Wanderlust
ヴァンダールスト。
放浪癖、という意味だって初めて知ったのは、15の時。
教えてくれたあの娘は「アンタらしいな」と笑っていたけど、別に、私が望んでしている暮らしではないから…。
大概、孤独でもない。
親は逃げたが祖父母がいる、祖父は死んだが祖母が生きてる。貧乏ながら逞しく生きてる。
なんせ元々重賞ウマ娘だったもので、体つきも、精神力もなかなかに強か。憧れる。
祖母に、学園に行くと告げたら、快く承諾してくれただろう。だが、無理をして老体で学費を稼ぐその姿が目に浮かぶ。
恩を感じているだけに、迷惑はかけれなくて
…例え、それが、自分の今までを裏切る選択だったとしても。
だから、遊ぶ日銭は自分で稼ぐことにした。
私にはどうにか稼げるだけの力があった。だから、学園にも行かなくても、問題が無いわけじゃ無いが、やっていける。
それだけが、私が競バのランナーとして走る理由だった。
それだけの理由がある。
し、それだけしかないのかも知れないが。
でも、多分、私は満足なんだ。って。
そう、思おうとした。
…心の底で渦巻く渇望から、目を逸らしながら。
◇
2時間くらい前に戻る。
『八番、ヴァンダールスト。』
ーーーハッとした。アナウンスが鳴って。
…また、いつもの通りだ。
硬い人工ターフの上で、呼吸を整える。
陽の光も無い地下だというのにここは、ヒトの熱気か、照明機器の熱だかで酷く暑く、苦しい。
深くは吸えないし、吐けない息が、澱んで。
それも仕方がないとこらえる。
小さくてもレース場があって、人が居て、まがいなりにもレースが出来ることを、それだけでも充分だと思えなければ、いけない。
『出走選手がゲートに入りました。』
ふと、隣を覗いて見た。
怖気付いたのか、息が不安定になっている。それと、足が震えている。
こういう子は、なんかしらの「契約」にでも縛られているのだ。
何度も見てきた。
…可哀想ではあるけれど
「君。」
「はひえっ!?」
「…お互い頑張ろうね。」
…勝負事となれば、容赦は無用。
姑息な脅しでもなんでもやる。
それこそが、勝負師の礼儀…
なんて言うのは冗談で、月末だから生活費がカツカツで追い詰められているだけ。
ああ、お腹がすいた…。朝、道端で貰った飴を舐めてから何も口に入れていない。
確かに、1人のウマ娘の脚がもがれるというのは心苦しくてしょうがないことである。
でも、私が生きていくためにはそれも、しょうがないことなのだ。
悪いが、来月の食費になってもらおうか。
◇ ◇
『各ウマ娘出走準備が整いました。』
喧騒の中、再びアナウンスが場内に響いた。
大丈夫。
いつも通りに呼吸を整えて、体を前に傾けた。
その時
ーーーーバチン
鳴るとともに、会場の照明が消える。
一瞬の静寂の間、かすかに肉声が聞こえた。
「ーーー運営者を取り抑えろ!!」
◇ ◇
備え付けられた更衣室の窓から、身を投げ出し、走り出して、
気がつけば、遠く離れた住宅地の公園で倒れ伏していた。
…なにはともあれ、ほんとにお腹が減った…。
視界が微かに眩む。
腹が減っては戦ができない。
ーーーにぃ、よん、ろく…
「700円かぁ…。」
ポケットに入っていたなけなしのお金。
取り敢えず、あそこのコンビニでなんか買おう。
なんとか持ってこれた肩掛けのバックから、ペットボトルを取り出して、さっき汲んだ水を飲む。
「ぅあ〜…ちくしょう…また野宿だあ…。」
ーーー競バとは、言わばギャンブルである。
ヒトの世の中に、競輪や競艇があるように、ウマ娘にも競バがあるのだ。
ただ、1つ違いがあるとするならば、競バは「非」合法。
まともにレースができるウマ娘と言えば大抵は14〜18歳程の未成年であり、契約を結ばせる、更にそれを賭事に使うなんて、余裕でアウトだ。
故に、それを管理しているところも、都市の暴力団や、なんらかの宗教団体だったり…。
摘発されたりするのも、まあ、当然だろう。
…今回もその一例に過ぎない、のだけれど。
「飢え死ぬ〜…。」
私にとっては、あまりに重大な問題だった。
こういう事が、初めてという訳じゃ無いが、なんたって月末だから、タチが悪い。
祖父母の家まで行く体力はないし。
電車賃もないし。
待っていても腹が減って行くだけ。
が、現状、金を稼ぐ方法はない
今思えば、まだ警察に捕まった方が良かったかもしれないなぁ…。なんて。
「…とりあえず、なんか買いに行こう。」
力を振り絞って、私はベンチから立ち上がった。
◇
安いからと何となく買ったお煎餅を噛み締める。
淡い味付けの醤油、その甘酸っぱいさと塩加減が、1口皮を喰らう度に滲み出て、溶けだして、舌先に染み渡る。
一枚10円の安いお煎餅なのだけれど、なんていうか、今まで食べた中でいちばん美味しいかも知れない。
本当に美味しい…。
小学生とかの頃、夜ご飯を食べ終わったら、おばあちゃんから、よくいろんなお菓子を食べさせてもらった。
ハイカラなチョコだとかケーキなんかではなくて、出てくるのは主に和菓子。羊羹とか、おはぎとか。
だから私は、和菓子党である。
勿論、お煎餅も好きだ。
…そう言えば、久しぶりに、自分の好きなものを選んで食べたかもしれない。
東京に来て、きりきり舞いの生活で、そんなことを意識する余裕もなかった。
何だか、寂しい気持ちになった。
別に、
私だって、
トレセン学園に行って、
周りのみんなと同じように、
大きな舞台で、
ライバルと競い合ったり、
重賞に勝ってライブをしたり、
何より、
私は、本当は、一緒に
ーーーいや、駄目だ!!!
違う!泣いてるんじゃない。
泣き顔は私らしくない。
むやみやたらに求めるもんじゃないし。変に嫉妬するなんて、不合理だ。
私が選んだ道なんだ。
小さくてもレース場があって、人が居て、まがいなりにもレースが出来ることを、それだけでも充分だと思えなければ…
『選抜のレース、いつだっけ。』
『…さん、ホントに余裕綽々ですね〜。私なんか、まだトレーナーさんも決まってなくて。』
…微かに、でもハッキリ聴こえた会話。
公園を横切る2つの影は、赤と白ジャージを身に付けていた。
ハッとして入口の看板を見ると『府中の森公園』という文字が書かれていた。
噂をすれば影というか…
ともかく、なんとなく、泣き顔を見られるのが嫌で、ベンチの裏に隠れてみようと思ったのだけれど
『あっ、あの子、ウマ娘だ。こんな時間に一人で寮から出て何してるんだろう…。』
『え、ちょっと、あ!待ってくださいって!』
身体の向きを変えて立ち上がろうとした瞬間に、運が悪く目が合ってしまい、2人組のうち1人のウマ娘がこちらへ向かってくる。
『あの、すみません、学園のウマ娘ですよね。何してるんですか。大丈夫ですか。』
栗毛のロングヘアをなびかせた、純度100%の清楚。みたいな。まあ、なんとも育ちの良さそうなウマ娘だ。
恐らく、変につっかかってるつもりも、悪意も全く無いのだろうが。
どうやら、ウマ娘はみんなトレセン学園に入るものだとでも思っているらしい。
純粋な言葉も皮肉に聞こえてしまう自分に苛立ってきた。
『あわわわわわ、も〜!泣いてるじゃないですか!すみませんね。余計なお世話ですよねっ。ほら、早く帰りましょうよって!』
遅れてやってきたもう一方は、同じ栗毛でも、跳ねたショートヘアで、独特な風貌、口調をしているが、割には、普通な感性を持っているらしい。
この子は、割と話が合うタイプかもしれない。
『でも…なんだか心配で…。』
『でもじゃないですよ〜!だって、明らかに嫌そうな顔をしているじゃないですか!1人にさせてあげましょうよぉ!』
どうやら、私が彼女らを嫌がっているかどうかははておき、自分への、苛立ちが顔に出てるらしい。
表情筋を引き締めて、涙声を抑えて
私は必死に体裁を整え、言葉を返す。
1つ思いついたことがあるのだ。
「…私も、そろそろ帰るところなんだけど、
…一緒に帰っていい?」