2階のベランダから飛び降りる幼馴染の暴挙を見た瞬間、俺の身体は自然と動き出していた。
靴も履かずに素足のままで道路を走ろうとする大馬鹿なユウキ。そんな柔らかな肌で、硬いコンクリの上を踏みしめれば皮膚は簡単に裂けてしまうだろう。
ベランダに残したあいつのサンダルを掴んで、後を追うように俺も二階から飛び降りる。思った以上に足に響く地面の感触、小石が足を刺す痛みを堪えながら、夜の街中を駆け抜けていく。
簡単に追いついてしまうユウキの背中。やはり、コンクリを踏みしめる痛みに耐えられないのか、走ることを止めて立ち止まっている。
「おい、待て!ユウキ!せめて靴を履け!素足でコンクリの上を走ったら、血だらけになるぞ……ッ!」
「――――ッ!うっ、あっ……動かないでください!」
その背中に向けて声を掛けると、ユウキは怯えるような声で俺を制止する。
碧眼の瞳に覗く恐怖の色、表情は明確に拒絶を示していて、振り返ったユウキは本当に俺に近付いて欲しくないようだ。何が理由かなんて分からない。ただ見られてたくないことがあるように、街灯の明かりを恐れる様子から俺は視線をユウキから外した。
んっ……?なんだこれ……?綿?
外した視線の先、俺の足元には、ぬいぐるみの綿が零れたような、もこもことした白いものが落ちていた。背後を振り返れば、来た道から自分を通り越して、ユウキの足元まで続く白い綿。奇妙な物体に思わず屈みこみ、この正体を見極めようと指先を近づける。すると、息を吞むような音に気付いて俺は視線をあげた。
「それに触らないでください!」
「…………分かった。俺はユウキに怪我をして欲しくなくて、お前の靴を持ってきただけだ。それさえ受け取れば、俺はすぐに立ち去るよ」
この白い綿の何を恐れているのか分からない。それでも触れられたくないことは理解できるので、掲げたサンダルを視線を下げずに足元に置いて、ゆっくりと後ずさる。ユウキもそれに合わせるように、自分の足元を酷く怯えながら近づいてくる。やはり、コンクリの硬い地面は足の裏を傷付けたのか、痛みで表情を歪めるユウキは、そのまま堪えるようにサンダルを履いた。
「足……消毒しとけよ。こんな地面で裂けた傷じゃ、放っておくと化膿するぞ」
「その……ユウタも……足が……」
言われて気付いたが、俺もユウキのことを言えないくらいに足裏が裂けて血だらけだった。
着地の際に皮膚が裂け怪我をしたのだろう。俺の足元を見て、心配そうに一歩近づくユウキは、また何かに怯えるようにその足を戻してしまう。その表情は罪悪感を宿していた。薄情な自分を罰するかのように、ぎゅっと握る拳は今にも血を流しそうだ。
だから俺は何でもないように笑って、安心させるような声音で語り掛ける。
「俺のは大丈夫。ちょっと皮膚が裂けただけで、見た目以上に痛みも傷も深くない。それより、俺なんかより柔な肌を持つユウキの方が心配だ。早く、家に帰って傷口を消毒しろよ」
「…………はい。ユウタも傷を消毒して……あの、すいませんでした。私が取り乱して、部屋から飛び出なければ……」
「気にするな。俺も高校のことを告げるにしても、タイミングが悪かったことを反省してる」
300万円の茶封筒。それだけの対価を得られるような行為をした幼馴染に、来年には東京に行くと伝えるには酷な話であった。
あれだけ恐怖で身体を震わせ、お互いの距離感を保っていたユウキが甘えるように腕を伸ばしてきた。それだけ深く傷付いた心に追い打ちを掛けるようなことを俺はしてしまったのだから。
その結果に、幼馴染のユウキは足が血だらけになるほどの痛みを味わう結果になった。
「東京に行ったからといって、俺たちの関係が終わる訳じゃない。定期的に帰ってくるし、ユウキだっていつでも会いにくれば良い」
「
「問題ない。セキュリティの関係から、ちょっと高いマンションに住むから部屋は余っているしな。東京に遊びに来るなら、ホテルなんか泊まらずに俺のところで、
「――――ッ!ありがとうございます。では、これからも私たちの関係は、いつも通りですね」
零れ落ちるような笑み、堪えきれないような笑み、吊り上がるような笑み。どう例えればいいのか、幼馴染は罠に掛かった獲物を見るような表情で返事をする。裂けた足裏の痛みすら忘れてしまうような、ゾクリッと震える邪な思念を感じて、俺は何かとんでもない間違いをした気になってしまう。
その疑問の答えに気付くより早く、ユウキは手を小さく振りながら去っていき。
「色々と先行きが不安でしたが、ユウタの言葉で安心しました――――今日は、お憑かれさまでした」
「お疲れ様。もしまた震えが止まらくなったら……すぐにでも部屋に来いよ」
「はい。お言葉に甘えさせてもらいます」
付かず離れず関わらずの適切な距離感、俺と幼馴染の関係は元に戻ったのだ。
互いに示し合わせるかのように背中を向けて、それぞれが向かうべき家に帰る。足裏は相変わらずに血が滲み痛いが、それでもユウキに後ろめたさを感じさせないように、屹然と歩いていく。そして2階の部屋の明かりが見え始めた頃になって――――
「そういえば、あいつは高校からニートだった……。えっ?まさか、東京まで憑いてくる気なのか……?」
――――高校にも行かず、かといって仕事に就くわけでもない。そんな自由人の社会不適合者が、いつでもと門戸の開かれた俺の住むマンションにやってきたら、どうなるかなんて明白だった。
言質は取られた。だが、そんな口約束など律儀に履行する義理はない。
「まぁ、でも……そうなっても別に良いか」
幼馴染の性格は熟知している。誰かと暮らすという、共同生活に耐えられるような社会性はないのだ。
もし来年に俺の住むマンションにやってきても、追い返さずに気の済むまで泊めてやろう。せいぜい数日、長くても1週間で音を上げて出て行くユウキを眺めるの一興だと思い、高校に進学して1人暮らしをする楽しみが1つ増えた。