自分の顔が可愛い顔をしていると知って、可愛いを極めることにした。だってほら……鏡を見るたびに「ウソ……自分、可愛いの権化では……?」「鏡に映ってるカワイ子ちゃんは誰かな〜? 天使では〜? アッ待って寿命が一年伸びた」ってテンション上がる毎日を送りたいじゃん。可愛さで天下は取れなくても学年は獲りたいじゃん。
強くてニューゲームできたのを良いことに保育園児からカワイイ自分を目指して――小学生に上がったとき、自分に負けず劣らぬ美少女が同じ町内にいたことを知った。
かたや保育園、かたや幼稚園……そして二歳も違えば同じ町内でも知り合う機会がないもので。集団登校で一緒になった彼女は、乾奏ちゃんといった。
「カナデちゃんは洋風のカワイイを目指して、そんで自分は和風のカワイイを目指す。そしたら全方位に攻撃が出来るから完璧だと思うんだよね」
「わ、わたし、攻撃なんてできないよ……」
「言葉の綾だよ」
カナデちゃんは引っ込み思案なところもスーパーベリーキュートな女の子で、ガンガン行こうぜな自分との対比がいい感じに輝くだろう理想的な相手だった。カナデちゃんと二人で天下二分の計をしよう。自分は和風好きと元気っ子好きを、カナデちゃんは洋風好きと控えめっ子好きをファンにするんだ。世界の半分をお前にやるから協力しろ。キミならできる、ユーキャンフライ! もっと熱くなれよ!
あの手この手で勧誘し、泣き落とし、すがりつき……と二年ほど頑張ったのにカナデちゃんは見た目を裏切る頑固一徹具合で、オドオドしながらも「私には無理だよ」とか「私なんか好きになる人いないよ」とか言うのだ。なんでだよ、もっと自信持てよ!
カナデちゃんのその自信のなさがどこから来ているのか知ったのは、カナデちゃんが小学四年生の冬休み、つまり五年生になる目前の年末だった。
カナデちゃん
「もう、もう嫌だ……! なんで? おじさんもおばさんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、なんでみんな赤音の方が可愛い、赤音の方が美人だって言うの……!? わ、わたし、わたしだって可愛いって言われたい……わたしも、わたしだけ、なんで!」
正月、そう言って泣くカナデちゃんを我が家に引っ張り込んだ。
分かるよォ、分かるとも……。上位互換がいるときついよな……。それも同い年の従姉が上位互換とか、マジでこの世はクソ、滅びちまえって思うよな。
三ケ日みかん食いながらカナデちゃんの愚痴にウンウンと頷いて「わかる」「もっとカナデちゃんは『可愛いね』って褒められて良いのにね」「カナデちゃん性格も可愛いから最強だよ」と慰める。片方をageるためにもう一方をsageるってやり方は地上から消滅すべきだと思う。片方だけ褒めてもう一方は褒めないってサイテー、
精一杯慰めたけど、正月休み明けに会ったカナデちゃんの目は死んでた。春休みもゴールデン・ウィークも明けたら、集団登校の列からカナデちゃんの霊圧が消えた。――カナデちゃんの自尊心はバキバキに折れていた。
突然の自分語りになるが、母親がヤ◯ハ音楽教室で事務のパートをしている関係で、自分も幼い頃からピアノを習っている。興味があったからボイパ――ボイスパーカッションも指導を受けてて、贔屓目なしに言って才能があるそうだ。最終目標は最終◯畜全部俺と銀河◯道9◯9【全部俺】。
ある時、気づいた。楽器の音を人間の喉で再現できるなら、老若男女の声を自分の喉で再現することも可能なんではないか、と。山寺◯一と水樹◯々をこの喉に宿すのだ……!
宿ったのは高橋◯樹とめぐねえだった。いい声だからヨシ!
とまあ、そんな風に音楽が身近だったから、何がキッカケかは知らないが、カナデちゃんがギターに興味を持ったとき必要な教材とか機材とかを教えることができた。ギターがどんどん上手くなっていくカナデちゃんを横で見ることができた。
だからさ、
「ぼくと契約してライブに出ようよ!」
ここ、天才美少女ギタリスト成り上がり作品の世界だろ? ぼざろみたいな。
+++++
ハマまで吹かしに行った連中が興奮した様子で帰ってきたからベンケイと一緒に話を聞いてやりゃ――安くて不味いメシ食いに入った文化祭で、スゲェバンドに出会ったンだと。中坊になったかならねぇかってボーカルの声は変幻自在で、ギターはプロに負けず劣らずの天才、ベースはフツーだがドラムは堅実でしっかりしてる……そいつらが披露した曲はどれも聴いたことないモンなのに完成度が高くて「スゲーカッケー」らしい。
「恥かけ恥なんてインディーズバンド聞いたことねぇナ……出来たばっかか?」
「それは分からねぇんだけどよ、ああ――ベンケイ君やワカ君にも聴かせたかったぜ!」
「聴かなきゃ損するってアレ、まじですげーっすよ!」
「へえ……」
ベンケイを見れば、「おう」と頷いた。
「横浜の奴らにバーかライブハウスあたり探させりゃいい」
それから三日ほどで横浜の連中から連絡があった。恥かけ恥ってのは、横浜のヤ◯ハ音楽教室に通ってる中田、佐伯、今林と今林の幼馴染・乾の四人で組んでる新人バンド。先日の文化祭が初ライブで、次は来週ある乾の中学の文化祭に出演する予定らしい。
……ライブを聴いた奴らが目茶苦茶褒めてたし、オレらも聴きに行ってみっか、と真ちゃんとオミにも声をかけた。バイクはベンケイの手下連中のガレージに預けたしカッコも私服。楽しみに来たんであってぶっ潰しに来たワケじゃねぇから真ちゃんもケツにマイキー乗せて来てる。
「コーリツの
「そりゃサボりまくったからじゃねぇのか、良く見りゃ違うだろアチコチよ」
「あー、ガッコの見た目とかどーでもいいワ。――ンー、恥かけ恥の出番昼? じゃあ先になんか食お、オレ腹減った」
「オレ! フランクフルト!」
「ん……じゃあラーメンでどうだ。文化祭のメシなんざ正直どれも不味いからな、家系が正義だろ」
「なあなあ真一郎! オレフランクフルト食いてーんだってば!」
「万次郎、フランクフルトは昼飯先に食ってからな」
出演者の順番書かれたペラ紙だけ取ってガッコから引き返し、ここらへん詳しいヤツの案内でおすすめの店に入る。昼を食うには少し早い時間だから店はガラガラで、店主のオッサンの「らっしゃー!」と怒鳴るような挨拶が響いた。
豚骨のクセの強い臭みが壁に染み付いてる店内に期待が高まる。
黒龍とマイキーだけでカウンターを占領して醤油豚骨ラーメンを啜り、食い終わる頃には客が増えてた。オッサンに「美味かった」「ごっそさん」と軽く頭下げながら店を出て中学に戻ったのがそろそろ十二時になるって時間で――舞台の上にはもうソレっぽい四人が準備完了してた。
前のライブで話題ンなったんだろうな、恥かけ恥を見に来たっぽい連中で舞台を見やすい場所は混んでて熱気もスゴい。
マイキーはチビだからベンケイに肩車されて「五メートルンなった!」って喜んでる。
校舎の時計を見ればもう十二時。放送部か生徒会か知らねぇけど女のガキの声で「次は、恥かけ恥の出演です」という放送が入った。
キーボードのヤツ――今林がマイクにすり寄るようにして頭を寄せる。
「ども、恥かけ恥です――初めましての人も、二度目ましての人も、これからニ十分楽しんでって貰えるよう頑張ります。あと、今日のテーマはラブソングなんで。そこんとこよろしくお願いします」
ボーカルの今林はロングの黒髪をリボンと複雑に編み込んで、フリルとレースたっぷりの黒いワンピースを着てる。
「挨拶代わりの一曲目ェ、アポロぉっ!」
「僕らの生まれてくる」という歌い出しから、オレはデカ過ぎるインパクトに引きずり込まれた。見た目を裏切る青年らしい歌声だったこともなンだけど――曲が、本当に、すげえ。
「そんじゃ、暖まってきたところでドラムとギターの自己紹介行きますっ! 先ずはうちのバンド心の支え、ぶっちゃけるとドラムがないとバンドの音は貧相になります、つまりその存在は必要、そして必定、流石アニキ! その名も中田――PERF◯CT HUMAN」
沸き上がるナカタコール。こんな自己紹介されたら絶対名前忘れねぇワ……。突き抜けててマジで最高。
「お次はギター。このままいけばヒッキーニートプータロー、だってだってコミュニケーション能力がマリアナ海溝だモン……。でもね、大丈夫なの……カナデにはギターがあるから……。夢のために一歩前に出ろ、胸を張れ――これがウチのカナデです、Dist◯rtion!」
可愛い感じの女声。こいつの喉どうなってんだ、と頭の冷静な部分がツッコミを入れる。
「最後の曲です、I'll b◯ there――」
ラブソングはラブソングなんだが、コレ真ちゃんの曲じゃん、って思った。そしてそう感じたのはオレだけじゃなくてオミもベンケイもみんなそうだ。
真ちゃんを見たら何もワケ分かってねぇですって顔で見つめ返された。
「ありがとうございましたー!」
笑顔で両手を振り、楽器を片付けてく四人を眺める。
レベルがちげえな、あいつら。ライブ二回目のインディーズのくせにどの曲も完成度が高いし、最年少のはずのボーカルの肝が注連縄レベルに太い。中学の文化祭なんかで披露していいレベルじゃねえだろ……こりゃちゃんとしたデカめのハコでやって、そこが満員になるくらいのバンドだ。
ヤダねぇ、才能で滅多打ちにされたよな気持ちになるワ……同じ土俵で戦ってもねぇのに。
「乾いた涙じゃ何もできないって、どーいうことだよ」
+++++
真一郎が来ない土日、少ない小遣い握りしめて向かったのは施設から一番近い公立高校。文化祭やるってポスターが何週間も前から街のあちこちに貼ってあって、それには焼きそばとかフランクフルトとか売ってると書いてあった。
カクチョーは事故の話で弁護士が来るから今日はどこにも出られねぇし、親の遺産だの慰謝料だのなんて聞かされて楽しいわけがねぇ。なんか買って帰ってやろうと少し足を伸ばした――それだけのつもりだった。
なんでかすげー盛り上がってる熱気に惹かれて校庭に踏み込めば、そこの仮設舞台上に男と女が合わせて四人、それぞれに楽器を構えていた。その中の一人――キーボード担当なのに全く弾かず、鍵盤越しにスタンドマイクを抱え込み噛みつくようにして歌っているのは十人が十人振り返るレベルの美少女だ。姫カットに改造和服とロングブーツっていうスゲェ尖った格好のヤツ。だけど可愛い見た目に反して、そいつの口から迸る歌声は太くドスが効いている。
動物番組で見たライオンの吠え声みたいだ。内臓にビリビリ来るくらい重い低音で、それも爆音。オレとそんな変わらない年だろうにどこからあれだけの声が出てるのか。
ジェスチャーで観客みんなに「愛と平和」と繰り返し叫ばせて、そいつはデカい口でマイクに唾を飛ばす。
「悲しみで花が咲くものか!」
気づいたら、オレも一緒になって「ラブ・アンド・ピース!」って叫んでた。――すげえ、すげぇよこの女。マジで
一曲終えて一呼吸。女は紙コップの中身を飲み干して、またマイクに縋りついた。
「時間的に次で終わりだよ――お聴きください、N◯rthen Lights」
次で終わりという言葉に「えっ」と声が出たのはオレだけじゃなくて、校庭にいたほとんど全員が「そんな!」とか「もう!?」とか言った。
今の曲の途中からしか聴いてねぇのにもう終わるとか許せねぇんだけど。もっと歌えよ。サボんな。
女が息を吸い込む音がマイクで拡声されて、次の瞬間、オレはあんぐりと口を開いた。
すげーカッケー曲だってことは聴けば分かる。曲調も歌詞もすげーいい。ノーザンライトって何なのか知らねぇけど、なんかかっけぇものだってことは分かる。
だけどさ、さっきまで太い男の声出してた口から女の声出たらビビるのも当たり前だろ。……あいつの喉どうなってんだよ。喉におっさんと姉ちゃん住んでんの? 親子か?
「君の決意――」
おっさんと姉ちゃんは横に置いといて――ウン。この四人、めちゃくちゃかっけぇ。
ドラムの男は見た感じ大人、真一郎とどっこいどっこいの見た目だから高校生か社会人ってところだろう。安定してて上手いカンジだけど華やかさは少し物足りない。ただ、テレビでよく見るカッケードラムセットじゃなくて安っぽい貧相なヤツ使ってるからそう感じてるカノーセーはある。
ベースは安っぽい金髪のヒョロガリ男で、ドラムよりは年下っぽい。カッコつけたグラサンが全く似合ってねえ。演奏は普通よりちょっと上。
曲によってエレキとアコギ使い分けてるっぽいギターは体格からして中学生くらいで女。野球帽目深に被ってマスクしてる不審人物なのに、ぬるぬる動いてる指がもはやキモいレベルのチョーゼツ技巧で一番演奏がうまいのがコイツ。
で、ほとんどキーボード演奏してないメインボーカルは喉に親子が住んでる宇宙人。小学生か、背が低い中学生あたりだろ。
「有難うございました――『恥かけ恥』さんの演奏でした」
放送部独特の無個性なイントネーションで、この四人のグループ名をやっと知る。恥かけ恥ね。
だけどアナウンスがあっても、やっぱ四人の演奏が終わるのが嫌なのはみんな一緒っぽい。誰かが「アンコール」って声を上げたのを皮切りに、手拍子を叩きながらアンコールの唱和が始まった。
「静かにしてください」
「出演者は舞台から退場してください」
「静かにお願いします」
放送部が焦った調子で繰り返すけどむしろ火に油で、アンコールの合唱がどんどんデカくなっていく。オレも「アンコール」って怒鳴るように繰り返した。おい楽器片付けんな、歌え!
ボーカルが放送部の席に走ってって、二言三言喋ったと思ったら戻ってきた。
舞台の上で足踏み二回、拍手一回。これをひたすら繰り返す。スタンドマイクに口を寄せた。
「ほんとにほんとに最後だからね、楽器は片付けないとなんでコレで許してくださいよ。有名な曲なんで皆いけると思いますけど足踏みと手拍子よろしくです」
知らぬ間にアンコールの声は止み、ズンズンチャ、ズンズンチャの拍子だけ残る。
「
舞台を下りた四人を追って走る。恥かけ恥の次の出番の二人組がしてる寒いコントなんて聞く価値ねえし、あんなの聞いてたらせっかくあったまった体がアイスノンよりカチコチになるっての。
駆け込んだ舞台袖にはちゃんと四人揃っていた。肌寒くなってきた10月の初めなのに全員汗びっしょりで首にタオル掛けて、パイプ椅子に沈み込むように座って、うめき声上げながらポカリとかアクエリとかをグビグビ水分補給してる。ズタボロじゃん。
「お゛あ゛――疲れた、もう動きたくない腕動かない足も動かない、ぶっちゃけ何やったかもう覚えてない」
「ヤバいヤバいヤバい」
「ここからまだ片付けが残ってるのかあ……」
呻いたり錯乱したり愚痴ったりしてる他の三人に対して、ボーカルの女だけあしたのジョーみたいなポーズで項垂れて黙ってる。声出すのも面倒なのか? まああんだけデカい声出してたら喉がおかしくなるもんだろ。でも――オレにはそんなの関係ねえ。
「なあ! 恥かけ恥のボーカル! お前!」
声をかけたら女がのっそりと頭を上げ、オレを見て、ぼそりと言った。
「ギャル男……? え、爆誕した?」
「誰がギャル男だよ、肌焼いてねえしコレ地毛」
「マ?
「やべーのはお前の口調だわ。見た目に合わなさすぎだろ」
可愛いカッコしてんのに素の口調それとかホントに女かよってバカにしたら、「男だよ」って……男?
「おれ可愛いだろ。元が可愛いから可愛い格好が似合うの、だから可愛いを極める男になるのよおれ。……で、キミおれに用事?」
さらさらの黒髪を掻き上げていたずらっぽく笑ったそいつは、今林
――恥かけ恥のドラムの中田総一は大学生。ベースの佐伯
小五であの歌声なヨーコもヤバいけど、中一で超絶技巧のカナデもキモい。――つまり、すげえ。
プロになんのか聞いたら「趣味を仕事にしたくないタイプなの」ってヨーコがドヤ顔したのになんかムカついて、向こうズネ蹴ってやった。
だけど「ゆるく趣味の範囲内で」ってのはガチらしく、信じられないことに今回が初ライブだったらしい。ただ次の予定は決まってた。
「再来週はカナデの中学の文化祭で演奏するんだ。イザナくんも良かったらおれらと一緒に来る? おれら元々車出す予定だしさ」
「すんの恋愛ソングの予定だけど、まあ悪かないと思うよ」
ナカタとヒトヨシはレンタカーで軽借りて、後ろにドラム積んでく予定らしい。自分から「オレの足になる」っつってるんだ、断るわけねえ。
「行く!」
ナカタの奢りでフランクフルトとたこ焼き、ヒトヨシの奢りで箸巻きを食った。カクチョーの分も買ってくれっつったらナカタは「いくらでも買ってやるよ!」って鼻すすったから、遠慮なくカクチョーの土産を買いまくった。
今日が初対面のガキにたくさん奢る懐のでかさ、いいじゃん。ファン1号のオレも鼻が高い。
――そんで迎えた二回目のライブの後。クラスメイトっぽい連中に追われて逃げたカナデとカナデを追いかけてったヨーコが帰って来るのを駐車場で待ちながら「なんでお前らデビューしねーの? あんな上手いのに。プロでもやってけるって」ってナカタとヒトヨシに絡んだら、ナカタはイヤイヤって首を横に振った。「作詞作曲のヨーコがデビューする気ないからしません」とか腰抜けかよ。
カクチョーと二人で何度も突っ込んだら渋々ナカタが話しだした。
「少し詳しく言うとさ、うちのバンドが出来たのってカナデちゃんがキッカケなのよ……」
カナデはタイジンキョーフショーらしい。五年生くらいから登校拒否してヒッキーで毎日が日曜日やってるんだと。プータローまっしぐらじゃねぇかってつい口に出したら、ナカタとヒトヨシは「親御さんもそれを心配してる」って重々しく頷いた。
で、そのプーまっしぐらのカナデの唯一の趣味がギター。朝起きてから夜寝るまでずっと弦いじってるぐらいのキチだから、将来はギターに関わる仕事しか出来ないカノーセーが高いんだとか。
「それ、だいじょーぶなのか……?」
カクチョーがおずおず聞けば、ナカタもヒトヨシも何とも言えない顔になった。
「あんまり……ウン。ね? だから幼馴染のカナデちゃんの将来をヨーコが危ぶんでさ。ギターの腕は良くても、あの対人能力じゃあ……。分かるだろ?」
オレらがいると全然喋らねぇもんな。舞台でもコーラス以外うんともすんとも言わねぇし。
「で、それでヨーコが同じ教室の――あ、音楽教室ね。そのおれたちに、カナデちゃんに経験いろいろ積ませたいからバンド組んでほしいって頼んできたんだ」
「ヨーコまじでズルいぜ。貴方を誘ったのは楽器の腕もだけど人間性も選んだ結果です、なんてさ、あの美少女顔に口説かれたらウンワカッタ以外言えねぇよなー」
悲鳴を上げて嫌がるカナデを「とりあえず一年だけ」とヨーコが説得して一緒に練習を始めて、もうそろそろ一年が過ぎるという。文化祭で披露するのを目標にしてたからこれからどうするかは未定らしい。
「辞めるのはもったいねぇよ。オレ、お前らの曲好きだぜ」
「おれ、おれも好き!」
だから、もっと聴いてたい。もっと見てたい。
そう口にしたら、「好き」なんて言葉だけじゃオレの想いを丸ごと表現するのに全然足りてないことに気づいた。好きよりもっと好きだ。歌詞が好きだ。曲が好きだ。曲のメロディ引っ張ってるギターの音がすきだ。どれも全部好きだ。
「わお、すんごい熱烈、カナデちゃん今の聞いた? 聞いた?」
駐車場の入口に、あかべこみてぇにガクガク首を上下に振るカナデと満面の笑みのヨーコがいた。
恥かけ恥は活動延長が決まった。
それからは慈善ライブする四人の手伝いって立場で横浜と川崎の児童養護施設回って、それぞれ色んな理由で施設に入った奴らと会って、どんどん想いが強まっていく。
――行き場のないオレたちみたいなガキのための王国を作る。ぜってぇ作る。
夜、電気の消えた天井を見上げながら誓いを思い返したら胸がなんかこそばゆくなって、布団の中に潜り込んで笑った。
+++++
老人ホームとか児童養護施設とか回るうち恥かけ恥はジワジワ有名ンなってて、何度かデカいレコード会社から声かけられたりしてるのを見た。毎回「デビューしねぇの?」って聞くんだが――ヨーコは「イヤイヤ金取ったらダメっしょ」なんて訳わからねぇこと言って否定する。
けど、カナデの二度目の文化祭。去年よりもっとスゲー最高の舞台に観客の連中が熱狂して、アンコールで二曲歌わされたあと――去年よりは対人能力がマシになったカナデがクラスメイトに連行されてって、カナデでコレならヨーコはファンの山に潰されるワってことで片付けは不参加だった。
――オレとヨーコとカクチョーの三人だけ車で待たされてるなか、窓の外を見ながら、ヨーコはぼつりと言った。
「イザナはさぁ、鶴蝶もだけど、他人の財産借りたまま日本に帰れなくなったら、その財産どうする?」
「使う」
「使っちゃうのか、人のものなんだが」
オレを振り返った目はなんだか物言いたげだったけど、ヨーコが何を言いたくて何を求めてるのかオレにはさっぱり分からねぇ。
「そのまま腐らせるよりいい。ユーコーカツヨーだろ、ユーコーカツヨー」
「ウン、腐ったらもったいないしな」
「ンンー、たしかにィ」
納得しきれてない声だったから、少しだけ妥協してやる。
「……ただ、その財産の本当の持ち主ってやつが取り返しに来るってンならマァ、少しは悩むかもしれねぇな」
悩むだけで、使わないわけじゃない。……ってか、オレに預けたソイツが悪いだろ。取られたくないなら自分で持ってろよ。預けたソイツが悪いでファイナルアンサーだわ。
「ンー、取り返しに来ることはないかな。財産っていうのはお金とかの形のあるものじゃなくて……例えるならアイデアとか知識とか? だから元の持ち主は痛くも痒くもないわけよ」
「あ? 知識? 知識なら使えよ。足し算できるのに足し算しないで生活送るようなもんだろ」
「あー」
そういう考えもあるのかとヨーコはしみじみとした口調で頷いた。
――数日もすれば、そんな会話をしたことも忘れた。
それから二年。少年刑務所から出所したオレを迎えに来たカクチョーが、駅に向かう道すがら「そうだ!」と声を上げてオレを振り返った。
「イザナと会えたの嬉しすぎてうっかりしてたぜ――あのなイザナ、ヨーコがカナデと二人でメジャーデビューしたんだ。デビューしてすぐ話題さらってさ、まだ半年ちょっとなのにスゲー人気なんだぜ」
カクチョーがいそいそとショルダーから取り出したファイルにはデビューした二人の紹介記事から音楽評論家の無駄にカタカナが多い批評やらがスクラップされていて、その時々にライブの入場チケットが二枚貼られている。関係者用チケットと書かれているそのうちの一枚はもぎられた跡があって、一枚は未使用だ。
「一枚はオレで、一枚はイザナにって。いつも二枚くれるんだ。ヨーコほんといいやつだよな」
パラパラとファイルの中身を流し読みしたがすぐに興味が失せた。ファイルを閉じ、立ち止まって下僕を睨む。バカ、キョトンとしてんじゃねぇよ。
「……おい下僕ぅ、ヨーコに何があった。言え。メジャーデビューはしねぇってヨーコずっと言ってただろうが」
それも対人能力弱すぎ君のカナデと二人でデビューとかありえねぇだろ。ナカタとヒトヨシは華も実力もねぇけど、二人の盾になろうって気概はある――なのにヨーコとカナデの二人だけでデビュー? レコード会社の奴らになんか弱みでも握られたんじゃねぇのか、それ。
グツグツ煮え始めた腹を抑えながら訊ねれば、カクチョーは慌てて両手を横に振る。
「違う! イザナ、誤解だ――違うんだ、カナデがデビューしたがったんだよ! カナデが、一緒にデビューしてくれってヨーコに頭下げたんだ。だから二人だけなんだ」
「は? カナデが?」
「うん、なんか大金が必要っぽくてさ。詳しく聞いてないけど手術代がどうのって言ってた、から、たぶんカナデの親とか爺ちゃん婆ちゃんとかがスゲェ病気なんだと思う」
「フゥン……手術代ね」
前に駅前で見かけた、「アメリカで手術を受けるために」っつって募金の呼びかけしてた連中は――たしか、数千万集めないといけないとかなんとか言ってたはずだ。芸能人になればその金が稼げるって考えたんだろう。
そうとも。家族のためなら、ずっと断ってたメジャーデビューだってする。血が繋がってる家族のためだから自分の気持ちだって曲げる。家族だから。
そんでヨーコはカナデの親友だから――オレにとってのカクチョーが、ヨーコにとってのカナデみてぇなもんだ。
「じゃあナカタとヒトヨシはどうしたんだよ」
「ナカタは就職決まった後だったし、ヒトヨシは親がスゲー反対したんだ。二人ともめっちゃ泣いてたし悔しがってたけど、しゃーねーから諦めるって」
「そーかよ。……マ、あの二人には芸能界無理だろうからデビューしなくて良かったんじゃねぇの。あいつら人徳はあっても華と実力はねぇもんな」
二人は気の良い兄貴分だけど、華やかさも実力も足りねぇ。だからデビューしなかったのは納得する、けど……そうか。
「下僕ぅ、ヨーコとカナデの次のライブ、いつだよ。関係者チケットってことはあいつ等の楽屋行けるんだろ?」
ナカタたちがいねぇからって生ぬるいライブやってたら殴ってやる。そう言ってにやりと笑んでやれば、カクチョーは「来週ライブイベントに参加するって聞いてるし、チケットももらってる!」と得意満面の笑みで答えた。
モサくなった髪整えたりサイズ合わなくなった服を新調したりして一週間が過ぎ、ライブ当日。ヨーコたちが出るっつーのは、三つほど設置された仮設舞台のそれぞれでミュージシャンが一時間ほどのライブを披露するという屋外イベントだった。入口で配られたペラ紙一枚のチラシには聞いたことも見たこともねぇミュージシャンの名前がいくつも並んでる。
ヨーコとカナデはイベント初っ端の十時から、公園の中央にある一番でかい舞台。カクチョーにギャーギャー言われ引っ張られて渋々九時前に着いたのに、広場はもう観客がいっぱいだった。
「はあ? もうこんなに客いんのかよ! こんな遠かったらヨーコたちの顔じかに見えねえじゃねぇか。ふざけんな」
「何度も言ったじゃんか、あいつらホント人気なんだって!」
デカい舌打ちしても人混みがなくなるわけじゃねぇ。仕方なく人混みに混ざれば、客どもがオレたちを見るや「後ろじゃ見えないだろ、前におゆきよ」と声をかけてきた。どいつも見たことねぇ顔ばっかだ。メジャーデビューからの新規ファンか。
「あ?」
「キミ、恥恥のライブ来るの初めてかな。恥恥は子どもと背の低い人前列に回すようにって言ってるバンドなんだよ」
「そうなのか」
「そうだよ。でも子どもの観客も多いから、かぶりつきで見たかったら早く来ねぇと」
カクチョーもおっさんの言葉に頷いたから、そうらしい。オレが知ってるライブはホーム回ってるときのだから、こういう有象無象にライブするようになってからのルールは初耳だ。
前を譲ると言ってんだからと有り難く人混みをかき分けていけば、前から3列目あたりの位置で見れることになった。舞台のバックのデカい液晶にイベントのロゴがデカく映ってる。
十時が近づけば近づくほど広場の熱気は高まり、イベント開始五分前のアナウンスがかかったと思えば指笛や歓声があちこちから上がる。
たった五分が憎い……バックの液晶に表示されたアナログ時計の映像を睨みつけるも、秒針の進みはもったいぶって遅い。ジリジリとして足踏みしながら、二分、三分、四分、そして、五分。
舞台に上がってきた二人は着物を改造したっぽいゴスロリ姿だった。後ろから野太い歓声がびりびり響いて来るのがマジでやべえ。
「こんちゃー、恥✕恥です。今日は――ん? あー、カナデちゃあん予定変更、一発目ルフラン行くよ」
「えっルフラン? ホント?」
「ン、探すのは後でね。よろしく」
トークの挨拶が挨拶になってねぇ。カナデがきょろきょろと観客を見回すのを手を振って止め、ヨーコは首を傾げるような仕草で――それがヨーコの癖だ――マイクに口を寄せると、言った。
「今から歌うのは初披露の曲。おれたちが待ってた相手が帰ってきたから……その人に『お帰り』『愛してるぜ』って言わせてほしい。いいかな」
初披露という言葉に広場が揺れる。「いいよー!」という声がアチコチから上がるなかヨーコは指揮者みたいに手を振ってざわめきを抑え、すぅと息を吸い込む音がマイクで増幅された。
「私に還りなさい」
歌はアカペラで始まった。カナデのギターもあったはずなんだが……なんつーか、歌にカンペキに圧倒されちまって記憶がぼやけてる。
だってヨーコはずっとオレのこと見てた。まるで母親みてぇなこと
「――あんねぇ、この曲さ、デビュー前から色々手伝ってくれた仲間がいるんだけど、ちょっと事情あって一年くらい連絡とれない状態になってたのよ。その人を客席に見つけたんで、前から準備してた歌を披露しました! 拍手ありがとねー! ってことで音信不通くんは後で控室来いよ待ってるからな」
カクチョーがオレの背中をバンバン叩いてきてウゼェからボカリとその頭を殴る。
「さて私事はここで終えて、ところで。話は変わるけど最近のミュージックシーンじゃラブソングが流行りという話を聞いたけど、カナデもおれもまだ恋のコの字も知らないトシなのね。こんなんじゃ流行りに乗り遅れるかもしんないねってカナデと明日の我が身の心配してるんだ。ねー」
カナデを見りゃ黙ってウンウン頷いてる。メジャーデビューしたくせにあいつはトークしないらしい。
冗談キツイぜ、という掛け声がどっかから入った。「お前らが流行りの最先端だろ」とか「ラブソング多いくせに馬鹿言うな」とか。誰かが「サウダージ歌えー!」と叫んだのに「リクエスト不可でーす」とヨーコのマイク越しの返事。
「恋をしたことはないけど恋に恋しちゃうオトシゴロだから、流行りに乗ってラブソング、歌いまァす! 聴いてください――恋の激ダ◯絶頂」
恋に恋してる奴が歌う曲じゃねぇ、というツッコミも入った。歓声と笑い声が響く。
オレの知ってるまま、ヨーコとファンの距離は近い。
「汗かいてきたかい?――ノリ良く行こうぜ、ニホンノミカタ」
次のは何度も聴いた曲だ。「みーかーたっ!」とノリ良く唱和する餓鬼どもはキチンと恥かけ恥の曲を聴き倒してきたんだろう、当然だな。
それから。ライブ後に控室のテントの中で、ヨーコとカナデからぎゅうぎゅうに抱きしめられた。
「不法行為に不法行為を倍返ししてどーすんだ、バカ。仕返しするなら合法の範囲内にしときなさい。イザナはどんだけの罪に問われてんだろ、いつ出所できるんだろっておれたち皆ハラハラしてたんだかんな。すぐに許してもらえるとは思わないことね、覚悟しなさい」
「心配、したんだから」
同い年のくせに年上風吹かせて兄貴みたく振る舞うヨーコと、優しさが下手くそなカナデの二人の顔には嫌悪感も忌避感もない。ただオレの帰りを待ってた。
そう、これが――オレがオレの努力で手に入れた、最高の関係。
「ふははっ……ただいま!」
二人の頬に自分の頬を擦り付けて、笑った。
+++++
病院の廊下でその影を見たとき、赤音さんだと思った。色素の薄い髪はゆるく内巻きの癖毛、細い撫で肩にひょろりと長い手足。
髪型が少し違うだけだ。後ろ姿を見れば分かる。あれは赤音さんだ。赤音さん、赤音さんが無事で良かった、あんな大火傷なんて嘘だったんだ。そうさ、ただの悪夢だ。なあ、そうだろ赤音さん!
「赤音さんっ!」
病院の中だってこと忘れてダッシュで追いかけ腕を掴めば、ビクリと震えて振り返ったその人は――赤音さんじゃなかった。似てるけど違う。赤音さんじゃない。赤音さんじゃあ、ない。
指から力が抜けて、すり抜ける。棒立ちのオレに、赤音さんに似た誰だかは困り顔を浮かべた。
「あ、きみ、赤音の知り合い? あ……いや、セイちゃんの友達か、な?」
赤音さんより繊細そうな顔つきの彼女はカナデさんと言った。赤音さんとイヌピーの従姉妹らしい。明るくて華やかでひまわりみたいな赤音さんに対して、カナデさんは少し影のある月の光みたいな人で。
明るい病院の中庭はカナデさんにはあんまり似合わない。
「こうしてはるばる見舞いに来たけどね、特別に仲が良かったってわけじゃないんだよ、わたしたち。赤音がわたしのことをどう思ってたか知らないけど」
「それは、どういう」
「幼い頃はね、双子みたいな扱いで……わたしたちはワンセットだった。でも……いつからかな、だんだん比べられるようになっていった。親戚の集まりがあるたびに言われたよ。赤音の方が可愛いな、赤音は明るいのに、赤音には愛嬌があるけど、って……。そんな風に言われ続けて、だんだん赤音のことが苦手になっていった」
この五年くらいはほぼ没交渉だったんだよ、と控えめに微笑むカナデさんの目には、だけど、暗いものはない。赤音さんに似た目がキラキラと星みたいに輝く。
「でもね、わたし、幼馴染がいるの。とっても可愛くて、格好良くて、頼り甲斐があって、その子のことわたし本当に大好き。……ヨーコちゃんっていってね」
わたしの大事な友達。わたしの一番の宝物。カナデさんの瞳と声は言外にそう語る。
「ヨーコちゃんがいたから今のわたしがいるの――だからね、今日は、赤音に宣戦布告しに来たんだ」
「宣戦、布告」
「うん」
どういうことなのか分からず混乱しているオレなど知らぬげに、「赤音のこと知ってる君がわたしの宣戦布告の証人になって」と言って連れられていった、赤音さんのいるICUの前で。――カナデさんは胸元に手を当てて声を張り上げた。
中の見えない病室を見つめる横顔は、赤音さんそのものに見える。
「ねえ赤音。もう二度と――誰にも、『赤音の方が可愛い』とか『奏は赤音に似てるね』とかって言わせないよ。覚悟しておいて……これから赤音は『カナデに似てて可愛いね』って言われるようになるから。わたし、有名になるから……日本中のみんながわたしのことを知ってる、そんな時代を作るから。だから」
白く明るい廊下に、赤音さんに似た声の宣戦布告が――違う。エールが響く。
「逃げるのは許さないよ。赤音は、赤音らしい姿を取り戻して、わたしに……『カナデちゃんに負けました』って言うんだよ……!」
なあ赤音さん――赤音さんを待ってる人はたくさんいるんだ。たくさんいるから、だから、絶対に助けてみせる。
カナデさんの隣で、オレも誓った。赤音さんを諦めないって。
「なあカナデさん、オレと連絡先交換しませんか」
オレと同じように赤音さんの回復を願ってる人との関わりを此処だけのものにしたくなくて言い出した提案が予想外の縁を繋ぐとは、この時のオレは想像もしていなかった。
恥✕恥ってなんだよ。メジャーデビューとか日常生活で聞く話題じゃねぇよ。ヨーコって女だったんじゃねぇのか、女より可愛い男とかなんなんだ。女声も男声も自在に出せる? は? 頭がおかしくなりそうだ。
それに発表する曲がどれもこれも弩級にすげぇってどういうことだ。どの曲もガンガンに胸に刺さるってヤバすぎるだろ。天にでも愛されてんのかよ。オレだってそういう合法的な才能が欲しかったが? ざけんな、羨ましすぎて腹立つわ。
だけど好きなんだよなぁ。むしろ好きの度合いのほうが強いぐらいだし、マジで矛盾してる。オレには理解できないジャンルの才能だからかもしれねぇ――オレには作詞作曲なんて無理だから。
――それに、アイツの善性が、まるで蛍光灯みたいにぼんやり光るんだ。
間に合わなかったオレとカナデさんを「頑張ったね」と抱きしめた腕の震えが、肌にこびりついて忘れられねぇ。
「……畜生」
嫌いにならせてくれ。どうして憎ませてくれない。
あいつの性格がクソなら少しは救われたのに。
「嫌いにならせろよ、ヨーコ。そしたらオレは自分を許せるんだ」
ドンジャラしてるときに聴いたお前の未発表曲が耳の奥で響く。
『味わうのは勝利の美酒か、それとも――』
+++++
イザナの出所から少しして兄ちゃんとオレも揃って出所したは良いものの、不良界隈で居場所が広く知られてるオレらと違いイザナの居所は分かってない――ってか、聞くのすっかり忘れてたんだよなァ……。
ぶっちゃけイザナ以外全員もとから活動場所込みで名の知られた不良だったし、連絡手段聞く必要性感じてなかったっていうか。
探すの面倒だし放置でいいよなってことで、一年ぶりのシャバを兄ちゃんと遊び歩く。一年置いてかれた間に前の流行りは廃れてるし、六本木にもそれ以外にも新顔がいる。ポコポコ湧いてるそいつら全員ボコボコに沈めては財布の中を改め――学生証を抜いてってる時だ。カード入れには保険証、学生証、ポイントカード、会員証。
「おっ。……ねえ兄ちゃん、カラオケ行かね?」
「ん〜? どうした竜胆」
「こいつカラオケの会員証持ってたんだよね。久しぶりだしさ、行きてぇなって」
出所してから二週間過ぎるか過ぎないかだし、こういう
「んじゃ行くかぁ」
ってことで駅前のカラオケに来たけど平日の昼間だから客は全然いなくて、あと店員がオレらのこと知ってたらしく二次会用のデカい部屋に通された。タンバリンが四つもあんのマジ要らねぇ……。
機種に拘りはないから店員任せにしたらD◯M。前面のデカい液晶テレビに「私の新しいシングルから……」とか紹介してる演歌歌手の映像が流れてる。
「兄ちゃん何歌う?」
「シャバの今の流行りまだ分かんねぇしな……知ってる曲いくつか入れといて」
「わーったぁ」
ペンでリモコンの表面をガチガチ突いて、一曲め向きの歌いやすいヤツを探す。
「チャンネルをご覧の皆様、こ〜んにちは〜」
オバサンのどうでもいい話が終わったと思えば、知ってる気がする声が聞こえて顔を上げる。映ってたのは六人組アイドルの姿だ――そういやこんな奴らいたっけ。オレの持ち歌の中にこいつらの歌もあった気がする。
「あー……いらね。消えろ消えろ消えろ」
でも一年離れてる間に興味消え失せたし、コイツらの曲のタイトルも歌詞も思い出せねえ。落ち着いた洋曲を選曲決定押したら映像が途切れて表示される予約曲一覧。
「りんどぉ、やっぱさあ、オレたちがネンショーにいる間にイロイロ出てるよな? 適当に何曲か歌ったらTSUT◯YA行くか」
「ん、りょーかい」
ってことでカラオケの滞在時間は三十分足らず。カラオケから歩いて三分かかるかかからないかって距離のTS◯TAYAに入れば、扉から入ってすぐの一番目立つ場所にデカデカと『恥✕恥』って書かれてる展示があった。「和と洋のコラボ」とかそのあたりがこの二人のテーマなんかな、美少女二人が和服着たりゴスロリ着たりしてるポスターが四枚くらい貼られてる。
誰だよこいつら全然知らねー。
手前の山積みから一つ手に取れば、CDジャケットは仁王立ちで腕組みした二人の写真。掲示されてるポスターと違ってデカいサングラス掛けてるしダルダルのシャツに色も褪せきったダメージジーンズっていうクソみてぇにダサい格好だ。二人の両隣に「大人しく」「できない」って粗い筆字でタイトルが書かれてる――違った、小さく「ら」って字が入ってるから「大人らしくできない」か。恥✕恥と愉快なお兄さんズってのはバンド名だろうな。
帯には「曲調はカッコいい」「大人になれない人向け」……帯に書くべきじゃねぇ文章だけど売る気あんのか? 曲調以外はどうなんだよ。大人になれないヤツ向けってどういう意味?
ひっくり返して見れば何曲か収録されてる。アルバムか。
01.希望◯宇宙の…
02.はたらきた◯ないでござる
03.男女
04.猫◯惑星
05.トマト◯らいの歌
06.カサブタ〈BONUS TRACK〉
タイトルに統一感ねぇ……なんだこれ。マジでワケわかんね。
レンタルもあるけど返却しにまた店に来るの面倒くさくねって話して、要らなきゃ捨てりゃいいし適当に目についたヤツ買って帰ることになった。人気っぽいから恥✕恥のアルバムと他のバンドとかアイドルのCDを合わせて七枚、それと前も買ってた音楽雑誌を二冊――店から一番近い拠点のリビングで酒呑みながらCDをプレーヤーに掛けて、兄ちゃんと二人で腹抱えてソファーから転げ落ちた。
「やっべ!! なんだこの――これ歌? 歌って名乗れるヤツ!?」
「息切れしてんじゃん。腹よじれるわぁ息継ぎしろ?」
一曲目の中身が無さ過ぎる歌もどきに爆笑して、二曲目の妙に深いような浅いような要は「働きたくない」っつーのを美辞麗句で飾った酷え歌にテーブルバンバン叩いた。それから三曲目も、四曲目も、五曲目も、全部コミックソング。マジで突き抜けてんじゃんこのバンド。見た目でもう一流のくせにこんだけ泥かぶれるとか最高かよ。
そんで、ボーナストラックっていう六曲目。オレも兄ちゃんも目を丸くして「はぁ?」って声も出た。オチにクソカッケー曲持ってくんのズルくね? ここに来て締めがこの曲とかさ、「うちらポテンシャル無限大ですんで」とか言わんばかりじゃん。こんなんやべぇっしょ……一瞬でハマるワ。
「もう一枚買ってたよな? 次はそっち聴こうぜ」
「あいよー」
ラジカセの蓋を押してCDを取り出し、もう一つのアルバムのCDを置く。外装のビニールゴミはローテーブルの上に他のそのまま放置。
「今入れたアルバムは『
「……んなタイトルのコミックソングとか訳わかんなくね?」
「オレもそー思う」
プレーヤーの蓋を閉めて――再生ボタンを押した。
で、二曲目が始まる前に兄ちゃんが再生を止める。
「りんどー、ホントにこいつらコミックバンド? 振れ幅どうなってんのってレベルで違くね?」
「いやいやそんなのオレも知らねーし。オレも兄ちゃんと一緒で恥✕恥とかいうの聴くのこれが初めてだからね。雑誌にこいつらのこと何か書いてない?――あ、こっちのにインタビュー載ってる」
「貸しな」
オレがインタビュー記事見つけたのに兄ちゃんが雑誌取っちゃったし、手持ち無沙汰になってCDケースの裏側を見る。二曲目のタイトルはMetamorphose。これメタモルフォーゼって読むのムズい。
収録曲はこっちも六曲。
01.Ask◯NA
02.Metamorphose
03.Lili◯m
04.Blue fl◯w
05.Fallen Angel
06.純愛♡十◯砲火〈BONUS TRACK〉
ボーナストラックがまた異色を放ってるんだよなァ……。
再生を押したら兄ちゃんがちらりとオレを見て、また誌面に視線を戻した。
で。全部聴き終えたオレはソファーに沈み込んだ。
恥✕恥を例えるなら――神。神なバンドに出逢っちゃったナって
「大人らしくできない」も「天使墜落」も、歌詞カード見たら全部作詞作曲はYOKOってヤツらしい。すげぇよYOKO。オレ今日からYOKOおっかける。
もっかい聴こうとソファーから背を浮かせてプレーヤーに伸ばした手を、兄ちゃんが雑誌で邪魔した。開かれてるページの写真はジャケットに載ってた二人――恥✕恥だ。
ストレートの黒髪のオンナとくせ毛の金髪のオンナ。どっちもスゲー美少女。
「りんどー。お前さ、この黒髪と金髪だったらどっちが好み?」
「え! やめてよ兄ちゃん、恥✕恥ってはっきし言って『神』じゃん? そういう目で見たらダメだろ……生きてる次元が違ってるから好みとか好みじゃねぇとかいうレベルを超えてるし存在がもう奇跡だしさ」
「そういうのどうでも良いから答えな」
マジのマジで言ってんだけど!? 兄ちゃんのこういう理不尽なとこホント困る。
恥✕恥の二人ってことは横において、見た目だけで好みを言うなら、そうだな……。
「金髪の方。ちょっと『闇抱えてそう』って言うの? 陰のある感じがして守ってやりてえって感じないじゃない」
オレの頑張った答えへの兄ちゃんの反応は酷いもんだ。「は? つまんねぇヤツ」だもん。一体なんで貶されたんだと噛みつこうとしたオレに雑誌を放り投げ、兄ちゃんは「読め」って一言。
「なんなんだよ……もー。読むけどさぁ」
恥✕恥はキーボード兼ボーカルのYOKOとギターの奏の二人で結成されたバンド。アルバムやシングルごとに必要な楽器弾けるヤツ呼んでるんだそうだ。で、黒髪の男がYOKOで金髪の女が奏――男がYOKO?
何度も読み返したけど、YOKOは男ってハッキリクッキリバッチリ書いてある。
「YOKO、男……?」
現代アートみたいなインパクトがオレの思考という思考を塗りつぶした。ファンシーな色合いのくせにラリってるのがモロバレでゴッホっぽいタッチの絵、あるじゃん。あんな感じになった。
だって訳が分かんねぇし意味も分かんねぇんだもん。女装ってことは恥✕恥はヴィジュアル系だった?――いやヴィジュアル系はコミックソングなんて歌わねぇだろ、もっとダークなのとかエロティックなのとか歌うのがヴィジュアル系のはず。それにゴスロリっぽいのとか改造和服っぽい衣装だって、バンドの世界観アピールするためっていうより「似合うから着てます」感しかねえ。
いや、ヴィジュアル系好きか嫌いかっつったら好きな方だからヴィジュアル系でも良いんだけどさ……恥✕恥がヴィジュアル系かってったら、なんか違うんだよ。
めちゃくちゃ似合ってるんだよ。めっちゃ可愛いんだよ。だからコレで男なんて信じられるわけなくね?
――あ、ちょ、待って、気づいちゃった。男ってことはこのナリでチンコ付いてんの? マジで?
「マジでウケる、おもしれー顔ぉ」
兄ちゃんの声も今は右から左だ。十人が十人振り返る美少女なのにYOKOは男で、オレと同じモンが股間にぶら下がってる。
いや、違う。全然違うわ、オレひらめいちゃった。
「YOKO……そうだよな。性別とか音楽性とかそういうの超越した存在なんだもんな……」
なんでか兄ちゃんがまたソファーから崩れ落ちた。呑みすぎ? やめてくれよ、寝落ちた兄ちゃん部屋まで運ぶの面倒なんだけど。
+++++
ネンショー出てすぐ……一月後あたりか。黒龍継いだ。継いだっつっても平和に引き継いだわけじゃねえ、使ったのは拳と脅しだ。なんせ、今はそうじゃねぇとはいえ黒龍は一度天下取ったチーム。実力行使で獲っても何ら問題はねぇ。
「今日からオレが黒龍の頭だ、文句あるやつはかかってこい」
七代目を血塗れの半殺しにしたその場で宣言し、オレは黒龍の八代目総長になったわけだが。
継いでから二ヶ月くらい過ぎた、今。斑目獅音が「なんでオレを呼んでくれねぇんだよぉ!」って訳の分からねぇことを怒鳴り散らしながら黒龍のアジトに現れたのだ。
下っ端どもを殴り飛ばしたり棍棒みたく振り回したりしながらアジトに乗り込んできた獅音はどうしてか涙目だ。キメェ、男の涙目とか見ても楽しくねぇよ。
「オマエ、なんで来た」
「なんでって、イザナが黒龍継いだってンならオレも黒龍にいなきゃダメだろ!?」
「は……? ああ……」
そういやコイツ含むネンショーの連中に「
とりあえず獅音をタコ殴りにして躾けた後、血で汚れた手をタオルで拭う。ネンショー入る前にカナデが「イザナくんは赤色が似合うなと……思って……」って頬をかきながらプレゼントしてくれたやつで、赤地に灰色の字で恥かけ恥って書いてある。良く知らねぇけど、こういうの数枚単位で作ってくれる店があるらしい。
赤いから血の跡あんま目立たねぇし、同じやつあと三枚あるし、喧嘩するかもってときはコレ持ってくようにしてる。
「恥かけ恥……? え……恥✕恥のバッタモン?」
バカ抜かした駄犬の頭を蹴り飛ばした。
――獅音がワンワンと駆けてきたのを皮切りに、ネンショーを出た連中から次々連絡が入るようになった。つっても直接乗り込んできたのは獅音だけで、あとの蘭とかは連絡役立てて「ケー番ちょーだい♡」って伝えてきたくらいだ。
そんな風にしてケータイの連絡先が潤うほど、メールが届く回数も増える。
『シオン先輩から聞いたんだけど、恥✕恥と昔っから交流があるってマジ?』
『神様仏様イザナ様、お願いします恥✕恥とわたくしめの縁を架け橋して頂けないでしょうか』
『恥✕恥でスタッフ募集してませんか。臨時でもいいです。筋肉ならあります』
『恥かけ恥時代のナカタさんとヒトヨシさんのサインも欲しい。ダメならなかよぴ四人の写真でもいい』
『ライブスタッフってどうやったらなれる?』
『天才的なこと思いついちゃったわ。マジでオレ天才なんじゃね? 大きめのハコなら六本木にもあるからウチでライブやってもらえば良いんだ。というわけで都内でライブやる予定できたら連絡ください』
竜胆うぜぇ……。恥✕恥を神格化してるファンの知り合いがいてウザいとカナデに愚痴ったら「友だちなんだよね? 大事にしてあげるんだよ」と言ってカナデとヨーコの連名のサイン渡されたし、それを渡してやったら調子に乗ってナカタたちのサインまで欲しいとか抜かし始めるし、シマが六本木で便利な地域なのをいいことに「うちで是非ライブを」とか悩むこと提案しやがる。
そして蘭からはというと、「竜胆必死過ぎてマジウケるワ。本人目の前にしたら卒倒するかショックでゲロるかどっちかだろってレベルでヤバいキチ、傍から見てる分はめっちゃ楽しくていいよ。今度見に来て」なんてメールが来た。そのままそのメールをヨーコに転送したら「テレビのドッキリ企画でご対面とか面白くない?」との返信。
「テレビの企画なら竜胆も暴走できねぇだろうし、スタッフもいるから安全か……」
三ヶ月後、竜胆以外顔出しなしのドッキリ企画がテレビ放送された。
「なあなあケンチン! オレも恥✕恥のファンなんだけど! なんでアイツだけ!? おかしくね!?」
「いや、マイキーオマエここまでやべぇファンじゃねえだろ。あの撮れ高には負けるわ……見た瞬間卒倒して、目覚めたと思ったら嬉し泣きのあまり胃痙攣起こすとかなかなかねぇぞ」
「そうかもだけど! 腹立つー!」
+++++
お袋に「二学期も赤点取ったらしばらくあんたの好物出さないからね」と脅され、仕方なく宿題とかをダラダラやってたらそろそろ十時。お袋は日付が変わった頃に帰って来るのが常だから、狭い家には今オレ一人しかいない。
――暴行事件でネンショー行ったようなヤツの内申点なんざお察しだし、どうせ高校なんて行かねぇ。行くとしても名前書きゃ受かる工業高校あたりに行くだろう。
お袋の通った五商なんてまず無理なんだから赤点でも青点でもどうでもいいのによと溜息ついて本棚――机に元々ついてるやつ――のラジオをつける。この時間帯に音楽流してる局とかねぇかなと上下ボタンをカチカチ押し続ければ、聴き覚えのある歌声が流れてきた。
『果てなく続く――』
歌が終われば、ラジオパーソナリティーが「この曲は恥✕恥が今年の冬季オリンピックの非公式テーマソングとして発表した曲で」どうのこうのとベラベラ説明する。
冬季オリンピックとっくに終わってから発表すんなよ……もう半年近く前だろ。でもまあ、デビューからまだ二年もしてないヤツに公式ソングの依頼来るわけねぇし、公式からクチバシ突っ込まれねぇように時期ずらしたのかもしれねぇ。
非公式か? って思うくらいのハイレベルでも、非公式なんだよな。
もったいねぇ。
ラジオから視線を下げれば、バイク雑誌と将棋の教本、ガッコーの教科書くらいしかない本棚の一部はCD専用だ。その大半はモッチーから「布教」と称して送りつけられた恥✕恥のアルバムとシングルだ。十個くらいある。「我が川崎が生んだ鬼才を見ろ、聴け」とか「十年後には川崎市長、十五年後には神奈川県知事になる男の足跡」とかいう妄言が連ねられたメモと共にメール便で届く。モッチーオマエそんなに地元愛強かったのか……。
鬼才と言っている通り、恥✕恥の曲はどれもいい曲なんだが、モッチーの圧が強すぎる。時々届く灰谷弟の長文もテンションがキツい。あいつらのせいでファンになる気が失せる。
そろそろ銭湯に行くかとラジオを止めるため手を伸ばし、止まった。
『ンン、え、臨時ニュース? 歌番で臨時ニュースなんて滅多にないよねぇ。地震とかそういうのじゃない……あ、そう。良かった。……というわけで速報?――です。恥✕恥が――ええっ、活動停止ですか! ええー、何かあったんですかねぇ。来週のライブの予定とかどうなるんでしょうか』
パーソナリティーの慌てた声に目を見開いて腰を浮かせる。――どういうことだ、何が起きた。
王は、イザナは何をしている?
+++++
公園のベンチに座り込んで、顔を覆う。ざあざあ降る雨が顔も肩もじっとり濡らしていく。
真一郎が黒龍を万次郎にも継がせたいって言ったのは、ギリ、許せた。――滅茶苦茶ムカついたけど認めてやれた。
だって、ネンショー出てすぐオレはヒトヨシからベース貰ったし、カクチョーはナカタからドラムセット貰ってた。「オマエならきっと大事にしてくれるだろうから、オマエにやりたい。でもいつか譲ってやりたいと思う相手が出来たら好きにしてくれていいし、邪魔なら捨ててくれてもいい」って言われて、そういうモンなんだってなんとなく理解ったからだ。
自分の宝物を手放さなきゃいけねぇなら、大事にしてくれそうなヤツに渡してぇって思うもんだろ。それがオレの代ではオレ、次の代では万次郎。
だから黒龍も「そういう話」なんだって自分を納得させるしかねぇじゃん。オレがずっと黒龍維持するわけにもいかねぇんだ、いつかは引退すんだから。滅茶苦茶嫌だしムカつくけど仕方ねぇ。そういうもんだ。
仕方ねぇけどムカついて収まらなかったから七代目ボコって黒龍獲ってやった。
だけど――なんだ。
真一郎はオレを騙してた。オレたちは兄弟なんかじゃなかった。血縁なんて全く無い他人だったんだ、オレたち。
真一郎はそれを知ってたくせに、言わなかったんだ。
足元がガラガラ崩落して、斜面を滑り落ちてく浮遊感と絶望が爪先を冷やしていく。自分に向かって差し出されたと思ってた手が他人の手を掴んで引き上げていくのを横で見せつけられるみたいな、順調に登ってたはずの階段が突然途切れたような、期待を砕かれた虚しさが胸ン中をぐるぐると重くする。
ぬるい雨なのに、打たれ続ければどんどん冷たくて、重い。髪の芯までぐっしょりと濡れて項垂れた。
身近に、姉弟とか従姉弟とかそういう分かりやすい血縁なんて全くねぇくせに「ウチら魂で繋がってるんでェ〜」とかドヤ顔で抜かす
なんで教えてくれなかったの。オレを信用できなかった? オレを騙して影で笑いものにしてたんじゃないの?
血縁なんてなくても家族みたいになれるのに――家族みたいになれてる奴らがいるのに、なんでウソついたの。
――クソみたいに寒い。寒い。苦しい。息ができない。
震えが止まらない肩を掻き抱いて、噛み合わない歯をガチガチ言わせながらどうにか立ち上がる。ここにいたらダメだ、寒すぎる。
渋谷には拠点があるから、そこに行こう。――オレのじゃないけど、オレにも使える拠点が。
パンツまでグシャグシャに濡れた貧相な状態で転がり込んだ拠点はナカタの家だ。ナカタは就職で独立したから渋谷の1DKで一人暮らしを始めたんだが、そこに仕事の都合で帰宅が遅くなりそうな時のヨーコやカナデが泊まることがよくある。オレも何度か泊まってるから、着替えがある。鍵も持ってる。
家主は仕事で誰もいない。静かなのがなんかイヤでテレビ付けてラジオも風呂場に持ち込んだ。
名前だけ知ってるミュージシャンの歌が浴室に反響する。
じわじわ湯が溜まってく狭い浴槽の中で膝を抱え、シャワーヘッドもこっちに向けて頭から湯を被る。
俯いて、叫んだ。水面を繰り返し殴る。
「うあぁあああ!! 畜生! 畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生!!!!」
教えてくれ!――誰か教えてくれ! 何年もかけて築いてきた繋がりとか絆とかの土台を崩されたら、土台が始めからウソだったら、オレはどうすればいい!?
そのウソを、最もオレが苦しいと思う方法で突きつけられたら。オレの苦しさも悲しさも虚しさも悔しさも全部まとめて「どうでもいいことだろ」って切り捨てられたら。オレは、オレはどうすればいいんだよ。
誰か教えてくれ。掬い上げてくれ。
「寒いよ……真一郎……」
シャワーを浴び続けてれば、浴槽から湯が溢れた。排水口を水が流れていくゴロゴロという音が止まない。
テレビの音と、ラジオの歌と、水の流れる音。そんなわざとらしい生活音を聴いてたらだんだん思考回路が鈍ってって、何も考えたくねぇしぼんやり過ごしてたら。
「ただいまァ〜。ン? イザナ来てんの。イザナ〜風呂次おれね、風邪引いちゃ――うおっ! えっ自殺? ナカタん家で!? 生きてる!?」
湯当たりでぐったりしてるオレを見つけたヨーコが、オレをベッドに引きずって転がした。そんでパジャマ着せたりポカリと冷えピタと濡らしたタオル用意したりと色々看病してくれて……自分も雨に降られて濡れてんのにオレのためにバタバタ動くヨーコを見て、涙が出る。
腕を動かしたら脇の保冷剤がどっか落ちた。
「なあ、ヨーコ……」
冷やご飯をおかゆに作り変えてるヨーコの背中に声を掛ければ、ヨーコが「ん?」と言って振り返った。
「オマエはさ、オレが自分で手に入れた、繫がり……だよな……」
「――そりゃあ、ウン。そりゃあね。イザナはおれたちのファン一号でスタッフ一号だし。んっふっふっふ……絶対手放さないぞぉイザナは一生おれらと仲良く楽しく過ごすんだからね」
「……ン。なら、いい」
オレを見るヨーコの表情が優しくて、柔らかくて、血の繋がりなんて全くねぇのに温かくて。
土台がホントなら、築いた絆もホントなんだって、ストンと腹に落ちた。だってこんなに暖かい。
――オレはウソなんて欲しくねぇ。ホントだけが欲しい。ホントは暖かいから。
目を閉じればいつの間にか眠ってて、目覚めた時にはヨーコは仕事に行っちまったのか、いない。起き上がるとすっかり溶けた保冷剤が脇とか股間とかから落ちた。クーラーはブンブン唸ってる。テーブルにラップ掛けた丼とメモ書き――「チンして食べてね。仕事いてきまーbyヨーコ」。丼の中身は見た感じタマゴがゆだ。上に梅干しのってる。
「母親かよ」
レンジで温めたタマゴがゆをゆっくり食う。
食い終わったら食器洗ってカゴに干して、服着替えた。財布持った、キーケース持った、ケータイ持った。よし。
玄関でスニーカーの中の湿った新聞の塊を見て「へへつ」って声が出た。ヨーコさあ……マジでオレの親かよ。今度ママって呼んでやろ。
雨が止んで透明度が高い橙色の空の下を歩く。
何を考えてたわけでもないのに、ふと、思いついた。
真一郎はオレの気持ちを大事にしてくれなかったんだから、オレが黒龍を大事にする必要、なくね?
それからだいたい十日くらい過ぎた頃――ヨーコが暴行事件起こして活動停止になったと連絡があった。
+++++
テレビのドッキリ企画のとき、「記念に」って言って兄ちゃんがYOKOに警棒渡したのは知ってた。オレもその場にいたモン。オレに会いに来てくれたんだからオレも何か渡さないとって思って部屋ン中ひっくり返したけどYOKOにあげられるようなプレゼント向きのモンなんて用意してるわけねぇから悔しすぎて兄ちゃんと喧嘩したし、逆にYOKOからナカタくんとヒトヨシくんのナカヨシコンビのサイン色紙貰っちゃって呼吸忘れたし。マジで恥ずかしいわ……。思い出すだけでメンタルと体力ゴリゴリに削られて死にそう。
あのドッキリがオンエアされたら――そりゃあ自慢して回りてぇけど憤死もする気がする。はあ、つら。
なのにさあ……。オンエアがいつになるか決まったら連絡くれるって番組スタッフに言われて、楽しみみたいな恥ずか死ぬみたいな気持ちで「いつ連絡来るんだろーナ」ってウキドキ待ってたら「YOKOが路上で一般人暴行してしょっぴかれた」「無期活動停止と事務所発表」ってニュース見ちゃったわけよ。その瞬間テンションどん底に落ちたからね。オレ史上最低値更新してメンタルも気力も体力も全部ダダ下がりしたからバブル崩壊よりヤバい自信ある。
暴行のときに使われたのは警棒だったとか、ソレ絶対兄ちゃんが渡したプレゼントじゃん……兄ちゃんはいつもいいとこ取り。ずるい。兄ちゃん殺してオレが灰谷蘭になるか……?
天変地異レベルのクソニュース聞いてソファで寝込んでるオレに、兄ちゃんがニコニコしながら言った。
「つまりコレって蘭ちゃんのプレゼント持ち歩いてくれてんだってことだろ? YOKOちゃんえら〜い、やさし〜。オレYOKOちゃんのこと好きになりそ」
「は? YOKOのこと好きじゃないヤツとか日本にいるの?」
「りんどー今日も絶好調な」
てかさあ、警棒でタコ殴りにして全治一ヶ月のケガ負わせたくらいで無期活動停止とかおかしくね? たった一ヶ月ぐらいのケガで?
オレはその「一般人」が軟弱すぎたのが悪いと思うけどね。YOKOみたいな暴力振るうのに慣れてないヤツに殴られただけで全治一ヶ月とかマジで弱すぎるだろ。
でも、
バラエティはYOKOのこと切れやすい若者だなんだって好き勝手適当なこと言いやがるし、イザナは少し前から荒れだしてたけど更に悪化して光の黒龍が闇の黒龍に方針転換してるし、ストレスがほんとヤバくてLILI◯M聴きながらじゃなきゃ夜も寝らんねぇ。
モッチーに「相手ケガしたっつーけど死んでないしYOKOのネンショー行きとかないよな?」ってメールしたら「ムーチョも相手が死んでねぇ。終わった…」って返事来て泣いた。なんでムーチョ相手殺さなかったんだよ、そこは殺しとけよ。オレを安心させてくれよ。
もう腹くくるっきゃねえ。兄ちゃんに「YOKOがネンショー行くことになったらオレももっかいネンショー行くから」って宣言したら「バーカ、そんときはオレも一緒だろ?」「それに凶器の提供元オレだからね? 明日ケーサツショ来いって呼ばれたワ」って言われて兄弟愛感じちゃったワ……。なんか目がスゲー笑ってたけど嘘ついてる感じじゃなかったから愛だろ愛。
「ケガした一般人」がチカンで(口に出すのも穢らわしいし腹が立つ行為)しようとYOKO襲ったドブカスだって続報が出るまでのマル三日はYOKOとネンショーで同棲する計画を練って過ごして、続報聞いてからはチカンヤロー襲撃する計画に変更した。
襲撃して分かった――正義の名の下に振るう拳、メチャクチャ気持ちいいワ。イザナに族に呼ばれたらトップクに「正義」って刺繍入れよ。「正義執行」でもいいかも、悩む。
チカンヤローへの正当防衛だったって分かってからクソみたいなニュースも落ち着いたし、善行積むのにちょっとハマったから近所のゴミ掃除を始めてみることにした。廃品回収は人間のゴミも受け付けてて、縛った人間のゴミ渡したらトイレットペーパーくれる。
トイレットペーパーを受け取ったその場で荷台に投げ入れた。
「オッサンがくれたんだけどオレ、ケツ拭くのはもっと柔らかいタイプのが好きなんだよね。だからそれはオマエらにやるね♡」
「んーっ、むむーっ!」
「あは、何言ってんのか全然わかんねぇ〜」
人間のゴミ積んだ軽トラが走り出す。曲がり角に消えたのを見送って、爽快感にため息つきながら背伸びする。
あー、こうして善行積みまくってたらオレ表彰されちゃうかも。六本木スゲーキレーな街になってってるの九割方オレのおかげだし。YOKOと奏の二人が変装無しで歩けるぐらい六本木の治安超いいから今。
それから活動再開ンなって、イザナ説得して、やっと恥✕恥が六本木でライブするってなったとき。アンコール曲は初披露の「六本木〜GIR◯PP◯N〜」。
あー……好きだワ……。実家みたいな安心と安定のコミックソング、やっぱ恥✕恥はこうじゃねぇと。
なんか隣が静かだなって思って横を見たら、兄ちゃんはしゃがみこんで溜息ついてた。
+++++
(鶴蝶)
いくらメジャーデビューして爆発的に人気になろうが、マネージャーや付き人が何人もつくことはないらしい。マネージャーか何人か担当のアイドルとか芸能人とか抱えて、そいつら全員の仕事を取りに行ったりスケジュール管理をしたりするものなんだと。
恥✕恥には、そういう「他と兼務なマネージャー」が一人ついているだけらしい。
――事件からだいたい一週間。自宅謹慎中のヨーコを訪れれば、もう昼近いのにパジャマ姿で迎えられた。巻き込まれた立場として説明を求めると詰め寄れば困り顔で部屋に通され、「あー」とか「うー」とか言いながらしどろもどろに話し出した。
マネージャーは一人しかいないからカナデに付いてもらった、と。
「普通に考えて、カナデちゃんの送り迎え優先してもらおうってなるでしょ。カナデちゃん女の子だし」
「それはそうかもしれないけどな。男だとしてもヨーコはめちゃくちゃ可愛いんだから、送り迎えしてもらうべきだったんじゃないのか。そのせいでオレたちにこんな心配かけたんだろ」
活動停止って聞いてヨーコん家に駆け込んだときヨーコはまだサツに勾留されていたから、ヨーコの母親しかいなかった。親父さんは運がいいのか悪いのか出張中で不在、二日後に帰って来る予定だった。
仕事帰りに起こした事件だからって昨晩はマネージャーが警察署に行ったそうで、事情が全く分かってないお袋さんは「ヨーコ本人から話を聞きたい」って言って肩を落としていた。
迎えに行くときに着いていくつもりでヨーコの部屋に入れてもらい、イザナと電話したりなんだりしてサツからの連絡を待ってたら……家の周りに記者やカメラマンらの人だかりができていた。チャイムが何度も何度も鳴らされたり、外から「YOKOさんの親御さーん、お話を聞かせてくださーい!」とか大声で呼びかけられたり。もしかしてとテレビをつければ、報道系バラエティはヨーコの暴行事件一色。この家の様子が生中継で放送されていた。
こんな状況で外に出られるわけがねえ。オレとお袋さんの二人は家ん中に閉じ込められた。三日も。
迷惑かけられたんだ、少しくらいヨーコに恨み言を言っても許されるはずだ。
「それは……ハイ、その通りです」
きまり悪そうに目をさまよわせるヨーコにわざと鋭い目を向けてやれば、ヨーコはますます体を小さくした。
「お袋さんなんて心配で食欲がガクンと落ちてさ、あれから五日かそこらなのにやつれてただろ。あんな事件を起こしたらやつれちまって当然だ」
「はい……すみません……。気をつけます……」
「気をつけるっていうけど、具体的にはどうするつもりなんだ?」
「あー、これからは、一人で帰る時はタクシー使うようにします……」
「そうしてくれ」
両親には既に絞られたあとらしいが、オレだって心配した。
無事で良かった。
暴行騒ぎについて、ヨーコ自身、覚えていることは少ないらしい。仕事の都合でカナデとは別行動で、ヨーコ一人で夜道を歩いている時に痴漢に襲われたそうで、ヨーコは「通り魔だと思って、ヤバい殺されるって思った」と話した。
「ただひたすら怖くて何も考えられなかったし、相手を滅多打ちにしたっていう記憶もない」「気づいたら警察署でお巡りさんに囲まれててびっくりした」「人を殴ったんだよってお巡りさんに言われたけど、全然頭動かなくて『はぁ……そうなんですか?』って返事しかできなかった」……ショックで記憶が飛んだんだろう。とにもかくにもヨーコが無事で良かった。
活動停止の判断はマネージャーがしたらしい。ヨーコが悪くても悪くなくても「事件を起こしたことに変わりはないから、初動では反省の態度をとるべき」という考えによるものだそうだ。先に謝ってから言い訳しろ、と。
あと、痴漢からの反撃でヨーコ自身もケガをしていたから、ヨーコのためにも休養が必要だった。
だから、色々と落ち着くまで活動停止。
「同じことマネージャーにも言われたし、これからはちゃんと気をつけるよ。こういうことがまた起きないようにする」
「そうしてくれ」
――少し元気がないだけに見えた。色々あって大変な目に遭ったから、それで元気がないんだろうと思った。ヨーコの話を疑うこともしなかった。
でもそれは実際に何が起きたのか教えてもらえるほどオレが大人じゃなかったからで、ヨーコが未成年だからあらゆるところで情報が規制されただけで、ごく一部の大人だけが事実を見て、聞いて、知っていた。
事件から二ヶ月の休養期間をおいて、ヨーコは活動を再開させた。
+++++
連載中の『
興味ねぇし。
恥✕恥ってネタ曲ばっかだし、アイツらがおおマテのED歌うのは本音言うとメチャクチャイヤだ。でもEDの後に次回予告あるから聴かないと次回予告見逃すんだよ……ほんとサイアク。だけどアニメ1話の終わりに流れ出したEDは――まともでノリの良いラブソングだった。
次の日、クラスの漫画仲間とアニメのどこが良かったとかどこが微妙だったとかしゃべるなか「恥✕恥ってネタ曲しか歌わないバンドだと思ってた」って言ったら、オレらの話横で聞いてた恥✕恥ファンの安田が「はぁー!?」っていきなりデカい声を上げた。
「マジ? ウソ、信じらんない、松野マジでありえないから!」
「は? ありえねーって何だよ安田ァ」
「全部! あのねぇハジハジは胸キュンラブソングめっちゃ歌うバンドなの! ネタ曲なんてメインじゃないし!」
「……は?」
安田の演説によると恥✕恥はラブソング界のスーパースターで、トキメキでキュンキュンな両想いのから切ない悲恋まで様々なラブソングを発表してる愛の伝道師らしい。安田のイチオシは「ちょこっとL◯VE」と「ザ☆ピ◯ス!」――どっちも聴いたことがない、はずだ。音楽番組なんて見ねーし。
「でも昼の放送で流れる恥✕恥の歌、ネタに走ったヤツばっかだろ。アレはなんなんだよ」
「アレは放送部男子のせいだから。テニス部のセンパイ言ってたけど今年の放送部バカしかいないってさ。そのバカ連中のせいでお弁当食べてるときにネタ曲とか品のないのとかばっかり聴かされるの、マジやめてほしい」
明日CD貸してあげるから聴き倒してきなさいよと言われて、押されるまま頷いて――その日曜日にはお年玉崩してアルバム2枚買った。恥✕恥やべえ、どの歌もノリいいしキュンキュン要素すげーし、数分の中に少女漫画が詰まってる。こんなんファンになるに決まってる……。
CDショップの店員におすすめ聞いて教えてもらったヤツだけ買ったけど、店員は「恥✕恥は全部おすすめだから選ぶの難しい」って言ってたし、小遣い貯めてそのうち他のアルバムも買う。
そう思ってたしばらく後、十二月。発売されたシングルの収録曲は「般若心経ロ◯ク」、歌はヨーコとbow-sun's……坊さんズだな。店頭で試聴したらヨーコとあと十人くらいがロックに般若心経唱えてるっていう混沌とした曲だった。
何度も通ううちに顔見知りになったショップの店員は仏像みたいな笑みを浮かべて「これも恥✕恥だよ」って教えてくれた。これも?
コレも……?
――恥✕恥が何をメインにしてるグループなのか分からなくなって、年が明けて今月には「友達に気持ちを伝えたくて作った」とか話題になってる切ない曲のアルバムも発表されて更に訳が分からなくなった。真面目な曲は本当に真面目なのに、なんであんなバカっぽい歌なんか出すんだ。
発売日にCDショップからそのまま場地さん家に直行、プレーヤー付きラジオに買ったばかりのアルバムをセットする。
一曲目は「あんなに一緒だったのに」。
「場地さんはどう思います? 場地さんも恥✕恥の曲全部聴いてますよね」
「あー? オレは歌とか楽器とか興味ねぇからな……ぶっちゃけ、マイキーが聴けってうるせぇから聴いてるだけなんだワ」
でも、ペヤングをまた一口飲み込んだあと、どこか遠くを見つめながら場地さんは呟いた。
「だけどマァ、あの曲覚えりゃあ……ハンニャシンギョーだっけ、唱えられるようになるからよ。仏壇でなーんも経を上げてやれねぇよりゃあ、いいんじゃねぇか」
「なるほど」
ロック調でもお経はお経、唱えられないよりは唱えられる方が良い。確かに場地さんの言う通りだ。
スピーカーから切なそうな声音で「あんなに一緒だったのに」と歌う声が響いている。
冬至は過ぎたけどまだ日の入りが早い。胡座に肘をついて、赤みがかった空をぼんやり見上げた。
+++++
奏さんから「紹介したい人がいるから会えないか」と連絡を受けて、半個室の喫茶店で待ち合わせたらYOKOが来た。
YOKOが来たということはつまり、今オレの目の前にはYOKOがいるってことだ。――え、YOKO? マジでYOKO?
目を疑うもマジでそこに存在しているガチのYOKOはテレビやインタビュー記事のグラビアで見るより十倍は可愛いし手足長くて背も低くないのに威圧感がなく唇がぷるぷるでピンクだった。ふわふわのファーコートに包まれた頬はぷにっとしてる。
オイオイ待てよワケが分からん。そんなぷにぷにのほっぺは十七歳のほっぺじゃねぇ。
「初めまして、奏さんと一緒に音楽やってるYOKOです」
差し出された手はピアノをしてるだけあってデカくて指が長いが、手入れされていてきれいだ。
だが男だ。男のはずだ。男だよな?
知識では知ってんのに脳みそが理解するのを拒否する――YOKOは男だってコードを入力するたびに「理解できません」ってエラーメッセージウィンドウがコンピューターウィルスよろしく大量発生するんだ。やめてくれよ、YOKOがここまで正統派美少女だとか聞いてねぇぞ……雑誌はYOKOの美少女度合いをもっとちゃんと書けよ! クソ、ツラがいいだけに飽き足らず礼儀もあるとか舐めてんのか、ふざけんな! お育ちがよろしくてよ!
内心は悲鳴と罵倒とでバグってんのに口から出たのは
「あ、九井です。九井一です」
だけだった。反射的に手を握り返して何度か上下に振って、どうぞどうぞと促し正面の席に座ってもらう。
コートを脱いだYOKOはミニ丈のワンピースに厚手のタイツ姿。マジで性別どこ行った? 性別詐称疑惑が無くならないのも分かるわコレは。
YOKOと握手して挨拶したが、やっぱり自分の目も耳も手も信じられねぇ。このYOKO幻覚じゃねぇよな? ヤクに手を出した覚えはねぇから現実のはずなんだが、もう自分で自分が疑わしい。何も信じられねぇ。
緊張で頭が回らないなんてもう何年ぶりのことだか。
奏さんはイヌピーの従姉だしデビュー前から知ってる人だから、奏さんだけなら緊張することはないんだ。だがYOKOは駄目だ。緊張で手が震えてる。やべぇ。
――ペアで活動してるとは言え、奏さんとYOKOでは格が違う。
奏さんだって天才ギタリストの名をほしいままにする凄い人なんだが、YOKOは日本のミュージックシーンのトップに君臨する天才シンガーソングライター。言うなれば上澄みの中の上澄み、住んでる次元が違う。
クソ羨ましい才能の持ち主として嫉妬ももちろんある。でもコイツが発表する曲はどの曲も名曲なんだよな……。感動して称賛して、でも羨ましいから部屋でゴロゴロ転がりながら「ド畜生め!」って叫ぶしかねぇの。嫉妬と憧れは並び立つって教えてくれた存在がいまオレの目の前にいます。やめてくれ。
ああ、ツラがいいな……嫉妬心が昇華される……。
じっと見つめていたらニコッと微笑まれた。ははぁ、なるほど、コレが微笑みの爆弾ってヤツね。理解した。
「要件の前にちょっと注文させてください」と一言断ると、奏さんとYOKOの二人は一緒にメニューを覗き込む。ゆったりめのソファなのに奏さんとYOKOの距離が近い。肩が触れ合ってる。
眼福だからやめてほしい。
眼福なら問題ないんじゃないか? ンなわけあるか、テンション上がりすぎて何をしでかすかオレ自身にも分からねぇんだぞ!? 今すぐ適切な距離を取れ! 不純過ぎる!
貧乏ゆすりを気合で抑える以外には何もすることがなく手持ち無沙汰なせいで、不躾な行為だとは分かっているもののついYOKOをガン見してしまう――テーブル一脚分の距離しかないからテレビ越しに見るだけじゃ気付けないことがいくつも分かった。YOKOからはいい匂いがすること、額がつるりと丸くて肌理が細かいこと、切れ長の目尻が愛嬌良くピンと跳ねてること、濃い下まつ毛の下にうっすら隈があること。寝不足か? 寝てくれ。
そしてYOKOが注文したのはラベンダーのハーブティー。疲れてるなら寝てくれ。オレも今日は早く寝る。
温かい紅茶で一息ついて、YOKOが口を開いた。
「今日九井さんに時間を作ってもらったのはお願いしたいことがあるからなんです」
「何でもします、任せてください」
「気持ちは嬉しいですけど、内容を聞いてから判断してくださいね」
そうだな、落ち着かねえと……食い気味になってたわ。
「奏さんから聞いたんですが、九井さんは資産運用が得意だそうですね」
「あ、ハイ」
あー、萎えた。冷めちまったわ……ピラミッドの天辺にいてジャブジャブ金が入ってくる立場でもまだ金がほしい、と。
オレの気分が萎えたのを見たYOKOが何故か苦笑して、その余裕そうな態度にイラッときた。いいからさっさと要件を話せと顎をしゃくってやる。
だが――YOKOの話を聞いて、態度を改める。
奏さんとYOKOは高額の手術を必要とする患者を支援するNPO団体に毎年募金しており、これからも安定して募金を続けるために資産運用をしたいので株について教えて欲しい、ということだった。
募金の話は前にも奏さんから聞いてる。奏さんがデビューを決めたきっかけがあの火事だ。初心を忘れない二人のあり方には好感を覚える。
YOKOは少し冷めた紅茶を一口含み唇を濡らすと、まっすぐオレの目を見つめる。
「あと、私の友人が孤児支援活動をしたいと望んでいまして。将来的には彼の作るNPOにも金銭的支援をしたいと思っています。とはいえ私の財布の中身も無限ではないですし、以前から資産運用の必要性を感じていました。それを奏さんに話したところ九井さんのことを教えていただきました。株取引で稼いでる天才だと」
「ああ、そういう」
そう言われ、奏さんの大学入学祝いに現金包んだことを思い出した。どこから来た金なんだって目をグルグルさせて詰め寄られて、対外的に一番清潔感がある手段を言った記憶がある。「犯罪と暴力の斡旋で稼ぎました」とか言えるわけねぇし、株で稼いでることも嘘じゃねぇからな。
しかし資産運用ねぇ……。YOKOの本業と今年受験生っていう年齢を考えりゃ、オレがいくらか預かって運用するほうが手っ取り早いんじゃねぇか?
思いついたまま、提案を口にする。
「あー……。詐欺師みたいなこと言いますけど、YOKOさん、オレに資産預けてみませんか。YOKOさん今年受験生っすよね? 株の勉強なんかしてる余裕ないんじゃないすか。この一年あれば、YOKOさんの資産、オレなら三倍にできますけど」
「おお……詐欺でよく聞くセリフだ……。でも疑わしさ満載なのがむしろ面白い。よし、その話乗った! 乗ります! 九井さん、よろしくお願いします!」
――後から考えれば、この日がオレとYOKOの運命の分岐点だったんだろう。オレはこんな提案すべきじゃなかった。
オレと奏さんの事情を……赤音さんのことを話したときオレらを抱きしめてくれたようなヤツを、一人で転げ落ちていくはずの坂道に、巻き込んだんだ。
+++++
午前あがりのバ先を出ようとしたらなんか雲が重くて空が暗い。スマホのニュースアプリによると深夜あたりには雨らしい。「マジかぁ〜」ってため息つきながら店を出た。つまり、今晩は洗濯物を干しっぱなしにしたらヤバい。
徒歩数分の駅について電車を待つ列に並び、またスマホを見る。さっきなんか気になる見出しがあった気がするんだよなぁとニュース一覧を適当にスクロールして、見つけた。『元恥✕恥のギタリスト・奏が結婚、相手は一般人男性』……。殺しきれないため息が漏れる。
才能一本で食っていける人が羨ましいの半分、才能マンの幸せな話題で憂鬱になったの半分。いいよなぁ、才能も金も恋人も手に入れたヒト。
そういうの全部、極貧フリーターのオレには縁遠いから。
電車が来るアナウンスを聞いてスマホを尻ポケットに突っ込んだ。前後の人に流されるようにして車内に進むけど、頭の中が今見たニュースでいっぱいだから、前なんて見てるようで見てない。
恥✕恥は天才シンガーソングライターのYOKOが奏とやってた二人組のグループだ。人呼んで「ラブソング界のトップオブトップ」、音楽なんて聴いてる余裕がないオレですら恥✕恥の歌を何曲も知ってる。
って言っても、オレが知ってるのなんてほんの一部だし昔の曲ばっかなんだけどさ。中学時代に付き合った彼女が――そう、橘日向。ヒナが恥✕恥のファンで、アルバム借りて聴いたから。
そうそう、オレが気に入ったのは「バンザイ」で、でもヒナがお気に入りだって言ってたのは「ここでキ◯して」だったよな。今思い出した。
場所はヒナん家のマンションの踊り場だった。……頬を差し出された思い出がまぶたの裏に眩く輝く。
「ん」
そう鼻を鳴らしてオレを急かしたヒナの頬や耳は赤くて、もうオレは本当にヒナが愛しくて――好きで、たまらない気持ちになったんだ。オレの彼女は世界一カワイイんだぞって言って回りてぇって思ったんだ。
でも……あの後ホントにキスしたんだったっけ、どうだったっけ。思い出せないけど、思い出したらもったいない気もする。
だってほら、良いところで終わる映画みたいに、その後は観客の想像にお任せなのがいい。ハッピーエンドに必要なのは「期待感」だ。
幸せなキスの予感はめでたしめでたしのテンプレート。そういうもんだろ?
――なのに、なんでだ? 彼女との日々を懐かしく思い返したその日に彼女と彼女の弟の訃報を聞くなんてさ、出来すぎた悲劇の冒頭みたいじゃん。それならオレは悲劇の主人公? そんなのオレのガラじゃないよ……。ヒーローになろうなんてムリムリ、だって……しょうがないだろ。オレは意気地なしの負け犬なんだよ。
どうしようもないんだよ。今更何をしようもないんだから。どうしろってんだよ。
『東京卍會の抗争は激化する一方、ついに一般人にまで被害が』
『死亡者二名、死亡したのは橘直人さん25歳、そして橘日向さん26歳』
反社の抗争に巻き込まれてヒナが死ぬなんて、そんなのオレにはどうしようもないだろ。
モヤモヤを抱えながら一晩明けて、底辺の住人らしく人様に迷惑かけながらバ先に向かう駅で。誰かに背中を押されてホームから線路に落ちるなんて思いもよらなかった。線路を揺らし迫る電車、逃げようのない距離。なのにオレの脳みそを占めたのは――
――ヒナ。
全身を叩く強い衝撃に意識が――飛ばなかった。コレは走馬灯なんだと思う。人生の中で一番楽しかった時代を……中学生の頃を追体験してるんだ、きっと。
だってさ。轢かれたと思った瞬間ダチ連中と電車に乗ってました〜なんて、走馬灯じゃなきゃなんなんだよ。中学卒業した時に全部捨てて逃げたんだぞ、オレ。アっくんもタクヤもマコトも山岸もいるはずないんだから。
今や懐かしいガラケーでカレンダー見たら2005年の7月、ってことは中2だ。どいつもこいつも思い出そのままの姿してる。
そう――そうだった。仲の良いダチと楽しく不良やってたんだよ、昔は。五人で「溝中五人衆」って名乗ってた。いま考えればガキまるだしなバカの集まりだし、素行の悪さで教師から睨まれてるような不良だったけど……五人でカラオケ行ったりチャリで遠出したりしてさ。くだんねーことだってこの五人でやれば楽しかった。
最高の走馬灯だ。
なのに渋谷三中に遠征する日の思い出が走馬灯とか……もっと楽しい思い出たくさんあっただろ? みんなで花見して大騒ぎし(て警備員に追い出され)たこととか、祭りでどの屋台のりんご飴が一番美味いか食べ比べし(てテキヤのおっさんたちに追いかけ回され)たこととか、他にもたくさんあるだろ……。喧嘩なんてこの十年くらい全くしてねぇっての。
止めないかってみんなに言っても「なんだよビビったのか?」なんて煽られるし、根拠なしに「渋谷の不良なんてシティーボーイだろ」なんて笑われるし、もうオレ心臓がシクシクして痛い……。
ああ〜イヤだ、本当に嫌だ。オレだけボコボコにノされるっていう嫌な自信しかねぇよ。どーしよ。
駅から三中へ続く商店街のスピーカーから流れてる児童合唱団の歌声が「笹の葉さらさら〜」って楽しげなのがちょっとどころじゃなく憎く感じる。楽しそうにすんな、バーカ! あーほ、ボケナスカスおまえのかーちゃんでーべそ!
ホントさぁ……なんなの? 走馬灯なのに全然楽しくねぇの! 走馬灯ならもっと……待てよ。走馬灯なんだからオレが期待するような展開になるんじゃ?
――残念なことに夢すらもオレに厳しかった。
すっかり忘れてたけど、オレが中卒でドロップアウトしたのは三中の番・キヨマサくんの奴隷にされたからだ。その過去をなぞるようにオレたちはキヨマサくんからタコ殴りに遭って半殺しのボロ雑巾にされ、土下座させられ、連絡先も取られた。
「オマエら今日からオレら『東京卍會』の兵隊な。しっかり働けよ」
キヨマサくんの取り巻き――赤石くんからのそんな脅し文句に、聞き覚えのある単語があった。『東京卍會』、2017年にヒナを死なせた反社の名前だ。この時代からあったんだ。
ヒナ。
ヒナ。キミの顔が見たい。
+++++
給食がきなこ揚げパンだから登校した月曜日。昼休みの放送は「今日はアニソン祭りです」つって、アニメタイトルっぽいの連呼する熱血ソングが3曲くらい続いた。アニメなんてガキの時にアンパン◯ン見たぐらいだからどれも初めて聴いたやつばっかで――でも、四曲目が、聴き覚えのある歌声で聴き覚えのないヤツだった。
一曲全部聴き終えてから、イントロの時点でちょっと歓声上げてたヤツの元に行って「なあ」って声かけた。クラスメイトのはずだけど顔も名前も覚えてねー。貧弱そうな見た目のヤツだ。
「ヒッ、さ、佐野くん……ぼ、ぼく、どうかした?」
「さっきの歌、知ってんの」
「歌……え、あ……佐野くん恥✕恥ファン……?」
「いまオレが聞いてんだけど」
「し、知ってるよ! うん! さっきのはつい一昨日放送されたディスティニーの三十八話から使われるようになったエンディングで、まだCD発売前ってことと尺の長さ音の粗さぶつ切り気味の始まり方と終わり方、そしてアニメが一昨日放送されたばかりということから放送を録音したものだね。まあうちの放送部みたいな底辺弱小部がCD音源化前のものを手に入れられるツテがあるわけもないから当たり前なんだけど、あ、タイトルは『Reason』だよ。最近の恥✕恥は『想い合うのにすれ違う二人』を歌うと前より切なさがぐっと増してて最高だよね。まあファンならそれくらい知ってるか」
なんかめちゃくちゃ長くしゃべってたけど八割くらい聞き流した。タイトルがReasonってことだけ分かればいいし。
「ふーん。Reasonはどこで聴けんの?」
「エンディングソングなんだって。アニメの最後に流れるんだよ、放送をリアタイするなら来週の土曜日まで待たないとだけど、ぼく全話録画してDVDに焼いてるんだ。……よければ貸そうか?」
リアタイってナニ? リアルタイム視聴、へー。
ウチにあんのビデオなんだよねっつったら、ソイツんちのはビデオDVDレコーダーだからビデオにもダビングできるっつってソイツは胸を叩いた。
「明日持ってくるよ。アニメ本編にも興味出たら、全話貸すからね!」
「フーン。あんがと。えーっとオマエ、名前……」
「エッ、あっ、ごめん、ぼく竹本。竹本優馬、です……」
「タケモト。明日楽しみにしてっから」
ガッコですることはもうなくなったから、席に戻って瓶の牛乳飲み干して、グリーンピースの豆ごはん隣の席のヤツにやるっつって教室を出る。
恥✕恥の良さなんて言われなくてもオレが一番知ってっし。恥かけ恥って名乗ってる時の、インディーズ時代のライブもナマで見てる。
タケモトよりオレのがずっと前からファンだし。フーンだ、アニメ見てるか見てねぇかってだけだし。
廊下はがらんとしてんのに、教室の喋り声と聴いたこと無いアニソンが混ざって響いてる。
「遠く離れるほどに近く感じる……か」
遠く離れれば離れるほど近く感じられるって、どういう矛盾? 遠い方が近くなるってどういうことだよ。
恥✕恥の歌には矛盾してるのが多い。『強いことは大切だけど涙も必要』とか『こぼれた滴強さに変える』とか『涙の数だけ強くなれる』とか『涙が背中を押してる』とか。泣いたら弱く見えるし心配させるじゃん。泣かない方が強いだろ。
――でも、真一郎はよく泣いた。感動して泣いて「痛え」って泣いて悔しいとか恥ずかしいっつって泣いてた……けど、皆が信頼して背中預ける強いヤツだった。矛盾してる。弱ささらけ出してる方が強いなんて変なのに、オレは真一郎の強さを知ってたし信じてた。なんでか分かんねぇけど真一郎は強かった。
校門横のチャリ置き場に寄ってチャリに跨る。誰のか知らねぇけど鍵つけっぱだから乗っていいの。
目的地なんて決めないまま走り出した。またタケミっちントコ行こうかな――でもタケミっちのヨメまた困らせるかも。タケミっちは困らせてもいいけど女困らせるのはダメだし、どーしよっか。
しゃーねー、鯛焼き買いに行こっと。
商店街通ったら知らない曲の次に恥✕恥の歌が流れだした。パピヨンだ。
鯛焼き屋に着いてチャリを止めながらオッサンに「三つ!」って声を張り上げる。
店の前のベンチでアツアツの鯛焼きに齧り付いたときにはまた別の歌手の歌が流れてて、なんか、恥✕恥に目の前で逃げられたような気分になった。つまんねえなぁ、あと五曲くらい恥✕恥のを流しとけよ。
恥かけ恥を初めて見たのは真一郎に連れられてった川崎の中学。そのうちの二人が恥✕恥っつって名前でメジャーデビューしてすぐはライブに何回も行った。奏は人見知りらしいから全然だったけど、YOKOは握手したりサインくれたり一緒に写真撮ったりしてスゲーいっぱいファンサービスしてくれた。オレみたいな年のファンとかまだ全然いなかったってのもあって名前も覚えてくれて、「マイキー君また来てくれたの、ありがとね!」ってお礼も言われてた。
でもケンチンとかパーとか仲間増えたら小遣いの余裕なくなって、今はCD買うだけ。ライブ行けなくなって何年も過ぎちゃったし……きっとYOKOも奏もオレの顔なんて覚えてねぇと思う。
――遠くなったのに近く感じる、ね。分かんねぇなあ。
遠くなったら遠くなっちまうもんだろ。
+++++
ハチ公前ですらりと真っすぐ立ってる人に「おーい」と声をかけて駆け寄る。何人かがうるさそうにジブンを振り返ったけど、小声じゃヨーコさんに届かないんだから仕方ない!
「ごめん、待たせた?」
「全然、私もさっき着いたところですよ」
「そっか!――で、このヒトとデートすんのジブンなんだけど、どっか行ってくんないかな」
人の目がたくさんある中で喧嘩する気はなかったのか、ナンパ男はそそくさと去っていく。
――その場に残った待ち合わせの相手、今林ヨーコさんは社会人のお姉さんだ。職業はヒミツって言ってた。ちょっと前にヤカラに絡まれてるところを助けたのをキッカケに仲良くなったんだが、待ち合わせするたびヤカラとかナンパとかに絡まれてる。
ジブンが思うに、絡まれやすいのはヨーコさんがヒョロくて弱そうだからだな。だってヒョロいし腕も細めで肉が薄くて体重もない。強めに押したら倒れそうな弱っちさだから、そういう連中に舐められやすいんだと思う。
邪魔者がいなくなったからヨーコさんの姿を頭の天辺からつま先までじっくり見て、頭を横に振った。
「今日もヨーコさん、残念だけど男には見えない」
ヨーコさんは自衛のために男っぽく見せたいらしい。でもマァ無理だな。美人過ぎる。
「な、なん……だと……」
「たしかにボーイッシュな格好だけど、そのぐらいじゃ効果ないな。男装はそろそろ諦めたほうが良いと思うぞ」
「ええ……? シャツからスニーカーまで全部メンズなんですけど、やっぱりダメ?」
メンズ着てるせいで逆に「オトコの格好してる可愛い女の子」っていうギャップの可愛さが強調されてるんだよなぁ。せめて髪型とか変えたら少しは違ってくるかもしれないのに、『仕事の都合』とかいうヤツでヨーコさんは髪を切れないしエステ通いを止められないし美容も必須らしい――モデルだろうかとチラッと思ったけど歩き方が洗練されてないから違う。
水商売……にしたら隙がありすぎるし、セクシーってわけでもない。何なんだろうな、仕事。女優とかか?
すがるような目のヨーコさんがちょっと可哀想と思わなくもないけど、ばっさり切り捨ててやるのが本当の優しさだと思う。大きく頷いて駄目出しした。
「ウン、全然ダメだ! 男と思われようとするのはそろそろ諦めたほうが良いと思う。……あ、これから行くワカたちのいるアジトはここらへんよりだいぶ治安悪いから、ジブンから離れないように気をつけるんだぞ」
ヨーコさんの細く骨ばった手首を掴んで、ワカとベンケイに稽古付けてもらってるジムに爪先を向ける。
だって今日のデートの目的は「ヨーコさんをワカたちに紹介すること」なのだ。
――ヨーコさんは人探しをしてる。その探し人は黒川イザナって名前で、見せてもらった写真には脱色した髪にこんがり焼いた肌をしたヤカラの姿……。写真を見た瞬間確信した。ヨーコさんはコイツに騙されてる。間違いない。
落ち着いた雰囲気の可愛い和風美人お姉さんと、サーフボードとビール缶持って海辺にいそうなヤカラの組み合わせなんて絶対に裏があるに決まってる。
それにこの黒川って男、「怒らせてしまって喧嘩してからウチに帰ってこない」らしい。
黒川はヒモだ、間違いない! 友だちって言ってたけどきっと嘘だな、「この男と私で『きみはペ◯ト』してたの」なんて中学生に言えるわけないし。
ワカたちなら不良界隈に知り合い――黒龍の時の部下だけど――が多いし、すぐヒモ男を見つけられるはず。そして女のところを渡り歩いてるだろう黒川をボコボコにしてヨーコさんの前に引っ張り出して、「心配かけてすみませんでした」って謝らせて、円満解決! ヨーコさんは黒川と別れてもっと良い男と付き合うべき! 例えばワカとかだな!
「アンタ……コイツと、黒川イザナとはどういう関係だ……?」
なのに、なんでワカはヨーコさんにガンつけてるんだ!?
+++++
ナオトと手を繋いで戻ってきた現代。アッくんの連絡先を探すためオレのゴミ屋敷を掃除してる途中、夕飯代わりのカップ麺食いながらスマホをいじる。
「へー、SENJUがパラパラしたんだって」
「何を見てるんですか、君は……」
去年に女子総合格闘技で四年連続タイトル防衛の快挙を成し遂げたSENJUは、顔が良くて人懐っこい性格でそして強い――っていう、天に愛されまくってる格闘家だ。とはいえオレはSENJUに詳しいわけじゃなくて、単にバ先だったレンタルビデオショップにSENJUのDVDが何枚も置いてあったから自然と知った、ってだけなんだけど。
ただの「踊ってみた」ならニュースまとめサイトに載るはずがないし、気になってページを開く。
元恥✕恥のギター・奏の結婚祝いにパラパラを踊った、へー。奏と仲いいんだ。あ、入場曲に恥✕恥の使った縁から。ふーん。
「でも、なんでパラパラ……?」
流行ったのだいぶ昔じゃんって呟いたら、なんとナオトが理由を知ってた。
「奏はこれが再婚なんですが――」
「え、そーなの!?」
「そうなんです。それで、奏が初婚の時、YOKOが泣きながらパラパラを踊る動画をニコ✕2動画に投稿したんですよ。最後に『幸せになれよぉ!』と叫んで終わるシンプルな動画だったんですが、それから恥✕恥では身内に慶事があるたび友人や仲間がパラパラを踊る決まりができたそうで……今回はSENJUだったんですね」
泣きながらパラパラ踊る動画と聞いてがぜん興味が湧いた。なんだそれめっちゃ気になる。
YOKO パラパラ 泣きながら ニコニコ――で検索。ようつべの転載がトップに出て、二番目の動画が本人のっぽい。再生!
そして始まったのはヘロヘロ過ぎて目も当てられないパラパラ、泣き過ぎて時々えずいてるのが分かる頭や肩の揺れ、誰かの笑い声も入ってる。カオスだ。
流れるコメントは「電線音頭」「なにしてんの(困惑)」「ハリー、愛じゃよ愛」「定期的に巡礼したくなる元祖」「【急募】しじみの味噌汁」「LINのキレを見習え」「美女()の泣き顔ペロペロ」「ベスト・フレンド……なんの隠語なんだ……」などなど、こっちもカオスだ。
肩で息をしながらどうにか締めのポーズをして曲が終わる。画面外から投げ入れられたタオルを受け取って顔を拭うと、YOKOは表情をキリッとさせた。
『奏さん! ご結婚、おめでとウございマㇲ!!……幸せになれよぉ!』
掠れてるし裏返ってるけど、力強い声だ。キャプションに書かれてるのは『撮影協力:ベストフレンド』のみ、投稿の日付は十年前――オレがまだ慣れないバイトで目を回して、余裕なんて全くなかった頃だ。
オレが自分のことだけで精一杯だったとき、世の中はこんな動画で盛り上がってたのか。
虚しいような、羨ましいような……。でも、そうだなぁ。
「なあナオト。オレさあ……オレにもさ、こういうことやってくれそうなダチがいるんだよ。中学からの仲でさ……」
アッくん。何年会わなくったって、連絡が途絶えたって、今どんな仕事してたって……東卍の幹部になってたとしたって、アッくんはオレのダチだ。過去形じゃない、今もそうだ。
オレがヒナとゴールインしたらきっとアッくんもタクヤも山岸もマコトもみんな大喜びして、披露宴に流す映像とか用意して祝ってくれる。四人のうちの誰かが結婚するって決まったら、オレも一発芸とか磨いて披露する。
だってダチだもん。
「コレ食ったらさ、アッくんの連絡先探すのまた頑張るよ」
「そうですね……。そうしてください」
だけど、アッくんに会いに行ったオレに突きつけられた現実は酷いもんだった。オレを線路に突き落としたのがアッくんで、オレに「助けて」って言いながら目の前で飛び降り自殺した。……オレは取りこぼしちまったんだ。親友だと思ってたダチをさあ、救えなかったんだ。
くそ。くそ、くそ! あんな顔で死ぬなよ。八十歳くらいまで長生きして病院のベッドで満足して死んでくれよ! どうしてこうなったんだよ。
全部稀咲のせいなのか? そんなに稀咲ってヤツは凄いのか?
それからナオトが調べてくれた情報で、東京卍會が反社になったのは東卍の内部抗争でドラケンくんが死に稀咲がナンバー2になったせいだって分かった。
なら……腹括るしかねぇじゃん。過去に戻ってマイキーくんたちが仲違いしないようにしてドラケンくんの死を回避! そんで稀咲をマイキーくんに近づけないようにして、東京卍會をカッケー不良のチームのまま解散させて、ヒナを救う!
目の前でダチに自殺させるような未来なんて、オレはぜってぇ認めねぇ!
って覚悟して過去に戻ったら、オッパイのでかい美少女がオレに乗っかってた。――逃げた。ごめんなさい巨乳下着美少女、オレにはヒナという心に決めたスーパーマブい彼女がいるんです! ドーテーは捨てたいけどソレはソレコレはコレ!
商店街でヒナに見つかったと思ったらドラケンくんに呼び出され、武蔵神社で巨乳美少女と再会した。アッ……アッ……やめ、しんでしまいます……。お願い内緒にしてェ……。
ヒミツにできなかった。ヒナの細腕でもバッドがあればボコボコにされる、オレは一つ賢くなった。教訓ってことにしよう。
とまあ、東卍の集会が始まる前から色々起きて、気が散漫になってたんだと思う。整列して頭を下げる隊員たちの中をマイキーくんとドラケンくん――とその後ろをチョコチョコと追いかけるオレ――が悠々と歩いて階段を登りきり、本殿を背に立ったマイキーくんの全身から……威圧っていうのか、カリスマっていうのか、ビリビリさせる雰囲気がドワーッと溢れ出て、オレはたたらを踏んだ。
さっきまでと全然空気が違う。コレが東卍の総長……!
――ナオトが調べてくれた情報では、8月3日に起きるのは内部抗争のはず。なのに、集会で「8月3日に起こす予定」になったのは
分かるけど……内部抗争の話、どこ?
「あーっ! ウチにイヤホン忘れたー! これじゃ聞けねぇじゃん!」
「ホラよ」
「流石ケンチン!」
「ドラケンって呼べや」
集会が終わって解散ってなったとき、カセットテープレコーダーを振り回しながら大声で愚痴ったマイキーくんにドラケンくんがサッとイヤホンを差し出す。熟年夫婦か……?
愛美愛主について色々教えてくれた三ツ谷くんにススッと近づきお耳を拝借する。
「あの、マイキーくんって音楽聴きながらバイク乗るんすか? ちょっと危ないと思うんすけど……」
「ん? ああ、そういう。心配すんな、乗りながら聴きやしねぇよ。マイキーは恥✕恥のスゲーファンなんだけどさ、同じファンと一緒に聴いたり、音楽に興味ねぇってヤツに爆音で聴かせたりしてんの」
「ワァ……耳に悪そう……」
カセットテープなのはCDプレーヤーだとかさばるかららしい。
「タケミっちは恥✕恥知ってる?」
「あ、ハイ。ファンってわけじゃないですけど、いくつか曲知ってます」
「そうか……ならまぁマシかな」
三ツ谷くんの言葉になんか不穏なものを覚えて「どういうことっすか」って聞こうとした、その瞬間。
「おーい、タケミっち。こっち来いよ。一緒に聴こ♡」
満面の笑みのマイキーくんに呼ばれた。ドラケンくんは――なんでかな、ニタァって感じに笑ってる。
「行け、タケミっち。多少知ってるなら爆音にはされねぇ……はずだ」
その言葉、信じるよ……? 信じるからな……?
マイキーくんに「今一番好きな曲」と言って聴かされた曲は「あのバンド」。音量マックスだったせいで耳がキーンとするし頭も目の前もクラクラするけど、いい曲だ。いい曲だから普通の音量で聴きたかった。
「ど?」
「……次の機会があれば、普通の音量で聴きてぇっすね……」
同じ歌で救われるヒト、救われないヒトがいる。大多数を救う歌が自分を救う歌だとは限らない。自分の足だけで進みたい――マイノリティーを肯定する歌だと思う。
てか、恥✕恥ってラブソング以外にも歌ってたのか。
「恥✕恥の歌はさ、『テメェの脚で立て』とか『自分を強く持て』って内容の歌詞が多いんだ。カッケーだろ?」
「はい」
「また集会に来たらオレのオススメ聴かせてやるよ」
にっこり笑ったマイキーくんはやっぱりカッコよくて、ドラケンくんとも普通に仲良くて。なんで8月3日にドラケンくんが死ぬのか、理由が全然分からない。
なんか変だよ、どうして他チームとの抗争が内部分裂なんて話になってんだよナオト……!
一部ルビがおかしいかも