Lichtはドイツ語で”光”という意味です。
「まあ、競バを知っているのならば話は早いと思いますが…。」
保った表情が少し崩れる駿川たづな、動揺しつつもかすかに笑み浮かべる秋本理事長、目を開いてこちらを向くヴァンダールスト。
張り詰めた空気感の理事長室で、自分の声だけが反響した。
「競バ界の選手の殆どが、なんらか事情でトレセン学園に入れなかったウマ娘。というのは有名な話です。」
「…そうだな。」
理事長が言葉を返して、頷く。
「競バ界の”女王”とも言われるほどの強さを持つ彼女も例外ではなく、トレセン学園に入れるだけの実力があるにも関わらず、金銭的な理由で入学を断念しました。」
「だからと言って…編入はそんな簡単に…」
「静かにしていろ、たづな。」
駿川たづなの顔に、物言いたげな表情、もとい初めて、表情らしい表情が浮かんだ。
「…続けてくれ。」
「トレセン学園への入学を諦めたのは2年前です。高校生ですから家も借りれず、彼女はそれからずっとホテルなどを転々として、生活していました。」
「…しかし、今日、事故で宿泊するだけの金も失い路頭に迷っていたところを、事情の知っている旧友であった私が見つけて、匿ったのです。」
不正確だが、まあ多分、そんなとこだろう。
「ご理解頂けましたか?」
「ああ。分かった。」
理事長は、なんとなく、満足そうな顔をしている。
「君も、そういう事で良いのだな?」
「…はい。」
彼女は恐らく困惑しているだろうが、ここで、首を縦に振るということは、俺の考えを理解し、そして賛同したということだろう。
駿川たづなは、まだ口を閉じている。
「そして、彼女は今も尚、レースに対しての熱意を持っていて、入学を希望しております。」
秋川理事長、なら、理解してくれる。
…まあ、有り体に言えば、なんとかなる。
そういう可能性に賭けたみたのだ。
彼女は少し咳払いをした。
「…熱意が本物だという証拠はあるか?」
幼い身体から発せられたとは思えないほど、重く鋭い言葉だった。
だがしかし、”ヴァンダールスト”は少しの間もおかずにこう答えた。
『…日本ダービー。』
『来年の日本ダービーを、私が、獲ります。』
…まあ、流石の俺も驚いた。
だが、その態度は凛としていて、決して大言壮語では無いというが分かる。
だから…
「知ってるよ。お前なら、出来る。」
そうでなくとも、俺が、獲らせるだけ。
…とまで言い切るほどの胆力は無かったが。
でも、これは、なんとかなるなんていう適当なその場しのぎじゃない、確信を持った一言だった。
まあ負けても入れればこっちのもんだし?なんて気持ちも、生まれたのは翌日のことである。
ずっと夢見ていたのだ。
少なくとも、俺の夢の中では、ヴァンダールストはダービーを勝てるウマ娘だ。
…それから、秋川理事長は扇子を大きく開いて、椅子から立ち上がって、まるで歌舞伎の六方のように足を前に突き出して、言葉を放つ。
「ーーー承諾ッ!!良かろう!天晴れな心意気に胸を打たれた!」
駿川たづなが耐えきれずに喋り始める。
「い、いや、ですが理事長、学園は地方や海外からの編入を受け付けて居ないはず、でしたよね?」
”秋川理事長”は動じる様子もない。
「当たり前だ。当たり前”だった”な。そんなことは分かっておる!」
再び、大きく足を踏み込んで、扇子を裏返し、言葉を放つ。
「改革ッ!!今、ここに、特例入学制度を設けるのだ!!」
そう言った理事長を見て、ついにたづなは体裁を整えようともせず感情を出しはじめた。
「そんなものが理事会の承認が得れると思いますか!?いくら実績のある理事長とは言えど、特権には限度があります!」
「否ッ!実を言うとだな、この制度案は、既に理事会の承認を得て、詳しい枠組みを考えている最中なのだ。」
「な、なんでそんな大事なものが私に届いてないんですか…。」
「適当に案だけを発表すると、反発が起こるだろうと予測できたからだ。」
「今のたづなみたいに、な。」
秋川理事長は珍しく皮肉っぽく笑った。
駿川たづなは、むっとしたように唇を突き出す。
やっと、身分にしてはとても若い彼女に似合った、感情表情を見た気がした。
「本当なら、発表はもう少し先、更に実行をするのは3年先になる予定だったのだが…まあ、丁度いい、実際に制度を完成させる為の良いデータにさせてもらおう。」
理事長は大きな机の中をがさごそと漁って、一枚の白い紙と、ハンコを取り出す。
「”ヴァンダールスト”。君の学費は経費で落とす。」
白い紙に、持っていた筆で、大きく、”ヴァンダールスト”、と書き、秋川やよいと彫られた判子を押した。
「日本ダービー、期待してるぞ。」
椅子の上に立ち、両の手でめいっぱいに張って、その紙を仰々しく掲げる。
「祝福ッ!!」
『ーーーここに、”ウマ娘 ヴァンダールスト”の入学を宣言するッッ!!』
□
程なくして、俺とヴァンダールストは開放された。
夜が過ぎて、遠い空の尾っぽが、お日様の色に染まっていくのを、三女神の前の大通りで、眺めていた。
いつもなら、沢山の登校する生徒で埋まるここも、始業前では、ただ大きな校門が佇んでいるだけである。
ふと、隣を見るとヴァンダールストが、声を殺して泣いていた。
俺は、抑えなくていい、とだけ言って、彼女の頭を久しぶりに、撫でた。
自分が泣くのは、頑張って堪えた。
今は二人だけの空に青い火が、
…やっと、灯ったのだ。
〇
噴水のへりに座って、空を仰ぐ2人を、遠くから見つめる小さな影があった。
「…理事長、でもやっぱり、私はまだ納得できていません。」
背を向けている理事長に、駿川たづなは言った。
不満そうな顔、というか、イマイチしっくり来ていないような、そんな様子である。
「私が、情で判断を下したとでも思っているのか?」
「そうでないのなら、説明を要求します。」
彼女は、なにかを否定したいのではなく、とにかく職務に対して誠実なだけなのである。 彼女だって、情を捨てて全てを判断している訳では無い。
ただ、適当な温情の裏にあるいくつもの不合理を、理解し、危惧しているからこそ、疑り深いのだ。
「私たちが目指すのは、”全てのウマ娘の輝かしい未来”、だったな。」
理事長に入ってきた強い朝焼けの光が、少し振り向いた秋川やよいの顔を照らした。
「テレビや新聞で取り上げられる沢山の勝利の影に、見向きもされなかったより沢山のウマ娘がいる。」
「そして、更にその影に、彼女たちのようなウマ娘が、未だに多く、いる。」
身体全体を覆った陽光は、彼女の身の丈よりも何倍も大きい影を作った。
「だが、影の中にも、時々、眩く輝く光の種が生まれるのだ。」
背中の猫が、彼女の作った影に着地し、その瞳が暗闇の中で光る。
「勿論、全てのウマ娘に、栄光を与えるというのは不可能だろう。その席は限られているというのは、たづなが最もよく理解しているはずだ。」
「…。」
たづなは帽子を更に深く被り直す。
「だが、その栄光で、他のウマ娘を照らすことも出来る、とも、思うのだ。」
「…かつて、お前に憧れた多くのウマ娘が、夢を追いかけて入学してきたようにな。」
秋川やよいは、影の中の猫を抱き上げて、陽の光に照らす。
「ただ制度として門を開くだけでは、その暗い影を照らすには足りない。」
「最初から夢を求めるだけの希望がなければ、誰も夢を叶えようと動かない。自分には可能性がない、と、環境に”思い込まされてる”からだ。」
言葉に、より熱がこもる。
「しかし、同じ境遇から生まれた、輝かしい前例があれば、きっと、彼女たちも夢を追う原動力、”憧れ”を取り戻せるかもしれない。」
「今まで見向きもされなかった最も暗い影でさえも、そこから生まれた光ならば…」
『…”彼ら”ならば…それを照らす太陽になれるのではないか!』
ーーー彼女は底の深い帽子を外す。
『…そう思ったのだよ。”▒▒▒▒▒▒”』
…いよいよ、空も青く澄み渡る頃になった。
噴水のへりには、もう誰もいない。
「…まあそれに、目立った活躍がなくとも、有用なデータにはなるからな。デメリットよりも、メリットの方が大きいだろう。」
彼女はさっきよりも帽子を深く被って、少し笑う。
「…分かりました。」
たづなは、いつも通りの柔らかい表情を取り戻した。
キン、コン、カン、コン。
と鐘の鳴る頃合い。
気が付けば、校門の前に一人のウマ娘が立っていた。
「門を開けに行ってきますね。」
”駿川たづな”は、いつも通りの一日を始める。
”秋川やよい”は、一人、響き渡る鐘の音を静かに聴いていた。
今日も沢山のウマ娘が、この音を聞いて、いつも通りの、かけがえのない一日を始める。
ーーー波乱の一夜が開けて、
新しい時代が始まったということは…
今のところ、彼女しか知らない。
取り敢えずは、ここで一区切りになります。
書きだめを投下しきったのでこれからは不定期。
次章のプロットは出来ていますので、基本的にはあまり遅くならない、と思いたい…。