◇歩夢◇
自由というこの学園のモットーにふさわしい騒がしさをもつ廊下を歩き、俺は生徒会室に足を運ぶ。そろそろ5限の授業も終わる頃だというのに、落ち着きなんてものは存在しないらしく、非常にパッションに溢れる光景だ。廊下で繰り広げられるゲーム大会、キャッチボール、他愛のないお喋り。まさになんでもあり。
ただ、生徒会室に進むほどその喧騒はなくなり、部屋の前に着くころにはコソコソ話の1つも聞こえない静かな空間ができていた。
「……失礼します」
周辺の雰囲気に当てられてか、俺自身の声も小さくなり生徒会室に微かに響く。もっとも、その声に誰かが反応するわけでもなく。独り、あかりさんがテーブルに突っ伏して眠っていた。珍しい姿だった。放課後、2人きりの時にソファでゴロゴロしていることはなくはなかったが、完全に寝ているのは初めてだ。
「忙しかったもんな、最近」
芸術大会開催前、あかりさんはあっちこっちに走り回り学園側のサポート体制を整え、万全の状態で大会が開催できるように準備していた。俺も彼女のサポートに回って手伝いをしていたが、正直、追いかけるのが必死だったのを今でも覚えている。きっと疲れが溜まっていたんだろう。学校では大会の準備、家では5日間まともに動けないことを想定しての勉強。
本当に、何があかりさんをそこまで突き動かすのか、俺には理解できない。彼女が刹那的な生き方をする人じゃないのは理解している。凪先輩みたく、今に全力全開で生きている人ではないことは確かだ。
なのに、あかりさんはイベントや仕事に対して常に紳士で手を抜かない。俺や他の役員の仕事も、彼女が生徒会長なら必要ないだろう。
理想や矜持、それらを少なからず理解していてもわからないものだ。
「いくら来るのが俺だけだからって、油断しすぎですよ、あかりさん」
少し寒いくらいにかけられた冷房の中で、あかりさんは気持ちよさそうに眠っている。今日、ここに顔を出す予定があったのは俺だけ。他の役員はおろか、嘉元先生も来ない。だからこそ、彼女は眠気に身を任せたのかもしれない。素顔を知る俺なら弱さを見せてもいいと、寄りかかってもいいと思ってくれているんだろうか。対等に、思ってくれたんだろうか。
わからない。
わからないことが多すぎる。
あぁ、けど、眠っているあかりさんも綺麗だ。これだけはきっと、間違いない。俺の視界の中で、明らかに彼女だけが違う色彩だった。灰色の空間を歪ませて、彼女だけが色付いていた。
「……くしゅっ」
ぼーっと見つめるには、この部屋はちょっと寒すぎるな。そんな俺の反応に呼応するように、あかりさんの体も少し震える。
「ジャージならあったっけ……」
面倒ごとに巻き込まれてもいいように持ってきていたジャージ。今日はお役御免で持ち帰るだけになりそうだったが、今更ながら仕事が出てきた。うちの学園のジャージは首元あたりしかファスナーがないものではなく、着替えやすいように下から上まであるタイプ。故に、簡易ひざ掛けや毛布代わりに使う生徒も少なくない。
俺としては着た方が楽なので特に拘った使い方はないが、現状にはちょうどいいだろう。
「失礼しますね」
そう断って、できる限り体に触れないよう、あかりさんの肩にジャージをかける。もう少しすれば震えも収まり、快眠状態に戻ってくれることだろう。
──もっとも、俺が暇な事実は変わらない。流石に断りもなく人を絵に描くには失礼に当たるだろう。それが、大会や賞に出すものならなおさら。
でも、彼女の寝顔を描く機会は今後そうそうないはず。今が一世一代のチャンスかもしれない。
「──嫌がられたら消せばいいか」
どうせ、この後の頼みごとがうまくいく保証なんてどこにもないのだ。なら、やってしまった方が後悔はない。自分をそう納得させるかの如く、俺は言い訳を重ねてスケッチブックを開き、鉛筆を手に取った。
自然と、手が動く気がした。
◇あかり◇
微睡みの中、カリカリとなにかをかく音だけが耳に届いた。ほのかに感じる温かさと、嗅いだ覚えのあるいい匂いが少しづつ、私の意識を覚醒に近付ける。
「……ん」
「起きましたか、あかりさん」
「歩夢くん……? っ!? い、今何時!?」
「安心してください、まだ18時前。最終下校時間までもう少しありますよ」
「そ、そっか。はぁ……ごめんね、驚かせて」
「気にしませんよ」
顔色1つ変えずそう言う彼は、休ませることなく手を動かし続けている。芸術大会の作品でも仕上げているのだろうか……いや、それにしては資料などをなにも出してないように感じる。
気になった私は、歩夢くんの物であろうジャージを肩に羽織ったまま、彼の後ろに回る。
「なーに描いてる……の?」
「……あかりさんです」
「えっ、ちょっ、これ! わた、私の……寝顔!?」
「ですね……嫌だったら言ってください、すぐに消しますから」
「い、嫌じゃない……嫌じゃないけど……」
スケッチブックに描かれた私は、ありのままの私だった。美術部の友人にモデルを頼まれて出来上がったものとは全く違う。脚色も美化もない、ただの私。仮面を着けてない、楠あかり。ジャージという毛布に包まり、幼い子供みたいに幸せそうに眠る、私。
気恥ずかしさと同じくらい、どこか胸に熱が灯る。自分を知る存在が描いた絵は、こんなにも真っ直ぐで美しい。自画自賛と捉えられても気にならないくらい、心からそう思えた。
「……君には、私がこんな風に見えてるのかな。私、こんなに綺麗かな?」
「…………」
「ごめん、変なこと聞いちゃった。忘れて、今の」
自分の持てる全てを使って、私は学園をよりよりものにしたい。それはきっと自己満足で、私のわがままだ。「才能があるならそれを活かすべき」、耳にタコができるくらい聞いた言葉であり、私の理想。そのために仮面を被って、面倒臭がりで甘えん坊な自分を殺したのに……歩夢くんの絵はストレートに私らしさを認めてくれる。
彼以上に、彼の想いを語ってくれる。
「――あかりさんはいつも綺麗です。どんな時も」
「……ありがと」
「……もしよかったら、明日もあかりさんの絵を描いていいですか? 今度はちゃんとしたものを、大会に出すものを描きたいので」
「それはいいけど……その絵じゃダメなの?」
「これはあくまで落書きというか……練習作品みたいなものなので。よろしければ、このままあげますよ」
これが練習作品か。
嘘だな。本当に練習作品だとしても、芸術大会に出しても申し分ない絵だ。多分、私の仮面を心配してくれているんだろう。ほんと、そういう雰囲気を匂わせないのが彼らしさと言うか、なんというか。
「そこまで言ってもらえるなら、もらっちゃおうかな。絵のモデルも引き受けるよ、がんばって、美術部にも負けない『
「善処します。……では、俺は先に帰りますね。明日の用意をしないといけないので」
スケッチブックを私に差し出した歩夢くんは、ジャージを受け取らずにそそくさと帰っていった。絵のモデルを引き受けてもらえたのが余程嬉しかったのだろうか、それとも……いや、考えるだけ無駄か。
「わかんないなぁ、ほんと」
彼を好いている私の想い。彼に好かれたいと思う、私の感情。
それをどう切り分けるのか、悩ましい。
……今まで見たことのある漫画やゲームはこれを恋だと言っていたが、そう決めつけるのは早計な気がするし。かと言って親愛と言うには重い気もする。
「ひなたなら、なにかわかるかな」
自分より文学を嗜むことが多い、かわいい妹。雑食な彼女だが、年相応に恋愛系小説も読む彼女なら、私のこの想いを言語化してくれるだろうか。……決めた、明日の夜に聞いてみよう。彼と1日過ごして、どんな感情が湧き上がるのか確認して、それを吐き出せば悪くない判断材料になるはずだ。
「……にしても、ジャージ、どうしよっかな」
誘惑するかのように彼の匂いを香らせるジャージは毒だ。
悶々とする前にバックに入れてしまうのが吉だろう。
でも、その前に。
少しだけ、少しだけなら着てみても許されるのでは?
肩に羽織ってるのがありなら、腕を通すくらい誤差の範囲。
いや、いやいやいや、ダメだ。
思いとどまるべきだろう。
けど、でも、ちょっとだけなら……そんな心の葛藤は最終下校時間を知らせる放送まで続き、結局私が彼のジャージに袖を通すことはなかった。
ちょっとだけ、後悔してしまうのは気の迷いだろう。
次回もお楽しみに!
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