ワースに勝利したカルパッチョが、地下の長い廊下を進んでいる。
かなりの距離を歩き回ったため、さっき道を聞いておけばよかったと考えていると、破壊された観音扉が見えた。
様子をうかがうために、壊れていないほうの扉に手を添えて部屋の中を覗き込む。
部屋には今回の事件の主犯であろうレアン寮の生徒と、マッシュたち。それから外部の人間であろう
マッシュと対峙する金髪の男――セル・ウォーが手に持った何かを顔の前に掲げる。
話を聞いていれば、彼が手にしているのは“魔返しの鏡”。いかなる魔法もそっくりそのまま跳ね返す魔法具だ。
全魔法使いが恐れをなす最恐の魔法具と言われているらしいのだが……カルパッチョは気にせずセル・ウォーの背中に目がけて走り出していた。
距離を詰めたカルパッチョが、ジャンプしながら両膝を折りたたむようにして両足の裏をセル・ウォーに向ける。
走る勢いの合わさったカルパッチョの両足が鋭く突き出され、セル・ウォーの背中を捉えた。
――対魔法使いドロップキック!
魔法使いに対して思いっ切り飛び蹴りをかます。カルパッチョの師匠レイゲンの必殺技である。
魔返しの鏡を掲げたセル・ウォーは、“パワー”が固有魔法だと言い張る無礼なガキ――マッシュと向かい合っていた。
不意をつかれたとはいえ、初めて自分の硬い表皮を破った相手だ。警戒はしておいた方がいい。
状況が理解できていないのか、マッシュが魔返しの鏡に蹴りを放つ。
はね返されるはずのマッシュの蹴りは……鏡を割ってセル・ウォーの顔面に叩き込まれた。
「!?」
鏡が反応しなかったことに驚く間もなく、セル・ウォーは背中にも衝撃を受ける。
だがマッシュの顔への攻撃も、カルパッチョの背中への攻撃も、硬い表皮で覆っているセル・ウォーの本体にダメージを与えられるものではなかった。
ダメージを与えられるものではなかったのだが……両足が痺れたように痛い。
高いところから飛び降りて着地した直後のような、硬いものを蹴りつけた後のような、じんわりとくる地味な痛さだ。
攻撃を受けていない足が痛む異常事態の中、平静を装って砂埃を払ったセル・ウォーは、今度は右手の甲が
しかたなく手の甲を確認すれば、“探しもの”に反応したであろうアザが浮かび上がっている。
触れたことによって出たのであれば、目の前に並ぶ蹴ってきた二人のガキのどちらか。
さっき頭痛もあったことから、黒髪の方と考えるのが妥当だ。
――お父様の無くしものが見つかった。
そう結論を出したセル・ウォーの背後の空間に、ひびが入った。
闇に包まれた空間の中から、今まで対峙したことのない邪悪な気配が漂ってくる。
それと共に、異様に指の長い手のようなものが這い出てきた。
「今日は思わぬ収穫だ……君に出会えたからね」
マッシュに語りかけるセル・ウォーを、空間を割って現れた巨大な両手が包み込んだ。
「僕の名前はセル・ウォー。急用を思い出したから帰るよ。まあ……またすぐに会うことになると思うけどね」
バイバイ、という言葉を残して、空間の割れ目は何事もなかったように閉じられた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大怪我を負ったアビスを病院へと連れていくため、マッシュたちに一声かけたアベルが急いで部屋を出ていく。
「一件落着ですな」
そう言ってみんなを振り返ったマッシュに、ドットたちが詰め寄った。
「お前……今までの魔法じゃなかったのか!?」
「逆にすごいですけど、これ周りに知られたらまずいんじゃ……!?」
ドットと共に驚きと心配の声をあげるレモンに、フィンが続く。
「やばいよ! マッシュくん退学じゃ済まないかもしれないよ!」
「え……?」
動揺するマッシュたち四人の耳に、アベルの人形化の魔法から解放された生徒の声が届いた。
「おい、見たか?」
「あのキノコ頭、魔法が使えなかったのか……」
「でもカルパッチョも蹴りで挑んでたぞ」
「えっ? あいつ内部進学者だろ?」
「あいつも魔法不全者なのか?」
わざと聞こえるように話しているのか、聞こえているのに気がついていないのか……。
不信感を募らせている生徒たちの方に、一人冷静なカルパッチョが向かっていく。
「君たち……授業以外で魔法が必要だったことって、ある?」
話題にしていた本人から声をかけられたことで、話していた生徒たちが口を閉じる。
妙な圧をかけて質問してきたカルパッチョに、および腰になりながら一人の生徒が答えた。
「物を運んだり……お茶を入れたりするだろ」
例えを聞いて、不思議そうに口元に手を添えたカルパッチョが首をかしげる。
「それって、魔法がなくてもできるよね?」
言われてみて初めて、生徒が日々の生活を振り返る。
制服の手入れなら、シャツのアイロンかけや靴磨き。
部屋の掃除。シーツを干したり、ベッドを整えたり……。
魔法を使えばすぐに終わるが、使わなくてもできる。
「確かに……」
納得してしまった生徒に、カルパッチョが言葉を続ける。
「そもそも、生きていく上で魔法なんて必要ないんだ。逆上がりができなくても、授業以外で困らないのと一緒だよ」
それは話のスケールが違うだろ。
納得していない生徒たちは言いたかったが、威圧感のあるカルパッチョに言い返す度胸のある者はいなかった。
目の前にいるやつに言い勝てないなら、この不信感……いや、引きどころが分からなくなってしまった今の状況をどうすればいいのか。
もう一人の生徒に矛先が向かうのは当然だった。
「少なくとも、アイツの固有魔法が“パワー”ってのは嘘だろ!」
彼らはカルパッチョに言い返せない代わりに、マッシュを標的にした。
「魔法が使えない者がこの学校にいるってなったら大問題だぞ! 先生方に報告してやる!」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
マッシュたちとレアン寮の
あの時は「マッシュは魔法が使える」と皆で勢いで押し切ったが、イーストン魔法学校ではマッシュが魔法を使えないと噂になっていた。
さらに一部の生徒の間では、カルパッチョについても同様の噂がされている。
一応、
そんなある日の放課後。
アドラ寮の302号室では、アビスの快気祝いも兼ねた「対レアン寮 祝勝パーティー」が開かれていた。
現在の参加者はカルパッチョを除く肉体改造部の一年生と、パーティーを楽しむ気満々なアベル。アベルを楽しませる気満々なアビス。招待していないはずのラブ・キュート。
大怪我のせいで全身に包帯を巻き、自由に身動きができないドット以外が好きなように過ごすカオスな空間へ、新たな人物が入ってきた。
「ごめん。遅くなった」
そう言っていつも通りな様子でドットの隣に腰掛けたのは、“霊とか研究室”の
急な依頼が入ったため、到着が遅れたようだ。
「ゴーストが出たんだよね? どうだったの?」
この空気を何とかしてくれと思いながらフィンが問い掛ければ、ティーカップを手にしたカルパッチョが気だるそうに椅子に体を預ける。
「ただのケツアゴの用務員さんだった。何も無いのに除霊しろってしつこいから、適当に塩まいて帰ってきたよ」
「いつも通りならよかった」
こんな空間でもいつも通りなカルパッチョの姿にフィンが安心していると、カルパッチョの隣に人影が立った。
招待していないのに遊びにきている、レアン寮のラブ・キュートだ。
ラブがカルパッチョの視界に入るように立ち、計算された角度で微笑む。それから人々を魅了する甘えた声で話しかけた。
「ねえ。私、ラブちゃんっていうんだけど……私のこと好き?」
「……好きとかいうのは、よくわからない」
聞く相手を選んでくれとハラハラしながら見守るフィンたちの前で、ラブが質問を重ねる。
「じゃあ、可愛い?」
ラブの顔をまじまじと見たカルパッチョが、口元に手を添えて考える素振りを見せる。
少し見上げる位置にある彼女の瞳を見つめると、真面目な顔で答えた。
「“可愛い”かは知らないけど……君は“美人”だ」
「はわ……」
予想外のストレートな返しにラブが照れ、周りが驚愕する中、ドットだけはカルパッチョの言葉の意味を理解していた。
あれは……口説いているのではない!
「なあ、カルパッチョ。お前、どんな女の子が好みなんだ? 可愛いと思う子とかいるだろ?」
パソコンの前に座って心霊写真を“除霊”していたカルパッチョに、ドットが話しかける。
ドットが「一番はレモンちゃん」だと前置きした上で、他にも可愛いと評判の生徒の名前を挙げて問いかけると、カルパッチョが不思議そうにドットを見た。
「『可愛い』という概念はいいかげんな人間たちによる主観から生まれるもので、あてにならない。物事の判断基準にするのは間違っている」
「えっ? うん。……うん?」
その主観的な意見が聞きたいのだが、以前カルパッチョの解説を止めて睨まれたことのあるドットは大人しく聞く。
「その点『美人』というのは、客観的な造形のラインによって――」
続けて美人の基準を説明するカルパッチョに、ドットの恋バナがしたい欲は消えていった。
カルパッチョがラブに言ったのは「可愛いかは知らないけど、美人」だ。
つまり、カルパッチョはラブのことを“可愛い”とは思っていない。
そして、“美人”というのはラブの容姿を客観的に評価した“事実”であって、カルパッチョ自身が彼女の容姿を好ましく思っているという意味ではないのだ。
「あ……ありがとうごじゃいます……」
そう言ってアベルの後ろに隠れてしまったラブに、カルパッチョが不思議そうにしている。
成績優秀でランスと並び女子人気の高いカルパッチョ・ローヤン。
ドットが人生プレイ難易度イージーモードと評価する彼の犠牲者が、また増えたかもしれない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
部屋に忘れたボードゲームを取りに行くアベルと並んで、カルパッチョが歩いている。
レアン寮のトップと、オルカ寮の一年生のトップ。そんな二人がアドラ寮の廊下を歩いている光景に、何も知らない生徒たちは驚いて道を空けた。
「そういえば君は、研究室を持っているんだったね? ……“霊とか研究室”であっているかい?」
研究内容の想像がつかないと言うアベルに、少し活き活きとしたカルパッチョが答える。
「呪いが原因の肩こりをほぐしたり……心霊写真の除霊や加工修正。ゴーストや害虫の駆除もするし、将来の占いや進路相談もあるかな」
「……それは霊とか関係あるのかい?」
これは霊とか関係ないけど、オバケと虫が苦手なランスからは絶大な信頼を得ていることをここに記しておく。
ボードゲームを回収し、再びマッシュたちの部屋を目指しながら話す二人の話題が部活に移る。
肉体改造部に入ったワースの様子を聞いていたアベルは、そもそもカルパッチョが部活を設立した理由を尋ねた。
「……僕の兄弟子は、僕が知る中で一番強い“力”を持っている」
その“力”を使えば楽な日々を送れるはずなのに、彼は力の無い自分と向き合い、努力をしている。
――力を持ってるだけじゃ上手くいかないよ。期待を裏切られることはあるし……努力が実らないこともある。
「力の無い自分と向き合うことの大切さも、難しさも……僕は彼を見て学んだ」
――伝えようとしても伝わらない人だっているかもしれない……。でもそれでもいいんだ。大事な部分を自分で選んで……生きてさえいれば。
――僕の人生の主役は、僕だから。
「平和主義で……騙されやすいお人好しだけど、すごく強い」
一番、信頼できる人間がレイゲン師匠だとすれば……一番、尊敬できる人間は間違いなく兄弟子だ。
「
「それは安直すぎないかい?」
そうは言いつつも、アベルは「力の無い自分と向き合う」ヒントになるであろう部活に、少しだけ心惹かれた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
アドラ寮の302号室に二人が戻ってくると、フクロウが二羽、窓ガラスを突き破って入ってきた。
一羽がマッシュに、もう一羽がカルパッチョに落とした手紙を確認すると……発信元は“魔法局”。
明日、魔法局で緊急尋問を行う旨と時間が書かれたそれを見て、カルパッチョが珍しく焦った声をあげた。
「明日、師匠のとこでバイトがある……」
「もっと別の心配しよう!?」
絶対に魔法局には行くように念押しするフィンにカルパッチョがうなずき、フリーズしているマッシュも連れて行くことを約束する。
緊急尋問の内容は、「魔法不全隠匿について」。
一応、