ドラケンくんが殺される事件について知るため一旦現代に戻ってきたけど、当時の愛美愛主総長・長内が今どこにいるのかナオトが調べてくれてる間、少し暇ができた。
抗争を止めるならマイキーくんたちと仲良くなるのが一番で、それには趣味の話をするのが……つまり恥✕恥について知るのが手っ取り早い。ってことでスマホをポチポチ打って恥✕恥について調べる。
――恥✕恥はアルバムごとにメンバーを集める方式を取っているバンドで、固定メンバーはインディーズ時代に四人、メジャーデビューの時にYOKOと奏の二人になって、今はYOKOの一人。インディーズ時代の二人はメジャーデビュー時に就職と進学が被ったせいで脱退、奏は活躍の場を海外に移すため2008年に脱退。
YOKOは奏の脱退時に引退するつもりだったらしいけど、熱いファンの声に応えて規模を縮小しながらも活動継続。時々曲を出しつつ、活動内容はほぼ動画配信――といっても一人で動画撮ってるわけじゃなくて、『一号と愉快な下僕ども』という自称YOKO専属バンドがいるから彼らと映ることが多いとかなんとか。
ウィキページをスクロールして『一号と愉快な下僕ども』の見出しを見つけて、展開する。
メンバーの「一号」はインディーズ時代に恥✕恥の手伝いをしていた「スタッフ一号」こと黒川イザナ。『一号と愉快な下僕ども』のリーダーでギター。NPO法人TENJIKUの理事でもあり忙しくしているから動画に映ることは少ないけど、一番ファンが多い。
「二号」は一号の弟分だったことから「スタッフ二号」になった鶴蝶。鶴蝶? なんかこの名前どっかで聞いたような気がする……。担当楽器はドラムなんだけど、二号も一号と同じくNPO法人の本業が忙しいからあんまり出ない。
「Ran」と「Lin」は実の兄弟で、ギターとドラムを担当。本名は灰谷蘭と灰谷竜胆で通称
「シオン」はベース。腕は悪くないがガラと頭が悪いためチーム内で一番評価が低く、通称「一号の犬」。ひでぇ説明だ、これ本人が見たら怒るぞ。
「モッチー」と「ムーチョ」はその時々によってトライアングル鳴らしたりタンバリン振り回したり太鼓叩いたりするらしい。雑用係。
そしてこの三人――シオン・モッチー・ムーチョもTENJIKUで働いている、と書いてあった。いや、待て、理事が忙しく働いてるのに職員がバンド活動してていいの? 本業はどうしたんだよ。
こりゃあどんな活動してるのか気になるな……ってことで、ようつべの公式チャンネルのトップ、オススメの一番上にあるやつを再生した。タイトルは『マシマロをバーニングする回、第3回』。
『こんばんにちはー。恥✕恥のYOKOでーす』
『よお、オレと――下僕どもだ』
という自己紹介になってない挨拶から始まったのは、彼らがメッチャ仲良しなんだって分かるわちゃわちゃした動画だった。寄せられた質問に答えながら雑談してるだけと言ってしまえばそうなんだけど、YOKOも一号たちも「大事なヤツが隣にいることが嬉しい」って雰囲気が伝わってくるんだ。
こりゃあ人気が出るよ……全員イケメンで、仲良くて、楽器もできるんだから。
『次ー。これまでにびっくりした出来事トップ3を教えてください。LINちゃん早かった、どうぞ』
『大将が世のため人のため働き始めたこと、YOKOのバンドに誘われたこと、奏がYOKO以外の男を選んだこと』
『……まさかこんなありふれた質問で古傷を抉られるとか思う?』
どういうこと!? 調べなきゃ……これは気になるだろ絶対!
――テレビ番組で「ずっと言えなかったことを言う」という企画に出たとき、YOKOが奏に告白したんだとか。その返事が「YOKOちゃんは可愛すぎて同性としか思えません、ごめんなさい」。
YOKOの「同性なら……オレと……ガールズラブはできないか……?」という迷言はその年の流行語大賞にノミネートされたらしい。知らなかった……こんな愉快なことが起きてたのを知らなかったなんて、めちゃくちゃもったいねぇことしてた。
いやー、恥✕恥って面白ぇな! 特にボーカルのYOKOは笑える逸話から人智超えてそうな実話まで色々あって面白い。
マイキーくんとの話題作りってだけじゃない、オレ自身がファンになりそうだ。
でも娯楽ばかり見ていられるわけがない……というか、ナオトに頼んでから数時間も待たず長内がどこにいるか分かったから、そんなことをしていられる場合じゃなくなった。
ナオトと一緒に会いに行った長内はうだつの上がらなさそうな男だった。タイムリープをする前のオレみたいな……自信がなくて、前にも後ろにも進めなくてその場で足踏みしてる負け犬。
そんな雰囲気をしてる。
長内に過去のこと――2005年の8月3日に何が起きたのか訊ねて、「オレは
とまれ、愛美愛主との抗争をキッカケにしてマイキーくん派とドラケンくん派に分裂するっぽいことは分かった。抗争が起きなけばドラケンくんは死なないはず! だから何としてでも抗争を止める!
ドラケンくん救出ミッション、絶対に成功させてやる……!
+++++
「黒川イザナは、私の幼馴染ですが、何か」
オレとベンケイにガンつけられて怖いだろうに、足踏ん張ってしっかり立ってる今川ヨーコに「いいや」と答えてソファを勧める。そうか、川崎は横浜の隣だ――幼馴染か。
キャンキャンと噛みついてくるヒメを適当に宥めて今林ヨーコの隣に座らせ、ペットボトルの茶を出した。
イザナを探してる女がいるとヒメに聞いてから一体どんなアマがヒメに近づいたのかと思っていたが、まさかのまさかだワ。ヒメがあのYOKO連れて来るとは。
コイツの名前を聞いたとき、どっかで聞いた覚えがある名前だなとは思ってたんだ。「今林ヨーコ」がYOKOの本名だってことすっかり忘れたワ……。インディーズん時に一回見に行っただけで、メジャーデビューしてからは時々テレビで見かけるくらい。マ、とっくに記憶の彼方だよなァ。
YOKOの真ん前に腰掛けて「脅しちまってすまねぇな、黒川イザナの名前はオレたちにとって軽くねぇんだ」と軽く頭を下げる。そしてオレたちはイザナが滅茶苦茶にしたチーム――黒龍の初代メンバーなのだと説明すれば、YOKOは「イザナの事情をご存じの方で助かる」と眉をハの字にした。
――YOKOから話を聞いて、オレもベンケイも頭を抱えた。
真ちゃんが殺されたあと、イザナのもとにはその連絡すらなければ、葬式に呼ばれず、むろん四十九日の供養のことも知らされなかったらしい。
家族なら、兄弟なら真っ先に知らされただろう訃報も、呼ばれたはずの葬式も、イザナには全く知らされることがなかった。佐野家の爺さんがどういう判断をしたのかは知らねぇが、佐野家からも黒龍の連中からも情報が回らなかったようだ。
……マァ、黒龍ボロボロにしたことで恨まれてるしなァ。
で。イザナが真ちゃんの死を知ったのは去年の11月末だというから、事件から3ヶ月以上過ぎたあとになる。
真ちゃんと「本当の」兄弟じゃないことで揉めたというイザナにとっちゃ、それがトドメの一発だったんだろう。グラグラに揺れて目も当てられない状態だったらしい。そんなときにYOKOが般若心経ロ◯クを発表しちまった。
楽曲なんてものは今日思いついて明日発表する類のモンじゃねぇが――時期が悪かった。
イザナは「真一郎に経もあげられてないオレへの嫌がらせか!」と爆発して出奔したんだという。
一昨年の夏、「イザナに嫌われた」って言って真ちゃんがベコベコに凹んでたの知ってるし、事情も聞いてた。だから葬式ンときは「イザナは真ちゃんの死に顔すら見たくねぇんだろうな」って勝手に思い込んでたんだ――呼ばれてなかったなんて思わなかった。
オミみたいに
そうだよなァ……いくら喧嘩してたって、仲違いしてたって、別れの挨拶ぐらいしたかったはずだ。こりゃあ、余りにも、むごい話じゃねぇか。
「共通の知り合いにもイザナの居場所を知らないか声を掛けたんですが、『兄と慕った相手の葬式に呼んでもらえなかった』なんて繊細な話を無闇に拡散することなんてできないでしょう……」
YOKOは困り果てた顔で頬を掻いた。
知人たちに一緒にイザナを探して欲しいと頼んでもさほど深刻に受け止めてもらえず、「そのうち頭が冷えたら帰って来るんじゃないの」「あいつもそろそろ大人だぞ、心配しすぎ」と逆にYOKOがたしなめられる始末らしい。
イザナの弟分から「今はそっとしておいてやってくれ」と連絡が来たそうだが、それでも暇を見つけてはあちこちを探し歩いているのだとか。
ふぅん、イザナにもいい友達がいるじゃねェか。
「ン、分かった。オレらもイザナ探してやるヨ」
――YOKOが一人で探すよりオレらが探す方がン十倍はやいはずだったンだが、見つけるまでに数ヶ月掛かった。街中じゃ特徴的な銀髪も浮浪者に紛れりゃ白髪にしか見えねぇ……イザナは、浮浪者みてェな状態だった。
海沿いの公園には何脚もベンチが並んでる。その一つに座ってる……っつーより置いてあるような状態の男が、イザナだ。ずっと着た切り雀だったんだろうトレーナーは草臥れきってて、髪は伸びっぱなしでベタベタ、汚ぇ髭面、落ちくぼんだ目はまるで死んだ魚だ。YOKOが見たらショックで卒倒しそうだ、連れてこなくて良かったワ。
吸いかけのタバコを捨てて靴底で踏み消す。
「ヨ。……シケた面してんナ」
ベンチに座ったイザナの前に立てば、大きな目だけがのろのろと動いてオレに焦点を合わせる。
「来な。真ちゃんの墓、どこにあんのか教えてやる」
「……いらねェ」
「あ?」
「施しは、いらねェ」
ガスガスに枯れた声を聞いて、言葉選びを間違えたことに気付いた。「墓参りに行くから身ぎれいにしろ」とでも言ってれば――クソ、やっちまった。
「……施しは嫌だなんだっつって墓参りもしねぇつもりか? そこまでテメェは恩知らずか」
だんまりだ。
「真ちゃんの供養よりテメェのプライドのほうが大事ってか?」
反応がねェ。
「何とか言えや」
「……今更だ」
吐き捨てるような応えだが怒りは湧かねぇ。施しと言われりゃその通りだし、今更なのもそうだ。こいつの言う通り。でもなァ。
懐からタバコ出して火を付け、深く吸い込んだ。勢いよくフーと煙を吐き出す。
「今更だ。来んのが遅すぎる。そんなこたぁ重々承知だ。だがなァオレぁテメェのこと頼まれたんだヨ。――オレに頭下げてサ、自分じゃどうにもなんねェからって。ナァ……いいダチがいるじゃねぇか。大事にしろよ」
真ちゃんの墓参りをさせてやりてぇってYOKOに頭下げて頼まれたんだよ、こっちは。
「アイツはダチじゃねぇ」
返事があると思ってなかったンで、驚いた。目を見りゃギラギラしてやがる。
「下僕だ」
「ハ。下僕ね。そんだけ元気ありゃ大丈夫そうだナ。――じゃ、帰るワ。なぁイザナ、いつまでもグズグズ拘ってねぇで真ちゃんの代わりンなる何か見つけな。テメェのこと待ってる奴がいンだからサ、さっさと立ち直れヨ」
ヒラリと手を振って公園を後にする。あの目が出来ンならそのうち自分で立ち直るだろ。
元気そうにしてたから心配すんなと、受験勉強でピーピー泣いてるだろうYOKOにメールを打った。
+++++
趣味の時間は一人がいい。部屋にこもって音楽雑誌、漫画誌、そのほか女性向け男性向け問わず『恥✕恥』の動向が載っているあらゆる雑誌を並べ、丁寧にスクラップしていく。
学習机のライトの下、定規を当てて記事を切り取る途中ふと視界に飛び込んできた一文に「ふふ」と笑いが漏れる。
『色んな人に会えば会うほどいいと思ってる』
『奏ちゃんはもっともっと凄くなれる』
いま切り貼りしている音楽雑誌の片面に映る二人組の片割れ、ストレートの黒髪に切れ長の目の方に触れる。ツルツルした感触。当たり前だ、写真なんだから。
ソイツ、いや、YOKOに覚えている親近感そのままに口を開けば、自分でも予想外なほど優しげな声が出た。
「お前の言動のすべてを本当の意味で理解してるのはオレだけだろうな……」
だってYOKOとオレは一緒だ。同じ夢を見ている。
――オレと同じ時代に、登る山の種類は違っても、登り切る様を見せつけてくれた奴が居る。それが面白くて嬉しくてたまらない。遠い異国で同胞に出会った喜びのようなものだろう。オレは同族嫌悪するタイプじゃなかったようだ。
いつか語り合うことがあったら楽しい時間になるだろう。
YOKOと語り合う未来を想像してくつくつと肩を震わせたら伸びっぱなしでボサボサの毛先が目元を覆ってしまい、一つ舌打ちして手櫛で髪を後ろに流す。本格的な行動に移るわけだし、見た目を
練習台の長内はそろそろ捨て時。本命に移るべき時が来た。
「待っててくれ、橘。必ずオレはお前に見合う
スティックのりを紙の裏面に塗り、きっちりと端を揃えて貼り付ける。成功者であり『同類』である男の言葉が整然とスクラップブックを埋めていく。
狙うのは――無敵のマイキー。あいつを使ってオレは頂を目指す。
+++++
ドラケンくんを助けたはずなのに、ヒナは、オレの目の前で、襲われた。
ヒナが乗ってる――オレが一人で待たせてた――軽自動車に、ワンボックスが勢いよく突き刺さったのだ。
目の前の光景を信じられないまま駆け寄れば、ワンボックスの運転席にいたのはアッくんだった。血の匂いとディーゼルエンジン独特の匂いがむわりと鼻を刺す。途切れ途切れに伝えられたアッくんの最後の言葉は、前のタイムリープで聞いたのと同じ言葉だ。『東卍は稀咲に逆らえない』『助けてくれ』。
アッくんが東卍の兵隊だなんておかしいよ……だって美容師になって働いてたじゃん。オレの髪を切ってくれるって約束だってしてたし、この「現代」では東卍となんて関わりがない立場になってたはずだろ?
でも車同士の事故は混乱してる暇さえくれなくて、ヒナの軽と、アッくんのワンボックスから火の手が上がる。燃料が漏れたんだ。そう、ヒナだ――ヒナを助けねぇと!
窓ガラスがバキバキに割れたドアから車の中に身を乗り出して、ヒナに「逃げないと」って手を差し出した、のに。
ヒナのお腹には、ハンドルとか計器とかが深々と刺さっていた。
「もう、足の感覚がないの」
――ヒナを助けたかった。どうせ死ぬなら一緒に死にたかった。死ぬまでヒナを抱きしめていたかった。でもそのヒナに「逃げて」って車内から押し出されて……次の瞬間ドカンと起きた爆発に煽られ、アスファルトの上を転がった。
そしてオレは最愛の人と、ダチを、いちどきに喪ったのだ。
何が起きているのか知るためナオトに東卍について調べてくれるよう頼んで、呼び出されたのは10月20日。ヒナの葬式から二ヶ月近く待ってようやく呼び出されたと思えば、連れてこられたのは拘置所だった。調べるのに時間がかかったって言われながら面会室に連れられて入って……強化ガラスの向こうに現れたのは、ドラケンくん。
オレが救ったドラケンくんは、死刑囚として収監されていた。
面会時間は限られてるから、たくさんのことを聞けたわけじゃない。けどドラケンくんは「もう一度人生をやり直せるなら稀咲を殺す」と凄い殺意を漲らせたし、オレには「東京から逃げろ」という忠告をくれた。その態度や言葉から分かるものはたくさんある。
ドラケンくんは十二年前から変わらねぇ、優しくて、強くて、カッコよくて、一本筋の通ったヒトだ。オレには分かる。それなのにドラケンくんが死刑囚だなんて一体何が起きたんだ。
稀咲ってヤツはどんだけヤバいんだ……?
もう第二の我が家ってレベルで馴染みのナオトんちで、ヒナのことも、アッくんのことも、ドラケンくんのことも、全部解決するにはどうすれば良いのか考える。
思いついた手段は――オレが東卍のアタマ張ること。強くてカリスマあってかっけぇマイキーくんがトップだから東卍が稀咲に利用されたんなら、オレが東卍を継いでさっさと解散させてしまえばいい。
今は三番隊の隊長の座が空いてるから先ずそこを狙う!
オレは本気だ。ぜってぇ諦めねぇ。オレが皆を、ヒナを救うんだ……!
って思って過去に行ったその日、稀咲が三番隊長に就任した。一番隊のバジくん? ってヒトも東卍を抜けて
どうすればいいんだよコレ……ホントワケ分かんねぇんだけど! くそ、一回未来に戻って情報集め直したほうがいい!?
+++++
六本木のちいさなビデオ屋が最近恥✕恥の「聖地」と呼ばれているらしいと姉さんから聞いて、なんだろうと思ったら――原因は彼らが投稿した自主制作ビデオだった。
9月15日に投稿されたらしい動画のタイトルは【誕生日】祝十八歳【スタッフ一号】。
概要欄には「喧嘩して出奔したまま帰ってこない一号に届け、オレたちの想い。主演:YOKO、ヒトヨシ、中田。助演:奏。スペシャルサンクス:レンタルビデオショップ『出入り口』店長と店のお客さん。」
とりあえず見てみよう、と再生。
ぼろぼろなオーニングに『レンタルビデオショップ出入り口』と書かれている寂れた店の外観が映り、聞き覚えのない男の声で「2005年、8月30日。この日誕生日を迎える【ピー】を祝うためオレたちが向かったのは――レンタルビデオショップ出入り口」とナレーションが入る。
そして店の前に現れたのはYOKOと男二人――どこかで見た顔だなと思えば、インディーズ時代のメンバー中田とヒトヨシだ。そして三人から少し離れた後方で太ましい男がハンディカメラを構えているのが見える。撮影スタッフなんだろうか?
「ついに【ピー】も十八……時が過ぎるのは早いもんだな」
「ああ、初めて会った時はこんな小さかったのに……」
「そのサイズだと受精卵じゃん」
親指と人差し指で3センチくらいの幅を作った中田にYOKOの突っ込みが入る。ふと思いたってコメントをオンにすれば、「ピー音におれらの名前入れて楽しむビデオなんかな?」「一部界隈で有名なお店ですねぇ、ニッコリ」「展開読めたわ(笑)」とかいう文字が流れていく。
YOKO、ヒトヨシ、中田の順に三人の顔が大写しになって、カメラが背後からのものに切り替わる。手足のひょろりと長い男が中田を真正面からハンディカメラで撮影している姿がはっきり映った。「スタッフ映ってるスタッフ映ってる」「編集が雑ぅ!」「撮影スケジュールカツカツやったんか?」「ペロッ、これはナンセンスギャグの予感」とコメントがうるさい。オフにしたほうがいいかもしれない。
引き戸を開いて店内に入る三人。カメラが店内のそれに切り替わる。ビデオやDVDがギュウギュウに詰め込まれた棚がいくつも並んでいる通路を、中田が迷わず進んでいく。
その先に、十八歳以下侵入禁止ののれんがかかった場所が、あった。「知 っ て た」「有名店だぞ♡」「マイナーなのも豊富に置いてるからオススメ」というコメントの山に――ボクはどんな顔をすれば良いのか。
ヒトヨシが真面目ぶった顔でカメラ目線になった。
「十八の誕生日を迎えた者だけがこののれんを潜る権利を得られる……。この場所が何だか分かるか、【ピー】?」
コメントで画面が埋まった。「はい!エッチなビデオ置いてる場所です!」「桃源郷」「大人の夢の国、かな」「愛を見つける場所だよ」「ここで知らんおっさんにコレ見ろってDVD押し付けられたことある。とても良かったです」「この世の楽園に決まってんだろ」「実家」という文字だけ読めた。こんなコメントして大人として恥ずかしくないんだろうか。
数拍おいて、中田とヒトヨシがうんと頷く。
「――そう。ここでオレたちは大人のかいだんのーぼるー」
「君はまだー」
「シンデレラっさー」
「名曲を自分の手で穢すな」「自虐が過ぎんのよww」「右手が友だち」「やめんか」「シンデレラ(笑)」「ここで階段登っても素人なことに変わりはないんですが」「俺達はシンデレラだった……?」と文字が横に流れていく。
のれんに手を伸ばした姿勢で、中田が真剣な顔をしてカメラを振り返る。
「さあ、【ピー】、行くぞ……。今日この日から、この布の向こうはお前を歓迎する」
「いざゆかん、新しい世界へ、ってな」
中田とヒトヨシがそう言ってのれんをわずかに持ち上げれば、店内の明かりが何故か消えて、のれんの向こうから強烈な光がこっちに漏れだす。
――のれんの向こうに、踏み台の上に立って人の頭くらいの大きさのライトを掲げた中年男が立っていた。
「シュール過ぎるwww」「工事現場用の投光器では」「どっからソレ持ってきたの??」「色んな意味で目が焼かれるわ」「カ オ ス」「腹痛い」「店長体張りすぎww」「店長!?」って大量のコメントの全部に頷く。本当にカオスだ。
「待ってくれ、置いて行かないでくれ、オレも……オレも新しい世界に……!」
のれんの向こうへ進もうとする二人に、切なげな表情のYOKOが手を伸ばす。
でも、その手を中田は振り払った。
「お前にはまだ早い」
「YOKO、お前まだ十七歳だろ」
動画の下部に【この動画の撮影は四月に行われました】とテロップが出る。
「お前にはまだ、こののれんをくぐる権利はないのだ」
「ここは十八歳未満禁止だよ」
「そんな殺生な!」
床に崩れ落ちるYOKO、盛り上がるコメント。――ここまで見て、動画を止めた。
「情報量が多い……」
眉間を揉みながらため息をつく。
アダルトビデオを置いてる店なんて行けるわけないじゃないか……姉さんも僕もまだ中学生なんだから。聖地巡礼は諦めてもらわないと。
+++++
YOKOがイザナのために撮ったビデオをニコ✕2に投稿したっていう灰谷兄弟からの連絡で、オレとモッチーが集まった二人の家。そのシアタールームで上映されたのは――ダチのために恥を捨てて体を張る気持ちの良いバカの姿だった。
こんなビデオ撮るレベルってことはマジでイザナとコイツら仲いいんだな。
持ち込んだポップコーンとペプ◯コーラを胃に流し込みながら、デカい液晶に映る三人の姿を眺める。
中田の声で「この店ならどんなジャンルのビデオも見つかる……その噂が真実なのか、思いつくものを訊ねることにした」とナレーションが入る。
先鋒は中田。店長の耳元でコショコショと囁く。
「あるよ。女攻めとまでは言わなくても女性優位の作品は多いね」
「へー」
次鋒はヒトヨシ。やはり店長の耳元でこっそりと声を潜めた。
「あるね。人妻系は数も種類も多いから、そういうのもいくらでもある」
「そっすかぁ」
そして大将――YOKO。
YOKOは凛々しい表情で仁王立ちして、歌手らしく朗々と声を張り上げた。
「ふたなりモノ!」
「それはファンタジーだからビデオじゃなくて漫画かアニメだね」
店長の答えのあと、画面がブラックアウトする。そしてポーンってピアノの音のあと中田のナレーション。「小学生時代にYOKOと出会い性癖を歪まされた【ピー】がふたなりモノを好まないはずがない。そう固く信じる我々は、こう考えた。――存在しないなら我々が作ってしまおう」。
プロジェ◯トXかよ。
画面が明るくなって、ベッドの上を除いて比較的片付いている男の部屋が映る。ここからは定点カメラっぽい。そこにシャツと短パン姿のヒトヨシが「うぃー疲れたー」と棒読みで言いながら現れて、ベッドに寝転がり部屋の電気を消す。
わざとらしい鶏の鳴き声の効果音で明るい室内に映像が切り替わり――ベッドに寝ていたのはYOKOだった。鳴り出した目覚ましを止めて起き上がると、シャツを持ち上げるたわわな胸部に目が引かれる。
「んー……あ?」
YOKOが自分の胸を鷲掴む。
「んー?」
たゆんたゆんと揉みしだいてから、絞り出すようにして、一言。
「なんじゃあこりゃ……エッ何だこの声。あっ髪! 長い!?」
バッとシャツを脱いだYOKOのその上半身には――仮装用の偽おっぱい。頭から被るタイプのヤツなんだが、サイズが合わないのしかなかったのか、ちょっとデカくて脇の部分に隙間があいている。
「ええっ!? 女になってる!?」
ベッドに座ったままのYOKOは短パンの中を覗いて「良かった、無事だったか息子よ……!」と呟く。
公序良俗とかそういう問題なんだと思うがカメラにはYOKOの頭だけしか映らなかった。
――ここまで見て隣の灰谷兄弟の様子を覗えば、兄の方はゲラゲラ笑っているのに弟の方はぐずぐず泣いていた。ここまでに竜胆が泣くような要素ってあったか?
「なんで泣いてんだ」
竜胆の脇を小突いたら、竜胆は真っ赤にうるんだ目をオレに向けて「ナカヨシヨトリオが仲良くしてる姿見れるだけで嬉しくて泣けるんで……」とぼそぼそとした声で言った。ワケが分からねぇ。
「まず『仲良しよトリオ』って何だよ」
「中田、ヒトヨシ、YOKOだからナカヨシヨトリオ。常識っすよシオン先輩」
「知らねぇよそんな常識」
ごく一部の常識を当たり前のことみてぇに語んな。
「ナカヨシヨの仲が良いのはコレも常識なんすけど、ほんと、恥かけ恥の男メンバーって結束強いんすよ、こんなふうに」
「へー」
「なんて美しい友情なんだって思うとマジで泣けてェ……!」
「あ、そう」
オレからすりゃマジでどうでもいいわ。
モッチーもかなりキショいファンだ――竜胆がこれならモッチーは今どんな顔してんのかと思って、竜胆と逆の方に目を向ける。
真顔で画面ガン見してやがる。こわ……話かけんどこ……。
顔を正面に戻したら、いつの間にか現れていた奏が「変なビデオ作らないの!」とYOKOたちを正座させて叱りつけていた。
+++++
場地くんを東卍に連れ戻せないまま、場地くんが殺されるのを止めることと一虎くんを殺させないことを強く心に決めて迎えたハロウィン当日。
抗争の舞台になる廃車置き場には特服着てない人とか見覚えのない特服の人とかもたくさんいた。千冬の言うには「勝った方が東京のトップに近づく重要な抗争だから、他のチームから注目されてる」らしい。
「たとえばあそこの二人組――灰谷兄弟」
「灰谷……あ! あの二人って」
千冬の視線の先にはツラの良い男が二人――ってアレ左右兄弟!? 過去に戻ってくる前に見た【一号誕生日記念】の「一号の妹と良い雰囲気になった(※嘘)シオンが一号に告白許可を求めるドッキリ」で、ドッキリって知ってるくせにシオンを羽交い締めにして廃屋の柱に縛り付けた二人じゃん!?
妹への告白が許可制ってなんだよって始めは思ったけど、一号がめちゃくちゃシスコンで納得したんだよな……。
「そ。あいつらが――」
「ダイジョーブ、知ってるって! あー、ほら、あの二人ってさ、ドッキリ企画で恥✕恥のYOKOと会った時に卒倒した弟とYOKOに警棒プレゼントした兄だし!?」
2005年ならまだ一号と愉快な下僕どもは結成されてないから、左右兄弟は「ドッキリ被害者とその兄」って状態だったはず。タイムリープしてるせいで物事の時間軸ゴチャゴチャになりまくりなんだけど、コレなら左右兄弟知ってる言い訳になる……はず!
内心で胸をなでおろしてたら、なんでか周囲の目がオレをブスブス刺して、それから左右兄弟に移った。視線に気づいた左右兄弟が「あ? んだよ」とガラ悪く舌打ちする。――オレの知ってる二人より雰囲気トゲトゲしてるけど、オレの知ってる「面白いこと大好き兄」と「YOKOのこと大好き弟」そのまんまの顔だ。黙ってたらすげーイケメン。
なんでか目をまんまるにしてる千冬に「なあタケミっち」と声をかけられて「うん?」と返す。
「その情報どっから拾ってきた?」
「え、いや、みんな知ってるだろ? あ、そのドッキリってオレが小4か小5あたりの時にテレビでやってたやつね! あの動画見た時めっちゃ笑ってさー、卒倒するとかマジかよってなるよな。オレもYOKOに会えるドッキリされてみたいけど、あんだけのリアクションすんのはムリだって思う」
あはは、と笑ったオレの肩を誰かがポンと叩いた。振り返ればそこにいたのはマイキーくんだ。なんか、闇? 怒り? 的なオーラ背負っててすげー怖えんだけど!
「タケミっち、あいつがYOKOと会ったってドッキリ男って話マジ?」
「へ!? あ、はい! マジっす!」
「フーン、そ。めっちゃ殺る気出たわ。……さっさとこのくだんねぇ抗争終わらせんぞ、次の抗争相手いま決まったからな」
「お、「
にやりと笑ったマイキーくんの姿は、場地くんのことでピンと張り詰めてた糸が少し緩んだように感じられて……もしかしたらコレでいい方向に回るんじゃねえかって、少し期待した。
+++++
ヨーコが死んだ。
「おい、貧乏ゆすり」
ヨーコが殺された。
「ココ、貧乏ゆすりやめろ」
「チッ……」
普段と変わらないイヌピーの口調すらカンに障った。左手を脚に置いて貧乏ゆすりをどうにか抑える。花垣が遅れて会場入りしたのが視界に入り、それにまた舌打ちが漏れる。
おせーんだよ、無駄に待たせやがって。来んのが遅えし服もダセェ、上納金はすくねぇ。コイツ良いとこあんの? あー、クソが、イライラする。
――昨日だ。つい昨日だ、ヨーコが死んだのは。考えたくねぇし信じたくもねぇがヨーコが殺されたのは事実。裏からとはいえ経営してんのはオレだ、事務所として告別式やらなんやらの差配もしなきゃなんねぇし、他にも手続きしなきゃならねぇことがたくさんある。だってのに「最高幹部の緊急招集」っつって幹部会に呼び出されて待たされてよ――いや、分かってんだ、つい先日オレらのフロント企業にガサ入れがあった件について話し合わなきゃならねぇってことは。
タイミングがクソ悪い。やんなきゃいけねぇことがたくさんあるのに……頭がいてぇ。
「ユダがいるんじゃなくてよぉ、どっかから虫が入り込んでんじゃねぇのか!?――ガサ入れにYOKOの事件、敵対してるどっかがサツ利用したって考える方が妥当だろ!!」
ようやっと幹部会が始まり、半間が三日前のガサ入れについて身内に裏切り者がいる可能性を示唆すれば、林田――は脳足りんだから林――と柴が揉め、河田も林側に立って喚く。
あー、ムリ。無駄な時間取られんのマジ今ムリ。勝手に死んでくんねぇかなこのドブカス共、壁に頭打ち付けて死んでくれよマジで。
イヌピーが食った後の皿を一枚壁に投げつければ、全員の視線がオレに集まる。
「……なあ、さっきからよぉ、YOKOがーYOKOがーってうるせーんだわ。YOKOはオレが引っ張ってきたオレのもんであって、てめぇらが気軽に連呼していい名前じゃねぇんだよ。マジでウゼーから死んでくれよ」
ぐるりと室内を見回す。花垣だけなんか変な態度だが今は気にしてらんねぇ。
「オレはヨーコを盛大に見送ってやんなきゃならねえの。さっさと幹部会終わらせて事務所に戻りてえんだよ! 分かるか!?」
怒鳴ってテーブルを蹴りつけたその場に現れたのは稀咲さんで、花垣と松野の二人を呼んで――オレをチラリと見やって、去った。
幹部会は強制終了、イヌピーと車に乗り込んで事務所に戻る。
「……どういう意味だったんだろうな、ありゃ」
「ココ? どうした」
「いや、なんでもねぇよイヌピー」
頭を横に振った。
――オレとヨーコは十数年の付き合いになる。奏さんの紹介で知り合って、資産運用の代行で金預かって、何度か会ううちにヨーコがダチとして好きになってった。どんなときでも言葉を惜しまねぇし全身で感情を表現する、分かりやすい善人だったから。
だから黒龍が負けた時点でYOKOから手を離すべきだったのに、まだ大丈夫だと自分に言い訳してズルズル引き伸ばして……結局巻き込んだ。
ヨーコと初めて会ってから一年近く過ぎた、2月初旬のころだった。都内にある個室タイプの喫茶店で引き返せない状況を説明して、謝罪して、殴ってくれと頼もうとしていたオレの真向かいで。ヨーコは血の気の失せた顔で、目は忙しなく動いていた。
「九井くんさ、奏ちゃんからも金預かってたりしてる?」
「いや、奏さんからは全然……。巻き込んじまったのはヨーコさんだけです」
「オレだけか」
「はい……だから」
ヨーコはオレに震える手のひらを突きつけて、もう片方の手で顔を覆った。指の隙間から覗くヨーコの顔は真っ白で唇は青かった。
「すまん、時間が欲しい……帰るわ。……あー、九井。オレらの友情はこれまでって、わかるよな?」
そうしてYOKOはオレの
ヨーコからも
誰かを憎み続けることが苦手な人だったから。
オレの勝手で巻き込んだんだ。だからオレが守るんだ。そう思ってたのに、ヨーコは殺された。
無力感はもちろんあるが、赤音さんのときのような激情がない。……人の死に慣れすぎたからか、それともまだ実感が湧いてねえからか。
なんせずっとオレらを追いかけ続けてる連中だ、ヨーコの骨だけ持って静かに帰るなんてことしねえだろう。どうしたもんか。
考えに没頭してたせいかスマホの着信が耳を素通りしていたらしい。懐を探られたことに気づけば、オレの代わりにイヌピーが電話をとっていた。
「ココ、YOKOについて新たな報告だとよ」
「おう」
昨日ヨーコが殺されたのは横浜にある会場で行われた夜の部のライブ。一万人ちょっと収容できる全席指定のホールで、客席は満員だったってんだからYOKOの人気のほども分かるもんだろう。襲撃犯がどうやってチケットを手に入れたか分かったって報告ならいいが……チケットを横流しした奴がいたならそいつを処分しなきゃならねえし。
スマホを受け取れば、電話をかけてきたのは事務所で働かせている部下の一人だった。YOKOを収容している病院に刑事と
「は?」
手の中のスマホを握り潰しかけ、脚は勝手にゆさゆさ揺れる。死に方がアレだから司法解剖が必要? あいつらヨーコを連れ帰るつもりか、許さねえ。
「オイオイ冗談キツいわ、ヨーコはオレのモンだぜ。解剖ならうちでやらせりゃ良い――おい、いいか? マッポどもにヨーコの髪の毛一筋たりとして渡すんじゃねえぞ!」
返事を待たず通話を切る。スマホを落としてそのまま両手で顔を覆い、背中を丸めた。
「
「ああ……ホントしつけえ野郎共だ……。オレたちの邪魔ばかりしやがる」
「そうだな」
どうしてオレからヨーコを取り上げようとする? ヨーコに縁切られてからもう十年以上経つくせに、十数年間会ってねえくせに、なんでヨーコに執着し続けるんだ。
イヌピーがオレの背中に手を添えた。
「オレも、昔からあいつのことが気に入らねえ」
黒龍の名を穢したクズ野郎のくせに何を正義ぶってやがるんだ。なあ――黒川イザナ。
+++++
場地くんの死は止められなかったけど、マイキーくんが一虎くんを殺すのは止められた。もっと何か出来ることがあったんじゃねえかってモヤモヤする想いをどうにか飲み込んで……千冬の指名で壱番隊の隊長になった。
ここからどんな未来になるんだろ。いい未来になってると良いんだけど。
少し怖いようなワクワクするような気持ちでナオトと握手して未来に戻ったオレは――半グレ組織東京卍會の幹部になってた。オレの側近らしき溝中五人衆(アッくん除く)のみんなも顔つきが物騒で、誰なのか分かるまで少しかかった。山岸の眉尻にあるデカい傷、なんなんですかねぇ!?
千冬に連れてってもらって入った幹部会の会場は中華料理屋っぽい感じ。見慣れない顔は進行役の半間と……え、この人たち誰? 色黒のなんか品がなさそうなのと、キツネ顔と、金髪火傷の三人には全然見覚えがない。古参がどうとか言ってるけどホント誰? 元ブラックドラゴン組って何?
混乱してる間に四番隊隊長と色黒のよく分からない口論が喧嘩になりかけて、あわあわしてたらキツネ顔が皿を壁に投げつけた。
「……なあ、さっきからよぉ、ヨーコがーヨーコがーってうるせーんだわ。ヨーコはオレが引っ張ってきたオレのもんであって、てめぇらが気軽に連呼していい名前じゃねぇんだよ」
「ヨーコが死んだ」とか言ってるけどそのヨーコってどこの誰だよ……。ドラケンくんは死刑囚で、三ツ谷くんは行方不明で、ヨーコって奴は殺された、その
キツネ顔はゆらりと立ち上がりながら室内をぐるりと見回した。
「マジでウゼーから死んでくれよ――オレはヨーコを盛大に見送ってやんなきゃならねえの。さっさと幹部会終わらせて事務所に戻りてえんだよ! 分かるか!?」
テーブルをガンガン蹴りつけながら怒鳴り声を上げたキツネ顔、やべえ。
稀咲が現れてどっかに連れてかれる道中、車内で千冬がため息つきながら「ヨーコは九井の最大の資金源だったからな……苛つくのも当たり前か」と言った。
「その、ヨーコって」
「オマエもニュース見ただろ? ライブ会場で襲撃されて死ぬなんてな……。オレらみたいな半グレに関わって平穏に生きられるわけがないとはいえ、突然過ぎるし、影響がでか過ぎる」
ライブ会場で、ヨーコで――って、つまり殺されたのってあのYOKO!?
慌ててスマホでYOKOを検索すればニュースアプリのトップはYOKO一色。銃で撃たれて死んだことについて、交流があったらしい芸能人がみんなお悔やみコメント出してる。
ん? おかしいな、一号と愉快な下僕どもの誰もコメントしてないとか……。「一号と愉快な下僕ども YOKO」で検索してみるか。
検索結果、なし。
「なんで――」
車が停まる。先行していた車から稀咲が下りて、オレたちも下りる。浮かんだ疑問とスマホはひとまず尻ポケットに仕舞った。
稀咲が新しく作ったというホテルに案内されて、デカい来客室の座り心地が良いソファに腰掛ける。
「珍しく九井が荒れていたな。……YOKOが殺されたんだからああなるのも当然だろうが」
「あ、ああ……」
あのキツネ顔は九井っていうのか。
稀咲はフと自嘲してるみたいな笑みを浮かべると、背もたれにもたれかかったまま手を組んで目を伏せた。
「哀れなことだ……九井も、オレも」
「稀咲、さんも……?」
稀咲はゆっくりとした口調で「ああ」と頷いた。
「YOKOはオレにとって尊敬すべき先人であり、願いを同じくする盟友だった。あれほど徹底した男は二人といない……喪いたくはなかった」
何が何やらさっぱり分からないけど稀咲の独白に似た言葉は重苦しくて、つい黙って聞き入ってしまう。
そして稀咲はどうしてか立ち上がり――オレたちに深く頭を下げた。
「場地のことは、すまなかった」
いきなり話が飛んで目を丸くすれば、稀咲は頭を上げると目を細めて「場地が死んだのはちょうど今の時期だったろう」と言った。策を弄したのは自分だが、場地を死なせるつもりまではなかったんだ、って、言った。
胸に訴えかける真摯な稀咲の口調に「もしかして」と期待が湧く。親しい相手が死んだことで喪う辛さが理解できたなら、場地くんのことを申し訳ないと思ってるんなら、今からでもまともな人間に生まれ変わることが出来るんじゃないか。
だが。
「さっき『場地が死ぬとは思わなかった』って言ったけどよ――あれ、ウソだ」
オレたちに期待を湧かせておきながらそれを裏切り、稀咲は悪辣に嗤った。立ち上がったとたん視界が歪んで――目覚めたら、椅子に縛り付けられていた。
同じように椅子に縛り付けられてる千冬はぼこぼこに殴られててあちこちから血を流している。
「いい加減口割れや。東卍のユダはテメェらだろ!?」
硬い革靴で容赦なく蹴りつけられ、千冬が苦しげに呻いた。稀咲こいつ――!
「稀咲、おい! 止めろ! さっきの幹部会でこの数日のことは敵対組織のせいかもしれねえって話が出てたんだ――オマエだって尊敬する人が殺されたんだろ!? YOKOの死が敵対組織のどっかのせいなら、ガサ入れだって千冬がウタったからとは限らねぇ!」
前のめりになって怒鳴れば稀咲はきょとんと目を丸くして、声を上げて笑った。
「バーカ。YOKOを撃たせたのはオレだ」
「――は」
唖然とした。まさに絶句……息すらできねえ。千冬も目を見開いて稀咲を見つめている。
「YOKOはな、唯一絶対の存在に――神になるんだ。だが神になるには華々しい経歴だけじゃ足りねぇ……事あるごとに、他のミュージシャンの音楽に触れるたびに、『YOKOならもっと素晴らしいものを見せるのに』と思わせなきゃならねえ」
渇望には、喪失が必要だ。気色悪いほどに満面の笑みを浮かべたまま、稀咲は両手を大きく広げて歌い上げた。
「人々の記憶に深く刻みつけられ、十年……二十年、いや、半世紀過ぎても繰り返し語られ続けるには、求められ続けるには、その喪失が悲劇的で絶望的であればあるほどいい。敗戦の日の番組と一緒だ。玉音放送を一度も聞いたことがないヤツなんて国内に存在しねぇだろ?」
「それは、どういう」
稀咲の笑顔が朗らかすぎて――悍ましい。
「自宅で死ぬ? 冗談キツい。街中で死ぬ? 悪かないが耳目が少ねぇ。――YOKOはミュージシャンだ。それならあの人は舞台で、観客の前で、カメラに撮られながら、鮮やかに華やかに死ぬべきだ。そうしてこそYOKOは誰の手も届かない伝説になる」
美しいだろ、なんて。
「どこが美しいんだよ、それ! オマエ……そんなことのために人を殺すとか、ふざけてる!」
「ふざけてなんかねえよ。あるべきものをあるべき場所に戻した、それだけのことだ」
――裏切り者として千冬が殺され、オレだけ一虎くんに救い出された。そしてナオトと合流……と思えば手錠をかけられて警察に囲まれる。
「祈りて……愛を断て……」
ナオトの向こうで壁に背を預けて立つ、ヘッドホンで何かを聴きながら歌を口ずさんでいる暗い目の男は、一号こと――黒川イザナ。
+++++
今年のクリスマスにはリリウムを歌うのはどうかな、と神父様がおっしゃった。長年礼拝に参加してきた身だが、リリウムという通称の賛美歌には覚えがなかった。どういう歌ですかと訊ねたら、今流行りのミュージシャンの歌だと言ってCDを貸してくださった。
三年前の話だ。
知ったきっかけがそれだったことに加え、恥✕恥はチャリティへの関心が高く募金活動にも積極的という。恥✕恥への好感度は自ずと高いものになった……とはいえ、シングルやアルバムが出る都度買う程度のファンだ。本人に会いたいとかライブで盛り上がりたいという気持ちはない。気持ちはなかったんだが。
「オレの知る範囲で『無駄口を叩かず』、『節度をわきまえた恥かけファン』で、なおかつ『友人のフリが出来る程度にはオレのことを知っている』イヌピー以外の奴はオマエだけなんだ」
「なんだその条件は」
「頼む――オレの友人のフリをしてくれ」
黒龍の総長を任されて数ヶ月が過ぎ、暴力貸出業も軌道に乗ってきたなと思っていた、そんな時だ。九井から「友人のフリ」を依頼されたのは。
アジトのテーブルに宿題を広げているオレの下にズンズンと近寄ってきたと思えば、九井は「オマエにしか頼めねえことがあるんだ」と突然大声を出し頭を下げた。そして挙げた「友人の条件」がコレ……なんだそれは。
「世話になっている人がいてな。昨日、その人から電話があって『高校に入ってもうだいぶ経つし、仲良しの友だちもできたんじゃない?』って聞かれたんだ。……オレは、何も答えられなかった」
「良かったな」
「考えてみればオレには『イヌピーかイヌピー以外か』程度の人間関係しかねえ」
「良かったな」
「イヌピー以外にもダチがいるって安心させてやりてぇんだ……奏さんを……」
「良かったな」
「こんなことを頼めるのはオマエしかいない」
「知るか」
「金なら出す」としつこく絡まれ、最終的には頷かされた。九井の知り合いなら九井に似た金の亡者だろうか……面倒くせぇなと内心ため息を付いた。
それから三日ほど後、九井に引きずられるようにしてレースとアンティークで溢れたカフェに連行される。
店員に案内された奥の席を見て――目を剥く。奏って名前の女だとは聞いていたが恥✕恥の奏だとは聞いてねえぞ。
「おい
「奏さんお待たせしました! コイツが高校でできた友人の柴です!」
「
あっという間にソファの壁側へ押し込まれ、九井の体で蓋をされる。睨んでもどこ吹く風という調子だ。
「あ、初めまして。乾奏です。青宗くんがお世話になってます」
「柴、大寿です。初めまして。いえ、オレこそ乾――いえ、青宗のヤツには世話になりっぱなしで」
奏に乾は似ていると思っていたが姉弟か? 乾からは姉がいるという話を聞いた覚えはないが、まあ……あの顔だ。乾と奏に血縁があるだろうことは想像に易く、もし乾が「姉さんが云々」など口にしようものならミーハー連中の山で圧死事件が起きる。
軽く自己紹介しあう。奏と乾は姉弟ではなく従姉弟――似たようなもんじゃねえか。
「青宗くんもはじめくんもお互いのことしか話さなくって。二人とも高校生になったんだからもっと他にも友だちができるものなんじゃないのかなって心配してたんだけど、柴くんみたいなしっかりしてる子が友だちになってくれてたんだね、安心した」
「はぁ、はい」
気の抜けた返事をしかけるたび九井に脚を踏まれ、テーブルの下では無音の蹴撃が繰り返される。オレの革靴に靴底の跡付けんなドカス。
「ヨーコちゃんはね、私を色んなところに連れ出してくれて、色んな人に会わせてくれたの。そのおかげで私、初対面の人とも緊張せずに話せるようになったんだよ? 昔は人との会話が苦手で、引きこもりしてたのにね。……でさ、青宗くんもはじめくんも、外に連れ出してあげないとずーっと同じところで座ってたり、閉じこもってたりしちゃうタイプじゃない?」
乾の最近の行動は……そうだ。嬉々として縄張りの境界へ繰り出し、黒龍と隣接する族の連中を殴り飛ばしまくったんだった。
九井も乾と共に元気よく暴れまわっていたはずだ。
「二人を外に引っ張り出してあちこちに連れ回してくれる、そんな友だちと二人が出会えたらいいなって思ってたの! 君みたいな素敵な友だちができたって分かってとっても嬉しいよ」
「かっ、奏さん……恥ずかしいこと言うなよ……!」
連れ回されているのはむしろオレの方ではないのか? ちらりと九井を見下ろせば九井は力強い目で訴えてきた――合わせろ、と。
その猫かぶりな態度に合わせろと……?
「……オレにとっても、乾と九井は得難い友ですよ」
「ホント!? 良かったぁそう言ってもらえて!」
乾と九井に対する勘違いに溢れた言葉の数々からして、奏とオレでは世界の見え方が違うらしい。
「大人顔負けの悪知恵で(他人から)謝意を引き出す、可愛げのない男ども」の間違いだろ。
そんな時間を一時間ほど過ごし、奏は「これから他に用事があるから」と三人分の伝票を持った。
デカいギターケース背負って窓の向こうを去っていく奏に愛想よく手を振り、彼女の背がすっかり見えなくなってから口を開く。
「二度とオレを巻き込むなよ、テメェの化け猫剥がされたくなかったらな」
「大丈夫だ安心しろ。もう二度と会わせるつもりねえから」
そう言って九井と別れ、店を出る時に足を確認する。昨晩磨いたばかりの靴に汚い跡がいくつも付いていた。
九井、アイツ、殺すか。
+++++
何がきっかけだったのか知らないけど、三年くらい前から大寿が音楽番組を見ても「貧相な連中の軟弱な音楽」とか言わなくなった。バラエティはダメだけど音楽番組はオッケーってなったリビングのテレビはニュースか歴史番組みたいな「勉強になる」やつか音楽番組。
音楽番組流しっぱにしてからウチの雰囲気がちょっと明るくなった気がするし、大寿の考え変えてくれた人マジで感謝って感じ。どんな魔法使ったら大寿の意見変えられんの、っていう。
でも、アタシが本当に見たいのは音楽番組なんかじゃない。――日曜の朝にやってる、子供向けの、女の子たちが戦うアニメを見たいんだ。
大寿に知られたら「高校生のくせに子供向けを見るなんて」とか言って殴られそうだけど、好きなのは好きなんだからしょーがなくない? 出てくる女の子たちはみんなキラキラしてて可愛いし、人間関係とかに悩んだり苦しんだりするけど最後にはみんな手と手を取り合って笑顔になる。
対象年齢的にハッピーエンドが約束されてるんだよね。これ以外見たいって思わないの。
だって自由にテレビ見れるのは大寿がいない間だけだからたくさんのシリーズなんて追う余裕ないし、人気漫画のアニメ化がどうのこうのって言われてもそういうの全然わかんない。バッドエンド系なんて見ちゃったら最悪じゃん、なんでアニメで嫌な気持ちになんなきゃいけないわけ? アタシはハッピーエンドを見たいんだよ。幸せな気持ちになりたいんだけど、ってなる。
それにいつの間にかドレミ終わってた。辛すぎ。
で。その大寿にナイショの子供向けアニメも、まる一年過ぎる頃には八戒が増えた。「タカちゃんがルナたちと一緒にこのアニメ見てるから副隊長のオレも見ないといけねぇんだよ」とか言い訳してるけどアタシには分かる――八戒めっちゃ楽しんで見てるって。アニメ好きって正直に言えないお年頃なのマジで可愛い。
大寿が黒龍のボスになって面倒が増えてくけど、まあ、大寿のいない自由な日も増えてってるからラッキー。そう喜んでたんだけどな……。
「八戒! 恥ずかしいことしてんじゃねえ!!」
ニチアサ見てたのが大寿にバレた。雨が降ってきたから再生止めてアタシは洗濯物取り込みに行って、八戒はトイレ行ってリビングに戻った――そこに、大寿が帰ってきたんだ。今日は帰ってこないと思ってたから油断した……!
洗濯物を抱えたまま一階に急いで下りれば、怯えて萎縮しきった八戒を怒鳴りつける大寿の姿。
二人の間に体を滑り込ませて八戒を庇う。
「やめて! 大寿、アニメ見てたのはアタシだよ。八戒は見てない!」
「オマエが?」
大寿は親の仇を見るみたいに鋭くアタシを睨み据えた。見慣れた顔とはいえ、怖い。だって――
「柚葉ッ!」
横っ面をグーで殴られ、その勢いのままフローリングに転がる。八戒の悲鳴が上がった。
腕に抱えてた洗濯物が床の上に散らばって落ちた。
「こんな軽薄なモノが視界に入るからじゃねぇのか!? 八戒がいつまでも軟弱なままなのは!」
「そんなこと……!」
「二度と見るな、こんなもの」
リビングのドアが閉まる音。脱衣所の引き戸が開けられる音――閉まる音。大寿が踏みつけてった洗濯物を拾って、ため息を吐いた。
オロオロしてる八戒に「ダイジョーブ」って言って笑ったら頬にビリッと痛みが走って顔をしかめる。
「八戒、保冷剤持ってきてよ。ハンカチに包んで濡らしたヤツ。あと湿布も」
「う、うん……」
八戒がバタバタと早足で手当の用意をする横で、無事な洗濯物を集めてソファーの上に積んでく。踏まれたタオルは……もう一回洗うしかないか。大寿の靴下とか絶対汚れてるし。
もっかいため息出た。
黒龍の規模が拡大すればするほど大寿が帰って来るのが二日に一度になり、三日に一度になり。――たしかに自由は増えたけど、同時にストレスも増えてく。
じわじわ追い詰められてくみたいな、足場がどんどんなくなってくのに何もできないみたいな感じで、きつい。
八戒が東卍辞めて黒龍に入ることになったのは街が「そろそろクリスマス」って盛り上がり始めた頃。気の早い商店街はジングルベルばっか流すようになったし、磁石みたいに貼り付いたカップルがあちこち歩いてた。クリスマスまで一ヶ月近くあるじゃんって思うけど、まあ、11月って七五三くらいしかイベントないししょーがないのかも。
で、そんな風に浮ついた世間と違って、我が家はドーンと沈み込んでる。三ツ谷がいる東卍辞めたくなかったんだろうに……八戒が振り絞った『勇気』がコレ。
あんまり過ぎる。
欧米では家族団欒の日のはずのクリスマス当日。テンション高い特番を見ながらポテチにコーラ、その他ジャンクフードをもそもそ食べる――団欒には程遠い。大寿はいつも通り教会だし、八戒も出かけちゃったし。
暗いリビングにテレビの液晶画面がビカビカ光る。
大寿は教会にいる。――八戒が大寿を殺そうとしてる。東卍の稀咲鉄太が言ってた。
「……待ってるだけじゃダメ、我慢してるだけじゃダメ、か」
テレビを消して立ち上がった。
「アタシが家族を守るんだ……」
もう暴力に怯えなくていいように、苦しまなくていいように。
アタシが、大寿を、殺す。
+++++
イザナを王にする。それが自分の望みだと言い切った稀咲は続けてこう言った。
「オレがお前を高みに登らせる……YOKOが奏を頂点へ押し上げたように」
何言ってんだ、こいつ。
雪がちらつく1月――センター試験が行われるからバスが増便される予定だとかなんとかというテレビニュースをつい先日聞いたばかりだから、今は大学の入試期間まっただなかだ。が、ヨーコはもう私大の法学部に入学することが決まってる。AO入試で受かったらしい。
「一般入試の勉強も並行しながらAOの準備とか勉強とかするのは大変だった」って電話口で愚痴られたけど、大学受験のアレコレなんてオレには良くわかんねぇし、とりあえず「お疲れ」と伝えたのは先月……いや、そうか、去年だ。もう去年のことだ。
つまり何を言いたいかと言えば、一般入試も受ける予定で活動休止したヨーコはいま比較的暇がある。
川崎の喫茶店で待ち合わせたヨーコは人目を避けるために伊達メガネをかけ、口元をマフラーでぐるぐる巻きにしてた。テーブル席のオレを見つけるや両手を胸の前で小刻みに振り早足で歩いてくる。
「鶴ちよ〜やだ〜久しぶりぃ〜。また背ェ伸びた?」
「鶴千代じゃなくて鶴蝶な。背は伸びたと思う」
「分かってるって、ちょっとブっただけだし」
マフラーとコートをささっと脱いでオレの前に座り、オレをまじまじと見るや嬉しそうに笑った。
「こうして顔合わせんのめっちゃ久しぶりじゃん、会えて嬉しいよ。ちょっと顔色悪いみたいだけど成長痛とかそういう感じ?」
「や……まあ、そんな感じだ」
顔色が悪いのは別の理由――イザナに近づく危険人物のせいだが、この面倒見のいい兄貴分に余計な心配をかけたくはない。
「そりゃなあ、そんだけニョキニョキ伸びてたら痛いだろ。こっちまで来てもらってごめんな、移動も大変だったろうに」
「や、バイクでここまで……あー、乗せてもらったんだ。ダチに。あ、もちろん年上だもちろん」
「そうか、親切な年上の友達がいて良かったな。少なくともあと一年はオレの前で乗るなよ」
「ああ」
ジト目で軽く睨まれた。無免でバイクに乗ってるのバレてんな、これは。
「鶴蝶はもう何か頼んだ? まだ?」
「頼んだ。ホットコーヒー」
「じゃあオレもホットにしよ」
ちょうど水を持ってきた店員で注文を済ませると、ヨーコはオレにぐっと顔を近づけて声を落とす。
「イザナは元気にしてるか?」
首を縦に振ったら、ヨーコは安心したという顔で「そっか」と頷いた。
「だけど、ヨーコにはまだ会えねぇって言ってる。会うために必要なものが足りてねぇからって」
「必要なもの? え、なんだソレ」
「オレもわかんねェ」
会うために必要なことなら分かる――「会いたい」って伝えることだ。だけど会うために必要なものって何なんだ。イザナがどうしたいのか、何を考えてるのか、分からねぇ。
ヨーコは水を一口飲んで、コップを置くと肩をすくめた。
「まあ良くわからんが、イザナが元気にしてるならそれでいいよ。……必要なものが見つかったり手に入ったりしたら会いに来るつもりだってことだろ? そんならイザナが納得して動くのを待つわ。ってか、待つしかねぇから待つわ」
イザナと同い年なのにヨーコがもっと年上みたいに感じられるのは、こういうところが原因だと思う。
懐が広いというか度量がでかいというか。あんまりブレねえしいつも余裕がある。
それから最近のイザナの様子を話して――本題に入った。
「実はこのところイザナにアレコレ囁いてく野郎がいてさ……イザナが立ち直るきっかけになったヤツなんだが、どうにも好きになれねえ」
「あらら……」
「そいつは稀咲って名前なんだけど、稀咲、自分とヨーコは同類だとか変なこと言ってて」
「お、おお、そうか」
「イザナの周りをウロチョロしやがるのを殴りてえのを我慢して、ヨーコをお前と一緒にすんなって怒鳴りつけてぇのを我慢して……。ほんと、アイツがいると腹が立つし、疲れる。生理的に無理だ」
「そうかぁ。まあ、世の中にはいろんな奴がいるわけだし、鶴蝶がその人を苦手でもいいとオレは思うぞ」
あっけらかんと「オレも苦手な人たくさんいる」と言って、ヨーコは茶請けの豆菓子を口に放り込んだ。
「一番いいのはその人と距離を置くことだけど、その人が近づくのをイザナが許してるから難しい、ってことだよな。――そうだなあ、イザナに『キサキとは生理的に合わないから接触しないようにしたい』ってこと言ったか?」
「言った。だけどイザナは『使えるヤツだから手放すつもりはねえ』って……」
「あらら鶴蝶がそこまで言ったのにソレなの? んー、えー、鶴蝶はキサキとやらのどこが特に気に入らないんだ?」
「全部」
「全部かあ……そりゃどうしようもねぇなあ……」
額を押さえたヨーコに少し申し訳ない気持ちになる。全部って言われても困るよな。「ことあるごとにヨーコを引き合いに出すところとか、特に嫌いだ」と例を上げたが、ヨーコの困り顔は変わらなかった。
「鶴蝶はオレらと昔っから付き合いがあるから分からないんだろうけど芸能人ってなァ憧れなの。こうなりたい、こうありたいって姿の成功例がオレね。オレの客観的要素挙げてみようか」
ヨーコは指折り自分を褒め始める――『超絶人気のミュージシャン』で『金持ち』で『顔が良く』て『私大にひと足早く入学決めるくらいには成績が良くコミュニケーション能力も高く』てそのうえ『美人な幼馴染』までいる。今挙げたものだけで握り拳がパーになった。
「嫉妬で滅多刺しにされそうだな」
「だろー。オレってばこんだけの要素を備えたイケメンだからさあ、『羨ましい死んじまえ』って考えてるヤツ、『スゲー、カッケー』って憧れてくれるヤツ、別に興味ねぇわってヤツ、そういうのが大半なんだが……」
ヨーコはすげぇ言いづらそうに口ごもった。
「ごく少数なんだよ。ほとんどいないと言っていい、けど……『オレとヨーコは考え方がそっくりだからきっと生き別れの兄弟か魂の双子なんだ』とか『ヨーコはオレが発信した電波を受信して芸能活動しているから、実質的にオレがヨーコだ』とかいう妄想に取り憑かれてるヤツも、いる」
ヨーコの言っていることの意味が分からない。耳がおかしくなったのかもしれない。耳に指突っ込んで耳垢がないか確かめれば、粉みたいなカスだけ指についてきた。
「ごめん、よく分からなかった。もう一回説明してくれねえか?」
「うん、そうだよなぁ分かんないよなぁ。それが普通だから安心しろ。えー……つまり、オレの家族を自称するファンとか、オレの黒幕を名乗るファンとかがいるってこと。世の中はとっても広いから色んな人がいるんだよ。多様性ってやつ」
「多様性の話か……?」
「多様性多様性」
本筋とは関係ないからとりあえずそれが多様性だということにして、ヨーコの説明は続いた。
「そのキサキさんって人も、こう言っちゃ悪いが、オレの兄弟とか双子とかを自称してる系統のちょっと思考回路がアレ気味なファンなんだろう。時々いる。あ、ウチん帰ったら自称『詳しく語るには残酷すぎる悲劇により生き別れとなった実父』からのファンレターあるけど読んでみる? 笑えないのに笑えるっていう滅多にない体験ができるし、すごく詩的でおしゃれな文章だから時々読みかえしてる」
「時々読みかえしてるのか」
「ウン。活動休止中にも届いてた。二通」
二通も届いたのか……。
それ、気持ち悪くないか?
+++++
天竺のアジトの一角で「美学があるからぶれない」という、YOKOのインタビュー記事の小見出しを眺める。家から持って出たスクラップブックはこれだけだが、一番好きな記事をまとめた一冊だ。不満はない。
たった数年しか年が違わないのに、オレの遙か先を進み続ける男。オレと同じ理想を掲げる男。自分は月に徹して、太陽を輝かせるためにあらゆる手を尽くす男――YOKO。
彼への感情をなんと呼ぶのか、オレは明確な答えを知っている。
羨望で、尊敬だ。
記事の隣に貼ったYOKOの写真を撫でながら、今はまだ遠い彼に囁きかける。
「オレはいつかアンタと同じ高さに登り詰める……。そうすれば、オレたちは気のおけない友になれるはずだ」
なんせ、オレたちの美学はそっくりなのだから。
+++++
葬式で鶴蝶の漏らした一言の謎は、いまだ解けずにいる――オレらが花垣武道と接触するのをマイキーが許さないからだ。
『武道がむかし、言ってたんだ……』
――月命日には必ず一度は訪れる部屋にはオバサンたちの好意で分けてもらったアイツの遺品と、オレが骨上げした遺骨が納めてある。
仏壇に線香をあげて手を合わせる。アイツの匂いのイメージが白檀に変わってから、そろそろ十年だ。
仏壇の前に正座したまま、そこに飾られた写真を眺める。もう十年近く経つなんて実感は全くないし、つい昨日まで一緒にいたような気さえする。
「髪の毛とウールは成分がほぼ同じ」みてぇな無駄知識を披露しあったり、「カップル割引あんじゃん、あそこでメシ食おうぜ。今からオレらカレカノな」とか言って性別詐称したり、「奏ちゃんから男として見られてないの、どうすればいいと思うよ」と愚痴られたりしていた。
そんな想い出がくっきりと記憶に焼き付いているんだ。今もなお。
色鮮やかな日々だった。忘れられるはずがないほどに、美しい時間だった。
立ち上がり、ドアの右手に備え付けた棚を眺める。手に取ったのは最期にアイツがオレに渡していったのと同じアルバム。タイトルは「Hello, my friend」。
収録されてる歌は全部ピアノ伴奏のみの編曲で、柔らかいのに切ないヤツばかりなのがアイツの決意の深さを表しているみたいで――それを思うたびに胸が痛くなる。
歌詞カードを見なくても諳んじられるくらい聴き倒したそれをプレーヤーにかければ、柔らかいピアノの音と柔らかい歌声が部屋を満たした。
「どこからすれ違っちまったんだろうな、オレたち」
そう独りごちたが、歌声と楽器の音にかき消されちまった。
どこからだろう。
アイツが「オレが抱えてる歌はどれも全部、ワルイコトには使わせらんないんだよ」なんて言い遺して自殺した時は……遅すぎだよな。もうこれは絶望的なとこだろ。
じゃあ、アイツが奏だけ海外に逃げさせた時か? いや、あれも「すれ違った」時じゃあない。
それなら、マイキーを真一郎の代わりに据え終えた時か。『真一郎の代わりになる
「『天竺』はそのための名前だったろうが」と、責められたんだった。
オレのやったこと全否定だったけど腹は立たなかった。なんせコイツには何も伝えず置いてけぼりにしてたんだ、混乱するのも当たり前だろう。
そう理解を示してやった。
「お前の夢、オレはさぁ……! あー……くそ。なあ、なんでだよ。――妹を人に殺させて、弟の心をズタボロにした? なんでそんなことできるんだよ、ワケわかんねぇよ」
行き場のないヤツ、テメェの手で生み出してんじゃんか。
オレの胸ぐらをつかんだまま項垂れたアイツの黒い頭には旋毛が二つあった。オレと似た身長なのにオレより細くて薄い肩に両腕を回し、ゆるく抱きしめる。
「エマの葬式ン時さ、線香上げたんだ。真一郎の仏壇に」
それを見た佐野の爺さんがなんてったと思うと訊ねたが、応えはハナから期待してなかったからすぐ答え合わせした。
「真一郎とも知り合いだったのか、だってよ。笑っちまうよな」
あの家には初めから、オレの入る場所なんてなかったんだ。
耳鳴りがしそうな沈黙がしばらく続いて、アイツは……ヨーコはオレの襟首から手を離した。至近距離にある目と目が合う。
「オマエさ、夢見過ぎだよ」
「ん? 何がだよ」
ヨーコは、血の気が失せた紫色の唇を歪な笑みにしていた。
「そのうちお前にも分かるさ」
こん時だろうか、オレらが完璧にすれ違っちまったのは。それとももっと前なのか。
優しい歌声を聴きながらヨーコとの記憶を遡りたいのに、九井の声がわんわんと耳の奥で反響する。
――恥✕恥を解散させた日、暗い目の九井がオレを見つめた。
『テメェでダチの人生ぶっ壊した気分はどうだ? さぞかしいい気分なんだろうな……』
ああ、これまでで一番最悪な気分だよ。オマエと一緒だな。
――ヨーコをオレのいる場所まで引きずり込んだとき、九井は真っ青な顔で怒鳴り散らした。
『あのなぁ! ヨーコさんは孤児支援活動をする予定のダチを助けたいからってオレに金を預けてたんだ!! こんなことになるなら、ああ……あの時でしゃばんなきゃあ良かった!』
なんでそれをオレに言わない。それはオレの『夢』だったろ。
――まるで「自分はヨーコのことをよく分かってる」とでも言いたげな顔をして、九井はヨーコとの関係が真っ当なものだと語った。
『事情についてはあの人のプライバシーだから言うつもりはねぇ。けど、世のため人のためになることに使いたいっつってたからオレが代わりに運用を――』
綺麗事言ってたって、オレとヨーコは同類で仲間なんだよ。
――ヨーコと繋がりがあると分かったとき、モッチーに締め上げられながら、九井は苦しげながらも自慢げに囁いた。
『オレの客はテメェらだけじゃねぇってことさ……!』
実はこの時、嬉しかった。ヨーコもいるなんてサイコーだって思った。
――オレは何を間違えていたのか。何が足りなかったのか。
そんななかプレーヤーが次の曲を再生し始める。「無慈悲な夜から」と朗々とした歌声が響き、腑に落ちるものがあった。
「オレは、『言葉が足りない』のか」
なんだそれ。真一郎そっくりじゃん。
+++++
過去から戻ってきたその日にナオトから聞かされたのは、どれも悪いニュースばかりだった。
一つ目。八戒……てか柚葉が大寿くん殺すのを防げたから何かいい方向に変わってるはずと思ってたのに、東卍関係の人たち――ドラケンくんとか三ツ谷くんとか――はみんな殺されたらしい。なんでだよ、状況変わってねぇじゃん。むしろ悪化してるんじゃないかコレ。
二つ目。最初の時には孤児の支援団体やってた一号こと黒川イザナが、前の「現代」の時には警察の協力者で、この「現代」では東京卍會のナンバー3になってるらしい。何だそれ、黒川イザナの身に何があったの? あの(下僕をいじり倒す時の)笑顔が眩しい一号の身に何が? マイキーくん二号なんて目指さないで欲しい。笑顔が眩しい一号カムバック、悪墜ち展開はオレ地雷です。
三つ目。YOKOはこの「現代」では十年くらい前に自殺してるらしい。いやいやなんでだよ。何が起きたんだよ、生きててくれよ! 自殺するくらいの何ががあったってことなんだろうけどさ、これ以上オレの悩みのタネ増やさないでくれないかなぁ。
これらの謎を解くためオレとナオトはフィリピンに飛んだ――けど、廃材置き場で再会したマイキーくんはメンタルやられてて「オレを殺してくれ」ときた。謎を解き明かすとか言ってられる状況じゃなかった。なんでこうなった。
で。オレに銃を突きつけて「殺されたくなかったらオレを殺せ」なんて言っちゃう寂しん坊ことマイキーくんも助けるために、オレはまた過去へ戻ったんだが。
横浜天竺って名乗る族の連中に襲撃を受けた。
「横浜天竺って何!? モッチーってもしかしなくてもあのモッチー!?」
モッチーがアレなら、ムーチョも五番隊の隊長のムーチョだったり……よくよく考えてみたら二人とも面影があるわ。本人じゃん。
「母」とか「グレートマザー」ってプリントされたエプロン着てYOKOや一号たちの面倒見てたモッチー&ムーチョはまさにザ・苦労人って感じの顔と雰囲気だったし、強面の常識人枠だと思ってた。族やってたなんて予想外過ぎる……「同じあだ名の別の人」としか思わなかった。
だってイケイケヤンキーがママ()に劇的ビフォーアフターするとかフツーに想像できないし、中華食ってた物騒な顔のオッサンと「また散らかしたのか!」って左右兄弟に怒鳴ってたカーチャン()はイコールで繋がらないだろ。
閑話休題、わざわざ東京まで来て東卍に喧嘩売ってくれた横浜天竺のリーダーの名前は黒川イザナ。天竺四天王の皆さんのお名前はよく存じ上げております、先ずは斑目シオン――あ、シオンは獅音って書くんだ、へー興味なかったから忘れてた。次に廃車場にも来てた左右兄弟の兄の方こと灰谷蘭、三人目は(未来では)苦労人のモッチーこと望月莞爾。漢字ムズくて書けねぇ。明日には漢字思い出せなくて「完雨」って書きそう。
……そして最後に、デカい倉庫でオレたちを待ってた二号もとい鶴蝶。
オレは生唾を飲み込んで鶴蝶とナホヤくんのタイマンを見守った。――なんせ、二号は「愉快な下僕ども」の中で一番強いのだ。チャンネルの企画で海外のMA選手と戦ったり、(賞金目当てで)超人選手権に出たりしてて勝率はだいたい八割っていうバケモン。だから二号は一号の秘書であり護衛でもあるとかなんとか。
そんな超人無敵伝説の動画見倒してたから十二年前の「今」も鬼強いKAKUCHOだとばっか思い込んでたんだけど……そうなんだよな、まだ二号は中2のガキなんだよ。
鶴蝶はナホヤくんとのタイマンで負けて……オレだけ呼び止めて二人きりになる場を作った。寝転がったまま「悔しいぞ、タケミチ!」なんて声を張り上げてさ――鶴蝶がまさかオレの幼馴染のカクちゃんだったなんて予想外過ぎるんだけど(二度目)!?
オレのことをヒーローって呼んだカクちゃんのマジな声が、オレの胸を震わせる。
「――黒川イザナを救ってくれ」
「黒川イザナは稀咲に利用されてる」とカクちゃんは言った。そうだろうな……世界の恵まれない子供のために世界飛び回ってる一号を知ってるから、その落差がよりいっそう酷く感じられる。
オレは拳を握りしめ、カクちゃんに向かって頷いた。
「ああ、オレは稀咲をぶん殴る! そんで一号を助けて、みんなもYOKOも死なせねぇ……任せてくれ、カクちゃん」
「ああ――うん?」
オレが出てくんのが遅いからだろう、外からナホヤくんたちに呼ばれた。焦ってカクちゃんに「またな!」とだけ言って走る。
「ぜってー助けるから!」
そう声を張り上げて、一度だけ振り返って手を振った。
++++
八戒の死を知ってから毎日のように訪れている教会で再会した花垣武道は、まるで関東事変の顛末などすっかり忘れたかのような様子で「なんでこんなことに」「何が起きたんですか」と口にした。
なんでもどうしても、あの場にいたオマエの方が詳しいだろうに……。
人目をはばかる内容の話だ。オレの店で話すぞと誘えば、花垣がヨメ――橘日向の弟だという男も呼んだ。
「おかえりなさい。あ、お客様? すみません」
「ああ、戻った。――すまんが何か曲を弾いてやってくれないか? これから暗い話をするんでな、重くはないが明る過ぎない曲を頼む」
照明の明かりもわずかな店の隅から小走りで駆け寄ってきた羊歩の頭をくしゃりと撫でて、ピアノのある方へ背中を押す。コイツらとは関わらせたくないという考えが伝わったのだろう、「いい感じのメドレー弾いてるね」と頷いてまた小走りで離れた。
「あの、今の子は」
「甥だ。妻の姉の子でな、よく預かっている」
羊歩――甥は今年で十歳になるんだが、体格が小さくて八歳程度に見える。四肢は棒切れみてえだし、胸も腹も薄っぺらいからパワーがなく背も低い。
そろそろ小4になるガキがこの小ささというのはどうしても気になり、縦にも横にも広げさせようとうちの店に連れてきては栄養価の高いモン食わせている。おかげでオレは「美味しいものくれる優しいおじさん」だ。
弱さを暴力で矯正しようとしていたオレが、今ではすっかり変わったもんだ。
オレが変わるキッカケになった男は羊歩の背中をのほほんと見送ると、「大寿くんの子供じゃなかったんすね」なんて言った。
「息子にしちゃ似てねぇだろーが」
「だってホラ、奥さん似とかそういう」
「妻の顔はどっちかってぇと洋風だ」
羊歩はしょうゆ顔の父親似だそうだ――写真を見たが確かに羊歩とそっくりだった。
それからしばらく、閉店後のがらんとした店内の一角で花垣と橘の二十年遅すぎるナゼナゼ期に付き合いかつてのあれこれを思い出しながら話していた。その途中のことだ。突然橘が立ち上がった。
「おい」
「タケミチくん、これ、この曲! 『君がいるから…』です!」
「あ?」
突然何を言いだしたのかと眉をひそめたのはこの場でオレだけだったらしく、タケミチは「あ、ホントだ」と嬉しげに返した。
どうやら羊歩が弾いているピアノ曲――他所で聞いたことねえから羊歩のオリジナルだろうと思われる――のことを言っているらしい。
「オレこの曲も好きなんだよね。そういや恥✕恥の曲、最近落ち着いて聴けてないな……」
「違う、ボクはそういうことを言いたいんじゃない! キミって人は全く……あのですねタケミチくん、『君がいるから…』の発売は2008年の末です。しかしこの軸のYOKOは2008年のはじめに自殺。だからあの子はもちろん、ボクら以外の人がこの曲を知っているはずがないんだ……キミと同じタイムリーパーでもない限り」
「へ」
こいつは何をおかしなことを言い出すんだと先ず橘の頭を疑うも、『キミと同じタイムリーパー』という単語がひっかかる。花垣武道がもし橘の言うようにタイムリーパーなら、あまりにもファンタジックな条件だが――出会った時から喉に引っかかっている小骨が取れる。
コイツには昔から変なところがあった。その原因がタイムリープだというなら、そしてそれが羊歩とも関わる話なら、聞かねばならない。
「おい、どういう――」
「ってことはオレ以外にもタイムリーパーが!? マジで!? ホントに!?」
橘の言葉を肯定するように声に気色を滲ませ腰を浮かせた花垣を睨んで座らせる。人の言葉を遮るんじゃねえ、バカが。
仕方なく立ち上がり、こちらに来るよう羊歩へ声を張り上げた。
演奏を止めオレのテーブルに来た子供の顔には「紹介しないんじゃなかったの?」とデカデカと書いてある。オレだってコイツらに羊歩を紹介したくなどないが、花垣から詳しい話を聞くには羊歩が必要らしい。
「……こんにちは。工藤羊歩です」
「こんにちは。ボクは橘ナオト、この人は花垣武道と言います」
「ね、キミ!」
比較的落ち着いて見える橘と違い、花垣は少しも待てないとばかりにテーブルから上半身を大きく乗り出し羊歩に迫る。羊歩は「うわあ」と言いながら二歩後退った。
「オレは花垣タケミチ! です! キミも――羊歩くんもタイムリーパーなんだろ!?」
「へ?」
「今の記憶を持ったまま過去の自分になったり、未来に戻ったりする能力を持ってるってこと! そうだよね!?」
腕組みしてそれを眺めるオレをちらりと見て、羊歩は首を横に振った。
「そんな便利な力は持ってないよ」
そりゃそうだ。そんな特殊能力持ちが何人もいてたまるか。
オレからすれば当たり前の答えだったが、花垣にとってはそうじゃなかったようだ。花垣はへなへなとテーブルに体を伏せる。
「そんなぁ……」
「でもね、オレは生まれ変わりってのをしてるよ」
その一言に、自然と目が引きつけられる。
「輪廻転生ってゲームとか映画とかで聞いたことない? オレね、前世の記憶引き継いで新しい人生送ってんの。つまり、死んだって思ったら次の瞬間から赤ん坊になって新しい人生スタートしちゃった身の上なんだ」
にわかには信じがたいことを一息で言い切って、羊歩は唇を舐めた。花垣に小さな右手を差し出す。
「改めまして、オレの名前は工藤
+++++
九井からの連絡は支離滅裂なものだった。タケミっちと一緒にいるガキは殺すな、五体満足で確保してくれ、と。意図が分からねぇメッセージがポンポン増えていくうち読む気が失せ、スマホをポケットに仕舞う。
電話をかけてこないだけの理性はあるようだが、何をしたいのやら。
橘ナオト、ガキ、そしてタケミっちがオレの目の前を通り過ぎ――何故か足音が止まった。
タケミっちは大寿の店へ引き返したいらしい。乾たちから話を聞きたいから、と。馬鹿か?
「バカ、おじさんが
「でもヨーホーくん!」
「こういう場面で、二手に分かれると、各個撃破されたり……片方が人質にされるって、定番! あと、無駄話やめて、はやく進まない? オレ、子供よ? あんたらより、体力ないから、ね!」
「ヨウホくんの言う通りです、タケミチくんはやく――」
「二人ともごめん――でもオレ、関東事変のこともっとちゃんと知っておきたいんだ!! オレだけでも戻るよ」
息切れしてるガキの声こそ正論だ。馬鹿はその正論を跳ね除けて、わざわざオレのいる位置に向かって靴音を響かせ引き返してくる。
銃をまっすぐ構え、オレのいる路地を通り抜けようとするその瞬間、呼び止めた。
「タケミっち」
――馬鹿だ馬鹿だと繰り返し言ったが、タケミっち、オマエは底抜けに馬鹿だなァ……馬鹿すぎて逆に愛おしくすら感じるよ。
名前を呼ばれたくらいで無防備に立ち止まるんだから。
引き金を引いて――橘ナオトがタケミっちを突き飛ばした。地に伏せたのは橘ナオト。
「ヨウホくん……! 君だけでも逃げるんだ……」
タケミっちとガキが橘ナオトに駆け寄ったが、橘は他人の心配のみ。オマワリってのは損な商売だ。
銃口を三人へ向けたまま路地裏から二歩、三歩と通りへ進む。
「無理だってすぐ捕まるから。オレ、クラスで一番体力ないんだよ」
遠い街灯の灯りがぼんやりと三人の姿を照らしている。個体識別は付くが造作や表情までははっきり見えない。
「この二人を見逃してくれ。オレは――」
「うぜえ」
一番小さな影が――ヨウホと呼ばれていたガキが、オレから二人を庇うように立ちふさがる。とはいえ俺の胸ほどもねぇ身長だ。殴ればボールみたく簡単に吹き飛んだ。
「ヨウホくん!――ゴホッ」
「ヨーホくん! ナオトぉ!!」
「――ガキに庇われて、恥ずかしいなぁ、タケミっち」
「稀咲……!」
ガキはぴくりとも動かない。気絶したか。
合流したイザナが、鶴蝶に撃たれて瀕死のタケミっちの前にしゃがみ込み「死ぬ前に一つだけ答えろ」とドスを効かせる。
「オマエ、なんでヨーコが死ぬって知ってた?」
仰向けに倒れたタケミっちの目がゆっくりと瞬きする。
「……『メジャーデビューも」
タケミっちの腕が、橘と手を繋ごうとゆっくり動く。ゆっくりゆっくり二人の指が近づく。
「引退考え直したのも、全部……」
目線を交わす橘とタケミっちの表情は何故か穏やかで優しい。なんなんだ、こいつらは。
「一号の言葉が背中を押してくれたんだ』って言ってたんだぜ」
――タケミっちと橘ナオトの死体処理を人に任せるため、スマホから部下に指示を飛ばす。
鶴蝶から取り上げた銃の引き金を何度も引きタケミっちの死体を穴だらけにしたイザナは「くそが」とデカい舌打ちを漏らした。まだ撃ち足りないとばかりに鶴蝶に弾倉を差し出させ、再び死体へ銃口を向ける。
「……う」
小さく上がった声に顔を向ければ、ガキが起きたらしい。頭をゆるく振りながら唸り、棒きれみてぇな腕をもったりと動かしていた。
「チッ!! ガキが!」
あ、と思った瞬間には、既に引き金は引かれていて。
その場にちょうど駆けつけた九井の悲鳴はまるで、断末魔のようだった。
+++++
大寿の店に爪先を差し込み一歩、二歩。今しゃべっているのはガキで、漏れ聞こえてくるその声は年不相応でこまっちゃくれた雰囲気だ。
ガキがガキらしくねぇのってマジで
足音を立てず店内へ静かに侵攻すれば、ガキらしいよく通る高い声が、明確な言葉として耳に届くようになった。
「――だと思ってたんだよ。なのに『薬や女を転がす危ない男どもの巣窟……そうここは新宿歌舞伎町。半グレどもが裏社会のてっぺん目指す物騒サクセスストーリー』系の展開が侵食してきてさ。オイオイこれはどういうことだよってなるじゃん」
新宿に限らないけどさ、治安やばすぎんのよ。ギロッポン見習ってくれ。
その幼い声に、心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。
『血と硝煙の匂いぷんぷんさせたヤーさんと半グレどもの街、そうここは新宿歌舞伎町、ってか。はあ……ギロッポンの治安の良さ見習ってくれ』
何年も前だ。東卍の幹部飲み会を歌舞伎町の店でやったとき、ヨーコさんが疲れた顔でそう愚痴を漏らした。六本木の治安は灰谷兄弟の圧力があるからこそのものなんだが、幹部連中それぞれのシノギに詳しくねえヨーコさんがそれを知るわけもなかったし――弟の方なんてヨーコさんに対してデケェ猫被ってやがったからな……。
もう亡い人を彷彿とさせる言い回しに痛む胸をなだめ、場の主導権を握るためわざと靴音を響かせる。
まず視界に飛びこんできたのは壁一面の水槽、次に元ボスの柴、デカの橘、平和ボケしたツラの花垣、そしてその中にポツンと小学生のガキ。大寿の甥だってことは報告を受けてるし、写真も見た……が、写真で見るより貧弱だな。転けたら即骨折しそうだ。
そのガキはオレを見た途端、顔をくしゃくしゃの渋面にした。オレらの登場の仕方がまるきり悪役のそれってことは分かってるが、人のツラ見てその態度たァ失礼なヤツだ。少しは取り繕え。表情豊か過ぎんだよ。
「ヒン……地獄の使者来ちゃった……」
「羊歩くん、あの二人のこと知ってるの?」
「メッチャ知ってる。九井と乾、オレの前世の死因その1とその2だよ。ちなみに死因は百八人いる」
「そんなに!? え、マジ?」
「数えるのが面倒なくらいたくさんってことだから」
花垣とガキが何やらコソコソ話しているが、距離と大寿の体のせいで聞き取れない。そのうえ大寿の声がでかい。
あいつらは何の話をしているのか――胸がざわつく。
「花垣、羊歩を連れて逃げろ」
「でも大寿くん」
「オマエになら任せられる。――頼んだぜ」
橘と花垣、ガキの三人がバタバタと逃げていく。何人かがそれを追おうとするも、阻むように立ちふさがった大寿が拳を奮うたび、木槌で殴りつけたような鈍い音が広い店内に響く。
そんな罵声と破壊音に溢れているはずの場所に、どこかから歌声のような音が――歌声だ。それも店内のBGMじゃねえ、歌ってるんだ。大寿が。
はは、狂ってる。歌いながら人を殴りやがるとは! カタギに戻って十年以上経つクセによ!
「Beatus vir qui suffert ――」
LILIUMだ。ドレミの歌は卒業したらしい。
明るい紺のランドセルを持った兵隊が近づいてきたのに気づいて片手を上げる。
「仰ってたあのガキの荷物、見つけました」
「おう」
どうしてか既視感を覚える、何故かオレの胸をざわつかせるガキ――工藤羊歩。持ち物からアイツのことを何か探れないかと探させていたのが、手元に届いた。
ランドセルを近くのテーブルにひっくり返せば、落ちてきたのは小3向けのでかい教科書とノート、塾の課題らしきプリント、無駄に蓋が多い子供向けの筆箱、しわくちゃの給食袋。
まずノートに手を伸ばし、だが、指を固く握り込む。
『3年2組 ごくどーヨーホー』。ノートの表紙に書かれていたのは、ヨーコさんの字そっくりな癖字だ。読みづらいわけじゃないし達筆ってわけでもないが、独特の癖がある字。そういやこんな字だったって懐かしさで胸がぎゅっとなる。
どうにかこうにかノートを手に取る。表紙をめくれば裏にネームペンでの落書きがあった。
邪神スプー。
心臓がドクドクいいだす。どんどん鼓動が強まってく気がする――ヨーコさんは、あの画伯の絵がメチャクチャ好きだった。
「もしかして、もしかするのか?」
繋がりがあるのか? だって表情豊かなところも、ちょっとした言い回しも、字も、ものの好みもそっくりだ。名前も
唾を飲み込んだ。偶然にしては出来すぎてる。
工藤羊歩は今年で十歳で、ヨーコさんが自殺したのは十年前。母親は未婚でシングルだ、『子ども』だって可能性を否定できねえ。
ヨーコさんは……ガキが出来たから、自分のガキを巻き込まないために自殺したのか? あのガキが、羊歩がヨーコさんの息子なのか?
妙にノートが揺れてると思ったら、手が震えてやがった。口元が緩んでるのが分かる。はは、今オレすげー興奮してる……ヨーコさんの息子! ほぼ確だろコレ!
稀咲が想定逃走ルートで花垣たちを襲撃する予定ってことを思い出し、羊歩を殺されないようにメッセージを送る。とはいえ「ヨーコさんの息子かも」なんて教えるわけがねえ、羊歩はオレが保護するんだ。
既読がついた。――そうだ、殺さないだけじゃなくて、五体満足で、心の傷を負うような目に遭わせないようにすべきだな。殺すな、怪我させるな、殺すところを見せるな、怯えさせるな、保護してくれ。頼む。ココノイハジメ一生のお願い。
ヨーコさんの息子は温かい場所でのびのび成長させてやるんだ。PTSDなんて以ての外だろ?
思いつくままメッセージを送り続けてれば既読がつかなくなった。あの野郎なんで見ねぇんだ――もし羊歩が傷つけられちまったら、花垣のせいで怪我とかしたら……! ああクソ!
じれってぇ!
「イヌピー、すまん、ちょっと離れる!」
「ココ?」
イヌピーに一声掛けて店を出る。稀咲が言ってた想定逃走ルートを辿るように走れば、離れた場所から銃声が聞こえた。一発。
撃たれたのが橘か花垣であればいい。うっかり撃つなよ頼むから。
少し時間を置いて二発目の銃声。橘と花垣とで一発ずつだろう。銃声の遠さからしてそろそろ稀咲たちが見えて良い距離のはずだ。
連続して五発響いた。なんでだよ。やめろ、頼む、不安にさせるな。羊歩だけは撃つなよ羊歩だけは。
イザナが、地面に倒れた三つのうちの一番小さい人影に――オレの目の前で、発砲した。
+++++
稀咲の銃弾から鶴蝶を庇って死んだイザナの葬式は、死に方がアレだったのと施設育ちで親類がいないことから、警察とか役所とかが手続きして――まるで流れ作業みたいに淡白に執り行われた。
撃たれて入院してたカクちゃんは横浜天竺の他の連中からイザナの葬式が終わったことを聞いたらしくて、オレが見舞いに行ったときぼんやりと外を眺めてた。
パイプ椅子に腰掛けてじっと隣りにいたら、カクちゃんが独り言みたいに話し出す。
「お別れ会をするらしい。イザナの」
「イザナの?」
カクちゃんの目は外を向いたままだ。
「ああ。オレが退院したら、するってさ。……中田が司会やって、ヒトヨシと奏が受付やって、ヨーコが弾き語りするんだと。イザナが好きだった歌で送りたいからって……会場は灰谷が押さえる」
中田とヒトヨシって、インディーズ時代のメンバーのことで良いんだよな、きっと。
黙ってカクちゃんの話を聞いていたら、カクちゃんは、ぽつんと言葉を漏らした。
「お別れ、しなきゃいけないのか」
――イザナが死んで、稀咲が死んで、二十六歳のオレが生きる現代はこれまでのものと全く違うものになるはずで。だからそれは良いことのはずなんだけど、抜け殻みてえになっちゃったダチを前にしてさあ、喜べるわけないよな。
たった一人の家族が死んじまって、宙に放り出されたカクちゃんを放って現代に戻れるわけがないんだよ。
オレのせいでぐちゃぐちゃのまま兄貴分と離れ離れになったカクちゃんを置いていけるか? 無理だ。両手を組んでぎゅっと力を込めた。指先が白い。
「オレさ……喧嘩ん時に聞こえただろうけど、タイムリープできるんだ。十二年後から何度も何度もこっちに戻ってはやり直してさ。……その中で、動画投稿してるカクちゃんたちの未来も見た」
動画の中の天竺の連中はみんな楽しそうだったよ。イザナくんはギター、カクちゃんはドラムス、シオンはベース――イザナから譲られたヤツ十二年後でも大事に使ってんだぜ? 愛だよなぁ。そんでモッチーとムーチョは雑用係のオカンになってんの、想像できる? ハハ、無理だよな。でもホントなんだ。
灰谷兄弟は本業で忙しいイザナくんとカクちゃんの穴埋めしてて、ギターとドラムス。カクちゃん達がいる時は観客になってキャーキャー騒いでた。
「――オレが頑張れば、もっともっと頑張ってれば、カクちゃんはあの未来に辿り着けるはずだった」
「……タケミチ?」
ごめん。オレのせいだ。オレが弱ぇから、オレの頭がワリぃから、イザナくんが死んじまったんだ。
オレが情けねぇから。
ぼろぼろと謝罪が口から溢れる――なんで涙も溢れんだよ。泣きたいのはカクちゃんだろ、なんでオレが泣いてんだよ。
「ごめんなぁ……オレが、オレがもっと……十二年よりもっと前にタイムリープできてたら! 真一郎くんが死ななくて、イザナくんが家出しなくて、YOKOも自殺しなくて、みんな生きて笑って楽しんでる未来になったはずなのに!」
そう叫んだ瞬間、胸ぐらを勢い良く引き寄せられて、カクちゃんの額がオレの額に強くぶつかった。
「言いたいこと、聞きたいことはたくさんある……。だけど、なあ! ヨーコが自殺するって、どういうことだ、タケミチ!?」
なんで死ぬんだ。オレは兄貴をまたなくすのか。そう唸りながらオレに迫るカクちゃんの目は黒黒としてるのにギラギラしていて、オレは「詳しいことは知らねえけど」と、もつれる口を動かしてどうにか話す。
「オレの知ってるのは、YOKOが二年後に自殺したって話と、十二年後の他殺か自殺かよくわからない話だけ……。十二年後の方は実行を命じたのが稀咲だったし、もうその未来はなくなったから安心していいと思う。でも……えーと二年後の方は、自殺の原因になったのがたくさん? とかって……聞いた……」
スンと表情をなくしたカクちゃんに背筋が凍るような恐怖を感じる。涙も引っ込んだ。
なんかカクちゃんの雰囲気がやばい。言わないほうが良かったかな……。
「なんで」
直ぐ目の前にあるカクちゃんの瞳から、ぽろりと涙が落ちた。
「なんで、オレの大事なものは、オレの手のひらからこぼれてくんだろう」
もう何一つ失いたくないのにって泣くカクちゃんを抱きしめて、オレも「そうだな」って呟いた。
もう、誰の命も取り落としたくねぇ。
見送りたくねぇよ。
ずびって音立てて鼻をすすった。
稀咲によるヨーコ殺害に至る流れをきっと今後書くことはないため、流れだけ↓
・逃げられない状況と知ったヨーコは鶴蝶に「困った時はこの人たちを頼れ」とワカたちの連絡先や住所を伝えてイザナともども縁を切る。
・親友と思ってた相手に縁を切られてブチ切れたイザナは殺意マックスハートになり、「ヨーコの知り合いってやつにカチコミかけてやるぜ」とワカたちのジムに特攻をかける。
・そこで「オマエを探してる奴がいる」という「ヤツ」が鶴蝶ではなくヨーコだったと判明。
・突然の縁切りであり、イザナはもちろんワカたちも連絡ができない状況。イザナらは「ヨーコが面倒に巻き込まれたのでは」という考えに至る。縁を切りたくて切ったのではないに違いない、と。
・何故か奏にも連絡が繋がらず(九井かヨーコあたりがケータイいじって着拒にした)アワアワしている間に、奏の海外留学が決まる。アメリカあたりで音楽やりながら大学生する、と報道で知る。
・そこから色々あって恥✕恥は解散。ヨーコは個人事務所(九井が経営)でソロミュージシャンとして再スタート。
・解散から数年後に奏の結婚報道があり、ヨーコがベコベコに凹む。「何のためにメジャーデビューしたかって奏ちゃんのためなんですけどぉ!」とか泣いたりなんだり。
・そうして出来た心の隙間に稀咲が「オレはお前の仲間だぜ……」。ヨーコが持ち直す。
・また色々あってヨーコが「神になりてぇ」と愚痴り、それを叶えるために稀咲がライブ会場で銃殺事件を起こす。同じ夢を持つズッ友の願い、叶えてあげたい。
・イザナたちはその間ずっとヨーコをカタギの世界に取り戻すため動いていた。が、ヨーコから「暫し空◯祈りて」の未発売音源が届いたと思ったらヨーコが銃殺されてしまい、病んだ。
・届いた曲が「慟◯のモノローグ」でなくて良かったね。ちなみに、イザナたちがヨーコの葬式に呼ばれることは、ない。