突如出現した魔法陣に飛び込んだエリンは、眩い光に視界を焼かれた直後、足元が消える感覚に襲われた。
「――っ!?」
急な浮遊感に身構えることもできず、直後地面へと落下した。
幸い足元には即死罠もなく、待ち構える怪物もおらず。エリンたち2人は何とか無事に岩の床へと座り込んでいたのだった。
「……ここは……」
「エリンさん、無事ですか?」
「はい。私は大丈夫です。おふたりは?」
「問題ありません。アロナさんもご無事です」
アロナは魔道具ごとランドルフに抱えられていた。
当然彼自身はあの程度の落下では無傷。あの奇妙な魔法陣による異変も今のところは起きていない。
「問題は、この場所でしょうな」
「そうですね……ランドルフさん、見覚えは?」
「ありません」
エリンが知らないだけでお店の地下だったりしないかと期待したのだが、違う様だ。
アロナも首を横に振っているから、間違いないのだろう。
「そうなると、私たちはお店から別の場所に移動した、ということになりますよね」
「まさか、転移魔術だと? そんなはずは……」
「あり得ない、ですよね」
転移魔術は現時点では実現不可能な魔術とされている。
人型種の魔法では岩や金属といった重い物質は作れない。植物といった生命も作れない。
つまり、物質や生物を一度消して『他の場所に生み出す』転移魔術もまた、不可能なのだ。
その筈なのだが――。
「なら、ここは一体どこなんでしょうね……」
エリンたちがいるのは、やけに広い石造りの空間であった。
特魔課の部屋よりは広そうなその空間は薄暗くて壁までは見えない。
自分たちがいる場所は、何故か周囲に比べて僅かに盛り上がった台座のようになっているようで、四方には鉄製のトーチが設置され赤々と燃えている。
どこかの遺跡か、神殿と言われれば信じてしまう光景である。
「……調べなければなりません。さ、アロナさん、立てますか?」
「うん、ありがとう。ランドお兄ちゃん。……ねえ、これって、お母さんを盗みに来たんだよね?」
「恐らくは。だからアロナさん。私から離れないように。そして、お母さんを離さないように」
「うん……!! 絶対、離さない」
――そうだ。よくよく考えれば、あの魔法陣は間違いなく今回の犯人によるものだ。
つまり、これまで盗まれて戻ってきた魔道具たちは、ここに運ばれたということになるのだ。だが――。
「……ここに?」
魔道具を盗んで直すにしては、あまりに何もない。
せめて室内で、修理用の道具類が沢山あるのなら納得もできるが……。
「――っ! 何か来ます」
鋭く振り返ったランドが言った。
重たい扉の開閉音の後、こちらへと歩く音が一つ。
「……エリンさん、アロナさんを」
「はい」
今、エリンには武器がない。
素手で戦えないこともないが、相手はかなり限定されるだろう。
アロナの肩を抱いて、ランドルフの背後に回った。
息をひそめて接近する何かを待つ――と。
「――あ? なんだ、お前ら。どうやって入ってきた?」
そうして現れたのは、1人の男であった。
短く刈った緑の髪の上にゴーグルを載せ、革の前掛けを身に着けたその男は、気怠げに頭を掻きながら、こちらへと剣呑な視線を向けてくる。
武装している様子は見えない。
やせ型の体型も、黒ずみ汚れた前掛けもとても戦闘職には見えなかった。
だが、その立ち振る舞いにはどこか威圧感のようなものがある。
未知の場所に得体の知れない男。
身構える一行の中、ランドルフが口を開いた。
「それは、こちらが聞きたいですね」
「あ?」
青筋を立てる男に対し、ランドルフは大きな体躯を見せつけるように背筋を伸ばし、深く礼をする。
「我々は魔法ギルド・テティア支部の者です。魔道具の盗難事件が起きていたために、その調査をしていました。その途中、犯人が起こしたと思われる魔法陣に巻き込まれ、ここにたどり着きました」
「……」
「つまり、ここには魔道具の窃盗犯がいると我々は考えています。改めてお聞きします。あなたは何者ですか? 今すぐ答えないと――」
「ほらよ」
だがランドルフの圧に構うことなく、男は懐から1枚の板を取り出し、こちらへと差し出して見せた。
まさかのその行動に呆気に取られていると、男は気怠げに息を吐き出した。
「なんだか知らんが、オレは魔道具師でここはオレの工房だ。お前らが立ってるそこは、オレに修理してほしい魔道具が届く『入口』だ」
男は自身を魔道具師だと名乗った。
つまり差し出された板は、王国が発行する魔道具師の認定証の様だ。
「……拝見しても?」
「好きにしろ」
ランドルフは男が差し出した認定証を受け取ると、眼を見開いた。
丁寧に認定証を男へ戻すと同時に、頭を下げる。
「――失礼しました。まさか『開花』のイクサン様だとは気付きませんでした」
「いや、こちらこそ口調が荒かったな。癖なんだ、許せ」
途端に態度を軟化させたランドルフに、アロナが首を傾げる。
「……エリンさん、『開花』って?」
「ギルドが決めている等級……どれだけ凄いかを示す称号だよ。7段階あって、『開花』はその上から2番目。『開花』級の技師は、数十人しかいないんじゃなかったかな」
「じゃあ、凄い人なんだね……」
中立国家ハーヴェスに存在する各種ギルドが定める等級は全て同じで7段階。
それらは植物が成長する過程になぞらえて、最下級の『種子』から『新芽』『若葉』『新緑』『
当然上に行くほど数は減っていく。
同級生だったマイラは卒業時点で第4級の『新緑』となっていた。
彼は更にその2等級上の技師。王族よりも珍しい、世界でも有数の魔道具師だということだ。
でも、ならばどうして我々はここに飛ばされてきたのだろか。
彼は修理用の『入口』だと言っていたが……。
「んで? お前らは捜査……だったか? それでここに?」
「はい」
ランドルフが簡潔に事件の経緯を――魔道具が連続で盗まれては修理される怪事件を調査していることと、アロナの魔道具盗難の現場に居合わせたためにここへやってきたのだということを説明する。
「――という訳でして」
「……成程な」
口元を抑えながら真剣にその話を聞いていたイクサンは、盛大にため息を吐いてこちらを見やる。
「悪いが、オレはその窃盗犯じゃねえ。オレはここに届けられた魔道具を修理して戻す。それが仕事なんだ」
「……依頼人は?」
「オレは知らん。そういう面倒なのはロラン――ああ、オレの代理人な? そいつに任せてるんだ。オレはただ、ここに届く魔道具を修理して戻す。そういう契約だ」
「ロラン殿は存じています。そうですか、貴方はそういった契約でしたか」
ギルドに所属する魔道具師達には、その等級を認める代わりに様々な義務が生じる。
例えばギルドの業務に必要な魔道具をオーダーメイドで作ったり、王家専属となって依頼を請け負う必要があったりと、その契約内容は技師によって大きく異なる。
彼の場合は依頼された、魔道具を修理することらしい。……いちいち確認も面倒だったのだろう、実際は
これが魔道具が修理されることの実態。
あの見惚れる程に美しい魔法陣も、最上位の魔道具師である彼が行ったものならば納得の出来である。
「ちなみにこの場所は……?」
「あ? ああ、オレの工房だ。見ての通り異空間だよ。テティアの中でロランが札――目印を付けた場所に、ここに繋がる入口が開くようになってる」
やはり瞬間移動ではなく異空間の方であった。
それでも、この大都市テティアに自身の異空間を建造することを許されているのは、やはり彼が都市有数の魔道具師である証なのだ。
いくら上位の魔道具師でも、この国の中では使える魔法は制限される。
こんな広大な空間を作り出す異空間魔術は余程のことがない限りは使われることがあり得ないのだ。
「オレはここから出ることは殆どない。来た魔道具を修理するだけだ」
「……そのようですね。となると犯人はこの場所への目印を知っていて利用したということですか」
「このところやけに普通の魔道具が続くなと思ってたが……そういうことか。ロランのやつ、札を盗まれたな」
彼からしたらいつもの仕事をしているだけで突然犯罪者扱いされるのだから、ただの迷惑でしかないのだろう。
「今、他に修理をしているものは何がありますか?」
「ギルドからの依頼はねえよ。強いて言えばその嬢ちゃんが持ってる
「……はい」
「ならねえよ。王国からの依頼物があってな。数は減らしてるんだ」
「……わかりました。ありがとうございます」
「わかったらさっさと帰れ。オレは忙しいんだよ」
疲れたようにそう言って、彼は背を向けて歩き出そうとした。
それを慌てて止める。
「お待ちください! ……どうやって帰ればいいんでしょうか?」
「ああ? ……っち、仕方ねえな。待ってろ」
「それと! 申し訳ないのですが、捜査のために再度ここに来る必要があります。次は、衛兵も連れて。そのために、貴方の言う目印をいただけるとありがたいのですが」
「あーあー、わかってるよ。こっちもギルドと構える気はねえから……」
手を振って外へと――恐らく本来の工房へとイクサンは向かっていった。
重たい扉の開閉音を聞いて、3人の身体がようやく弛緩した。
「緊張した……」
「びっくりしたね。……でも、まさか『開花』の魔道具師の工房だったなんて」
期待していた犯人はいなかったが、それでも事件に進展はあった。
犯人はイクサンに魔道具を送り付けて修理をさせていたことになる。ならば彼の工房への目印を持っている人物が怪しいということになる。
担当だというロランか、彼から目印の札を盗んだ誰かなのか、あるいは――。
「――しかし、こういった工房には初めて訪れますが、異空間にこれほどのものを建造できるものなのですね」
不意に、ランドルフがそう呟いた。
彼は心底感心しているかの様に辺りを見回している。
「特に、都市の各場所からこの異空間に来られるなんて、一体どのような方法なんでしょうな。エリンさん」
「……え? あっ、そうですね。こういった異空間は一定範囲内ならどこからでも入口が開けられるようになっているんです。恐らく都市の地下側に広く異空間を建造して、地上からならどこでもアクセスできるようになっているんじゃないでしょうか」
実際、エリンたちは移動時に落下していた。
都市の地下構造に重なるようにこの異空間は建造されている筈だ。
「なるほど。では、そういった入口の魔法陣はどうなっているのでしょうか」
「……!!」
そこでようやくエリンはランドルフの意図に気が付いて、視線を足元の魔法陣へと移した。
彼の目は真剣そのものであった。……覚えろと、そう言われた気がした。
「そう、ですね。私も関わったことがないので、そこまでは……」
少しだけたどたどしい言葉になってしまったが、何とかそう言って。
エリンは石の床に広がる魔法陣を必死になって記憶していった。
その直後、扉の開閉音が響き、イクサンが戻ってきた。
「ほら、とりあえず5枚ほど持ってきた。これを貼って起動すれば、指定した時刻に入口が開く。1枚で6人くらいなら入れるし、戻るときは同じ場所だ」
「ありがとうございます……!!」
「時間によっては寝てるから、その時は勝手に調べてくれ。ただし、魔道具には触れるなよ」
「勿論です」
ちら、とランドルフがこちらを見てきたので頷きを返しておいた。
これ以上は長居できない。最低限の把握だけはできたと思う。
「……では、我々はこれにて。突然の来訪、失礼いたしました」
「捜査頑張ってな」
そうして、彼が手を振る光景が消えると同時に、エリンたちは元いた貸本屋へと戻ってきたのだった。
「帰ってこられましたね……」
ほっと息を吐き出した。
突然の移動に、しかもこちらにはアロナまでいた。
全員無事に戻ってこられたことはかなり幸運だった。
「ええ。なんとか……エリンさん、魔法陣は?」
「あ、はい。流石に全部は無理でしたが……そうだ、書き写さないと! アロナちゃん、紙を貰ってもいい?」
「うん。これ使って」
「ありがとう!」
紙に記憶する限りの魔法陣の詳細を描いていく。
その間に、ランドルフはアロナを落ち着かせるために魔道具を預かり、紅茶を温め直すよう勧めていた。
上階の生活空間へと向かっていく足音を聞きながら、エリンはランドルフに尋ねる。
「でも、どうして魔法陣を? 『開花』の方の工房ならギルドに記録が残っているはずですが……」
「……あの男から、死臭がしました」
「――え?」
思わず手を止めて振り返る。
そこには苦々しい顔をしたランドルフの姿があった。
「ほんの僅かでしたが、確かに臭いました。……その場で戦う手もありましたが、アロナさんを巻き込むわけにはいきませんでしたので」
「……あの方が、犯人だと?」
「わかりません。ただ確実に何かはあるようですね」
戦闘職ではないが、上位の魔道具師たちは総じて高い武力を有している。
何せ『開花』ともなれば、ついこの間大暴れした上級魔法の魔道具を
工房には当然ストックがあるだろうし、侵入者用の防衛装置も設置されている筈だ。
それこそ泥棒対策として、工房を異空間に設置しているのだろうから。
もしあの場で敵対していたら生き残れたかどうかは怪しいものだ。
そして、あの男が犯人なのだとしたら、誰か、既に死人が出ているということになる。
1日泥棒でも記録の消去でもない、本来の意味での殺人が。
「とりあえず、アロナさんの魔道具はもう安全でしょう。今日は私が一緒にいます。明日、詳細を調査しましょうか。私はあのイクサンとロラン殿を当たります。エリンさんは引き続き、犯人の方を追ってください」
「……はい。わかりました」
ともあれ、もう夜になる。緊張の糸が切れて、エリンの疲労もかなり溜まってきていたのは事実だ。
そのまま魔法陣を描き上げると、ようやく長い1日が終わるのだった。