聖杯戦争に参加した時点で必ず引っかかる死因となります。
溢れ出した彼らはその出現方法も相まって羽虫のようだった。
洞窟のありとあらゆる場所から出てくるのは人型が共通の異形体。力は強く、足は速く、首を切るまで死なない頑強な兵士達。それが十全に使われたならさしものサーヴァントも手傷程度は負わせられただろう。
しかし、彼らの精神は異形ではない。腕を骨折すれば泣いて崩れ落ち、剣を振り回すアルトリアから逃げ回り、ディルムッドに見惚れ、イスカンダルの雷に身を竦ませる。
彼らは獣であり、何も出来ない一般人であった。
殺した数は三千を超えただろうか。血生臭い泥が辺りを全て埋め尽くし、洞窟は肉壁のような有機的な土地と化している。一時間余りの戦闘はビーストからは何一つダメージを受けない完勝であった。
マスター達の精神を除けば。
「…
ケイネスが展開した魔術礼装の
サーヴァントが撃退に苦労する中、ケイネスの活躍は正に無双と言えた。血飛沫を撒き散らし、絶叫と苦悶の声が洞窟を響かせ、敵は彼の強さに嫉妬する。望んだはずの武勇を得て、彼の顔は未だに蒼白のままだった。
「…!」
「保つか?」
「
ギルガメッシュは目の付け根を労わるように揉みほぐした。殺す対象を未来視から適切な手持ちへ分担し、振り分ける作業を只管に繰り返した彼の千里眼は過剰運用の状態だった。英雄王が規格外な故の贅沢であるが、負担は相応の隙を生み出していた。
「一度休憩を取りましょう。アーチャーの眼を抜きにした戦闘は想像したくない」
「大体は俺とセイバーの割り当てだったが、区別は大雑把にしか図れんからな。…いまいち気後れする感覚はある」
大聖杯まで半ばといったところだろうか。こぼれ落ちる泥をイスカンダルの神牛に任せて怪我人はアイリが回復を行使していた。唯一マスターではない彼女は潤沢な魔力でサーヴァントの小傷を治した。
「かたじけない、マダム」
「いえ、貴方のおかげで私は生き延びてる。公平な取引よ」
「ならば、その覚悟に感謝を」
戦地経験のある切嗣を除くマスター達は戦争の過程がどのような様かを理解していなかった。政治や利益、冷徹さが尊ばれる魔術師とは異なる、感情そのものをぶつけ合う虐殺は彼らの意欲を削った。
「…何が覚悟だ、ひとでなしめ…」
「偉いさんに命令されてるだけの人形が…」
「いたい…痛いよう…」
「隠し持ってる聖杯が目当ての連れ引きだろうに」
「俺の足、だれか…もいだ?」
「がああ!があああ!!」
「情け深いなら…ちっ。無駄だな、白痴の恥知らずには…」
耳をすませば聞こえてくるのは、巻き込まれの悪感情。御三家が欲のために見えない誰かを書面で殺した、犠牲の排泄物の成れの果て。鬱鬱と、ぐつぐつと、苛々と溜まり続けるフラストレーションに泥が更に濃くなる。
何も出来ない。何もさせない。力で潰して潰してつぶしてつぶして平にした。根源のためと嘯いて。関係ない誰かは仕方がないと割り切って。
「……」
マスター達の士気は絶望的に落ち切っていた。抑止力が何故執拗な程根源への道を差し止めるのかを理解した。利益のために捨て置いたリスクが長年の劣化により顕在化し、魔術師は正式に世界の敵を産み出した。
歩いた先にあった大聖杯は不気味な泥が浮かぶ魔女の鍋だった。こぽこぽと気泡からでる空気は誰かの罵倒が含まれていた。それはマスター達が近づくほどに大量となり、罵倒はやがて一種類となった。【死ね】と、原初の憎しみを溢れ出させ、全てが無駄だと諦めている。だから浮かばれないのだと、そう信じ込んでいた。
「見事だ。獣の討伐者達よ」
大聖杯に背を預けた神父服の男はその罵倒の中悠長に拍手をした。そばにいる刺青の女は甘やかに笑い、マスター達に投げキッスを送った。
「私は言峰綺礼。君達が狙うアンリマユのマスターとなる」
慇懃無礼に笑う彼は如何してか、
起源弾は衛宮切嗣の最大の切り札であり、魔術師の天敵ともいえる凶悪な魔弾である。彼の起源である「切断」と「結合」を同時発動されるそれは、事実上魔力回路を動かす敵を再起不能にする恐るべき対魔術攻撃である。
理由は不明だが、体内の魔力が全力で稼働する綺礼に撃ち込んだ弾丸は間違いなく最大の効果を発揮した。体内の魔術回路がぐずぐずになり、彼の魔力が不規則に増減する。
「随分な返答だな、衛宮切嗣」
だが、彼は何一つ問題なく生存している。口から流す血は無駄だと主張するばかりに少なかった。ビーストの契約で彼に何が起きればここまで狂うのか。切嗣は一筋の冷や汗を流した。
「不満かい?そのビーストでもけしかけるのかな?」
「いやいや。君達の討伐はアンリマユ達だけの権利。私は自
綺礼が袖口に隠していた二の腕を見せる。そこには、ギルガメッシュがよく知る令呪の欠片が浮かんでいた。
「これは我が師、遠坂時臣より奪った令呪となる。たったの一画だが、英雄王への命令権は実行できる」
「
「そうだろうな」
英雄王と呼ばれしギルガメッシュに単独の令呪は拒絶する選択肢が存在する。彼が今まで時臣に従っていたのは、彼が臣下として十二分に仕えていたからに過ぎない。それを間近で見ていた綺礼は気にするまでもなく地面の泥に両手を埋め、ずるりと一人の男を引き出した。
腰の抜けた格好で手足をだらけさせた男は、囚人服を着ていた。手脚は鶏ガラのように骨と皮のみで、付属している手錠は容易にすり抜けるほどだ。涎を流して首を支えられた彼は、マスター達─正確には時計塔の二人を見ていた。
「此処にいる彼は第三次聖杯戦争に死んだガス会社の息子だ。あの塗り壁の子、と言えば分かりやすいかね。彼は最もアンリマユに適合した、蠱毒の勝者だ」
綺礼は男の肩を掴んだ。死んだ目をした彼は凪いだ目で聖杯戦争の参加者を睨んだ。呪いが集まった塊が彼だった。その悍ましさに、後退りは出来ないサーヴァントすら誘惑に駆られた。
「冬木史にも彼の名は載っている。放火四十三件、強殺百二件、強姦四件、そして爆破テロ。時計塔の参加者が拵えた彼は魔術で雁字搦めにされた人形が彼だ。妻子を殺し、親を潰し、世評は悪名となり、あっという間に死刑となった。脊椎損傷で歩く事すらできない不具者がどうやって行えたのか…いやはや世の中不思議の種は尽きないものだ」
「どうでもいい」
「…ふむ」
蠱毒の頂点は口だけしか動かない。死してなお魂は魔術師によって弄られたままである。死のうが生き損ねようが無関係だと彼は綺礼に呟いていた。結局は、魔術師は責任を押し付けるのが得意な外道だと思い込みたいのだ。
彼らは敵に勝てない。ならば、自分から負けて貰おう。
「疾く、やれ」
「──了解した。『隠蔽』よ」
綺礼は黒剣で隠蔽の背中を切り裂き、その肉の中を掴んだ。麻酔をかけたか、或いはとうの昔に痛覚は失ったか。彼の顔に変化は無い。綺礼が掴んだ手から引き摺り出したのは十数本の神経だった。
それが何かを理解したのは切嗣とウェイバーだった。魔術師が体内に持つ擬似神経。生命力を魔力に変換する為の路であり、基盤となる大魔術式に繋がる路でもある、生まれながらに持ち得る数が決められた才能と呼ぶべき内臓。
彼は魔術回路を取り除かれ、
「なるほど。やはり、今ならば自傷で問題ないと言うわけだ」
ケイネスの苦痛に満ちた叫びを見て、軍曹達は漸く
「やはり、やはりやはりやはり!我々に勝ち目などあらず!国辱共の攘夷出来ず!」
大粒の涙を流して取り出すのは神秘もない古いだけの小刀。正座をし、悔しげにうめき散らす姿は敗残兵だ。彼はサーヴァントを無視してその刀を自らの脇腹に差し入れた。
「我らは神風の覚悟なければ屍すら残せず…!」
ギルガメッシュ以外の全員が呆然とした。意味の無い自殺は狂人の蛮行だった。ギルガメッシュだけはついに来た
そして、
「あ…ぁ…」
「たかが!腑を弄られた程度で!何故!何故死ぬのだ!痛みを知らぬ化け物が!逝くのか!恥を知らぬ貴様らが!」
軍曹の中身がとうに消えた腹の中をぐちゃぐちゃに掻き回す。アイリにそれを止める術はない。彼女の目は直ぐに光を失い、肉体から熱が消えた。それに最も反応したのは、夫である切嗣ではなく、殺したはずの軍曹だった。
切嗣の絶叫とアンリマユ達の絶望をBGMに、綺礼は手を広げてギルガメッシュに嗤いかけた。
「さあ、彼らの理性が壊れ始めたぞ、英雄王。正しき怒りを発散出来ない彼らは無差別に被害を撒き散らす。
「…貴様」
「
ギルガメッシュは千里眼を稼働して未来を見据える。
己の宝具である乖離剣エアを使って消し飛ばす。山ごとギルガメッシュは死に、未来は潰える。
言峰綺礼を殺す。ギルガメッシュは死に、アンリマユの嘲笑いが見える。
逃亡する。冬木が死の街となり、世界が荒廃する。
どれを取ってもギルガメッシュに希望はない。その浮かんだ表情に、綺礼は愉悦の笑みをした。彼が出せる全力を情により捨てた其れは、正に神が記した彼の信念そのままだったからだ。
ギルガメッシュは月の王の未来を見た。千里眼では見れないはずのそれに、彼は不敵に笑って当然のように観た。不可能なはずの贄の先を彼は掴んだ。彼が、聡明な英雄王であるが故に。
「令呪を以て命ずる。英雄王よ、自害せよ」
「──よかろう。
ギルガメッシュは
全てを可能にする王の死因は、民衆達の命乞いだった。
「アイリ、あ、あ…、くそっ、畜生!…ああ!」
「ガ…!ぐっ…、今は、些事だ…!この場に…我々は邪魔だ!」
「ライ…いや、アサシン!撤退は可能か!?」
「殿が一人いればたぶんきっとおそらくあるいは」
盤面が傾く。悪霊達に希望が生まれる。弱体化した彼らを妨げたのはイスカンダルの神牛だった。彼らが身体から発する電流がアンリマユ達を怯ませる。動物である彼らに共感は間接的であり、そもそもの電気への耐久力が異なる防御は有効的に働いた。
「曖昧だのう」
「アレが憎いのは
「ジジイのウェイバーなら次は問題ないな」
イスカンダルはケイネスとウェイバーを自らの御者台に改めて載せた。ウェイバーとイスカンダルの口論の内容をナローは意図的に聞き逃した。彼らの友情に興味はなく、次の白野の為に犠牲になればそれで構わないと判断したからだ。彼は御者台から自発的に降りてアイリの目を閉じた切嗣に声をかけた。
「魔術師らしい生き汚なさだ。生贄はエミヤ、お前だ」
「どっちにしろ妻の仇は取るつもりだ」
「…」
「
「へぇ。なら頑張れ。
ナローが指さした先は洞窟の天井部に近い箇所だった。そこには大聖杯を納める大孔に、泥の住民が高所に立っている。一般人なら容易に頭蓋が砕ける程度の、サーヴァントにはなんて事のない数十メートルの高さに蠢いたそれは、一騎当千の当たり屋だった。
彼らは死因【隠蔽】の民。贄となった本来あるべきではない犠牲者の化身。
彼らは
「──ディルムッド!!」
それを見抜いた上で解答を成し遂げたのはケイネスのみだった。魔術師として再起不能な筈の彼はそれでも天才だった。狂った魔術回路を回して令呪を全画消費し、その全てをディルムッドに捧げた。内容を語る暇は無く、ただ魔力と呼びかけのみの暴行に、槍の英霊はただ笑顔で最期を受け入れた。
「我がマスター、ケイネス。この一期一会に感謝を」
最速を極めしランサーは一筋の槍と成った。一千人を超える彼らの神風をディルムッドは堕ち切る前に殺し尽くした。彼らの肉塊が雨のように綺礼達へ降り注ぐ。負傷者は発生せず、ディルムッドはばらばらとなって消え去った。
冬木の犠牲者が弱体化する。あるいは強化する。生き死にの観念が狂い切った彼らの
現れた三千余りの群衆は、彼らが恨み切った筈の無差別に人を殺す鬼畜外道に堕ちていた。アルトリアは勝機の為に捨て石になることを選んだ。
「キリツグ!令呪を!!」
彼女の宝具である『
「令呪を「それは困るな」ながぁがっ…!」
令呪が発光したその直後に切嗣の頭が不自然にへこんだ。綺礼が妨害として彼に関係のある人物の頭を砕いたためだ。利用した泥の顔は切嗣も知らない誰かの顔だった。生前に唯一魔術師殺しを是としたもの。それが間桐雁夜だと知るものはナローと綺礼だけだった。
令呪は不完全な輝きと共にアルトリアに純正魔力として与えられた。犠牲を無駄にしたくない切嗣の一心が成就したことによる奇跡だった。神の記した通りの意志の強さに、流石だと綺礼は悪辣に拍手をした。
「素晴らしい。流石は正義の味方の親御様だ。アンリマユ、私は彼と死体でも会話したい。隔離は可能かね」
「はぁい、オケマルゥー!」
アンリマユが地面にへばりつく泥を使って脳漿が僅かに溢れる切嗣を回収する。ナローとイスカンダルが泥を剥がそうと攻撃したが、それは泥を介して切嗣を間接的に攻撃するのに等しかった。
「キリツグ!!」
「パスが切れたのを感じただろう?あるいは既に死んでいたか。アンリマユの泥は対魔術師の兵器だ。あれに囲われたものは異界の一部として切り離される。さて、征服王。君はどう対応するかね」
「無論、礎よ。願いはマスターに託したのでな」
ゆらゆらと崖際に歩く亡者にイスカンダル達は怯まない。彼らの行動は足を引っ張る悪行ばかりだ。後ろを振り向かせるばかりの存在に怯える必要などない。向き合って競えばそれで終わりなのだ。
「夢亡き哀れな亡者達よ。余は謝らん。踏み潰した蟻に謝罪はせん。だからこそ、汝らの成果を魅せよう」
「令呪全部持ってけ!勝て!ライダー!!」
イスカンダルが共に戦った臣下達の、死してなお果てることのなかった征服王への忠義が昇華される。周囲の環境を灼熱の太陽が照りつけ、吹き荒れる砂塵に霞む地平線の大地へと塗り替えた。
そこには全ての亡者達が陽の光を浴びていた。本体のアンリマユが眩しげに偽りの太陽を見つめた。固有結界に等しいその大魔術はイスカンダルの偉業を体現した宝具だった。イスカンダルの周りに大量の英霊が現れた。数も質も上回ったそれに、アンリマユ達は終わりを悟るしかなかった。
「今一度!余の夢を以て!慰めの歓迎会を開催しようではないか!!」
「
令呪によりブーストされたイスカンダルの宝具は最大捕捉を超えて大聖杯までの
魔力が切れた神牛が一鳴きをして御者台を残して消滅する。山の麓までの道は彼らの雷により全てを焼き切った。燃え盛る道を宙に浮いた彼らが見たのは一瞬だった。
「がっ──!」
「アサシン!!」
ウェイバー達にこびりついた泥の破片が
「泥は私。アンリマユも私。なら、
「
ナローは自身の霊基を犠牲に宝具を強制的に発動した。ナローとアンリマユが『脱出しなかった故に』洞窟へ転移する。脚を失い、右腕だけのナローは洞窟に背を任せて咳き込んだ。
「『泥は動かない』。後は野となれ山となれ、だ」
ウェイバーとケイネスは逃走に成功し、代償にナローは泥へと沈められた。ディルムッドは散り、イスカンダルは亡者と戦場を駆け抜けた。
ただ一人、パスも切れて令呪の魔力で動くアルトリアだけがアンリマユに対峙出来た。顕界時間を少しでも長引かせるためにゆっくりと近寄る様はアンリマユが従えた亡者達と大差ない。大差ないが故に、アンリマユは逃げることは出来なかった。冬木の怨念は報復を求めている。たとえ残滓といえど、彼女がそれを無視することは不可能だった。
アンリマユは最後の切り札を切った。
泥をより集めて造ったのは傷だらけのフルプレートを纏った漆黒の騎士だった。ガシャガシャと金属を擦る音を鳴らす騎士の数は十二体。アンリマユがビーストに昇格した故に捕獲できた唯一のサーヴァントは、劣化といえど威風は衰えず。そして、アルトリアはその姿に見覚えがあった。
「──ランスロット卿」
「
剣戟の音が泥壁から流れ落ちる。綺礼は巻き込みを防ぐ為にアンリマユから提供された泥を更に広げてドーム上に形成した。ゆっくりとボロ雑巾の切嗣の元へ近寄る彼を止めるものは誰もいない。暗い暗い影と炎がゆらめく中、酸欠になりそうなほど澱んだ空気の中で聖歌を口ずさみながら歩く彼はとびきりの狂人だった。
「さて、溢れた脳は拾ったが果たして何処まで正常に取り込めるか…」
綺礼は切嗣の身体を仰向けにして、
「…頭が潰れたのを見たはずだが、幻覚かね?」
「さあな。神様に聞けば良いんじゃないか」
「それを言われると弱い。貴方のように神に愛された人に比較されたら勝てないではないか」
「…はっ。随分なサディストな神だ」
「どれほどの極悪人でも赦してくださる神でもある」
彼らは一息ついた。戯言はそれまでとばかりに互いに力を入れた。後はもうない。あとはただ静かに殺し合いを始めるだけだった。
「如何に令呪があれど関係ない。契約の無いサーヴァントが現世に存在できるはずもなく。私はアンリマユを祈って貴方を隔離するだけだ」
「それはお前もだ。漸く弱点を見せたな、極悪人」
衛宮切嗣は正義の味方として諦めない。令呪は無く、魔力も半分程度、弾薬は心許ない。だが、だがしかし。それが天秤に載るならば、衛宮切嗣が諦める理由には決してならないから。
信心深き彼の姿に、言峰綺礼は殉教者として笑った。