ネメントさん、証言のほうをよろしくお願いします』

 

 ネメント、という名前に私は息を呑んだ。

 

「あの人の名字、ネメントって⋯⋯」

 

 チャグは意味深げに「うん」と相づちを打った。

 

 ロトは口を開き、静かに語りだした。

 

『僕は終戦の一年前に初年兵教育を終え、共和国北部のユゴ市の占領軍に配属されました。ユゴ市は三年前の開戦時には帝国北部方面軍が上陸し、約三十万人規模の共和国軍と激戦を繰り広げ火の海になったと聞きます。僕の三歳年上の兄も北部方面軍におりました。僕が来た開戦二年目ときには、街はまだほとんど廃墟でしたが落ち着いた様子でした。しかし都市周辺には共和国軍傘下の民兵部隊が多数おり、占領区の治安を脅かしていましたので僕らはそれを毎日のように掃討しておりました』

 

 ロトが民兵部隊を掃討した日々の思い出を色々と語った後、聞き取り役は彼の兄について質問した。

 

『戦時にお兄さんとは連絡を取り合っていましたか?』

 

『戦時中はほとんど音沙汰無しでした。都市が帝国によって占領されてから二ヶ月後、兄は北部の山深い奥地にあるソゴ山の分遣隊に補充兵として転属させられました。山奥ゆえ郵便部隊の行き来がないため、兄とは連絡のやり取りができなかったのです』

 

 電撃のような衝撃が背筋をほとばしり、私は咄嗟に立ち上がった。

 

「ソゴ山の分遣隊⋯⋯ですって?」

 

 ネメントという名字、ソゴ山の分遣隊。ロトの言う兄とは、間違いなく私の父アト・ネメントではないか。

 

「このロトって人、まさか⋯⋯」

 

 私がロトの正体に気づいたのを察したように、チャグは答える。

 

「そう。この方はアト・ネメントさんの弟。つまり君の叔父だよ」

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