◇歩夢◇
月末のレクリエーション大会当日。生徒会所属である俺は、本来なら敷地内の巡回が主だった仕事だった……が同じく生徒会所属である華乃に呼ばれ体育館のバスケットコートを走っていた。動きやすいようにと着ていたジャージがこんなところで役に立つとは思わなかったが、そんなことは今更どうでもいい。
問題は何故、運営側である俺が他の生徒と一緒になって汗を流しているのかということ。しかも、呼ばれた時には試合時間は残り1分。点差は10点差で、相手は三年生である。
まったくもって何がしたいかわからない。俺を呼んだ華乃も華乃だが、なにをどうしたらお前は歌で応援しながら周りを盛り上げてるんだ。違うだろ、それ以外の仕事があるだろ、お前は。
ため息が零れ出そうになる現状で、得点板に目を向ける。試合時間は残り20秒、点差は二点差。あと1本、あと1本スリーポイントを入れれば逆転できる。ボールは俺たち二年生チームにあるし、攻撃の手に緩みはない。
刻一刻と過ぎる時間、外を警戒し中は抜かれても構わないと言わんばかりに、マンツーマンで行く手を塞ぐ三年生チーム。なんとかパス回しで繋いでいるが、残り時間が3秒前に差し掛かる。
「歩夢!」
クラスメイトから託されたボール。
俺をギリギリまで追い詰めるディフェンス。その場から動かず即座にシュートの体制に入った俺を見て、相手は勢いよく飛んだが——フェイクだ。一拍遅らせて飛んだ俺にディフェンスはしまったという表情でもう一度飛ぼうと追いすがるが、触られる直前にボールは弧を描いてゴールに放たれる。
吸い寄せられるように、ボールに引き寄せられるみんなの視線。誰もが息をのんで見守る中、綺麗なループで放たれたシュートはリングに当たることなくネットを鳴らした。
「入った……」
『っしゃぁ!! ナイッシュ!』
久しぶりに沸き立つ言葉にならない高揚感を後押しするように、チームメンバーが俺を囲いバシバシと背中を叩く。170になんとか届くくらいの俺を、全員でもみくちゃにしようとする体育会系の学友たちから逃げ、華乃の横に腰を下ろした。
頬を伝う汗を肩で拭い、呼吸を整える。なんとも懐かしく、慣れた動きだ。たった三分、されど三分。あんなに全力で動いたのは、久々だった。負けず嫌いな部分が自分にあるとは言え、ただのレクリエーション大会でここまでムキになったのは自分でも意外に感じる。
とは言え、ここまで汗をかくのは想定外だ。念のため、予備の着替えやらタオルやらを持って来てはいるが、荷物は生徒会室にある。
「ほんと、よく巻き込んでくれるよ、お前は」
「ごめんごめんって。でも、楽しかったでしょ? ならそれでいいじゃん。今日はそういうイベントなんだしさ」
「……俺たちはあくまで運営側だけどな」
「まぁまぁ、楽しんだもん勝ちだよ! ほら、着替えるならさっさと着替えて来れば? ここに居ると、今度はバレーの助っ人にされちゃうよ?」
「はぁ……そうさせてもらうよ。それと、華乃もルーズボールには気を付けろよ? バレーもそうだけど、バスケも結構勢いよくボールが飛んでくるからな」
「だいじょーぶだいじょーぶ! あたし、これでも運動神経は——」
そんな彼女の言葉を遮るように、ボールがこちらに飛んでくる。バスケのボールサイズは七号。大きめのスイカと遜色ないサイズのそれはよく跳ね、硬い。バスケで突き指の怪我が絶えない理由の一つだ。
腰を上げ始めたばかりの俺は無理矢理腕だけを伸ばし、片手で華乃に当たりそうになったボールを弾く。無駄な知識ではあるが、バスケのボールは本当によく跳ねる。キャッチが難しい場合は、掌で叩いた方が上手く勢いを殺せるだろう。
──もっとも、こんな時にしか役に立たない知識だが。
「それで? なにが大丈夫だって?」
「……以後、気を付けます」
「わかったならいい。それじゃあ、俺は行くからな? 体育館に居るなら気を付けろよ」
注意するようにそう言い残して、体育館をあとにする。
これ以上、汗をかくのはごめんだ。
◇
賑やかな声が絶えない廊下を抜け生徒会室に戻ると、同じく休憩中だったであろうあかりさんがソファに腰を掛けていた。彼女も俺や華乃と同じようにジャージ姿で、動きやすいように髪を後ろでまとめポニーテールにしている。こういう姿でも様になるのが、あかりさんのすごいところなんだろう。
「おっ、お疲れさま、歩夢くん。どうしたの、汗だくじゃん?」
「華乃に呼ばれて、体育館のバスケの試合に出てたんですよ。お陰で着替えるはめになりました」
「ふふっ、いいじゃんいいじゃん。そういうのも、青春って感じするよ?」
「洗濯物が余計に増えるのはごめんですよ……」
「まぁ、それはそうだよね~」
軽く談笑しながら、替えの体操着やら制汗シートを取り出し俺は着替えようとするが……あかりさんの視線が突き刺さる。いや、休憩中にお邪魔した俺が出ていくのが筋なんだろうが、ここから体育館近くにある更衣室まではそこそこに距離がある。もう一度プレーさせられるのは面倒だし、かと言って他の空き教室やらもおいそれとは使えない。
できるならここで着替えたいところなのだが……
「あの……あかりさん?」
「なぁに、歩夢くん?」
「その……流石に着替えを見られるのはちょっと……」
「ふーん……」
それ以上何を言うわけでもなくあかりさんは腰を上げ、こちらに一歩、また一歩と歩み寄る。柔軟剤には気を使ってるとは言え、今の俺は間違いなく汗臭い。限りなくいい匂いではない……それ故に可能なら近付かれたくないが——彼女は俺のそんな考えを知る由もなく。着々と距離を詰めてくる。
「……あ、あの、見ればわかりますよね? 俺、今汗だくですよ? 自分で言うのもなんですけど、多分臭いですよ?」
「私は、歩夢くんの臭い……嫌いじゃないよ?」
「だからっ! そういう問題じゃなくて、そもそもこのアングルがダメなんですよ! ああもう! あんまり顔近づけないでください!」
「しょうがないなぁ……と見せかけて、えいっ!」
油断していたのは事実。事実だが、あかりさんもあかりさんだ。いくら気になるからって、普通特別親しい間柄でもない後輩男子に抱きつくまでするか?
胸に顔を埋めるような形で抱きついてきた彼女に、俺はどうすることもできず行き場を失った両手が虚空に留まる。理性の枷を解くように、髪から薫るシャンプーの匂い。フルーティーな甘い匂いが今までになかった感情を掘り起こそうとしてくる。
問題はそれだけではない、ジャージ越しでも伝わる柔らかい感触。触れることなんてありえないと思っていたものがぶつけられ、超えてはいけない一線があやふやになる。
そんな中、振り絞った気合であかりさんの肩を掴み、強引に彼女の体を離す。侮っていた。俺の知らない彼女がここまでやる人だとは。
「ほんと! 何やってるんですか、あなたは!」
「えへへ……でも、私はやっぱり歩夢くんの匂い、嫌いじゃないよ?」
「そういうのはもういいんで! 外回りにでも行ってください!」
「酷い! 私も休憩タイム中だったのに!?」
「酷いのは会長ですよ! ほら、さっさと部屋から出て行ってください!」
無理矢理彼女の肩を掴んだまま生徒会室から放りだし、ドアを閉める。
自分がわからない。こんな簡単に揺り動かされる人間だったか、思い返してもそんな記憶はない。バスケをしてる時は少し『
確かに、俺はあかりさんを好いている。だけど、それは心が満たされるものであって、ここまで振り回されるものではなかったはずだ。体が、熱い。感じたことのない熱だ。鏡で今の自分の顔を見たら、酷く赤くなっていることだろう。
自分の体なのに、自分のものじゃないような感覚。
触れ合うということは、人をこれほどまでに狂わせるものなのだろうか。
「もっと……知らないと」
この想いを理解するためにも。
◇あかり◇
異性の匂いの好みと遺伝子上の相性は深い結びつきがある。
昔、テレビで聞いた雑学の一つだ。
「歩夢くんの匂い、嫌いじゃなかったんだよねぇ」
「……それ、あたし相手に言います?」
「だって、私そういう経験ないからさ。華乃ちゃんって結構モテルって聞くし……実際どうなのかなって」
「知らないですよ、あたしも。ずっと音楽一筋でしたし、バンドメンバーも女の子だけですし」
「そっかぁ、残念……」
呆れたようにそういう華乃ちゃんに、私は適当な言葉を返す。
ほんとのことを言えば、自分でもさっきあんなことをした理由はわからない。ただ、たまたま匂いの話を思い出して、試したくなって、それだけ。歩夢くんがあそこまで私を拒絶した理由もイマイチ謎なままだ。
普通、男の子なら喜ぶことだろうに、不思議。
でも、彼が私を拒絶したことは嫌ではなかった。それくらい私を大切に思ってくれている、紳士でいてくれるのは素直に嬉しい。
ただ、勘違いしないで欲しいのは私だって誰にでもあんなことをするような女じゃないってこと。君が知りたいからやったんだ。君を理解したいからやったんだ。
顔を赤くする歩夢くんが見れただけでも満足。
あそこまで取り乱すのは予想外だったけど、普段表情が変わらない彼のあんな慌てた様子は今日までがんばった私へのご褒美だろう。
「歩夢くんってかわいい顔してるよね」
「あー……わからなくはないですね」
「照れてる顔、もう一回見たいなぁ」
「——ほんと、なにしたんですかあかり先輩?」
「なーいしょっ! ほら、次の試合始まるよ? 私はもう行くから、あとはお願いね~」
受け流すように軽く手を振って華乃ちゃんがいる体育館を出る。
レクリエーション大会が無事に終わるため、やることはまだ山積みだから。
次回もお楽しみに!
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