最初はお互いの利害が一致していたから、共に過ごしていただけだった。
幽鬼は黒塗りの高級車の後部座席に座り、窓の外で流れていく街並みを見ながら過去を回想していた。
初めてのデスゲームを生き抜いたことによる高揚と敗北者に訪れた末路を見て未だに手の震えが収まらない。本当に幽鬼はゲームを勝ち抜いたのか、今この瞬間は死に際の夢でしかなく、現実では無惨な死体となって床に転がっているのはないか、そんな最悪の想像が脳内で際限なく膨れ上がっていくのを感じる。
「このザマか……」
「何かおっしゃいましたか?」
自嘲する幽鬼の声に、運転手は反応するが返事をする気などなかった。ただ日々を惰性で生きて、死んでもいいと思いながらデスゲームに参加して、本物の死を見てしまうと年相応の少女のように震えあがる自分。勝ち残ったのは幽鬼の持ち得る生来の能力でも、機転でもなく、ただ運が良かったから生き残れた。
あのゲームに観客がいるならば、さぞ自分の姿は滑稽で笑えただろうな、と心中で幽鬼は自虐する。
無様だ……こんな後先も分からない状況なのに、懲りずにまた挑戦したいと思っている自分も……大馬鹿だ。
この車の行き先は自宅であると聞かされているが、正直にそれを信じるほど幽鬼は楽観的ではない。
デスゲームで消費されていく少女たち、人体改造された肉体、手渡された賞金。世間に露呈されたら困る情報の宝庫の幽鬼に向かって運営が『貴方はゲームの勝者なので、我々がご送迎します』と言われた時は馬鹿らしさに吹き出しそうになったものだ。行きは薬で眠らされてから会場で目覚め、帰りはそのまま送迎される。こんなものは、どうみても幼馴染と一緒に観た映画のように用済みになったので口封じに殺される前振りにしか思えない。
知らない街の、知らない道路を走る、知らない車の中で、幽鬼は逃げ出すチャンスを窺っていた。
どこかのタイミングで車から飛び出して……でも、その後はどうする?
自宅も押さえられ、顔だって割れている。逃亡生活をしようにも映画のように整形手術をする闇医者なんて知り合いはいない。この規模を定期的に開催する運営を相手に、警察が頼りになるどころか共犯関係と考えるのが自然だ。下手に警察に駆け込んだら、そのまま取り調べの部屋ではなく、怪しげな地下室に連れられて観客たちの玩具にされ殺される未来が浮かぶ。
頼りになるような友達はいない。というより、人付き合いをしていない幽鬼にそんな関係など結べる訳もなかった。候補に入れるなら、幼馴染くらいだろうか。
こんな時に……いや、こんな時だからこそ、幼馴染のあいつに会いたくなるんだろうな。
幽鬼にとって幼馴染のユウタは自分の日常の一部であった。
集団の輪に入ることが苦手で、他者とのコミュニケーションも苦手で、1人でいることが好きな幽鬼にとって、唯一の傍に居ても苦痛ではない存在。10年も共に過ごしながら、男女であるのに恋愛感情の1つも抱かず、むしろ抱くことがない程に身近だからこそ心地の良い距離感を築いていけた。
始まりは幼稚園。その頃から誰かと関わるのが苦手な社会不適合者の片鱗を見せる幽鬼は、同じはぐれ者で、周囲に馴染むことなく孤立している幼馴染と共生関係にあった。1人でいれば先生が、集団の輪に入れようと関わってくるのが煩わしく、かといって同じようなはぐれ者と関われば、自分の世界に引き込もうとするのが幼稚園児だ。
誰からの干渉も望まない孤高、ではなくただ関係を築くのが面倒なだけの幽鬼にとって、いつも他の園児と遊ぶことなく画用紙に文字を書き込む幼馴染は、同じ変人からしても奇妙な存在に見えていた。
『あんま上手くいかないなぁ……いや、仮想通貨の時点でもう勝ったも同然なんだけど』
『なにかいてるの?』
大人が書くような複雑な文字、言葉遣いも仕草も同い年には見えず、関わることが苦手な幽鬼ですら気になって声を掛けるほどだ。
『んっ、これから何をしようかのメモ。どうやって金に換えようか必死に考えてる』
『おかねほしいの?なんで?』
純粋な疑問だった。お金が大切であることは、当時の幽鬼でも理解できたが、それの価値を本当に理解している幼馴染は面倒な奴に絡まれたという態度を隠すこともなく返事をする。
『金があったら色々と買えるから。欲しいもんとか、お前もあるだろ』
『ないよ』
あった気はするけど、答えるのも面倒だから適当に答えた。
『そうか、ないか。でも、俺は欲しいもんがたくさんあって、それに金が必要だから集めてんだよ』
『そうなんだ』
そう幽鬼が返事をすると会話が途切れた。これで話はお終いと、他の園児たちのように自分の世界に引き込まずに、かといって邪魔だと、どっか行けと言う訳でもなく、適度な距離感を保つ幼馴染の姿。それが幽鬼にとって最も望んだコミュニケーションの形に思えたのだ。付かず離れず関わらず、関係を築くのは苦手であっても、幼児の幽鬼が本当に孤独を伴う孤立に耐えられる精神はしていない。
幼馴染風に言うならば、幽鬼は『憑りついた』。互いに深く干渉しない距離感、共にいれば先生も無理には輪に誘わなくなる外部から見える関係、それを幼馴染も望んでいたことから生まれた共生という状況。
幼い幽鬼にとって、幼馴染は世間や周囲から身を守り、身体を温めるのに十分な避難所であった。
幼稚園の頃からずっと背後で、小学生になっても憑りついて、中学生になると幼馴染は周囲と適応を始めて疎遠になる。
元より、幽鬼の孤立とは違い、幼馴染の孤立は『早熟』から来るコミュニケーション不全。周りの精神年齢が発達し、互いの世界観をぶつけ合うような幼子の『主張』から、相手とのペースを合わせる『会話』になれば、まるで幽鬼だけが置いて行かれるように幼馴染は世界に順応した。
その時の感情は、憑りつく幽霊らしく『恨めしい』という身勝手な思いだろう。
自分だけ、その影に憑りつく幽霊を置き去りにする幼馴染に対して、置いて行ったことを恨んでいるのではなく、連れて行ってくれないことを憎むのではなく、幽鬼の居場所ではなくなった彼に対する嘆きで心が満ちていた。
そうなると、もう中学を行く必要性すら幽鬼にはなくなった。不登校児、義務教育の放棄、本物の社会不適合者への第一歩、昼は部屋に籠り、夜に出歩くという魑魅魍魎のような生活。生きる理由も目的もなく、心地の良い場所すら世界に奪われたのなら、退廃的で自堕落な生活に浸ることもそこまで悪いものでもない。
それでもやはり退屈で、どこか居心地の悪さを感じたので、結局は幽鬼は幼馴染の居る場所を求めてしまう。
いつもの深夜徘徊。中学生である癖に、生意気にも仕事をしてお金を稼ぐ幼馴染の部屋はいつも電気が付いていた。だから、雨樋を伝って2階に上がり、世界から奪われた居心地の良い場所を取り戻しにきた。
『開けて……ユウタ……開けてよ……』
その時にはすっかり声帯すら使うこともなかったので、掠れた声しか出すことしかできない。当然、幼馴染は気付くことはなく、ガラス1枚、カーテンという薄皮1枚の布に、幽鬼は激しい苛立ちを募らせていた。この先に求める場所がある。それをこのガラス1枚、布1枚に奪われていることが堪らなく憎かった。叩いても音楽を聴いているのか反応すらしない。
だからなのか、当時の幽鬼は自分でも信じられないくらいの凶行に出てしまった。室外機の傍に置いてある植木鉢、それを掴んで構わずに大きく振りかぶってガラスをぶち破ったのだ。
風呂にすら入らずに腐臭が漂い、野暮ったいを通り越して幽霊のような跳ねた銀色の毛、まさに幽鬼と呼ぶに相応しい姿で、カーテンを開いて幼馴染と再会を果たす。
『何やってんの……ッ?!えっ、これなに?なんでユウキが、というかどういう状況?!』
『私の居場所……取り戻しにきた……』
「当時の私、絶対に頭おかしかった」
幼馴染とのことを回想していると、この状況なんかより過去の過ちで死にたくなる幽鬼がいた。銀髪の頭を抱え、身悶えするように地団駄を踏む姿、運転手は何を勘違いしているのか、そんな幽鬼の奇行に憐憫の視線を向けている。大方、デスゲームによる恐怖や罪悪感から悶えているように見えたのだろう。だが、実際はもう幽鬼にとって
過去の黒歴史を自ら暴き悶絶しながら、視線を窓の外に向けると家の近くのコンビニが見える。ここにきて、本当にデスゲームの運営はプレイヤーを自宅に帰すつもりであることに気付いて、幽鬼は安堵の吐息が零れてしまう。気の抜けた、全身から脱力するように座席の背もたれに預けて、指先が手提げバッグが置いてあることに、今の今までになるまで気付かなかった。
「プレイヤーの賞金の他に、記念品としてゲームでの装いがプレゼントされます」
「記念品……人によっては見たくもない産物だろうね」
「受け取らないのであれば、そのまま座席の方に置いてください。こちらで処分致します」
「いえ、せっかくの記念品だから貰います。命を懸けたのに現金だけでは味気ないですからね」
デスゲームで着せられた服は、安っぽいコスプレではなく本物の質感を持っていた。
細部に対するこだわり、縫い目も材質も服に疎い幽鬼ですら高級品だとひと目で分かる。そしてこんなものをゲームごとに用意する運営の資金と組織力に驚きながらも、ゲームのためだけに作られた馬鹿げた機械を見た後ならば今更かと思う。そして丁度よく、幼馴染の家と2階に輝く明かりが見えたので――――
「ここで止めてください。あとは歩いて帰ります」
「分かりました」
「送迎ありがとうございます」
――――冷静に考えると、デスゲームを仕掛けるような運営のスタッフに感謝をするのはおかしい話だ。それでも送り迎えをしてくれたことには、礼儀として感謝を伝えておくべきだろうと幽鬼は思った。言うだけはタダ、好感を与えて損はないのだから、と打算的な思考でもあるが、運転手に向けて頭を下げる。
「事前に説明はされましたが、再度の忠告をさせてもらいます。このことは他者に話してはいけません。献血は
人体改造された肉体、血は空気に触れるともこもことした泡のようになり、防腐処置により体臭はなくなる。
たった賞金300万の対価にして大きすぎる代償。幽鬼はこれから日常生活で大きな病気や怪我などできず、病院にすらまともに通えない。切断された腕すら付けるという運営の医療サービスを受けるには、デスゲームへの参加が不可避。これはたった1度の火遊びのつもりのプレイヤーがいたら、さぞ顔を青くすることだろう。
幽鬼はその辺はあまり気にしていなかった。どうせ、死んでるように生きているような
「ユウタの部屋で少し寝よう……流石に疲れた。そういえば、頼んだ漫画を買ってくれたかな?」
鉛のように重い身体でも、幼馴染の家が近づけば自然と足取りは軽くなる。
幽鬼にとって安心して休める場所、心地の良い砂漠のオアシス。デスゲームの高揚と恐怖も、犠牲となった少女たちのことすら、もうどうでも良い事だった。
最も大切なことは、幽鬼が憑りつける幼馴染が存在すること。どうせ他には何も彼女にはないのだ。生きる目的も、死ぬ理由も、ならば一時の安らぎに価値の全てを見出そう。心安らかに眠れる墓地へと、亡者は2階に輝く光に導かれて歩んでいく。